2022/08/17

クライマーには発達障害の人が多いのかもしれません

■ クライマー=ADHD? クライマー=アスペルガー?? 

私は、外大の後は、元々がパナソニックのロボット開発室のスタートですし、最後は三井物産新事業開発室を経て、競争社会を卒業したのち、山の世界に来たので、山の世界に来るまで、エリート社会しか、社会人経験がなく、山岳会、というのが、自分が初めて経験する、偏差値的意味では平均的な社会人集団、ということになりました。

日本社会では、偏差値で選り分けられた人が基本的に集団を作るので、あまり、自分の期待値と異なる反応を相手がする、ということは起こりにくいです。そのため、私はこれまでクライマーたちが、「え?」という行動を示す場合、

知性の問題、あるいは、無知の問題

と捉えてきました。例えば、カムの配置が悪くてロープがスタックする、など、です。

 教えられていないのでは?

です。これは善意での解釈ですが、一部からは、えらそうだ、という指摘を貰ったかもしれません。しかし、この批判へ反論するとすれば、私にも、アルパインの初級者としての限られて経験からしか見えないことは、当然ながら、あります。私は神ではないのですから、例えば、菊地さんやヒロケンさんレベルの理解を期待されても、当然できません。

が、同じ経験年数の男性と比して理解のスコープが格段に広い、あるいは長年(30年とか・・)経験していると自己主張する人(=ペテラン)と比しても、大きな失態(凍傷等)をせずに、生き残っている、とは言えるかもしれません。

自分自身をどれだけ客観的に見れているか?という比較では、やはり私自身のほうが見えている、気がします。これは傲慢ではなく、残念ながら、男性は男性としてのエゴ(慢)が目をくらませている、という傾向によります。皆さんの指摘より、最初から自分を初心者だと思って調べものしている、私の目のほうが確かだと思います。なんせ、95%まではクライミング界は男性なので、多数決…周りの男性クライマーがこう言っているからあっているだろうという判断基準…は、母集団的に間違います。

しかし、最近、知性の問題ではなく、性格や精神疾患も、絡んでいるのでは?と発見しました。

■ 新しい視点… 精神疾患の問題では…?

 最近、栄養欠損で深刻な鬱に陥ったので、精神疾患について、色々、勉強しました。

社会人クライマー = 相手の事情が分からない率が高い人たち

         = 結構、高確率で精神疾患保持者

かもしれないな~と思案中です。

■ エビデンス

1)自分が楽勝で手が届くボルトに、手が届かない人がいることが分からない

2)カム配置は、個人によって異なることが理解できない

3)すべてのボルトを一律、無条件に信頼。オールアンカーはさすがに信頼しなくても、グージョンとカットアンカーは見分けられない。ハンガーがついていたら、すべて信頼。
 

4)追い込まれたら、パワープッシュという戦略は、パワーに優位性がある人だけの戦略だと分からない。パワーに優位性がなく、ムーブにある人がやったら、落ちること確実な戦略になります。
 

5)特定のカルチャーが自分に優位に働いているだけだと分からない。

例:若さをたたえるカルチャー、蛮勇をたたえるカルチャー、など。

九州では、コーチ職の人が自己をなげうってビレイに徹しており、相手のビレイが不安な状態で登る関係性(=チャレンジすること自体にリスクがある)とか、信頼関係を一緒に構築していくプロセス(=最初はあいまいなビレイを受け入れて登るしかない)とか、分からない。

蛮勇カルチャーも、フリークライミングでは、落ちてもロープがクライマーをキャッチして死に至らないという原則なので、フリークライミングでのみ、歓迎される資質だが、アルパインクライミングで、蛮勇路線でやっていたら、初級ルート(=そもそも脆い)で死んでしまうし、現代のフリークライミングの岩場は、ボルトの経年劣化で、フリーではどこで落ちてもOKという原則が維持されていない上、身長が低い人にとってはクリップタイミングが、核心部の後になるので、墜落リスクとボルト脱落リスクの2重のリスクを同時に受け入れないといけない、ということになる。

このリスクフリーの岩場は、国内岩場には存在しない。したがって、初級者同士が自立的に登れる岩場がない。
 

6)客観性の欠如 
 

自分の余った身体エネルギーの消費(出し切る=すごいエネルギー消費量)が、目的のクライミングは、逆に言えば、非常に身体負荷が大きい活動だということに、無理解、がある。

■ 発達障碍者と認知症患者は、日本では増え続けている = 原因は葉酸

葉酸はアメリカでは、小麦に法的に強制添加されています。


 


 

登山のほうでも、夏山で、80歳の老女が北岳に一人で来たりしています。

皆ができることは、あなたもできる=誰でも登れる、と思っている節あり。人の能力は様々だということを心底は分かっていない。というのが私の過去の見解でした。

しかし、そもそも、北岳に80歳で来る=認知症、かもしれません。

■ クライミング

その上、体力量、困難度の標準化がされていないので、パワーの持続量に、全然、理解が届いていない。

例: 

量: (5.9をうんうんうなりながら、やっとこさ1本登れる人) < (5.9 を10本登っても楽勝の人)

困難度: 5.12の中でも様々な質、スラブ、フェイス、ワイド、トラッド、オーバーハング

 

他にも、色々あるかもしれません。

例えば、背が高く体重が重たい、がっちり体形=アルパインで歩荷が強いタイプの体形の男性は、クライミング下手、と、大体みんな分かっていますよね…。それは能力ではなく、個性、と判断されていると思います。 

(ふと思った…。そういう人は、セカンド専門要員として、技術を与えられず、誤解したまま、相手にいいように使われている、というようなことも起きるかもしれません。なぜなら、男性クライマーは、俺がトップを取る、と基本、リードを取るのが争い、だからです。その人が、ぼうっとした人だと、テクニックの間違いも指摘されないまま、かもしれませんね。そのほうがリードできるようには成長しないので、便利なうえ、安全、だからです。ある意味、気の毒ですね…)

■ ADHDでは?事例

私の経験から、ですが、年配の初心者をマルチにセカンドで連れて行ったとき、懸垂のセットをしてもらおうとしたら、なんと支点にロープを通す前に、ロープを投げてしまいそうにしていました…。

これなど、私は、手順だけを暗記して、肝心の要点をきちんと理解していないために起こる現象、と捉えていましたが、そうではなく、

注意力散漫=ADHDやアスペルガー等=精神疾患

かもしれません。

もし、そうだとしたら、その人は、本人がいくらしたい、と言っても、クライミングのトップは、させないほうがいいですよね?

人的エラーは、主たるクライマーの死因です。

また、エゴグラム診断で、NPが低い人は、事故率が高い、なども統計的に抽出できるかもしれません。トップを登るリーダーに必要な資質は、伝統的には山岳会で観察により、より分けられた来たものと思いますが、より客観的な指標を導入するべきかもしれません。

マルチでトップが取れなくても、別にショートでのリードは誰でも出来ると思いますし。

(でも、スポーツ出身の人はスタティックに取らないで、すぐランジやデッドするので、これも性格による認知のゆがみなのだとしたら、スポートルートに限定させる根拠となるかもしれません)

だとすれば、山岳会でも互いの性格を知っておくために、

  全員がエゴグラムを受けておく、

というのは、事故の防止に有効な手段かもしれません。性格の見える化で客観的に意思決定できます。日本の文化では、男性と言うだけで間違った意見を押し通すことができますが、現在の社会政治を見ても、男性の判断だけだと、困難な時代を生き抜くことはできないでしょう。男性の判断はエゴで曇っていることが多いです。

とくにトップを登るリーダークラスには、体力が必要なので誰でも取れる地位ではないと思いますが、その中にはアスペルガーの人もいると思いますが、それを乗り越えられるだけの十分な教育を与える、という主たる動機になるかもしれません。

2022/08/15

所有と所有欲を手放す…

 


那智の滝のようにではなく、天岩戸のように

■ 天野和明さんのプロモ動画

那智の滝の、冒涜的な行為とは、好対照だと今頃気が付いたので、掲載。

同じ、登る、という行為でも

 不許可で登る → 冒涜

 許可で登る → 動画

という結果になる。日本のスピに詳しい人に聞いたら、那智の滝のように、ご神体とされているものに、適切なご挨拶なく登ると、先祖の霊格まで下げてしまうのだそうです。

となると、ご神体であるボルダーに登る、なども同じことになりますから、ボルダリングでも注連縄を張ってあるものに登るようなのは、遠慮したほうがよろしいでしょう。

人々が畏敬の念を感じているものに、一般的には侮辱と思われている行為…登攀…をするのは、やっぱりまずいでしょうね、その誤解を先に取らない限り。

霊的な意味というより、人として、社会的なマナーに欠ける、というものです。

一方天野さんの事例は、神職から、以来を受けていくということですから、社会の役に自分のクライミング能力が役立つというコンテキスト… すごく良い流れですね。

■ JMSCA

アクセス問題についての適切なアドバイスを誰に求めるか?ということになると、現在は、一番知見が溜まっているのは、

JFA

ではないでしょうかね。しかし、国立公園内とか、あるいは境内というようなこと、世界遺産だとかいうことになると、

地方自治体

に直接クライマー本人が問い合わせるということになると思いますが、そうなると、

 そのクライマーが誰なのか?

が、地方自治体の人に分からないということになります。例えば、米澤先生だと、大学教授という社会的に認知された地位がありました。

一方クライマー達になると、世界で登るための倹約した生活をしているせいで、みすぼらしい身なり…と一般社会では思われてしまうかもしれませんね?

そういう、”この人は怪しい人ではありませんよ、世界的著名なクライマーですよ”

というバックアップや代理での、許可を得る活動などをJMSCAがクライマーに対してサポートできるようになったら良いのかもしれません。

反目ではなく、協調ができるような、連帯ができるような精神性の高さを持ちたいものですね。

 

2022/08/14

表層雪崩

 これは、春山、の 鎌尾根で、見かけたものです。

こんな程度の表層雪崩でも、ちゃんと見張っていないと、下の方では人を殺すだけの量がありますからね…

登り出しの気温、と、下りの気温も重要で、山頂に早くついたからと言って、そのまま、普通のピークハントのように日中の気温が高い時間帯に下り始めるようなことはしません。

アイスで氷柱を登るときも、気温が高い(氷点下にならない)時間帯は登らない、です。 

このようなリスク管理は、何年、ただ登って降りるだけの山を続けても身につかないです。

■ 厳冬期北ア

私は冬山合宿では、北アのお誘いが来ても、断っています。

北アって冬は、悪天候が続くと、一週間くらいビバークです。つまり、一週間ビバークに耐えれて死なない人だけ行っていい、という意味です。

ので、私は、せいぜい2日がビバーク限界なので、行かない。

春山なら、すでに1泊はビバーク経験があります。山岳総合センターでの講習会でのことですが(汗)。ツエルト一枚で過ごしてみました、七倉沢で。まぁ、なんとか。

中崎尾根は、ラッセル核心の尾根なので、攻略に裏技があります。

それは、正月の後半に行くことです。つまり、他パーティがラッセルした後のすでに歩きやすくなっている条件下で行くことです(笑)。

山も長くやっていると、そんな悪知恵がついて、同じ山の名前を言っても、

   最初からバンザイラッセルしたパーティ

  後からラッセル泥棒で登ったパーティ

では、実力差、歴然です。統制のとれたラッセルには、リーダーシップが必要です。

■ 価値観の倒錯

昨今の人たちは、 

最初からバンザイラッセルしたパーティ <   後からラッセル泥棒で登ったパーティ

となっており、実力がある人たちのほうが、

あいつらバカだなぁ、一番乗りで歩くなんて… 後から歩けばこんな楽なのに

なんて言われてしまう価値観になってしまっています。 これは中高年登山者にかなり顕著です。


2022/08/13

日本人の45%は葉酸欠乏

■ 深刻な栄養欠乏

実は、半年ほど前、深刻な栄養欠乏に陥ったのですが… おかげで体質が分かった

高メチレーション体質 

これは、ATPの回路を回す回転がえらい早い、というタイプってことです。道理で、寒さに強いわけですね。全然、寒いほうがつらくないもんね、今8月ですが。

で、この体質ですが、日本人の45%で発現する体質だそうです。

https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2021.930109/data/index.html?fbclid=IwAR2aj9LfFbTve5CvZ7Fq_o3OxjJ5Ras2WIQoJ_KgOAy1qirOC02C9t9C1F8海外では小麦に葉酸添加されている
 

私は海外で2年暮らしたことがあるのですが、もしかすると、あちらで快調だったのは、葉酸の影響かもしれませんね…。

同じような体質かもしれない方は、B50を取ることをお勧めします。葉酸は必ず入っているので。

葉酸欠乏になりやすい遺伝子多型は、

MTHFR遺伝子多型

です。45%もの人に発現するそうです。

これは、遺伝子チェックキットで調べることができます。

https://www.dnakensa.com/kit/yousan.html

■ 遺伝子によるもの 

葉酸に加え、お酒の強さ、白筋・赤筋の割合、肥満と痩せ

の4つが遺伝子に左右されるもので、自分で調べることができます。

運動音痴と思っても、たんに筋力のタイプが不向きなだけかもしれませんよね。 

葉酸

は日本でだけ認知が遅れている遺伝子型のようですので、なんか調子が悪いと感じたら、葉酸を取ってみると、著効するかもしれません。

私は、クライミングすると易疲労性なので、筋力的にも向いていないような?


正常な自己愛には、エゴを捨て去る必要があります

■ 自分を愛す

おかもん先生に、親孝行への罪悪感を抱えている人は、自分を愛せない場合が往々にして多い、という指摘を受けたので、研究中。

正常な自己愛が必要というのは、私自身、中学を卒業して、高校に入学した時から知っていました…。私は高校高専に行きたかったのですよね…、その道であれば、私は自分がしたいこと=プログラミング、で18歳から働くことができると思ったからですが…。実は、最近、仏教説話を主催したのですが、その場で、高校高専で教えている起業家に出会い、私が14歳で思考したことは、正解だったのだと分かりました。14歳の私は大人の権力に負けて、先生が自慢になる、学校が自慢になるという理由で、熊本高校へ進まねばならず、不本意な道を選びました。結局、パナでエンジニアにはなりましたが、私が目指したようなシリコンバレー系の仕事ではなく、制御系…その後もメインフレーム…ずっとレガシーと付き合っているわけです。 クライミングでもなぜか似ており、レガシーとの接点が多いんですよね。

さて、

  過去の栄光は大切にしなければいけません。

しかし、

  過去の栄光によって、現在の現実を見る目が曇ることがあってもなりません。

過去に

   偉大だ、とされた基準

は、当然ですが、現代にいたると 

   更新され

ます。記録が塗り替えられることは喜ばしい事です。たぶん、記録に出てくるヒマラヤやパタゴニアなどの海外のルートの表現が、

 距離、累積標高、登攀のピッチグレード、気温などの天候条件…など

、端折られて書かれ、どこそこを登った、としか書かれていないせいだと思いますが、ヒマラヤの山の名がついていたら、内容が高尾山に登るようなものでも、誰でも、すごい!と騙せてしまいます。

逆も発生し、本当にすごい山をしている人たちも、「どうせ高尾山」と思われてしまうわけですね。

とくに、現代の登攀…のけた違いのスキル差、というのは、元々がストレートシャフトのアックスで登っていた人には、わからないかもしれません。

私が感じるM5とM6の差はめちゃ大きいです。WI5とWI6はすごい差です。いかんせん、WI4が楽勝なので、WI4とWI5くらいの差を鑑みると、同じペースで違いを感じてしまうかもしれないんですが…杞憂なのかな?

これはアイスでの話ですが、フリークライミングの基礎力で上がった登攀力を持つ人たちについても、同じ誤解があるような気がしないでもないのですが。

■ エゴの声

ほんの少しの選ばれた人しかトップクライマーになれなかった時代 → 誰もがトップクライマーになれた時代 → ほんの少しの… → …と時代は変遷しているのかもしれませんが、実際はどうなのでしょう…?

  過去の栄光を引き継ぐ若者たちをサポートする、

バックアップするような視点で、エゴの声を捨て、

   未来を育む方向へ、一致するような方向性

が日本の山岳上位団体には必要とされているような気がしてなりません。

そして、それを邪魔しているのは、この動画にあるようなエゴの声のような気がしてなりません。

2022/08/12

「ほんとうは誰かに守ってもらいたい私」の願いは、クライミングでは叶いません。クライマー頼りなさ過ぎ

 ■ 長女 → 母の夫役(長男)

私は女性です。男性が粋がるように、女性には女性の自然な心の風景があります。

https://nakamurayoko.com/archives/2088.html

福岡に来てからの3年は、クライミングでは本当に不安な思いをしました。

理由は、山梨の経験でも、福岡の経験でも、山の経験値に不足があると自覚がありながら、

 男子は頼りにならない

ということを経験則から知っていたからです。

「ほんとうは誰かに守ってもらいたい私」の願いを受け入れ、ありのままの自分を受け取るのが自分のメンタル課題なのに、

山の経験値を求めて山岳会の門をたたいたとしても、むしろ、被害なのです…。

山岳会のベテランを頼るその1 → エイドで鍛えてやる → ひえ~ チビにエイド?!

山岳会のベテランを頼るその2 → 支点ビレイ

ベテランを頼る その3 → 岸良 怪我したのに帰れない 一人のほうがまし

山岳会のベテランを頼るその4 → 1人が2名のリードクライマーをビレイ

前の会の先輩 → ロープアップされない、1点に二人で仲良くぶら下がる

などなど…で結局、結論的には、

 自分が一番信頼できる

という話になりました。

男子、ベテラン、頼りなさ過ぎて、山歴の浅い私が頼るには、ちょっと不安すぎます。

正直に言えば、

 もっと頼りがいのある男性(クライマー)になってほしい

です。 老いには人は勝てないので、老いた人のことは別の話です。

トップロープ張ってくれて、さあ、登って、というのは、頼りがいに入らないんですよ、それ、誰でも出来る楽勝路線のサービスなんで。

私だって、ロープを新人にはあげてやり、TRさせてやってるようなもんですから…。

私よりも登れる奴には、登るに適した課題をアドバイスしてやっています。

山で頼れる男が少ないのは、現代のクライミング事情を顧みると、状況から、仕方ないカモですが、普通の下界のクライミングでもダメです。これはもう、

  知性の敗北

みたいな感じです。 

このビレイを頼りにできる人はほとんどいない、男性・女性を問わず  


岩場のルートファインディングの諸段階

 ■ 強点vs弱点

アルパインクライミング= 山頂へ行くために、弱点を突くもの

フリークライミング= 強い点を楽しみのために味わうもの

ですが、ただ、漫然とクライミング、としていると、よく分からないかもしれないですね。

岩のルートファインディングについては、私自身が、まだ学習途上なのですが、今の時点で分かっていることは、以下のようなことです。

■ 読図の山が基本

一般登山で、読図をしますが、尾根と沢を登路に使うのが、山の交通、道路です。

山の住所の付け方は、何番目の尾根の何番目の沢というものです。

富士山みたいに円錐形の山だと、住所がつけづらく、ルートファインディングって、とても難しくなります。

■ 登りは簡単

まぁ、登りはどう登っても1点に集約されるので、簡単ですよね。だから、どこからどうとりつこうが、高いところを目指していれば、誰でも同じところに到着します。

■ 下りはほんの些細なずれが大きな結果を生む

ところが、下りは、ほんの1度方角がずれただけでも、裾野では、えらい大きな差になります。尾根を下るのですが、尾根にも痩せた尾根と太った尾根があり、痩せ尾根のほうがルートは明確です。

■ 痩せ尾根=岩尾根

痩せ尾根が、さらに傾斜をきつくなったもの=岩稜。”岩”の、”稜”(=尾根)。 標高が高いと、森林限界を超えているため、岩がちに。

これがリッジ登攀が、アルパインの基本とされる理由です。まぁ、とりあえず、尾根を行けばいいのですから、ルーファイは簡単です。特に痩せて細い岩尾根なら。登山で出てくる、

アリの○○とか、天狗の○○とか、トサカ〇〇

とか、そういうところをもっと細くしたみたいな感じです。

現代のフリークライミングを経験した人からすると、簡単、と感じるレベル=立てる、であることが多いかもしれません。

それでも段々傾斜が立って行けば、もちろん、壁になってきますが。

おおざっぱに言って、北鎌尾根とか終わった人が次に行くレベルのルートが、リッジ登攀。

小川山にもありますし、インスボンにもあり、日向神にもあります。

■ レッジToレッジ

ロープが出るタイミングというか、ルートのリズムというか、そういうものを表す言葉です。

日本語にしたら、段から段へ、という程度。

段=立てるところ。 平べったく言えば、段があるところじゃないと終了点作れないじゃーん!です。登っていたら両手ふさがっていますよね。

しかし、このレッジTOレッジが味わえるルートって、今どこなんでしょうね? よく知らない。

■ 尾根から壁へ

尾根から壁への転換は、けっこう大きな転換です。壁になったとたんに、ルートファインディングは非常に見出しづらくなるからです。

手足がかけられるところを探すということになりますが… 登れても降りる時、落ちないといけないなら、ちょっと調べに登っただけで命取りになりますから、そうそう気安くは取りつけないですよね。

■ 沢

沢では、ルーファイが比較的楽なので、沢もルーファイ練習の場。水流もルートを見極める手助けになりますし。

私も初心者のころ、行き詰ってハーケン打って降りたことがあり、ルーファイが課題だという段階でいまだ停止しています(笑)。

■ 人工壁

人工壁は、ホールドを追っかけるものなので、ルーファイ力はつかない。

■ 残置

昨今の人は、登攀力だけが伸びて、ルーファイ力がゼロなので、初心者向けルートには、その補いとするため、残置が置かれています。例:腐ったピトン

しかし、この残置は、山でいう赤布みたいなもの。間違っても支点として現役なのではありません。本来、読図の山でも、読図がちゃんとできていれば、赤布のほうが登山者を追いかけてくるようになります。自分が歩いているところに、ここで良いと正解を示すように、赤布が現れるという意味です。

同じことが、古いリッジルート等のピトン等に言えます。

たまに間違って敗退した人のピトンだったりもします。敗退用だと、懸垂で降りた後なので、セカンドが回収していないので、残置にならざるを得ないためです。

なので、ボルトルートになれた人が、ボルトを目安にルートを登る要領で、残置された敗退用ピトンを追いかけると、行きどまり、に続く道になります。

敗退用のピトンには大体はスリングもかかっています。

■ エイドルートのボルトルート化

ボルトルートの役目は本来は、ルーファイ力を補助的に補う目的もあったのでしょうが… 今では、全然、昔のエイドルートのただの置き換えなので、フリーのムーブ的に整合性があるか?というと、たぶんないです。

背の高い人が、直近で立てる一番立ちやすいフットホールドに立って、手が届く限界のところにエイド用のボルトが打たれ、それが、フリークライミング用のボルトにそのまま置き換えられた場所も少なくないです。

■ グランドアップフリー

一方最初からフリークライミングで試みられた、グランドアップで開かれた課題は、ボルトの位置を含め、芸術作品と言えると思います。壁のルーファイは、尾根のルーファイと違って、かなり難しいので。

グランドアップには、登山靴で開かれたルートと、クライミングシューズで開かれたルートがあります。

当然ですが、登山靴で開かれたルート=アルパイン、クライミングシューズで開かれたルート=フリー です。

全然、難度が違います。インスボンでも、アルパインの5.9とフリーの5.9は違いました。

余談ですが、私は西湖のマルチで、アイゼン履いての岩が、会での初外岩。アイゼン履いて登れたところなら、クライミングシューズなら登れるだろうと、2度目からトップを登っています。

そんな人に向かって、九州で人工壁とボルト整備され、課題も会の会長さんにここを登りなさいと選んでもらって登って、強くなっただけの高校生が、人を小ばかにし、でかい口をたたくので、大変腹立たしい思いをしました。

そもそも、人工壁は、アルパインの価値体系の中では、アイゼンで岩を登るための練習なんだとか分かっていないんじゃないかな? 人工壁でいくらグレードの高いのが登れても、アルパインでは評価されません。米澤さんなんて、ドーンウォールのトニーすら、RPでの登りだから、評価しなかったくらいです。

私を馬鹿にしたこの会の人は、私が登れる高校生を喜んで、ホイホイ、ドレイヤーに立候補するとでも思っていたのでしょうかね。

 私はスポーツクライマーはスポーツクライミングのカテゴリーでスゴイだけなので、全く別物と思います。まぁどっちかというと興味ないです。山が好きなんであって、競争が好きなわけではないので。スポーツクライミングは、競争の世界です。リスクもなく、お気楽のんきな世界です。

 ■ クラック

岩のルーファイで比較的容易なのが、クラック。プロテクションもクラックがあれば、条件にもよりますが、取れるだろうと想像できます。

■ 氷

氷も道としてかなり有効です。アイスが十分固く、体重を保持する信頼に足るかを見極める目が必要です。

■ ブランクセクション

手がかりも、足がかりもなく、どうしても突破できないセクションのことです。

トップクライマーには、ブランクではない、というのがミソ。 下手くそクライマーにとってはブランクでも、登れる人には、ブランクではない。

■ ラッペルダウンのルート

壁では、ラッペルして課題が作られているわけですが…特にハングした壁ではラッペル以外どう作るんでしょうかね? 私も開拓は詳しくありませんが。

ラッペルで作られた課題に関して、芸術だ、著作権だ、というのは、ちょっと合点がいかないのですが、それは、フリークライミングのルートに対する私の知見が限られているからなんでしょうかね?

しかし、グランドアップとラッペルダウンのルートを同一レベルに議論するのがおかしいという点は譲れないかもしれません。

米澤さん曰く、「開拓クライマーは一度もオンサイトしないんだよ」でした。私も故・吉田さんのルートでは、試登していますが、トップロープでした。TRで登って、登攀のリズムをつかみ、どこにボルトを打てば合理的か?を考えるわけです。

クライミングそのもの、を楽しむためにボルトが配慮されるわけで、ムーブを妨げない、ということだとすると、ガバ=ボルト飛ばしのアルパインのボルト位置とは全く違うセオリーになります。

■ ACPCが判断力あるのでは?

というわけで、私の勝手な個人的意見によると、

 残置をどうするか?抜くか、残すか?などは、大変幅広い経験値が必要

なわけなので、菊地さんたちのACPCが、

 ここは初級ルートだから、この程度の残置を残してあげないとクライマーはルーファイできないだろう…とか

 ここは上級者向けなんだから、こんなところにこんな残置は汚物以外の何物でもないだろう…とか、

 ここは歴史的ルートだから、このままで…とか、

 白亜スラブみたいな、クラックではなくスラブには、ボルトいるよね~みたいなのとか

適切に判断できるのではないでしょうか?

私が聞き及ぶところによると屋久島フリーウェイは40年前のまま、別にうち替えしていないそうです。そんなのに、現代の墜落が前提のクライマーが、俺、5.12RPできるから、みたいなノリで行きたいのが現代。ACPCは、現代の初心者像をよく知っていそうな人が集まっているので、どこをどう改善したら、そのようなルートが比較的事故を起こさないようにできるか、配慮できる人たちのように思います。

■ 初登のグレードにこだわらない開拓者もいる

開拓者の米澤さんは、他のクライマーの課題を登ったことが著しく少ない方でした…つまり、いつでも会で一番登れる人なので、より難度が高い課題がよく分からないのだそうでした…ので、グレーディングも、自分より経験のある人が言えば変える、と明記されていたほど。

大体、10代の課題って、昔のクライマーには、十パひとからげで、ぜんぶ5.9!みたいな感じですし…、その感覚は、現代の厳密にグレードをジムで覚えて登ってくるクライマーの感覚とは大いにかけ離れていそうです。 

そんなグレード感性の違いも、事故の原因化していそうです。

米澤さんの5.10代は、ぜんぜん現代の10代じゃないですよ(笑)。 

こんなにきれいに並んでいるのは人工壁だけ

         歴史あるルート ボルトで汚してはならない


   ちゃんとルーファイしている人は、雪のほうが岩を行くより簡単だとすぐ分かる

2022/08/11

アルパイン教育で山の死を防げるか?

 ■ 一般登山→日本のエイド→フリークライミング→ビッグウォール→アルパイン

たぶん・・・なのですが…一般的に アルパインの教育のステップはこういう風になっていたのではないでしょうか?

第一段階 一般登山 (ピークハント→小屋泊縦走→テント泊縦走→一般レベルの雪)

第二段階 読図の導入 

第三段階 入門レベルのオールラウンドな山登り (雪→沢→岩→氷)

第四段階 フリークライミングでの基礎的登攀力作り (いわゆるフリーの基礎力)  

第五段階 ルート経験数を貯める 

第3段階のどこにスポーツクライミングという危険を排除した形でのクライミングを入れるか悩ましいですが、スポーツクライミングに基本的にはリスクはありません。リスクがあるとすれば、技術的ミステイク、です。

ただアルパインクライミングの価値観を学ぶ前に、スポーツクライミングのルール、フリークライミングのルールなどを学ぶことになるので、学ぶ当人が混乱しますよね。

例:

スポーツクライミング=ボルトはあって当然。プロテクションは、元々あって当然。

フリークライミング=いくら落ちても命取りにならない。ロープに守られる。

エイドクライミング=背が高いほうが有利

現代では、新人教育ができない山岳会がほとんどなので、読図が山の必須教育の一部だとか、あるいは、フリーでマルチピッチのルートに出る前に、危急時の講習が必要だ、とか、一般的にクライミングジムでスタートした人には、てんで皆目見当がつかないのかもしれません。

アルパインクライミングが、冬の壁を前提とするのは、夏でもアルプスには雪があるから、であると思われるのですが…雪渓歩きや、氷河歩行みたいなものは、日本の山で必要となるのは、ほんの少しであるので、日本でアルパインの教育を受けた人は、セラックが落ちる、とか全然想定しない可能性もあります。雪庇の崩壊などもです。

■ 夏山の事故

今、問題になっているのは、基本的に夏山の事故です。

ココヘリの配布などで、技術を教えるというよりは、保険を手厚くする方向に日本の山の世界は動いていますが、これは、遭難者のプロフィールが、

 定年退職後に山をスタートした高齢登山者=新しいことを学習するスキルが著しく低い

ということを配慮してのことのような気がします。

年配の人の老後の時間つぶしとしての登山には、特に登山史の一ページに何かを追加する力があるとは思えません。

ので、ココヘリなどのように、保護を手厚くする方角で、お金で解決するという方向性はあながち間違っているとは思いません。

肝心の年配者だって、ザックを肩代わりして背負ってくれるなら、快適に歩けるので、若い人を雇いたい、というニーズがあることも、実際目の当たりにしています。若い人のほうも、そのようなガイドでのニーズであれば、トレーニングしてお金を貰えるのであれば、それでいいのではないでしょうか?

いわば、日本版シェルパ。しかし、このようなタイプのガイドに、ガイド能力を求めない方がいいのではないかと思ったりします。例えば、花の知識とか、危急時の対応能力(一般的な救急救命措置以上の能力)を求める必要はないような気がしますね。

なんたって、年配の人、ただちゃっかりしているだけなので。送り迎えのハイヤーと荷物持ちが欲しい、持病の発作が起きた時一人だとかなわん、という程度のニーズだろうと思うからです。これは、往年のアルパインクライマーだって同じです。さりとて、高齢者の寄せ集めでは、誰もニーズを満たすことができないです。

■ 本質的なアルパイン教育

一方若い人は、高齢者のような、ただ歩ければ成功、みたいな山をしていても、埒があきません。

私みたいな中途半端な人ですら、北アの一般ルートでも、南アの一般ルートでも、一般ルートであれば、もはや歩けないところはないくらい、簡単に若い人は、山は歩けてしまいます。

特に、九州のような温暖地では、山自体の気候リスク、標高のリスク、岩稜リスクがないので、どう頑張っても、沢登りをさせ、読図を教える程度ができる精いっぱいかなぁ…という気がします。その沢にしても規模が大きいものがないので、宿泊を伴う沢の、例えば、幕営場所選択のイロハ、みたいなことは教えてあげる機会が著しき制限されます。

ほとんど、どこかのネイチャースクールでおぜん立てされ、リスクはあらかじめ取り除かれたような楽勝の沢のようになってしまっているって意味です。

 なので、ぜんぜん何年積み上げても、いわゆる未踏の地に踏み込むに十分なだけの知識とか、経験値とかは積みあがらない訳です。

■ 知識と経験を積み上げるには?

現代では、基本となる、能力が、

 5.12がスイスイと登れる  & 40kgを担いで山登りができる

で、この能力を身に着けるまでは、

 経験値を積み上げるというステップには入れない

ようです。

過去のレベル感では、同じく基本となる能力が

 5.9がスイスイと登れる & 積中泊1泊二日程度の重さのザックを担いで山登りができる

だったようです。女性25kg、男性30kgだということでした。

 5.9がスイスイ → 5.12がスイスイ

 30kg     → 40kg

というわけで、こうしてみると、歩荷能力の増強度よりも、フリークライミング能力の増強度のほうがスゴイ…。

5.9スイスイは比較的可能ですが、5.12スイスイは、大人になってクライミングをスタートした人が達成するのは難しいかもしれません。5.12がRPできる人はたくさんいますが、うんうんうなってやっとこさ登るっていう意味ですから…。うんうんうなってやっとこさでは、ダメって意味なんですよね。

そうなると、フリークライミングの基礎力、というのがものすごく習得に時間がかかると言うことなので、途中でアルパインクライマーであることは忘れてしまって、フリークライミングに行ったら行きっぱなしになるかもしれません(笑)。

■ フリークライミングの階段を駆け上がることができないのがネック

実は、フリーはフリーで結構楽しいというか… 私がラオスや龍洞で登ったような感じでいいのなら、私もアルパインは捨てて、別にずっとフリーでもいっかなーって感じでした。山で死にたいわけじゃないしなぁ…。

ところが、日本でネックになっているのは、フリークライミングで基礎力をつけたいとおもったところで、フリークライミングの階段を安全に駆け上がることができないということなんですよね。

登山のレベルの時は、Ⅱ級=遊歩道、Ⅲ級=登山道、Ⅳ級=鎖場程度、Ⅴ級=ロープなしに登るのは不可能、と登山道の難易度が分けられているので、フリークライミングのレベルになった場合、5.〇〇…と Ⅴ級の5.からスタートします。一番易しいⅤ級は、5.7です。日本では。 

しかし、5.7~5.8のルートというのは、フリークライミングのレベル感からみたら、あまり歯牙にもかけられず、伝統的に、そのスキルは、特にフリークライミングのスキルトレーニングなしに登れる程度、という意味ですので、移行グレード、みたいなグレーな区間です。

したがって、 フリークライミングの階段というのは、5.9をオンサイトする能力がそなわってからスタートするわけですが…。

ここで、クライマーの命を奪う、リスクとスキルの逆説現象が起きています。

 5.9のフリークライミングの課題 のほうが死ぬリスクが大きい

 5.12のフリークライミングの課題 のほうが死ぬリスク小さい

 という具合に、日本では逆転現象が起きてしまっており、原因は

 ・グレードの付与が不適切 (5.9でもほんとには5.9ではないとか)

 ・ボルトの配置が不適切 (5.9でも5.9を限界グレードとする人のためには打たれていない)

という事情があり、フリークライミングの入門期も、死者が多いという事情につながっています。

中級者と言われる5.12が登れるほうが、日本の岩場の課題は安全で、下手したら1mおきにボルトが打ってあります。

余談ですが、昔の基準では、5.12登れることは熟達者扱いをしてもらえるスキルでした。今では、ジムで今日来た!みたいなやつが、5.12をその日に登ってしまうこともあり、グレードを見当に、”ベテラン”とはとても言えなくなりました。

さらに余談ですが、年齢による見た目もベテランと非ベテランを区別できないです。昨今、引退してからクライミングスタートするクライマーもいます。

■ まとめ:多い遭難タイプ

1)高齢初心者の登山”客”による無知&過信によるもの 

2) アルパインクライミング入門期 技術へのヒューマンエラー

 例:5.7~8レベルの新人時代の岩場でのうっかり。三つ峠で懸垂失敗で死ぬなど。

3)フリークライミングの入門段階期  岩場の質によるもの

 例:5.1〇~5.11アンダー期 

ということになってしまっています。 

■ 対策

さて対策ですが…、私の勝手な考えですが…

1)高齢初心者の登山”客”による無知&過信によるもの → ココヘリ&若年シェルパ

2) アルパインクライミング入門期 

 → しっかりとしたアルパインクライミング教育機関の設立 と

   公的な子弟縁組制度のサポート

  例:師匠になれるベテランの裏付けを公的機関が行い、若い人と1対1、あるいは、ザイルパートナー2名対師匠1名でのペアを公的機関がセットアップ。師匠の行動に疑問がある場合、第三者に相談できるセカンドオピニオン制度も採り入れられる。

3)フリークライミングの入門段階期 

 → しっかりとしたフリークライミングインストラクター協会公認フリークライミングインストラクターの講習へ、国費税金によるサポートをつけ、各都道県で年2回開催。

をしたらいいのではないかと思います。

■ 山岳会 はあきらめましょう…

なんか、突拍子もない話題で恐縮なんですが、最近、フランス革命の勉強をして、

 王政が廃れ行く現実を直視しないで、あくまで王政復古を目指したルイ16世

が、断頭台の露と消える羽目になった主たる原因だと思いました。

時代の流れというのは、抗っても全然、得にならないものみたいなんですよね。

日本では、日山協と労山を2大派閥とし、下部組織に各都道府県の山岳会がぶら下がるというピラミッドシステムで来たわけなんですが…昨今、全然、機能しません。

実は、こちらに来てすぐ、福岡労山の事務局長をしていた吉永さんに誘われて、彼の作った会(と言っても会員は3人だけです)に属してあげたのですが、きちんとした山行は、ひとつも催行されないまま、労山に支払う上納金(山岳会の会費)だけ毎月払うというので意味を感じず、さっさと出ました。

私自身も、”岩とお友達になる会”という会を持っていますが、こちらのほうが基本的には活動がまだ出来ていました。

■ライフスタイルの変更が必要になる

基本的にアルパインを志向する会であったとしても、日ごろはフリークライミングで基礎力UPみたいな日常行事をしているのが、普通のクライマーのライフスタイルです。

ところが、一般登山の山岳会しか知らないと、そのようなライフスタイル自体を身に着けそこなっているので、なんで山の会なのに、人工壁でリード練習なのか?とか分かりません。

それどころか、正月に雪の山で冬山合宿をするためには、GWにどこか雪の高山に行って、雪になれておく必要があることも分からないかもしれません。

参考になるか分かりませんが、関東で一般的と思える会の月の会山行を書いておきます

GW: 雪山での雪渓歩きなど、雪訓、スキルレベルに応じて

5月:易しい岩場で岩登り訓練 もしくは海外など 

6月:雨なので人工壁 ビレイ訓練

7月:高山 ロープが使える素養がある人は岩稜帯へ ない人は歩きの歩荷トレで夏山

8月:沢 レベルに応じて

9月:台風シーズンなのでインドア 縦走組はお好きな高山 

10月:秋の岩トレ スキルに応じて  縦走組はカモシカ山行 フリーの本格シーズン

11月:雪足慣らしで北ア 宿泊はテントで アイスは凍結次第

12月:正月の冬山合宿 城ケ崎などのシーズン到来 

 1月:アイス本格シーズン  海外での登攀シーズン

2月:ラッセルの山本格シーズン

3月:春山合宿 

4月: 岩登り訓練  

こんな感じかなぁと思います。毎月 かわりばんこで行く山決めようね~という発想では、山はステップアップはできず、ずっと同じレベルに居続けるだけです。

なので、登山歴10年といっても、同じレベルに居続けただけの人と、ステップを上げる山の年間計画がある場合では、全く違う成果になります。

まぁ、だとしても、大体の人は、フリーでお茶を濁す山に落ち着きますので、別にハイキングの山しかできなくても、卑下する必要はないでしょうが、アルパインクライマー、フリークライマーのライフスタイルと、一般登山のレベルの山しかしない岳人のライフスタイルは大きく異なります。

そのライフスタイルの習得というところが、大きなステップの一つかもしれません。

週二日ジムに行き、土日は岩場というライフスタイルが標準です。

それだけ、歩きから登攀へのステップは大きい変化ということです。

それだけ山が人に要求する努力は大きいということなのかもしれません。 

 


2022/08/10

フリーのアクセス問題とアルパインのアクセス問題

■ 菊地さんのお言葉
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既にお耳にされている方もいるかと思いますが、この度、一般社団法人・アルパインクライミング推進協議会(Alpine Climbing Promotion Council / ACPC)というものを立ち上げました。

今まで法的にグレーだった岩場の整備や廃れてしまったルートの復活などをしっかりした環境で行なえるようにすることを目指した団体です。
 

設立は4月だったのですがいろいろ体制を整えるのに時間がかかり、この度、ようやく一般会員を募集する運びとなりました。ただし申し訳ありませんが、今の時点で還元できるものは何もなく、法的問題をクリアするのに時間を要することから活動の進展もなかなか目に見えてこないことが予想されます。それらを踏まえたうえで、ご賛同ご協力いただける方、ぜひ会員としてこの活動に参加してください。
 

時間はかかりますが、皆さまのご協力が、今のアルパインクライミングをより良い方向に進めていけると確信しております。
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■ アルパインvsフリー 

今まで日本の岩場の整備は、

 日本フリークライミング協会(JFA)

が全国をカバーする団体としては、やっていたわけですが、まぁ手が回りませんわな…。

ほとんど、

  一般クライマーが起こした迷惑行為の受付窓口、

みたいになってしまっていることが想像できる状態で、なんかトバッチリ。

■ 既得権なのか?罰ゲームなのか?

結局、開拓クライマーは、勝手に開拓を個人でやる。やったもん勝ち状態でした。

開拓クライマーとして有名になると、その人がやるのが当然っぽい気分がしてくる=既得権獲得。

ちゃんと岩場の使用許可を取っていれば、それもいいですよね。なにしろ、自然界を、誰かが独占したり、私物利用するのは、やっぱり変です。空気はみんなのものでしょう。

まぁ、開拓は大変なんで、既得権益というよりも、罰ゲーム的かもしれません。

無償の行為だし、作った後のルートは、ほかの人に登ってね、という好意でもあるので、ボルト代も高いんだから、ちょとは感謝してくれよ、と思っても仕方ないですね。

私は米澤さんとは少ししか登っていませんが、米澤さんは確実に許可を取った岩場しか開拓しないクライマーでした。大学の先生だし、社会的に失うものがある人、です。米澤さんと知り合ったのは、私が開拓してくれる人にボルトを提供したいと思ったためです。

■ 正統派とやんちゃ派?

どうも、昔からの由緒正しいアルパインクライマーというのは、高学歴エリートな方がた、なので、法的整備などはしっかりと踏まえてからやる、というきちんとした人たちだったのではないか?と思います。

そこら辺の伝統が、やんちゃを持ち味にする人たちに、時代が移っていくと…たぶん、大学山岳部の活躍の時代ではなく、社会人山岳部活躍の時代ということだと思うのですが…、てんでバラバラ、いい加減になったのでは? 土合駅で宴会さわぎするような文化体系の人たちは、反社というか、法?そんなもの、みたいな感性のような気がします…。そこらへんは想像です。

山にしても、命の扱いにしても、プライド中心でいい加減だし、流行語の”無敵の人”ではありませんが、社会的にも失うものがないというか…やったもん勝ち精神というか… 

山小屋とかで会う、さわやかな好青年というより、派遣労働村で会う、抑圧されたうっぷんがある人が、それを岩場で晴らす?みたいな??

まぁ、そんなのは、勝手な想像ですが。

■ 国立公園は国立公園のくくりで

アルパインのルートって、基本的に高山=〇〇アルプスみたいなところにあるので、国立公園内のれっきとした山岳アクティビティの一つです。

しかし、そんなルートを例えば、九州で言えば日向神と一緒くたにしたら、違うなーとなるでしょう…。

日向神は、ダムのそばの完全に下界のゲレンデ。町から離れてはいますが、山岳じゃないです。でも、日向神程度でも、自然公園くらいには指定されているかもしれません。九州の小川山って感じかなぁ。

福岡クライマーがゲレンデ使いしている岩場といえば、四阿屋ですが、四阿屋の岩場はもっと下界… こんな岩場で、あれを打ったらイケナイ、これを打ったらイケナイと、色々がたがた言われたら、もうほんと、外岩文化自体が無くなりそうですが…。 日和田の岩場って感じかなぁ。

まとめると

 1)国立公園内で一般登山者と山岳環境を共有しつつ登るアルパインルート 

 2)自然公園内等で、純粋にフリークライマーしか来ないCrag 小川山レベル

 3)同じく自然公園内等で、使い倒し系入門用岩場  下界の岩場

国立公園内のルートの整備などに、ローカルクライマーの会とか要らない。これらはもともと山なのですから。ローカルクライマーの会が必要なのは、2)とか3)とかです。

例えば、前穂北尾根にローカルクライマーが仮にいたとして、俺たちのルートだから、好きに整備させてもらうよ、って変でしょう…。岩場は国民全体のもの。

一方、小川山とか、ある程度、地権者も複雑で、地元への調整とか、経済的見返りとか必要そうですし…。やたらめったら、教育を受けていない適当なクライマーが、ボルト乱打したら嫌そうです。多少のランナウトがあるとしても、日本のヨセミテ的性格は維持したほうがいいような岩場ですし…。初登者の尊重もフリークライミングの文化の中で大事そうです。

逆に、小川山みたいな歴史ある岩場ではなく、最初からエイドで登られていたような、フェイス主体の日向神が、小川山で許容するような、フリーのランナウトを許容する必要は全くない…。ランナウトとかで地域の人に迷惑をかける方が、ちょっとな…みたいな立地です。市民クライマー憩いの場的存在です。

四阿屋なら、ボルト1本2本を打ち足すとか引くとかに、いちいち許可がどうこうって…。そもそもそんな価値がある岩場じゃないっていうか。そもそも、採石場後だし…。

山梨なら兜とか西湖の岩場がそうかもしれません。開拓クライマーにだって練習台は必要なので、好きにしてね、みたいな場です。アイゼンで登ったらダメとか、もういいじゃん、みたいな気がする場ですね。そもそも岩場に人工ホールドついているし(笑)。

と、岩場の個性って言うのがあるのですが、

 アクセス問題、

と言えば、まぁ全般です。

■ 前例を学ぶ

アメリカでは、全米アクセス問題を扱う専門団体がいます。

日本にはいない…。とても残念。

山での意味ある死…例えばマークアンドレの『アルピニスト』見ましたが、あれは、登山史のページを1ページ推し進めた死で、意味があったと思うのですが…

それと、栗城さんだっけ?単なる、勘違いクライマーの死が混同されてしまっています…。

こんなの日本だけでは…?エライ恥ずかしいことです。

私が思うには、アルパインクライミング教育が廃れてしまったことで、山登りの進化系としてのクライミング活動ではなく、単純にクライミングムーブを楽しむフリークライミングに移行したため、山に必要な体力やリスク認知力への知見が失われ、グレードだけを見て、”俺、ジムの壁で5.11登れるから、北岳バットレスには、もういける”とか勘違いしてしまうわけですが…。

■ 区別、が大事なのでは?

たぶん、フリークライミングはフリークライミングという分野で進化すべし、なのです。

別分野として、です。

フリーの進化という意味では、日本では、進化が止まっているようで、瑞牆の専用トポも出たことだし、専用トポの中に何を書いていくか?みたいなことからも、徐々に海外の各岩場のように、”終了点の管理化”は、避けられないと思います。

なにしろ、

 現代のフリークライミングって、ボルトルートを前提にした遊びに進化

してしまっているので、きちんと、TRADか?スポートか?の切り分けが、されていることが大事なように思います。

Tradの岩場なら無料でもいいけど、終了点や支点の整備されている岩場を無料にしたら、それは開拓クライマーの行為へのただ乗り=フリーライドです。

■ 海外より遅れているそうです…

日本のアルパインクライミングって、なんとモンゴルより遅れている、のだそうです。

とても残念です。

 




2022/08/08

セラピー的だったおかもん先生の訪問

■ 家族との関係

私は18歳で家を出たのですが、親元を巣立つときが来たことを、母をはじめとする、家族に理解されず、「家族を捨てた」と非難されました。長女だったので、初めてのことだったからです。また、取り立ての電話が学生寮にもかかってくるなどと、現実的にも家族から迷惑をこうむっていた、という事情があって、実家とは縁遠く、弟の急死の前、8年間ほど、弟には会っておらず、でした。
 
まさか、そんな早くに弟が亡くなるとは思っていなかったのです。死に顔の弟が、実家から出た後、最初に見たお顔でした。
 
つまり、実家との関係修復という課題解決を、プロクラスティネーション(後伸ばし)していたということです。
 
■ 後伸ばし
 
同じことで、恩師の村上講師が亡くなった時も、
 
何年も、「アルパインの危急時講習を開いたほうがいいのでは?」とずっと思っていた
 
のですが、開催の前に、村上さんは亡くなってしまった…。
 
(ただ、この件は、福岡は三福田ではないので、私が主催して差し上げることは、善ではなく、開催は無に帰すことが明白だろう、と今は分かる)
 
■ 年配者(母)への心配
 
最近は、米澤先生はじめ、母の年代の往年クライマーの衰退ぶりを目の当たりにすると…例えば、多少ぼけて、取り付きが見つけられないとか…などと、母の年齢が気になり始め、年配の人との接点でパニック気味… 祖母の時は80を越えてから対応したら遅すぎたからです。
 
ふいに
 
   このまま、母にも弟と同じことが起きるのだろうか?
 
と心配がもたげてしまうわけですね。
 
■ 女性との関係(妹)
 
女性との関係性では、妹(=私を親と勘違いしている人)との関係性のためか、相手ばかりが、一方的に話しまくるという、相談相手にされてしまうとか…もうね…。
 
(これは、相手の精神年齢の問題かもしれませんが。大体、女性はそのために苦手)
 
■ 投影
 
つまり、私は、父、弟、母、妹、と家族のメンバーの全員を、誰かに投影しているのではないか?と思います。
 
■ 罪滅ぼし
 
そして、必要のない罪滅ぼし…を必要のない相手に向けて行おうとしている!
 
そして、それに 便乗する、ちゃっかりした人がいる! 特にクライマー業界!
 
■ 成功ではなく過剰適応

私がこれまで、
 
 学校では、オール5の優等生
 進学では、親の金を使わず夜学で国立四大を卒業、
 米国では、働きながら自活生活して語学習得、
 社会人経験では、氷河期なのに、ロボット開発部から個人事業主へと自立
 登山では、普通の人は来ない雪の山へ
 あるいはクライミングでは、UIAAのアルパインサマーを出版する契機をつくる、
 
などで成し遂げてきたことは、
 
 成功と達成の歴史 ではなく
 
 過剰適応の歴史
 
かもしれません。
 
過剰適応して限界化し、それを周囲に理解されないため、”もっともっと”と望まれるということです。
 
 周囲に理解されない=アトピー、膝の怪我 

自分の行きたいところに、どこでもついて来てくれるビレイヤー=ドレイヤーになりたくて、
 
私は登っているわけではない。私が私の山を紡いでいたころは幸せでした…

俺に行きたいところには行くが、お前が行きたいところには行かない、となったら、全然幸せではない。
 
■ やむを得ない結末を受け入れる
 
おかもん先生とお話していると、自然と家族の話になり、先生の
 
 東大クラスの頭脳
 
で考えたとしても、家族と私の関係性の修復が、私だけの心的態度によるものではなく、ある意味、やむを得ない事情を抱えているのだと、全く利害関係のない先生の頭脳によっても解釈できたので、大変セラピューイックな機会になりました。
 
なんせ世の中に私自身より頭が良い人を見つけるのは、結構、難しいんです…なんせ、普通にしていても、中学までは、校内で1番か2番かみたいな成績しかとったことがなかった、ということは、500人に一人くらいの偏差値なわけですから… 熊本高校は、各中学のトップ1~2名しか来ない高校だし…大学は遊んで卒業できる大学ではなかったですし。

とはいえ、学力高い人は、心の発達のほうがおろそかな人が多いもの…おかもん先生ほどの人でないと、なかなか相談相手としては難しかったのです。

ほとんどの人が、わたしのほうが相談を受ける側になってしまう…
 
家族との関係に問題がある人は、自分をどこか嫌ってしまう心の傾向があるそうです。
 
さて、次はそこを調べてみなくては…
 

 

クライミングの意味…人間理解

■ クライミングの意味 

クライミングは総括すると、私にとって

   父がなぜ私たち兄弟3人を捨てたのか?

を理解する場となった。答えは、ただ単純に 少し先を考えていない、というだけだった。やったらやりっぱなし、かっこいいかどうかが行動原理で、リスク=安全管理や相手の生命より自分の短期的な欲求の解放が上、というのが、ごく単細胞なクライマーの行動原理なのだった…(汗)。 事実は、残酷だが、よく理解はできた。

従って、親子関係のラスボスの中では、父との関係を清算というか、消化する機会・時間、というのがクライミングの意味だ。

■ 自然農の意味

自然農は、クライミングに変わるステキな活動としてここ3年ほど取り組んだが、

 なぜ自然農の理念ではなく、川口由一という個人を崇拝することになるのか?

ということについて理解が進んだ。 

日本では儒教の影響が強く、キリスト教とは違う意味で、自己犠牲的な父母への報恩を義務化されている。

実際、自然な情として、女性には、他者をいたわりたいという本能が備わっており、それは20代の若い間に発現するが、その気持ちは、親となった時、子供の奴隷となって、子を中心とした生活を苦と捉えないために神が備えた能力、と思える。

その能力=母性に甘えようとする人は、男性女性を問わず、依存的な人、おかもん仏教説話で言うところの、我利我利亡者として、発現する。

つまり、

・精神的に自立が出来ていない人が子役となり、

・自分の身を顧みず、他者のニーズにこたえようという過剰適応を起こしている人が親役、

になり、共依存が出来上がるのだ。

この共依存の成り立ちが理解できたのが、自然農、だった。川口さんの代替え人物=指導者のいうことは丸のみ、という状況で、例えば、4時間炎天下で酷使されることも恍惚、とかそういう倒錯したことになってしまう。(健康に悪いと教えても、辞めない)

アルパインでも昭和の教え方の人たちは、そうだ。先輩の言うこと丸のみ。師匠の言うこと丸のみ。

共依存状態にある人は、この心的状態が快適すぎて、その依存から逃れることができない。

とくに依存する側。される側ではなく…。される側が共依存が終わるとき、去る側だ。

■ 縁の質の見極め

仏教では、人との縁は、コントロールできないもの、とされる。

分かりやすい事例は、子の巣立ち。子は親離れしても、親は子離れできないことが多い。

どんな関係でも、追いかけていく方が基本的には、メリットを享受している側だということが言えるだろうと思う。

クライミングでは、バディを組むので、その人間関係でどのような関係性か?というのが、クライミングライフの幸福の大部分を締める。

仮に、一度バディを組んだクライマーと縁に終わりがきた時、追いかけてくることがあれば、その関係は、相手にとってよりメリットが大きい関係だった、平たく言えば、50:50の関係ではなかったということが言えるだろう。

■ 縁は選ぶべし

縁というのは、選ぶべし、だと私は思う。選ぶ基準は自分が快適に感じたかどうか?ということによるべきだろう。認知行動療法によると。

今回は、おかもん先生の仏教説話講座を開くことができ、楽しかった。

 人生において大事なことは何だろうか?どのような過ごし方をするのが大事だろうか?

私は、無邪気に自然と戯れることが人間性の霊的な成長に強く関連があると思う。

なぜなら自然界の在り方というのは、無言の教えで、無言の教えというものは、前提から学ぶものであり、前提というのは、すなわち無意識のことであるからだ。

昨日、はバナナボートに乗って、非常に楽しかった。そういう無邪気な喜びを失ったことが、現代人が感情開放に疎くなり、自己破滅的手段に訴えることがある、ということにも、つながっているような気がする。

いうなれば、リストカットするくらいなら、バナナボートで絶叫しているほうがうんと健全だということだ。

クライミングも同じで、

・リストカットの試みに値するのが、大ランアウトであり、無謀なトライ(根子岳だの、ノーマットだの)であり、

・バナナボートで絶叫に相当するのが、きちんとしたクライミング

ってことだ。

ということで、クライミングに接することがなくても、同じ経験ができれば、私には

MTBでもバナナボートでも良い

ということの確認になった。

昨日は、一緒にバナナボートに乗ってくれた、ともこさん、先生、ありがとう!