クライミングのグレード体系は、単なる数値の羅列ではなく、当時の登山哲学、装備の進化、そして「何をもって登攀とするか」という定義の変遷そのものです。
「先に存在していたもの(古いグレード)が基準であり、後から来た新しい体系がそれにどう対応(あるいはズレ)しているか」という観点に基づき、主要なグレード体系の歴史を概観します。
1. アルパイン・グレード(RCCⅡなど)の起源
近代登山が始まった当初、グレードは「登攀の困難さ」よりも「登山全体の大変さ(歩行、標高、リスク、時間)」を包含する概念でした。
体系: Ⅰ~Ⅵ級。
特徴: 日本ではRCC(日本ロッククライミングクラブ)Ⅱが長年指標とされてきました。これは元々、登攀道具が未発達な時代に「登山靴で、どれだけ山として過酷か」を評価するものでした。
基準の性格: ここでのⅥ級は「これ以上は困難(当時の最高到達点)」という意味で、上限が固定されていました。現代のフリークライミングの数値(5.10〜)とは評価軸が異なり、物理的な岩の難しさよりも、冒険的要素や総合的なリスクが基準点となります。
2. デシマルグレード(YDS)の変遷
現在最も普及している「5.X」という表記は、1950年代にアメリカのシエラクラブが提唱した「ヨセミテ・デシマル・システム(YDS)」に由来します。
「5」の定義: 当初は「5級=ロープが必要な登攀(テクニカルクライミング)」を意味し、当時の限界は5.9でした。
「5.10」以降の再定義: 70年代に専用シューズや技術が進化し、5.9を超越するルートが出現しました。しかし、歴史的経緯から「5.9」を上限とする古い基準を維持しようとしたため、それ以降を「5.10、5.11...」と拡張する「後付けのアップデート」が行われました。
歴史的ズレ: 現代の5.10bが、当時の5.9の基準から見てどれほど難易度が高いか、あるいは当時の5.9が今の基準でどこに該当するかという「ズレ」は、まさに現代の体系が過去の固定点(5.9までの区分)に対してどのように拡張されたかという歴史的結果です。
むかしは、5.9より難しいものは、モノサシがなかったので、昔の5.9には、5.9以上のすべてのグレードが含まれることになりました。
3. ボルダリンググレード(Vグレード)の発生
ボルダリングは、ロープを使わない単発の「ムーブの難易度」を極めるために独自の進化を遂げました。
基準の固定: かつてのジョン・ギル(B1, B2, B3)のような「登れる人が何人いるか」という到達度ベースの評価から、ジョン・シャーマンによる「Vグレード(V0~V16など)」への移行が大きな転換点です。
テストピースのプロセス: 「忍者返し」のような歴史的課題が、その時代における特定のグレード(例えば1級)の「テストピース」として機能することで、過去の課題が現代の体系の中に位置づけ直されるという現象が起きています。
歴史から読み解く、認知の「ズレ」
現代のグレードは、以下の3つの要素が複雑に絡み合い、過去の基準から常に「再解釈」されています。
装備の進化による緩和: 現代のシューズやカム(確保具)は、過去の人が登ったときよりも物理的に有利な条件を生んでいます。
身体能力の平均値上昇: トレーニング理論が確立され、当時のクライマーが「不可能」とした動きが、現代では基礎技術として定着しています。
安全管理の変容: 昔の「堕ちたら終わり」というリスクをグレードに含めていた時代から、現代の「ジムでの安全なトライ」を前提とする時代への価値観のシフト。
「5.9」がグレード体系の上限だった
とされていた理由は、当時の技術的限界や思想に基づいた「心理的な境界線」であったからです。
この「5.9が上限」という設定には、以下のような論理的背景があります。
1. 「5.9」=「人間がロープなしで登りきれる限界」
1950年代、ヨセミテ・デシマル・システム(YDS)が策定された当初、クライマーたちは「5.9」を「人間がロープなしで登りきれる限界」と想定していました。
当時の評価基準では、それ以上の難易度は「フリークライミング(自分の力だけで登る)」の範疇を超え、「エイドクライミング(人工登攀:6級)」に移行すると定義されていたのです。
つまり、5.9までは「いかに困難であってもフリーで登れる」という区切りであり、そこから先は「道具を使わないと登れない未知の領域」として切り分けられていました。
2. 「10進法」による固定観念
「デシマル(Decimal=10進法)」という名称が示す通り、当初は「5.0から5.9までの10段階」で完結するという設計思想がありました。
数学的な整数としての10進法を当てはめていたため、「5.10」という数値は「5.1」と同じ数字であると認識され、体系として機能しなかったという歴史的経緯があります。
この固定観念により、限界を超えたルートが登場した際も、既存の体系を崩さずに「5.9+」のような表現で応急処置的に対応せざるを得ませんでした。
3. 歴史的慣習と「敬意」
技術の進化に伴い、実際に5.10や5.11といったルートが登られるようになると、既存の5.9というラベルが張り付けられたルートが、相対的に過小評価される事態となりました。
しかし、開拓者たちに対する敬意や、歴史的記録としての整合性を重んじた結果、あえて古いルートのグレードを書き換えず、当時の「5.9」というラベルをそのまま残すケースが多く見られました。
その結果、現代の基準で測れば明らかに高難度であるはずのルートが、歴史的背景により「5.9」と表示され続け、それが「かつての5.9にはそれ以上のすべてのグレードが含まれる」という現象(インフレの歪み)を生み出しています。
まとめ:「なぜ外岩5.9にすべてのグレードが含まれる」のか??
これは物理的な困難さの定義が変化したのではなく、「5.9という記号が、当時は『不可能の壁』を指す絶対的な指標として固定されていたから」です。
後から技術が進化して「5.9以上の困難」が解明された際、新しい体系(5.10〜)が追加されましたが、古い基準点である「5.9」は、歴史的な固定点としてそのまま残りました。
そのため、現代の視点から見ると、「5.9」というラベルの中に、かつての限界値から現代の超高難度までが押し込められるような、歪な構造が残ることになったのです。
フリーソロ(ロープを使わないクライミング)の限界を人類はどう伸ばしてきたか?
1961年、5.12A
ジョン・ギルがアメリカのテトン山脈で5.12a相当をフリーソロで初登した。
1985年、5.13b。
アントワーヌ・ル・メネストレルがフランスのビュウで5.13bのルート「La Rage de Vivre」をフリーソロで完登した。
1987年、5.11c。
ウォルフガング・ギュリッヒがアメリカ・ヨセミテの「アストロマン(5.11c)」をフリーソロで完登した。
1997年、5.12c。
ダン・オズマンがアメリカ・ヨセミテの「ベアーズ・リーチ(5.12c)」を数分で駆け抜けるスピードソロを記録した。
2008年、5.14b。
デイブ・マクロードがスコットランドの「Darwin Dixit(5.14b)」をフリーソロで完登した。
2017年、5.13a。
アレックス・オノルドがアメリカ・ヨセミテのエル・キャピタン「フリーライダー(5.13a)」をフリーソロで完登した。
2021年、5.14b。
アルフレッド・ウェバーがイタリアの「Panem et Circenses(5.14b)」をフリーソロで完登した。
ロープを使う普通のフリークライミングの最高難度の歴史
1979年、5.12d。
ジェリー・モフェットがイギリスの「The Master's Edge」を初登し、当時の最高難度を更新した。
1983年、5.13a。
トニー・ヤニロがアメリカ・スミスロックの「To Bolt or Not To Be」を初登し、アメリカで5.13の時代を開いた。
1985年、5.13d。
ヴォルフガング・ギュリッヒがドイツ・フランケンユーラの「Kanal im Rücken」を初登した。
1987年、5.14a。
ヴォルフガング・ギュリッヒがドイツ・フランケンユーラの「Wallstreet」を初登し、世界初の5.14aを記録した。
1991年、5.14d。ヴォルフガング・ギュリッヒがドイツ・フランケンユーラの「Action Directe」を初登し、人類の限界を大きく押し上げた。
2001年、5.15a。
クリス・シャーマがフランス・セユーズの「Biographie(Realization)」を初登し、世界初の5.15aを記録した。
2008年、5.15b。
クリス・シャーマがスペイン・オルリアナの「Jumbo Love」を初登した。
2012年、5.15c。
アダム・オンドラがノルウェー・ハンヘラレンの「Change」を初登した。
2017年、5.15d。
アダム・オンドラがノルウェー・ハンヘラレンの「Silence」を初登し、世界初の5.15dを記録した。
2017年にアダム・オンドラが人類初の「5.15d」を達成して以降、現代のフリークライミング界において、このグレードは「到達すべき最高峰のベンチマーク」として維持されています。
2018年から2026年現在の、世界的最高難度記録の系譜をまとめます。
2022年、5.15d。セブ・ブワンがフランスのヴェルドン渓谷にある「DNA」を初登し、世界で2人目となる5.15d達成者となった。
2023年、5.15d。ヤコブ・シューベルトがノルウェー・ハンヘラレンの「B.I.G.(Project Big)」を初登し、世界で3本目の5.15dルートを確立した。
最新の動向:
2025年3月、アメリカのショーン・ベイリーがアリゾナ州で「Duality of Man」を初登し、5.15d(9c)と提案しました。
また、ホルヘ・ディアス=ルジョがスペインで「Cafe Colombia」を初登し、5.15d(9c)と提案しています。
5.16a(9c+)の状況:
先ほど「5.16aは未樹立」としましたが、現在、世界トップレベルのクライマー(セブ・ブワンやステファノ・ギソルフィら)が5.16aへの可能性を秘めたプロジェクトに注力しているのが現状です。
公式に確定した「5.16a」はありませんが、非常に近い段階にあります。2017年の「Silence」以降、新しいグレード(5.16a等)が公式に樹立された事例は確認されていません。
現在は、世界中のトップクライマーたちが既存の「5.15d」ルートの再現(第2登)や、同等の難易度を持つ新たなプロジェクトの完登を目指して競っている状況です。
日本ではユージさんや大西さんが、5.13程度はいつでも、再登してくれますが、再登しないといけないような難しいのに取り組んでいる若い人がほとんどいないという状況かもしれませんね。
山のルートでロープを出すべき基準
RCC(日本ロッククライミングクラブ)のグレーディングにおいて、ロープを使用する境界線は一般的に「Ⅲ級」とされていました。
当時の基準と実態を整理すると、以下のようになります。
1. 「Ⅲ級」が境界線であった理由
RCCのグレーディング体系では、以下のように定義付けられていました。
Ⅰ級~Ⅱ級: 「歩行」の延長線上。三点確保が確実であれば、ロープなしでも移動可能な範囲。
Ⅲ級: 「やや難しい(ロープ使用)」と明確に定義されています。このレベルから、万が一の転落を防ぐための確保(ビレイ)が必要な登攀と見なされていました。
2. 「ロープ」という概念の変遷
当時の登山界におけるロープ(ザイル)の扱いは、現代のスポーツクライミングとは大きく異なります。
命綱としての役割: Ⅲ級以上の岩場において、「もし滑落すれば致命的になる」というリスクを管理するためにロープが導入されました。当時の技術である「肩がらみ(背負い投げの要領でロープを制動する)」等の確保技術を前提としていたため、ロープの使用は「チーム全体の安全確保のための必須儀礼」という性質が強かったのです。
用具の制約: 現代のような高伸縮性のナイロンロープが普及する前(天然素材のザイルの時代)は、ロープ自体が重く伸びにくいため、頻繁にロープを出して確保を行うことは時間と体力を大きく消耗させる行為でした。そのため、「本当に必要な場所以外はロープを出さずに歩く」という判断が、当時の登攀スピードを維持する上で不可欠なスキルでした。
3. 「Ⅲ級」の意味合い(現代との比較)
「Ⅲ級からロープ」という基準は、現代のデシマルグレード(5.0~5.1相当)に置き換えることができます。
当時のⅢ級: 重い登山靴を履き、バックパックを背負った状態でのⅢ級は、現代の感覚よりも遥かに「バランス保持が難しい」状況でした。
現代の視点: 現代のクライミングジムでは、5.0~5.1は「初心者コース」としてロープなしで登れる壁に近い難易度ですが、当時の山岳地帯におけるⅢ級は、高度感や墜落がもたらす結果の大きさを加味すれば、現代のスポーツルートにおける5.12~5.13に近い精神的負荷があったと推察されます。
つまり、「昔のⅢ級=現代のロープが必要な難易度の基準点」として固定されており、そこから下は「山歩きの範疇」として区別されていたのが、RCC時代の標準的なリスク管理の指針でした。
ちなみに以上を説明出来た山岳会の先輩はゼロでした。
まとめると、
Ⅲ級から上はロープを出そう。
5.9までは決して落ちないで登る
5.9と書いてあるルートは、それ以上のすべてのグレードが含まれる可能性を考慮する
5.10a以上はフリークライミングの領域。ジムで練習してから岩場に取りつく。
10~11代は、昔に開拓されたルートである可能性があるので、グレードを信用しない
現代フリークライミングで、フリーソロイングをされているのは5.14bまで。5.9でフリーソロできることを威張っても仕方がない。
ランナウト自慢はそもそもカッコ悪い