2024/02/21

【自己理解】周囲への期待が高すぎる件‥‥

■周りの人が自分の期待より、情弱(レベルが低い)という事情

福岡に来て思うのは、

井の中の蛙

を今現在進行形で継続中の福岡の人って、井の中の蛙状態に気が付かないので、自分たちの古い常識に非常に強い正義感を持っていること。

そして気が付いた側の人は、他の人全員が気が付いていない、という前提で、ものすごく他者を見下してくること。

 A)井の中の蛙に気が付いていない人 = 自信満タン

 B)井の中の蛙に気が付いた人 = 他者見下し系

例えば、

    Google先生に何でも聞く、

ってことは、もう10年前の山梨で普通の一般の人がやっていることでした。福岡では、Google自体を使いこなしている人がいない(Aの人材)。

で、使いこなしている若い人(B)の人材は、すべての人を見下してくるので、私なんて、28くらいからGoogle使っているし、プロのプログラマーとしてコーディングが可能だが、IT音痴だと思われて、めちゃくちゃ見下してくる。

福岡の若い男性の他者見下し路線は、いったいなぜ?と言うくらい強い。おまえら分かってねーだろ、俺なんか時代の最先端を行ってるんだぜ感がオシオシである。

でもそれって、マジただのフツーですけど?

■ A人材・B人材と同じ土俵に載ったら負け

私と夫は、山梨に行ったとき、大阪と比べて世間が30年遅れている!と思って、びっくりしたのでした。

その頃は一般登山を二人でしていましたが、GPSで登山した軌跡が取れますが、それをしただけで、ものすごくハイテク人材扱いでした。え?ヤマレコで出てるよ?

っていうか九州ではヤマレコ知らず、ヤマップが一番最先端だと思っている…。ヤマレコは、アメリカのマウンテンプロジェクトの物まね、です。ヤマップはヤマレコの物まねです。

でも、山梨では、普通に、教えたらありがたがられました。あるいは、私たち夫婦がやっていることを真似て、自分は真似ているのに、まるで前から知ってるみたいな感じでやっている人がいて、ちゃっかりしてんなーと思ったりしたのでした。

 C)素直に真似る

 D)教えてもらってありがとうと言う姿勢がなく、ちゃっかり自分の手柄にする

山梨は30年遅れと感じたが、それでも、C人材か、D人材でした。私が御坂山岳会に参加したときは、私はリーダー講習の出たことは話をして出たので、先輩たちは、「ぜひ当会へ」という姿勢でしたが、「え、今時はムンターっていうの?へぇ~クローブヒッチ?昔は半固定と固定とか、インクノットとか言ったんだよ~」と時代のすり合わせを最初からしてきていました。

だれも、「は?クローブヒッチ?なんだよ、それ!」とか言いません。この自分の古い知識が絶対的正解だ感は、九州独自で、ただ井の中の蛙だっただけではなく、

 俺が正しい!

が半端なく強い。なんで? 

いやノットの名前くらいだったら、別になんて読んでもいいのですが、

 支点ビレイ

 危険個所でロープを出さない

 明らかに間違ったパッツンビレイ

 明らかに間違ったビレイの立ち位置

 明らかに使うべきでないボルト

などの、命のリスクが直接的にかかる危険行為に関してもそうなのです。ある会のメンバーなどは、

「易しいところではセルフをとらない!」

と叫んでいましたが、

「動くものに道標をつける」

「2人を1人がビレイする」

「エイドをアルパインロッククライミングにそうと記述しない」

「フリーで登れていなくても、全く意に介していない」

などなどで、”?”となりました。”?”となっただけではなく、そのままやれば、死に直結。

まとめると、

 A人材=自分が(古くて)間違ったことをしていても自信が満タン

 B人材=自分が(誰でもやっている)普通のことをしても自信が満タン

でした。その自信が謎。

そこはさらっと、新しい情報にしていけばいいだけなのではないでしょうか?例えば、最近はジム上がりのクライマーが主体なのだから、ジムでビレイを教え、ある位程度…例えば5級がすいすい登れた時点で、外岩に連れていくとか。

っていうか、アルパインでリーダーをやっている山岳会の指導者たちは、ジムの5級登れるんですかね?もしかして登れないんじゃないですかね?

九州クライミング界・登山界は、40年遅れのA人材が主体で、そして、A人材は、自分たちが時代から取り残されて遅れていることにまったく気が付かない上、ものすごく自分のやり方だけが正解なのだ感がある。

たしかに古い技術は役に立つことが多いです。私も、カラビナで懸垂下降する方法を3つ以上知っています。なんせ、新人はビレイ器を落とすことがあり、山で落としたら、まず見つかりません。その時カラビナ懸垂ができないと、家に帰れないですよね?カラビナ懸垂だけでなく、肩がらみや腰がらみも教わりましたが、垂直でやる気になります?しかも、ゴアテックスの高級ウエアで?

でも、普通に外岩を集団で登っているときに、腰がらみなんて要らないし、カラビナ懸垂を知らなくても別に困りません。それより先に覚えることがあるだろ、って感じ。ビレイの体重差の話が分かっているとか。

繰り返しになりますが、40年遅れの人は、遅れている自分たちが正解だという感じがものすごく強い。

間違ったビレイでもそれが正解だと主張したりする。

分かっていないのは、”おめーだろ感”で、ものすごい張ってきます。

でも、本当に分かっていないのは古い人のほうです。

■ トリック?恥ずかしい目に合わされている若い人?

さて、現代の新人君が、そうした古い考えに接すると、圧倒的正解感で先輩は教えてくれるわけなので、一般的な人は相手を疑うことができません。言うとおりにして、その基準をも受け入れる。しかし、その基準…40年前のトップクラス。

40年前の山岳会のトップクライマーって、現代ではただのその辺の人と同じスキルです。

逆に言えば、現代でその基準を適用すれば、ただのその辺の人が、え?俺ってもしかしてトップクラス?って思えてしまいます。

米澤先生は、私と野北の岩場で登った時、私がカムで登るので、「昔はあなたがやっていることができるだけで山岳会のトップリードだったんだよ」でした。実際、今でも九州ではアルパイン系の人は、フリーのリード能力5.7止まり。

40代スタートの私がリードできるようなところって、実際、入門者から初級者クラスの課題です。野北で登った課題は、小川山や昇仙峡で登っていたころと比べると、まぁ楽勝感ありました。

インスボンだって、小川山と比べると楽勝なんですもん。登りやすい。楽で長いです。もちろん、当時、私は登り慣れが必要な時期だったので、それで充実した登攀ができたのですが、まさか、簡単で長い課題を登ったことが、困難の克服をメインの価値判断の基準とするフリークライミングの世界で、自慢話になるとは思っても見ませんでした。ので、別に自慢していないと思います。

アイスクライミングに関しても、時代錯誤が顕著です。現代となっては、アイスの5級なんて、”あのー、その日、初めてアックス持った素人でも登れるんですけど?”みたいなグレード。壊れそうなアイスを登る行為は、まぁ基本、考えていない人のやることです。

コンペで、解け解けのスカスカ氷になった部分を見ては、

 「アックスサクサク刺さってめっちゃ登るの簡単だけど、リードはいやだよね~」

と皆で言いあいます。それで分かりますよね?あんなのが、目の前に出てきた滝で起こっていたら、まぁ基本登らないです。

師匠の青ちゃんなんて、高い標高の八ヶ岳にあったとしても、南面のは登らないくらい慎重です。摩利支天に行ったときも、ベテランの俺のほうが分かってるのは当然なのですから、私が登りたくて取り付こうとすると、制止してきました。これくらい登れよ、とあおられたことはありません。九州の指導者はあおり系で、事故を起こすクライマーを作っています。

以上を総合すると、誰も登ってなかった課題の初登…それは簡単なのに危険って意味で、すごさの表現じゃなくてバカさの表現ではないんでしょうかね?

九州男児の底力を見せてやる!

なんて、

 簡単だけど、ものすごい危険なルートで張り切って登って見せてくれる

のは、今ではどちらかというと、

 子供っぽくて可愛らしい行為、

なのではないでしょうか? 男らしい行為っていうより。

今日、アイスクライミングのワールドカップのギンちゃんの動画を見て、そう思いました…。ギンちゃんは大分出身のクライマーなのに、全く九州で無名。スルーされている。

本来なら今こそ祝杯ですよ。九州男児よくやった!って。別に九州男児だから、すごいってわけではありませんけど、ほんとすごいです。そのすごさが分かっていないって話。でもって、すごくない記録をすごいすごいとあがめているって話。

ギンちゃんと一緒に練習したことがありますが、めちゃ丁寧にいろいろ教えてくれました。

つまり、えばっていない。なんで、九州では、男子なら登れて当然の5.12がやっとこさのしょぼい人がえばってるの?

だって、5.12で一般標準男子なら、なんとか登れるってのに、5.12をつけていたって話ですからね。

クライミングの世界はまだ人口が少ないので、初心者でもトップクライマーとの接点がすぐ起きます。

しかし、九州ではそういう恩恵がないので、ただA人材がいうことを黙って聞くしか、若い人はクライミングを知る機会がないのかもしれません。気の毒ではありませすが、情報化時代、普通の情報力があれば、気が付きますよね。

福岡出身のクライマーで、本州で活躍している人に話をしてもらえばいいだけだと思いますけどね…

あまりにスポーツクライミングとしてのアイスクライミングが発展したので、別のものになってしまって、外で氷を登るアイスと競技の間に落ち込んだ、

 技術的つながり、歴史的つながり

が全く見えなくなってきてしまっているんでしょうね… 今では6級の氷柱だって、趣味で登ってるだけで競技はしないクライマーが登ってる時代に5級で自慢していたら…自慢ではなく無知の露呈ではないでしょうか?

逆にスポーツクライミングしか知らないで、カットアンカーのボルトにバンバン落ちている、なんてのも、無知の所産です。外岩はフリーであっても、ドカ落ちないように登るもの、という教育を受けました。ボルトが衝撃に耐えれる保証はないからです。そのほうが岩場の現実を反映した登り方です。

ホント、クライミングも知性が必要です。

もっと悲しいのは、最初から山梨・長野で、現代の価値基準をインストールされたはずの人が、周囲からの賞賛欲しさに、A人材の言うとおりにしてしまうことです。

王様は裸だと分かっている人が、裸の王様を見て

 素敵なお召し物ですね、って言っているようなもの

ですよ。

これらの件に関しては、

 私の側の問題=私がクライミング界に持っている期待が高すぎる、

と言うことではなく、

 周囲のレベルが明らかに低すぎる、

という結論に達しました。

私がすごいのではなく、周囲の人が時代遅れすぎる、のです。

まともな思考能力の新人の側が付き合ってられんのは、生命保存の法則から当然です。