今日は久しぶりのクライミングデーでした。
黒木のクラック。実はてっきりボルダーだと思って、気軽に言ったら、クラックだよ、なんて言われて、あら!とうれしい驚きの日でした。
5.10dのボルダークラックなのですが、ロープを掛けて先輩は、サクッとRP。これくらいの高さのはリードです。吉田和正さんのクラック講習でもロープ掛けてありました。ボルダーでも、上手にロープを掛けるには、それなりに技が要ります。
私は、というと、フレイル化していて、5.10dはまったく離陸から登れない…。 いや~、ジャムは効くのですが、足があげられないのです。立ち込みも、腕力と分散しないと立ち込めないので、フレイル化の影響か?それでもなくても、普通にしていても、クラックの5.10dは、難しすぎるのか、かなり四苦八苦でした…。
下のボルダーを冷かしに行って、初段、触らせてもらいましたが、初段って…。離陸から無理。でも、
コンプレッション
という体の使い方が味噌だと分かった。やっぱり肩の筋力アップと体幹の使い方は、ボルダーはボルダーで、別の技術として、使い方の習得が必要なのだ、と分かりました。寄せる力、です。
■ あるもので間に合わせるということ
今日はクラッシュパッドはなく、リードの装備だけだったので、2段のクラックを触るためにボルダーにトップロープを掛けたら、偵察に来たボルダラーがあきれた顔でした。
様々なスタイルを知らないと、自分のスタイルだけが絶対と思ってしまうんだな~と理解できた。
ボルダーの装備で登れたら、そりゃ、それが一番だけど、その時に装備を持っていないこともあるし、
基本的に初登者はオンサイトはしていません
試登=ロープで確保
です。
1)あるもので安全に登る
2)試登
を知らないと、ボルダーにロープを掛けている=非常識な人たちになってしまいます。
■ 目的のために手段を選ばず
人間は、人類の様子を見ていると、目的のためには手段を選ばず、ということになってしまい勝ちです。
ボルダーのスタイルで登るためにすべてを注ぎ込む、ということに人間はなりがち…。たとえば、今日もボルダーで強つよのお兄さんたち、”本気チョーク”とか、言っていましたっけ(笑)。そんなのあるんだ~と微笑ましいのでしたが、数年前に、FBの投稿で、効きの良いチョークがエイドだと非難されていたのを思い出しました。
エイドを憎む必要はないわけです。段階を踏めば。すべてがプロセス、というわけですね。
でも効きの良いチョークで登った後は、ちゃんとフリーで登らないとね。それは、まぁズルというのはその通りなのですから…
こちらは、吉田さんが私にグローブを大きくして登らせた記録。
でも効きの良いチョークで登った後は、ちゃんとフリーで登らないとね。それは、まぁズルというのはその通りなのですから…
こちらは、吉田さんが私にグローブを大きくして登らせた記録。
■ 真の自由
5000mや6000mでの高標高で、スーパーアルパインをやっている人たちは、必要ならユマールで上がるし、そんな高標高の山の山頂で、じゃんけんしてボルダリングしているし、しかも、冬靴でやって落ちたりしているし(笑)、とっても楽しそうで自由でした。
■ 檻に自ら入る
こうであらねばならない、という檻って自分で入っていくもの、なんだなぁって思いました。結局、そうした檻に入っていくのは、若い者も年寄りも関係なく、自分のスタイルだけが善という、独善という名の視野狭窄に陥っている、ということなんだろう…。
■独善と良きスタイルの切り分け
独善と良きスタイルの切り分けが難しいこともあります。
私が思う良きスタイルは、
・岩をできるだけ傷つけず、
・そのためにはクラックを使い、
・岩との対話でもっとも合理的なラインを登り
・肉体的に妥協せず、
・心理的な恐怖よりも岩の導くラインの合理性を取り、
・ランナウトも程度問題で節度があり、
・自ら危険に突っ込んでいくようなことはしないけれど、
・必要な時には勇敢で、
・無謀を賛美することなく
・つまりバカっぽくないく
・知的で肉体的にも優れた人でしか登れないラインを登る
…というものです。
もちろん、私はそこに達していませんが、そうでない人はその人なりの肉体的限界で楽しく登れるルートがあると思うから、それを登れたら良し。
そして、ルートの価値や意味が理解できる人であることが大事だと思っています。
価値あると思えるルートを登っている人を、尊敬でき、応援できる人材であれば、アマチュアクライマーとしては上出来だと思っています。
一言で言えば、クライミングの価値が分かる人。
それになれたら、アマチュアクライマーとしては十分と思います。
それだけでも、相当、知的努力を傾けないと、独善&視野狭窄、に陥ってしまうから。