2020/02/29

悲しみの岸良海岸

■ 世代間格差

世代間のことを考える。

岸良海岸のクラックは、現在の私の登攀力に適した易しいクラックで、カムの設置も難しくなく、素直なパラレルクラックが、そう長い距離は続かないため、現在の私のスキルで、ぜひ全ルートオンサイトを済ませておきたいような場所である。

まぁ、ビレイヤーがいないので、去年は一人でも行く予定だった。

その当時、師匠であったY澤さんが来てくれることになったんだが…。Y澤さんは九大山岳部の顧問をしており、本州の山に大学生の遠征で、いつも一人で運転手だそうだった。「運転どうしているんですか?」と聞くと「交代はさせられないから一人で運転している」と言う… なんと気の毒な。 

去年の岸良は、一人で行く予定で、そして、Y澤さんがついてきてくれた。クラックをやらない人にとっては、岸良に価値はないだろうが、私には、長野の湯川に代わる岩場であり、カナダのスコーミッシュに代わる岩場だ。

去年ここを登ってから、スティーブに誘ってもらっていたBMCロックフェスに行くか行かないかを判断する気でいた。せっかくクラック本場イギリスに行くのに、クラックが登れないでは、悲しいだけだからだ。

クラックは、ラオス帰りに後退して帰ってきたクライミング形態だ。クラックの特徴は、何といっても、ホールドが縦に一直線のこと…。 ラオスの石灰岩は3Dクライミングなので、アイスの氷柱登りが、なんと上達して帰ってきてしまった…。 湯川の難しい氷柱をスイスイ登ってしまい、一同唖然。あれま!やっぱり形状が似ているんですね~と相成ったがクラックは…。

というので、岸良が、まぁ私には最もご近所の岩場という訳なんだが、Y澤さんが来てくれると言ったものの…、”?”な点もあった。どうも、宴会が目的らしかったのだ。

予定した日は、雨の予報だったため、実はリスケしたかったのだが、宴会があるため、リスケもできず、初日の1日以外は、どうも宴会日まで雨で、雨なら登れもせず、私は観光することには、興味がないので、山の本とDVDをどっさり車に積んで出かけた。日がな山の本を読んでいれば、私はハッピーに過ごせるからだ。

でも、人を宴会に送り届けてあげるためだけに、3泊を投資か…高くつくクラックだな…というのが私の側の事情だった。

まぁ、そんなこんなで、宴会と言われて、ちょっと最初から嫌な予感がしたんだが、そこは、まぁ仕方ない…と飲み込んだ。

大体、私は易しいクラックのリードを済ませるだけに足かけ5年… 小川山レイバックで、ビレイの怪しい人を連れて行ってしまい、カムエイドで降りてきてからの長年の便秘課題だ。

ということで、まぁ、やっと便秘解消の機会だもんね、ということで。

ところが、これは、1本も登る前に足を肉離れしてしまったのだった。3本は根性で登ったが、みるみる黒くなり腫れる足…。

それを見ても、Y澤さんはなんとも思わないみたいで、あそこに、これがある、あれがある…というのだが、私は立っているだけで苦痛で、それどころではないのだった…。

ギアを担ぐのも苦痛だが、道路までは上がらなくては…というので大変だった。その後2日間も、痛みを我慢して、何度も、”歩くのすら痛い!”と訴えた続けたが、分かってもらえないまま、やっと、ご老人を捨てることができそうな湯治宿に連れて行き、そこで別れて、私だけが福岡に帰宅する案を提案した。あと二日、宴会まであり、どうせ雨だし、その宿で、2日すごせば宴会に彼は行けるわけなので。ところが、一緒に福岡に帰るという…。

シンドバッドの冒険で、川を渡れなくて困っているおばあさんを負ぶって川を渡ってやったら、川を渡ったあとまで、あそこに連れて行け、ここに連れて行けとシンドバッドが追い回され、疲れ果て、機転を利かせて、ブドウ畑に連れて行き、おばあさんが発酵したブドウのワインで、よっぱらって、ようやっとのことで、開放されるというお話がある。

まさに、シンドバッドの心境…。私の喫級の課題は、開放されること…ということだった。

その岸良での肉離れは、歩けるまでにベッドに縛り付けられる生活2か月。その後、ゆっくりクライミングは再開したが、膝の亜脱臼で、再負傷。

膝の脱臼のほうが怪我としては深刻。肉離れのほうも、7cm×7cmの大きな瘢痕がふくらはぎに残っている。感覚としては、つる感覚だ。

膝の靭帯のほうは、一度ゆるくなったものは、固まるまでに半年から1年はかかるそうで、日向神で会った年上の女性クライマーに、今が正念場と教えてもらった。治ったと思って無理をすることが一番悪い。

右足はルルベできない。ルルベというのはつま先立ちということだ。ようするに足を突っ張ることができない。下りで重たい荷の荷重に膝が耐えることはできない。ので、下りは歩きでも、特にロープに頼らないと危険だ。登りは、重たい荷を持つくらいで、ちょうどいいのだが…。

というので、結局のところ、岸良で分かったことは、どんな優秀な人であっても、人は年を取れば、言葉は悪いが、お荷物になるということだった。

あとで謝ってくれたが謝り方が…「経験から大丈夫と思った」

経験があることが価値だと分かっている人が、その経験を盾に、無理強いして、完全にベッドに縛り付けられて、全治2か月という怪我をさらに悪化させるなら、そんな経験値は糞ってことだろう…、と悲しかった。

私は怒っていたというより、悲しかったのだった…。すでに知恵でも何でもなくなってしまっている経験値、とやらが…。

他にも似た経験があった。福〇山の会と言う山岳会…重鎮と言う人が「あなたが望むなら連れて行ってやってもいいよ」という態度なのだが、”連れて行ってやる”のは、たぶん…むしろ私のほうになるみたいだったのだ…。

そりゃ、どこで集合するかとか、そういうローカル情報はありがたいんだが、その情報の価値は、連れて行ってやるよ、と高値で売れるほどじゃなくなってしまった昨今。

…というわけで、岸良は、私に負の遺産としては多大なものを残し、将来のクライミング人生に禍根を残したうえ、さらに、日ごろのトレーニング人材も事欠くことになった…。しかし、これ以上お荷物を抱えるわけには…。損切は早いほど良いというのが論理だ。

さて、めぐってきた2度目の岸良遠征。

今回は、外ボルダーのフェスとセットと言うことで、ロープはちょっとだろうが、まぁ易しいし、1日あれば登攀は済ませられると思っていた。

クラックにデビューしたいと言っているボルダラーを連れていたので、その人をビレイヤーにしていればいいかと思っていたんだが…。まったく興味なし。なら、来なきゃいいのに…なハナシだった。

1本も自分が希望したクラックは触れず。

私がこの岩場で経験したことを共有している人もいたので、そのことが悲しかった。

自分のニーズが優先することが当然の人ばかりとつるんでいる私が悪いのだが…。私のニーズは、当然のように後まわしって意味だった。

まぁ、若い男性&すでに前回のパートナーと同じ程度の年配の男性なんだから、まぁ仕方ないと思った。

日本の男性は、総じて相手のニーズをおもんぱかる能力は世界最低レベルだ。

その上メンタル習慣として、すべからく、女性のニーズに自分のニーズを優先しても、それが変だと気が付かない。お母さんを引っ張って、遊んでいる小さな男の子と同じことで、お母さんにもニーズがあるってこと自体に意識が希薄だ。

そういえば、師匠も、二人の子供がいる人だが、子どもを育てたのは、俺1割、嫁9割って言ってたもんなあ…。自分は、子育てについて、フリーライダーだと、分かっていても、それが変だと思わない人たちなんだったよなぁ…。普通はそのことに、多少の後ろめたさを感じて、負い目を償おうとするものだろうが、その負い目はないようだった…。

ので、そのセリフを聞いて奥様にいたく同情したのだった…。娘を愛しており、お父ちゃん、と呼ばれると目を細くして喜ぶ師匠だったが、どう見ても、山岳会でもお荷物になってきているらしかったし…。

それが気の毒で、別の平日クライマーで超有名なフリークライマーを紹介したら、二人は全然、合わなかったんだったが…。遊び友達は誰でもいいってわけではなくて、自分を立ててくれる人限定、なのだと、後で分かった。ので、吉田さんには悪いことしたな、と思った。

というわけで、結局のところ、岸良のステキなクラックを登る喜びを分かち合う人はいない。

ボルダーのほうで、見ていたら、ボルダラーで上手な人も、クラック触らせたら、超下手くそだった…ので、ボルダラーであっても、易しいクラックから学ぶところがないクライマーは、いないはずだ…と分かったのが、せめてもの今回の収穫か。

クラックがホールドとして使えるということは、2級などの難しいボルダーをサクッとクラック登りでオンサイト可能だ、ということでもあった…。

まぁ、そう言う学びがないわけでもなかったが、岸良は苦渋と悲しみの岩場となったわけだった…。