https://imidas.jp/girls/2/?article_id=l-60-119-22-07-g421より事例抜粋
■ 事例1 ストックホルム症候群
■ 事例3 自己肯定感の低い親
■ 事例2 生存者バイアスhttps://imidas.jp/girls/2/?article_id=l-60-119-22-07-g421より事例抜粋
■ 事例1 ストックホルム症候群
■ 事例3 自己肯定感の低い親
■ 事例2 生存者バイアス■ スポーツ虐待と言う言葉
ご存じですか?
リードの強要はスポーツ虐待ですよ?
ラオスでトニーが気づいてくれたのは、私が
パートナーからスポーツ虐待を受けている
ということでした。
男性は、自分の基準で後輩を裁くことで、悪気がないとしても、スポーツ虐待しています。
以下スポーツ虐待についての情報収集です。
■ 情報収集
https://www.hrw.org/ja/report/2020/07/20/375777
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スポーツが痛みや恐怖、苦痛をもたらす経験となってしまっている。
暴力は、一種の指導方法として、日本のスポーツ界に深く根付いている。試合や競争で勝ち、個人の人格を向上させるためには不可欠だと、受け止められてきた。この危険な慣習は、スポーツにおける暴力を根絶する上で、大きな壁となっている。
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https://gendai.media/articles/-/68832
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親側が「こうあってほしい」と思った通りにならないことが苦しい、腹立たしい。
子どもが「できないこと」に対する拒否反応が、虐待になって表れてしまう。
しかも、日本のスポーツ現場はいまだに暴力やパワハラを容認する土壌があり、親は何の疑いもなく、わが子を圧迫する。
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「自己愛性パーソナリティー障害の親は、子どもの失敗をなかなか許せないんだよね。子どものためと口ではいっておきながら、子どもの存在を自分のストレスの発散のはけ口にしたり、意思を尊重せず自分の思い通りにコントロールしてしまう。これらはすべて親自身のためで、子どものためじゃないんだよね」
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クライミングの指導者、陥っていますよね。
Crags are a mirror that reflects the local climbers.
By Yuji Hirayama
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昨日来た、平山ユージさんからのFB投稿。投稿本体はこちら。
岩場の様子が、その地域のローカルクライマーの精神性を表すもの、だとすると、
人工ホールドが付いていたり、
木っ端が付いていたり、
とてつもなくランナウトなのにグレードは簡単だったり…
40年以上経過したカットアンカー放置してあったり
とってもヘンテコな支点だらけで放置
してある岩場って、どんな精神性を表現しているってことなのかなぁ?
自分自身でじっくり考えてみましょう(笑)。
それを指摘してじっくり本人に考えさせるのが、コーチ。指摘する技術がコーチング技術です。
口に出して言えないほど、なんか私の目には、目に余るものがありました…。
さてと… クライミング技術そのものを教えるのは、別になんてことはないことだし、誰でもYoutubeを見てだってできると思うのですが
在り方
を教えるのに、失敗しているというのが、たぶんクライミングで大したこともできなうちから人がバタバタ死んでいく原因ではないかと思います。
■ 人工壁育ちの人は何が分からないか?
だいぶ出そろいました。
・”登る動作(ムーブ)”ができるだけで、ロープに使われているのがジム上がりクライマー。ジム上がりの人だけでなく、山から入ったクライマーでも、ロープ使い慣れがない場合、同じ。
・大体の人が、自分の実力を適切に見極めることができない。過剰評価が多い。安全のためには過小評価のほうがマシです。
・自分自身で現在の力に合わせてルートを選ぶことができない。
・10年登っていても、ロープドラッグの回避方法は分からない=観察学習する能力がない
・支点ビレイなどのバッドビレイを見ても、まず気が付かない (子供が毒親に気が付かないのと同じ状態)観察能力の欠如。
・自分の実力を客観的に見出す力がない(大体グレードで判断するので過大評価)
・昔のルートグレードを読みこなせない
・次に何が起るか?という先読みをできない
・トラブルを想像できない
・トラブルに対処できない
・皆が一律に同じ能力であるという前提を持っていることに気が付かない
・誰がえらくて誰が劣位かというヒエラルキーを内的に持っている
・無謀なほうがヒエラルキーの上であるという無意識の前提がある
・ヒエラルキー順に発言権があるという前提がある
・思い込みに気が付いていない
・その思い込みが導く帰結に気が付いていない
こんなところですかね?無意識の前提は、
1)経験値があればロープドラッグは回避できる
→実際は経験しても、そこから学ばない人の数が一定数あり、座学による知識も合わせて与えないと知識と経験の定着にならない
2)10年の経験があれば、自己評価能力がある。
→ 現実には、自己評価能力は、登攀の年数に依存しない。
3)学習の拒否を行ってきた人=経験値を自慢する人
→これらは両輪であり、片方では抜け道につながる
4)危険回避より冒険主義
→ 冒険は大事ですが、危険回避能力が備わってこそ冒険と言えるのであり、ただ危険に対して丸腰で突っ込むのであれば、冒険とは言えない… 自殺行為である。
例えば、降り方を学ばずに登る。
■クライマー向けゲストハウス(によるクライミング教育普及)を辞めた理由
ゲストハウス構想を辞めた理由は簡単に言うと2つあります。
1つは、ゲストハウス運営だと収入がゲストハウスに一極集中してしまい、岩場がある地域の人にとって、関係ない話になってしまうこと。地域内多点AirBのほうがベター。
2つは、今までクライミング教育を私が先輩として、渡してきた人達の行動を見て。
長野県山岳総合センターのリーダー講習は、誰でも入れるところではありませんでした。もちろん、昨今の登山業界の現実から、限りなく敷居は低くなっていたとは思いますが、それでも、山行履歴は出さねばならず、「昨日、山、始めました」みたいな人は入れないのです。
理由は簡単。誰でも出れるんだったら、リーダー講習=リーダー育成にならない。
仕事で忙しく、人間関係のめんどうな山岳会に入る時間がない
煩わしい山はしないけど、個人では、きっちり行ける範囲の山に着実に登ってきて、実力を上げている
という人達が存在し、その人達こそサポートが必要で、将来のリーダークラスであると山岳総合センターは思っているのでしょう。
特にコロナで職を失った山ヤもいるし、40代、50代は、介護が必要な家族への負担が増えたり、と公私ともに忙しく、山=余暇という世間の認知から、40~50代って登山人口ではもっとも少ない年齢層です。
私が山岳総合センターに属して分かったことは、登山教育が問題と言うよりも、そもそも、
登山の指導法が確立されていないことが問題
のようでした。つまり、指導者マニュアルの不在ということです。みな教え方が分からない。
講師になってくれている先生たちですら、指導法について、喧々諤々の議論をして、懸垂下降のセット一つでも、議論した結果のベストだと思える内容を教えてくれたそうです。
今、日本で足りていないのは、この議論、みたいな感じです。
■ 先鋭クライマーを作る方法と、本格的登山をきちんとこなせる人を作る方法、は違う
A)山野井さんとか、ギリギリボーイズのような先鋭的登山者を作るための必要な登山教育
と
B)一般山岳会のリーダークラスに必要な登山教育
は、
誰が考えても違いますよね? そこが切り分けられないで、議論されているのが、たぶん、何を教えるべきか、意見が分かれる源だと思います。
A)懸垂下降のロープの末端は結ばない
B)結ぶ
おそらく歴史的に、A)とB)は限りなく近い時代があったのだろう…と思いますが…社会人山岳会がバンバン歴史的登攀を登山史に残した時代もありましたよね…。でも、それって、もはや40年前。
アルパインクライミングの土台になる、フリークライミングの基礎力をクライミングジムの出現によって、”山に通わずに”あげられるようになった1980年代以降、特に2000年以降は、もう、
スーパーアルパインの時代
に入り、A)のレベルは、もうB)の人が理解できないくらいに、ずこー!!と上がったんですよ。
A)5.12はフリーでオンサイトできるほどの楽勝で登れる × 40kg歩荷
B)5.12はPRで何とかやっと登れる (昔のⅤ級には、12まで含まれていたから)
たぶん、九州ではそのこと自体に気が付くこと、そのものが抜け落ちてしまっていたようですが…。
一方、B)のほうは、もう零落中というか… 昔の標準的な市民山岳会のレベルすら維持できないくらいなんではないか?と。
八ヶ岳の赤岳で、ひいひい言っているレベルでは、山岳会ではなく、一般登山愛好家レベル、です。市井の山岳会でも、もう、サロン的な会になったほうがいいです。
九州では動くものに道標つけて、これで良し!とか言ってるレベルの低さです。
■ ジム上がりのクライマーは?というと…
さて、ジム上がりの一般クライマーは…というと別の話。
彼らの外岩デビューについては、
与えられても、受け取るだけのキャパがない
です。
一般にクライミングガイドの開催するクライミング講習に参加すると、トップロープ祭りなんですが…。
その指導方針だと…?
お腹がすいている人に魚をあげても、明日またおなかがすく。
です。
同じ人に魚の釣り方を教えたら、自分で出来るようになる。
でも、魚をあげると、また魚を欲しがる・・・。
インドアジムクライマーを外岩教育してみて感じたことは、ここでした。
コロナでお客さんが減ってしまったクライミングジムは、たくさんあると思います。立て直したいですよね…
で、外なら三密もないし…誰か教えてくれないかなぁと思いますよね… できればタダで。
見ている限り、トップロープの端を持っているだけで、簡単そうだし…
知り合いの男性クライマーの様子からして楽勝っぽいし…
ロープ? どんなのがいい? みんなが人工壁で使ってるのでいんじゃね?
ビレイ? やってりゃそのうち覚えるでしょ。
どこを登るか? そんなの、登ってる人みて判断すればいい。あいつが登れるなら俺だって登れるだろ…
誰と登るか? そりゃ俺の言うなりになってくれる奴に決まっているだろ…
外岩を登るための知識? は?何のこと言ってるの。クライミングはクライミングだろ…インドアもアウトドアも何が違うものかよ…
ボルト? え?40年物?でもペツルって書いてあるぜ… なら、いんじゃね?
事故? そんなのは、自己責任だろ…俺は事故らねぇ。
俺が無責任すぎて組めねー?って? じゃいいよ、俺、ボルダーしかしないから
…とまぁ、そんな調子なんだろうなぁ…という心の声が読める感じでした。
でも、自分がビレイされる側になった時、そんなんで登れます?
クライマーが言う”自己責任”は、責任転嫁のための、自己責任。自分だけ責任逃れをし、相手に責任を転嫁するために言うのが、「クライミングは自己責任です」のセリフです。
ボルトが40年経過したカットアンカーの時、それは、登る人の責任範囲にありますか? そんなのどこに書いてあるんです?トポに記載してあれば自己責任ですが、そうでないなら、設置した奴の無責任です。
自分が登るために設置したというのなら、とっとと抜いておいてください!
「クライミングは自己責任」…このセリフが、誰かから聞こえたら、相手は自分の責任を棚上げしている、転嫁している、と見て、ほぼ間違いないです。
自粛期間、クライミングがほとんどできなかった人も多いでしょう。
気の毒に思って、外の岩に安全に登る方法を教えてあげようかなと思って、いろいろと巡り合う人には、先輩の義務があると思って知識を伝授しました。
特に岩場がある自治体の人たちには、今、転勤中でゆとりがあり、時間があるからこそ、外岩を安全に体験してほしいと思って、サポートをしていたのですが、残念な様子も見えました。
全員じゃないですよ!
でも傾向が見えたという事ね。
”岩場に連れていくお礼として、次の人に教わったことをシェアしてほしい。
そうすれば、他にも必要なクライマーに情報を届けることが出来るから。”
とお願いしていたのですが、そのような行動は全くない人もいましたし、自分のビレイ技術は棚に上げて、講習は全然来ない…
スポーツクライミングのビレイをオリンピックのボランティアで習って、外岩のビレイはオリンピックで習ったのでできます!とか…。
新人じゃなくて指導者層が問題なんです。
そもそも、分かっていないことが分かっていない指導者がほとんどのようでした。
急務なのは、新人をクライマーにする育成じゃなくて、指導者育成。
分かっていないことが分かっていない…それって新人の常で、新人なら許されますけど…教える側。
こういう人達に限って、私が身銭を切って、講習会を開いても、参加はしないかもしれませんよね。故・村上先生はやってくれるって言ったけど。
樋口先生が開いてくれた、奥村さんのビレイ講習会イベント(=1000円で勉強出来る☆)にも、指導者は一人も来ませんでした。
そもそも、学ぶ必要自体がある、という自覚自体がないのです。
山ヤは一生勉強だ、という山ヤ道を教わり損ねているからです。
まぁ、山梨にいたころも、勉強したはずの!危険なビレイを、のんびりやっている後輩の様子が見えました…。
うーん、あんときは、めちゃ深く挫折しました…。
なんせ、彼には蒼氷の先輩にも登場してもらって、めちゃエリート教育したんでしたっけ…。
でも、彼指導者ではなく、新人君ですから…。
23歳の彼の様子から、私が43歳の非力な女性にしては、非常にスピーディにクライマーとして成長したことが分かりました。
大体、20代で3か月かかるところが大人は3年って言われているんですよ。
でも、たぶん、それは運動習慣のない人で、今水泳を習っていますが、数か月でだいぶ向上したので、ヨガやバレエ歴の長かった私とは別の話かもしれません。
■ 新人は悪くない
若いクライマーが全然クライミング技術を学ばない理由も少し分かる気がするんです。
人気だから、そんなシリアスなのじゃなくて、ちょっとだけクライミングしたい。体力や熱量が余ってるから、消化したい。暇だし、やってみようかな、的な気持ちだけの人もいたのかもしれませんし…、
”みんながやっているから” ”自分は困らないから”
バッドビレイのまま、という人もいるかもしれません。ビレイは相手に文句を言われないと自分のビレイが悪いと気が付けない。そして、悪いことを指摘すると、相手はたいてい怒るので指摘しづらいのです。
ここが、「己の姿を知らないから、自分では気が付きようもない」ってところなのかもしれません。
とはいえ、日本のトップクライマーからじかに教えてもらえる機会となる奥村さんの講習会に来ないって、ちょっと自信過剰じゃないかとも思いましたが、
こういう勉強をしている事を知られたくない(俺、山岳会の会長なのに、会員に知られたら、気まずい)という人もいるのかもしれません。
たぶん、奥村さんがトップクライマーだということで嫉妬したのかもしれません。
変化は怖いかもしれないけど、変えなかったら、変わらない
これが、私が九州の指導者層のクライマーに言いたいことです。
もうね… めちゃイケていないですよ…
会の方針を変えたり、考え方&指導を変えるのは怖いかもしれないですよね。
特に長年やってきたなら。
でも、同じことをやっていたら、同じ結果しかでません。
山岳会に人が入ってこない
入っても、「失望して」と辞めていく
若い人の数が増えない
ちゃんとした人ほど当会を避けているようだ…
このような問題があったら、同じことを繰り返していても変わらないはず。
「昔はこうだったのよ」的な考えを捨てて、人工壁は外岩の代わりにはならない事を理解して
現状の指導法の何かを変えなければいけないでしょう。
これまでもずっと書いてきましたが、私も含め、登っているときにクライマーの安全を第一にすることが「当たり前」でなかった時代の指導者は、
ただしいビレイ知識のインプット=今までのクライマー人生を覆されたような、自分を否定されたような気持ち
指導へアウトプット=今までの間違った指導に罪悪感をもちつつ、生徒と向き合う
という内面の戦いもあると思います。
さしずめ、孤独ですよね。
並大抵のことではありませんよね。
でも、今のままでは上手くいっていないんでしょう? 何か変えなきゃ、変わらないよね。
ーーーーーーーーーーーーーー
狂気とはすなわち、同じことを繰り返しおこない、違う結果を期待することである。
Insanity is doing the same thing over and over and expecting different results.
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは天才物理学者アルバート・アインシュタインの発言と言われています。
小さなチェンジでも問題なし!
「何か変えなきゃいけないよね?」とお話すると
すぐさま拒否反応を起こす人達がいます。
うちの会では無理だから
大先生が聞かないから
ド田舎だから無理
それだけの規模じゃないし
トップクラスを目指しているクライマーはいないし
などなど。
でも、その傍ら、自分の山の会の、会員が10人以下でも、山の指導をしている山ヤが、きっちり勉強を続けているのも知っているし
田舎でも、山岳会をよりよいものにするために、考えている山ヤも知っています。
変化は小さくてもいいんですよ。
前にいた御坂山岳会では、地図を持ってこないおばちゃん登山者がいました。地図を持ってこない人が一人でもいた時点でその日は敗退にします、と事前に告知して、私の当番の山行リーダーはやりました。
一人の先輩が、そのおばちゃんの自宅玄関に行って、地図、渡していた(笑)。
でも、山に地図持っていかない会員がいる、なんて、山岳会って言えます?普通は恥ずかしくて言えませんよね…?
凄く小さな変化だけど、一人が一つ変えれば、12か月後には12回、変わっている。
この会の端にも棒にもかからなかった新人君が、谷川馬蹄形を一人でやっていてうれしかった。
この会であったエイドがクライミングのことだと思っていた男性が、クライミング講習会の音頭取りをしてくれるようになったそうで、うれしかった。
この人、「俺はやっぱりアホです。落ちた人をキャッチしたことがなければ、ビレイはできていることにならない。そんなことはちょっと考えればわかるはずなのに、分かっていませんでした」と私に書いてきた人です。
何よりも、その人のクライミング理解が向上している。
そうした小さな一石を投げることを皆が恐れた結果が、今のていたらく、なんです。
同じように
「ランナウトがしびれる」「流して止めてあげる」など、会で言わない言葉を1つずつ増やしていく(=良い環境作り)
カットアンカーは使わない、ペツルのサイトを皆で見るなど技術をちょこっとだけ伝えてみる(=クライミング技術の理解)
登攀前後は、きちんとウォーミングアップ(=集中力維持によりケガ予防)
マルチはちゃんとレスキューを共有してから(=競争ではなく山としての成功を考えられるように)
グレードではなく、その人のレベルや得意を生かしたオリジナルなクライミングとする(=レベルに合わせた登攀)
など、ちょっとしたことでいい。
粋がるのを辞めて、そういうことをしていく。
上で挙げた例はお金がかからない。
だべりんぐしかしない、つまらない飲み集合のために会費をあげるくらいなら、講習会を開いたらどうでしょう?
ビレイとか、山行計画の立て方とか、レスキュー訓練をみんなで練習するとか。
だって山岳会って、一人で登る可能性より、団体で登る可能性の方が高いんだから。
そこに必要なのは、弱い者に合わせてロープを出す、ですよ?
だから、北鎌尾根で死者だすんですよ?その人の死を本当に意味あるものにしていますか?
私に言わせれば、そんなことも習っていないのか…ですけど。
でも、私も講師の高橋さんに言われましたからね、そんなこともしらねーのかって。
知識は絶対に無駄になりません。ちゃんと使えたら。
ロープの理解は、自分の理解。
つまりクライミングを辞めても、実社会で使える知恵なんですよね。
魚の釣り方ではないけど、ロープを組む、その相方との関係性の作り方が大人になった時に会社で使えるとか、結婚生活で使えるとか、
チームワークや表現力、創造力は社会生活で必要でしょう。
何より、楽しいから、クライミングを辞めたくない!と思う人達が増えてくれたら、山岳会の幹部としては嬉しいはずです。
ま、そんなわけで、クライミングを人に教える活動のためにゲストハウスを作る構想は、クライマー界のほうがまだ機が熟していないと思って、辞めました。
でも、クライマーとしての気づきの蓄積、は引き続き行っていきます。
魚を与えるだけでなく、釣り方を覚えてもらえたら、より多くのクライマーをサポートし続けることが出来ると思うからです。
・楽しく安全に登りたい
・今の事故だらけのクライミングから、次のもっと楽しいクライミングの世界にアセンションしたい
・一生楽しくクライミングを続けられる未来の日本を作りたい
人達とお会いできるのを楽しみにしています。
■参考記事
https://allnevery.blogspot.com/2023/09/blog-post_29.html
https://allnevery.blogspot.com/2023/09/blog-post_22.html
https://allnevery.blogspot.com/2023/10/blog-post_84.html
■ 一気に良くなった帯状疱疹
『がんが自然に治る生き方』を読んだ。なんとなく、元の自分に戻る感覚があった。
ホットタオルを患部に当てるのを辞めて、カイロを腰に貼ったら、なんかよく寝れて、ピリピリした神経痛も引いて、今朝は、すっかり良くなっている実感があった。帯状疱疹は枯れる系のものです。
ちなみに今回の帯状疱疹は、父とA木さんへの怒りの表出だと思います。
■ 枯らす…きっかけ トシゾーさんが来てくれたこと
感情は、執着するのではなく、枯らすことに意味があるんだが、枯れないのは、語らないからだろうと思う…。
去年の今頃、トップクライマーの佐藤ユースケさんと登っているトシゾーさんが、訪ねてきてくれた。話の中で、白亜スラブでのパートナーのA木さんのことを聞いてきたんだが、
「やっぱロープは60mだね!」のセリフをトシゾーさんが聞いて、”A木さんは考え方そのものがおかしい…”と、彼はすぐ気が付いた。
やっぱり…。だよねぇ~。なんかトシゾーさんの同意を得て腑に落ちた。
いくら弟かわゆしの私でも、こんな奴と登っていたら命はいくつあっても足りない…。
そのトシゾーさんの様子を見て、やっぱりこの返事で、彼のアホさがついに露呈していると私も思ったんだが、トシゾーさんが裏付けをくれたと思った。つまり心理カウンセラー役。
私が、”自分自身の心理カウンセラー”として、気が付けなかった、
小さな場面緘黙
に気が付いたんだよなぁ…
あの場面は、めちゃ怒るべきシーンであった・・・。が、最もひどい事態を想定していたので、とりあえず生きていたことに、ほっとしたのだった。
その怒りが、今頃表出したのが、今回の帯状疱疹である。抑圧がどれくらい強いか?を示すのだと思う。
■ あまりにアホすぎるので、指摘したら、相手に悪いという気持ち=場面緘黙
その場面緘黙の理由は、”あまりにアホさが明確なので指摘したら、失礼かも…”、という気持ち…だ。
なぜなら、そのピッチ、25mと35mで、持っている50mロープでつないだら、途中でロープが足りなくなることなど、登る前から分かっているからだ。
登山で、4時間かかる尾根に、9時出発するのと同じだ。いわゆる、”あのバカまたやったぜ遭難”。
そして、50mしかロープはないのに、現在いるところは?終了点まであと3m。
ということは?どういうことなのか?その時点でも、どうも考えなかったらしい…。
最初からトポ見て知っていたら、25+35mは60mなんだから、50mのロープで60mまであと3mの地点にいたら、セカンドの私がビレイポイントから上がってくれたんだと分かる…。つまり、セカンドの技術力で、リードのケツを拭いてくれたんだと分かる。それが分からないということは?
逆説的に言えば、彼は”トポすら見ないで来た”ってことだ。どんだけ~? え?10年登っている人に、そこから教えないといけないの?だ…。
どーりで、どうも考えている人が私だけっぽい感じだったんだよなぁ…。
■ さきゆきの見通しがない人のしりぬぐいをする人生を歩んでいる
どうも、私の人生は、このように考えていない人のしりぬぐいを、あとからしてやっているパターンになっている。
母の時も、母は見通しなしに子供を3人も生んでしまい、結局、下の二人の子供の”子育て”をしたのは、たぶん長女の私。
父はひと時の快楽に逃げて子供を3人も作ったにも関わらず、ボク知~らない!としたために、結局、落とし前を付けたのは、母とそれぞれの子供たち。私なんて、祖母と妹まで仕送りしてる。
■ 世間の善は役立たない
それでも、仏教は、親は生んでくれた恩があると、一般論的には言うんだが、どうも個別では違うらしくて、納得いかないと思ってスマナサーラ長老に直々に聞いたら、やっぱり、徳は私に落ちたんであって、親が、できた子供を自分の成績表として、”よくできました☆”と花丸ハンコをもらうものではない。
親がサボれば、子は賢く育つしか選択肢がないが、だから、サボった親の育て方が良かった、と言うわけではない。
同じことで、パートナーのA木さんがセカンドの私に助けられて登った白亜スラブは、彼の実力相応のルートではない。
この行為を特に悪いことと自覚していないことから判断すると、たぶん彼の今までの登攀履歴がほとんど全部そうだった、のだろう…。実力がかさ上げされているのだ。
それにも関わらず、リードしているから俺のルートだ!というのはおかしい… むしろ、彼のリードは、セカンドのおかげでリードに花を持たせてもらっている系だ。
教訓:リードしているからと言って、そのルートをきちんと消化して登れているとは限らない。高い倫理観を持って登っていないと、トンデモリードを、登れた判定してしまう。
私もちゃんとしたルートをマルチピッチでリードしているが、客観的に自分の力を評価している。
当方の記録:https://allnevery.blogspot.com/2019/01/hyugami-benzaiten-iwa-east-ridge.html
一方、彼のルート自慢は、だれか先輩や、後輩のセカンドでも、しりぬぐいができる人に、花を持たせてもらった、底上げの山だったわけだ。
■ 場面緘黙を治す
この場面緘黙…あまりに事実関係から、明らかになった事実がバカっぽいので、あきれて声もでない=黙る…が起きたのは2度目だ。
最初は山梨アルパインクラブの会長さん。
「なぜ〇〇さんには、ほかの男子と組ませないんですか?」@人工壁
「〇〇さんにけがしてほしくないから」
→ え?その答えって、今その男子と組んでる私はケガしてもいいってこと?
回答したご本人は自覚がないようだった(汗)。
その後、この会長さんが女性に恋をしているために、せっせとルートに連れ出しているということが分かったんが…。
他にも彼がその女性のぞっこんであることを示す会話があったんだが、それは省略する。地元では女性にお熱を上げるのは3人目みたいな感じで、周囲の人は周知のことらしかった。
私のように技術志向、スキルを追求型の人は、集中力がありすぎて、脇が甘くなり、そうしたことに気が付かないで、気が付いたら巻き込まれている、ということになっているかもしれない…(汗)。
■ 80代の水泳指導者がロールモデル
女性の世界の水泳はいいなぁ~と、最近ひしひしと実感中。
水泳の先生は、80代の丸林先生で、今度、編み物教えてくれるそうです。
この丸林先生みたいな人になりたいなと思っています。
さて、この場面緘黙をどう治そうか?
今習っている、上手な伝え返しで治せると思うのですが、このシーンを再現してくれることができるカウンセラーがいない。これはクライマーじゃないと内容の意味が分からないからだ。
シナリオライティングの技で治そうかなぁ…どうしたらいいかなぁ…。
https://freeclimb.jp/information/9978/ より引用。太字当方
当方意見:
古賀志事故のように
地名×事故ではなく、
タイトルは
疑似リードで死亡、
のようであるべきだ。
登山の遭難では、地名こそ意味ある内容だが、クライミングでは地名には意味はない。技術の稚拙さにこそある。
ーーーーー
古賀志事故報告書(Drafted 2023.12.10) 文責:神林飛志
・文書の目的:事故の再発防止をクライマー各位に喚起すること
・場所/ルート
古賀志⼭/不動滝エリア ルート名:クウ(5.8)
・事故発⽣時刻
2022/11/20(⽇) 12:55 頃発⽣。天候は全国的に曇り⾬模様だが、この地域のみ晴。
・事故概要
疑似リード後、終了点において確保不備のため、グラウンドフォールにより死亡
・事故詳細
事故者は腰の⼿術で腰椎にボルトが⼊っており、いわゆるリハビリクライマーであった。クライミング・スタイルとして、リードでの不本意なフォールを避ける為に、慎重にトップロープ→疑似リード→リードRP を⽬標とし、徐々に精度を上げる⽅法をとっていた。
疑似リードのやり⽅については、所有の50m ロープ⼀本を使⽤し、トップロープの余った末端を疑似リード⽤ロープとしていた。このやり⽅はビレイヤーと⽇頃から認識を合わせており、疑似リードでトライを繰り返している。(以降、1 本なので"トップロープ端"、"疑似リード端"と表現する。なお、ビレイループの右に疑似リード端・左にトップロープ端をつけることを常⽤していた) この時点で、古賀志での実施は3 回⽬であり、特にトラブルは起きていない。事故者とビレイヤーとの間の基本的な約束事として、トップアウトしたときにはロープの混濁を避けるため、疑似リード端は事故者が解除し、下降時確保には利⽤しない、ということにしていた。
事故者はビレイヤーと共にこの⽇3 本の登攀を実施している。
1 本⽬は「クウ(5.8)」をトップロープ(疑似リード)で試登した。
この時は疑似リードでのトライであり、トップロープ端、疑似リード端ともにエイトノットで連結。次回からは両者区別をしやすいように、疑似リード端を環付きカラビナにて連結することを合意していた。なお、このトライではトップアウト時には事故者の判断として疑似側ロープを外さないこととして下降している。これについては事故者・ビレイヤーで確認は取れている。
2 本⽬は「沙羅ちゃん(5.8)」をトップロープで実施。
このときはトップロープは回収している。このルートは⽀点が勾配にあり、ビレイヤーから回収状況が確認できない。またセルフビレイの合図もなかった為、ビレイヤーが念のために確認したが問題はなかった。
3 本⽬に「クウ(5.8)」を再び疑似リード(トップロープ)。
ハーネスにはトップロープ端、疑似リード端ともにエイトノットにて連結。ヘルメットは着⽤。トップロープは、クウの終了点ボルト上からスリングと安全環付カラビナで⽀点を作っていた。
事故者はクウを疑似リードしながらトップロープ確保で登攀。終了点に着くと、疑似リード端を終了点の残置カラビナに掛け、セルフビレイを掛けたと思われる。そのまま⽀点回収を実施。⽀点回収の実⾏決定は下⽅のビレイヤーには「回収します」の旨の宣⾔で伝達しており、意思疎通は⾏われている。
この後、事故者はトップロープ⽤スリング⽀点の撤去を開始したと思われる。
クウの終了点は、最後のハング部分に乗り越す形になっており、ビレイヤーからは終了点付近の作業状態は視認できない。
このとき事故者は、終了点ボルトまたは残置ロープにセルフビレイを掛けていたと思われる。事故者は疑似リード端を終了点の残置カラビナに掛けてはいるが、ビレイヤーはトップロープ端のみを確保しているので、この疑似リードロープ端は確保されていなかった。(コレ、普通のことでは?疑似リードでは、リードが疑似なのであり、トップロープ確保が基本ですよね)
セルフビレイのみで安全確保されている状態の事故者は、この確保不備に気付かず、またビレイヤーは事故者が勘違いしていることに気付かなかった。
事故者がトップロープの確保確認を怠ったまま、唯⼀事故者を確保していたセルフビレイを解除してしまい、直後にテンションコールを⾏った。ビレイヤーがロープを張ったその後、バランスを崩し墜落したと⾒られる。なお、ビレイヤーからは事故者が⼀瞬複数(下からは3本に⾒えていた)のロープを掴みかけ、後退りの体勢で落下しているように⾒えている。
・推定される事故原因
事故者が下降時にビレイヤーの確保を確認せずにセルフビレイを解除し、確保のないまま下降しようとしたことによるものと推定される。
・推定される遠因と背景
直接の原因は事故者による「下降時における確保確認の不備」によるもので、少なくとも下降前にセルフビレイを掛けた状態で、ロープ・テンションの確認を取っていれば、確保不備は確認できたはずで、事故は起きていなかったと思われる。
なぜ、「下降時における確保確認の不備」が起きたかについては、「疑似リードでトップアウトした直後にトップロープの⽀点回収を⾏ったこと」が背景にあることは無視できない。
このとき、ビレイヤーから⾒れば、いままでの回収の経験通りで、疑似リードといえども、あくまでトップロープによる確保が基本であり、⽀点回収時にはトップロープを残置⽀点に掛け替えて、確保を⾏い下降を⾏うべき、という考えになる。
また、事故者から⾒れば、以下の状況は当然推測可能と考える。
・トップロープの⽀点回収なので、トップロープは確保として機能しない。
・疑似リードで登ってきた上に、終了点にロープを掛けている。したがって、疑似ロープで確保・下降を⾏うことになる。
これは別段、デタラメな推測ではない。
上記のように、事故者・ビレイヤーともに根拠のある推測であり、⾏き違いが起こりやすい状況であったことが推測される。
さらに追加的に以下の2 点は考慮されるべきである
2. そもそも単⼀ロープでトップロープと疑似リードを⾏っているため、回収後にどのロープがどのような状態かは混乱しやすい。⽬撃情報から事故者はトップロープを回収後、ロープを下に投げずに、⼿元に持っていたことがわかっている。
上記より、通常の⽀点回収よりも「下降時における確保確認の不備」が、よりおきやすい状況であったと思われる。
・対策と注意喚起
まず⼀義的に「事故者が下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う」ことを⾏っていれば事故は起きていない。 もちろん、「クライマーが下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う」という鉄則を怠った以上、どのような策を講じても事故は起こりうるのは当然だが、「疑似リードとトップロープ回収を同時に⾏う」場合は、通常の回収のケースよりもミスが起きやすい、かつ、実際に死亡事故が発⽣している、という事実は看過すべきではない。
⼀般にボルトルートであれば疑似リードは少ない。とはいえ、プロテクション難度の⾼いクラックルートでは試登として疑似リードが⾏われることは、経験あるクライマー同⼠や、とくにクライミング講習ではありうる状況であり、注意喚起を⾏いたい。
以下の対策案を推奨する
・クライマーが下降時に、セルフビレイを掛けた状態で確保確認を⾏う、事の周知徹底
・疑似リードロープと確保トップロープを混濁しないために、事前に必要な⼿段を講じること
- ⻑さのある単⼀ロープの両端を⽤いることはしない
- できればクライマーが疑似リード端と確保トップロープ端の区別がつくように、疑似リード端を安全環付きカラビナにするなどの⼯夫を⾏う(両者エイトノットの⽅が安全という考え⽅もある)
・疑似リードとトップロープ回収は可能であれば、同時に実⾏しない
・疑似リード時は、必ず疑似リード端・トップロープ端両⽅で確保をする
・疑似リードとトップロープ回収を同時に⾏わざるを得ないケースで、かつ、疑似リード端・トップロープ端両⽅で確保をすることが困難な場合は、事前にどのロープで確保をするか必ずクライマー・ビレイヤーで共有し、かつ、下降前にもう⼀度相互に確認する。
- この場合、確保しない⽅のロープは先に外し、間違って確保に利⽤されないようにする、という⼿続きを事前に決めておく。
・トップロープ実⾏時には必ず確保側のロープにバックアップの中間プロテクションを⼊れること。
以上
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うーん、トップロープを回収するにしても、架け替えでは、セルフは取ったままテンションコールをします。私なんか、それでもビレイヤーがアホな場合に備えて、反対側のロープを持った状態でテンションしてもらっていますけど。
よほど信頼関係が構築されていたんですね。
疑似リード関連記事一覧
https://allnevery.blogspot.com/search?q=%E7%96%91%E4%BC%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89
■ みなみゆうたさんのメマガより引用
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「無条件の愛情」にこだわる代わりに、「限られた条件の中で、できる限りのサポート」をしましょう。
「限られた条件」とは、あなたの時間、予定、体力、気力、お金などなどです。
なぜこういうことを言うのでしょうか?
それは、依存的な人や支配的な人ほど、相手に「無条件の愛情」を求めるからです。
この場合の無条件の愛情とは、「底なしの愛情要求」です。
依存的な人や支配的な人たちからの「無条件の愛情」の要求には、あなたの時間や体力、気力、お金などに対するリスペクトがないのです。
無条件の愛情とは、「なんでもあり」ではありませんよ?
電車で足を踏まれても、目の前で嫌味を言われても、暴言を吐かれても、「赦してあげる」のが無条件の愛情でしょうか?
それはやさしさではありませんよね。
成熟した人間関係には「条件」が絶対に必要です。バウンダリーの感覚がマヒしたり、融合していたり、侵入しがちな人の言う「無条件の愛情」は、「すべて私のために犠牲にしてね」という要求になります。
だから、あなたが言いなりになる必要はありません。
ーーーーーーーーーーーーみなみゆうたさんのメマガより
■ クライミングバージョン
■ 登山ガイド育成事業がスタートしたようで喜ばしい
山梨時代に、『八ヶ岳研究(上・下)』をセットで持っていたガイドさんが、これはカリキュラムを起草したのではないか?という 登山ガイド育成事業 を見かけて、うれしいなぁ~と思っている。
https://stps2snwmt.blogspot.com/2024/02/blog-post_52.html
これは登山者版だが、クライマーのが必要ですね!誰か我こそはって人作ってください。
■ 受講資格?
つけ足すようだが、山岳総合センターのリーダー講習では、登山歴を出さないと受講できなくなっていた。
登山歴を見れば、考えている登山者か考えていない登山者か分かる。
受講者の選抜は良い案で、自分で経験値を増やすという努力をしないで、便乗の山や棚からぼたもち系の山したい人を振るい落とす、というのは、一般のネットビジネスでも
ファネル
と言って重要ポイントになっている。
このふるい落としができていないと、良い内容を教えても、相手が教わってくれないのである。したがって講習のレベルを下げないために重要。
■ 身長と体重
一般的に言って、積雪期ガイドには、重たい体重が必要で、クライマーには軽い体重が必要。
私は小柄で体重が軽いので、ビレイのことを考えると、まったくガイドに向かない。
ガイドすると、自分が危険に巻き込まれて、技術が未熟な相手…歩きが粗末な登山者が転んだら、巻き込まれて死んでしまうリスクがあるので、ガイド資格は使っていない。
体重と言うリスクは、個人でコントロールできないリスク。なので、受講者にはそのことを最初に教えたほうがいいと思う。じゃないとお金の使い損になるからだ。
■ 低身長がリスク
身長が重要になるのが、クライミングで、低身長だと、他の人にないリスクが増える。
クリッピングでピンが遠いために手繰り落ちるリスクで、男性のクライマーは、女性のクライマーが自分より大きなリスクに耐えている、ということに無自覚な人が多い。相手の立場に立ってモノを見る、ということがまずやったことがない人が多いためだろうと思うが。
身体条件によるリスク増は、個人ではいかんともしがたいものである。
まぁ、逆に言えば、私の低体重は、アイスでは有利だし、身長が低いこともトラッドではあまり問題にならないどころか、逆に有利な条件と言えることもあるくらいだ。
■ これまでで良かったことをまとめる
1)井上さんが来てくれたこと
2)黒田さんの論文が出たこと
3)ユージさんの小鹿野
4)ラオスに萩原さんが誘ってくれたこと
5)高みへのステップ 30年ぶりのアップデート
6)新田さんが日向神リボルトをしてくれたこと
7)八面のリボルト
8)今回の登山ガイド育成事業が発足したこと
いや~良かった、良かった。
UIAAの登山総合技術ハンドブックを読んだ人は、
うわ!日本やばっ!!
と誰でも思うに違いない。
■ 登山業界は知識を内輪にとどめておきたいみたいな?
文部省の登山研究所っていう組織があるが、IT化がめちゃおそく、しばらく前までPDFは、画像であり、紙の書籍をスキャナで取ったものらしかった…
それじゃ、Googleの検索に引っ掛からないのである。
だから、検索力が低い一般の人は、情報弱者になってしまって、隣の〇〇さんが行くから自分も、みたいな山しかできなくなり、結果、槍が渋滞するって話になってしまうんである。
しかし、文部省だぞ? パソコンが分かりませんってわけでもあるまい?
ということは、わざと情報を出したくないのか?
いや、たんにガバナンスの問題…であろう…
■ 水泳で立ってるだけのバイト
最近、水泳に行くんだが、プールには立っているだけのバイトがある。
管理のバイトだが、あれ、ほんと若い人生の無駄遣いみたいな感じだ。
楽なバイトに人は群がるんだが…楽をすると、自分の人生の無駄遣いになる。
昔読んだ本で、高速道路の〇〇公団に勤めている人の話が出てきたが、まさに人生の無駄遣い的な仕事で、そもそも仕事自体がないのであった…日がな一日事務所でぶらぶら…
…そんな命の使い方を、お得、と思ってしまってはいけない。
人生は短い。ビジョンを持って、したいことのために時間を使いましょう。
日本男児が内弁慶な理由…段級システム。国内の競争に終始して、世界のクライミングが進化していることに気が付かないで済んでしまう…