2019/07/02

誰のおかげか?

■ 押しかけ師匠

一番目の師匠とは岩場で会いました。「流動分散を作ってみせなさい!」感謝はしていますが、「弟子にしてください」とかって、私が頼んだわけではなく、「勝手に山に登りますので、結構」と言っていたのに、「いや、山には師匠が必要ですよ」と説得されての、押しかけ師匠でした。

思えば、心配だったのだろうと。

どこでもいいから山岳会入ってと言われましたが、その入った山岳会では一回目の山から、私はガイドする側で、連れて行ってもらうことはなかったのでした。このころは相方ができて、その相方が分不相応にすごい山に行きたがるので、決裂。

2番目の師匠も押しかけ師匠でした。頼んでもいないのにレスキューを一杯教えてくれて大感謝☆ ステキ☆と目がハートマークになり、歓迎しました。このころは山を教わる必要自体は、理解していたからです。

が、どちらの師匠も、別に私が「弟子にしてください」とか言ったわけじゃないんです…。どっちかというと、向こうから勝手に来た。

■ コントロールされるのが嫌でした・・・

それに、1番目の師匠は人工壁に通うと、ぐちぐち文句を言って来たし、2番目の師匠は、私がしたいリード練習をさせてくれないし、どう考えても、

 自分の思い通りにコントロールしようとして来る

ので、その点がとても嫌でした。

なんで、努力してねちねち言われるんだ?!
なんで、誰でも通る普通のリード練習をさせてもらえないんだ?!

と思っていました。登攀力が足りないなら、補わないと困るのは私だし、疑似リードでリード練習したいのは、ごく普通のことです。何も特別なことを頼んでいるわけではありません。

■ 勝手に成長するのが後進です 

私が先輩なら後輩がしたいようにやらせます。それが先輩のあるべき姿と思う。今、疑似リードしたいんだったら、させてあげるし、その代わり自分が登りたいときにビレイヤーで来てもらえばいいだけです。

なんで、このやり方でないとダメ! と二人とも許容範囲が狭かったのか?よく分かりませんでした。 外岩はいいけど人工壁はダメとか、リードはしてほしいけど、カムを自分で入れながらはダメとか。

どちらも理由を説明されなかった。ので、反発しました。

山は自己責任なんだから、説明されないのであれば、反発するのは普通のことだと思います。その通りやって、怪我したり死んだりして、師匠たちは責任が取れるのでしょうか?

■ 自分のおかげ

ということで、今のクライマーとしての私があるのは、一番大きく、誰のおかげか?というと、

私のおかげ

です(笑)。

自分のおかげであることが一番よく分かる事例は、UIAAのトップ、スティーブ・ロングさんとも知り合いになっちゃったことです。なんでか?というと、インスボンで登った時に、アルパインサマーと言う教科書が韓国語で出ているのをみて、

ぬぬ。なんで韓国語があって日本語版ないのー ゆるせーん!

と私が勝手に思ったからです。別に誰から紹介されたわけでもなんでもない。

師匠は私がその本を発見した時、一緒にいましたが、素通りです。目の前にあっても見えるものは、それぞれ違うからです。

■ I am proud of myself!

ので、私みたいな、大してクライミングの才能もない、ちんちくりんの人がなんでクライマーなんだ?!と腹が立つ人もいると思いますが、今のクライマーとしての、自分を形成するのに

誰のおかげだったのか?と言えば、自分のおかげです。

I am proud of myself!

誰に一番世話になったかと言うと? 自分に一番世話になりました(笑)。

■ クライマー=特権階級 は日本だけ

大体、クライマーになるのが、

許された一部の人だけの資格制

のところは、日本国くらいで、海外では誰だってクライマーになれるのが普通なわけですから、そもそも、なんでこんな人がクライマーなんだ?という疑念すら、外国人から問われることはないです。

別に記録を持っているとか、有名とかじゃないとクライマーじゃない、とか、5.9で落ちる奴はクライマーじゃねえ!とか、岩と向き合っていないとダメ、とか、俺は認めない!とか、どうせ愛人なんでしょとか…

その発想からして、差別的で失礼ですから…。

それに気が付かないというのが、まさに日本的発想って気がします。

誰かがあなたを認めない!と言ったとき、あーそう、って言えばいいだけなんですよ。そんなことで、あーだこーだやっているのは日本人だけです。バカバカしい。

■ 無数の善意

さて、誰のおかげかと言うと、そりゃ私自身のおかげですが、

その他は無数のみなさんのおかげ

です。小さな親切が一番ありがたいです。 見返りを求めない親切が一番大事な財産です。

それだけがピュアな心から発したものだから。自分もそうありたいと思っています。