2019/06/27

思わぬ流れでクライミングで国際交流2度目

■ 急遽、日向神へ?!で焚火ナイト

昨日は面白い一日でした。こんな一日が過ごせたのは、転勤妻なる社会的地位のなせる技。感謝、感謝です。

ゲストハウスのオーナーS本さんとはメール交換していましたが、なかなかお会いする機会がないままでした。

なんと帰国途中の彼から電話があり、急遽、日向神へ行くことに…。

ゲストハウスで、来客者にクライミングを ”体験アクティビティ” として提供することで、クライミングのすそ野を広げたり、日本の地域と訪日客をつなげることで、国際理解を深めたりできるかもしれないからです。

行ったら焚火ナイト絶賛開催中でした(笑)。

■ あっさりOK

朝起きると、宿泊されていたドイツからのお客様、アリとカミーラのお二人に声がけ、クライミング行ってみる?と聞くと、あっさりOK。

さすが外人さん、ノリが軽い。日本人も最近は軽くなってきていますが、クライミングジムで、親子が多いので、私と同年代の人に声をかけると、「私なんて、とてもとても」とか言います。なんか違和感あるのは、私だけでしょうか。したくないなら、しなくていいけど、そうじゃない原因のような?

でも、私も14年ほど前にニュージーランドのウェリントンで、波止場にある巨大ウォールに「登ってみる?」と言われたときは、真っ青になった。

ので、まぁ、先入観や無知が原因と言うことなので、人のことは言えないのですが(笑)。

ドイツからのゲスト、カミーラとアリは、緑茶が大好き。ドイツでは緑茶が日本の価格の5倍だそうでした。

いや~びっくり。日本から、誰か個人輸出で、外国人にお茶を売ったらいいのではないでしょうか?

■ 国際交流第二弾は雨の中(笑)!

しっかし、福岡の渇水は大丈夫なんですかね?!とクライミングに行くたびに心配していましたが…やっときた梅雨の初日と重なるとは(笑)! 神様のイジワル?!

午後から雨と言う予報だったので、なんとか午前中だけクライミングするのに間に合わせたいと思っていましたが…

ゲストを急かせるわけにもいかず… 

到着は1時間遅れ…パートナーも、待ちくたびれてしまったでしょう…

スタートが遅かったのもありますが、リードしてみると、なんか岩がぬめってる!なに、これ?朝降ったのかな?

スラブを登るには最悪にコンディション悪い日でした(笑)。いや~、あってよかった登攀力。5.7でも滑る日は滑ります。

そいでもって、皆さんにトップロープで楽しんでいただくということになるのですが、楽しかったのかどうか?!

こんな雨の日に登る羽目になるとは!! あららー でも、これでビビりは抜群のハズ!

トップロープですから、ビビッて登るのがだいご味ですから、ある意味、ビビればビビるほど正解ともいえるわけで!

というので、しっとり濡れた岩を登る体験クライマー3人。

 さすが元自衛隊。上まで行けた~

上まで行った唯一の人?!
 外人さんは足長いことを確認(笑)なにこれ?!

体長の半分は、足では?!これでは、日本人がステミングで不利でも仕方ないですよね?

ワイドとか、絶対登り方違いそう… 

でも足の長さより手の長さのほうがクライミングでは
重要そうではありますが。
若者だけになぜか、教えていなくても出てくるムーブ。Youはいかにして、側体を覚えたのですか?な彼。

やっぱり

パワーがある人=正対引付
細身の人=ムーブ

という全体的な傾向があるような?!






■ 日向神 ほんだ の山菜丼

もうお昼には、岩はすっかり濡れて、回収に行ってくれたクライマーを見ていたら、普段は使わない、エライ易しいラインを伝っていました…(笑)

一体グレードどうなっていたんだ?!この5.7.

沢登りで出てくる感じ?

とはいえ、さすがの登りで回収してきてくれたんですが…悪いなー。

待たせたうえに本日最悪コンディションで登らせる羽目に…(笑)

というので、二人でランチに本田へ。私のおごりです。これくらいは。

ここの山菜丼は、地元のおばちゃんが、地元で採ったものを食べさせてくれるのだそうです。800円。かつ丼が650円だったので、クライマーはそっちに流れてしまいそうですが(笑)。

■ 山に興味を持たなくなる

おばちゃんたちの山菜エリアマップ知りたい(笑)。山に嵩じてくると、山菜ときのこの知識が増えます。あと釣りのポイント。

まぁそういうのを国土地理院の地図をもとにトレジャーハンティングのように探すのが、山やのたしなみの一つであるのです。

わらわら生えている山菜を見ると色めき立つ…というのは沢やだけかなぁ。

岩をすると、どうも傾向として、ムーブとか、パワーとかに意識が向きがちで、

 山自体を理解する

ということに目が向かなくなります。せめて、地元のおばちゃんがほとんど無償の労働で提供してくれている山の幸くらい味わいたいものですね。


試登を排除すべきか?

■ バイブル 

私は心理面で不安があると、バイブルに戻りたくなるようで、いつも、ギュリッヒの著作

『フリークライミング上達法』

を不安が起こるたびに読み返しています。もう何回目でしょう??? 今回もあっという間に読み終わった。

以下は引用と私のまとめです。以下はすべて同じグレードに取り付く場合に、スタイルの差で、初級者、上級者、エキスパートの3段階の発達段階があるということを述べたものです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー P17
1)トップロープで取りつく(5.10aの初級者)

この際、いつかリードで取りつくことを目標にする。未修得のムーブが洗練され、体に記憶される。これを繰り返してリードに至る。このスタイルは必ずしも理想的なものではない。 

2)いきなりリードで取りつく(5.10aの上級者)

ムーブの暗記(自動化)に頼らないで登る。当然墜落をすることがある。核心部では何回か落ちることがある。その場合、最終支点から、ムーブを練習し、下へ降りて、再度次のトライを行う。 (ヨーヨー作戦)

徐々に少ないヨーヨーの回数で登れるようになることが進歩の目安。

3)墜落しないで安全にゆとりを残して登攀。フラッシュができる。(5.10aのエキスパート)

ーーーーーーーーーーーー

つまり、
1)TR 段階の初級者
2)RP  段階の上級者
3)OS 段階のエキスパート

という3つのグレードが、同じ5.10aを登っているにしても、一人のクライマーの能力を表現するのに必要と言うことです。同じ5.11aを登っているクライマーの中にも実力の濃淡があります。5.12aでも同じです。

■ 実感

私はもうクライミング5年ですが、登っているグレードは変わりがありません。

しかし、中身には大きく進歩を感じます。5.9の重みに差があります(笑)。私は初心者時のスタートがこうでした。3つのグレード表現を使って表すと

1)初心者時点: OS4級、RP5.8 TR5.9
2)現在: OS5.9、RP 5.10a, TR5.11

つまり、5.9のエキスパートになるのに2年半かかりました。今は5.10aの上級者ではありますが、エキスパートではありません。どんなタイプの5.10aでも、滞りなく登れるようになることを目指しています。

■ トップロープなしの成長は可能か?

私の疑問は、上記の表の

 TR5.11 を 省略したほうがいいのかどうか?

ということでした。試登による暗記、つまり自動化に頼るクライミングと言うことです。

自動化はしかし、ジムでも同じ課題を繰り返し登ることは役立ちますので、自動化というのは避けるべきでなく、積極的に歓迎してよいと思います。

では、リスクはどうでしょうか?

つまり、太郎5.10dのような一度でも落ちると怪我をする可能性の大きな、危険な課題にTRを排除して取り付くべきか?ということです。

これは、クライマーが選択する選択肢であると思いますが、私の答えはNoです。

■ リスクを取る場面を選ぶ

というのは、リスクを能動的に取る、つまり、いざというときに取っておく、のが良い事のように思われるからです。

太郎の価値は、アプローチ徒歩ゼロ分と言うような気軽な環境で、一度トップロープで触って、核心の前にプロテクションが取れないシーンで、自分はどれくらいまでギリギリに迫っても大丈夫なのか?ということを確認するためにあるでしょう。

そういう経験値が、アルパインの本番の舞台で、どれくらいリスクを取ってもいいか?という合理的判断の根拠となるからです。

フリーでは、アルパインにおいて判断の根拠となるデータを比較的安全に貯める、ということだと思います。





2019/06/25

リードで取りついていい課題vsいけない課題

■ トップロープなしでの成長は理想論だが…

リードで取りついていい課題(シンシア11)とリードで取りついてはいけない課題(太郎10d)

の見極めが非常に難しいことが、理想論的な成長戦略…リードだけで成長する&トップロープ状態を排除する…を実行する難しさにつながっている。

■ アドバイスを真に受けた結果を実験しました!!!

フリークライマーで強い人は、1本目掛けれるなら全部リードでいいと言っていました。

ので、そうかーと素直に思い、実践していました♪ の結果、墜落をキャッチしてもらえず、頭を7針縫うことになりました!

山では素直さは禁物です(笑)。まぁ、頭だったので次の日から登っていましたが。

■ リードに適した課題を見極める

実際は、

1)核心前にボルトがない課題
2)1ピン目と2ピン目の距離が遠い課題 (2ピン目の配置はキモです)
3)落ちると振られて岩に激突する課題
4)下の木に激突する課題
5)ビレイヤーの理解不足がある場合

などの色々な問題があるので、理想論通りにトップロープを排除して成長するのは、とても難しいです。

他にもケースがあるかもしれませんので、分かる方がいらっしゃいましたらご教示ください。

■ 1に安全、2に効率の良い成長

これは、安全の面からトップロープも必要がある、ということですが、よりベターな成長にも必要です。

強つよで著名な会の先輩もリードしかしない主義でした。が11止まりでした。13登れるクライマーが、〇さんもトップロープを受け入れてくれれば、成長の余地があるのに…とつぶやいていました。

このセリフから、ある程度から上はトップロープを受け入れないと成長できないのかも?と想像しました。

ムーブ解決がどんどんシビアになってくるのかもです。

体格やパワーで劣る場合、この男性が5.11から5.12へのステップアップで直面する困難に5.10から5.11へのステップアップで直面するケースがあったり、さらに弱い場合は、5.9から5.10へのステップアップで直面するケースがあるのではないか?と思います。

私が指導した後輩たちは、5.6でも敗退の人が多かったので…。

グレードは違っても、直面している困難は、

・登りこみが課題
・パワーが課題

と、それぞれのレベルが違っても同じ内容で苦しんでいるのではないか?と思います。

■ エイドルートなら簡単か

昔の人はエイドしていたところを現代はフリーで登ります。

エイドしていたところ=ボルト間隔短い、と当然なります。大体、手が届く範囲にしかボルト打てないからです。

じゃエイドルートなら、誰でもランナウトの危険がなく登れるか?と言うと、これも違います。

あの遠藤由香さんが昔の雑誌でエイドルートに挑み、なんとショルダーされてヌンチャクかけていました(笑)。背が低いと登攀力があっても、ショルダーなんだーと理解。

と言う具合に、いちいちケースバイケース

■ ケースバイケースだと説明がめんどくさい

ケースバイケースだと説明がめんどくさいので、安全とは何か?安全に成長するにはどうしたらいいか?を誰も詳しくは語ってはくれません。

自らケースを収集して、自分で原則を見出すしかない、というのが実際です。

それには、雑誌はダメです。クライマーの本を読む方がいいです。

■ 師匠がいてもダメ

師匠がいてもダメです。なぜなら、師匠が分かっているのは、師匠本人にとっての安全だけだからです。

個々人がため込んでいるのは、

 ”自分にとっての”安全な登り方

で、ユニバーサルな安全は網羅していないのです。

■ 笑える事例

ちなみに、私は初期のころ強い男子と登っていたので、

”迷ったらハードプッシュ”

と教わりました。ので、最初のころはデッドばっかりしていました。デッドするような人にはリードはさせられない…。

そんなことは初心者には分からないので、「え~、なんで私にはリードさせてくれないんだろう?」なんて、寝ぼけたことを考えていました(笑)。

「この人、ちょ~こえー」と思われていたはずです(笑)。知らぬは本人ばかりなり。

私もデッドばかりする人にはリードさせないです。分かっていないこと満点なので。

トップロープで11が登れる人なら、5.9は落ちないで登れるはずなので、そのグレードまで下げるという条件でなら、リード許可します(笑)。

■ リード登り=落ちない登り

今ではリード登りが慎重になりすぎて、下のビレイヤーが、退屈しているのが伝わってきます(笑)。

「100%落ちない登りを少し緩めないといけないよ」と先輩に教えてもらっています…が、落とされて頭塗った反動&肉離れの反動で、超慎重すぎるクライマーに。

アルパインでは落ちたら死ぬけど、フリーじゃ死なないです。

そこんとこが体感できていない… いや~ あの頃の自分に戻りたいです。


2019/06/24

太郎登らなくて良かったね(笑)

これは信頼している方からのコメント

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「太郎」、登らなくて良かったね。2ピン目の先の核心をとりそこねると、大きく右に振られます。そこをしっかり理解して登るべきです。このルートは5.11がしっかり登れるようになってからにしてください。僕も核心で落ちることがあります。
ーーーーーーーーーーーーーー

いや~、そうしたら、グレードは5.11でいいのでは?くらいな気がしてしまいましたが(笑)。

これはリスクというのでしょうか?それとも、なんか理解の問題なのかなぁ…

■ 四郎も

四郎も四郎でリードは危なさそうだと思うんですよね・・・ 5.9だけど。

リードすることとオンサイトの哲学を強調されているので、これに取り付くように言われそうで嫌だなぁと思っている課題です‥‥

というのは、みるからに岩へのセンスが必要そうな課題だからです。分かっている人には簡単で、分かっていない人には難しそうという…

先週、九大生男子が敗退していました。見るからにビビっていて、こっちにも恐怖が移りそうなクライミングでした。

そういえば、小川山の入学試験もそうだったな。あと笹倉さんが講師をしていたカサブランカも・・・

私はカサブランカは今年はマスターでリードしたいですが、機会がないだろうなぁ…

あ、話がそれましたが、リードで取りつくには、それなりのルートを見る目、選別眼、識別眼が要りますが、その目だけでなく、オンサイト至上主義については、それに適した体格というのも必要そうな気がいます。

ラオスでは、別に頼んでいなくても、全部オンサイトなんですよね。オンサイト以外ないくらいです。私は落ちるの嫌いなクライマーなので。

やはりクライミングで楽しさを積み上げていくには、丁寧な課題の選び方、面白さをつなげていくルート選択の妙、というのが必要な気がしますね。

そこで、やはり育てられた人も、気が付かないで、師匠の作品、となっているのかもしれません。

成長も、そのプロセスでの楽しさ喜びも、指導者次第という現実があるのかもです。

課題を見極める目

■ トップロープからリードへ

昨日は色々と考えさせられたクライミングだった。

昨日はトップロープで遊んで、ムーブが楽しく落ちて、良かったが、まぁこれだけだと、強くはならないだろうし、なぜか知らないが、

 切羽詰まるとムーブが出てくる

ので、リラックスとムーブの発揮力は別物だと思った。

ちなみに、パワーは、切羽詰まっても出てこない(笑)。回数を重ねれば重ねるだけ、私は瞬発的なパワーを失うので、パワーと言うのは私の持ち味ではないことは確実だ。

このことは、アップで被りをやりたい青ちゃんとのクライミングでも明らかで、私はアップで一本でもかぶりをやると、その後は1時間以上回復しないのだった(笑)。

■ ピンの配置について知見を深め中

一方、リードで取りつこうとした道端エリアの太郎5.10cは、グレード改定されて、5.10dだった。

リードで取りついて、登ってみようかなと思ったんだが、心優しい先輩が、未然に危険を察知して、身代わりクライミングしてくれた。毒見クライミングだ。かたじけないなぁ。

普段12登って、この日に別の11を落としてきた彼のルートを見る目のほうがやはり私の目より正確なようだ。

ちょっと私には難しいのでは?と思ってくれたため、毒見で登ってくれ、2ピン目と3ピン目で、降りてきた…「これ、怖いよ」。

結局、私がリードするのは、ちょっと危険(核心前で大きく落ちる可能性が大きい)が大きそうだった。落ちても確実にグランドしない、壁のどこにも当たらないと分かっている課題なら、11でも落ちて平気なのだが…。

クライミングでの怪我は、確実に後退につながる。

足の肉離れで2か月クライミングできなかっただけで、だいぶ筋力が落ちたなと思う。グランドして頭を塗ったことがあるが翌日から登れた。

足や手首、指の怪我は、だいぶ後退要因になる…ので、ただ落ちても死なないだろうというだけでなく、落ちたときどこをぶつけるのか?ということもある。ボルダーは足首をやる人が多く、足首の捻挫を悪化させて半年登れなかった人も知っている…

落ちることを怖がっていない彼でも、この課題は最初はリスクを感じて降りてきたので、怪我の回復クライミングしている人には向かないと思われた…

やはり、課題を見極める目ということが私にとってボトルネックと言うことだ。

■ レイバック

が、シンシアでできなかった核心をトップロープで再登してムーブを探ったが、私が確実感を感じるムーブとしては、レイバックしか出てこない。

ので、これではリードにはつながって行かない。レイバックだと、プロテクションを掛けれないのだ。ここはほとんどの人は立てカチか、アンダーでもって解決している個所だが、現在、保持力が下がっていて、レイバックで傾斜を殺さないと持てない…

というので、残念に感じて降りてきた。

■ 固執せず

前の先輩は、トップロープはしないと固執するあまり、登れるグレードが11マックスになっていた。しかし、トップロープしかしない、させないだと、クライマーはリスクの取り方を覚えられない。

適切な成長には、クライミングの質、内容というものがとても大事なのだ。

それを競い合うのが、クライマーのコーチング、なのかもしれない。

私は伝統的なアルパインの育てられ方をしたので、自分の後輩にもそうしているが、過去の自分と同時期の人に過去の自分がさせられたことをさせても、反応はイマイチだ。登れません。

2度目から三つ峠リードさせれる人はいない。初めてのゲレンデでリードさせれる人もいない。ので、新たな新人さん育成の方法がないと、リード人口は減るだろうが、だからと言って、万年トップロープだとクライミングの喜びを得損ねると思う。

というので、何ができたたら何をさせていいいのかという目安が大事になる。

私はリードへ進むには、

・落ちることが察知できる、
・落ちる!と声を出す、

と教わったが、今回の太郎5.10dを見ている限り、

 ・ルートを見て、リスクを判断できる、

も入れたほうがいいかなと思った。

■ リスクの幅

シンシアと太郎では、リスクの幅がだいぶ違うと思った。大事なのは、グレードではなくリスクの幅を重視して、少しづつリスクを拡げて行く登り方だ。

例えば、その隣の5.10Aの一郎は、たかだか5.10Aにすぎないが、私の背で持てるところ、弱点を突いてリードするとヌンチャクが遠くなって落ちると振られるため、あまりリードして楽しい課題という訳ではなさそうだった。ビレイヤーのスキルが重要になる課題だ。

トポにある、グレードだけでは、リスクの幅が読み取れない、ということが課題を選択する際の大きな問題になっているのが日本の岩場だ。

ラオスではそこは問題になっていない。ので、クライマーは自由に自分に適したグレードと言うだけで登っていくこともできる。

しかし、トポにそれだけの情報記載を求めるのは酷だし、リスクの幅は個々人の体格や力量にもよるので、様々だ。

タイでは、開拓者には、

 そのグレードを限界グレードとする者のためにボルトを打つ

というルールが課せられているが、日本では課せられていない。

■ 開拓の様子

しかし、無償労働で、自腹でボルトを打ってくれている開拓者に、義務まで持たせられるかと言うと難しいと思う。

何しろ、開拓者本人は、ラッペルでの開拓となると、自分が作ったアンカーも、中間支点も当人は使わない。少なくとも米澤さんはそうだ。

当人はオンサイトなどありえず、自動化するまで登りこんでしまうのが通常だからだ。

このように本人には利益がない状況でもボルトを打ってくれているのは、栄誉と言う面があるからだと思われるが、逆に適正ボルトでない場合、栄誉だけを得て、責任を果たしていない、と言うことも言えるわけだ。

まぁ、自分がボルトを打った課題で、死者が出たら、楽しいとは言えない経験であろうと思う。

■ ガバ=支点

一般に開拓時にボルト数を減らしたいという力学が働くため、ガバホールドは、支点を飛ばすことになっていることが多い。

しかし、ガバにも質が色々あり、100人のクライマーがいて90人がガバと感じるガバもあれば、50人くらいしかガバに相当しないようなガバもある。

人工壁を考えれば一目瞭然だが、ガバ=クリッピングポイント、つまり、安定体制でクリップに最適なのがガバとなっており、ガバに対する哲学、姿勢が、人工壁と外岩では全く逆ということになっている。

ので、ガバが多い課題=落ちないからランナウト、となり、やはりここでも、易しい課題ほど危険課題となる傾向が強くなってしまうということになる。

易しい課題をこなさなければ、当然だが難しい課題はこなせるようにならない。

■ 人工壁と海外

というわけで、ビギナーにとってはいばらの道であるわけだが、

 日本ではインドアクライミング

が、安全で易しいクライミングを担っていると思われ、最も危険が大きいのは、インドアでホールドが明らかなクライミングから、ホールドを探らないとならない、アウトドアへの移行時だと思われる。

これを安全に過ごす策として、トップロープでの慣れが図られているわけだが、これに

 海外登攀

を加えることで、外岩での経験値を高めることができると思う。私は年齢が高い段階で始めたので、海外での登攀は数回以上のレベルで必要そうだ。

海外では易しいレベルでも適切なボルトを打ってあるため、安心して成長ができる。

平山ユージさんや鈴木英貴さんも世界の岩場育ち…世界には5.2なんて日本で見たこともないグレードからあるそうですが…

実際に龍洞での看板ルートの一つは、5.4です。これで登れない人いないレベル。

三倉の5.9で(実際は5.10bくらいある)で、50cmおきにカムを入れる私でもランナウトレベルのクラックです。

というので、日本の外岩事情を見る限り、

 ・上手にならないと楽しくない
 ・もはやインドアジムでのトレーニングは不可欠レベル

というのは言えることではないか?と思います。

■ 新原課題

しかし、あとで、怖かった太郎を見たら、新原さんの課題でした。やはり、今の時点での私には向かない。

私のメンタル課題は、怖さに立ち向かっても改善はしないからです。ただ精神的によれるだけで、メンタルパワーがただ枯渇します。

一方、楽しく登って帰ってきたラオスの後は皆が目を見張るアイスを披露したらしいので、まぁ私にとって最適なのは、楽しめるということでしょう。

出てくる脳内物質をエンドルフィンにしてアドレナリンではないことが大事かも。





2019/06/23

スポーツの岩場vsアルパインの岩場

■ リードクライマーが育たないことは結果

日本では、ボルダリングジム人口は増えて、外岩リードするクライマーが増えないが、それが、どういうことか?と色々考えてみる。

年配の人と若い世代のクライマーの隔絶とか、若い人が来なくなってしまっていること(高齢化)は、問題と見なされるが…は、スポーツクライミングの岩場にアルパインクライミングの概念を持ち込んだことが原因なのかなぁと思う。

スポーツクライミングはスポーツクライミングの理念があり、アルパインはアルパインの理念がある。

のだが、アプローチゼロ分のスポーツクライミング的なゲレンデで、アルパインの理念を持ち込むと、スポーツクライミングと思ってやってきた人たちから見ると、おかしなことが起きてしまう。

私はアルパイン向けの練習のゲレンデ、三つ峠で岩デビューなので、当然ながら、ものすごいランナウトした岩場で、落ちるとは全く想像だにせず、2度目からリードしているんだが、その感覚がアルパインでノーマルだとすると、フリーやスポーツクライミングのもつ不確実性は、まあ、桁違いである。

要するに話にならないレベル。アルパインの落ちる可能性、クライミングを始めたばかりの人、つまり素養のない人でも限りなく0%。

スポーツだと50%くらいで落ちそう。フリーでも40%くらい落ちそう。

しかも、練習するときは、限りなく、これが100%落ちると感じるまで、やるって話(汗)。

しかし、アルパインでは落ちない前提。ということで、まぁランナウトはしたとしても、特に問題視されない(のは、まぁいいのではないかと思う。日向神の東稜でボルト打ったら、何が楽しいのかって話になるでしょう)

というので、人工壁の墜落係数0.3とは別の基準で、スポーツクライミングの外岩の安全性が設計されているのは、悪い事でもないし、歴史的経緯からアルパインの岩場とスポーツの岩場が混在してしまうのも、仕方がない事と言える。

という事情を理解できるか?ということが、ハードルになって、若い人は外岩リードはデビューしづらい。

■ 基準が標準体型にあること

また、この安全性の基準がどこにあるか?というと、標準体型にあることは確実だ。

他人が設置したカムは、同じスタンスに立つと、私には手が届かないため、ちっとも安全を増やしてくれないのと同じになる。

その辺の事情は、一般的な人には理解が不能であり、ルートセッティングをするようにならないと、理解が難しいのだろうと思う。

ルートセッティングを行うまで、クライミング自体への理解が深まる人は、かなり少ないと思われ、そうならない限りは、核心の前ではなく、後にボルトを打ってしまう、というのは、たぶん仕方がないことのようだ。

その人にとっては核心を超えるまで、プロテクションについて考えるゆとりがないということなのだろうと。

というのは、私も危ないとは分かっていても、ギリギリになると、ヌンチャクをかけるゆとりがなく、飛ばして登って、後から賭けることをすでに何度か、やらかしているから(笑)。

つまり、安全を優先するほうがただ登るより、腕力もいるし、レスト体制の確立もいるし、難しい。

これはアイスクライミングも同じだ。だだ登るより、プロテクションを打ちながら、のほうが難しい。ので、リードの負担は重い。練習であるトップロープとリードの負担の差はかなり激しい。

ということで、結局妥協としては、背が低い人やリーチが短い人が安全に登るには、長ーいヌンチャクを伸ばしてクリップするということになる。さらにボルトを打ち足すという選択肢はないわけなので。

■ 新時代の岩場?

一旦、全部のボルトを引き抜いて、最初から適正な設置ができる誰かに再設定してもらったらいいのか?

そんなことをしたら、現代のトップクライマーは5.14を登るので、トップクライマーのグレードが、5.12だった時代に打たれ、5.7でのランナウトで済んでいる現状より悪化し、5.11で巨大ランナウト、ということになってしまうかもしれない。

そうなったら、ますます取りつける人は減ってしまう。今11台を登っている人は、とりあえず取りつけない。

誰でも年を取り弱くなると大体10台後半ぐらいが快適グレードとなるが、ランナウトしてしまえば、そうしたグレードですら、トップロープしか登れなくなり、トップロープだと、クライミングの重要なスパイスであるスリルが楽しめない。

スリルが楽しめないと、ムーブが出てこないということになっている。と、トップロープで登るということは要するに、ツマンないということになる。

現状でも、人工壁で、ある程度素養を作った人しか、岩場には取りつけない、登れないようなことになっているが、だとしても、トップロープにすれば誰でも登れるわけだし、初心者の場合はトップロープもリードも違いは分からず、どっちにしても怖いということになっているので、まぁ5.7でランナウトしても、結論的には誰も困らない。その程度でのグレードでのランナウトで済んで良かった、ということになっていると思います。

5.11でランナウトし始めたら、悲惨です。

■ セーフクライミング

しかし、海外での(と言っても、3つしか知りませんが)流れから、日本だけが確実に取り残されていそうな感があるクライミング界…

アレックス・オノルド君は世界中で一番尊敬を集めているクライマーですが、そのアレックス君ですら、石灰岩のスポーツクライミングでリスクを冒すより、そういうリスクは本当に必要な時にとっておく、と話していますが…

その本当に必要な時、というのは、たぶん、パタゴニアでの全山縦走とか、そういうので、間違っても、アプローチゼロ分の山ではないと思います。車で降りてすぐ岩場というのが、本番であるはずがない。

日本であれば、すくなくとも、前穂北尾根くらいは。前穂北尾根は6時間のアプローチですので、それが厳しいとなれば、1時間でも。

結局のところ、困難度で、余り困難がないということの困難の中には、歩きがプラスされるという要素が現代は限りなく欠如して、それは、クライマーの高齢化により歩けなくなってきているということが後押ししていると思われます。

そこを踏みとどまって、

 歩けて登れるクライマー

というのは、限りなく希少価値になっています。歩ける=若さ だからです。

■ 弱さを受け入れているのか?

確実に言えることは、日本一厳しいクライミングの倫理観を保っている小川山よりは、九州のスポーツクライミングの岩場のほうが、初心者にフレンドリーと言うことです。

小川山はなかなか厳しい基準を持っている岩場です。5.9でも1ピン目取る前に、5.10cのムーブが出てくるなど普通です。

そうした厳しい岩場では、日本のクライミングの基準を向上する、厳しいクライミングが行われて良いと思いますし、一方ですべてがその基準に合わせると、まぁ時間の経過で登れる人は誰もいなくなることは確実であるので、ある程度基準を下げた岩場も必要です。

特に初心者には一歩間違えれば死というルートは適していませんが、5.15登るあなたには適しているでしょう。

ので、結局のところ、今ある現実はすべて正しいということになっているかと。

2019/06/22

Tonyが気づかせてくれたこと

■ 窮地を救ってくれた

トニーとは、ラオスで会いました。トニーとの出会いは、なんか、これまでの人生をひっくり返すような出会いでした。

というのは、トニーの態度が、「この人をこの悲惨な状況から救ってやらねば!」という正義感に満ちたものだったからです…

私は、国際山岳ガイドの方とパートナーを組んで、ラオスに初めての海外登攀で行っていました。当然ですが、ガイド料などは払いません。払うなら行かないからです(笑)。

ですので、その方からすれば、言葉に出さなくても「国際ガイドの俺と組むんだからありがたいと思え」という態度になることは、もしかしたら仕方がないのですが…。私だってそう考えるかもしれません。ガイドになるのはとても難しい事なので。

その方とのクライミングでは、私は一方的に押し付けられる側でしたので、それを見たトニーが駆けつけてくれた、のです(笑)。

トニーは日本に6年住んだ直後の帰国の途中でラオスに立ち寄ったクライマーだったので、日本の事情も分かっていた、と言うのがあったんですね。

■ 変だとも気が付いていなかった

上下関係で登る… まぁ男性を立てる、というようなことですが、日本では普通のこのことも、海外では、非常にいびつな関係性です。

トニーが私を”救いに”くるまでは、私もこれが変とは気が付いていなかったんですよね。

ただ、ただ、渋ーい顔をしながら、付き合って登っていました(笑)。

というのは、日本の会社生活で、軍隊式の指揮命令系統に慣れていたからです。縦社会と言うやつですね。

ただ、西洋諸国では、日本式の縦社会は稀になってきていますし、ましてや、趣味の世界で、わざわざ縦社会の窮屈な世界に身を置くことは、考えにくいです。

誰も嫌なことはやらない。当然です。余暇の世界なので。

■ 支配を受けやすい性格なのか?

私自身はこうしたコントロールを受けやすい性格であるということに、どっぷり浸っていたためか、全く気が付いていませんでした。

それがとにかくショックでした。トニーからみたら私は、いじめに会っているように見えているのに、そのこと自体に私自身が気が付いていなかった…。

私はただ、目下の者として、礼儀正しくしていただけでした。日本の礼儀、世界の虐待。

かなり、トホホな状況ですね?

というので、この事件からは、個人的なメンタルの弱さ克服の課題として、クライミングのパートナーシップ問題を捉えるようになりました。

■ パートナーシップ 

私は見た目にも、はっきりモノを言いそうですし、実際、そのとおりで言いますし、なんで、そういうタイプの人が、「俺についてこい」タイプ?の思いやりのない人を惹きつけてしまうのか?そこのところが私にとっては謎ですが…。

ラオスでのパートナーシップは、こんな感じでした…。

あるとき、パートナーが、人気のない遠いエリアに行きたいと言ったのです。それで行くことになったのですが、アプローチが双方、分からない上に、迷いに迷って、獣道みたいになり、トレイルは、すでに3級は終わって4級の登攀みたいになってきてしまいました…。登るの簡単だけど、帰りが…系です。

私は靴がクロックスだったので、これはこれ以上進むと危険だと思い、パートナーに声をかけると…「私の靴は大丈夫です」。こんな思いやりのない言葉、ありますか?

それで私は危険を顧みないでついて行くか、そこで待つか、一人で下るか、しか選択肢がないわけです。しばらく待って、その道が正しいとは分からないわけだし、帰るよ!と叫んで一人で帰りました。私がコケて死んで、パートナーは、責任、取れます?取れないですよね?

岩場では「あれ?一人でどうしちゃったの?」とほかのクライマー。外人です、当然。

声をかけてくれるのは、一人では登れないのがクライマーの常識だからです。

結局、行こうとした岩場は見つからずパートナーは帰ってきたのですが、その頃には私は別のグループに混ぜてもらって、楽しくクライミングしていました。

その見つからなかった岩場、なんで、その人が行きたいと思ったか?というと、たぶん、自分のためではなく、私に適した岩場を探していたと思うんですよね。なにしろ、6Bが登れる人でしたが、その岩場は5cばかりだったので。私に良かれと思ったんではないか?と。

だとすると、”ああ、すれ違い”ですが。それでも、やはり、

 意図と行動がずれている、

と言うことは言えるだろうと思います。

このパートナーの行動は、一種のメンタル不全に見えますが、日本の男性には多い行動の現象のような気がします…どうでしょうか?

相手にプレゼントと思って全然ありがたくないプレゼントを渡す、ということになっているって、あるあるなのでは?

でも、大事なのは、意図、とターパさんには倣いました。チベット僧侶です。ので、意図ということからすると、悪い人とは思えません。

■ 私の落ち度なのか?

というわけで、このパートナーはとっても気難しく、私は大変だったのです。

私は現地集合で落ち合っているし、ビレイも確実だし、「あーあ、なんで俺が面倒見てやらなきゃいけないんだよ」的なパートナーであったことは、ほとんどないハズです。

大体、先輩には、

「1から10まで言わなくていいので楽」

と言われています。

大体、私自身、岩場で現地集合で済ませられる後輩には、今まで会ったことないですし。国内岩場ですら、です。

もし私が師匠に、現地でランデブーという同じ提案したら、たぶん、師匠は怒りで赤くなるでしょう。クライマーの常識の中で、アプローチを折半というのもあるからです。

しかし、昨今はこの考えは崩れてきつつあり、アプローチを共有して交通費安く上げようというのは薄れてきていますが。

私が言いたいことは、私がお荷物パートナーである、というのは、考えにくいということです。自立度合いは相当高いハズです。

お荷物でないのに、なんで虐げられる扱いを受けるのかなぁ…というのが、私にとってぜひとも解決したい謎になっています。

何度も何度も起こることなので。私にとって、これは、何か、私の側のメンタルに問題がある、と言う話なのでは?

となっているのです。

■ 海外の仲間と登れば楽でした

ということで、日本でパートナーシップを組むと、支配と非支配の関係にどうしても陥ってしまいがちで、楽しく登るのが難しいのですが…

そういうことが起こらないのが海外でした。いたって普通。私は普通に、いい人で通ります。

うーん… 

なんで日本ではうまく行かないのか?私を育んだのは日本社会じゃないのか?

ってな具合に私の疑問は堂々巡りを始めるわけですが…

何が悪いのか?私以外の人からは、結構明らかだったりすることではないのか?と思ったりしているんですが、違うんですかね?

誰か分かる人教えてください。

■ プライド

こう言っては何ですが、43歳から始めたクライミングですが、たぶん、普通の人と同じレベルで打ち込めば(現在は全然、打ち込んでいません)、5.11はもちろんのこと、もしかしたら、5.12までは行けるんじゃないかしら?とは、私本人は思うのですが…。(いや、違うかもですが。まぁ11までは、見えてきているでしょう)

そうなると、私の脳がサーチを始めるのですが、そうなった場合、もう登れなくなった往年のクライマーのプライドは、どうなってしまうんですかね?

それが怖くて、なんか打ち込む気になれない…というのが、一つの心理的抑制要因にありますが。

■ 自分軸で

これは他人軸なので、自分軸で考えると、私はそんなにクライミングが急速に上達しなくても構わないというか… まだ先は長いしなぁ見たいな感じ。

一つのグレードで、色々なタイプの登りになれるほうが重要です。そもそも、ド根性系、体育会系苦手だし…。めっちゃ文系ですし。プライドかけていないし。

ただ、頑張ればできることだったら、頑張らないのはもったいないな、って思うだけです。

それが頑張るとしたら、頑張る理由です。なにしろ、アイスでは、周囲の人が目を見張るくらい登れるようになったので、もしかしたら、岩もそうなるのかもしれない?と(笑)

まぁアイスと岩は違い、指力が課題なので、私の才能が岩登りにあるか?というとないかもですが…。

とはいえ、この近隣の才能をすべて探索しつくしたか?というと違うかもというのが、とりあえず、続けている理由です。

■ 誰が楽しいのか? 

当然ですが、クライミングは、趣味であり、余暇であるので、

 楽しく過ごしたい、

というのが誰にとってもトップNo1の心理ニーズであるのではないか?と思いますが…

上下関係、主従関係で登って楽しい人って誰?それ、命令する人だけでは?

というので、旧来の日本型システムは、勝ち組が一方的に目上の人だけで、そのシステムだと下の人はずっと楽しくないです。山ヤのMな気質がそれを支えていると思いますが。

男性同士で、「○○さんの××はすごい」と、うんと上手な方が下の人を褒めていたりしますが、それって本心なのかなぁと思ったりします。女性の私の目には、きもーい、と映ること必至。

これまでは、情報の非対称性と言って、先輩だけが情報を持っていたので、初心者には何が分からないのか分からないという状況だったために、この関係性が温存されていたんだと思います。

現代の情報革命が、既得権を壊している、ということなのかな?

■ 楽しくなかったら来ない

新人さんが山岳会に来なくなって久しいと言いますが、単純に楽しくないから、ではないかと思います。

ビレイは、登りたいと思ったら必須の技術で、ビレイができないと誰も登ってくれませんから、心から登りたい人は必死で習得するものですので、そうなってから教えれば、教えられた人が、教えてくれた人に感謝しない現象は、消えてなくなると思います。

今の場合だと、ビレイ技術を授けてやるから、俺のビレイ頼むね、専属ビレイヤーね、みたいなことになっており、従属関係が激しいです。

従属ならいいけど、隷属みたいになってしまう人もいます。私がヨガの仕事、日曜に入れたら、怒って電話をかけてきた人がいました。「何か僕に謝ることがない?」です。私は何の心当たりもなかったのですが。

私のラオスのパートナーも、パートナーを先に大事にしなかったのは、本人なのに、私がほかのクライマーと登ったと言って、怒っちゃって、2度と口をきかん、みたいな感じでした。

それでもなぜか帰りの飛行機は一緒に行動したがって当惑でした…。

来るとき一人で来たんだから、私に彼が必要でないのは明らかだと思いますが、彼には私が必要だったのかもしれません。

個人的に海外では、男性といるとぼられる率が上がるので、どちらかというと女性の一人旅のほうが話が楽です…特に文明国で、暴漢の危険がない国では。

男性がいてくれると女性は心強いですが、それは暴漢に襲われるリスクが減るからで、逆に暴漢を惹きつけてしまいそうな人だと…。

それに男性がいると、その人がいるから大丈夫だろうと周囲の人が助けてくれなくなったり、男性に遠慮して、助力を申し出しづらくなったりします。

ので、この時もトゥクトゥクではボラれたのでした…(笑)。本来400バーツのところを600バーツ取られました。2で割れば300でしょ、という算段がドライバーにあったのだろうと思いますが…。

■ 日本の男女関係がやばい

こうした関係性の歪みは、クライミングだけでなく、一般的にもよく見られるようで、結局のところ、それは、誰をハッピーにしているのでしょうか?

誰もいない、

というのが真実のような?

もしも、こうした心理的な、病的態度がないならば、私とそのパートナーは、ラオスで、他のクライマーと混じって、二人だけで登るよりも、もっとたくさんの課題が登れたことでしょう。

そして技術交換にもなり、心の充実感も、多く、満足度はさらに上がったでしょう。

なんでそうならないのかな?というのが、私にとっては、積年の謎です。

トニーが来てくれた時、私の問題ではなく、社会の側の問題なのでは?という気づきがありました。

トニーありがとう!

■ 追記 2021.8.11

境界性人格障害 ということではないかと思います。クライマーには多いのかもしれません。

2019/06/21

新人がクライマーになるまでが大変

■ 2つの会

山梨にいたころ2つ会に入っていて、一つはホームの会で冬山合宿などを目的に登る伝統的な会。一つは現代風に個人で登る会でした。

現代風の個人の会の先輩で男性が2名います。一人はガイドさんで、私と登るときはいつもザックをわざわざ重くしてきます(笑)。一回りくらい年下なので、そりゃそうよねと思いますが、この先輩はさすがにロープワーク確実で、色々と盗ませていただく系でした。いつも行くときは二人でいくか、私のパートナー候補者を連れて先輩はお目付け役。

もう一人の先輩は気の良い親戚の子に近い関係のような?登れるグレードが違うので、行きたい岩場が違ったりするので2名だったり、混ぜてもらったり。どちらかというとわいわい男子同士で登っているのが似合っている先輩です。

■ 階級社会

私は階級社会が苦手なので、会の伝統的な在り方、年間で企画される年一回の会の岩登り大会みたいなのに参加すると、最悪に居心地が悪いです。

以前、師匠の会のそうした行事に小川山で呼ばれ、これは史上最悪に面白くないクライミングでした(笑)。

まるで誰が登れて誰が登れないかの確認とランク付け大会みたいな感じ。なので、会の年間事業で登るのは最悪だと学習しました。

私のように感じた人は、一人ではなかったようで、いつも夫婦で登っている人で私と同じように呼ばれたクライマーと、とんでもないところに来てしまったね…とほほ…と肩を寄せ合っていました。小間使い扱いさせられて嫌でした。

会山行は、会における立場のPRの場です。師匠はそこで自分の地位が高いことを示したかったみたいでした…人にあれこれ命令するということです。

もともと中級登山学校の校長先生をしていたからです。そうした尊大な態度というのは、長い間組織の中ではぐくまれ許されるものですが、組織の外に出たら、誰でもマナーを守らないといけなくなります。それができなくなっちゃんですね、長年それをやりすぎて。

しかし、会社と同じで、日本では、退会して、また違う会に入れば、また新人と同じことで、誰も言うこと聞かなくなります。要するに、移動で別の土地に来ると、誰もえらいさん扱いしてくれないというのが不服だったみたいで、その年間行事は、それが解消できる唯一の場でした。私もえらいさん扱いしてあげたつもりですが、足りなかったようです。焼き鳥奢るくらいでは(笑)。

ラオスから帰ってアイスへ行き、師匠が怒ったのは、「なんで残置があるのに懸垂なの」という場面で、たぶん、要するに俺に歯向かうなと言うだけでのことで怒ったのだと今になって思いますが、それは、逆に言えば、それだけ勝手にやらせてあげないと民主主義的な関係では登れないということです。もちろん、1対1で登っているときに、特に横暴なことをするとかではないのですが、第三者を連れてくるとうまく行かなくなるのは、関係性の中に上下関係を持ち込みたいからだと思います。

とりあえず、私が言いたいのは、会と言う仕組みの中で、階級制度の中で登る、というのは、私より上の世代に顕著なというか、ごく普通の行動様式ですが、私の世代より下の人は、”誰が偉いか?誰が決定権があるか?”ということは考えないということです。

命令はしないし、聞かなくていいし、誰かの歓心を買うように行動する必要はないということです。

■ 中学のころ

中学の時、テニス部でキャプテンをしていました。みんなで相談して、私の代からは、

 体育会系&先輩後輩の掟

は返上しました。誰もが平等という民主主義にすることにしたんです。

すると、実力は下がりましたが、部会の雰囲気は向上しました。怒ってラケット折るような先生も、和やかな先生になりました。

つまり、私の年齢くらいが境目で、価値観の大転換、があるということです。

そして、古い価値観(封建主義?)に合わせると若い人は、理不尽なことをしないといけないため、苦しくなり、新しい価値観(民主主義)に合わせたほうが、

 全体の幸福度が増大する

ってことです。

たぶん、昔は古い知識がそのまま正しい事だったのだろうと思いますが、時代の変化が激しい時代では、古い知識は陳腐化してしまうので、偉い人が古い知識を盾にとって、正当性を主張しても、実はその正当性が無かったり…となると、年配の人に反論しては失礼という儒教の教えのために指摘できなくなります。怖いビレイは年配のベテランもしています。特にスポーツクライミングを経験してきていない人。

今はクライミングは個人の時代と言われていますが、個人で登ろうとすると、このような事情で、新人は一人前のクライマーとなるまでに、指導を得るのがすごく大変です。

じゅっぱひとからげで、団体で教えられたらいいのですが、初歩のビレイや安全管理において、子弟制度的な個人指導は不可欠です。

というのは、理解に個人差が大きいのです。

私が個人的に師匠の鈴木さんや青ちゃんに教わったことを、最低価格が8000円の有償のガイドさんに頼むとなると…一体いくらになるんだか…。

週2半年、人工壁に通うだけで、8千円×50回。

さらに外岩となると?さらに8千円×15回。

これで普通のペースで、呑み込みが悪くて、習得が遅い人は、もっといると思います。

そんなに払える人はいない。

ので、私は師匠に無償で教わったので無償で教えていますが、本人も努力して勉強してくることが前提なのですが、たいていの人はそれがない。

すると何年たっても分かっていない…みたいなことになってしまいます。

いたずらに経験年数が増えるだけ、5年もやっていれば分かっているだろうと思う人が増えるわけなので、余計、危険です。

となると、個人主義の会みたいに、なんとなく個人が集まってやっているクライミングの会に新人も連れて行ってあげて、なんとなく場慣れしてもらうということになりますが…。

このやり方は、ハッキリこうするのが正しいんだよ、と講習会みたいに言うわけでないので、言葉にされない情報を盗むということになり、個人の資質によることが大きく、年齢が下の人ほど、ハイコンテキストで教えないと分からないです。日本のローコンテキスト文化は、年配の人ほど強いので。

というので、結果、何年たっても新人さんのまま、ということになり… まぁ、クライミングに関する情報は、本やネットにあふれており、情報の有無は、本人のやる気次第なので、独学しないのが悪いと言えば、その通り。

で、クライマーはみんな、勉強熱心なのが普通のことなのですが…

一般化する、大衆化するということは、そうしたエリートではない人も登るようになる、と言う意味ですよね?

というので、今2名新人さんを抱えていますが、一人では指導に限界があるし(新人一人につき、監視役2名必要)、よその会に行くように勧めても、たぶん行かないし(そりゃそうか、私に来てくれたんだもんね) 

でも、この複雑な話をしても新人は分かんないし、かといって、私が体を張って教えるのは、もう何人もやって疲れたし、しかも、落とされて7針頭ぬったくらいだから、こんなの何人もやってられない、というので、宙ぶらりん、です。

昔の会の在り方は、もう今の人には生活スタイルの面からも合わないですが、新しい皮袋もまだできていない。

ので、だぶついた新人さん…。最近の新人さんは大学山岳部の18歳ではありません…ボルジムに行ってます、という30代や40代。

年齢が上がるほどクライミングの安全に関しては、理解力が劣って下がっていくので、リスク高いグループが増えることになるなぁ…

でも、私一人の力では・・・

思いやりvs足を合わせる

■足を合わせる難しさ

最初の師匠は、思いやりを強調する人だった。思いやりって、与える側ではなく、受け取る側が強調すると、ちょっと変な感じがするものだ。利益誘導みたいに感じる。

協調性というか、山はワンパーティで動くことで、互いに安全を見守りあうもの。

若い人は自分の体力の限界以下でゆっくり歩くことになってしまい、面白くないということになる。

これは世代間で自分が今度は年長者になった時にはゆっくり歩いてもらうので、つり合いがかつては取れていたんだろう…

■ 事例

かくいう私自身も自分が体力のゆとりがある側に入ることが多かった。

西穂高沢に行ったときは、師匠のラッセルがあまりに遅く、一番体力がない人が先頭っておかしいと思ったので、一番体力がある人に先頭になってもらい、私が2番目に大変な位置についたら、それでも師匠だけが後ろに取り残されることになってしまった…それくらい体力って差が出てしまうってことだ。

とはいえ、若い側に立つと、不必要なノロノロ運転の車が高速道路では危ないように、なんか必要以上に遅くて心配。

この時は師匠にちくりと嫌味を言われたが、そんな師匠も沢では、歩き慣れていないワタシを孤独に陥れていて、みんなが、はるかかなたすぎて見えない…もう踵を返して下山しようかと思ったくらいだ。

まぁあの一回だけで後は、高齢者としか沢に行っていないせいか、置いてきぼりになったことはないのだが。

というので、思いやりというスパイスで足を合わせるのは、非常に難しい。

■ ゲレンデフリー

ので、特に何もしなくても、大体足が合っているような人たちと登るのが多分、一番楽。

こういうことを考えなくていい、ということで怠けるのが、ゲレンデフリークライミング。

フリーばっかりをやると足がなまる。

と、アルパインではリスクがどんどん増してしまう。

ということになり、本来はフリーと言うのは、まぁ老後にでも…みたいな位置づけなので、それで、フリーで5.10台まで登れれば、まぁ十分かなと思えるスキルなので、そんなに、急いで上達しなくても…と、欲深くない私は考えてしまう。

ともっと追い込めばもっと登れるのに…ともったいないと思ってくれた人が、”頑張れ”と言ってくれるわけだけど、追い込まれても、ご褒美が…ない。

■ クライミングのご褒美はなんだったのか?

ご褒美は、頑張った先にあるものではなく、

 一緒に仲間と登る楽しさや絆、
 過ごす時間そのものの楽しさ

にあるような?

先日はアル君がやってきてくれて、夕飯とっても楽しかったですが…。アメリカ以来、久しぶりの楽しさでした。

山は単独でも楽しめるけど、夕飯を囲む楽しい会話は人がいる。

ただの人ではだめで、ちゃんと話ができる人がいる。

私の師匠の青ちゃんが、私を重用してくれていたのは、クライミングよりも夕食にあったとおもうんだよな(笑)。

グレードを追いかけてはいけない

グレードを追いかけてはいけない

というのも、初期のころ師匠の鈴木さんに言われて、「やっぱり、追いかけ始めた」と言われて、悲しかったことがありました。

日本のクライマー界では、グレードを追いかけていないと、クライマーじゃないと目して付き合ってくれなくなる人もいるし、逆にグレードを追いかける人だと思われると、離れて行く人もいるし… グレードって悲喜こもごも、です。

先日もグレードの話をしていたら、タイのクライマーにそっぽを向かれて悲しかった…スコーミッシュが終わったくらいで瑞牆って危険と思ったから、グレードを持ち出しただけだったんですが。この辺の感覚は、説明するのがかなり難しい。タイでスポーツしか登っていない人が、瑞牆にタイの岩場の感覚で来ると、死亡事故になるかもしれません。

■ ランナウトの岩場が普通の日本

ただ言えることは日本では易しいグレードは、どこの岩場でも、ランナウトが著しく危険ということです。

例えば、小川山で5.7のマルチが、卒なくこなせるには、5.9くらいはちゃんと登れていないとダメです。小川山はアルパインの岩場でなくフリーの岩場ですが、それでもそうです。「ランナウトが核心です」という言葉の意味は、”ロープは命綱ではないよ”、”落ちたら死ぬよ”って意味ですので。

ので、基本的にグレードの支配から逃れられないのはクライマー側の問題より、日本の課題設定の特殊性?一般に自分が登って楽しいというところを登っていればいい、という人工壁クライミングと同じような話にはなっていないです。

■ アルパインはさらに高度

さらに同じマルチでも、アルパインルートへ行くという話なら、もっと話は複雑になります。アプローチが長い事、生活技術が必要なこと、ロープワークの巧緻が明暗を分けます…。登れても遅い人は遅いです…。良くいるのがフリーのクライマーで歩きがダメな人。

■ グレードの無い岩場が楽しかった

ということで、追いかけたくなくても、まとわりついてくる感じのグレード… 

師匠の青ちゃんと、まったくトポも何も持たずに、昇仙峡を登っていた時は楽しかったなぁ…

非公開の岩場でしたので、誰もトポ持っていないので、現地に行って、じーっと見て、”これ、登れそう”と思ったのだけ登るんですが…さすが、青ちゃんは見る目が確かだったのでした。

なので、私は、とても信頼していたのですが、その見る目、自分が登れそうかどうか?って話で、私に適用すると、ちょっと違うみたいでした(笑)。まぁ当然か。

私はそういう目が養いたいです。それには何をしたらいいか?とここ、3年くらいずっと考えています。

アイスクライミングは、最初からグレードがないので、見る目がついて来ていたけれど、岩では、”なんか登れそう”と思って、結局、登れない、ということ続きです。


2019/06/17

墜落恐怖症にシンシア

■ 昨日も日向神へ

昨日は、先週見て、触りたくなったシンシアを触る機会ができました♪ 上だけ核心の11です。
シンシア

どうみても、下は5.8だよなーと思い、上なら落ちても大丈夫なわけなので、

 墜落恐怖症

の私が落ち慣れするのに良い課題かなーと思って、目をつけていました。

■ 強くなるには、落ち慣れないといけない

強くなるには落ち慣れないといけないわけなのですが、後輩に恵まれない私にとって、この何年も、後輩=落ちれない人材。

というわけで、落ちれるビレイヤーと言えば、先輩、もしくは、師匠クラス。

たった一度信頼したために、グランドして頭を7針縫う羽目になった(汗)ため、基本、若い男子のビレイは、信用しないことにしています。

昨日も、隣で登っていた大学山岳部君のビレイが怖くてヤダった…。

しかし、上手になる=落ちる は、どうしてもセット販売なのです…。

なので、落ちても、まぁ、死なないだろうと思える課題が私には必要です。

■ 落ちても死なない課題

1)上の方で被っている課題 → 落ちても下は空間
2)上の方に核心 → 落ちても地面まで距離がある

です。下に核心がある課題は、ビレイヤーのビレイスキル次第ではグランドします。

また、寝ている課題は、落ちるのにテクニックが必要です。被っていれば、ただ落ちるだけでよく、どこにもぶつかることがないです。寝ている課題は登るときにパワーは要りませんが、落ちた場合、どこかをぶつける怪我につながることが多いです。

というわけで、高難度で被った課題は、より安全性が高く、上半身のパワーがある男性のほうがより安全性が高い課題に望めます。

というわけで、シンシアは、上部だけが課題で、下はそう難しくないので、私のように、落ちることに慣れないと、これ以上成長できない、というクライマー向けです。

■ サンセットエリア

昨日はサンセットエリアで、

1) 星に願いをの下部 13mテラスに中間終了点あり(ここまで5.10a、B5本)をオンサイト。

2) 青葉若葉 5.10a B5本 10m は最後がワンムーブ起こせず、ダメでした。宿題化。

サンセットエリアトポ
http://k1hut.yuki-mura.net/benzaiteniwasunset.html

 サンセットエリアの青葉若葉 5.10a
 サンセットエリア


 グランドアップで開拓するには、軽いドリルが必要。

2019/06/15

落ちた人を思いやることが世界の常識です




これは5.9ですが、落ちています。

周りの人が「Are you Ok?」(大丈夫?) と声をかけていますが、これが世界の常識です。

日本だとどういうことになるか?というと、

「5.9くらいで何やってるんだよ」

「は?5.9で落ちんな」

「5.9で落ちるなら、お前なんざ、クライマーじゃねえ!」

と言われ、蔑まれます。

そういう発言の人が悪いのではなく、そうやって育てられたので、そうやって下の人を育て返すわけです。

結果、その屈辱を耐える、負けず嫌い気質の人しか、残らないか、もしくは最初から才能があって、日本のクライマー界が要求するレベルへの到達が努力不要の人しか、いなくなります。

実際、「あの人5.9で落ちていたんだよ、だから尊敬しない」と発言した人を知っています。その人は5.13登りますが、最初から上手だったそうです。努力はどっちの人が多いんだろう(笑)?

落ちた人に掛ける言葉が「5.9くらいで落ちんな」では、弱り目に祟り目でしょう。

これが思いやりに満ちた態度か? 明らかですよね?

■ 易しいところで落ちて死ぬ

しかも、ベテランでも、落ちて亡くなっていますが、たいていは、5.12のところではなく、5.9とか下手したら5.7のところで、です。

理由は、難しいところはプロテクションが良いからです。

易しいところでは、落ちるはずがないから、プロテクションを取らない、という文化だからです。

プロテクションの要不要は、易しいか易しくないかではなく、落ちたらどうなるか?ということだと表面では指導しますが、実際は、きちんとプロテクションを入れると蔑まれ、プロテクションを飛ばすと尊敬されます(笑)。

■ 初心者は5.7も登れない人が普通です

このような文化が残っている限り、初心者は5.7でもアップアップですから、クライマー人口が増えるはずがありません。

しかし、外岩の5.9は、インドアとは違いますので、大変ですよ。私は5.9が初オンサイトできるまで、2年半かかりました。スタートは5.8のオンサイトでした。

私は、すでに5人以上、まったくの初心者を指導していますが、私が初心者当時にノーテンションで登れた5.8が登れるスキルレベルの人は、若い男性を含めて一人もいませんでした。

クライミングを50代で始めたオジサン登山者など、基本5.6の個所でも、登れなくなって、すぐに「登れません」と言います。

■ トンデモクライマーの温床

そういう人をまだビレイもできないのに、セカンドでマルチに連れて行って回っています。

それはトップを登る人は、落ちないからですが、これでは、セカンドの人は、ガイドさんに連れられているのと同じで、経験から学ぶことができず、何のスキルも追加していかなくなります。

それほど、セカンドをしてくれる人が品薄ということです。

しかし、セカンドが何も分かっていない状態でマルチに連れて行っても、なんていう山の何というルートを登ったか?すら知らない登山者を作るのみです。

そういうセカンドは、ロープワークを盗む、とかもしません…というか、できませんので、結局、「登攀歴5年です」と言うので、リードさせてみたら、ランニング支点を引っ張りながらリードし、終了点も作れない、懸垂もセットできない、5.7も登攀力的にまともにリードできない、ロープのまとめ方も知らない、です。

経験年数と実力がマッチしていないと思い、「どこをどう登ったのですか?」と聞くと、それも知らないです。

ということで、日本のクライマー教育は、全くおかしなことになっています。

お客さん待遇で連れて行き、登れないやつを蔑む、と歪んだ現象が起きています。

それがおかしい事、と気が付かないのは、正常な関係性、を見たことがないからではないか?と思います。

それしか知らなければ、それを受け入れる以外ないので。

■正常なクライミング

正常なクライミングは、

・安全第一
・プロテクションは、そのグレードを限界とする人のために適性に打ってある
・ガバは、ピン替わりではない。ガバが安心できるホールドかどうか?は握力次第で、人によっては、ガバでもガバでなくなる
・ロープワークをきちんと教えてから、クライミングする
・ビレイを教えてから、クライミングする
・5.7でアップアップの人と5.12でアップアップの人では、両方とも頑張った量は同じ
・怪我をした仲間や落ちた仲間には、思いやりを持つ
・互いに自分が登りたい課題を大体同じくらいの時間ずつ、ビレイしあう

です。上下関係で登るクライミングは、まったく楽しくないです。