私にとってのクライミングとは?をかんがえています。
私にとってクライミングとは、
自然界との対話です。
山にも岩にも、敬意を払っています。
だから、ちょっとムーブが思いつかないからといって、
簡単にロープにぶら下がったりはしません。
ムーブが分からなくて焦ったときは、
まずクライムダウンします。
これは、
読図で現在地が分からなくなったら、わかる場所まで戻るのと同じです。
そうやって、改めて登ってみると、
思いがけずムーブが出てくる瞬間があります。
これが面白さの源。
自分の体から、無意識にムーブが引き出される。
それこそが、岩と自分の体がどう重なれるかを、時間をかけて探るということなのです。
だから、私にとってクライミングは、競争でも、征服でもない。
岩と向き合い、自分自身とも向き合う時間です。
だからこそ、命知らずを煽るような登り方や、
「これくらいも登れないのか」という登り方は、私はしません。
それは、たいていの場合、
言っている人自身の自己愛の傷つきの投影なのです。
つまり、こう言ってくる人は、かつて自分がそう言われて育ってきた人。
そんなやり方は、私の辞書では、
そもそもクライミングとは呼べないものです。
クライミングとは、やっているうちに
無意識が機能して、ある日突然できるようになるもの。
そこが面白さであり、醍醐味なのです。