2024/09/04

【クライミング心理学】親切のコストは高い

 ■ ほんとにこれだーと思った

今日は睡眠が十分足りたのか、突然理解が訪れました…

最近のいろいろな出来事、結論中…

https://youtu.be/jD0ge3zL9KE?si=cTu7qCFoL7KHPN_v


日本の道徳では、誰にでも親切にしましょうと教えますが、実は親切にしたらいけない人っているんですよね。

ナルシストというのは、たぶん、アメリカ文化からの余波みたいです。最近、伊藤貫先生のアメリカ外交を勉強していますが…

アメリカ文化が陥ったここ30~40年の社会的歪みについて、伊藤先生がナルシストの国になってしまったことを述べています。

いやはや、政治学者の目にも明らかになってしまったほどのナルシストの害=モラルハザード。

https://www.youtube.com/watch?v=PzCK-b4CRkA&t=1160s

自分さえよければいい、今だけ良ければいい、という価値観…はよく考えたら、日本でも蔓延しています。

というか、それ以外の価値観が行方不明になっているかもしれませんが… しかし、極端な事例は多い。

実は関西の岩場を見たときは、びっくり仰天したんですよね…。

あれは、警告だったんですね。

怪我をした仲間をうっちゃって、自分たちだけは登りに行く…ということだった。いや、びっくりした。ただ、特殊な事例だと思ってしまったんですよね。

それと同じことが私にも起きた。

いや、被害者側になる前に、予兆として経験していたんですね、あれは。

しかも、繰り返し…。

さて、ここから何を学ばないといけないかということですよね。

Absolutely right, which means you gotta know what kind of person they are before you step into the relationship. Don't hurt yourselves folks, you can't change someone else.

どういう人かしっかり知る必要がある、ということです。

誰でも信頼してはいけない。


年を取れば、その違いが分かるようになる?

いや年寄りだからではなく、苦い経験を通じて学ぶもの、でしょう…

最近学んだこと

1)親切は無料ではない。誰にでも親切にしてはいけない。特にナルシストに親切にしてはいけない。
2)ナルシストの特徴は、ナルシスト側が受け取る側、与えられる側なのに、なぜか要求がましい。恩着せがましい。

3)これをするのは、あとから返礼しないための防御線。俺は頼んでいないというため。

やってもらう側なのに、なんか偉そうだな、という風に感情面では察知されます。

これで、こちらがスルーしてしまうと、ナルシスト側に正当性がないことを、あれして、これして、と頼んできます。物を貸すと返してこない。とか、人のロープで登ろうとして返礼がないとか。

基本的にGive&Takeがおかしく、Giver側の愛情を踏みにじることにほとんど罪悪感も自覚もないです。

しかし、ナルシストにここまで増長させるのは、ギバーの側なのです。

普通は、ギバーが与えようとしても…そして、それが特に負担にならないような内容でも…、日本では一般的な人は遠慮して受け取らないのが普通なんですよね。

そうならないというのは、ちょっと要注意です。

例えば、こないだ、合気道でご一緒したN田さんが、「お昼どうですか?ごちそうしますよ」とおっしゃったのですが、私の現金持ち合わせがない買ったというのを知っての発現だったので、カードでお支払いできるところで、お食事して各自払うことに。

もしこれで私が断らなければ、なんかちゃっかり情報をもらったくせに情報をくれようとした人に食事代を払わせるということになります。

ギバーはより強い形で、遠慮はいらないですよ、とプッシュしないといけないことが多いです。

でも、そうならない=危険信号。

そういうことがよくあったなぁと思ったりしています。





2024/09/03

【セルフケア】手・指・足のマッサージ、

■【やってないならチャンス】手を強化すればもっとパフォーマンスが上がる

これをやったら、丸三日取れなかった指の痛みが取れました☆

■ 続編で、指のマッサージも出ていた


指に限界を感じているんだが…

薬指・人差し指: 肩の前側
中指: 肩の真ん中
薬指・小指: 肩の後ろ側

経絡による考え方らしい… 確かにアイスでは広背筋を使うのですが、使っていたころは肩こりがマシだったかも?

しかし、広背筋の一般的筋トレ種目であるローウィングはやってるけどなぁ…

手は、中指から小指に掛けて脆弱性を感じ、足は薬指に顕著に脆弱性を感じる。

■ デルマトーム 指と神経支配


引用― https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Grant_1962_663.png 


■ 足マッサージ

これもよかった。フィンガーショットとニギニギ。朝起きる前。練習前。


■ 中野崇さん

前にも見たことがあったような気がするトレーナーさんですが、内容的に私の経験と一致するものが多く良いような気がしました☆

■ 〇〇以前の問題

バレエでは、バレエ以前に体が凝っているとか疲れているとかで、バレエの動きができない人が多いです。

ヨガも同じ。

なら、ヨガやバレエより、運動強度が強いクライミングは、もっとそうなんじゃないかね?

【内省】何がたのしいんだっけ?

今朝は、早朝の目覚め。

■安眠について

夜寝る前にストレッチを充分しないと、寝ている間に休まらない。体があちこち凝っていて起きてしまう。ところが、寝る前は別に凝っているとか実感がない。

■クライミングジムのクライミングについて

クライミングジムでのクライミングは、普通に登れば、ただ楽しいだけだ。

が、ムーブを考えたり、取り組み、になってしまうと? 別に楽しくない。正直、言えば、外の岩登りのほうが10倍くらい楽しい…んだが。

外での岩登りに必要だと言われるから行く、ということになって、そこがやっぱり不満の種かなぁ…

行かないと強くならない、とか、うまくならない、と言われるんだが、強くなりたいとも、うまくなりたいとも思っていないのになぁ~という感じというか…。

いったい、それって誰の思い?みたいな?

ホントに、いったい、誰が強くなりたくて、いったい誰が上手くなりたいんだろうなぁ…?

それは私じゃないんじゃないだろうか?

たぶん、甲府時代は、私が登りたいのではなくて、私をビレイヤーにしたかった人が登りたかっただけなのではないだろうか?

私はただ楽しみたいのに?みたいな? なんか急かされ感あるよなぁ。

ただ楽しむ、急がずに楽しむ、ということが欠けているように思うんだよなぁ。

なんでなんだろ? 

■ 楽しいということについて

では楽しいとはどういうことか?

昨日はとても楽しかった。

ロージックという花屋さんで、フライングリースというのを頼んであったので、引き取ってくる用事があったんだが、その前にヒカルロースターに立ち寄って豆購入。

朝に飲むコーヒー豆のエチオピアが今深入り豆しかなく、浅煎りのおいしいのを買いたいと思っていたので、光るコーヒーというロースターさんに出かけた。そしたら、コーヒーの淹れ方を丁寧に教えてくれたり、いろいろロースター業界がコーヒー豆の価格が上がって大変だという話で盛り上がった。

コーヒー業界の話がとっても楽しく、一杯のコーヒーを楽しんだ。

その後、ロージックさんに行って、小一時間は、おしゃべりしていたと思うんだが… 

つまり、おしゃべりが楽しいのかなぁ?

でも、私は別におしゃべりなほうではない。何かを探求する会話は好きなんだが。 

ジムでは、クライミングの話題だったら、だいぶしゃべれると思うんだがな…。

ジムで登ってる人は外の岩は登らない人が多いから、共通の話題がないんだよなぁ。

■ 外ボルダーについて

ジムクライマーの定番入門クライミングは、外ボルダーらしいのだが、足首を、アキレス腱を切った者には、ランディングが再断裂が怖くていやだし、ビレイヤーなしで登れますよとか言われても、じゃ6級が充実しているボルダーって知っています?と聞いてみたら、

「いや、そういわれると難しいけど!」という答えで、

そうだろうと思った。

■ ボルダーの級について

ボルダーは、そもそも外岩でも1級からのスタートである。

外ボルダーの一級はアイスクライミングの4級と同じだ。そもそも初心者でもこれくらいなら登れるでしょう、というのがアイスの4級だが、外ボルダーの基準岩は、エイハブ船長1級で、基本的に、若い男子だったらこれくらい一日あれば登るでしょう、というのに1級が付いているのである。なので、若い男性で、1級が登れなかったら、俺は平均以下だ、という意味。

私はアイスクライミングは、本当の1回目以外は、4級は当然だが登れていた。2度目から小滝育ちだ。それまでの普通の登山の蓄積で、登れるグレードに4級ってつけてある。アイスでは6級に行くまではムーブは不要だ。

フリークライミングの5.12も、日本人の一般的な大学山岳部男子つまり、18~22歳くらいのいきのいい男性が頑張ったらぎりちょん登れるってのに、5.12がつけてあるので、それ以前のグレードしか登れていない男性は、俺も18歳から比べて衰えたなぁという感想になるはずだ。

大体は登攀能力が落ちると言っても、5.11までで、5.9が登れないようには早々ならない…ってことになっているのではないかと思う。

そもそも、最初から5.12まで行かなかった男性たちもいると思うが…、昔はアルパインをやる人は、5.9で自慢になったそうなので、その時代の人は、5.9で自慢で、クライミングシューズで拓かれたフリーのルートにも、登山靴で来てしまうが… 

逆に登山靴で拓かれたルートでも、今ではクライミングシューズで登るのが、慣例なんだが…そういう慣例に厳しい目を向けるような人種…ということになる。もう…、ずいぶん昔の価値観と言えそうだ。それで文句言うような人は、もうダイナソーレベルかもしれない。

■ 女性とグレード

こういう感じで、アイスクライミングではグレードは、ユニセックスだが、フリークライミングでは、グレードは男性を基準に作られている。ボルトも男性の標準身長をもとに打たれている。 

したがって、男性がギリギリ感が出てくる5.12以上のルートでは、大抵が適正ボルト。それ以外のルートでは、大体がボルトが遠く、適正ボルトとは言えない手抜きルート。手抜きのルートに、著作権を叫ばれてもなぁ。ってところだ。

男性の標準身長に満たない女性は、5.12以下の手抜きで作られたルートで怖い目に遭うことになっているので、その怖い目をグレードに加担すると、5.12を登っている男性が出さなくてもよいズク…根性…を出さないといけない。

その女性が出さないといけない根性の量は、そのグレードでは出さなくていい男性には、たぶん、一生分からない。

そういうことがないのがアイスで、結構、平等なクライミングであるなぁと思った。

女性にもっとも厳しいのは、たぶんボルダーだと思う。

■ フルートブーツについて

クライミングシューズで拓かれたか、登山靴で拓かれたか?みたいな違いがルートにあると言ったが、トップクライマーの人たちでも、氷と岩のマルチにフルートブーツを持っていくみたいな世界に代わっている。

アイスクライミングのコンペに分厚いダブルのブーツとモノポイントとはいえ、アイゼンで出たのは、私くらいだった… 

私もフルートブーツは購入したが、あれ、使っていないんだよなぁ。使いたい。

というので、こんな画像が回ってきたので、あーあ、これをやろうとして、途中停止ボタンが押されたんだった…と思い出している。 


2024/09/02

【クライミングによる地域おこし】不在のステークホルダー、地域市民を地域おこしに

■ 私が本当にクライミングによる地域おこしでやりたいこと

現在のクライミングによる地域おこしでは、本当に地域おこしという活動から、利益を得る主体である人、つまり、地域の人、はなんらの便益も得ていない。

地域おこしなのに、肝心のステークホルダーが不在、その名は、地域市民…。

ロクスノで、小鹿野の地域おこしに関する話を読んだが、小鹿野も、地域おこしについて、地主や地権者しか、地域おこしについて、関心を持ってもらう、利益を得てもらう、という発想がないみたいだった…。

地域おこしに地域の人が参加しなかったら、その地域おこしは、肝心の当事者不在の活動になる。

地域というのは、自分の家、であり、自分の故郷であり、まぁ、拡大した自分自身、ということだ。

自分が日本人でない、と思う人はいないだろう。同じことで、自分が○○町民、〇〇市民、〇〇県人、と思わない人はいない。なのに、クライマーでないから、小鹿野の町おこしには関係ないとか、地主じゃないから関係ない、意見できない、というのは、間違った発想だ。

他人事、ではない。その他人ごとではない、という感覚を日本人は戦後忘れてしまった。

私がアメリカに行ったのは、94年95年だが、教会活動が盛んで、震災の時は物資を送る活動に私も参加した。その時、アメリカでは地域活動がきちんとあるんだなぁと思った。

その後サンフランシスコ市内の日赤に同様に参加してボランティア活動しようとしたが、あまりにも悲惨で機能しておらず、なんじゃこりゃ感があった。すでに自分の町という活動が成り立っていなかった。要するに、貧すれば鈍するのである。

思えば、九州福岡で経験したクライミング活動の廃れぶり…は、同じだったかもしれない。

みんなが自分さえよければいい、となった結果、こういうことになったんじゃないだろうか?

伊藤貫先生は、中国の日本が属国に陥ることを懸念しているが…アメリカに対して売国奴だった人たちが、今度は中国に対して売国奴になるだけのことで、日本市民、国民は、また、ただ黙ってその事態を受け入れるだけのことなのだろうか?

私は市民の自主性が失われた町というのは、ほとんどすべての市町村なのではないか?と思っている。

夕張以外の… いっそ、全く市町村機能が無くなれば、人々は自分の力で立つことを思い出すのではないだろうか。


2024/09/01

【シンクロニシティ】心身統一合気道…不思議なシンクロニシティ

昨日は、不思議なシンクロニシティに導かれて、合気道教室に行った、合気道一色の日でした。

驚いた。

帰りにランチに誘ってもらい、ご一緒して、結構、疲れ、お昼寝したら、もう、夕方の合気道教室の時間の10分前で、なんだか、気が高揚した日でした☆

■ 出会い

朝、起きると外はザーザー雨でした。

昨日はすごい明晰夢を二つも見たので、それについて考察しようとしていたのですが、雨があまりにもザーザーで、とても、気持ち良さそうなので、雨に打たれようかな♪って気分で、お散歩に行くことにしました。

特に目的を持たず、直観のままに歩く、ということを目的にした”アーティストデート”と言われる方法による散歩です。これをすると、私は気分がスッキリするのです。

自分にとって価値があるもの…それを発見する。自分軸に戻るための散歩、ともいえるかな。

そこで、まずは高津神社では、アーモンドの木を発見…誰かがお供えしたものでした。お供えって、寄付、ドネーションの口語です。捧げるもの。

高津の宮は、台風によるザーザー雨にも関わらず、いつも通り、全開に開かれて、神様は、雨でも晴れでも、構わず、受け入れるものなんだなぁと思いました。

朱色が印象的なお稲荷さんの方へ行くと、木の周りにぐるっと鉄格子が回してあり、一見何の役に立っているのだろうか?という感じ。お稲荷さんの朱色が雨に濡れてきれいでした。

境内に古い井戸があった。(ちなみに焼却炉もあり、神社は自己完結している)


井戸水はもう飲めないのか?社務所に頼んでねと書いてあり、水の都と言われた大阪でも、空堀では、水は貴重だったのかも?などと、想像。でも、水道につながっていない井戸は、地域に一つは欲しいですよね、災害時。

その後、雨水で出来た小さな地形が、まるで空撮した河川のようだと思い、その河川に沿って歩いてみることにしました。もともと、自然地形を辿る、というのが好きなのです。冒険好き。

それで、出てきたのが、社務所の隣の小屋で、日ごろは近寄らない。なんでかな?なんとなく、遠くで見るだけでいました。そのことに気が付いたので、近づいてみようかなと思ったのです。チラシが置いてあったので、へぇ~と思って眺めていたのでした。

すると、奥から人が。胴着と袴をはいた男性でした。

今から、”気の教室”が開催されるということで、へぇ~と思い、時間は9時半の予定だが、もう過ぎているそうだった…。誰かを待っているみたい?

私を待っていたわけでは当然ないのですが、その男性のお顔がとてもやさしそうだったので、ふと、思いついて「急ですが、参加してもいいですか?」ということで、参加しました。

まさかそういうことになると思っていなかったので、参加費3000円がないかも?と思い、急遽、お財布を確かめると…4000円入っていたので、ホッとしました…(笑)。

で、参加したのが、こちらの教室です。

https://www.youtube.com/@yuuyuuaikido-osaka

習ったのは、簡単に、まとめるとこんな感じです。

1)容易に外力を受けずに立つ方法(統一体)
2)強い腕を作る方法
3)押し返された手を一緒に連れて歩く方法 (合気?)
4)肺や肩こりを癒す方法 (気圧) 

”相手の気を感じる”、”力と力で対立しない”、というのが大事なことみたいです。

2人一組、3人一組になって、練習するのですが、その時、組んでくださったN田さん…とても細やかな性格の方で、その方の気がよかったのかな?なんかうれしかった。

私が初心者なので、初心者対応を立候補してくださり、相手にとって迷惑でないかな、受け入れやすいかな、と考えつつ、動作してくださっていることが分かりました。とても日本的ですよね。

新入りが来たら…とっても面倒見が良い人が面倒見てあげる…っていうのは、ユニバーサルな現象で、たぶん犬の世界にもあるみたいです(笑)。

ずっと昔ですが、アメリカで、ラブラドールのゲイブが私の面倒を見てくれて感動したことがある…確かにあの時は私はあの家庭では新参者だったんですよね。

というので、初心者でーす、というので、とっても良くしてもらいました☆ 

それで、ランチにも誘っていただきました☆ 私のほうがローカルで詳しいので、いつも行っているイタリアンのお店にお連れしました☆ デザートまで行きました☆

さて、話を戻すと…

力が出る、体の保持の仕方(統一体)で、臍下の一点に力を集め、二分の1を永遠に繰り返す、ということに興味が湧きました。

その力は、決してゼロにならない…という意味で、物理でいう運動の、量は減衰しても、ベクトルはずっと続く… これは、シンギングボールの残音と同じだそうでした。

今、大阪の家にもティンシャがあります。この音が良い動画ではないかと思います。他のは、残音が終わる前に動画が切れていました。


ベクトルの方向性としては、拡散もOKなのだそうでした。

私は山の中では、自分が無になった感覚を得たことがあると思うのですが、それは、限られた境界線のある自己が、自分自身が、山の一部になったような感覚なのですが…薄まる、という方向で、広がっていく、倍々に大きくなる、みたいな方向性です。

たぶん、野生動物は自分と山との境界線をそう強く持っていないと思うのですが… たぶん、人間が自然界を脅威だ、敵対している、と感じる心の正反対で、アットホームな感じ、自分のリビングにいるような感じのこと、を、自然と一体化した感じ、と称して構わないと思うのですが…。アリさんも平和、野生動物も平和、私も平和、みたいな? お釈迦様はこれをハーモニーと言ったと思うのですが。

それが、私が山から得たい、と思うことの内容であり、何かすごいルートに登って名誉を得たり、ということではない。もし、そうなると、あなたが山から得たいものは、世俗の栄誉、ということになってしまいます。

また、私が山から得たいものは、自己肯定、自己承認、自己効用感でもないです。心の静けさ、自然界からの学び、そして、大安心です。大安心とは、自然農の用語です。自然の中で生かされている自分、人間存在への確信とでもいうべきもので、それはとても安心な世界なのです。わーわー、騒がなくても。

人は生まれ、人は老い、人は死に、そしてまた人は生まれる…永遠の繰り返しの中に人は存在するにすぎず、すべてが川の流れのように一時のことなのです。一時のことだから、切ないと考えることもできれば、一時のことだから大切にしようと考えることもできる。

後者の思想が大安心の世界です。今、何かを達成しなくてもいいんですよ。

しかも、それって大変な努力…修行やつらい研鑽などの我慢…をして得るものではなく、観察によって得るもの、です。

余談ですが、私が、自己効力感を最も高めたのは、東南アジアへの旅行でした。まぁトラブル続き。でも、どんなトラブルにでも一人で対応できる力がある、と実感した。東京出張より楽勝でした。これが良かったのはビジネス界からだいぶ長いこと離れているので、自分が陳腐化しているのではないかという恐れが私の中にあるからです。

自己効力感というのは、何が起こっても大丈夫みたいな気持ちですが、それを社会の中で獲得する、というのは、私は10代で済ませたような気がします。

たとえば、20、21歳でアメリカに暮らしてしかも、経済的に、独立、自活生活しています。なので、海外での暮らしの大変さも知ってはいますが、今やるべき課題とは思えないんですよね。なんとなく、すでに済ませた課題をやり直しするのは違うだろうと。

だから、無節操なトラベリングクライマーへの道は、何となく違うな感があります。どこへ行ったここへ行った、って人からは羨ましがられるけど、そんなに良いものでもないんですよ、実際やると。

もちろん、クライミングで出てきた自分への課題に、ぴったりの岩場があれば、そこへ行くのは、意味あることですが。でも、自分にとって意味がなければ、行かない。ただの遊行費で、自分の成長につながる用途ではない気がしますしね。

■ クライミングで何に困っているのか?

そこが現在の私のお困りごとではなく、なにか巨大なエゴの力…クライマー界のエゴ…

・俺が俺が、の承認欲求のエネルギー、
・仲間からあいつはスゲーと言われたいという所属の欲求のエネルギー、
・男同士の嫉妬のエネルギー、
・相手の命・存在への軽視というエネルギー、
・無責任というエネルギー
・自分さえよければいいというoppotunisim, そして、
・長いものに巻かれよう、寄らば大樹の陰、みたいなConformism、

そういったエネルギーの渦が嫌なのです。嫌というか、そういうものが、私の内側を脅かす脅威、となっている。

脅威というのは、避けたいと思うという意味です。取り合うのがめんどくさいのです。

■ 避ける、は不正解ではないらしい

私は戦略的思考に優れているのですが…この避けるという戦略について、潔くないもの、をかすかに感じていました。

なんせ女の子なのに、近衛隊長になったオスカルみたいなのをかっこいい生き方認定してきたので(笑。ベルばらの話です)

しかし、こないだの森さんのオリンピックを見て、クライミング界がどういうものかを理解しました…。

あんなに優れていても、身長による本人の努力と無関係な不利について、仲間から支援も、同情も、応援も、得られないのです。

仲間からすら、物理的限界を認められず、もっと頑張れ、つまり、神になれ、と言われて、あれが取れなければクライマーじゃねえ、不満すら漏らしたらクライマーじゃねえ、と仲間外れにされ、突き放されるのが、クライミング界なのです。

努力で不可能が可能になるとでもいうのでしょうかね?どこが暖かい世界なんだ?どこがフェアで公平な世界なんだ? 

…ということで、まぁ、クライマー界に対する敬意は、私の中には現在、全くありません。

結局は、既存勢力は、自分が座った、俺はすごいクライマーだ、という椅子をできるだけ温存したいだけなのではないでしょうか?

実際、女・子供ばかりがスポーツクライミング界ではトップクラスになってしまって、男の人は面白くない、と正直に話す人もいます。

そういう人が面白くない、のは、男性のパワーや体力が賞賛された、過去の山の世界で、女や子供が、昔は超人とされた人…実際は本人にとってはそう難しくないこと…にしかできなかったことができてしまう…と、メッキがはがれる、から…

エベレストなんてとっくの昔にメッキが剥がれ、そして、すごい山や認定されるためには鉄板だったK2ですら、62歳のおばあちゃんでも登れる高所”遠足”になってしまい…、まぁ世の中の方向性としては、まぁだんだんメッキは剥がれる方向です。

今まで、それですごいすごいと言われて、持ち上げられてきた人たちが面白いわけがありません。逆に本当にすごい人は、誰も名前を知らないような静かな山で、コツコツと着実に実力を上げていますよね…平出さんたちがそうでした…。亡くなって残念ですが。

さて、戦略論に戻りますが、この合気道でも、力と力を力の力点、物理的な力点で、そこを意識すると、体は力の接点で力同志がぶつかり合う、ということになるので、体は固まって動かなくなります。

つまり、これは、心理的に言い換えると、葛藤するということになる。力のベクトルが正面を向き合って、互いを打ち消し合うということです。

つまり、私が作戦として持ってきた、誠心誠意、正面から取り組む、山と向き合う、という方法論が、力と力の接点って意味なのかもしれません。

例えば、鬱だったら、鬱に正面から向き合う…それに取り組む…ベイビーステップで取り組む、ということなのですが、その方法論で、つまり戦略で上手く行かないとき、何か別の戦略が必要なのです。

それは迂回する、力をよける、みたいな方法かもしれません。この合気道で教えていることにヒントがあるような感じがあります。

それで、本を読んでみることにしました。藤平光一さんという方の本を取り寄せ中。

昨日習った中では、例えば、相手を見ずに遠くを見ると、相手の抵抗を避けて、相手をふらつかせたりすることができるそうです。

このテクニックを使うことへの心理的抵抗は、卑怯だ、という思いかもしれませんね…(笑)。

■ 私が得たいのは、いわば、心の統一体、かなぁ。

体のほうの統一体は、先生の指導が良くて、なんと一日で出来るようになったのですが…。

というか、統一体は、そもそも誰でもできるのに、すぐ人間というものはそれを忘れるらしいので、常に鍛錬していないといけない、みたいです。

バレエでの身体技法では、力が無限に続くように使う…のは、その通りなのですが、重心をおろしたら、今度はその反発力でエレベーション(引き上げ)が強調されます。先生によると、このエレベーションは合気道でも使うそうでした。

クライミングでは、丹田やら、引き上げは全く無関係だと思います。むしろ、身体張力って感じかな。

アイスでは、アックスを振る動作の時に小指がポイントですが、それは小指を意識することで広背筋に力を出させることができるからですが、岩では、腕を閉じて使うことができないので、結局腕力…。

■ クライミングの身体技法

フリークライミング、特にボルダリングは、身体技法といえる洗練は、まだ獲得しておらず、特に精神性の面で、きちんとした教えを欠き、結局ムーブにも力が必要で、力の祭典、みたいなことに陥っています。

クライミングジムでは、フィジカルではないよ、ムーブだよ、と言いますが、それはそう言わないと、女性も子供も来なくなるから、です。実際は、虫様筋。故・吉田さんも虫様筋には詳しかったですよ。

それに、フリークライミングでは、モノサシ自体が男性中心。男性で、成人男性のもつ一般的なフィジカル…身長やパワーがある人を基準にして、外岩のグレードも作られ、それを模して、インドアジムのグレードもそれに準じて作られ、そのモノサシで行けば、平均的女性や子供は、常に男性たちより低グレード、という現実があります。そこにムーブで例外が出るから面白いんですが、面白いのは女性や子供の側で、面白くない男性に、そのムーブができなくなるように、ホールドつぶされたりしている(サバージョババージョ事件)。

結局、既得権へのレジーム争いと結論付けられそうです。

もちろん、男性並みのパワーという壁を突破した、特殊能力の持ち主…な女性や子供もたくさんいて、古いクライマーで言えば、リンヒル、新しいクライマーなら、アシマちゃん、みたいな感じです。もちろん、オリンピックの森さんも含まれます。

逆にその人たちは権力者に利用され、ほら、女だって子どもだって努力すれば、俺らと同じことができるじゃん、みたいな話になっていますが…。

それって、同じグレードに到達するのに、努力3倍、才能10倍みたいなモノサシを変えない言い訳に、トップクライマーの努力が利用されることになっている。しかも、みじめなことに当のトップクライマーも、不利な条件を乗り越えてきた自己に自信の根拠を置くので、それに加担することになっている。

まるで、日本が、日本国のアメリカ化に売国奴によって売られてきた歴史と重なります。こういう心で、そういうことが起きるのかぁ、みたいな感じです。

これは社会現象としては男女の賃金格差と同じ構造ですね。

私もトップランナー的なことをやってみたけど(年収で800まで行った@28歳)、えらい疲れる世界だったわー。とりあえず、そっちの方向性は、今興味ないです。

私が学んだのは、女が男の真似をしても疲れるだけですよ。社会の中で女性には女性の幸せがあるように、女性らしいクライミングの喜びがあるはずです。

■ 私の楽しいクライミング

私は私の楽しい山やクライミングを続けたいのです。それは、何級登れるようになったとか、5.12が登れるって世界ではなく、

・読図の精度が上がって、自分が思った場所にぴったり降りれるようになったのが快感、とか、
・ここらに水場がありそうだと読んだ読みが当たる、とか、
・この岩登れるんじゃないか?と思ったら、登れたとか(つまり、ルートの読みが当たった)とか、
・この薄さの滝なら冬季になれば、凍ってちょうどよくアイスクライミングができるのではないか?と思ったら、その通りだった、とか、
・この気温でこの時期に山に行けば、フクジュソウがいいだろう、と思って行ったら当たった、とか、

そういう世界です。

比較の世界ではない、ということが読み取れるでしょう。

昨日は、そんなこんなで、初めまして合気道な日でした☆ 

気の教室はとても気に入りました。でも、技の教室のほうは違うなって感じでした。

終わり☆

2024/08/30

【トレーニング】【セルフケア】【コンディショニング】何かいいの無いかなぁ

■トレーニング

ちょっとネットで探してきて、自分用備忘録。

これは、バレエとヨガの知識を総動員しても、良い内容ではないかと思う。

【筋トレ】クライミング選手が自宅でできるトレーニングを紹介!

■ セルフケア 虫様筋

今、また指が痛いのです… なので、テーピングを工夫しないといけない。


■ コンディショニング 立甲

これが良いような気がします。なんせジムクライミングって、上半身がメインなので…

バレエのレッスンを取ろうかなぁと思って、スタジオ調べたりもしましたが、なんか下半身の強化にはなるけど、上半身は関係ないのがバレエ…

ヨガのほうも、膝関節への負担が大きいので(ロータスとか)、ホルモンバランスが変わって、間接に対する身体の反応が変わる更年期はヨガ的にはリスクかなぁと思います。

というので、まぁ、こんなとこかなぁ。今日の予習は。薄被りでもかぶりをやると指への負担倍増なのかもしれない。


ホールドには完全にぶら下がらず、足で体重を分散させないといけないですね。

【海外情報】【ジム】ファイナンシャルタイムズ&アメリカチェーンのジムでFall禁止令

 ■ 400~500%成長

クライミングジムブームって、日本ではひところより、ひと段落感がありますが…

福岡ではすでに淘汰の波が来ているくらいです。

大阪でも小さいジムは大変そうにしていますが…外国では、ファイナンシャルタイムズという経済ニュース系のサイトが珍しく、ニュースにしていました。

https://youtu.be/etvigdtJlnk?si=Vfcb8cf2vPMiL7za

たいして目新しいことは言っていなかった。

古いクライマー業界からは、外岩文化に、ジム文化を持ち込む、ことが懸念されている、そうですが…すでにビデオトポとか、ボルダーでは持ち込まれており、懸念は

 とっくの昔に現実化

しており、ニュースの癖にとろいなぁという印象でした(笑)。

つまるところ、こんな一般誌、経済紙ですら取り上げるくらいなら、市場浸透のステージとしては、もうメインストリームなわけです。

https://www.onemarketing.jp/contents/chasm_re/ より引用 

知っていますよね?イノベーター理論… 

知らないで商売しようというのは…、信じられない! です。

私がOLでお勤めしていた時代から、とっくにビジネス界界隈では、ふつーに用いられている理論でした。

■ キャズム: クライマーがやっていないジムが流行して、クライマーがやっているジムが廃業に追い込まれる理由

キャズム、というのは、この市場参加者たちの価値観のギャップのことです。

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なぜ、キャズムが発生するのか?その原因は、初期市場とメインストリーム市場、それぞれのユーザーの価値観の違いにあります。 キャズム以前の初期市場とキャズム以降のメインストリーム市場ではユーザーの購買におけるプライオリティが異なります。 初期市場のユーザーにとって「新しさ」というのは魅力の1つです。自社の価値観に合致している、目新しくて今後トレンドになるかもしれないということが彼らにとっての魅力です。 

しかし、メインストリーム市場では、ただ新しいだけではユーザーを開拓できません。信頼して使用できるモノなのか、他にも使用している企業はいるのかなど、購買において「安心」を求めるのがメインストリーム市場のユーザーです。 「いかにキャズムを超えてメインストリーム市場を攻略するか?」 キャズム理論は、この重要性を説く理論であり、キャズムを越えられないビジネスモデルは、市場が当初の予想よりも大きくならず、事業として採算が取れないケースが見られます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 太字当方

ここに古いクライミングの倫理観… 男だろ!勇気を出せ!みたいなやつ…と新しいジムクライミングの価値観…ムーブ命!クライミングはパズルだ!の違いがあります。

だから、古いクライマーの価値観を前面に出す=ビジネス的自殺と同じことなんですよ。

■キャズムを超える戦略のヒントと事例

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キャズムを超えるためには、製品・サービスを「目新しい」モノから「安心」して使用できるモノに昇華させる必要があります。

そのためには、信用訴求、品質訴求のためのコンテンツ作りが必要です。 BtoBであれば、その業界に大きな影響を与える企業が製品・サービスを導入し好意的な意見をもらうこと、研究機関、その道の専門家がお墨付きを与えることなどが、キャズムを超えるカギの一つになるかもしれません。
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つまり、”へぇ~期”は、終わったんですよ。今までは、”へぇ~”でお客さんが来てくれても、今からは、”楽しくないと来ない”んですよ。

空調しないで、外岩クライマーになるにはこれくらい我慢しろ!とか言っていたら、じゃあ外行きます、ってホントの外岩クライマーは出て行っちゃうし(実際、往年のクライマーでインドアで登っていた人はほとんど知らない。米澤先生も夏でも外岩)、じゃあ、涼しいジム行きます、って新しい人は言って出て行ってしまう… 結局、超シリアスクライマーしか残らず、そういう人たちは、古い価値観で共通の者ですが…かなり少数派です。

そういう少数の人を大事にするジムに方向転換する、というなら、それでも戦略的には整合性が取れているのですが、クライミング市場を眺めると、現在はメインストリームが入ってきているくらいなので…まぁ、確率としては、成功しない確率の方が高くなってしまうでしょう…

もし、CEOなら、そういう戦略は取れない、取ることが許されないですね… つぶす気か?!みたいな突込みが可能になってしまう…

■ じゃクライマーがやっているジムの意味がないのか?

最近、トップクライマーのHazel Findlayからの情報発信で、アメリカの大手ジムチェーン店で、Fall練習禁止って、どう思う?ってのが来ていました。

そりゃ、Fall練習ってインドアジムでやらなかったら、どこでやるのよ?みたいな練習です。

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ここでの最も強い主張は、人々はしばしば危険な方法で落ちる練習をしているということだ。これが現実の問題であることは認めなければならない。私たちのフォール練習を安全で効果的なものにする重要な原則のいくつかは、一般的な直感に反している。
 
私たちが理解しているように、この会社は自ら転倒セッションをいくつか提供している。これはより理にかなっており、限られた時間と場所であれば、クライマーが落下(そしてそのスポーツ全体)について学び、より快適になる機会を与えることを期待している。私たちの経験では、落下に対する恐怖心を取り除くには、1回のセッションよりもはるかに多くの時間が必要であり、前向きで安全な落下は日常的なジムクライミングの一部であって、予約して参加する体験ではない。

 この会社は私たちに連絡を取り、その方針がより良いものであることを認識し、クライマーに良いサービスを提供することを表明した。彼らは批判を受け入れてくれた(批判が公になるのはあまり好ましくないが)。

しかし私たちがここで懸念しているのは、このジムの個々のチェーンだけでなく、クライミングの一般的な文化や、それが前進しているかどうかということだ。私たちが懸念しているのは、訴訟好きで『安全主義』の文化はそれほど安全ではなく、ごく少数の個人のためにしかならない、ということだ。私たちは問題に対して無知になることで問題を解決することはできないし、問題を完全に避けることでうまくなることもない。私たちにとって、未知のものを避けるのではなく、未知のものを探求するというコミットメントは、クライミングの精神の一部であり、クライミングが社会に提供するものであって、クライミングを手なずける必要があるものではない。


あなたはどう思いますか?ジムはこのような転倒を禁止すべきだと思いますか?あなたのコミュニティではどのように転倒文化を改善できますか?あなたの経験上、転倒練習は迷惑行為でしたか?

DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
ーーーーーーーーーーーーー 太字当方ーーーーーーーーー

昔は市場ディスカッションのようなことも、ロクスノはしていたみたいなんだが、最近は、トップクライマー間の意見交換は聞かない。

本来リーダーシップを果たすべき人たちが、俺、もうそんなにハードに登れないから、と言って、リーダーシップを自ら、破棄しているようにすら見える…。

その結果がすでに出ていて、それが、外岩での、未熟なクライマーによる、バッドビレイだったり、墜落事故だったりすると思うが…古いクライマーたちは相変わらず、お互いの賞賛…お互いがお互いをレジェンドクライマーと呼び合う…をするだけで、現状と向き合おうとしていない、というのが、日本のクライミング界に対する、私の不満だ。

リーダーシップ不在は、政治だけでなく、クライミング界も同様なのである。

こちらは10万回再生されたリール動画。

https://www.youtube.com/shorts/gEGRe34k4_E

森さんの件、だが、オピニオンリーダーのオピニオンが、的外れなことが指摘されている。

まったくだ、と思う。努力すれば何とかなる、と、不可能、をクライミング界は取り違えており、古いクライマーだってそれは分かっているのに、沈黙している。遠藤由香さんがショルダーされている画像を見たことがあるが、背の低いクライマーにとってはアレがすべてを語っている。

どんなにムーブが上手でも、届かないものは単に届かない。そんなことすら分からなくなる、クライミング根性論を叩き込まれているのがオピニオンリーダーなのであったら、そんなオピニオンリーダーについていけるのは、全知全能の者くらいだ。

その上、実際のところは、古いクライマーって、クライミングの歴史通りに成長しているので、エイド三昧してきて今があるのである。上手くフリークライミングに乗り換えれた人は、過去のエイドクライミング時代の自分のことはとっくに頭から消し去ったみたいだが…。

クライミング界に真っ白な人はいない。互いに寛容になり、厳しい倫理観は自分に課して、他人に貸すのは辞めましょう☆



2024/08/29

【ジム】Day8,9 踏みかえ&テーピング効果&トンボラさん

 ■ ジムの記録をつけるのを忘れていた…(汗)

ムーブの再習得… いや~なんか、すっかり忘れて、普通に楽しく登っていたんだった。

さて、記録。

1)行きたい方向に、先に足を出してはならない。右手、右足、ではなく、重心を考える。

2)ホールドの向きを考えましょう。

3)核心だけでなくて、全部のムーブの整合性を考える

出来ないムーブでは、踏みかえ。

踏みかえがかなり苦手系だと分かった。あと、恐怖心が湧くと、腕が曲がるので、ムーブが余計に難しくなるのである。

■ 指力= テーピング?

すでに指が痛いのであるが… 例のレイバック応用のやつは、これは指をテーピングで、ガチガチにしたら、いけるかも?と思いついて、やってみたら、できた。

あっけないほど簡単に習得してしまったんだが…

たぶん、テーピングを取ったら、またできないんじゃないかなぁ?

てか、これエイド?

このジムはグレードが辛いので、たぶん6級くらいの課題であり、私にとっても、まぁ、これくらいはできて当然的な難易度で、未知の領域ではない。

しかし…それでも最初はできなかったし、なんでかな?みたいな感じだった。

お手本の小島さんのムーブを見ても、特に難しい要求をしているような感じではなかった。

それで、彼と私のフィジカルの違いを考え、これは指力かも?と思ったので、右手薬指のテーピングを1本だけ増やしたのである。たった一本の指ですよ。

すると、腕を伸ばすことができ、右腕を伸ばせた結果、左足、立ち込めた。

というので、この課題での核心は、なんと、右手の薬指の強度、だったわけである。

いや、びっくりですね。

というわけで、このように、クライミングにおける習得の核心というのは、まったく摩訶不思議系なのである。

バレエの習得とか、水泳の習得とか、テニスの習得とかでも、実はこういうことは起きているのだろうか?

みなさんも、どうにも、腕を伸ばせる気がしないとき、指にテーピングを増やしてみてくださいね。

余談だが、体操競技では鉄棒とかで、選手は手のプロテクションをしている。なんかグリップが良いグローブみたいなのをつけている。あれ、なんか人工壁登るときに欲しいんですよね、私…

というのは、人工壁でのリードの時、ドガバでも、手が開いてきて怖いんですよ。特にクリップ時。人工壁のリードって、もうしょっちゅうクリップが出てきて、しかも、私は右手にぶら下がりたいのに、大体左手ぶら下がり、右手クリップが多い。すぐ左手がギブアップする…ので、人工壁は嫌いなんです。

なんせ、手繰り落ちたら、しょっちゅうクリップしている意味なくなります。

■ こんなに登れないのに外岩登ってきたの…?

さて、そんなこんなの、ジムクライミング… ジム店長の小島さんは、ムーブ解析力が素晴らしいです。

しかし、私があまりにも、ムーブを知らずに、外岩でのグレードを上げてきたことを知って、驚いているようです…

だよねぇ…?

私もそう思う。 私は外岩デビューが早すぎたんではないか?と、もう10年くらい前から思っています…

でも、いろいろな人に聞いたけど…

  全く登れないときから、外岩に行くのは良いことだ

という意見が多数でした…特にアルパイン人種から。フリークライミング人種からすると、早すぎると思う。

というか、そういう人たちは、ジムがない時代に育っているので、ジムでムーブ習得してからのほうがより安全だ、という理解がないまま、現代の若者と同じ、これくらいは登れるはず、という期待を私に掛けていたようでした。

たしかに、私も、登れないころから外で登る、という風に成長してきてよかったなという面はあります。特に、外特有の外的リスクに自覚的になる。

たとえば、ピンが遠いとか、ボルトの強度が保証されていない、とか、1ピン目がかなり遠いとか、長ぬんで伸ばすとか、ビレイがシビアとか… 車中泊スキル外トイレスキル天候スキル、いわずもがな。

しかし、マイナス面もあります。自分の登攀力、ムーブ能力、そして、フィジカルにゆとりがないので、心が擦り切れます…

■ もう伸びしろがない人が粋がる?

例えば、台湾の5.4のクラック、私はカム3つで終わってしまいましたが… それと同じことをカサブランカでやっているのが、往年クライマーなんですが…でも、それって、たぶん、

登攀力を上げるという、のりしろがもうないので、やっているんじゃないかなぁ…

例えば、ボルダーだと、もっとすごいの、みんな登っていますよね。だって、ボルダーって1級からスタートなんですよね。

もう、よりハードに登れるということがなくなった人たちが、次なるチャレンジを求める先が…カム飛ばしだったり、スラブでも、40mランナウト、っていう気がするのは、私だけではないでしょう…

で、それに付き合う羽目になって、初心者なのに5.8で40mランナウトを登る羽目になるのが現代のジム上がりクライマー…。

彼らはジムでムーブのゆとり、フィジカルのゆとりを上げて、それから岩場に来る…けど、外的リスクも、懸垂下降も、登り返しも、クラック登りも、スラブ登りも、クライミングジムでは学べない。

学べないことをすでに学んでいる前提になって、挑戦される…

ということになっています。

そこが、理解されないのは、デシマルにしても、ボルダリングの段級にしても、グレードで、どんなクライミングか?スラブか、オーバーハングか、クラックか、なんてことを考えず、全部一緒に表示するからです。

無意識に、俺は、5.12が登れる、とか、俺は1級が登れると思ってしまうので、スラブの5.10Aで落ちたり、クラックの5.9も登れなかったりします。そりゃ当然ですよね?

この問題の解決に、小川山では、本来5.9とグレードされていたクラックを、5.10Aにしたり、となんかグレードを甘めにすることで解決しようとしているみたいなんですが…

その方向は間違っていると思う。

そうじゃなくて、真実は、

・ジムグレードと真実の登攀力は異なる

・スラブとジム壁は異なる

・クラックとフェイスは異なる

・ジムでも垂壁とオーバーハングは異なる

・石灰岩と花崗岩は異なる

 様々なクライミングごとにすべてを初心で習得する、

という方向性が正しいと思います。

昨日ジムでも、小島さんが垂壁で指摘したことを、薄被りに応用しようとしたら、

「こっちの壁では別の話」

と言われました。

分かっている人は、一つのグレードで、すべてのクライミングの能力を統括しようとは思っていないのです。

ジャミングとカチが別の力って言うのは、当然のことだからです。

■ ご褒美 

昨日はまた、博物館並みにすごいメキシコ雑貨の店、トンボラさんに行って、目を保養して帰りました☆

店のお姉さんとも、素敵なメキシコ雑貨の話で盛り上がりました。

自然農で教わる定番の手仕事に、蛍かご作り、というのがありますが…蛍かごのメキシコバージョンを発見しました!


       なぜかガイコツやどくろが多い、メキシコのカトリック教… 

       独特な緑色…日本のやきものでも、緑の、ありましたよね…

            チアシードで、もさもさにして、飾る土器
          いろんなスタイルの土器がある・・・


2024/08/28

【アルパイン】【遭難情報】平出さんたちの、かなり正確そうな情報が出てきています

■ 今までの、”英雄視&扇動” の報道とは一線を画した、ジャーナリズムの良心を感じる報道

が、

 石井スポーツ (今見たら朝日でした…)

から出ています。これで、グッと私の石井スポーツに関する株は上がりました☆
(九州で見たトンデモクライマーが石井スポーツの人で株は急降下していました

さすが、天野さんがいて、目を光らせているだけありますね!

■【解説人語】K2で世界的な邦人登山家が遭難 経験豊富な2人に何が 南米最高峰アコンカグア同行の記者が語る
 

■ 要点

1)条件は良かった
2)敗退こみだった(決死ではない)
3)コンテだった (核心部ではない)
4)まだ7500だった (核心部ではない)
5)氷とともに落ちた


これだけを書いても、本格的な山登りをしない人には、意味が分からない、というのが、こうした遭難情報を評価する際の難しい点です。


私は山登りでは、アルパインクライミングという一般登山の人にはできない、ロープが出るクライミング、いわゆる本格的な山登り…を行うことができます。

実は、そこまで、自力で、つまり、自分の力で、たどり着いた経験がある人でないと、こうした先鋭的登山は、まったく、海のモノとも、山のモノ、とも分からず、全く評価も、推測もすることができないのです…何十年、山に登っていても。


40年ほどの昔は、多くの人がアルパインクライミングをしていたので、多少なりとも正当な評価ができる人が、一杯いたのですが、今ではできる人がほとんどいなくなった…という業界事情があり、そこに
 
 付け込んだ人


が、本当のところは、すごくもない登山を、


 俺ってすごいでしょー


と宣伝するのが、ここ20年くらいの流行になっています。代表事例は、栗城劇場です。

一般クライマーもそんな感じで、実は全然すごくない記録をすごいということにする、のが、流行中。

実は、三浦さんもそんな事例の中にひところ、あったりしました。師匠と見た、NHKのスキー滑走の映像では、スキーを担いで上がるルートは、その山にあるバリエーションルートの中で最も簡単ルートを選んでいたのにも関わらず、最難ルートと評しており、え?!NHKよ、お前もか?!と思ったのでした。


■ 私はこれは、師匠と一緒に見たから、分かった

…のでした。

大体、海外のルートなんて、日本人の一般ピープルが知っている訳ないだろう…と、あのNHKですら、高をくくって報道しているのか?それとも、裏取りをさぼったのか?はたまた、両方なのか?

最近、NHKは、中国人スタッフによる失言で炎上していますけど、昔から丸投げ体質、なんですかね。

最近、マスコミは、マスゴミ、であることがバレてきています。

テレビの撮影で、歩荷で呼ばれて行きました、みたいな人は、本格的な山登りをしていれば、たくさん話を聞きます。村上先生もそのような一人でした。

で、その人たちの話を総合すると、NHKって言っても、登山知識は、素人さんみたいでした…

一度、北大出身のNHKカメラマンの米山さんと沢をご一緒したことがあるのですが…あの時は私が買いたての赤キャメが役立ったのだった…、米山さんも後で聞いたら、懸垂したらロープを、実は切っていて、足りなかったとか、ええ~?!な冒険をしているみたいでした…。いや~、北大も、九州よりはまともだと思いますが、登山界を襲っている倒錯とは、無縁でいられなかったみたいです。誘惑に負けやすいのが男性。

というか、北海道の山から来たら、山梨の山や沢なんて、ちっさくてチョロいってことになっちゃいますよねぇ…?そこで、リスクのスパイスが欲しくなる?? まぁ、仕方ないです。

話がそれましたが、いわゆる先鋭的登山の世界は、無知で当然の一般市民だけでなく、アルパインクライミング人種からも、きちんとした評価がされにくい状況にある、ということです。

それは、日本の山は小さく、標高も低いので、規模と標高による困難度のアップ具合が、仲間である他のアルパインクライマーからも理解されずらいから、ということです。国内にないからです。海外までいろいろ登りに行ける優遇的地位の人には、それなりに正確に解説してもらいたいものです。若い方はやってくれています。(例:たけちゃんねるのセユーズ)

現代の最高峰に属すクライミングは、普通にフリークライミングでやるクライミング(マルチピッチ)を標高5000や6000でやるものが主流のようですが、そんな標高でやったら、そりゃしんどいはずですが、それがどんな感じか?周囲も分からないということです。

それで結局、評価できる人の人数が少ないので、内輪での評価になるのです。これはピオレドール賞も同じです。

もちろん、平出さんや中島さんが行っていたのは、無雪期のフリークライミングではなく、いわゆる雪稜です。

■ 雪稜とクライミング

雪稜でも、上級者が登るようなのになると、稜線から、壁、つまりクライミングの領域、になってきます。この分野で入門ルートとされているのは、赤岳主稜です。

私は、パートナーがいなかった&当時所属していた山岳会でも俺らで連れていく能力はありません、ということで、一人で隣の阿弥陀北稜に行っています。

まぁ、壁っぽいのは出てきましたが、一瞬で、雪稜にアックスを使ったボルダリングが一瞬だけ出てくる、って感じでした。赤岳主稜では、マルチピッチになるはずです。

マルチでは、私はセカンドですが、赤岳主稜よりも困難な、ミックスルートの荒船山の昇天というのに行っています。岩と氷のルートで傾斜もたっており、5.9は越えていると思うので、本格的~って感じだと思いますが、4Pしかないし、セカンドで行っているので、自分で登ったわけではありません。

もちろん、セカンドであっても、何か不測の事態が起きたときに、十分な技量がないと、自分で登れなくなっっちゃったり(例、自己確保で登る方法を知らない)、リードクライマーの足を引っ張って、完登できなくなり、ヘリ出動になります。(例:当方の白亜スラブ)

そもそも、そういう危険性がある人は連れて行ってもらえない、という場所です。昇天は、岩の技術アイスの技術も両方必要で、M5くらいだと思います。

余談ですが、平出さんたちの気象アドバイスをした猪熊さんとも面識がありますが、M5しか登れない…と私がいうと、それでもすごい!と褒めてもらいました…。ですよね。ほっとしたのです。あの時の猪熊さんの言葉には救われたなぁ。

ちなみに、九州では、”M5”という言葉自体が分からない人ばかりでした。

また、雪で使う支点として定番のスノーバーや自然物を使ったルート、雪稜、としては、3月に立山の真砂尾根というのをしています。ここはクライミング力は必要なく、歩くだけです。それでも、危険なのでロープを出して確保します。これは登山道そのものがなく、稜線を伝いますので、高所登山に近い登り方です。

私がロープをいらない箇所で、懸垂でロープを身長180cmの30代男性が出していましたが…、九州で、私をチキンだと言って非難する人はこの男性をなんと評するのかな? 御坂では先輩たちは、「こんなところで」とか言わず、「ヤレヤレ」とも言わず、普通に出してあげていました。

さて、以上のような経験がありますので、一応、雪稜でどのような技術が必要か、冬壁でどのような技術が必要かは知っており、体験レベルではありますが、何が起こるのか、知ってはいます。

■ そもそも…

さて、その経験を踏まえて話しますと…

いわゆるトンデモ登山というものは、

 そもそも、選ぶルートが、実力不相応

なのです。

この平出さんと中島さんのK2は、私は日ごろ、平出さんが選んでいたルートが、渋いというか、ほとんどの人が知らないような、聞いたことがないような山が多いこと、しかも、登山家としての名声は確立済み、なことから、なんでいまさらK2?と思ったのでした…

…というのは、K2って、今エベレストみたいに商業登山に侵されて、行列のできる山になっており、K2のラッシュアワーってこんなのです。


https://sg.news.yahoo.com/k2-rush-hour-climbers-wait-123846863.html より引用

もちろん、一般の人は知りませんが、こんな情報は、普通にただ英語が話せるだけで、クライマーの能力としては、一般クライマーの私みたいな人にも回ってきます。海外登山通の平出さんらが、知らないはずがありません。

そのため、このような状態のK2にバリエーションルートといえども心惹かれるとは、なんか、”平出さんらしくない”という印象を持ちました。

しかし、らしくない、の中に、実力不相応、という部分は含まれていなかったようだ、とこの動画を見て結論しました。

魔が差した、つまり、ド素人さんにも分かる山に登って、分かりやすい栄誉に浴したい

という話ではなかったみたい。

ちなみに 一般クライマーといえば、アルパインクライマーから、フリークライマー、はては、ボルダラーまで、この一発逆転の分かりやすい栄誉に浴したい、無知な人からすら褒められたい、という欲に負けて、実力不相応のルート…だいたい有名なルート…を選択をすることが、事故の大半の原因となっています。(例:俺5.11登れるから、北岳バットレス四尾根)

■ 条件は良かった

「悪いね!」は、クライマーにとって、倒錯した喜びです。

悪いね~というのは、登りにくいという意味ですが、クライミングって、やっている間に、様々な苦難に耐性が付いてくるので、”もっと悪くても、登れちゃうよな~俺”、となってきます。

その魔力… は、強力で、オリンピックで競う、競技では、どんどんホールドを

 悪く

していくのです。

悪いにも、いろんな意味合いがありますが。一例は、遠くする、です。で、5m先にあれば、人類にとって不可能ですが、3m先なら届く人もいるでしょう。そこで、優劣つけようとして、やりすぎちゃった、のが、森秋彩選手の事件でした。

アルパインクライミングにとっては、悪さ、は天候です。なので、猪熊予報士の助言を得て登っています。一般クライマーもヤマテンという天気予報を、山別に取得するのが、山ヤの通例です。

  条件が悪いときには、ギリギリのチャレンジの山はしない… 

ことが大事ですが、このギリギリ度合いを間違う人、多数。

例えば、八ヶ岳の天狗岳とか、それこそ阿弥陀北稜とか、ルート自体が簡単な場合に、このチャレンジはギリギリではないという前提を持ってしまったがために、悪天候でツッコんで死んでしまうのが大学山岳部の通例となっています。

ルートが簡単なことと悪天候って別の話ですよね。それが分からなくなるのが人間なのです。

体力的にゆとりがあっても、チャレンジの山を、悪天候時に行ってはならないのです。

悪天候では、ハイキングみたいな山でも、風を遮るものがない=低体温リスク、というリスクがあることをハイキングの時点で学んでいないといけないのです。

従って、悪天候リスクを学ぶには、逆に言えば、ハイキングレベルの山に、悪天候時に出かけてこないといけないのです。もちろん、すぐに引き返せる状態で。

平出さんたちは、このトラップにも引っ掛かっていなかった。つまり、良い条件の時に行っているので、とても保守的だということです。イケイケ登山の反対です。




■ 敗退こみだった(決死ではない)

敗退こみ、というのは、危険を感じたら、引き返す心づもりがある、ということです。

イケイケ自慢&危険なクライミングを好む人は、「敗退なしで!」と言います。こういわれたら、「一人で行ってきて」と言い返しましょう。

敗退を想定するには、ロープ長の長さを計算する必要があり、また、敗退のために余分なロープを持っていくことがあります。

決死の覚悟で行くルートがかっこいい、という、間違った思い込みが、登山界やクライミング界には蔓延しており、特に難しい山がない地方では、多数派です。持病の薬を持ってこなかったり、ピンチ食を持ってこないで山に入る人が、その自慢話をしたり、わざとアルコールを飲んで登って見せたり、と、敗退用のロープを持ってこないで山に入るクライマーが武勇伝にしたりと、倒錯が非常に多いです。

余談になりますが、この倒錯の代表事例が、フリークライミングの分野では、ランナウト自慢です。

さらに余談で申し訳ありませんが、そうした用心のための余分を持って山に入る人は、余分に持っている、と思われているので、持ってこない人=危険人物に、利用されます。私は利用されたことが、合計5回くらいあります。

平出さんたちはこれについても、良い判断で、事故につながるような悪い判断は、していなかったようです。

■ コンテだった (核心部ではない)

これは、クライミングをしていても、難しいかもしれません。

コンテというのは、簡単なところを素早く通るために使います。通常はスキルが下の人が前を歩き、後ろが距離を適当に調整してくれます。御坂山岳会の時代に、先輩がやってくれました。

一度、台湾で、クラックの5.4が、あまりにも簡単だったので、コンテでもいいのでは?とアメリカ人のクライマーに持ち掛けると、彼は5.12まで登れる人でしたが、断られました。そこは、20mはあったと思いますが…5.11がギリギリ登れる程度しか登れない私ですら、カム3つ…というやさしさだったのです。

それでも、コンテは断る、のは、これがクライミングの垂直のレベル感だからです。

一般的には、コンテは落ちることが考えられないくらい簡単で、落ちたとしても摩擦ですぐに止まりそうな、巻き込まれが考えにくいレベルの、とても簡単なところで出します。

ガイドが出すタイトローピングも一種のコンテですが、私は自分がされる側はいいけど、する側には体重的に向かないので、自分では出しません。される側になるにしても、岩の隙間を通って、保険を付けてから、しかつなぎません。

フリークライミングしかやらないクライマーは、この技術を知らない人がほぼ9割で、マルチで出てくる、歩くだけの簡単な個所でロープを解いて、その箇所でほっとして、転んで大事故になる、というのが、定番の遭難セオリーです。

こうしたフリークライミングのクライマーは非常に多いです。フリークライミングで使うルートは、クライミング自体が易しくても、場所が危険なことが多いからです。上記の私の台湾のクラックのように。

さて、これで、平出さんたちが、とても簡単なところで遭難したことが分かりました。

■ まだ7500だった (核心部ではない)

まだ7500というのは、山頂までまだまだで、まだアプローチの箇所だということです。

登山にも、核心部ってありますよね。 例えば、不帰だの、ジャンダルムだの、いろいろ怖そうな名前がついていたりします。名前がついていない普通の登山道でも、長さが核心だと、日の短い秋に登れば、暗くなってしまい、危険に突入するかもしれません。

まぁ、要は、”誰でも用心して、気合を入れて登る箇所”と、そこまで行かず、”気楽に登っている箇所”、つまり、アプローチ、と二つの心理的に異なる箇所があるということです。

遭難された箇所は、まったく核心部ではなく、アプローチだったとのことで、登りたかったルートの核心に触れずに亡くなったとすれば、


 心残り


だっただろうなぁ…無念だっただろうなぁ、と思いました。


■ 氷とともに落ちた

氷とともに落ちたという目撃情報があるそうです。とすれば、アプローチでの落氷による事故、ということになりそうです。

私の眼裏に浮かぶのは、北岳バットレス4尾根に御坂山岳会の先輩と3人で出かけたときのことです。

まだ下部岩壁のとっつき、つまりアプローチ…にいるのに、ブーンと何か音がして、仲間の初心者男性のヘルメットに落石がかすめて行ったのです。

ブーンって音は、ヘリかなにか?みたいな感じでした。でも、石のサイズは、小石レベルだったと思います。

かすめた男性本人は、それを見ていないので、え?何?くらいの認識でしたが、私と先輩はそれを目撃して、無言で敗退を決めました(笑)。今日は危険だ。

雪上で、落石や落氷があっても、音がしない上、音に気が付いたときは、加速がついており、すごい破壊力で、しかも、避けようにも、気が付いたときにはもう遅いのです。当たったら死にます。

岩場のルートでも、RCCのボルトがひん曲がっている=落の痕跡です。

その北岳の時は、先輩と無言で通じ合った瞬間でした。当たり損ねた?仲間は、未練たらしくルートを眺めていました。

その時は、その人を説得するために、「このルート、女性にはちょっと難しすぎるね」みたいな言い方を先輩がしたと思うのですが…記憶があいまいですが…

その言い方を、その未練っぽい仲間を体よく説得する材料に、私が使われているなとスッと感知しました…。もう帰りたい…帰ろうよ、と言い出すのは、男性には難しく、女性には易しいのです。

で、無事帰ってきました(^^v)。

これだけのリスクの解説を、現場でするのは難しく、これが、山の経験値、と言われるものの中身です。

そして、同じ経験をしても、解釈が多様だ、ということの意味です。落を見なかった仲間は、俺だったらもっと行く、と思っていたでしょう。今回は女がいるから、しゃーないな、とすら思ったかもしれません。自分は守ってもらった立場なのに…。

…というようなこと…立場の違いによる見解の相違…が、かなりな頻度で起こるのが山です。

でも、これが男1対男1だったら?行きたいという人に、言い返すのは難しく、さらに、女性1対男性1なら、男性は絶対に俺の意見が上だ、俺が行くと言ったら行く、と思うでしょう…。 

実際、自分の意見が通りやすいから女性と組む、という人は多いです。

女性の側からすると、巻き込まれ事故ですね。

で、平出さんたちの話に戻ると、


 雪上の落って、予見不可能


なのです。もちろん、気温が上がって緩むと、落石も落氷も、落ちやすくなります。

雪が落ちる現象、といえる雪崩の危険があるルートでは、早朝と夕方しか登らない。雪崩を避けるためです。

アイスクライミングでも、気温が十分にマイナスにならないと登りません。12時から14時は基本的に要注意で、逆に寒ければ寒いほど安全と言えるのです。

先日、立山で、11月に八ヶ岳に行ってきた、と自慢げに語るトレランの人に会いましたが、八つの地元の人は、11月は、登山道ですら気温的に十分に凍っていないので、落が多いから、八つには行かないんですよ。かなり体が引き締まった人だったので、山ベテラン風でしたが、分かっていない人だなぁと思いました…。

このように、冬季のクライミングや登山をやらない人は、一生かかっても、冬季のリスクについては疎いままです。

むろん、平出さんたちは、このことに全く当てはまりません。

彼らほどの経験者でも、落には、対応のしようがない、ということなのです。一般のクライマーが、カッコつけて、解けかけた氷瀑なんて取り付くものではありません

氷本体が解けなくても、上から何か落ちてきますよ?そして、それは避けようがない、完全に

 運

の世界です。

登れたとしても、偶然、運が良かっただけのことですので、俺の実力だ、と慢心するのは辞めましょう。慢心しているかどうか?は記録の書き方で分かります。

読んでいて、相手の実態を知っているために、こちらが恥ずかしくなるようなのを読んだことがあります…

■ まとめ

以上で、平出さんたちがわざとリスクに近づいて行ったのではなく、


 やむを得ない事情


で、命を落としたのだということが分かった解説でした。


ご冥福をお祈りしています。

2024/08/27

It’s not my childhood trauma, it is "Climber wound"!

How can you HEAL the MOTHER/FATHER wound?

I admit that I am AC. AC is a short for Adult Children and that means I had to take a full responsibility when I was a just a kid, I am the oldest of 3 and my mom was single. 

So I started to take a responsibility of home maker since I was 8. So this habit of taking your full responsibility was so beneficial when I was leading to climb. 

I knew how to knot clove hitch before I climb multipitch. Also I knew how to climb a rope before I can lead climb my first 5.9. 

But NON of my climbing partners had a skill equals to my skills... some even does not bring his own rope. 

Lack of gear is out of question. Lack of skills is also out of question. 

As a result, I got injured. Because of my partner's lack of skills of his belay and lack of responsibility!!

Some guys come to me are worse. They say I was so close to death when he put me so close to death. 

The last partner of mine has climbed 2 pitches at 50 m single rope, and the two pitch was 25 m, and 35 m.  No wonder why we had to hang in one bolt. 

so my entire effort of getting out of my childhood behavior which did not make me happy, taking too much responsibility as a child was misused by those who are very irresponsible and uncompetitive.

I must be very careful of choosing my people.  

 



【クライミング心理学】自分の心に問う行動

 考えられる理由のリスト。

1)知識が豊富すぎ、未来が予見できるため、興味関心がもはや薄い

2)もはや、それが実現したいことではない

3)実現できたとして、それが価値あることとは、もはや感じられない

4)自分にとって良い出来事なのか?不明

5)夢を実現させたが、幸福にならなかった経験がある

である。

どれも、自分の心に問うようなことであり、そうであれば、やって見なければ分からない、というのが実際のところだ。

以下、心が疲れていることの解析。

■ 愛着の対象をコロコロ変える?ことにお疲れ中?

長引く転勤で、いらだったのは、愛着の対象…壮年期の女性の場合、それは、

 家庭づくり

だと思うが…を、毎回、作り上げた、その愛着対象を取り上げられるので、いらっちスイッチが入っているということは確かなことだろう。しかも、自分が十分満足した、というタイミングではなく、え?やっと作り上げたのに?みたいなタイミングで取り上げられる。

その喪失感から、毎回、回復しなくてはならないのだ。

私にとっては、家庭を作る、家族をスタートする、ということが、最初の希望だったわけだが、それらは、2度の流産で失脚?した。

その後、山梨でのヨガでの生徒さんたちが、その地位にあった。私の、作り上げたもの、ということだ。良い雰囲気のクラスだった。

さて、それを喪失させられ、ここ最近、6年はクライミングによる地域おこし、が入ってきた、というのは、否めない。

このブログでも度重なる思考を重ねている。

■ 女性の愛着の対象

愛着の対象が、家庭や家族、なのが女性なのである。これは、ヨガ講師時代にアーユルヴェーダで学んだ。

最近、メンタルだいぶ調子よいが…その理由は、自分の愛着の対象が、大阪の家になって、結局、”今のところ感”がなくなってきたからだ。

福岡の賃貸の家に住んでいても、バカ高い賃料を取られるだけで、何もいいことがない。家もう一個ローン組めるくらいの高額家賃を払って、自分の家はもぬけの殻とは…。

それはただの愚痴であろうが、さりとて、経済的に、非搾取的な立場を度外視しても、転勤生活は落ち着かない。

今か、今かと、いつその地を離れるか、という気分で暮らすことになる。

そもそも、そこに居たいから、居るのではない、というのも、重要な点だ。

■ アメリカは行きたいから行った

私の青春は、間違いなく、アメリカにいた2年である。で、居たいから居た。

生活は、かつかつで大変だったんだが、それは、私が英語が話せるようになることを優先して、週に2日しか働かないという選択肢を取っていたせいだ。人のせいではない。自分自身の選択の結果。5日は、ずっとカフェで本を読んで、周りのおじさんに英語を手伝ってもらう生活をした。

先日、伊藤貫さんの話を聞いていたら、高校生あたりから、私と全く同じような生活をしていらしたらしくて、驚いた。

というのも、学校の勉強、退屈だったんですよね。母校熊本高校はトップスクールなので、放任で、授業自体も2年生の夏ごろには教科書終わってしまい、あとは自分たちで受験に必要な勉強しなさい、みたいな感じなので、学校には行かないでも済んでしまった…ので、大体、図書館で自習するために、学校は存在する、みたいな感じだった。

その後の生活も、学校の図書館や自習室が、カフェに置き換わっただけで暮らしている。

きちんと専門書が読めれば、それで私は幸せなようなのだ。

現在の生活も、同じようなもので、どうやって勉強するか?みたいなところが、私の生活の中心だ。

結局、身体技法系の知識というのは、ヨガの知識や整形外科の知識、栄養学の知識だが…、ずっと同じ姿勢で勉強していたら、体がこわばるから、みたいなところが実際だ。

というので、本来、私はクライミングよりも、勉強しているのが好きなのらしい…。だが、ずっと勉強し続けるにも、ヨガマットや山での散策は必要だ。

■ 行動リスト

1)しばらく引っ越してみる

2)2週間の瑞牆くらし

  意外に癒される。カラードカーネーション。やっぱり活けるセンス次第なのだ。


【クライミングによる地域おこし】地域おこしになぜか、積極姿勢になれない理由

 最近、自分の夢への実現が一歩前進するようなことが起きている。

しかし… 問題が…この夢の実現に関して、なんか躊躇があるのだ。

■ 地域おこしのスキル?

クライミングによる地域おこしをするのにあたって必要なスキルは、クライミング能力ではなく、地域おこし能力のほうだ。

だとすると、地域おこし、さらに言えば、最も大事なことは何だろうか?

地域に、愛着を持てるかどうか?が核心になるのではないだろうか?

では、私はクライマー連中に、愛着を持てるだろうか?

いや~持てませんね。あいつら、自分のことしか考えていない究極の自己中ピープルなんで。

では、地域の人は? 地域の人に対して愛着が持てるかどうか?は、どのような地域性を持っているか?によるだろう。

儒教文化の人は私は愛着は持てない。なぜなら、儒教の教えというのは、支配者が支配を楽にするための教えであるからだ。

■ 日本人の日本人らしさ

海外にいると日本人の日本人らしさは、いいなって思う人が多いだろう…。

日本人同士でも、相手の領域に、土足で入るようなことはしない。まずは相手を配慮して、そして、自分の居場所を確保する。

海外でも、お先にどうぞ、という文化はある。AfterYou、というが。

そうした文化はどちらかというと、ヨーロッパにあり、アメリカにはないと思うが、アメリカ人の中にもいない訳ではない。

私のアメリカでの人格は、そうした人たちに近かったと思う。

しかし、問題は、アメリカでも、日本でも、

 わがままで駄々っ子で俺はダメな奴だと主張して、こちらから慈悲という行為を引き出して、裏であっかんべーとやっているような奴ら

である。この人たちは、日本的気質と言えるのだろうか?私には日本的というよりも、むしろ、アメリカの功利主義的な人に見えるのだが。

例えば、怪我をした仲間を置き去りにして、自分は登りに行ってしまうような奴とか、である。山でも、高山病になった仲間をほっぽって山頂に行く人いますからね。

そういうような人たちを利するようなことは絶対に嫌だなと思っているのである。

しかし、地域おこしビジネスには、そうした人は多い。それは、結局、政府からの大量の補助金が流れ込んで、楽して儲けられる仕事になってしまっているからだ。

■ 外国人による、乗っ取りを避ける

立山に行く前に、非常にマナーの悪い外国人(観光客ではなく、住んでいるのではないか?と思われる人たち)でいっぱいの谷町線を天王寺で見た。

なんとなく、日本が乗っ取られるのではないか?みたいな危機感を抱いた。

その危機感は、立山で、リアルな現実として具現していた。

実際、乗っ取られていた、のである。

乗っ取っていた人たちは、国内外国人のタイプで言えば、良いほうの外国人だったと思う。特に中国人のLee君は小屋の親父さんからも信頼が厚く、仕事もうまく回していたと思うが…それでもやっぱり日本人の自己主張力が弱いので、治外法権化してしまう。

いい人なのになぜそうなるの?と思う人が多いだろう…

例えば、餅事件があった。賄いの朝食の卵焼きをフライパンで作るのだが…

「これ、どう焼いてほしいの?」

「餅」

「え?餅って?」

「…。もーいい!」

結局、餅って薄焼きのことで、日本では餅と言わない。ところが、中国人のほうは餅と言わない、という学習機会ではなく、ったく日本人は分かっていない、という学習機会にしてしまうのである… いや、ここ、日本ですよね? 日本語使いましょうよ。

たぶん、薄焼きではなく、日本の卵焼き風に丸めてしまうくらいの自己主張パワーが日本人には必要らしいのだが、自己主張をしないで相手に寄り添うのが、日本人の日本人たるところなので、国際社会ではそういう性格は

 透明人間

ってことになる。そういう人が生きやすいか、生きづらいか?明白であろう。

そして、乗っ取っているほうも不幸だし、乗っ取られている日本の側も決して幸せそうには見えなかった。

Lee君は一生懸命働いてくれたが、それが日本の山小屋の親父さんには、ちょっと違う、と感じられる。だから、日本人が欲しくなる。でも、その日本人らしさが何なのか?親父さんは言語化ができないのだ。

海外にはクライマーの町はいっぱいある。しかし、そこは、外国人の文化で運営されているから、日本人が出かけて行っても、楽しいのである。日本人は郷に入れば郷に従うから。

逆に、日本的な家庭的なノリで、運営したら、日本人は、相手に過剰に親切すぎ、軒先貸して母屋取られる、ことになるし、それは双方にとってハッピーではない。

受け取った側は、返礼しないといけないくらいなら、最初から親切を求めていない、と思うだろう。

まず与えて、そして、受け取る、は、ほぼ日本でしか通用しない。

■ 治外法権、ニセコの二の舞?

しかし、海外にあるようなクライマーの町をそっくり、日本に持ってきたらどうなるだろう?

ラオスを事例にすると、地元のラオス人に対する恩恵はないのである。

グリーンクライマーズホームは3度も火をつけられている。つまり、地元の人からは、歓迎されていない。

そりゃそうだ、クライマーズパラダイスを作っただけで、そのパラダイスには、地元の人は含まれていない。

それでは、地元の人は面白くないのが普通だろう。

考えても見れば、西洋人というのは、こういうことを延々と歴史の中でやってきた人たちなのである。

例えば、ある国にコーヒーの木を見つける。そして、そのコーヒーを安く買って高く売る。

儲かったのは誰か? 見つけた西洋人だ。それだけなら、現地の人は何も言わなかったかもしれない…しかし、それ以上のことを起こす。平和な現地の生活を捨てさせ、コーヒー農園の労働に駆り出され、結局、利益は? 西洋人ががっつり取っていく、ということになって、ローカルの人々は伝統的な生活を破壊され、貧困に追いやられる。

クライミングだって、同じやり方をグリーンクライマーズホームはしてしまったのだ。

無自覚に。

■ ローカルビジネス

一方で、そういう事態を見て、クライマーの増加に目を付けた一般のラオス人がやっているゲストハウスもいる。

そうしたゲストハウスは、楽しいのではないか?と思って、次回は、何泊か、そういうゲストハウスに宿泊したいなと思ったりもしているんだが…前回、だいぶ現地で見つけてきたので…

そうすれば、ラオス経済に、ちゃりんとお金を落としたことになるだろう。

ラオスでも言っていたが、西洋人は、別にお金を落としたくないのではない。ただ、ラオスが提供するものに、先進国の彼らが欲しいものがないのだ。

西洋先進国では目が肥えてしまっているのである。

近所の雑貨屋ひなたさんがやっているようなハイレベルな雑貨だったら、みんな買っていくだろう。

■ 以上が躊躇の理由だ。

ということで、機会は舞い込んだ。

後は実践をするだけなんだが…私はどうしたら、良い形で、これらの実践を地域にもたらせるだろう?

なんせ、訪れてくる西洋人は、ローカル経済への貢献が、岩場存続のカギだとは考えていないのである。

ただ、便乗できる岩場が見つかった、それだけのことしか考えていない。

無料で遊べる安い岩場がある、彼らの狙いは、それだけのことだ。

そんな、穴場みっけ!みたいな扱いを受けて、地域経済はうれしいか?

うれしくないに決まっているだろう… ゴミと迷惑と事故しか、クライマーは落として行かない…それが、これまでの日本国内のでの日本人クライマーの歴史で、クライマー本人はそのことに無自覚だ。

その日本人クライマーに、さらに輪をかけてパワーアップしたのが外国人クライマー…

クライマー側からしてみれば、ただ登りに来ただけなんですけど… 

そりゃそうだろう…

でも、一般の観光客だって、京都でオーバーツーリズムとなり、迷惑がられているんである。

ゴミ、迷惑、事故は、言わずもがなだが、自国の風習を勝手に日本に持ち込むのは、文化の破壊行動だ、という自覚が、外国人にはない。

あまりにも、自己中すぎるので、どんなに内向的でおとなしい人でも、自国の習慣、例えば、公衆の面前で、裸同然のキャミソール姿になるとか、熱烈キスやハグをしてそれで普通である、とか、そんなことをしても、本人らは気が付かないのである。

それを阻止できるか?一般の地域のおじいちゃんやおばあちゃんが?

まぁ、無理であろう…

その、きっかけを作る、そんな存在にはなりたくないのである。私は。

したがって、考えついたのが、

 小値賀方式

である。外国人は一か所に集めると、そこで外国文化を形成するのは当然だ。なら、分散させれば、日本人が主導権を握ったままでいれる。

小値賀は、それを地域住民による民泊という形でうまくやっている。1組しか泊まれない。

植樹祭広場が、治外法権化しないことを祈るばかりである。