2024/06/07

【クライミング教育】浅慮を放置してはいけない

 クライミング界に蔓延しているのは、主に男性メンバーによる

 浅慮

である。つまり、

思慮の浅いこと。

浅慮に、殺されたり、殺されそうになった人の思いは深く、つらい。

思慮の浅い人間を作るのは? 

教育の不在なのだろうか?

それとも、本人の資質なんだろうか?

それこそ、考えていない、つまり、浅慮、なのであろう…。

■ 社会的構造

思慮が浅いままの人間でも、楽勝で生きていけるように、構造的に作られてしまっているのが日本社会で、結局、弱者を再教育するよりも、その弱者のまま、考えないでも済むように、周囲がおぜん立てしてしまっているのが問題なのである。

たとえば、

  残置直がけが九州のローカルルール

というローカルルール…

クライミングの終了点に関しては 歴史的遷移がある。

JDT(ADT)

→ 流動分散 →

→ 固定分散→ 

→ クワッドアンカー

で、現在ではクワッドアンカーが主流である。情報が伝播されないのは、山岳会が衰退したことにより、中央組織をトップとするピラミッド構造による情報伝播が上手く、機能しなくなったためだ。

■ 現在でもJDT、ADTが健在 

実はアルパイン業界でも、JDTやADTは、いまだにご健在である… 古いクライマーは、新しいギアを購入しない。ので、結局、取り扱い説明書を見ない。

その上、古くからの教育をそのままにしている。古いクライマー自身は人工壁に通うことをしないので、情報がアップデートされない。

その上、山やということなので、ITをはじめとする情報機器とは無縁である。

そこが問題だが、そこを問題とは多くの人は捉えていないだろう… ずっと自分の古い技術を信じ切っているからである。

JDT(ADT)に関しては多くの記事が出回っているので、検索して勉強してください。


https://allnevery.blogspot.com/2021/07/jdtadt.html

教える側がこれでオッケーと思っている、っていうのが問題点である。

これなど、年に一回、ロクスノが、新人が入る4月号に毎週終了点特集を昨年の記事と異なる筆者に書かせれば、いいだけだろう。

山下さん、なんて、いい記事書いてくれると思いますけど…。

http://ifmgaguideyamashita.livedoor.blog/archives/280010.html

■ エチケットとして、浅慮はダメの空気感を醸造する

まぁ支点に関する知識が育っていないことの背景には

 クライミングの倫理観として、男性の浅慮が肯定的に受け取られているクライミング文化がある。

それは、射精責任が問われず、男性の性欲に負けて、うっかり…という妊娠…という重大結果の責任…つまり子育て負担…を女性の側が受けてしまう、そしてそれを社会が男性を擁護し、女性を擁護しないという構造と同じである。

たとえ、そのセックスが女性の側にとっても快楽だとしても、それで男性とはイーブンであり、その女性一人が妊娠・出産・子育ての20年にわたる負担を一方的に背負うべきだという男性の主張には無理がある。

快楽5秒、苦役20年なら、女性にとってセックスや妊娠、出産、子育ては、全く割に合わない。

したがって、セックス自体をしたい、と思う女性がいなくなるだろう。

同じことで、クライミングも、白亜スラブは例えるなら、ほとんどレイプされたのと同じで、まったく喜びがなく(つまりエイドではなくフリーで登る箇所がなく)、一方的に尽くすだけのクライミングで、その上命まで取られそうになった、最悪のクライミングであった。

そんなクライミングで自信をつけていた相方。例えるなら、相手の様子など不在で、自分の射精だけが目的の男性と同じことだった。

私の屈辱は、まるで、自分の体を2000円で差し出してしまった売春婦のごとくだった。

東電OLと同じ気分ってことだ。

クライミングにおけるパートナー関係は、世間においては、弱者男性に身を売る弱者女性みたいな構造になっています。

それが、ほとんど真実だと思う。

日本社会の病理は、クライミング界に如実に表れているのである。

2024/06/06

【クライミング文化情報】中嶋渉、内省するクライマーの行方展

 クライマー同士のホモソーシャリズムにゲンナリな記事が続きましたが…

良いニュース到来♪

https://the-tribe.jp/event_exhibition/2024/exhibition/06_wnakajima/wnakajima.html

トークイベント

「初登を巡る対話Ⅰ」

中嶋渉 x 草野俊達

2024.06.27 19:00ー21:00

坂下直枝さんの企画みたいです。やっぱり日本のクライミングのドンはロストアローですよね!

森山編集長なき後のロクスノ、全然だからなぁ…

日本では、マスメディアのコストは下がっているので、ぜひYouTubeにアップして、情報の伝播に務めてほしいです。

鈴木英貴さんとか、今、展示されているところみたいです。

日本人により、海外で知名度の高いクライマーです。

私の個人的意見によれば

 一流クライマーのクライミングに接する機会を持たない一般クライマーの増加

が、

 リスク認知ゼロ型、俺かっこいいだろ型クライミング

を推進してしまったと思います。そりゃスポーツクライミングしか推進してこなったんだから、

 ・競争に勝つ

 ・リスクはない

を前提にモノを考える人が増えたのは、原因と結果の法則通りのことが起きているに過ぎない。

スポーツクライミングを振興してきた人が、自分で責任を取って、岩場のリスク管理について、現代のジム上がりクライマーに、

 優しく丁寧に何度も

教えてあげるのがいいんじゃないですか?

 女性の母性に頼って、俺を男にしてもらおう

ってのは無しにしてもらいたいです。

【クライミング心理学】いただき女子クライマー?いただき男子

【頂き女子事件】「何の取り柄もない女性が数億円稼げるマニュアルって現代フェミがもっと注目すべき事件だと思うんですよ」「弱者男性って言葉が差別を生...

■弱者男性

弱者男性については、上野千鶴子さんの『日本の女嫌い』に詳述されており、基本的にはコミュニケーション能力の低さに原因を求められています。

で、私がクライミングで感じていたことは…

 トップクライマーなどの強者男性 = クライミング技術を有している
 
に対して、

  弱者女性の強みで、講習会などの参加(金銭パワー)で、技術を得る

ことを期待され、

  クライミング技術をホストの立場の男性に貢がされる

  そのホストの地位に、周辺の男性が立とうとしている。

そういう感じがしたんですよね。

平たく言えば、だしにされる、ってことですが。 会の新人などは、よく出しにされていますよね。

  新人=庇護の対象

そのためです。その庇護が得られない弱者男性は、自分にも庇護が欲しい、可愛がってルートに連れ出してほしい、とは、自分から発言することができない。

なぜなら、そうしてしまえば、負けを認めたことになるからです。

無知を認めること=弱者である自分を受け入れること、

になってしまう。 それは、古い男女観に縛られている男性には受け入れられないでしょう。

しかし、女性から、優しく何度も繰り返して、教えてもらいたい、とは思うのかもしれません。

まぁ、優しく何度も教えても、結局は教わらないんですけど!

いただき女子じゃないけど、せっかくの師匠とのクライミングに連れて行っても、教わるほうは、何を盗む力もないので、盗めない限り、無理だと思いました。

例えば、私は、故・吉田和正さんから、ボルダリングを教わっていますが… 吉田さんは、別に、

 ボルダリングをするときはマントルを習得してからね!

とか一度も言ったことがありません。 ただ、普通に朝呼ばれて行ったら、マントル練習10回くらいさせられて、その次は本気トライだった、ってだけです。

ところが、男子と行くと、このプロセスがなく、いきなり取りつく。

長崎フリークライミング協会がやっているボルダリング講習会にも参加しましたが、いきなり取りつく、でした…

ランディングの確認が必要だ、ということも、中根穂高さんの講習で知ったことで、別に言語化はされず、普通に10級くらいのところを降りるのをさせられただけです。

こういう風に、

 清く正しいクライマー

から 

 一度でも教わった経験

がないと、間違っていることを間違ったまま延々と続けてしまう…

しかし、それは
 
 盗む能力の欠如に起因している

ので、仕方ないんじゃないでしょうか?相方はインスボンで、師匠からちゃんと盗めたのでしょうか?

たぶん、何も見てこなかったんじゃないかなぁ… 自分に見とれている人は、意識が他者には向かっていない、そこが問題なのではないかと…。

クライマー界では、多くの男性が、

 頂きクライマー

になりたがっていると思います。あるいは、一発逆転クライマー。

2段がノーマットで登れさえすれば、女性にモテるとか人生が変わると思っていそうな気がします…

【クライミング心理学】防衛機構 置き換え

■ 防衛機制の置き換え(displacement)

は、読んで字の如く、自分の感情を元来の対象に向けずに、違う対象に置き換えて発散することです。

その感情を直接ぶつけると危険で不安を呼ぶために、危険でない対象に向けて発散すること

平たく言えば八つ当たり。 

https://suzuki-akiko.com/5734/

こちらのサイトに出ている事例が興味深いです。こんなのも置き換えなのー、です。

事例:

職場で上司に怒られた父親が、帰宅後にその鬱積を妻に向かって発散する(例えば、先日の出来事を蒸し返して文句を言う)。妻は、子どもに向かって鬱積を発散する(些細なことで怒る)。子どもは、飼い犬に向けてウサを晴らす。

パートナーの浮気が発覚した際に、怒りをパートナーに向けるのではなく、パートナーを「騙した」浮気相手に向ける場合です。パートナーに怒りをぶつけることで、パートナーの気持ちが一層離れてしまう不安があるために、無意識のうちに怒りの矛先を浮気相手に置き換えている例です。

・フェティシズムは、性欲の対象を人からモノに置き換えている

・自分のいら立つ感情のやり場に困って、家人が迷惑に感じる程のすごい勢いで家中を大掃除する場面がありましたが、これは行為への置き換え

・過干渉な母親への不安を無意識のうちにクモに向け、異様にクモを怖がる女性の例があります。クモから逃れることで母親から逃れられると無意識に感じることが、恐怖症として現れていると考えられます。

・無意識のうちに橋を渡ることを異界への移動、つまり死を意味していると捉え、死への不安を橋に置き換え、橋を渡ることに恐怖を抱く

・新型コロナウィルス感染拡大に際しての「自粛警察」

・組織で「スケープゴート」的に「社会的弱者」「少数者」に怒りが向けられることもある。

・例えば、同僚が産休に入り、そのために他の同僚の仕事の負荷が増した場合、それは本来は対策を取らない職場のマネジャーの責任ですが、怒りが産休を取得するスタッフに向けられる場合

■ クライミングで

小鹿野では、女性クライマーが登れないようにホールドを削るというのがこれですね…

全く八つ当たりされている側の身にもなってよね。

そんなんだから、女性にモテないんですよ(笑)。

2024/06/05

【クライミング心理学】防衛機構 ⑥~⑮

 https://suzuki-akiko.com/5240/ よりまとめます。

⑥身体化 (somatization) 

抑圧された感情や葛藤が無意識に身体症状になって現れる防衛です。

身体化によって、葛藤や衝動、感情に意識上で向き合うことを避けることができ、自我の安定が保たれると考えられます。

脳は身体の一部であり、身体から切り離され独立した監督者ではありません。身体と思考、心は互いに密接につながり影響しあっていて、思考は身体に対してリーダー格というわけでは決してありません。

身体化の例1)

「成績優秀な生徒が高校に入学し、特進学級に入る。有名大学進学のプレッシャーの下、毎日勉強に励むうちに、1日に20回程度失神するようになり、受診」。

この例では、「勉強をしたい欲求」「勉強すべきという価値観」と、「休養したい欲求」「勉強をしないことへの不安」とが葛藤し、その葛藤が身体化していると考えれられます。

また、極端な的な例としては、運動選手のイップス、歌手の失声などがあります。

私のアキレス腱断裂と悪性貧血は身体化と言う防衛機制が働いた結果ではないかと思います。

防衛機制⑦ 行動化

行動化 (acting-out)は、言語化されない無意識の衝動、欲求、葛藤、感情などを行動によって表現する防衛です。行動化によって、その無意識の衝動等に意識的に向き合うことを回避し、自我がその安定を保つことができると考えられます。

行動化が防衛として未熟なものと分類されるのは、無意識の感情等について言語化がされていない段階での防衛であるからです。つまり、発達段階でいえば、言語獲得以前の乳幼児期から私たちが使ってきた防衛だと考えられます。

私は、水に対して、子供のころ行動化していました。母が水泳部に私を入れようとしたとき、公園に行って、水着を水でぬらして、行ってきたーと言って帰ってきていました(笑)。バレバレですが、誰にも何も言われませんでした。

行動化は一般に、言語化の回避のようです。

意識化を回避したい無意識の葛藤や欲求があり、それを抱えきれずに無意識に行動に移す。

感情的に明確に把握 (emotionally articulate)できていないものの表現である。

⑧ 極度の解離

身体離脱症状のことです。

自分の適応能力をはるかに超えた苦痛や経験から自我を守るために、その時の感情、思考、体験を自我から切り離すための防衛として作用する解離もあれば、日常的で問題のない解離もあります。いずれの場合も、通常であれば、感情、行動、経験、意図などが自分の体験として統合されるのですが、解離によってその統合が失われます。

日常生活で起こる解離としては、テレビに夢中になって周囲のことに反応しない、飲み過ぎた夜の出来事を翌日になると全く思い出せない、などがその例です。

私はアイスクライミングで、相沢大滝55mをリードしているはずなのですが…乖離していたのでしょう、全く現実感がありません。あれってホントの出来事だったのかな?って感じです。

トラウマ的体験、つまり戦争や大災害、大手術など生命が危険に晒されるような強烈な体験の際に、時に人は解離という防衛で自我を守ることはよく知られています。

トラウマなのではないので、シンプルに解離しただけだと思います。若いころに解離した経験があるので、乖離しやすいのかもしれません。

⑨ 抑圧

抑圧は、とても辛い感情や耐えられない記憶などを意識の外、つまり無意識に押しやり閉じ込めることで、それを意識から排除する無意識の心理的作用です。

⑩ 退行

退行は誰にでも起きることがあります。例えば強いストレスをさらされている時には、大人であってもお気に入りの縫いぐるみを抱いて寝たり、口当たりの良い食べ物をやけ食いしたりという風に。以前の発達段階での態度をとることで、安心を感じ、エネルギーを回復しているのだと考えられます。

⑪ 感情の分離

現代社会では、感情を抑えて理性的でいることを尊ぶ傾向が強いので、感情の分離という防衛はその傾向と親和性が高い言えます。明らかな虐待経験がなくとも、親の子育てのスタイルと子どもの資質の巡り合わせによっては、子どもが感情の分離を主な防衛として発達させることもあります。知人や友人の中に、いつも感情を表に出さず、周囲の人が喜んだり悲しんだりする場面でもクールなままで、理性的な事がらのみ表明することを理想化している人がいるかもしれません。

(14) 打ち消し

「打ち消し」は、「空想上のまたは実際の行為よる罪悪感や恥の感情を打ち消すために何かをする」という防衛です。

例:

・夫婦喧嘩の翌日にいつもより豪華な朝食を用意する、

・期日までにレポートを添削して学生に返却できなかった教授がそのレポートの評価をAにする、

などです。

自分の過去の過ちや失敗について、それが現実のものか空想上のものかにかかわらず、強く自責する傾向のある人は、生涯をかけて防衛の打ち消しの性質を持つ活動に取り組む場合があります。ある研究によると、死刑制度廃止のために長年熱心に活動をする人びとには、打ち消しの特徴が見られることが示唆されたそうです。また、幼少期に好意を持っていた人が人種差別に苦しんでいるのを救えなかった経験が元になり、人種差別根絶のための活動に生涯を通じて関わった例もあります。「自分の犯した罪に対する恥や罪悪感に対抗し打ち消せるような活動をする」のが防衛の打ち消しですが、こう考えると崇高な目的への無意識の動機付けになる場合があることがわかります。

昼夜を問わず会社のために仕事をする「熱血会社員」は強迫行為的だと言えますが、本人の動機に無関係に前向きな価値判断をさせることもあれば(「頑張っている」「根性がある」等)、本人がいかに遣り甲斐を感じていたとしても「ワーカホリック」と否定的に価値判断されることもあります。

クライマーはクライミングについて強迫的に取り組んでいると思います(笑)。

⑮ 自分自身への向け換え

「自分自身への向け換え(turning against the self)」は、その名称から想像できるように、他者に対する否定的な感情を自分に向ける防衛です。例えば、自分の幸福を左右しうる権威を持つ人に対して否定的な感情を持つことは葛藤を引き起こすので、その否定的な感情を自分に向けます。権威者に対しての批判は危険なものですが、自分を批判することは安全です。子どもの場合、養育者は自分の生存を左右する存在です。その養育者が安心や信頼を感じられる人物でない場合(例えば自殺願望のある親、一度家を出ると数日間返ってこない親、虐待する親)、子どもにとってはそれを認めることは脅威に感じられるので、子どもは自分を責めることで防衛します。状況を変える力を持たない子どもにとっては、自己批判的な気持ちがどれほど不快なものだったとしても、自分の生存が現実的に脅威にさらされていることを認めることよりはマシだからです。組織の上長と部下、グループリーダーとメンバー、先生と生徒などの関係においても使われると考えられます。

「自分自身への向き換え」は、精神的に健康な人にもよく使われ、問題を他人の責任と考えるよりも自分の責任を考えます。自動的かつ強迫的にこの防衛を使う傾向は、抑うつ的パーソナリティまたは関係性の自己虐待的なパーソナリティに共通してみられます。

これっぽいですね…



【クライミング心理学】防衛機制のまとめ その①~⑤

 ■ 防衛機制

こちらのブログを参考にまとめました。

① 逃避 

逃避は、辛い現実を避けようとする防衛です。

英語ではwithdrawalです。何か自分がミスをしてしまったとき、それを見なかったことにする、無かったことにしてしまい、責任を取らない、ということは、逃避、となります。

例:

・試験勉強をしようと机に座ったとたんに、なぜか部屋の掃除をしたくなり掃除を始める。

・幼児は、多くの刺激に疲れた時には眠ります = 逃避

・大人の場合は、社会や人間関係から逃避して、自分の内的な空想の世界での刺激を求める

・薬物等の使用により意識状態を変えるのも一種の逃避

つまり、広く言えば、コーヒーや居酒屋も逃避です。逃避はストレス発散と似ているのですが、発散はしていないで、方向性を変えただけですので、問題は残り続けます。

逃避の相補的メリット: 現実を歪曲しないですむ

② 否認

否認は、クライミング界には顕著です。

しょぼいミスで遭難した事例は、まず事故自体が発表されません(笑)。否認の根拠に、故人の名誉が用いられます。しょぼい事故で死んだことを恥と考えているため、秘匿します。

例:

肉体能力や認知能力の衰えを認めずに運転免許証を返納しない高齢者

否認の明らかに病理的な例は、躁状態です。ですので、クライマーハイ=躁状態にある人は、自らの身体的限界を否定します。

睡眠の必要性、経済的緊急事態、自分の弱点やいつかは死ぬ存在であることすら、否認します。躁状態です。

③ 「万能的支配力 (omnipotent control)

これを防衛の一種に分類する立場は少数派のようです。

幼児期の万能感をもとにしているようです。自分の望みには魔法のような絶大な影響力があって「願えば叶う」というような万能感(自己肥大感)はスピの世界でよく聞きますが、これは、赤ちゃんが「自分が不快だと思う→オムツが乾く」という風に観察力などの欠如の結果であるようですね。私もたまに、原因と結果の法則をスピの人は無視しているんではないかと思ったりします。

赤ちゃんが自分と外界の区別ができるようになると、自分の無力さに気づき、それが不安を呼ぶので、今度は養育者を万能だと信じることで安心感を得ようとします。さらに成長すると、養育者でさえ万能ではないという現実に気づき、それを受け入れながら成長することで、自分の影響力には限界があることを認識した大人に成長していきます。

クライミングに例えると、俺ってスゲー=万能感 → 自分が登れないところが出てくる → 指導者やトップクライマーなどに万能を求める → しかし、それでも限界があることに気が付く → 成熟したクライマー です。

ロープがないと危険→落ちなければいいじゃないか = 万能感の段階

フリーソロのアレックススゲー、倉上スゲー etc... = ランナウトやフリーソロ礼賛

マークアンドレ = あれ?死んでる… = 限界に気が付く

どんなに優れたクライマーでもロープによる確保は必要 = 成熟したクライマー

ってことですね。男性は特に万能感へのあこがれが強いような気がします。

自己万能感の防衛は「他人を出し抜け」という働き方をします。クライマー界では、だしぬけ=ルサンチマンとして働いているかもしれません。たとえば、チッピングをする人は、この思いのために行っている可能性があります。倫理観より、自己万能感が優先するからです。

自己万能感と違い、有益な自己効力感は、次のようなものです。

トランプなどの勝負ごとで、相手の出方やゲームの展開の読み、その勘が当たって勝ちを手にした時の快感は、「願いは叶う」という「万能的支配力」の感覚に近いものです。

これは、私にとって、投資や山行計画でのリスクの読みが当たる感覚に近いです。海外登攀に出かけたとき、ホテルの選択などで、良い選択が出来たときもこれになります。ほかにはヨガのクラスがあります。良い内容を出来た、という実感があるとき、読みが当たった時です。

④ 理想化と脱価値化

養育者を万能だと信じることで安心するという心理です。

大人になると、国を運営している人々は自分よりも賢く頼りがいがあるという望みに表れます。民主主義国家であれば自分の今の生活は守られるという安心感などもそうです。

クライミングでは、師匠やメンター、山岳会への信頼がそうですが、それは、まぁ打ち砕かれるのが早ければ早いほど良いかもしれません。

他人から、魅力や権力、知名度などを絶え間なく称賛されることを必要とする場合、それは理想化と脱価値化という防衛の結果です。

グレード競争の結果、おれは5.13と言わないといけないクライマーが増えたのは、万能感を根底にするのかもしれません。

自分の妻の癌を治療できるのはこの医者しかいないと主治医を理想化している夫は、妻が治療の甲斐なく死亡した場合には、その医者を裁判所に訴える可能性すらあります。あの学校に進学さえできれば、あの会社に就職さえできれば、減量して痩せさえすれば…エベレストに登れさえすれば…あるいは、2段がノーマットで登れさえすれば…、5.13が登れさえすれば…等々、対象を理想化して「それさえ実現すれば私は完璧になれる」という心理は、それほど珍しくありませんが、その裏側には不完全な自分への不安があります。そして、それが実現したときに理想化の幻想が破れて、大きく落ち込むことも珍しくありません。

防衛機制⑤ 取り入れと同一視

取り入れは、健全なものを取り入れる場合と、不健全なものを取り入れる場合があるようです。当然か。

クライミングにおいては、クライマーとしての入門者時代に健全な態度を取り入れるのが大事ですね。

例えば、「これ、5.9だぜ、こんなのも登れねえのか…」というのは健全な態度ではないです。甲府時代もこの態度を取り入れていたクライマーに遭いましたが、クライミングの経験値が増加した今、分かるのは、

 日本の5.9が、本当に5.9であることはほとんどない

 したがって、5.9が普通に登れないことは、5.12をインドアで普段登るクライマーでも起こる

そのため、私を責めるクライマーが持っている防衛は、この”取り入れ”という防衛機構なのだと気が付くようになりました。

家族に争いが絶えないなどの劣悪な環境に育った子どもは、境界線を曖昧にすることによって環境の悪さを自分の悪さと感じます。お母さんが機嫌が悪いのは、自分のせい、というような感覚です。

強く惹かれる他者との境界線が曖昧になり、他者を取り入れた結果、それが自分のアイデンティティの一部になっている場合には、例えば、「私は〇〇の母」など…、その重要な他者を失った際には自分の一部を失ったように感じるそうです。

その空虚感や喪失感を回避するために、自分を責めたり、相手を責めたりし続けることでうつ状態になるという解釈です。

子どもが巣立った後の親や人生を捧げてきた仕事から引退した人にも当てはまる場合がありそうです。このように、不健康な取り入れは抑うつに関係すると考えられます。

これは、クライミングをアイデンティティの一部としていた山梨時代の私が九州に来てクライミング自体を喪失したこととについて言えるかもしれません。

同一視は中立的なプロセスであり、同一化の対象によって健康的にも病的にもなりえます。例えば、手本となる他者を見て真似ることを「モデリング」と呼ぶことがあるように、日常生活でも観察されます。

最近水泳の先生の、準備運動のかけごえが、まるで体育会系男子みたいなので、変だなーと思っていたのですが、同一視、だと思います。

私はクライミングでは何に対して同一視していたか?というと…?その対象がなくて困っているかもしれません。できたら、上級の女性クライマーと登りたいと思っているのですが…。なかなか同一視というかモデリングできるような女性クライマーがいなくて困っています。

長くなってきたので、①~⑤でひとまず、終了します。


【クライミング心理学】 反省しない、更生の見込みがないクライマーの見極め

■ 裏切りに関する心理学動画

好きな人から裏切られた時の『正しい対処法』


という動画があるが、重要なチェックポイントが出ていたので掲載。
(タイトルが気に入らないが。別に私は相方を好きではなかったので。念のため。)


白亜スラブの登攀について考えると…

「やっぱロープは60mだね!」

は、

 自分以外の何かを言い訳にする

のほうに該当するよなぁ…。 

つまり、
 
 変わる見込みはない

みたいですね…。 あとは誰がロシアンルーレットのババを引くか…だよなぁ。

■ 祝子川に2名で行って来いと言った指導者に忠告すべきか?

はっきり言って九州には、御大層な山はない。雪庇が崩れる、って可能性は雪がそもそも降らないんだからゼロだし…。大日岳の雪庇崩壊や那須岳の遭難事例を持ち出して、九州人が、襟を正すか?というと? まぁ、他人事感が強まるだけだろう。むしろ逆効果と言う意味です。

そんな中で重大事故多発の、祝子川は、例外中の例外だろう。

おそらくアイスのルート…宇土内谷なども同じであろう…。九州のクライミングの基準は、大体40年ほど遅れているのである。

福岡出身でも名を成したクライマーはいるんだが…実際にクライマーとして開花し、登っていた地は北海道だったりする。

逆に山梨で登っていて、全国的に通用すると思われる基準感覚でいた人…かの地では初級クライマーに過ぎない…が、九州にくると、自分が異様に高い位置…上級者…に位置付けられてしまう…。

振り返ってみると私自身もそうで、部外者クライマーである私をビビらせようとして用意された課題は…たとえば、初夢5.9などだろうが…、普通に、何が難しいんですか?と登ってしまえるわけである。私は山梨では完全に初級クライマーで登る課題探しに難儀するくらいだった。こちらでは、上手な方に入ってしまう…

ここで、ナルシシストタイプの人と普通の人は、反応が二分する。

 ナルシシストタイプ → いえーい、俺ってかっこいー。ついに俺の時代が来た~♪

 普通の人    → え?!みんな、そんなのも知らないの?(登れないの?)

つまり、基準が低いということは、ナルシシストにとっては、自分のナルシズムを充足させるチャンスに見える。

いや~。反応がこれだけ違うことにも全く気が付かなかったのである。

私にとって”え?ロープつけないの?な恐怖体験”でしかないことが、相方にとっては、他者から自分の無謀さを肯定され、自己肯定感があがり、楽しくて仕方ない活動だったみたいだった。

それは、九州にはリスクが存在しないから、わざとリスクを増すような、そういう登りをして無理やり楽しんでいた、というのが、本音なのだろう…

本当にリスクのある山で舐めたことをしていたら、本当に山に食われて終わりだからです。

つまり、イケイケは難しいことに取り組んでいない証、傍証になってしまいますね。

そのイケイケを自分の会の会員に進めるのは、どうなのか?その人本人が判断するしかないですね。なんせ、将来どんなクライマーになってほしいのか?によるよなぁ。

将来全国に通じるクライマーになってほしい → 易しいところで取れないセルフは難しいところで取れないと教える

九州内だけで通用すればいい → 易しいところだから、セルフは要らないと教える

■ 本州人が、祝子川に2名で行き、女性と組み、そして、確保方法が良くなかった場合

まぁ、これも無事に帰ってきたら、

 勝てば官軍

ということになって、まったく反省の余地がなかったであろう…

大体、大きな事故の前には、無数のヒヤリハットがあるもの、である。

5つの重大事件の前に、300のヒヤリハットがある、と言われている。

つまり、死亡する事故が発生する前に、理論上は、事故を起こした人には、

 60回のヒヤリハット

があったはずであり、それはいいかえると、

 60回の反省のチャンス

があったということになる。

それらが何であるか?は、本人や周囲の人以外、知りようがない…

だが、相方が、25mピッチと35mピッチを50mシングルで来ているときにつないで、つないでしまったことを反省せず、「やっぱロープは60mだね~」と発言したことを考えると…

この回でも、相方は、

 学習しなかった

ことになる。学習しない人の問題点は、ただ学習しないだけでなく、それが前述のように

 自信

につながることである。

 50mで来ても切り抜けられた、という経験値になってしまう

ので、次はもっと

 リスクを加算しても良い

と考える。

これが、

 栗城劇場が出来た理由

であるが…、それは一般のクライマー内にも蔓延している。

失敗の解釈が逆…

それは、この女性を犠牲者にしてしまった本州クライマーも同じなのではないだろうか?

彼には60回あった反省のチャンスをすべて見逃した結果が

 死亡事故

として結実した、のではないだろうか?

■ 反省しないで済む環境づくり=ホモソーシャル

難しい点は、その自信を保護しようとする、ホモソーシャルな同族保護主義がクライマー界内部からもたらされることである。

もたらしている本人は

 クライマー界を保護しているつもり (冒険主義の保護のつもり、あるいは温情主義のつもり)

であるので、ややこしい…。

理論的には、他者にも分かる、大きな事故を1つ起こす前に、その人は60回のヒヤリハットを見過ごされてきているのであるから、大事なことは、都度、つまり

 60回、そのクライマーにイチイチ声をかけてやってきているか?

ということである。

したがって、反省したクライマーが、仮にきちっと反省していたら、60個には及ばなくても相当数の反省点が、これまでの山行すべてから見出されることだろう。

私はこの点…イチイチ間違いに声をかけてやっている点…については、かなりの自信がある。私が指摘できることは、アラーキーにはすべてしました。

■ 救えないクライマーの様子

しかし、指摘しても、逆ギレしてくるのが、救えないクライマーなのです。

例えば、カムの設置位置が悪い、とか、外れかけている、なんて、

 ホワイトクライマーとブラッククライマーで反応が正反対

です。

 ホワイトクライマー 「すいません…」
 ブラッククライマー 「え~!なんでそんなこと言うんだよ!(怒)」

私はすでにミスを都度指摘しており、反応が

 自分以外の何かを言い訳にする

と、更生の見込みがないケースだったのに、

 ”オンサイト出来たのがうれしかったから、こんなことを言ったのかもしれない”

などと善意に解釈してしまって、許すことを何度も重ねていました。

それが私の反省点です。次回から、

 おかしな言動をしているクライマーは、切り分けられる

と思います。

【クライミング心理学】騙されてはいけない! 裏切りの傷

■傷の活性化

私の九州クライミングで最も活性化された傷は

 「だまされてはいけない」

である。これは、意外なことに、助っ人的登場での、奥村講習で叫ばれた。

たぐり落ちのキャッチだったが…。なぜ自分が「だまされてはいけない!」と叫んだのか、自分でも疑問だったが… その叫んだとき、奥村さんががっかりしたのは分かった。

しかし…、奥村さんは考えてみたら、行縢のエイドで記録を持っている人で、エイドで記録を持っている=ランナウト大好きクライマーって意味かもしれん… と、今頃、気が付いた(笑)。

エイドって、ランナウト自慢のクライミングなんである。ランナウトしないなら、ボルトラダー化してしまう。

昔のアルパインルートは、ほんの少しでも被ると、すぐにエイドを出していたそうである。

今のルートの成り立ちからは考えられないような話である。

トラウマに戻ると、あの叫び声は、真実の叫び声だったろう… というか、無意識に発生された言葉というのは、いつだって、その人の真実なのだ。

■ 騙されてはいけなさそうな出来事、各種

1)同じようなのに、BMCトラッドフェスへの誘いがあった。インスボンなどで、トラッドを習得中の人が次に行く岩場で、トラッドの本場のイギリスとかウェールズってどうなんでしょうかね?私の目には、ただ、ビビらせられに行く、としか思えないんだが…まぁ今度イギリス人のクライマーにラオスで聞いてみる気ですが。

2)騙されてはいけない!の3つ目は、なんだろうか・・?あ、樋口先生かな。樋口先生は非常に策士で、わざと私に必要のない設備を大村市が必要としているかのように思わせ、先生自身に都合の良い我田引水を先生がしたのでした。私は先生のことを味方だと思っていたので、残念でした。多久市は、スピードウォールはすでに誘致済みで、別に長崎にスピードの壁は要らない。

私は外岩クライマーなので、当然スピードクライミングの壁には興味がない。先生の、口車に載せられそうになったんだが、あとで先生は謝罪しました。

このことで、大村市の議員さんなどには迷惑をかけた。大村市は農業の人材欲しさに、いろいろとクライミングの話題を聞いてくれたんだが、クライミングの魅力を全国にPRすることで、若い人材が大村に移住するだけの十分な魅力がある岩場が、龍頭泉であることには今も変わりがない。樋口先生が筆頭開拓者なので、支点も整備されつつあるだろう…

私のあとからの推理だが、先生は、日向神と同じ終了点を龍頭泉に採用していたので、強度の不十分な、時代遅れの終了点であることが父兄にバレると、非常に指導者としての資質を問われると思って、龍頭泉を私に見せたくなかったようだ。まぁ正直に言ってもらえば、別に揚げ足取りは私はしない。

3)日向神についても、ひどい内容の支点だが、その改善努力がゼロのところが、私がしつこくなった理由に過ぎない。新田さんがリボルトしてくれたとしても、それは一部であり、バンバン間違った初期開拓が今も行われており、それを知っている人が熊本の会長さんだが、彼本人から、開拓者らに忠告してやる様子が一切なかった。男同士の絆って奴である。

4)それを全体的にホモソーシャルへの男性同士の連合と呼んでいるわけですが

特徴は

1)ちゃちな特権意識

2)男らしさへのしがみつき

3)共犯意識

まぁ、私にとってクライミングは、ついでの活動でしかない、ということをなかなか分かってもらえないのが、問題な気がする。

というのも、お前、岩に命かけてんだよな!という圧迫的な心理を感じさせられるからです。

今時、岩に命かける人、いないよ? 

それはかけてしまった人は、残念であるが。ユージさんらのスマートな登りを見たでしょう。あんな感じが普通なんですよ。だれも命かけるつもりなしです。

岩にすべてをささげる…それ40年前どころか50年くらい前の感覚です。

加害者になったり、被害者になってたりしている世界的クライマーのジャンボさんですら、命はかけていないですよ。今時のクライマーは、小さな幸せを大事にするんです。

そして、登る理由は超個人的。ストーンローカルズを見たでしょう…

私が登りたい理由は、”集中”です。 気分の切り替え。

クライミングに関する活動は、暇だから、やっている暇つぶし的な活動です。

特に外岩。ショートの岩場で死ぬ人ってホント、バカみたいな犬死でしかない。大体、そこ練習であって、山が本番なんだから。

山ヤの中では、本チャンと言う言葉があり、これは、ストリップに端を発する、ホモソーシャル性を表現した言葉だ。山の本番のことを本チャンという。じゃ、外岩は何なんだろうか? さしづめ、マスターベーションとでもいうところか?

それを、本番に格上げしたのがフリークライミングなんだが、日本ではフリークライミングは、40年停滞しており、

・5.12 波状攻撃 = なんとか俺をクライマーの仲間に入れてくれ…

から進化していない。

進化しているとすれば、進化の方角が、ボルダリングに偏っているわけなんである。

九州はボルダリングの聖地であるが、その聖地でのボルダリング初心者講習は?というと??

 ・ランディング練習なし

 ・マントル練習無し

 ・グレード5級以下は十ぱひとからげ

 ・3級しか登れない人がノーマットで2段を登りたがる

という全く、外岩のリスク認知の基本ができていない内容だった。

祝子川に二人で行ってこいというボルトの無批判な礼賛に限らず、九州のクライミング教育は、非常にまずい。

 登ったら、降りなくていけない。

その超・根本のところがお留守なのであった。

なんせローワーダウンが怖くてできない人を、比叡に連れて行ってしまうわけなんですから。しかも、連れて行っている本人が懸垂下降でロープの末端が地面に届いていない。そんなクライマーが、会の秘蔵っ子、って…。

いや、岩場に連れていく以前に教えておくことが山ほどあるでしょう。そんな奴、押し付けられても、私もイラナイ。私にだって、相手を選ぶ権利はあるはずです。

ほんと、君子危うきに近づかず、です。みなさんも気を付けてください。

      正しいビレイを受けるのは、特権ではなく、最低限の要件です 
            高値で売ろうとする人=変な人



2024/06/04

【クライミング心理学】被害者 と 加害者

■ 加害者は更生を望まれ、被害者は忘れることを望まれる

殺されたり、捨てられたりして、加害されたが、加害した側は、その事件を忘れ、人生を前に進めるように周囲の人々から、協力が得られるのに対して、被害者には何の救済も与えられない、という件について考えようと思い、動画をいくつか視聴しました。

山や沢でのチョンボがかなりしょうもない理由でおこなれて、結果が甚大(殺人)という内容と比較になる点があるかもしれないと思い殺人事件を取り上げます。

https://www.ktv.jp/news/feature/220523/

新聞にも報道された重大な事件で、利己的な理由で、猟奇的に 殺人が行われた、という事件です。

山や沢との共通点は

 利己的な理由  (ただ遊びに行きたい、ルートに出たい、認められたい) 

 結果が甚大   (人が死んでしまう)

という点です。

見ていたら、被害者と言うのは、本当に長いこと、被害心情を乗り越えることができないのだと思いました。

■ 加害者の更生

この記事によると、加害者の更生は プロの手によっても、非常に困難、だと分かります。

その人が良い風に更生したか?

は、クライミングであれば、私の中に一つは成功事例がありますが、

それは、御坂時代のおバカな新人だった九州から来た男性クライマーが

  エイドクライミングは時代遅れ

と気が付き

  クライミングインストラクターの講習会に仲間を誘って参加するようになった

と聞いていることです。

彼に必要だったのは、

 会の人が誰も誘ってくれなくなった

 ↓

 なぜだろう?

 ↓

 俺は、アホだった

の自覚でした。

振り返ってみると、相方は、安全対策は、私を懐柔するポーズ、でした。

本心では、ロープなんて…と思っていることを怖いお母さんにバレたくない、というポーズでしかないのは、例えば、

 カムの配置が悪くてロープが流れなくなっているよ

と教えたときの 返事が

 え?!なんでそんなこと言うんだよ!

に現れていました…。ロープカバーとかいらないもの買ったりしていましたが、ただのポーズ。

彼本人が起こした、小さなヒヤリハットをこちらが指摘しても、彼本人のヒヤリハットによって、被害を被っているのがワタシであり、本人でない限り、

 堪えない…

という循環にあるように思います。つまり、依存症と同じで、

 安全管理がしっかりした人=イネイブラー化

してしまっているということです。

彼と組むべきなのは、つまり自覚をもたらすことができるのは、

 彼本人より安全管理がお留守の人、

です。

イケイケ男子で安全管理がお留守の人と組む、これが男性がリスクを女性や子供などの弱者に負わせないで、リスク管理について学ぶ大事な点ですね。

イケイケ男子はイケイケ男子と組みましょう。

マルボーさんが組んであげたら、いいんじゃないですかね?アラーキーとは。

【クライミング心理学】 女性と一対一で沢に行きたい人の真意って何でしょうか?

■ デート?

山岳会は、伝統的にグループ行動ですが、クライミングジム時代になると、どうも男子は、若い女子に、

 「〇〇って、岩場に連れて行ってあげるよ~」というデートの手段

として岩場を利用しているのではないか?という疑念もあるのですが…

沢登りみたいな、リスクを伴うと最初から分かっているような隔絶した場所に、1対1で行きたがる男性っていうのは、いったい、真の狙いは何なのでしょうか?

大抵、男性は、見栄っ張りで、”俺が連れて行ってやっているんだ”とPRしたい?

なんなんだろうなぁ…

別に女性とではなくても、沢に2名は、お勧めはできないチーム構成ですよね。

■ 女性と行くと、難しいところは行けませんよ?

なんせ、どう考えても、担げないんですから。 

女性は岩場なら保険になるけど、沢や山は、女性と行けば、女性の側があなたを助ける側になる、つまり、レスキューであなたを担いで山を下りるってのはないです。

まぁ、例外的に異様に体重の軽い男性と、重たい女性なら可能かもしれませんが。

性別ってより、体重の制限ですね。

まぁ、昨今は男性も軟弱化しているので、誰に対しても背負い搬送は、期待できませんね。

■ デート? 見栄? 手柄?

結局のところ、誰と行くか?の選択にも、

   純粋に沢登りしたい!という気持ち以外のなにか?

があるような気がします。

■ 3大デート沢

3大デート沢と言えば、

 東沢釜の沢

 赤木沢

あと、どこなんでしたっけ?

しかし、沢登りこそ、ほんとに、しょうもないミスでの死亡事故事例を良く聴く山行形態です。

以前、東京方面の会にいたときに、いやこれは…と思う死亡事故報告が会でありました。

初心者を中級の沢に連れて行き、滑落したその人を助けようとした男性が死亡。

そして、御坂山岳会という山梨の会でも、恥ずかしくて上げれないような内容の沢で、本間沢がありました。

死者が何人も出ているような滝に、ノーザイルで取りつこうとした、おバカな新人がいましたが、その人は、フリークライミング歴5年ですとかいう触れ込みでしたが、登らせてみたら、全部支点を掴んでAゼロで登る人でした。それで何も悪いと思っていない…。その人がクライマーとしての教育を受けたのは、九州でした。

■ 九州は、いまだに、”Ⅳ級A1”時代なのかも?

昨日、菊池さんのこちらの記事を読みました。

https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/Portals/0/images/contents/syusai/2024/tozankensyu39/2-3-vol.39.pdf

山梨でも感じたことが書いてありました。 以下、上記PDFより引用。


いまだに男子の登り方は、5.12を波状攻撃、ですもんね…

なんで、波状攻撃???

それって戦略として、あんまり有効でない。ハングドッグ長ーい、です。

ついでにひどい人になると、パンプアップして、とか甘えてきます。

しつこく、一つのルートに登り続けている。でも、それって指にも悪いし、まんべんなくクライミング能力を上げるという観点からすると、あんまり、良い戦略ではない気がします。

時が止まって、40年くらいたっているのに、気が付いていない…

失われた30年みたいなことが、クライミング業界でも起こっているみたいなんですよね。

■ サロン化して、問題解決に取り組んでいない文登研

文登研の他の資料も、見て見ましたが、まぁ、毒にも薬にもならないような、個人の趣味の追及を記事にしたような、論文と言えるのはないような記事の集合体で、何が問題なのか、透けて見えるようでした…。

まぁ、問題解決に向けては取り組んでいないってことが問題ですね。

毎年、過去最高、過去最高と叫ばれている山岳遭難に対する危機感は、文登研には希薄。

まぁ、どっちかと言えば高齢化なので早く死んでくれ、って思っているのかもしれません。

登山教育、クライミング教育の欠如に対する意識も、希薄。

誰も取り組みを見せていないです。例外は、花谷さんくらいかな。

というので、まぁ、放置された無学な人たちは、自分たちの考えで登るわけで、それは、

  • アルパイン現状: Ⅳ級A1
  • フリークライマー現状: 5.12波状攻撃
  • クライミング教育: 残置直掛け教育
  • クライマー平均値: 25mと35mを50mシングルでつなぐようなレベルの算数能力

で構成されているのでした…。

クライミング業界研究の結果、市場調査レポートに報告書としてまとめるとすると、こうなります(笑)。

熱いな、と思った分野は、村越先生のオリエンテーリング分野です。

VUCAの時代、オリエンテーリングはルートファインディング能力強化になるのではないかと思いますよ。

若い人に進めるなら、トレランのほうです。

2024/06/03

【危険回避能力】危機回避の能力の獲得が山をやるということですよ

■ 普通の人に危機回避能力はない?

私はクライミングを通じて、嫌な目にあうどころか、命も取られかねない(汗)というヒヤリハットを経験しています。(行かなくてよかった、ってのも含め)

私は、子供のころから自分がアダルトチルドレンだと自覚がありますが…子供ながらに大人と同じ役目を担ってきた子供と言う意味です…

そのカウンセラーの先生の言葉が、上記です。普通の人に危機回避能力はない、です。

要するに、アダルトチルドレンは、危機回避が第二の天性、ってことです。

直感が鋭い、と思います。なんか、考えていない人の行動パターンだなって匂うっていうか…。

例:

このままでは我が家はどうにもならなくなる、という失敗する未来への確信を、周囲の大人が誰も共有してくれず、

子どもの私だけが危険を認知していて、このままじゃ危ない、危ない、と言うと

周囲の人は、根拠なく、大丈夫、大丈夫、と言う。

しかし、やっぱり私の予想の通りになる…

…というのが、山やクライミングでも、繰り返されていると思います。

事例:

4時間かかる山に登るには、朝8時には登山口にいないと、登る前から遭難です。

案の定、稜線でカミナリ。横に走っている雷…

事例:

50mシングルロープで、25mのピッチと35mのピッチをつなげば、当然ロープが足りなくなる。

案の定、ボルト一個に仲良く二人でぶら下がる羽目になった。

事例:

沢に2名でいけば、何か起きたとき対応力がない

案の定、遭難事故が起き、同じ状況。

事例:

水圧がかかるところで、解除困難な確保をすれば、水流を浴び続けることになって窒息死する

案の定、事故。しかも最悪系の死亡事故。


■ 「危険回避能力」を育成するためには、どのようなことに留意して取り組めばよいか?

以上のように、生まれつき私は、危機回避能力に優れているわけですが、

アダルトチルドレンではない一般の人はどうしたらいいのでしょう?

 ① 予測

 ② 回避

 ③ 主体性

「危険回避能力」とは、「自ら危険を予測し、回避する能力」のことです。

自ら危険を予測するためには、

 1)危険の存在に気付き、

 2)どのような結果が予測されるか

 3)イメージする能力

が必要になります。

 4)警戒:「大丈夫だろう」という思い込みは、危険

です。

また、自ら危険を回避するためには、上記の危険予測に基づき、

 5)迅速かつ的確に意思決定し、

 6)より安全な行動を選択する能力、

 7)主体的に行動する態度

が必要になります。

(躊躇せず、勇気をもって、回避する)、そして、(自分のできうる最大限の行動を取る)

ことが大切になります。

以上 

https://www.pref.tochigi.lg.jp/m55/system/desaki/desaki/documents/24-6.pdf

より抜粋まとめ。

■ 指摘

たぶん、①予想の時点で、だいたいほとんどの男性は、誰それが行ってきたから、俺も行けるという比較を、情報収集の根拠にしており、そのルートそのものの情報を集めていない。

  あいつが行ってきたから俺も行ける ×

  ルートそのものの情報 〇

したがって、実際に危険が起きたときは、回避する手段について想定していない。

 50mシングルで登っているけど、もう25mピッチは終わったはずだが、支点が見えない。次のピッチは35mあるがどうしたらいいか?

 ↓

知らない。

 ↓

頭真っ白

 ↓

えーい! 

= 行き当たりばったりの行動。

クライミングの相手が主体性を発揮して、断る。

=逆ギレする。

俺を馬鹿にしている!と個人攻撃と受け取る。

もう、どっちが本当の個人攻撃か、しっかり考えてほしい。

新標語: ルートの性格も読み切れない人のセカンドを務めるのは命がけ

です。

このような場合、コミュニケーションで解決できない人とは登らないのが正解です。

割っても気にならない程度の金額のお皿を買うのと同じです。

■ 危機管理能力が低い人の特徴

1)よく考えずに行動してしまう

2)知識と経験の不足

3)計画性の欠如

4)時間管理が苦手

5)自分のキャパを理解していない

オマケ:リスク予知能力訓練 事例。



【クライミング心理学】永遠にケアギビングし続けるケアギバーの役=ドツボにハマったケアギバー

■ 南ユウタさんの今日のメマガ

全面引用です。太字付与は私です。(青字 当方)

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 いのち軸で自己肯定感を育む

心理カウンセラーの南ユウタです。

ナルシシストやボーダーラインの人の考え方や行動は、非論理的で利己的なことがよくあります。

感情的に未熟ですので、「子どもっぽい」ところがあります。(師匠も前の相方も、二人とも子供っぽいところが魅力だった)

健康な人なら、ナルシシストやボーダーラインの人とかかわることがあっても、そうした子どもっぽさに対して怒ったり、困った顔をしてため息をついたりして、最終的には離れていきます。

でも、ケアテイカーの人は違いますよね。(子供時代のゴールデンエイジをケアギバーとして過ごしました。ので私の自我で最も強いのがAで、そのあとがNPです)

ナルシシストやボーダーラインの人の非論理的な言い分に対して、論理的に説得をしようとしていませんか? (げっ!これワタシではありませんか?!)

「正してあげなきゃ」と思ってしまいませんか? (げっ!これワタシではありませんか?!)

そして、長いことそういう「何回も言って聞かせても、同じことをくり返される」パターンを繰り返していませんか? (繰り返している!)

実は、それもナルシシストやボーダーラインの人とケアテイカーさんの間ではよくある「罠」です。

加害者、被害者、救済者の3つの役割をくり返して抜けられなくなる「人間関係の昼ドラ」にハマる罠です。

僕も、高校生や大学生の頃、相当な時間とエネルギーをそういうことに費やしていました。

当時は言葉にしていませんでしたが、

「もし、僕が論理的に説明してあげて、わからせてあげられたら、もうこんな風にはしないはずだ。」と信じていたのですよね。(げっ!これワタシではありませんか?!)

あなたも、そんな風に信じていませんか? 

実際には、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路の大きな特徴は「ランダム性」だと言われています。

論理的に考えられる時もあるけれど、非論理的な時も多くあります。

「そんなこと、普通の人でも同じじゃないか」と、思う人もいらっしゃるかもしれませんが、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路のランダム性は、そんなにかわいいものじゃありません。

非ナルシシストや非ボーダーラインの人なら、非論理的に考えふるまった後に、「あっ、これはまずかったかな」と気づく確率が高いですよね。

さらに、自分のふるまいが相手をどんな気持ちにさせたのか、想像がつきやすいです。

「私のあの時の言動は、きっとあなたを傷つけ、不快な気持ちにさせたよね」みたいに考え直し、謝罪したり、関係を修復しようと努力できます。

ところが、ナルシシストやボーダーラインの人は、これがとっても苦手なのです。

また、思考の特徴として「自分を中心にしか考えられない」というものが出やすいです(いつもではないですが)。

こういう時のナルシシストやボーダーラインの人は、「論理でもの考える」のではなく「感情でものを考える」のです。(たしかに。ケガをした人を外国に置き去りにするってねぇ…どっちが被害者よ?)

だから、どうしても被害的に受け取ってしまうこともあります。

そんな状態の人に、論理的になるよう説得をしながら絡み続けると、救世主のポジションに知らないうちにハマっていくのです。(なぜか、私が世界を救わないといけない羽目になって行った…)

そもそも、救世主を求めている段階や、救世主を実際にそばに置いているナルシシストやボーダーラインの人は、セラピーや心理治療の場にほとんど現れないです。(要するにクライミングの講習会に出ない…)

「自分で自分をよくしよう」とセラピーの主人公になっていないナルシシストやボーダーラインの人を、説得するのは無理があるし、原理的に不可能です。

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■ ブラックメールくれた方も、ピンチですよ!

私は祝子川の件で、ブラックメールをもらったのですが、その文面にこうありました。

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「本当は、〇〇した方が良かったんじゃないでしょうか?」という優しい言い方で厳しい安全基準を繰り返し伝えるだけでも、長期に渡って教育をすれば、段々と自分の過去を恥じる登山者になると感じています。

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心理学がすでに出している答えは、

 境界性の人

 自己愛性の人

は、精神科にそもそも来ないし、治す気にそもそもならないから原理的に治らないということです。

一般の人はそういう人を避けて活動する、これだけが身を守る盾です。

もし、この祝子川の件で、加害してしまった人が、人を殺してしまった結果につながったその後悔が、精神を病むレベルになるなら、私に脅し文句を言ってくるより先に、

 南さんのカウンセリングにかかることをお勧めします。

普通のハイキングの本にすら、徒しょうではロープつけるなと書いてある。初級レベルの知識