2019/06/21

新人がクライマーになるまでが大変

■ 2つの会

山梨にいたころ2つ会に入っていて、一つはホームの会で冬山合宿などを目的に登る伝統的な会。一つは現代風に個人で登る会でした。

現代風の個人の会の先輩で男性が2名います。一人はガイドさんで、私と登るときはいつもザックをわざわざ重くしてきます(笑)。一回りくらい年下なので、そりゃそうよねと思いますが、この先輩はさすがにロープワーク確実で、色々と盗ませていただく系でした。いつも行くときは二人でいくか、私のパートナー候補者を連れて先輩はお目付け役。

もう一人の先輩は気の良い親戚の子に近い関係のような?登れるグレードが違うので、行きたい岩場が違ったりするので2名だったり、混ぜてもらったり。どちらかというとわいわい男子同士で登っているのが似合っている先輩です。

■ 階級社会

私は階級社会が苦手なので、会の伝統的な在り方、年間で企画される年一回の会の岩登り大会みたいなのに参加すると、最悪に居心地が悪いです。

以前、師匠の会のそうした行事に小川山で呼ばれ、これは史上最悪に面白くないクライミングでした(笑)。

まるで誰が登れて誰が登れないかの確認とランク付け大会みたいな感じ。なので、会の年間事業で登るのは最悪だと学習しました。

私のように感じた人は、一人ではなかったようで、いつも夫婦で登っている人で私と同じように呼ばれたクライマーと、とんでもないところに来てしまったね…とほほ…と肩を寄せ合っていました。小間使い扱いさせられて嫌でした。

会山行は、会における立場のPRの場です。師匠はそこで自分の地位が高いことを示したかったみたいでした…人にあれこれ命令するということです。

もともと中級登山学校の校長先生をしていたからです。そうした尊大な態度というのは、長い間組織の中ではぐくまれ許されるものですが、組織の外に出たら、誰でもマナーを守らないといけなくなります。それができなくなっちゃんですね、長年それをやりすぎて。

しかし、会社と同じで、日本では、退会して、また違う会に入れば、また新人と同じことで、誰も言うこと聞かなくなります。要するに、移動で別の土地に来ると、誰もえらいさん扱いしてくれないというのが不服だったみたいで、その年間行事は、それが解消できる唯一の場でした。私もえらいさん扱いしてあげたつもりですが、足りなかったようです。焼き鳥奢るくらいでは(笑)。

ラオスから帰ってアイスへ行き、師匠が怒ったのは、「なんで残置があるのに懸垂なの」という場面で、たぶん、要するに俺に歯向かうなと言うだけでのことで怒ったのだと今になって思いますが、それは、逆に言えば、それだけ勝手にやらせてあげないと民主主義的な関係では登れないということです。もちろん、1対1で登っているときに、特に横暴なことをするとかではないのですが、第三者を連れてくるとうまく行かなくなるのは、関係性の中に上下関係を持ち込みたいからだと思います。

とりあえず、私が言いたいのは、会と言う仕組みの中で、階級制度の中で登る、というのは、私より上の世代に顕著なというか、ごく普通の行動様式ですが、私の世代より下の人は、”誰が偉いか?誰が決定権があるか?”ということは考えないということです。

命令はしないし、聞かなくていいし、誰かの歓心を買うように行動する必要はないということです。

■ 中学のころ

中学の時、テニス部でキャプテンをしていました。みんなで相談して、私の代からは、

 体育会系&先輩後輩の掟

は返上しました。誰もが平等という民主主義にすることにしたんです。

すると、実力は下がりましたが、部会の雰囲気は向上しました。怒ってラケット折るような先生も、和やかな先生になりました。

つまり、私の年齢くらいが境目で、価値観の大転換、があるということです。

そして、古い価値観(封建主義?)に合わせると若い人は、理不尽なことをしないといけないため、苦しくなり、新しい価値観(民主主義)に合わせたほうが、

 全体の幸福度が増大する

ってことです。

たぶん、昔は古い知識がそのまま正しい事だったのだろうと思いますが、時代の変化が激しい時代では、古い知識は陳腐化してしまうので、偉い人が古い知識を盾にとって、正当性を主張しても、実はその正当性が無かったり…となると、年配の人に反論しては失礼という儒教の教えのために指摘できなくなります。怖いビレイは年配のベテランもしています。特にスポーツクライミングを経験してきていない人。

今はクライミングは個人の時代と言われていますが、個人で登ろうとすると、このような事情で、新人は一人前のクライマーとなるまでに、指導を得るのがすごく大変です。

じゅっぱひとからげで、団体で教えられたらいいのですが、初歩のビレイや安全管理において、子弟制度的な個人指導は不可欠です。

というのは、理解に個人差が大きいのです。

私が個人的に師匠の鈴木さんや青ちゃんに教わったことを、最低価格が8000円の有償のガイドさんに頼むとなると…一体いくらになるんだか…。

週2半年、人工壁に通うだけで、8千円×50回。

さらに外岩となると?さらに8千円×15回。

これで普通のペースで、呑み込みが悪くて、習得が遅い人は、もっといると思います。

そんなに払える人はいない。

ので、私は師匠に無償で教わったので無償で教えていますが、本人も努力して勉強してくることが前提なのですが、たいていの人はそれがない。

すると何年たっても分かっていない…みたいなことになってしまいます。

いたずらに経験年数が増えるだけ、5年もやっていれば分かっているだろうと思う人が増えるわけなので、余計、危険です。

となると、個人主義の会みたいに、なんとなく個人が集まってやっているクライミングの会に新人も連れて行ってあげて、なんとなく場慣れしてもらうということになりますが…。

このやり方は、ハッキリこうするのが正しいんだよ、と講習会みたいに言うわけでないので、言葉にされない情報を盗むということになり、個人の資質によることが大きく、年齢が下の人ほど、ハイコンテキストで教えないと分からないです。日本のローコンテキスト文化は、年配の人ほど強いので。

というので、結果、何年たっても新人さんのまま、ということになり… まぁ、クライミングに関する情報は、本やネットにあふれており、情報の有無は、本人のやる気次第なので、独学しないのが悪いと言えば、その通り。

で、クライマーはみんな、勉強熱心なのが普通のことなのですが…

一般化する、大衆化するということは、そうしたエリートではない人も登るようになる、と言う意味ですよね?

というので、今2名新人さんを抱えていますが、一人では指導に限界があるし(新人一人につき、監視役2名必要)、よその会に行くように勧めても、たぶん行かないし(そりゃそうか、私に来てくれたんだもんね) 

でも、この複雑な話をしても新人は分かんないし、かといって、私が体を張って教えるのは、もう何人もやって疲れたし、しかも、落とされて7針頭ぬったくらいだから、こんなの何人もやってられない、というので、宙ぶらりん、です。

昔の会の在り方は、もう今の人には生活スタイルの面からも合わないですが、新しい皮袋もまだできていない。

ので、だぶついた新人さん…。最近の新人さんは大学山岳部の18歳ではありません…ボルジムに行ってます、という30代や40代。

年齢が上がるほどクライミングの安全に関しては、理解力が劣って下がっていくので、リスク高いグループが増えることになるなぁ…

でも、私一人の力では・・・