2019/06/21

思いやりvs足を合わせる

■足を合わせる難しさ

最初の師匠は、思いやりを強調する人だった。思いやりって、与える側ではなく、受け取る側が強調すると、ちょっと変な感じがするものだ。利益誘導みたいに感じる。

協調性というか、山はワンパーティで動くことで、互いに安全を見守りあうもの。

若い人は自分の体力の限界以下でゆっくり歩くことになってしまい、面白くないということになる。

これは世代間で自分が今度は年長者になった時にはゆっくり歩いてもらうので、つり合いがかつては取れていたんだろう…

■ 事例

かくいう私自身も自分が体力のゆとりがある側に入ることが多かった。

西穂高沢に行ったときは、師匠のラッセルがあまりに遅く、一番体力がない人が先頭っておかしいと思ったので、一番体力がある人に先頭になってもらい、私が2番目に大変な位置についたら、それでも師匠だけが後ろに取り残されることになってしまった…それくらい体力って差が出てしまうってことだ。

とはいえ、若い側に立つと、不必要なノロノロ運転の車が高速道路では危ないように、なんか必要以上に遅くて心配。

この時は師匠にちくりと嫌味を言われたが、そんな師匠も沢では、歩き慣れていないワタシを孤独に陥れていて、みんなが、はるかかなたすぎて見えない…もう踵を返して下山しようかと思ったくらいだ。

まぁあの一回だけで後は、高齢者としか沢に行っていないせいか、置いてきぼりになったことはないのだが。

というので、思いやりというスパイスで足を合わせるのは、非常に難しい。

■ ゲレンデフリー

ので、特に何もしなくても、大体足が合っているような人たちと登るのが多分、一番楽。

こういうことを考えなくていい、ということで怠けるのが、ゲレンデフリークライミング。

フリーばっかりをやると足がなまる。

と、アルパインではリスクがどんどん増してしまう。

ということになり、本来はフリーと言うのは、まぁ老後にでも…みたいな位置づけなので、それで、フリーで5.10台まで登れれば、まぁ十分かなと思えるスキルなので、そんなに、急いで上達しなくても…と、欲深くない私は考えてしまう。

ともっと追い込めばもっと登れるのに…ともったいないと思ってくれた人が、”頑張れ”と言ってくれるわけだけど、追い込まれても、ご褒美が…ない。

■ クライミングのご褒美はなんだったのか?

ご褒美は、頑張った先にあるものではなく、

 一緒に仲間と登る楽しさや絆、
 過ごす時間そのものの楽しさ

にあるような?

先日はアル君がやってきてくれて、夕飯とっても楽しかったですが…。アメリカ以来、久しぶりの楽しさでした。

山は単独でも楽しめるけど、夕飯を囲む楽しい会話は人がいる。

ただの人ではだめで、ちゃんと話ができる人がいる。

私の師匠の青ちゃんが、私を重用してくれていたのは、クライミングよりも夕食にあったとおもうんだよな(笑)。