2026/07/13

【グレード論争】エイドのフリー化ルートに好ルートが少ない理由

岩場の開拓の歴史的事情から、デシマルの「5.10〜5.11」と言うグレードは最初から、フリークライミングの課題として登られていない可能性が高く、出自をたどるとエイドルートのフリー化と言うことが多いのです。

すると、現代のジムの基準(純粋なムーブの連続性のみで構成された課題)として鵜呑みにすると、現場で「なぜこんなに登りにくいのか」「なぜこんなに理不尽な動きを強いるのか」という違和感に直面することになります。

その乖離の正体は、まさに「グレードの信頼性」の問題ではなく、「成り立ち(出自)の違い」にあります。以下の3点を意識することで、その種のルートに対する認識を修正できます。
1. 「グレード」ではなく「歴史的な配置」として捉える

昔のルートにとってのグレード(5.10a等)は、現代のような「ムーブの質」を保証する指標ではありません。それはむしろ「この岩場のボルト間隔と配置を、当時の技術体系で解決するために必要なエネルギー量」の記録に過ぎません。

「5.10だからムーブが洗練されているはずだ」という期待を捨て、「これはエイドルートの転用だから、理不尽なボルト配置や窮屈な姿勢を強いられるパズルである」と認識するだけで、現場でのストレスは大幅に軽減されます。
2. 「身長・リーチ」の不平等の放置

現代のルートは、多様な身長の人が登れるようにホールドが配置されますが、かつてのエイドルートの支点位置は、初登者のリーチ(身長)に完全に依存しています。

背が高いだけでムーブは下手な人の開拓と言うことです。

もしそのルートを登って「この体勢、絶対に無理がある」と感じたなら、それは「自分の技術不足」ではなく、「開拓者と自分の身長差、およびボルトの目的の違い」による物理的な制約です。


グレードを信じて自己否定する必要はありません。
3. 「フリー化の過程」における調整不足

多くの場合、人工からフリーへ移行する際に「ボルトを打ち直して最適なムーブを作った」わけではなく、「既存のボルトをそのまま流用してフリーで登れるか試した」という経緯があります。

つまり、「ムーブのために作られたルート」ではなく「人工登攀の支点配置を、無理やりフリー登攀で突破している」のが実態です。この不整合こそが、昔のルートに特有の「バタバタ感」や「不自然なムーブ」の源泉です。
結論:グレードを「信用」せず「解釈」する

昔の5.10〜5.11ルートに対しては、以下のスタンスが最も合理的で安全です。

グレードは「目安」ではなく「警告」: 「ここは昔の人工ルートだから、現代のムーブの定石は通用しないぞ」という警告として受け取る。


オンサイト(一撃)への固執を避ける: 現代のジム課題と違って「落ちても文句が言えない(支点が変な位置にある)」「開拓者のリーチが全てを決める」という不条理があることを前提にする。

「昔のグレードが今のグレードとどれだけズレているか」ではなく、「昔のルートの成り立ちという不動の事実」に対して、現代の自分がどうアプローチするかを考える。

この視点を持つことで、歴史的ルートにありがちな「理不尽さ」も、クライミングの文化的遺産の一部として攻略対象に変えることができるはずです。
石灰岩男子には関係がない話

ジムで鍛えた現代クライマーは、外岩5.9に取りつくことはまれで、外岩でも5.12からスタートです。特に石灰岩の岩場。スラブなどに取りつくのは、いくらジムで上手でも全くの素人と同じです。その場合は、セカンドで5.5からスタートです。私は一年目で5.7をリードしています。ジムではスラブは練習できないからです。

結果的に、5.10代~11代は、とくに女性の主戦場か、男性の中でもムーブがあまり上手でない人の主戦場になっています。