今回は、久しぶりに命の洗濯。
5年来の山の先輩、敦子さんの山に同行した。島根から。
敦子さんは、現在60代に入ったところで、山は大ベテラン。今回は脳の腫瘍手術からの復帰戦。参加させてもらえたのは、率直に言って光栄だった。
悪性リンパ腫・・・最近、吉田和正さんが亡くなったことで知った病名だが、敦子さんは20代前半で患い、その時受けた放射線治療の影響で腫瘍ができたのだそうだ。検査を6か月ごとにしていたのだそう・・・
開頭手術は10時間にも及んだそうで・・・リハビリも4か月かかり、大変だったようだ。しかし、今回は、しっかり歩いていて、タイムもコースタイム通り。
山があるからがんばれる・・・それを地で行く人だ。私とは山があるから頑張れる、同士。
■ 何はなくとも何さえあれば幸せか?
失職し、流産もあり・・・、もうこれから、どう生きたらいいものか・・・という状態でたどり着いた山梨・・・私の出した答えは、山梨にいる間は山さえあれば幸せ、というものだった。
山梨にいる間は、何はなくとも、山さえできれば・・・。そのような登山者であった私に、山は色々と答えてくれた。登山1年目から雪の穂高に登り、登山2年目で山小屋のご主人と山を歩き、3年目で山岳総合センターのリーダーコースに通った。
その山小屋のご主人と歩いていた頃、運命が与えてくれたものの一つが敦子さんとの出会いで・・・それは、”本格的”という形容詞がつく登山との出会い・・・だった。
敦子さんと南アで会った時、私は、”ぬんちゃく”という言葉も知らない登山者だった。
そこでの出会いが、本格的がつく登山への導入となった。
■ 闘病とリハビリ
それにしても、敦子さんの闘病は壮絶だ。ガン、脳内腫瘍摘出手術。
そのような闘病生活の中で、リハビリと称して、毎日歩く。日常的にヨガをしている。週1でボルジムにも通っているそうだ。
私自身も、カモシカ縦走の為、毎朝20kgの歩荷散歩をして備えたが・・・私のトレーニングは大体、山が見えてからしか、やっていない。春山のための歩荷トレは大体2週間程度だ。
したがって敦子さんと私では、ハッキリ言って気合の入り方が違う。
今回は焼岳をご一緒したが、素晴らしい山だった。 コースタイムで歩いていたのに、非常に驚いた。
■ 松本
移動日は、移動だけだったので、ゆとりがあり、寄り道多数。
諏訪南のPAは、改装が済んで、前よりサービスが低下していた・・・スタバは無くなり、食堂のメニューは魅力がなく、お土産物売り場は前と変わらず・・・。良かった点が省かれてしまった。
次は、定番のレストラン十字路へ。なんとなくデミグラスソース味が食べたくなったのだった。車中泊の予定でもあったので、しっかり目のランチを食べておきたかった。
その後、カモシカへ。店長のキタさんと、愉しくお買いもの・・・ トレランシューズをお買い上げ。実は、いつも乗っている車ではないので、靴を入れるのを忘れたのだった・・・
どちらにしろ、一足はラン用のシューズが必要だったから、まぁよい。以前はアイスに靴を忘れていったこともあったっけな。そんな話で盛り上がった。
カモシカは、クライミングギアも充実しているので、ギアも見て、長いぬんちゃくにするための中間部の堅いスリングを購入。
お給金が入ったばかりなのに、予想外に出費してしまう。
■ 秋山
上高地線を飛ばす。エクストレイルは快調だ。山に入れば入るほど、秋が深まり、黄色がメインになっていく。秋の山はきれいだった。
今回は安房トンネルを通らず、安房峠をなんと4回も通過したが、安房峠のあたりは紅葉が非常にキレイで、気持ちが良かった。
それでも平湯温泉には15時についてしまい、時間が早かったので、敦子さんに連絡したら、すでに山を下りていて、すぐに会えた。こっそりお宿に通してもらい、しばらく、キャッチアップに忙しかった。
楽しく過ごした後、それぞれ夕食へ。私は、近所の定食屋でとろろ定食を食べたのち、お気に入りの平湯の湯で温泉に浸かり、ポカポカと温まってから、登山口で車中泊した。
平湯の湯は、本当に良い。いつも空いていて、寸志で入れる。
この日は、10月にしては冷えた日で、温泉入って温まっていたこともあって、寝つきはよかったものの・・・夜半にかなり冷え、日中マイナスだったのだから・・・寒くて、夏用シュラフでは失敗だったことを後悔しつつ・・・ツエルトを出してきて、かぶって寝た。結構、寒かった。が、朝が来るのは早かったので、寝ていたのだろう。いつも持っているダウンパンツを持っていなかったのだった。山はもう夏は終わり、冬モードだった。
車中泊・・・初めてしたのは、2014年・・・師匠とモロクボ沢に行った時だ。あの日は会の例会があり、家に帰ると時間的に押してしまうので、道の駅に泊まった・・・小さい車だったので、助手席でねるしかなく、非常につらい夜だった。
回想はすべて・・・幸せ色だ。懸命に何かを習得しようと追っている自分を回想するとき・・・あのころは本当に幸せだったなぁと感じる。
幸せとは、何かテーマを追いかけている時のことなのだろう。
・・・当時と比べると、快適な車中泊。快適さの理由は車がオールフラットになる車だからだ。しかも一人なのでスペースにもゆとりがある。ただ、寒さが予想外だった。
最後は頭も寒かったので、毛糸の帽子を出してきて被ったくらい、よく冷えた夜だった。
■ 快晴
朝はR2とナノパフを両方着て、歩きだす。焼岳の中の湯ルートは今冬計画して、歩かなかったルートだ。
焼岳へ通じる最も容易な道であるはずだ。実際そう傾斜もきつくなく、樹林帯である下部とルンゼを上がる上部と大きく2つの部分で成り立つルートだった。
天気は、高曇り。下に雲海が見え、空気は安定しており、冬型で、風もない。
ゆっくり標高をあげて行くと、笹で覆われた解放部に出る。ベンチがある。そこから上は、ルンゼをあがり、焼岳の火口、山頂へと突き上げていく。ずっとルンゼを上がる。
この登りは、敦子さんは少しつらかったみたいだった。でも良く歩いていた。ずっとコースタイム通りで全く問題がない。
森林限界を超えると、白い球の形の花をつけた高山植物が一杯だった。景色はミニ南岳、という感じだった。
岩稜はほんの少しなので、あまり問題がなく、山頂につく。直下の風が防げるところでランチ休憩。
下り始めは、ちょっと天候が悪化していた・・・。が、少し先へ降りると、天気の回復がすごく、振り返ると、素晴らしい青空を背景にして屹立する岩峰・・・山頂部が美しく、皆でお名残惜しい思いを残しながらの下山となった。
森林限界より上の下山中、何度も後ろを振り返り山の姿をカメラに収めた。久々に見る山の神々しい姿だった。
このところ、山・・・は、パートナー問題やら墜落事故なんやらで、山の山らしい神々しさを失い、どちらかというと、昼のメロドラマか、オペラのドタバタ騒ぎのような様相になっていた・・・私にとっては人間的過ぎて、辟易するような状況だったりもしたので・・・
久しぶりの山の山らしい、純粋な姿に再会できたようで、うれしかった。山はサットバ。人はラジャシックだったり、タマシックだったりするが、山はいつだってサトビックだ。
下りは12時ごろ。すぐに平湯の森へ。温泉に30分ほど浸かったのち、ランチで、朴葉焼きを食べた後、敦子さんたちと別れる。
その後、まだ帰りにはゆとりがあったので、もう一度平湯の湯に入り、保存されている茅葺の家で、ラムネ(150円)を飲み、岐路に着く。
帰りは、セブンでコーヒーを飲んだ以外は、一直線に高速に乗った。エッジに行ってもいいなと思い、クラミングシューズは入れていたが、帰りに立ち寄る気にはなれなかった。
甲府についたら、まだ18時半・・・ 焼岳は甲府からでも、日帰りの山だということだ。