■ どんなクライマーが最も不幸な人だと思いますか?それはどうしてですか?
甲府にいたころは、野田賢さんなど、アルパインを目指している山や上がりのクライマーにかなり強く同情していました…。今から!というところで亡くなることが多いからです。
すでに3人は亡くなった人、知っています。一人はなんと、講習会の講師と登っていて亡くなった講習仲間です。33歳で身重の妻を残して、他界、というものです。
九州に来て、ボルダリング王国であることを知り、ボルトのボロさを知り、情報から遠いにも関わらず、そのことを知らない人…つまり情報弱者…をもっとも不幸な人と思うようになりました…。
知らないということは、知れば、解決すると思うでしょう…
ところが、それでは解決しないんですね…
何か文化的に、根本的に、何かが掛け違っていると思うようになりました。
今、思っている原因は、この二つです。
1)スポーツクライミングとフリークライミングとアルパインクライミングが、峻別されていない
2)一般市民クライミングとエリートクライミングが峻別されていない
両方とも情報の欠如に基づくものですが、高齢化=ITスキルの不足、なので、情報源が、雑誌などの文字媒体からネットに移ったこともあるのかなぁ…と想像しています。
それと、指導者レベルの人であっても、自身がきちんとした教育を受ける機会が非常に少ない、ということもあるのかなと思っています。
それなのに、教わりたい人は一杯来るとしたら、その人はアップアップのハズで気の毒な不幸な人と言えるかもしれません。
■ グレードで競争している人
登れる方が上、ということで、やってもやっても上を目指させられ、元は美人なのに、般若のような形相になってしまっている女性クライマーに合ったとき、私もリードを強要されたのですが…自分にされたことを相手にもしてしまう、という負の連鎖を感じました。
どっちがより登れるかで人に上下をつけている人を見ると、気の毒になります。競争原理では、その人が浮かばれ、真に幸福を感じることができる日はまず来ないです。
受験戦争でもそうだし、就職でもそうです。年収の多寡でどっちがスゴイか競争しているような場合もそうですし、農法でどっちが優れているか競争しているような場合もそうです。
とはいえ、それをやってしまうということは、そのような育てられ方をしてきた、ということで、大変気の毒に感じます。
「楽しんで登ることが何より大事」
と思います。楽しみの中に優越感を入れてしまうのは気をつけねばなりません。
楽しんでいないと、フロー状態に入れないです。フローに入ることが、上達の一番のポイントだと思います。