■ 暗示の力
心と体の関係は、まだ解明されていないのですが、私は自分の親指と人差し指にできたイボ(クライミングジムで貰った)を暗示で取り除いたことがあります。ただイボイラナイと念じたら気がついたら取れていました。それまで色々な方法でイボ取りを試したのに、よく使う右手なのでどうしても薬が効かず取れなかったのに…です。
暗示というのは、ものすごく簡単にかかってしまうもののようです。アンドルー・ワイス博士によると、医師が「この病気はどんどん悪くなるタイプのものだ」と一言言っただけで、悪くなる、という暗示がかかってしまい、患者が自ら治ろうとしなくなる事例があります…。
同じことが、大なり・小なり、思い込み、ということに言えるのではないかと思います。自分は〇〇だ、という思い込みです。
それが人間関係にも影響している、というのは、本人の思い込みが相手の態度を決めることがあるから、ではないか?と思います。
〇〇と思われている、と考えると、本当に相手は〇〇と行動するようになります。あるいは、なぜ相手は○○するのだろうか?と原因究明を考えるようになると、なぜか相手はそのように動くようになるのだそうです。
これが、ノーマットボルダラーに起きたことかなぁ…。私はこの人に会いたくて巡り合ったわけではないのですが…なぜか、こんな人にばかり九州に来て合うような気がしますが、九州だからというよりも、現代だから、という現象のような気がします。
しかし、ランナウトによる命知らず自慢の伝統、というのはどこから来ているのか?を紐解くと? 花崗岩、人工登攀 あたりに原因が求められそうです。まぁ、ブランクセクションでは、仕方がないランナウトというのは、昔は当然あったでしょう…
そこから進化していないのではないかったんでしょうかね?カットアンカーでリボルトしようとしてる人たちは、比叡と日向神でしたので…。一般的な若い人たちではない。
しかし、指導者のクラスが、カットアンカーでリボルトして良いと考えているとすると、それが修正されない儒教文化…目上の人は100%正しい…の九州では、本州で20年前にすっかりお払い箱になったとしても使い続けられる、という成り行きになる訳ですね。
もう指摘したので、今後、そのようなことが起こるとは考えにくいですが…。
しかし、「カラビナ直掛けが九州ルール」と女性のジム店長さんに言われ、ビックリ仰天したり…、ビレイを教える立場の人が、「待機時はグリップビレイ形にして保持するように」と一般クライマーに指導していたり、ほんと九州では色々ありました。
大抵は、その場で、”変!”とすぐ気がつきましたが、まだその場では気が付けないものもありました。
3年後になって気がついたのが、指導者クラスの人が、アルパインと、フリーと、スポーツクライミングの切り分けができず、たぶんご本人もレスキューのトレーニングなしで、つまり、万が一の場合の想定なしで、本ちゃんに出かけていたのだろう、それを反省しそこなっているのではないか…という記録でした。
だから、その会では全然クライミング技術が身についていない…登れても、危急時対策が出来ていない、ロープのアレヤコレヤ、クライミングのあれやこれやが分かっていないクライマーばかり、その会では出会うので面食らいました。
余りにも何度も、分かっていない人ばかりに合うので、もう嫌…となっていました。
■ レスキュー隊長
クライミングする男性の、クライミングに対する情熱の”昇華”の対象は、開拓者になって栄誉にあずかる、というものや、ボルダリングジム店長になって登りたいときに登れる、というものが定番です。
しかし、もっとも尊いのは、レスキュー隊長になる、というものではないかと思います。
弱きを助ける…のもっとも高貴な形が、レスキュー…。
私がもっともパートナーを長く組んだのは、青ちゃんでしたが、もともと日本で初のレスキュー隊の隊長をしているときに長野に講演に呼ばれて行ったのだそうです。
レスキューをすることで、どういうケースで死者が出るのか?ヒヤリハット事例が溜まりますし、どうやって、周囲の人がリスク認知をせず、自分も巻き込まれそうになる状況から身を守るか?という術もたまっていくでしょう…
インドアのスポーツクライミングにレスキューの想定がないのは、インドアなので仕方がありませんが、アウトドアになったら、例え2名での行動、1名での行動であっても、セルフレスキューを前提としたレスキュー訓練をするべきでしょう…
とくに近年、マスメディアは偏った情報しか報道していません。フリーであっても、例えば八面で墜落が起これば、担ぎ上げるのは大変です。背負い搬送のスキルがないとヘリピックアップの場所まで移動させることすらできないかもしれません。
ヘリが来やすい場所とそうでない場所でもリスクに違いがある、という発想自体も、現代の九州クライミングには、想定されていないかもしれません。