2019/06/22

Tonyが気づかせてくれたこと

■ 窮地を救ってくれた

トニーとは、ラオスで会いました。トニーとの出会いは、なんか、これまでの人生をひっくり返すような出会いでした。

というのは、トニーの態度が、「この人をこの悲惨な状況から救ってやらねば!」という正義感に満ちたものだったからです…

私は、国際山岳ガイドの方とパートナーを組んで、ラオスに初めての海外登攀で行っていました。当然ですが、ガイド料などは払いません。払うなら行かないからです(笑)。

ですので、その方からすれば、言葉に出さなくても「国際ガイドの俺と組むんだからありがたいと思え」という態度になることは、もしかしたら仕方がないのですが…。私だってそう考えるかもしれません。ガイドになるのはとても難しい事なので。

その方とのクライミングでは、私は一方的に押し付けられる側でしたので、それを見たトニーが駆けつけてくれた、のです(笑)。

トニーは日本に6年住んだ直後の帰国の途中でラオスに立ち寄ったクライマーだったので、日本の事情も分かっていた、と言うのがあったんですね。

■ 変だとも気が付いていなかった

上下関係で登る… まぁ男性を立てる、というようなことですが、日本では普通のこのことも、海外では、非常にいびつな関係性です。

トニーが私を”救いに”くるまでは、私もこれが変とは気が付いていなかったんですよね。

ただ、ただ、渋ーい顔をしながら、付き合って登っていました(笑)。

というのは、日本の会社生活で、軍隊式の指揮命令系統に慣れていたからです。縦社会と言うやつですね。

ただ、西洋諸国では、日本式の縦社会は稀になってきていますし、ましてや、趣味の世界で、わざわざ縦社会の窮屈な世界に身を置くことは、考えにくいです。

誰も嫌なことはやらない。当然です。余暇の世界なので。

■ 支配を受けやすい性格なのか?

私自身はこうしたコントロールを受けやすい性格であるということに、どっぷり浸っていたためか、全く気が付いていませんでした。

それがとにかくショックでした。トニーからみたら私は、いじめに会っているように見えているのに、そのこと自体に私自身が気が付いていなかった…。

私はただ、目下の者として、礼儀正しくしていただけでした。日本の礼儀、世界の虐待。

かなり、トホホな状況ですね?

というので、この事件からは、個人的なメンタルの弱さ克服の課題として、クライミングのパートナーシップ問題を捉えるようになりました。

■ パートナーシップ 

私は見た目にも、はっきりモノを言いそうですし、実際、そのとおりで言いますし、なんで、そういうタイプの人が、「俺についてこい」タイプ?の思いやりのない人を惹きつけてしまうのか?そこのところが私にとっては謎ですが…。

ラオスでのパートナーシップは、こんな感じでした…。

あるとき、パートナーが、人気のない遠いエリアに行きたいと言ったのです。それで行くことになったのですが、アプローチが双方、分からない上に、迷いに迷って、獣道みたいになり、トレイルは、すでに3級は終わって4級の登攀みたいになってきてしまいました…。登るの簡単だけど、帰りが…系です。

私は靴がクロックスだったので、これはこれ以上進むと危険だと思い、パートナーに声をかけると…「私の靴は大丈夫です」。こんな思いやりのない言葉、ありますか?

それで私は危険を顧みないでついて行くか、そこで待つか、一人で下るか、しか選択肢がないわけです。しばらく待って、その道が正しいとは分からないわけだし、帰るよ!と叫んで一人で帰りました。私がコケて死んで、パートナーは、責任、取れます?取れないですよね?

岩場では「あれ?一人でどうしちゃったの?」とほかのクライマー。外人です、当然。

声をかけてくれるのは、一人では登れないのがクライマーの常識だからです。

結局、行こうとした岩場は見つからずパートナーは帰ってきたのですが、その頃には私は別のグループに混ぜてもらって、楽しくクライミングしていました。

その見つからなかった岩場、なんで、その人が行きたいと思ったか?というと、たぶん、自分のためではなく、私に適した岩場を探していたと思うんですよね。なにしろ、6Bが登れる人でしたが、その岩場は5cばかりだったので。私に良かれと思ったんではないか?と。

だとすると、”ああ、すれ違い”ですが。それでも、やはり、

 意図と行動がずれている、

と言うことは言えるだろうと思います。

このパートナーの行動は、一種のメンタル不全に見えますが、日本の男性には多い行動の現象のような気がします…どうでしょうか?

相手にプレゼントと思って全然ありがたくないプレゼントを渡す、ということになっているって、あるあるなのでは?

でも、大事なのは、意図、とターパさんには倣いました。チベット僧侶です。ので、意図ということからすると、悪い人とは思えません。

■ 私の落ち度なのか?

というわけで、このパートナーはとっても気難しく、私は大変だったのです。

私は現地集合で落ち合っているし、ビレイも確実だし、「あーあ、なんで俺が面倒見てやらなきゃいけないんだよ」的なパートナーであったことは、ほとんどないハズです。

大体、先輩には、

「1から10まで言わなくていいので楽」

と言われています。

大体、私自身、岩場で現地集合で済ませられる後輩には、今まで会ったことないですし。国内岩場ですら、です。

もし私が師匠に、現地でランデブーという同じ提案したら、たぶん、師匠は怒りで赤くなるでしょう。クライマーの常識の中で、アプローチを折半というのもあるからです。

しかし、昨今はこの考えは崩れてきつつあり、アプローチを共有して交通費安く上げようというのは薄れてきていますが。

私が言いたいことは、私がお荷物パートナーである、というのは、考えにくいということです。自立度合いは相当高いハズです。

お荷物でないのに、なんで虐げられる扱いを受けるのかなぁ…というのが、私にとってぜひとも解決したい謎になっています。

何度も何度も起こることなので。私にとって、これは、何か、私の側のメンタルに問題がある、と言う話なのでは?

となっているのです。

■ 海外の仲間と登れば楽でした

ということで、日本でパートナーシップを組むと、支配と非支配の関係にどうしても陥ってしまいがちで、楽しく登るのが難しいのですが…

そういうことが起こらないのが海外でした。いたって普通。私は普通に、いい人で通ります。

うーん… 

なんで日本ではうまく行かないのか?私を育んだのは日本社会じゃないのか?

ってな具合に私の疑問は堂々巡りを始めるわけですが…

何が悪いのか?私以外の人からは、結構明らかだったりすることではないのか?と思ったりしているんですが、違うんですかね?

誰か分かる人教えてください。

■ プライド

こう言っては何ですが、43歳から始めたクライミングですが、たぶん、普通の人と同じレベルで打ち込めば(現在は全然、打ち込んでいません)、5.11はもちろんのこと、もしかしたら、5.12までは行けるんじゃないかしら?とは、私本人は思うのですが…。(いや、違うかもですが。まぁ11までは、見えてきているでしょう)

そうなると、私の脳がサーチを始めるのですが、そうなった場合、もう登れなくなった往年のクライマーのプライドは、どうなってしまうんですかね?

それが怖くて、なんか打ち込む気になれない…というのが、一つの心理的抑制要因にありますが。

■ 自分軸で

これは他人軸なので、自分軸で考えると、私はそんなにクライミングが急速に上達しなくても構わないというか… まだ先は長いしなぁ見たいな感じ。

一つのグレードで、色々なタイプの登りになれるほうが重要です。そもそも、ド根性系、体育会系苦手だし…。めっちゃ文系ですし。プライドかけていないし。

ただ、頑張ればできることだったら、頑張らないのはもったいないな、って思うだけです。

それが頑張るとしたら、頑張る理由です。なにしろ、アイスでは、周囲の人が目を見張るくらい登れるようになったので、もしかしたら、岩もそうなるのかもしれない?と(笑)

まぁアイスと岩は違い、指力が課題なので、私の才能が岩登りにあるか?というとないかもですが…。

とはいえ、この近隣の才能をすべて探索しつくしたか?というと違うかもというのが、とりあえず、続けている理由です。

■ 誰が楽しいのか? 

当然ですが、クライミングは、趣味であり、余暇であるので、

 楽しく過ごしたい、

というのが誰にとってもトップNo1の心理ニーズであるのではないか?と思いますが…

上下関係、主従関係で登って楽しい人って誰?それ、命令する人だけでは?

というので、旧来の日本型システムは、勝ち組が一方的に目上の人だけで、そのシステムだと下の人はずっと楽しくないです。山ヤのMな気質がそれを支えていると思いますが。

男性同士で、「○○さんの××はすごい」と、うんと上手な方が下の人を褒めていたりしますが、それって本心なのかなぁと思ったりします。女性の私の目には、きもーい、と映ること必至。

これまでは、情報の非対称性と言って、先輩だけが情報を持っていたので、初心者には何が分からないのか分からないという状況だったために、この関係性が温存されていたんだと思います。

現代の情報革命が、既得権を壊している、ということなのかな?

■ 楽しくなかったら来ない

新人さんが山岳会に来なくなって久しいと言いますが、単純に楽しくないから、ではないかと思います。

ビレイは、登りたいと思ったら必須の技術で、ビレイができないと誰も登ってくれませんから、心から登りたい人は必死で習得するものですので、そうなってから教えれば、教えられた人が、教えてくれた人に感謝しない現象は、消えてなくなると思います。

今の場合だと、ビレイ技術を授けてやるから、俺のビレイ頼むね、専属ビレイヤーね、みたいなことになっており、従属関係が激しいです。

従属ならいいけど、隷属みたいになってしまう人もいます。私がヨガの仕事、日曜に入れたら、怒って電話をかけてきた人がいました。「何か僕に謝ることがない?」です。私は何の心当たりもなかったのですが。

私のラオスのパートナーも、パートナーを先に大事にしなかったのは、本人なのに、私がほかのクライマーと登ったと言って、怒っちゃって、2度と口をきかん、みたいな感じでした。

それでもなぜか帰りの飛行機は一緒に行動したがって当惑でした…。

来るとき一人で来たんだから、私に彼が必要でないのは明らかだと思いますが、彼には私が必要だったのかもしれません。

個人的に海外では、男性といるとぼられる率が上がるので、どちらかというと女性の一人旅のほうが話が楽です…特に文明国で、暴漢の危険がない国では。

男性がいてくれると女性は心強いですが、それは暴漢に襲われるリスクが減るからで、逆に暴漢を惹きつけてしまいそうな人だと…。

それに男性がいると、その人がいるから大丈夫だろうと周囲の人が助けてくれなくなったり、男性に遠慮して、助力を申し出しづらくなったりします。

ので、この時もトゥクトゥクではボラれたのでした…(笑)。本来400バーツのところを600バーツ取られました。2で割れば300でしょ、という算段がドライバーにあったのだろうと思いますが…。

■ 日本の男女関係がやばい

こうした関係性の歪みは、クライミングだけでなく、一般的にもよく見られるようで、結局のところ、それは、誰をハッピーにしているのでしょうか?

誰もいない、

というのが真実のような?

もしも、こうした心理的な、病的態度がないならば、私とそのパートナーは、ラオスで、他のクライマーと混じって、二人だけで登るよりも、もっとたくさんの課題が登れたことでしょう。

そして技術交換にもなり、心の充実感も、多く、満足度はさらに上がったでしょう。

なんでそうならないのかな?というのが、私にとっては、積年の謎です。

トニーが来てくれた時、私の問題ではなく、社会の側の問題なのでは?という気づきがありました。

トニーありがとう!

■ 追記 2021.8.11

境界性人格障害 ということではないかと思います。クライマーには多いのかもしれません。