2024/02/26

【回想】高い倫理観のこと、アメリカ暮らしのこと、デイビッドのこと

■デイビッドのこと

アメリカにいたころ、デイビッドという恋人がいました。

デイビッドは、私を妻にして家族を作り、その家族のために生きるという、自己犠牲をしたがっていた…妻と子供がいるから、という理由で、本来、彼がしたいと思っていない、親を喜ばせるような仕事…アッパーミドルクラスらしいホワイトカラーの仕事に就きたいと思っていた…のです。しかし、それは彼の本当の姿ではなく、彼はそうした仕事…ライスワークを軽蔑していました。もっと彼らしい何らかの仕事…使命があり、それが見つけられないまま、人生が過ぎていくのが、彼にはもどかしく、手っ取り早く、愛する家族ができれば、家族のために生きることが生きる目的になる…と考えていたのです。それは彼にとって逃げでした。

それが透けて見えていたので、私はデイビッドの生きがいを肩代わりするのが嫌だったのです。それで結婚しなかった…正確に言えば、したかったけれどできなかったのです。

というのは、私は赤ちゃんの時から、誰かの生きがいにされそうになり、ヤダ!と言って、生きる理由を本人にお返しする役だったからです。祖母、母、みな、「私はあなたのためにこうして自己犠牲して、生きているのよ」と言いたがりました。しかし、本当はそれは私のためではなく

 自分のため、

でした。なので、私は人の責任まで負うのがイヤだったのです。これは、赤ちゃんの時からそうです。前世で何かがあったんでしょうかね?

デイビッドは、エリートの父親との確執を抱えていました。彼の父親は貧しい生まれから、軍隊に行ってダブルメジャーで大学を卒業し、AT&Tの幹部にまで登り上げたアメリカンドリームの体現者でした…よくジュネーブの出張でスイス人などの若者をカリフォルニアの家に連れて帰ってきていました…それで、良くお客さんがいるからおいで、と呼ばれて家に遊びに行っていました。 

モラガと言えば、名の知れた富裕地帯でした。その前はもっと富裕層の住むアラモにいたから、私にとっては特別感心するようなことはなかったのですが…。モラガに家がある、と言えば、誰もが、うらやましがるようでした。

デイビッドはそうしたアッパーミドルの暮らしに疑問を持って、当時は哲学科に属してミッションディストリクトに住んでいました。私と会ったのもミッションでしたが、ミッションは、ヒスパニックのエリアで、時に白人のデイビッドにとっては危険でした。私にとっては安心でも…。

それで二人で、もっと安全で大学に近いエリアに引っ越しました。住んでいたのは、シェアハウスで、一回にはジムおじいさんがいました。ここでの暮らしは安定していて楽しく、幸せでした。

デイビッドは大阪に来てくれ、そして孤独からアル中になってしまった…そのことで私は長い間、デイビッドの人生を狂わせて、申し訳ない思い…罪悪感を持っていました。

私は、アメリカで、本当は私は暮らしたかったので、アメリカのことを考える度に、なぜあの時さっさとアメリカ暮らしを選ばなかったのか?と思います。…というのは、デイビッドは、きっと私がグリーンカードのために、彼と結婚したとしても許してくれたからです。実際、彼は、中国人の女性と後日、結婚し、それは、ほとんど結婚詐欺でした。

でも、そうしたテクニックを使うことが、私には汚い手に思え
 
 汚い手を使って得た人生ならいらない、

と思ってしまうタイプなのです… おとめ座だから潔癖症です。

それはクライミングにも表れており、私のクライミングは、虚構があまりありません… 

 汚い手を使って得たグレードやルート、山ならいらない

それこそが私の弱さであり、強さでもあります。

いつか、私は死ぬ前にもう一度デイビッドに逢って、互いの運命のめぐりあわせについて語り合いたいと思っています。彼とは本当に心でつながれた関係でした。

■ David and I

I had a boyfriend when I was in the states. David was a man who wanted to have a reason to live and a reason to have a upper middle class life style as his father...which he denied and yarned at the same time...

Father and son relationship is difficult. His father was a great father, who has achieved American dream... from us army to double major at uni, and then be an executive in AT&T... George was a powerfull successful man. But David was a sensitive person.

He came to Osaka, to live with me when I went back to do my rest of years in my university... but he became alcoholic out of solitude. He had no one else to talk to...but me.

I felt guilty about this for so long time... I wanted to marry him, but I did not want to be a reason for him to live, it is too much responsibility, and I can not owe that much...

My mom, and my grandmother, wanted to live for me, as a child, but I did not like it, I wanted them to live their own lives, and enjoy their own lives... I felt so even as a baby...

so I tried to be an adult super quickly... so no one need to live for me. or limited their lives, because of me.

A person should live the full potential of their own lives... that is my wish, since I was just a baby...

I miss him a lot and I wish to talk about how our lives turned out when I have a chance...

He was a true friend of mine...