2026/07/11

【回復の実感】メタ認知が私のトリガーでした(九州で起こったことの説明)

 やっと自分に起こったことを説明することができるようになってきました。


九州に転居し、九州のクライミングがダメダメであることに1年で気が付く(メタ認知)

そこへのNPDアビュースが加わる(NPD登場)

そこへ、D助さんが登場したり、UIAAのスティーブロング氏が、「あなたができるようなクライミングを本来ならみんなもできるはずだ」と言われる。(客観的な構造を無視した無責任な期待

ダメな奴の烙印を押されながら、業界を刷新しろのダブルバインド。


私がレッテルを張られたように、ダメクライマーならば、業界をよくする期待も責任も不当なわけですが、そこはそうとは思わないようだ…と言うことを逆算すると、NPDな人たちは、「俺を立てろ」という自己犠牲を求めている、ということになる。

そんなのおかしいですよね、っていうことになります。

俺を立てろは、私の個人的な努力の成果を無償で、俺によこせ、俺の手柄にしろ、って意味です。白亜スラブ、私が記録を書かなかったら成功、手柄になっていたでしょう。相手を殺しかねない羽目に陥れたということも自覚されず、うまく行ったという成功体験になっていたでしょう。反省がないからです。

アソボーでは次から次へと無邪気に分かっていない発言を繰り広げる人ばかりに会いましたが、会長の松井さんにとっては会がとても人気なので俺だけの手に負えないとなっていたのかもしれません。しかし、その人たちは松井さんから教わりたい人たちなわけなので、私が言うことは、どんな正論であったとしても聞く耳を持たないでしょう。

九州の現代のクライマー君たちは、気の毒ですが、九州にはクライミングの伝統を引き継いでいるトップクライマー、文化の担い手と言うのはいないようなのですし、そこに自覚があれば、環境の不利を自覚して、普通に関東に移住して、クライミングしているんではないでしょうかね?

若手クライマーなら九州に居続けること自体が、あまりクライマーとしては才能開花しない環境かもしれません。ボルダーは別でしょうが。

一方の年配のクライマーからすると、易しくてボルトの離れたルートだらけの九州の岩場はまさに老後にうってつけと言うことになるので、恵まれた環境であると言えます。

ランナウトしていると言っても、5.5.それで、5.14Rと同じくらいすごいんだぞと言い張れ、周囲の非クライマー人種は無知すぎて誰も気が付かないので、ナルシシストとしては、楽に賞賛が得られてお得度が高い。さす九の誕生です。

そんな危険なルートに行くのに、ほら、あんな女性でも行っているんだぞと、ジム上がりでスラブ慣れしていない新人の尻を叩く口実に使われる女性クライマー(私)。

そんな殺人計画の片棒を担がされるのは嫌なので、クライミングは辞めました。

私はメタ認知力がかなり高いので、周囲の人がダメであるのをメタ認知すると、どうしたらよいか?と言うことがすぐ浮かびます。

たとえば、アラーキーに「カムの位置が悪くてロープがスタックしているよ」と教えるみたいにです。しかし、教えてもらった本人が「なんでそんなこと言うんだよ!」と逆切れするわけですから…。教えても知識を得ないのは相手の責任。これは、現代クライマー全体の在り方の端的事例です。

山梨時代も、蒼氷の先輩を紹介したり、ちゃんと手は打っていましたが、現代クライマーってクライミングをしたいのではなくて、楽に賞賛を得られる手段が欲しいだけの人が9割なのです。

権威ある指導者に限らず、私を外側からジャッジメントする人は、私が「どのようなプロセスを経てそこに到達したか」というコンテキスト(努力の質、構造的思考)を看過し、結果だけを見て、「あいつにできるなら、俺にでもできる」(誰にでもできる)と誤認している可能性があります。

誰にでもはできませんから。


さて、これは山梨時代の再演ですね。山梨時代にヤマレコに渋い山の記録を挙げていたら、それをマネする人が出て、死者が一人出ました。川俣尾根に登るには読図の知識が必要ですがない人がやろうとする。読図力がないと危険だということが分からずに、40代女性で行ける所なら、男性の俺なら当然行けると体力だけで実力を測る人が多数だからです。

体力一点豪華主義が、一般登山で人が死ぬ理由です。
グレード主義が、クライミングで人が死ぬ理由です。

どちらも合理的に考えたらわかる程度の初歩的な論理思考ができていません。50mシングルで来ているときに、35mと25mを足して登ることはできないことなど、登る前から明らかですが、それを実践した後も、自分の論理思考の欠落を適切に反省することができない。つまり、知性の問題。

知力が失われて、知力を価値のないものとし、体力そして、中身のない経験値を高く売るということにうまみを見出した人が集まる。これが登山とクライミングがNPDを逆淘汰で集めてしまうメカニズムです。

それに都合の良いコマにされそうになった。相手から見ると俺がしたんじゃなくて、おまえが勝手に役割を買って出たんだろ、と言うと思いますが。

イヤ、ホント、おかしさに気が付けて良かったです。

というのが九州で私に起きたことでした。


水泳でも「枯れ木おじさん」が登場してウザいんですよね。クライミングでもそうでした。枯れ木おじさんというのは、ものすごく分かっていないスイミングを披露して、ベテランの顔をして、延々と泳ぎ続けているお爺さんスイマーさんです。スイミング理論から見て、まったくヘタクソのプロペラ泳ぎにすらなっていない泳ぎを披露してくれる。しかも延々と泳ぎ続けている。それはお好きに泳げばいいのですが、私が泳いでいるところに当てつけのように来るんです。邪魔しに。ほっといてくれたらいいのに。

まるで御坂山岳会のときの阿弥陀北稜で凍傷三人作った先輩のようです。ほかに新人の◎野君も。二人とも、自己の登山力を客観的にメタ認知できていませんでした。

九州でも同じことが起きました。これは、九州では、ハートブロークンで愛着の基地が揺らいでいるときに起きたので、大きな傷を受けることになりました。