2022/10/30

乾徳山vsインスボン

■ 乾徳山旗立岩

乾徳山旗立岩は、アルパイン”ロック”クライミング、つまり無雪期の山の登攀の入門ルートです。https://allnevery.blogspot.com/2016/06/blog-post_20.html

これと、インスボンのようなスラブの登攀ルートとの違いが分かるようになるのが、

   アルパインとフリークライミングの違いが分かる

ことになる、というようなことのような気がしますね。

■ リッジで落ちる=クライマー失格

乾徳山旗立岩はリッジ登攀です。3P。つまり、尾根です。ですので、足で歩く登山の延長戦にあります。でも落ちたら死ですね。まぁ、フリークライミングの視点で見れば、絶対落ちないような程度の難易度ですけど…。それでも、フリークライミングの能力開発なしで行けば、落ちてる若い男性います。

記録。https://allnevery.blogspot.com/2016/06/blog-post_20.html

■ 若い男子でも落ちる

若い男子なら誰でもフリークライミング能力があるか?というと違います。インドアジムでフリークライミング能力が上がっても、このルートには行けない…。ここに必要な能力って、西湖の岩場でボロい支点の5.8をオンサイトする能力と支点構築力のほうで、インドアジムで5.11を登る能力ではないです。必要十分条件が揃うのが難しいのです。

■ クラッギング

クラッギングの場合は、誰かに連れて行ってもらって、テキトーにお茶を濁して、能力開発したり、自立したりは、しないで済ませる男性もいる。

前の会で、そうやってフリークライミング歴5年と言いながら、全部リードがAゼロだった男性がいました。全然フリーになっていなかった…。

■ マルチ=遠隔地でもない

マルチという一言で、全部アルパインの論理…落ちてはいけない…が適用される、という風にクライミングの業界内でも誤解が著しいですが…。

しかし、ほとんど下界のような山もあり、インスボンなどはその事例です。地下鉄から登る山です。

切り分けポイントは、救急車が横付けできるか?どうか?のほうです。

誤解の発端は、偶然、マルチピッチは、遠く離れた山にあることが多いからです。

本来は、山であっても、どこでも、フリーで登れる、つまり、エイドせず、道具に頼ることなく登れるほうがスタイル的に優れている、良いのです。

ただ、遠隔地の山のマルチでは、救急車が横付けできないため、落ちて死ぬは許されないので、不安があるようなら、エイドが基本です。墜落が許容できる環境にないということです。

ということで、フリーで登っていい環境、道路が近くて救急車が横付け可能というのは、許された、恵まれた環境ということなのです。

アルパインのクライマーが日和ると言えば、下界に近くなることです。

■ インスボンを登るには、修行が必要

というわけで、インスボンが人気なのですが、シーズン中は、頻繁にヘリ飛んでいます。

どうも、韓国の人は、日本の人より技術レベルは低いように思いました。1本で懸垂している初心者の様子とか、インスボンで見ましたが、危なっかしいものでした。

でも、比叡では、ローワーダウンすら怖くてできない若い男子をみたので、それだとショートの経験もなく、いきなり比叡のマルチに連れてきたという意味で、連れてきた人の常識を疑う感じでした。

それでも、20代の若い男子だったとしても、クライミングは徐々に教育して行かないといきなりは無理って話だということだと思います。

さて、インスボン的マルチピッチと、 乾徳山では、全然意味が違います。

      インスボン vs 乾徳山

岩の脆さ   脆くない vs 脆い

登攀のタイプ スラブ vs リッジ

です。 スラブっていうのは、1枚岩ですから、のっぺりとした巨大ボルダー出現みたいな感じです。

スラブ登攀は、たいていの場合ランナウトです。傾斜が緩いのから、きついのへ、垂直へオーバーハングへ、と初心者は上達していくのがセオリーなので、最初は誰でもスラブになります。

≪クライマーの成長段階≫ 

 スラブ→フェイス→クラック→オーバーハング→さらにキツいオーバーハング(ボルダーなど)

 スラブ登攀の完成が、インスボンでしょう。比叡は、ランナウトであまりロープが意味がないことになっているのとボルトの老朽化で人気がない。=インスボン人気になる、と思います。町からの近さでも、インスボンの方が近くて、色々なレストランを利用できます。

 ≪スラブ登攀の上達の仕方≫

西湖の岩場 (入門)→ 春の戻り雪(熟達練習) → ガマスラブ(オンサイト)

インスボンの場合は、クラックもあるので、湯川程度のクラックの能力開発は必要だと思われます。

≪クラック登攀の上達の仕方≫

小川山レイバック(入門)→ カサブランカ・湯川(熟達練習)→ 台湾(オンサイト)

台湾は、クラックでも易しいので、無理なくオンサイトを貯めることができそうですが、私はまだ達成していません。2度目の台湾が必要な段階で、岸良に切り替えて、そのままでいます。

■ 入門→熟達練習→チャレンジ

この流れが、不適切になっているのが、現代のクライマーです。

入門=ジム 熟達練習=ジム

で、結局、スラブを練習する場がない、クラックを練習する場がない、で、入門と言われるアウトドアのマルチに行くので、練習なし本番と同じことになっています。

例えば、日向神でいくら登っても、クラックが登れるはずがないですよね?日向神は、フェイスの岩場なので。

それと同じことが起こっており、結局、インドアでのオーバーハングの登りのほうは、上達しても、それを外で使う場がありません。日本の岩場はハングしていない岩場が大半です。

■ ラオス

インドアジムで入門期と熟達練習を過ごした人には、ラオスがおススメです。

課題の成り立ちがジムと同じです。

低グレードでは、たくさんのホールドの選択肢があり、どれを使っても良いので、身長やリーチに関係なく、楽しく登れます。

だんだん高グレードになる=選択肢が限られてくる、傾斜が強くなる、という意味です。

ルートファインディングは、つまり易しくなり、上半身のパワーがいるということになります。

これは、そのまんま、人工壁の作りと同じなので、人工壁でクライミングを覚えた人は、

石灰岩クライミング

がおススメです。現代に足りていないのは、入門と練習の岩場のほうで、チャレンジ用の本番ルートはたくさんあります。


 

  

 

2022/10/28

ランナウト がそもそも分からない人もいるのかも…


 ランナウトの説明

たぶん、

ランナウト自体が分からない

人が多数なんじゃないですかね…。

というのは、

動くものに道標をつけることが、全く目印として意味をなさないことすら、分からない

様子だったのです。いくら、頭悪いって言っても、限界がある、と思ったら、もしかしたら間違いなのかもしれません。単に、ランナウトの意味が分からないってことなのかもしれない…

ビックリするくらい無知、無明っていう意味になってしまいますが…

ランナウトは、この赤の線のように、ロープがなってしまうことです。落ちたら、地面に激突する長さ、でロープが出ると、ロープをつけている意味がなくなります。

ちなみに、スラブでは傾斜が寝ているので、どの時点で落ちても、地面=岩肌についたままですので、 落下距離が長ければ長いほど、大根おろしの時間が長いってことです。

さらに、ちなみに、ロングフォールのほうが、落ちるクライマーにも支点にも、優しい場合もあり、特に、オーバーハングで、下に激突するもの…テラスなど…がない場合は、ロングフォールの方がいいこともあります。

ハングした場所で、ぱっつんビレイをすると、ストンと垂直に落ちず、壁にたたきつけられます。下のビレイヤーが体重が軽いと浮くので、もれなくすとんと落ちます。逆にビレイヤーが重たい場合は、上手なビレイ(奥村式)をやってくれないと、バッツンビレイで壁に激突です。


 

2022/10/26

【祝】仏教とのご縁

■ スマナサーラ長老

最近、ケネス・タナカの『アメリカ仏教』を読み、その後、テラワーダ仏教のスマナサーラ長老を知ることになって、仏教に目覚めました。

なんか、これこそが私が求めていたもの、って感じです。迷信や妄信を廃した、

 真の心の寄る辺、

です。ゆるぎない、内なる自分(自灯明)を作っていく活動です。

■ ”なんか違う…”の歴史

私は若い時サンフランシスコにいたので、SF禅センターも知っていたのですが、ちょっと違うな、という感じでした。禅は大乗仏教なのです。

しかも、海外の人で、禅、禅、と禅に惹かれて日本にやってくる人は、禅に、なにか非リアリスティックなファンタジーを持っていることが多く、日本の禅寺に案内しても、座禅?え?!暴力やん!みたいな感じです。夢打ち砕かれることになる(笑)。

我が家にもご宿泊いただいた最初のカウチサーフゲストの、チベット僧のターパさんは、原始仏教を教えているのですが、日本の仏教が知りたいということで、だいぶ高野山やら京都やら、修行寺を捜したのですが、日本では、出家僧、修行僧の文化がすっかり廃れてしまっており、宿坊といえば、修行をするところではなく、サービスをするところ…というので、私自身も分かっていたことでしたが、日本には真の仏教がすでにないことを確認するお手伝いをすることになりました…(汗)。

これって、以前米国のクライマーが日本に来て、日本には真のアウトドアアドベンチャーはない、って語ったのと似ているかもしれません。

しかし、SF的な世界観…卑近な例でいえば、ヒッピー文化…リベラル、というものが、私の生き方の方向性だなぁと思っていました。

■ 西洋人社会のラオス

ラオスに行って、”西洋人クライマー社会”は、”日本のクライマー社会”より、私にとって快適だった…。

海外のクライミング文化というのは、

 パートナー囲い込み (仏教的に言えば、執着)

というより、

 みんなで登ろうよ! (仏教的に言えば、慈悲)

みたいな感じでした。

人種差別もかなり、なくなっていますし…。日本人だけが身内主義で気持ち悪いですよ。

日本であるような、山岳会が岩場を独占する様子に居心地が悪い…みたいな感じは一切ありません。

■ 衣食住が満たされた後 どのように生きるか?

日本は戦後豊かになり、生きる、食べるという最低限のことは満たされました。

そこにはそんなに力を使わなくて良くなった。

で、そんな現代社会で、人はどう生きていけばいいのか?という問いに、みんながぶつかっています。

で、

 ヒマな時間はクライミングして、自然と親しんでいたらいいのでは?

というのが、私が出した答えでした。それは、結局、山とか

 クライミングが瞑想だったから

です。

SF的なもの…というくくりでは、私の中にあるものは、

 平和主義、多様性の歓迎、人類皆兄弟、非差別、非暴力、環境主義、リベラル、質素

というものです。

それで、長らく、ヨガ講師を仕事としており、それで、サンフランシスコ的価値観を生徒さんに伝えることもでき、とても満足していました。

在り方が生き方だったというか… 

クライミングは、冒険好きを示すちょっとしたスパイス程度の扱いです。

■ ヨセミテのボーイズは私の価値観に合わない

クライミングで有名なフィルムに、ヨセミテの初期のころのクライマー達、バレーボーイズの人たちを描いたものがありますが…あれ、私にはまったく合わないです。

リン・ヒルもちらっと出てきますけど、リン・ヒルに憧れたことはないですから・・・ 

ヨセミテは、確かにヒッピーカルチャーの一部門なんですけど、全然、価値観合わない。

 ならず者風

というのは、むしろ、カリフォルニアの

 ゴールドラッシュ時代の文化継承

なんではないですかね?あるいは、

  俺がすごいことを示したい! 

って文化もあわないですね。そんなの、誇示されても、ハイハイ、そうね、とお母さんみたいな気分です。

ま、たしかに、ヒッピー文化って、ドラッグ、セックス、反抗、放浪の世界観ではありますが…。

明らかに、平和主義ではなく、デスウィッシング、ですね。ドラッグやりすぎで死ぬ人達とむしろ近いというか。

■  ヒッピー文化

私が住んでいたミッション地区は、ヘイトアシュベリーには徒歩圏内だったので、まぁ普通にドラッグの売人がパンハンドラーとして、たっているような場所も生活圏でしたし、まぁ、そもそも、ミッションでの暮らし自体がヒッピー本拠地なので、私の暮らした家のお母さんもレズビアンでしたし、そのお母さんは地下でマリファナを吸っているので、洗濯物が臭くなってしまうのでしたが…私自身は、そんな環境でも、別に快適で自分が薬物に溺れるということもなく、ボランティア活動していました。

『ダーマ&グレッグ』という海外ドラマがありますが、帰国後、かなり気に入ってみていました。ヒッピーとヤッピーの結婚した話です。 夫にSFの文化を伝えるのに便利だったというか。

文化的多様性に寛容なワタシですが、一番ないなっていうのが、

  いきがり、

かなぁ…。

 俺ってかっけー!って奴です…。

なんせ、カッコ付けること自体がカッコ悪いというか… 師匠に、上手になったね!かっこいいよ!と声をかけられたら、途端に登れなくなりました(笑)

ロットプンクトというトップクライマーのドキュメンタリーがありますが、めちゃくちゃかっこ悪かった…。コーチに作られたエリートクライマーが、裏ではブチ切れているという話でした。

■ ヨガからアメリカの仏教徒へ

海外では、よくキリスト教の教会へ通っていました…。善意の人たちと出会える場だからです。しかも、子供のころに聖書を読んだりしているので、キリスト教のほうが仏教よりも詳しいくらいでした…(汗)

日本の葬式仏教には最初からなじめませんでした…お葬式でしかお世話にならない宗教って宗教って言えない…。心の支えっていうよりは、仕方ない出費ですよね。

かといって神社も信仰の対象にはなりえないし…そういうわけで、日本では、無神論者がはびこり、功利主義、つまり、自分さえよければ他者のことはどうでもいい、という世界がはびこってしまい、それがそのまま、クライミング界に現れている。

 俺の命だから俺の好きにしていい

 俺の得になることしかしない

 ドレイヤー制度 (自分の行きたいところには行ってもらいたいが、相手が行きたいところには行かない)

という文化です。登山の方では、環境が厳しいので、けっこう倫理観、価値観も叩き込まれます。

 山にイチかバチかはない

 山では一番弱い者に合わせる

徹底的に文化や倫理観がないのは、フリークライミングの方です。

■ 自己中心的な自己責任主義の一般社会の反映

俺さえよければ他の人はどうなってもいい、どんくさい奴が悪いんだ、という文化は、一般社会でも日本の方が顕著で、他の国でもそうなっているのは、あんまり見たことがありません。アメリカなどの西洋人社会は家族主義で、家族を大事にする人たちが多いですしね。

なので、フリークライミングの世界で、どういう風に仲間はあるべきなのか?パートナーシップはどうあるべきなのか?教えないことが、そのまま日本社会の悪い面をクライマー業界が反映する結果になったのだろうと思います。

それにしても、日本だけ、どうしてこうも、自分さえよければ、の世界になってしまったんでしょうね?

海外では逆に反省が進んで、助け合い加速していると思いますが。

■ 精神的拠り所を教えないフリークライミング

少林寺拳法などでは、子供たちに、道、やっていいことと悪いことを教えるようですが、クライミングは、そこは全然教えません。

結果、終了点のカラビナを持って帰る人が多数なばかりか、

 「ねぇねぇ、山分けしようよ」

という世界になってしまっています。つまり、悪いことだと分かっていないです。そこまで、きちんと教えないと、現代のクライマーは分からないってことみたいですよ…。

精神医学の面では、ナルシスト(俺がカッコイイ!と元気が出る人たち)は、

 衝動に弱い

という研究結果が出ています。つまり、これをやったらダメだという理性のブレーキの効きが弱いのです。だから、持って帰りたい!と思ったら、持って帰ってしまいます。

たやすく理性のタガが外れる事例を2,3目撃しました。めんどくさい、とか、そういうのに弱いのです。 

その上、昔の技術をそのまま若い人が教えられてしまって、気の毒な有様です。

カットアンカーは、前時代的、の最大のものですが、支点ビレイ、二人が一人をビレイ、壁から遠いビレイ、90度に曲がったビレイ、バッツンビレイ、ダラリンビレイ、終了点直がけ、ATCなのにグリップビレイ、手作り終了点…

前時代的、と友人が表現してくれましたが、前時代ってこうだったのかー!って感じでした。

■ 仏教=完成した人生哲学

サンフランシスコ的な価値観の体現は、ヨガ講師の仕事で満たしてきたわけですが…

仕事でもクライミングでもそれが表現できなくなり、窒息しそうでしたが…

ここへきて、仏教と出会うことになりました。

素晴らしい!

テラワーダの教えは、上座仏教です。つまり、お釈迦様が言ったことを最もしっかりと現代に伝えている仏教です。

・死人にお経=お釈迦さまはそんなことは言っていない ナンセンス

・お布施で先祖が供養される =同上

・先祖のたたり = ただのインチキ商売

・般若心経 =後世の人が作ったもの

・年を取っているからと言って正しいとは限らない

と色々とバッサリ切り捨てていますが、私が子供のころから心の中で、バカみたい…と思っていた大人の行動をバッサリ切り捨てていたりして、爽快です。

教えの大事なことは、

 すべてのものは、移ろいゆく

 自分というものは実はない

 物事は思い通りにはいかない

です。 今ここ、をクライマーに当てはめると

親兄弟は生きているうちに大事にしましょう。

クライミングは体が登れるうちに登りましょう。

です。

■ 自利利他の成果

これは、仏教を知る前のことですが、私の自利利他の精神の昇華です。


 

2022/10/25

岩場の事故は破壊力が大きい=岩場で悪を行ってはならない仏教的説明

 

■ 俺が俺の命を粗末にして何が悪い

という言説が主流の日本の岩場。

でも、

賢・愚

で考えると、

それは本当に

愚かな考え

です。

このスマナサーラ長老の本にも、

なぜ悪を行ってはならないか

書いてありました。




■ 岩場を拓くには…長い長い交渉時間が必要

ひとつの岩場を拓くには、長い長い交渉時間が必要で、多くの人の多くの労力が投資されています。

その労力は、

岩場のある地元の経済に貢献してあげたい とか

海外で見た楽しいクライミング体験を日本のクライマー達にも経験させてあげたい とか

俺さえよければ、他の人はどうでもいい、という思想とは、およそ近くない場所にあります。

ところが、一つでも、事故が起きてしまうと?

長い長い時間をかけて開いた努力は、パーになるんですよね。

そこから、また長い時間をかけて落ちた信頼を取り戻さないといけないんですよ。

だから、岩場で事故を安易に起こすような心構え… は辞めてほしいんですね。

つまり、

 ええかっこしい 

のために、事故るということです。

ひとつの事故の陰には、300のヒヤリハットがあります。

瞑想としてのクライミング

 ■ 歩く瞑想=山

私の登山は、瞑想としてスタートしたのです。

町を歩いていても、ガヤガヤとした、ざわついた気しか入ってきませんが、山で歩いていれば、気温の差、空気のおいしさ、湿度、風、空気の匂い、土のにおい、雨の匂い、など、色々な情報をクリアに受け取りつつ歩くことができます。

たぶん、私にとっては、歩荷の重さも大事だったみたいで、あんまりリュックが軽いとちょっと不満というか…。脊柱のラインに、ある程度の負荷がないと、なんだか簡単すぎて、気が外側にそれてしまい、内側に集中できない、と感じていました。

山との対話といいますが、結局は、たわいないもの、です。

長々とした退屈な道が続けば、面白くもない宮仕えを粛々とこなしている自分を重ね、自らを励まし、ちょっと困難な箇所が出てくれば、甘く見ていい加減なことをしないようにする、というその程度の事です。

が、そこには、どう考えても、登っている自分を見ている、”別の自分”がおり、それこそが、真我(アートマン)だと思っていました。

そのため、ソロが好きでした。というか、ソロでないと、瞑想にならないですよね。

■ クライミング瞑想

クライミングをスタートしたころは、クライミングで瞑想に入ることができませんでした。

なんせ、あまりにも普段使わない上半身の体力を使うので、ショート1本でも疲れてしまって。例えば、西湖の岩場は、アルパインから岩場に入った人向けの易しい岩場ですが、そんなところでの5.8でも、1本登ればぐったりでした。緊張でオールアウトしてしまうのです。

今思えば、5.8なんで、そんなに登攀に細心の注意力はイラナイはずですが、当時は、上半身の筋力も、指の力も、ましては、微妙なバランスもついておらず、ツイストとかフリと言われる側体の登りも身についていないので、全部、正体。だから、くたびれて当然だったんですね。しかも、日本の岩場の5.8はランナウトが基本ですし。

クライミングのリズムとして、沢みたいに、ほとんど歩くの中で、ちょっとクライミング、くらいがいいなーと思っていました。

だから、当時は、私は背伸びをさせられていたのだろうと思います。登ることは、本当の私の願いではなく、岩はパートナーがいないと登れないので、自分の予定をやむを得ず、変更させられるということでした。

なぜか、登山をする中で、クライミング力を身に着ける、ということが義務になっていました。

まぁ、仕方ありませんね、山岳総合センターに行ったとき、クライミングを知らないのは、私だけっぽかったですし(笑)。

私は雪の山でステップアップしたかっただけなのですが、いきなり雪上確保でボラート作るとかが講習だったので、”確保?なにそれ、おいしいんですか?”状態でした(笑)。

まぁ、そんな確保のデビューなので、当時は今ほどフリークライミングの理解がなく、ランナウトなんてして当然でした。雪上確保で、3mおきにランニングなんて取りたくても取れませんよねぇ(笑)

■  登攀が主体でも平気に

今では、ふと気が付いたら、ほとんど登攀、ずっとクライミング、でない山は退屈だと感じるようになりました…

いつ、変わったんだろう…

登攀が飛躍的に上達したのは、ラオスにおいて、です。

何かがラオスでは、決定的に日本の登攀と違いました。岩に書かれている歌では、ボルトの適切配置ですね。文章に例えると、句読点が正しい、みたいな感じですね。

私の日本での足かせは、ボルトが適切には配置されていないこと、だったんだということが分かりました。

一気読み、というか、句読点なしの文章みたいな感じです。日本のフリークライミングって。

■ かすかな兆候

 一度、小川山の屋根岩1峰のクライミングで、手繰り落ちしたことがあるのですが、あれなど、リーチが短いことが起こした事故ですね…。

手繰り落ちしてはいけない、ということを知らないクライマーはいない訳なのですから。したくてする奴はいないです。

しかし、この時は、自分がリーチが短い運命を背負ったクライマーということには無自覚でした。

あれをやってから、クリッピング体制には十分以上の注意を払うようになりました。

確実に体制を作ってからじゃないと、ロープを手繰らない、ということです。

この方法だと、手繰りおちのリスクは減りますが、フリークライミングが想定する以上の安全マージンです(笑)。

■ ラオス

そのマージンが要らないのが、ラオスです。

ラオスは2度行きました。 一回目は、不完全燃焼だったので、二度目は確実に行きたい!ここで成長できる!という確信がありました。ので、誰か日本の人がいるっていう”噂”程度の情報を大阪のクライミングジムで聞いただけで、あ、それなら、と行きました。今ではその方お友達です(笑)。

私は海外でヒッピー暮らしをした経験もあり、英語は学生時代からなので、日常英語には問題がないので、海外出張が多い仕事だったこともあり、パッと飛行機に乗っていきました。

師匠の青木さんは、タイの国内線が自分で航空券を取れない、ということで一緒には来ないそうでした(笑)。そんなことのために不自由ですね。ちょっとポイントがあるだけなので、教えてあげると言ったのですが、代理で取ってくれないと嫌だということだった。やってみれば大したことないです。青木さんで、海外の手配ができない年配の人は3回目でした。

どうも、私の周りにまとわりついてきた年配の人たちには、私にこうした手配をお願いできるという期待があったみたいです。その点は新保さん偉いですね。全部自分でやっていますから。ちなみに一回目も私は現地集合ですから。日本の空港で待ち合わせて連れて行ってもらうなんてことはしていません。念のため。

ラオスで最も気に入ったのは、文化です。ジャンジャン好きなのに登れる。一日、5~6本登るということです。しかもグレーディングに嘘がないというか…あれもこれも登れるんですよ!私は5C、つまり、5.9を登り溜めしたかったんですが…

ギュリッヒのグレードピラミッド理論に添って自分のクライミング経験値を貯めていたからです。

日本では、十分な数の5.9がそもそも岩場に存在しないので、経験値を貯めることができませんね…。5.9があったとしても、ボロ支点なので、リスクが取れません。

例えば日向神にも、5.8~5.9程度の岩場がありますが、なんとオールアンカー。岩場があっても死蔵って意味です。ボロイだけでなく、ランナウトも深刻で、落ちるな!って課題しかないとすると…上達できない、って意味ですね。それでみんなRPクライマーに運命づけられるそうです。

というので、ラオスでは、いきなり上達しました。帰ってきたら、アイスの難しい3Dクライミングがスイスイになっていました。アイスクライミングでは、もともとリーチは問題にならないので、怖い!という肩の力が抜けただけで上達。これで韓国アイスでめちゃ人気者に。トップロープしかしていないのに(笑)。

一方、クラックのほうは、ラオスの3Dでは上達できなかったので、そこを補いたいと思って台湾に行きました。BMCトラッドフェスという選択肢も提示されましたが、カムを覚えるだけに、はるばるイギリスまで行きます?ちょっと遠すぎでは?と感じられました。

■ 切り替え

というので足踏みしていましたが、九州では適切なクライミング指導が得られそうになかったので、趣向を変えて、”地域行政に岩場が地域資源であることを伝える”という活動に切り替えていました。

というのは、私は九州での最終職歴は、三井物産新事業開発室、だったからです。九州は、古郷でもあるし、おりしも、地域おこしが盛んになっている時世でした。

しかし、岩場を地域の資源として活用するには、日本のクライミング界が未熟すぎるようです。事故を防ごうという意思自体がない人たちの集まり。

これは、世界的に見ると残念なことです。なぜなら、中国などのクライミング後発国でも、すっかりクライミングの町として知られている町はいっぱいあるからです。

外国人も日本でクライミングしたがっており、特に九州では、何人も外国の人と登りましたが、やはり、彼らの視点から見ても、支点は危険でボロく、ランナウトは著しいようです。

例えば、日向神の愛のエリアにある初夢5.9は、新人が触る一番目の課題っぽいですが、米国軍人の、若い男性でも、下部のランナウトに耐えきれず、3ピン目で敗退していました。その人、ヨセミテでクライミングしてきたと言っていましたけど…。あれってホントなのかな?

彼、別の10cで私が核心部で苦労してるのを見て、やりたがったので、触らせてあげたのですが、そのムーブに成功すると、次のピンまではリードになるので、それを指摘したら、登るのを意図的にやめたんですよね。なんだ、ダダの対抗意識だったんだ、って思ったので、まだ登りが自分の中にある人ではないかもしれませんね。

■ マインドフルな生活

という感じで、気が付いたら、私の集中力は、長時間のクライミングに耐えられるようにいつの間にかなっていました…

というか、長時間でないと満足しないようになってしまいました(><)。

山梨時代はヨガの講師をしていたので、ヨガが瞑想の一形態であることを考えると、瞑想にかけていた時間というのは、非常に多かったということになります。

つまり、だいぶマインドフルな暮らし方をしていたってことです。

当時はマインドフルな生き方こそ、私がしたかった生き方でした。それは、完成をみた、といってもいいのかもしれません。

■ ラオスを日本に持ってきたい

最近、スマナサーラ長老のテラワーダ仏教の教えが気に入り、毎日聞いています。ここ数日は瞑想を行っています。

ラオスの生活の良かった点は、質素な文化です。登る以外の贅沢は一切ない。

しかし、クライマーに他に何が必要でしょうか。

子どもも老人も、みなで助け合って楽しく登っていたらいいだけしょう。世界はすでに豊かなのだから。余計な贅沢をしようとするから、奪い合いになる。質素な食とつましい寝床で満足していれば、クライミングして遊んで暮らせるわけです。

だれですか、インターコンチネンタルから岩場に出勤したい人は…。そんな贅沢をせず、普通にテントや雑魚寝で済ませていれば、いいのです。

クライミング界が伝統としてきた質素という価値は、日本では失われ、

クライミングジムのホールドは一個数万円…

どんどん買って、どんどん廃棄されています。まさにフードロスと同じです。

岩場のボルト一本1600円が出せないと言っているのに… こんなバカバカしい矛盾はないですね。

■ 瞑想力

瞑想は、どうもクライミング力と同じように、集中力です。

私は、元々ある体力で取れる集中力は取り切ってしまったので、クライミングでは集中力を上げ続けるには、体力を底上げしないといけない局面に来ていました。

しかし、あのパートナーとあの環境で、登攀が底上げされてしまうと、死に近づいていくのは必須でした… 無意識にブレーキがかかり、私はトレーニングしたいという気持を失いました。死に近づくために登りたい人なんていません。

今やっているヴィパッサナー瞑想も、3分×3から長くして行きます。これは、やり始めてみると、あれ?これはいつか来た道…という感じです。

瞑想による効果が出てくるのは、翌日。

クライミングをもはやしないという方にも、ぜひお勧めです。




2022/10/24

40年前のカットアンカー1点に二人で仲良くぶら下がるということ

 

■ 40年前のカットアンカー1点に仲良く二人でぶら下がることのリスクが分からない

 と指摘を受けたので掲載。

■ ファクト

・適切に新品で設置されたカットアンカーの強度は、5~15kN

・普通は、ビレイステーションには、ボルトは2点。1点だと冗長性がない。

・40年前のボルト

・もともと100円くらい

・ステンレス、鉄、の異種金属の組み合わせに、さらにアルミのハンガー=ガルバニックコロージョン

・現代、UIAAが決めているボルトの強度は 25kN

・カム一個 赤キャメで 14KN。

・ちなみにカムでビレイステーションを作るときは、3点が普通。

■ カムの強度を知らない人が多数

九州ではクラックのクライミングをする人がすごく少ないので、カムの強度を知らず、盲目にカムよりボルトの方が強いという信仰がある。

腐っていないカットアンカーでも、5~15kNの強度しかないですよ。

つまり、新品でもショックロード厳禁ってことです。テンションにしてください。

 ■ 友人談

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部活でもよくあるけど、地方は古いやり方を古い指導者から教え込まれるよ
全国に行くと通用しない

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■ その他の記事

https://allnevery.blogspot.com/2020/03/blog-post_21.html

クライマーの4タイプ

■ 面白い人間観察

このような動画を発見しました。

【4タイプまとめ】人間関係を見極めるツール..「人生を楽にする」「性格とは何か」「他人を操る手法」3コンテンツまとめ 【岡田斗司夫/切り抜き】

阪大でも、講演されたそうなので、それなりの基準は満たしているかと思いつつ…

思考の遊びを行います。以下が使用する概念です。


 ■ 横軸を、感情⇔理性、縦軸を登攀力に取ります

するとこんな図になります。

■ クライマーの分類
 

       登攀うまい
  現代初心者 | 自立者
感情ーーーーーーーーーーーーー>理性
   ペテラン | ベテラン
       登攀下手
 

現代初心者に理性が追加されると →自立者
ペテランに登攀力が追加されると →現代初心者と同じ
ベテランに登攀力が追加されると →自立者
自立者が登攀力を失うと → ベテラン

1)反目の回転 右回りは反目し合う
 

ベテランはペテランを見下す
ペテランは現代初心者を見下す
現代初心者は自立者を見下す
自立者は、ベテランを見下す
と、こういう関係になっているようです。
 

2)尊敬の回転 左回り

ベテランは自立者を尊敬ましい
自立者は初心者を好ましく思う
初心者はペテランをそうと気づかず尊敬する
ベテランはベテランが羨ましい

■ ダークサイド墜落

1)初心者が、理性的技術力を身につけないままだと?

 → ダークサイドに落ちて、”ペテラン化”する。

つまり、現代に50代~60代のペテラン登山者が大勢いるのは

 教育の不在の結果、

ですね。もう、結果が出ている時代なのです。登山教育が存在しなくなって何年たつのでしょう?

必要なのは理性であって登攀力は別にいいです。ほっとけば、そこは勝手に上がるので。

2)経年も説明できる 人が年を取ると?

初心者 → 自立者 → ベテラン と遷移する。

3)ベテランに高いフリークライミング能力があれば?

自立者。 現代は、標高5000~6000mに5.12ノーマルの登攀力を持っていく時代。

4)ペテランが、理性的判断力を備えると?

ベテランと言っても良い状況になる。

5)対角線は、愛憎

一般に、ベテランは、「最近のクライマーはポロポロ落ちるから嫌い」と言う。ペテランは、ボルトがカットアンカーの時に落ちると危険だということがそもそも分からないから、何が問題なのか分からないので、現代初心者とは仲良しである。

一般に自立したクライマーは、ペテランがあまり好きでないようである。大体、苦言を行っていることが多い。 

■ 教育の不在

教育の不在の問題を放置して、

 登攀力だけあげてきた九州のクライミング

肝心の理性的判断力が身につくプロセス…を教育というが…が、まったく用意されていない。

つまるところ、勝手に上がってこい!の、小乗仏教みたいなことになっているので、現代の初心者のみならず、40年前からの初心者(今はペテラン化)は、多数が上がってこれない…

ということが、登山界に起きていることなのではないかと思います。

九州に限らず、初級のクライミング技術講習(都岳連の岩講習みたいなの)は、全然足りていないようです。

教育がない限り、10年以上登って、ヨセミテにも連れて行ってもらい、国内の一流クライマーと登っても、やはり、ロープはスタックするわ、懸垂でジャムるわ、参考計画書もなしで敗退ロープなしで、1つのボルトにみんなでぶら下がるクライミング、しかできないみたいデス…この身で体験して分かりました。

俺らはそんなこと教わらなかった、と言って、盗むのがクライマー、なんて弱者にきついことを言い続け、

このまま教育不在が続けば、ジムで鍛えたクライマーも、10年後には

 りっぱにペテラン

になりますね。 歴史がすでに証明しているようです。

2022/10/23

カリムノスみたいなクライミング


 ■ミキヤツさんのサイト

http://mikiyatsu.jp/page058.html

ここにカリノモス島のクライミングが書かれていますが… まぁこれが日本の岩場にかけている、というのが私の言いたいことです。

■ クライマー人口の9割は、初心者

クライミングジムが全国で500件を超えたおかげで、岩場に来る人=ジム上がりクライマー。

全国中で、互いに名前も顔も割れて、クライマーの友達で知らない人がいない状態っていうのは、古き良き時代の話になっている。

そして、古くからいる人だって、老い。つまり、昔ほど登れない。

結局、9割は、10プラクライマーです。

昔から登っている人=アルパインを昔はやっていたが、老いて、山のリスクは取れなくなったので、老後の活動でより安全なフリークライミングをやろうという人たち=5.13なんか登らない、ので、ほとんどが初級クライマーです。

若い人も初級クライマー 年を取った人も初級クライマー。クライマー人口の9割が、登っている時間の長さは別にして、現代では初級クラスになってしまったアンダー5・11せいぜい11クラスまでのクライマーです。

5.12から上のルートなんてほとんど登れる人がいない、って意味です。コンペに出ている人の世界です。コンペに出ている=練習量がフルタイム。フルタイムでそれだけやれば、能力を開発されない方がおかしいでしょう…

というので、一般の市民クライマーというのは、現代では、その辺のレベルに落ち着いているわけです。

そこで、昔の栄誉を競った時代のへのツッパリで、ランナウトをすることで、かっこいい俺を気取ってしまっても、気取り損でしょう…

よくベテランが懸垂で落ちていますよね… 屋根岩2峰もそんな事故あったようですが、懸垂下降って失敗が許されないと分かっているのに、すっぽ抜けている。大体のクライマーの反応は、ええかっこしい、したんじゃないの?と同情のかけらもないです(笑)。

 だぶん、それは正しいです。

ええかっこしい…こそがクライマーを罠に陥れる穴です。

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カリムノス島は楽しく、快適に登るために拓かれた岩場です。

 高いレベルで登ることができなくても、「クライミングは楽しい」と教えてくれる場であり、そんな状況だからこそ、自分のレベルを押し上げることに繋がります

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 これは本当です。グレードを追っかける受験勉強みたいなクライミングをしている人にはわからない世界です。

楽しいクライミングをしないで、日本人は、過労死をやっているサラリーマンと何が違うのでしょう? いつまで昭和を引きづる気でしょう?


岩場の事故が減らない因果の道理

■ 原因1 アルパイン、フリー、スポーツクライミングの混同

アルパイン=落ちたら死  

フリー=9割落ちてる

スポーツ=100%落ちるまで登る

こういうルールの差があるから、同じクライマーでも 登れるグレードはそれぞれのスタイルで違う

ーーー例ーーー  自称5.12の男性

アルパイン 10c(昔の5.9)

フリー 課題を選んで5.12

スポーツ 課題を選んで5.13

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この方針の混同で、落ちてはいけない作りの岩場(ゲレンデ、ショート)で、スポーツクライミングの落ちるクライミングをやってしまうために事故になる。

現代の日本の岩場はロシアンルーレット状態になっている。

■ 原因2 互いに反目

フリークライマーはアルパインクライマーを嫌らう。

アルパインクライマーはフリークライマーを嫌らう。

そういえば、山梨にいた時もそういう構造があったなぁと思いだし中です。

フリークライマーから見たアルパインクライマーは、人である以上事故は仕方がない、などとと言って、

 見れば分かるような不手際(例:支点を1点で使う、悪いビレイ)を正そうとせず、岩場に安直な事故を持ち込む人たち

のこと。

アルパインクライマーから見たフリークライマーは、

しょっちゅう落ちて、”落ちてはいけない”というアルパインの掟を破って事故る人。

しかし、フリークライミングって落ちていいクライミングのハズですから、この場合はフリーのクライマーに理がありそうです。

どっちも相手の事故を減らしてやろうという意思は働かず、相手を責める方向にしか、意思が働いていない。

■ 原因3 教育の消失

アルパインクライミングは、登山の上級スタイルですが、その上級スタイルに進む時点で、都岳連がやっているような岩場のレスキュー講習を受けていないといけないですが、山岳会の中にレスキューを伝えられる人が、大体いないか、いても40年前の知識なので、みなきちんとは、伝達されていない。

そのアルパインクライミングが嵩じて、フリークライミングになる人が、現代では1割で、1割ですら、その調子。

ココでの問題は、ダラリンビレイ、支点ビレイ、ぱっつんビレイ、二人が一人をビレイ、など、太古の時代(流して制動確保)の技術から進化していないことです。

■ 原因4 ボルト配置(ランナウト)のことが分からない

残りの9割は、全く教育を受けていないジム上がりのクライマー問題。

すると当然、インドア壁の方針を持ち込む。

ロープをジグザグに使って登ったり。シングルしか使い方を知らないから。落ちるまで登る、スポーツクライミングの延長で、当然のように…つまりそれ以外のクライミングがあると知らず、外岩に来る。と、ジム登りです。スラブで、スタティックに取る、リード登りをしないで、ダイナミックに取るみたいなことをこの人たちは平気でやるので、ボルトの配置がインドアとは違うことを事前に教えてやらないと危険です。教えないで、トップロープさせてあげるのは良くない方法です。

最初が肝心で、最初の一回目で自覚できるように教えないといけないが、これがなされていない。教育法が不味いってことです。

■ 原因5 壁によってクライミングの方法を変えることが分からない

インドアの壁は、被っているだけの壁なので、スラブ、フェイス、オーバーハング、で登り方を変える必要性があるというのが分からない、ということです。それぞれリスクのとり方が違う。

インドアクライマーの人は、外の岩はランナウトしていることがあることが分からない。インドアの壁はどこで落ちてもいいようにできているからです。

安全になるように企画された壁と自然壁の差を、最初に詳しく教えるべきです。外の岩は落ちてはいけない場所があります。

■ 原因6 俺様の主張が一番正しいと全員が思っている事

一つのスタイルをやっている人はそれだけ使いで、アイスもやって、山もやって、マルチにも行って、フリーもやるというオールラウンドクライマーが少ない。

支点を打つということがないので、中間支点の安全性は、身長で違うということもわからない。 

結局、各スタイルのクライマーが自分の視野のクライミングだけを正しいと思っているわけなので、

群盲象を評す

という状態なので、結局、内部でいがみ合っている。

■ 原因7 地権者や地元の視点がゼロ

その上、地権者や岩場のある自治体関係者にどうクライマーが映るのか?など、他者の視点、クライマー以外の外に世界に向けた視野がないので、団結もしない。

昨日始めた人も、40年の人も、地元の人から見たら同じ”クライマー”。  事故ったら、誰が事故っても、クライマーの事故、なんですよ。

地権者が、開拓クライマーが、自らが所有もしていない岩に、著作権を主張しているというのを聞いたら、どう思いますかね?

普通は、変な奴と思いますよね。 それこそ、軒先貸して母屋取られる、ですね。  

そんなことを地元の人に勧めていたら、盗人の手伝い、みたいなことになりませんかね?

■ 原因8 死に近い=かっこいいと誤解している

最大の原因がこれです。 ○○会で一番死に近い男、と言われたら、悦に入ってしまう。

 それ誉め言葉じゃないですよ(笑)?


むしろ、自己肯定感が低いことの表れ。

かっこいい人は、わざと死のうとしたりしなくても、かっこいいわけなので。

自分の命をいい加減に扱うどころか、人の命もいいかげんに扱うことになり、結果的に、反社になってしまっています。

ADHDなどの人は、衝動が抑えらないという面があり、その場合、性格上の欠点です。

本人には自覚がないが、意図して起こした結果です。因果の通り通りになっている。

■ ブッダの教え

この心は、悪をもたらす悪因悪果の心です。

努力して岩場を開拓したとしましょう。

すると、この悪の心によって事故が起こされ、地域の人に多大な迷惑をかけることが、この因になっている心、登りたい意図、を見ただけで分かる。

今、日本で岩場を開拓して、バンバン登れることが起こってしまうと、事故はどんどん増大するだけです。だって事故を起こしたいと思って登っているのですから…。

皆伐すると雨が降った後に土砂崩れが起きると分かっていて行う皆伐と同じことです。

悪いことが起きることは分かり切っているのに、やっているってことです。

それは悪の道です。


例:皆伐したら土砂崩れになると人吉の水害で結果が出ているのに、やるんですよね…それでそのあとの尻ぬぐいが、植林ですが、植林しても鹿が食べるし、崩れるし、結局、原因である皆伐を辞めようとしないかぎり、徒労です。

岩場の開拓も同じで、原因である無愧の心を改めないことには、いくらボルトをきれいにしたって一緒です。

インドアから外に行った途端にボロボロ落ちてしまって事故になる。

アウトドアクライミングの本に、もっと詳しく、ランナウトについて記載すべきです。 

みんな理解できるようになる前に落ちています。

後ろに走ってビレイするなんて教えるビレイ講習会はないでしょう?


 

2022/10/22

CouchSurfドットコムのススメ

■ カウチサーフ

こちらのブログに詳しく書いてありますが、世界中を無料で宿泊できる仕組みがあります。

登録に費用は掛かります。でも、これを使えば、往復交通費と食費だけで、旅行できるということですよね。

https://www.kurakurakurarin.com/entry/2018/12/12/115714

私は福岡で、

・チベット僧のターパさん

・オーストラリア人女性

・ロシア人男性

・台湾から、フードロスの活動家のドイツ人男性

・サンマテオの牧師、マイケル牧師

・自転車で糸島一周した韓国人

など、多数のゲストを宿泊受け入れしていました。ちょうど仕事も観光ガイドだったので。

他にも、外国人とのつながりでは、

・スイス人医師

・フィリピン系米国人軍人

などとクライミングに行っています。私が思うには、九州は、交通が不便なので、外国人にとっては、国内の人のアシストがありがたい場所ではないか?と思います。

都会は英語表記があって、別に誰かの手助けがなくても、好きに行動出来てしまいますし、外国人同士のほうが食事や話の内容など気があうということがあるかもしれませんが、田舎では、そうもいきませんよね。

海外に登攀に行きたいが英語力が不安というなら、カウチサーフからスタートしてみることをお勧めします。



2022/10/21

パートナーは縁

■縁

縁さえ来たら、人はいともたやすく悪を行ってしまう…

悪人・善人がいるのではなく、人というものは、全員が、悪縁が来たら、悪を行ってしまうのだ、と言われています。

その縁とは、相方、パートナーの事、です。

最初の師匠、鈴木さんや岩田さん、青木さんなど、師匠クラスと登っている間は、自己確保の登攀など、出会う前から知ってはいましたが、全く使う出番がないスキルで、つまり、自らを助ける必要はなく、ただ普通にセカンドで楽しく登れば良かったんだが…

いわゆる”クライマー男子”と登り始めたら(男子って言っても30代、40代ですが)、もう、”あって良かったロープワーク技術!”という感じだった…。

天はみずから助けるものを助く、というキリスト教の教えが本当なんだな…、と思わせられることになった。

この場合の縁とは、

 パートナー

ということである。

そのパートナー選びにどうしても欠かせないのが、相手が登る原因、理由、である。

 自己顕示欲=実力以上のところに行きたがる心

だと、危険であるのは、当然の帰結だ。

実力以上のところに生きたがる心=グレード主義=悪縁=死に限りなく近いクライミング。

つまり、私は山梨時代に、縁がなかったから、悪を犯さずに済んでいただけで、私が特別善人である、ということではない、ということです。

(ジムで5.11が登れるから、北岳バットレス四尾根に行きたいという人はいましたが、その人を指して、あいつは危ない、一緒に行かなくて良かったですね~と言った人が、今度は、自分が敗退ロープなし、山行計画書なしの、白亜スラブなので、ミイラ取りがミイラというか、同じ穴のムジナというか…)

■ 縁=その人の中の意図 知り合っている時間の長さ、ではない

がどのようなものであるか?については、知り合っている時間の長さ(=情)に流されやすいのが、とかく人というものである。 こちらの教訓を読むべし。 

Intention (意図)

が大事だと仏教でもしつこいくらいに言われている。

グレード主義の人は、特に気を付けて避けたほうが良い。


2022/10/20

クライマーの死を死観瞑想する

■ ブッダの教え


自分に対する悪をなすなかれ
他者に対する悪をなすなかれ
 

なぜクライマーは自己破滅的な選択を取ってしまうのか…?

というのが、山を始めた時からの疑問だった。クライミングに至っては、さらにその問いは強くなりました。死につながる選択をいとも簡単にクライマーはしてしまう。

ヒロイズム、承認欲求が答えなんだが…、

自己破滅なら、当人だけのことだが、他者を破滅させる選択肢となると、人ごとではない。

わざと迷惑をかけることに対しても、クライマーは、中2並みの自己抑制力しか持ち合わせない。 

■ 大・小

大きくは、栗城さんの事例にあるように、現代は、嘘の上塗りが、何億というお金を使ってしまうまで可能…

そのお金で何が出来たか?どれだけの飢えた命が救えたか?を考えると…その業の大きさに恐れおののいてしまう… 今生活に困っているクライマーがいたとしたら、そう思わないだろうか?

浮かれていたのは、本人だけなのではない、その煩悩の火に油を注いだ人がいるわけだ。

小さくは、敗退ロープなし!とかで出かけてしまうマルチだ。(私は身につけさせてもらった技術で難を逃れたが…)

■ 意思(業)の結果

岩場の事故はなくならないというセリフは、なくならないのではなく、

 無くす気がない

という意味なのだろう…と思える。集合の意思が、事故を無くしたがっていない。

私は岩場の事故死をした人たちをインタビューする死観という瞑想をしたい。

生きていた頃、どのようなクライミングの喜びを味わい、そして、何を残して死んでいったのか?

別に反省でなくてもいい。まるでろうそくが吹き消されるかのように、軽く、いともなげに死んでいく人々… 

クライマーという人たちの命への扱いよう、そのあまりにも軽い軽さ…それをきれいに書き取れたらいい。

それがなされないから、死のありようを誰も知らず、

登山ならレスキューしている人くらいしか知らず、

命のはかなさ、尊さも全く感じられない、

ということなのだろう。

それ以前に岩場を開拓してどうなる?結局は、地元自治体の迷惑施設となるだけのことだ。