2026/05/14

わたしの身に起こったこと。殺されかけてもそこから回復するのは被害者の側

私は、22年2月に鬱を発症して、4年かけて根本治療に取り組んで、ほぼ解消したところです。

殺されかけたことの怒りのエネルギーは4年かけて大きくなり、4年かけて解消しました。

私はロッククライミングで、相方に殺されかけたのです。それで、父親に水に落とされたトラウマを思い出すことになったのですが…。

それよりなにより、そもそも、起きていること自体、ロッククライミングで殺されかけるという体験そのものが、トラウマ化してもおかしくない異常な出来事(白亜スラブ)でした。

そして、私は、加害者を責めるという能力を欠落させて成長したアダルトチルドレンの逆転親子の子供側だったので(子は親が悪いことをしても、親を責める能力がない)、そのクライミングパートナーを適切に責めることができませんでした。というか、6年間ほど、知り合いの友達のクライマーがわざわざ私のいる福岡まで会いに来て、わたしの身に起こったことは、「トンデモ」だとトンデモ認定するまで、ぐるぐる思考していたのです。

(責めたい=感情)→(責めてはいけない=道徳、または知性)のぐるぐる状態です。

その友達のクライマーが来てくれたことで、「え?あいつは、このお友達のクライマーが超ダメな奴認定する、危険なクライマーだったのか…」と自分がクライマー社会でババ抜きのババクライマーを引いていたのだと自覚しました。その人は、ずっと周囲の人から、「○○で一番死に近い男」と呼ばれており、私はてっきり、茶化している、いぢっているということかと思っていたんです。違いました。避けるようにラベリングされていたんです。

クライミングで、相方の些細なチョンボで殺されかける、ということがどれくらいムカつくことか?と言いますと、2018年の10月18日に起きた事件を解消するのに2026年までかかっているのです。加害者の人はこのことを理解できないでしょう。

https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post.html

白亜スラブーーロープの長さも測れない君へクライマーブログallnevery.blogspot.com

またクライミングコミュニティの受け取り方も、「そいつを選んだ自己責任」とされるのですが、まるで騙されていたようなことで、自己責任って言われても…私の立場に立った人が、この人が、登りに行った先でこのようなミス(というかわざとやっている)をすることが予見できるかというとできない。

というので、自分で自分の裁判を行うように、自己対話を続け、それが決着がついたのがここ最近です。

マジ厄介な目に遭いました。私は元の性格がまじめなので、心理学でいうところの、良い形に昇華させようと「クライミングによる地域おこし」に取り組みました。相手を責めたくなかったからです。しかし、その試みは失敗に終わりました。相手を責めないことには、この怒りの感情をどうすることもできないからです。というのは、現実的に見て、本当に相手のほうが悪いから、です。

そうしたクライマー被害者に心の受け皿がないのがクライミングコミュニティで、「自己責任」の言葉が、加害者の保護になっています。被害者は、自業自得と言われてしまいます。これは心理学的に言えば、ガスライティングです。

クライミングでは、逆淘汰が働いて、自己責任だぜと相手に責任を押し付けることができた成功体験を貯めた人が集積しています。ので、結果的には、NPD(自己愛性パーソナリティ―障害)の人たちが残ることになり、そうなると、その人たちの間で「俺たちは間違っていないよなぁ」と強化されるわけなので、ますます、NPDの度合いは強くなります。

どうも、クライミングメッカである長野・山梨の日本フリークライミング協会の影響力から外れれば外れるほどその傾向にあるようで、もともと岩場資源が乏しかった関西から西は特にその傾向にあるようです。

というわけで、2018年に、赤ちゃんの時に水に落とされるという原始的なトラウマを思い出し、クライミングで殺されかけるという生トラウマを経験し、水トラウマのほうは最近克服しました。なんか、普通の人より上手に泳げるようになり、むしろ子供のころから泳いでる人並みに泳げるので、トラウマと向き合うというよりは、水を楽しむことを考える時期に入りました。

一方、生のトラウマ、NPDアビュースのほうは、しばらく先に再取組みかなぁという予兆です。

私は怒りの感情、赤ちゃんの時からの未完の感情が恐怖の感情だったらしく(そりゃそうだ、殺されかけているのだから)、そのトラウマを思い出してから、胃が消化をやめてしまい、悪性貧血になってしまったのです。クライマー時代フィットネススコアが82だったのに、現在は70と普通の人より、悪くなってしまいました。それを取り戻すのが今の取り組みです。

クライミングについては、もういいかな、という気持ちで一応ギアやトポは保管していますが、クライミングのベースになる安心できるビレイヤーが調達できない限り、取り組む気にはなれません。なんせ、山梨にいて山岳会に所属していたころから、人工壁でビレイしてもらっているのに、私を引っ張り落とすような人ばかりで、辟易しています。そうした人たちを避けて、マシな人を選んで殺されかけたのです。どんだけ、ナルシストホイホイなんだ?

その後も海外のクライマーなどから登ってくれという依頼が来ますが、話を聞いたら、ロープも持っていない。どうも、海外では、すでにあるクライミンググループに、混ぜてちょ、と言って混ぜてもらって登れるらしいのです。チャッカリしていますね。

私はというと、山→雪→沢→氷とフリークライミングに向けて育ってきた正統派ですので、そんなチャッカリした人に利用されてはたまらんって感じです。

今回は怒りのエネルギーを処理するのに、8年かかったって話でした。
なんらかの被害的な経験をした人は、嘆くエネルギー、怒りのエネルギー、などなどの感情のエネルギーを解消する方法を身に付けないと、そのエネルギーは自己に向きます。

自己に向いた怒りのエネルギーが鬱ですので、鬱になった方は、身体的な栄養以外にも、本来外に向くべき、自分の心のエネルギー(怒りではなくても、あるかもしれません)が、自分自身に向けられていないか、チェックしてみてください。

その際に、エネルギーを消化できる向け先としては、書く方法以外に運動があります。私は登山も良いのではないかと思います。

運動では身体にたまった感情エネルギーを発奮することができます。海外では枕をたたくということがごく普通に心理学でも効果を上げています。内省というよりは、発散させる、という方向性が必要です。

これは、自ら認めがたいことなのですが、理不尽な状況に置かれ続けた個人は、エネルギーバンパイアになります。もうものすごく不満がたまっているということです。私は口下手なので、それをブログでやっていましたが、書いても書いても書き切れない。描き切るのに8年かかりました。それだけ、殺される(可能性も含めて)ということは、人にとって大きな怒りになるということです。

現在イラン危機で、多くの民間人が殺されていますが、私は殺されかけただけでこんなに大変な目に遭ったのに、本当に殺されたり、腕や足が一本飛んだりしたら、さぞかし大きな憎しみの感情エネルギーが生まれたことでしょう。

日本は原爆を落とされていますが、その落とされた怒りのエネルギーはアメリカにぶつけることすらできず、行き先を失った感情エネルギーが、高度経済成長の原動力となったのかもしれませんね。

しかし、終戦80年、そのエネルギーが過去を振り返り、正しく時刻を導くためには、正しい付け替え先が必要とされているようです。

もうほんとに殺される、殺されかける、というのは巨大なエネルギーです。そのエネルギーの大きさを身をもって知った経験でした。