2022/08/11

アルパイン教育で山の死を防げるか?

 ■ 一般登山→日本のエイド→フリークライミング→ビッグウォール→アルパイン

たぶん・・・なのですが…一般的に アルパインの教育のステップはこういう風になっていたのではないでしょうか?

第一段階 一般登山 (ピークハント→小屋泊縦走→テント泊縦走→一般レベルの雪)

第二段階 読図の導入 

第三段階 入門レベルのオールラウンドな山登り (雪→沢→岩→氷)

第四段階 フリークライミングでの基礎的登攀力作り (いわゆるフリーの基礎力)  

第五段階 ルート経験数を貯める 

第3段階のどこにスポーツクライミングという危険を排除した形でのクライミングを入れるか悩ましいですが、スポーツクライミングに基本的にはリスクはありません。リスクがあるとすれば、技術的ミステイク、です。

ただアルパインクライミングの価値観を学ぶ前に、スポーツクライミングのルール、フリークライミングのルールなどを学ぶことになるので、学ぶ当人が混乱しますよね。

例:

スポーツクライミング=ボルトはあって当然。プロテクションは、元々あって当然。

フリークライミング=いくら落ちても命取りにならない。ロープに守られる。

エイドクライミング=背が高いほうが有利

現代では、新人教育ができない山岳会がほとんどなので、読図が山の必須教育の一部だとか、あるいは、フリーでマルチピッチのルートに出る前に、危急時の講習が必要だ、とか、一般的にクライミングジムでスタートした人には、てんで皆目見当がつかないのかもしれません。

アルパインクライミングが、冬の壁を前提とするのは、夏でもアルプスには雪があるから、であると思われるのですが…雪渓歩きや、氷河歩行みたいなものは、日本の山で必要となるのは、ほんの少しであるので、日本でアルパインの教育を受けた人は、セラックが落ちる、とか全然想定しない可能性もあります。雪庇の崩壊などもです。

■ 夏山の事故

今、問題になっているのは、基本的に夏山の事故です。

ココヘリの配布などで、技術を教えるというよりは、保険を手厚くする方向に日本の山の世界は動いていますが、これは、遭難者のプロフィールが、

 定年退職後に山をスタートした高齢登山者=新しいことを学習するスキルが著しく低い

ということを配慮してのことのような気がします。

年配の人の老後の時間つぶしとしての登山には、特に登山史の一ページに何かを追加する力があるとは思えません。

ので、ココヘリなどのように、保護を手厚くする方角で、お金で解決するという方向性はあながち間違っているとは思いません。

肝心の年配者だって、ザックを肩代わりして背負ってくれるなら、快適に歩けるので、若い人を雇いたい、というニーズがあることも、実際目の当たりにしています。若い人のほうも、そのようなガイドでのニーズであれば、トレーニングしてお金を貰えるのであれば、それでいいのではないでしょうか?

いわば、日本版シェルパ。しかし、このようなタイプのガイドに、ガイド能力を求めない方がいいのではないかと思ったりします。例えば、花の知識とか、危急時の対応能力(一般的な救急救命措置以上の能力)を求める必要はないような気がしますね。

なんたって、年配の人、ただちゃっかりしているだけなので。送り迎えのハイヤーと荷物持ちが欲しい、持病の発作が起きた時一人だとかなわん、という程度のニーズだろうと思うからです。これは、往年のアルパインクライマーだって同じです。さりとて、高齢者の寄せ集めでは、誰もニーズを満たすことができないです。

■ 本質的なアルパイン教育

一方若い人は、高齢者のような、ただ歩ければ成功、みたいな山をしていても、埒があきません。

私みたいな中途半端な人ですら、北アの一般ルートでも、南アの一般ルートでも、一般ルートであれば、もはや歩けないところはないくらい、簡単に若い人は、山は歩けてしまいます。

特に、九州のような温暖地では、山自体の気候リスク、標高のリスク、岩稜リスクがないので、どう頑張っても、沢登りをさせ、読図を教える程度ができる精いっぱいかなぁ…という気がします。その沢にしても規模が大きいものがないので、宿泊を伴う沢の、例えば、幕営場所選択のイロハ、みたいなことは教えてあげる機会が著しき制限されます。

ほとんど、どこかのネイチャースクールでおぜん立てされ、リスクはあらかじめ取り除かれたような楽勝の沢のようになってしまっているって意味です。

 なので、ぜんぜん何年積み上げても、いわゆる未踏の地に踏み込むに十分なだけの知識とか、経験値とかは積みあがらない訳です。

■ 知識と経験を積み上げるには?

現代では、基本となる、能力が、

 5.12がスイスイと登れる  & 40kgを担いで山登りができる

で、この能力を身に着けるまでは、

 経験値を積み上げるというステップには入れない

ようです。

過去のレベル感では、同じく基本となる能力が

 5.9がスイスイと登れる & 積中泊1泊二日程度の重さのザックを担いで山登りができる

だったようです。女性25kg、男性30kgだということでした。

 5.9がスイスイ → 5.12がスイスイ

 30kg     → 40kg

というわけで、こうしてみると、歩荷能力の増強度よりも、フリークライミング能力の増強度のほうがスゴイ…。

5.9スイスイは比較的可能ですが、5.12スイスイは、大人になってクライミングをスタートした人が達成するのは難しいかもしれません。5.12がRPできる人はたくさんいますが、うんうんうなってやっとこさ登るっていう意味ですから…。うんうんうなってやっとこさでは、ダメって意味なんですよね。

そうなると、フリークライミングの基礎力、というのがものすごく習得に時間がかかると言うことなので、途中でアルパインクライマーであることは忘れてしまって、フリークライミングに行ったら行きっぱなしになるかもしれません(笑)。

■ フリークライミングの階段を駆け上がることができないのがネック

実は、フリーはフリーで結構楽しいというか… 私がラオスや龍洞で登ったような感じでいいのなら、私もアルパインは捨てて、別にずっとフリーでもいっかなーって感じでした。山で死にたいわけじゃないしなぁ…。

ところが、日本でネックになっているのは、フリークライミングで基礎力をつけたいとおもったところで、フリークライミングの階段を安全に駆け上がることができないということなんですよね。

登山のレベルの時は、Ⅱ級=遊歩道、Ⅲ級=登山道、Ⅳ級=鎖場程度、Ⅴ級=ロープなしに登るのは不可能、と登山道の難易度が分けられているので、フリークライミングのレベルになった場合、5.〇〇…と Ⅴ級の5.からスタートします。一番易しいⅤ級は、5.7です。日本では。 

しかし、5.7~5.8のルートというのは、フリークライミングのレベル感からみたら、あまり歯牙にもかけられず、伝統的に、そのスキルは、特にフリークライミングのスキルトレーニングなしに登れる程度、という意味ですので、移行グレード、みたいなグレーな区間です。

したがって、 フリークライミングの階段というのは、5.9をオンサイトする能力がそなわってからスタートするわけですが…。

ここで、クライマーの命を奪う、リスクとスキルの逆説現象が起きています。

 5.9のフリークライミングの課題 のほうが死ぬリスクが大きい

 5.12のフリークライミングの課題 のほうが死ぬリスク小さい

 という具合に、日本では逆転現象が起きてしまっており、原因は

 ・グレードの付与が不適切 (5.9でもほんとには5.9ではないとか)

 ・ボルトの配置が不適切 (5.9でも5.9を限界グレードとする人のためには打たれていない)

という事情があり、フリークライミングの入門期も、死者が多いという事情につながっています。

中級者と言われる5.12が登れるほうが、日本の岩場の課題は安全で、下手したら1mおきにボルトが打ってあります。

余談ですが、昔の基準では、5.12登れることは熟達者扱いをしてもらえるスキルでした。今では、ジムで今日来た!みたいなやつが、5.12をその日に登ってしまうこともあり、グレードを見当に、”ベテラン”とはとても言えなくなりました。

さらに余談ですが、年齢による見た目もベテランと非ベテランを区別できないです。昨今、引退してからクライミングスタートするクライマーもいます。

■ まとめ:多い遭難タイプ

1)高齢初心者の登山”客”による無知&過信によるもの 

2) アルパインクライミング入門期 技術へのヒューマンエラー

 例:5.7~8レベルの新人時代の岩場でのうっかり。三つ峠で懸垂失敗で死ぬなど。

3)フリークライミングの入門段階期  岩場の質によるもの

 例:5.1〇~5.11アンダー期 

ということになってしまっています。 

■ 対策

さて対策ですが…、私の勝手な考えですが…

1)高齢初心者の登山”客”による無知&過信によるもの → ココヘリ&若年シェルパ

2) アルパインクライミング入門期 

 → しっかりとしたアルパインクライミング教育機関の設立 と

   公的な子弟縁組制度のサポート

  例:師匠になれるベテランの裏付けを公的機関が行い、若い人と1対1、あるいは、ザイルパートナー2名対師匠1名でのペアを公的機関がセットアップ。師匠の行動に疑問がある場合、第三者に相談できるセカンドオピニオン制度も採り入れられる。

3)フリークライミングの入門段階期 

 → しっかりとしたフリークライミングインストラクター協会公認フリークライミングインストラクターの講習へ、国費税金によるサポートをつけ、各都道県で年2回開催。

をしたらいいのではないかと思います。

■ 山岳会 はあきらめましょう…

なんか、突拍子もない話題で恐縮なんですが、最近、フランス革命の勉強をして、

 王政が廃れ行く現実を直視しないで、あくまで王政復古を目指したルイ16世

が、断頭台の露と消える羽目になった主たる原因だと思いました。

時代の流れというのは、抗っても全然、得にならないものみたいなんですよね。

日本では、日山協と労山を2大派閥とし、下部組織に各都道府県の山岳会がぶら下がるというピラミッドシステムで来たわけなんですが…昨今、全然、機能しません。

実は、こちらに来てすぐ、福岡労山の事務局長をしていた吉永さんに誘われて、彼の作った会(と言っても会員は3人だけです)に属してあげたのですが、きちんとした山行は、ひとつも催行されないまま、労山に支払う上納金(山岳会の会費)だけ毎月払うというので意味を感じず、さっさと出ました。

私自身も、”岩とお友達になる会”という会を持っていますが、こちらのほうが基本的には活動がまだ出来ていました。

■ライフスタイルの変更が必要になる

基本的にアルパインを志向する会であったとしても、日ごろはフリークライミングで基礎力UPみたいな日常行事をしているのが、普通のクライマーのライフスタイルです。

ところが、一般登山の山岳会しか知らないと、そのようなライフスタイル自体を身に着けそこなっているので、なんで山の会なのに、人工壁でリード練習なのか?とか分かりません。

それどころか、正月に雪の山で冬山合宿をするためには、GWにどこか雪の高山に行って、雪になれておく必要があることも分からないかもしれません。

参考になるか分かりませんが、関東で一般的と思える会の月の会山行を書いておきます

GW: 雪山での雪渓歩きなど、雪訓、スキルレベルに応じて

5月:易しい岩場で岩登り訓練 もしくは海外など 

6月:雨なので人工壁 ビレイ訓練

7月:高山 ロープが使える素養がある人は岩稜帯へ ない人は歩きの歩荷トレで夏山

8月:沢 レベルに応じて

9月:台風シーズンなのでインドア 縦走組はお好きな高山 

10月:秋の岩トレ スキルに応じて  縦走組はカモシカ山行 フリーの本格シーズン

11月:雪足慣らしで北ア 宿泊はテントで アイスは凍結次第

12月:正月の冬山合宿 城ケ崎などのシーズン到来 

 1月:アイス本格シーズン  海外での登攀シーズン

2月:ラッセルの山本格シーズン

3月:春山合宿 

4月: 岩登り訓練  

こんな感じかなぁと思います。毎月 かわりばんこで行く山決めようね~という発想では、山はステップアップはできず、ずっと同じレベルに居続けるだけです。

なので、登山歴10年といっても、同じレベルに居続けただけの人と、ステップを上げる山の年間計画がある場合では、全く違う成果になります。

まぁ、だとしても、大体の人は、フリーでお茶を濁す山に落ち着きますので、別にハイキングの山しかできなくても、卑下する必要はないでしょうが、アルパインクライマー、フリークライマーのライフスタイルと、一般登山のレベルの山しかしない岳人のライフスタイルは大きく異なります。

そのライフスタイルの習得というところが、大きなステップの一つかもしれません。

週二日ジムに行き、土日は岩場というライフスタイルが標準です。

それだけ、歩きから登攀へのステップは大きい変化ということです。

それだけ山が人に要求する努力は大きいということなのかもしれません。 

 


2022/08/10

フリーのアクセス問題とアルパインのアクセス問題

■ 菊地さんのお言葉
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既にお耳にされている方もいるかと思いますが、この度、一般社団法人・アルパインクライミング推進協議会(Alpine Climbing Promotion Council / ACPC)というものを立ち上げました。

今まで法的にグレーだった岩場の整備や廃れてしまったルートの復活などをしっかりした環境で行なえるようにすることを目指した団体です。
 

設立は4月だったのですがいろいろ体制を整えるのに時間がかかり、この度、ようやく一般会員を募集する運びとなりました。ただし申し訳ありませんが、今の時点で還元できるものは何もなく、法的問題をクリアするのに時間を要することから活動の進展もなかなか目に見えてこないことが予想されます。それらを踏まえたうえで、ご賛同ご協力いただける方、ぜひ会員としてこの活動に参加してください。
 

時間はかかりますが、皆さまのご協力が、今のアルパインクライミングをより良い方向に進めていけると確信しております。
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■ アルパインvsフリー 

今まで日本の岩場の整備は、

 日本フリークライミング協会(JFA)

が全国をカバーする団体としては、やっていたわけですが、まぁ手が回りませんわな…。

ほとんど、

  一般クライマーが起こした迷惑行為の受付窓口、

みたいになってしまっていることが想像できる状態で、なんかトバッチリ。

■ 既得権なのか?罰ゲームなのか?

結局、開拓クライマーは、勝手に開拓を個人でやる。やったもん勝ち状態でした。

開拓クライマーとして有名になると、その人がやるのが当然っぽい気分がしてくる=既得権獲得。

ちゃんと岩場の使用許可を取っていれば、それもいいですよね。なにしろ、自然界を、誰かが独占したり、私物利用するのは、やっぱり変です。空気はみんなのものでしょう。

まぁ、開拓は大変なんで、既得権益というよりも、罰ゲーム的かもしれません。

無償の行為だし、作った後のルートは、ほかの人に登ってね、という好意でもあるので、ボルト代も高いんだから、ちょとは感謝してくれよ、と思っても仕方ないですね。

私は米澤さんとは少ししか登っていませんが、米澤さんは確実に許可を取った岩場しか開拓しないクライマーでした。大学の先生だし、社会的に失うものがある人、です。米澤さんと知り合ったのは、私が開拓してくれる人にボルトを提供したいと思ったためです。

■ 正統派とやんちゃ派?

どうも、昔からの由緒正しいアルパインクライマーというのは、高学歴エリートな方がた、なので、法的整備などはしっかりと踏まえてからやる、というきちんとした人たちだったのではないか?と思います。

そこら辺の伝統が、やんちゃを持ち味にする人たちに、時代が移っていくと…たぶん、大学山岳部の活躍の時代ではなく、社会人山岳部活躍の時代ということだと思うのですが…、てんでバラバラ、いい加減になったのでは? 土合駅で宴会さわぎするような文化体系の人たちは、反社というか、法?そんなもの、みたいな感性のような気がします…。そこらへんは想像です。

山にしても、命の扱いにしても、プライド中心でいい加減だし、流行語の”無敵の人”ではありませんが、社会的にも失うものがないというか…やったもん勝ち精神というか… 

山小屋とかで会う、さわやかな好青年というより、派遣労働村で会う、抑圧されたうっぷんがある人が、それを岩場で晴らす?みたいな??

まぁ、そんなのは、勝手な想像ですが。

■ 国立公園は国立公園のくくりで

アルパインのルートって、基本的に高山=〇〇アルプスみたいなところにあるので、国立公園内のれっきとした山岳アクティビティの一つです。

しかし、そんなルートを例えば、九州で言えば日向神と一緒くたにしたら、違うなーとなるでしょう…。

日向神は、ダムのそばの完全に下界のゲレンデ。町から離れてはいますが、山岳じゃないです。でも、日向神程度でも、自然公園くらいには指定されているかもしれません。九州の小川山って感じかなぁ。

福岡クライマーがゲレンデ使いしている岩場といえば、四阿屋ですが、四阿屋の岩場はもっと下界… こんな岩場で、あれを打ったらイケナイ、これを打ったらイケナイと、色々がたがた言われたら、もうほんと、外岩文化自体が無くなりそうですが…。 日和田の岩場って感じかなぁ。

まとめると

 1)国立公園内で一般登山者と山岳環境を共有しつつ登るアルパインルート 

 2)自然公園内等で、純粋にフリークライマーしか来ないCrag 小川山レベル

 3)同じく自然公園内等で、使い倒し系入門用岩場  下界の岩場

国立公園内のルートの整備などに、ローカルクライマーの会とか要らない。これらはもともと山なのですから。ローカルクライマーの会が必要なのは、2)とか3)とかです。

例えば、前穂北尾根にローカルクライマーが仮にいたとして、俺たちのルートだから、好きに整備させてもらうよ、って変でしょう…。岩場は国民全体のもの。

一方、小川山とか、ある程度、地権者も複雑で、地元への調整とか、経済的見返りとか必要そうですし…。やたらめったら、教育を受けていない適当なクライマーが、ボルト乱打したら嫌そうです。多少のランナウトがあるとしても、日本のヨセミテ的性格は維持したほうがいいような岩場ですし…。初登者の尊重もフリークライミングの文化の中で大事そうです。

逆に、小川山みたいな歴史ある岩場ではなく、最初からエイドで登られていたような、フェイス主体の日向神が、小川山で許容するような、フリーのランナウトを許容する必要は全くない…。ランナウトとかで地域の人に迷惑をかける方が、ちょっとな…みたいな立地です。市民クライマー憩いの場的存在です。

四阿屋なら、ボルト1本2本を打ち足すとか引くとかに、いちいち許可がどうこうって…。そもそもそんな価値がある岩場じゃないっていうか。そもそも、採石場後だし…。

山梨なら兜とか西湖の岩場がそうかもしれません。開拓クライマーにだって練習台は必要なので、好きにしてね、みたいな場です。アイゼンで登ったらダメとか、もういいじゃん、みたいな気がする場ですね。そもそも岩場に人工ホールドついているし(笑)。

と、岩場の個性って言うのがあるのですが、

 アクセス問題、

と言えば、まぁ全般です。

■ 前例を学ぶ

アメリカでは、全米アクセス問題を扱う専門団体がいます。

日本にはいない…。とても残念。

山での意味ある死…例えばマークアンドレの『アルピニスト』見ましたが、あれは、登山史のページを1ページ推し進めた死で、意味があったと思うのですが…

それと、栗城さんだっけ?単なる、勘違いクライマーの死が混同されてしまっています…。

こんなの日本だけでは…?エライ恥ずかしいことです。

私が思うには、アルパインクライミング教育が廃れてしまったことで、山登りの進化系としてのクライミング活動ではなく、単純にクライミングムーブを楽しむフリークライミングに移行したため、山に必要な体力やリスク認知力への知見が失われ、グレードだけを見て、”俺、ジムの壁で5.11登れるから、北岳バットレスには、もういける”とか勘違いしてしまうわけですが…。

■ 区別、が大事なのでは?

たぶん、フリークライミングはフリークライミングという分野で進化すべし、なのです。

別分野として、です。

フリーの進化という意味では、日本では、進化が止まっているようで、瑞牆の専用トポも出たことだし、専用トポの中に何を書いていくか?みたいなことからも、徐々に海外の各岩場のように、”終了点の管理化”は、避けられないと思います。

なにしろ、

 現代のフリークライミングって、ボルトルートを前提にした遊びに進化

してしまっているので、きちんと、TRADか?スポートか?の切り分けが、されていることが大事なように思います。

Tradの岩場なら無料でもいいけど、終了点や支点の整備されている岩場を無料にしたら、それは開拓クライマーの行為へのただ乗り=フリーライドです。

■ 海外より遅れているそうです…

日本のアルパインクライミングって、なんとモンゴルより遅れている、のだそうです。

とても残念です。

 




2022/08/08

セラピー的だったおかもん先生の訪問

■ 家族との関係

私は18歳で家を出たのですが、親元を巣立つときが来たことを、母をはじめとする、家族に理解されず、「家族を捨てた」と非難されました。長女だったので、初めてのことだったからです。また、取り立ての電話が学生寮にもかかってくるなどと、現実的にも家族から迷惑をこうむっていた、という事情があって、実家とは縁遠く、弟の急死の前、8年間ほど、弟には会っておらず、でした。
 
まさか、そんな早くに弟が亡くなるとは思っていなかったのです。死に顔の弟が、実家から出た後、最初に見たお顔でした。
 
つまり、実家との関係修復という課題解決を、プロクラスティネーション(後伸ばし)していたということです。
 
■ 後伸ばし
 
同じことで、恩師の村上講師が亡くなった時も、
 
何年も、「アルパインの危急時講習を開いたほうがいいのでは?」とずっと思っていた
 
のですが、開催の前に、村上さんは亡くなってしまった…。
 
(ただ、この件は、福岡は三福田ではないので、私が主催して差し上げることは、善ではなく、開催は無に帰すことが明白だろう、と今は分かる)
 
■ 年配者(母)への心配
 
最近は、米澤先生はじめ、母の年代の往年クライマーの衰退ぶりを目の当たりにすると…例えば、多少ぼけて、取り付きが見つけられないとか…などと、母の年齢が気になり始め、年配の人との接点でパニック気味… 祖母の時は80を越えてから対応したら遅すぎたからです。
 
ふいに
 
   このまま、母にも弟と同じことが起きるのだろうか?
 
と心配がもたげてしまうわけですね。
 
■ 女性との関係(妹)
 
女性との関係性では、妹(=私を親と勘違いしている人)との関係性のためか、相手ばかりが、一方的に話しまくるという、相談相手にされてしまうとか…もうね…。
 
(これは、相手の精神年齢の問題かもしれませんが。大体、女性はそのために苦手)
 
■ 投影
 
つまり、私は、父、弟、母、妹、と家族のメンバーの全員を、誰かに投影しているのではないか?と思います。
 
■ 罪滅ぼし
 
そして、必要のない罪滅ぼし…を必要のない相手に向けて行おうとしている!
 
そして、それに 便乗する、ちゃっかりした人がいる! 特にクライマー業界!
 
■ 成功ではなく過剰適応

私がこれまで、
 
 学校では、オール5の優等生
 進学では、親の金を使わず夜学で国立四大を卒業、
 米国では、働きながら自活生活して語学習得、
 社会人経験では、氷河期なのに、ロボット開発部から個人事業主へと自立
 登山では、普通の人は来ない雪の山へ
 あるいはクライミングでは、UIAAのアルパインサマーを出版する契機をつくる、
 
などで成し遂げてきたことは、
 
 成功と達成の歴史 ではなく
 
 過剰適応の歴史
 
かもしれません。
 
過剰適応して限界化し、それを周囲に理解されないため、”もっともっと”と望まれるということです。
 
 周囲に理解されない=アトピー、膝の怪我 

自分の行きたいところに、どこでもついて来てくれるビレイヤー=ドレイヤーになりたくて、
 
私は登っているわけではない。私が私の山を紡いでいたころは幸せでした…

俺に行きたいところには行くが、お前が行きたいところには行かない、となったら、全然幸せではない。
 
■ やむを得ない結末を受け入れる
 
おかもん先生とお話していると、自然と家族の話になり、先生の
 
 東大クラスの頭脳
 
で考えたとしても、家族と私の関係性の修復が、私だけの心的態度によるものではなく、ある意味、やむを得ない事情を抱えているのだと、全く利害関係のない先生の頭脳によっても解釈できたので、大変セラピューイックな機会になりました。
 
なんせ世の中に私自身より頭が良い人を見つけるのは、結構、難しいんです…なんせ、普通にしていても、中学までは、校内で1番か2番かみたいな成績しかとったことがなかった、ということは、500人に一人くらいの偏差値なわけですから… 熊本高校は、各中学のトップ1~2名しか来ない高校だし…大学は遊んで卒業できる大学ではなかったですし。

とはいえ、学力高い人は、心の発達のほうがおろそかな人が多いもの…おかもん先生ほどの人でないと、なかなか相談相手としては難しかったのです。

ほとんどの人が、わたしのほうが相談を受ける側になってしまう…
 
家族との関係に問題がある人は、自分をどこか嫌ってしまう心の傾向があるそうです。
 
さて、次はそこを調べてみなくては…
 

 

クライミングの意味…人間理解

■ クライミングの意味 

クライミングは総括すると、私にとって

   父がなぜ私たち兄弟3人を捨てたのか?

を理解する場となった。答えは、ただ単純に 少し先を考えていない、というだけだった。やったらやりっぱなし、かっこいいかどうかが行動原理で、リスク=安全管理や相手の生命より自分の短期的な欲求の解放が上、というのが、ごく単細胞なクライマーの行動原理なのだった…(汗)。 事実は、残酷だが、よく理解はできた。

従って、親子関係のラスボスの中では、父との関係を清算というか、消化する機会・時間、というのがクライミングの意味だ。

■ 自然農の意味

自然農は、クライミングに変わるステキな活動としてここ3年ほど取り組んだが、

 なぜ自然農の理念ではなく、川口由一という個人を崇拝することになるのか?

ということについて理解が進んだ。 

日本では儒教の影響が強く、キリスト教とは違う意味で、自己犠牲的な父母への報恩を義務化されている。

実際、自然な情として、女性には、他者をいたわりたいという本能が備わっており、それは20代の若い間に発現するが、その気持ちは、親となった時、子供の奴隷となって、子を中心とした生活を苦と捉えないために神が備えた能力、と思える。

その能力=母性に甘えようとする人は、男性女性を問わず、依存的な人、おかもん仏教説話で言うところの、我利我利亡者として、発現する。

つまり、

・精神的に自立が出来ていない人が子役となり、

・自分の身を顧みず、他者のニーズにこたえようという過剰適応を起こしている人が親役、

になり、共依存が出来上がるのだ。

この共依存の成り立ちが理解できたのが、自然農、だった。川口さんの代替え人物=指導者のいうことは丸のみ、という状況で、例えば、4時間炎天下で酷使されることも恍惚、とかそういう倒錯したことになってしまう。(健康に悪いと教えても、辞めない)

アルパインでも昭和の教え方の人たちは、そうだ。先輩の言うこと丸のみ。師匠の言うこと丸のみ。

共依存状態にある人は、この心的状態が快適すぎて、その依存から逃れることができない。

とくに依存する側。される側ではなく…。される側が共依存が終わるとき、去る側だ。

■ 縁の質の見極め

仏教では、人との縁は、コントロールできないもの、とされる。

分かりやすい事例は、子の巣立ち。子は親離れしても、親は子離れできないことが多い。

どんな関係でも、追いかけていく方が基本的には、メリットを享受している側だということが言えるだろうと思う。

クライミングでは、バディを組むので、その人間関係でどのような関係性か?というのが、クライミングライフの幸福の大部分を締める。

仮に、一度バディを組んだクライマーと縁に終わりがきた時、追いかけてくることがあれば、その関係は、相手にとってよりメリットが大きい関係だった、平たく言えば、50:50の関係ではなかったということが言えるだろう。

■ 縁は選ぶべし

縁というのは、選ぶべし、だと私は思う。選ぶ基準は自分が快適に感じたかどうか?ということによるべきだろう。認知行動療法によると。

今回は、おかもん先生の仏教説話講座を開くことができ、楽しかった。

 人生において大事なことは何だろうか?どのような過ごし方をするのが大事だろうか?

私は、無邪気に自然と戯れることが人間性の霊的な成長に強く関連があると思う。

なぜなら自然界の在り方というのは、無言の教えで、無言の教えというものは、前提から学ぶものであり、前提というのは、すなわち無意識のことであるからだ。

昨日、はバナナボートに乗って、非常に楽しかった。そういう無邪気な喜びを失ったことが、現代人が感情開放に疎くなり、自己破滅的手段に訴えることがある、ということにも、つながっているような気がする。

いうなれば、リストカットするくらいなら、バナナボートで絶叫しているほうがうんと健全だということだ。

クライミングも同じで、

・リストカットの試みに値するのが、大ランアウトであり、無謀なトライ(根子岳だの、ノーマットだの)であり、

・バナナボートで絶叫に相当するのが、きちんとしたクライミング

ってことだ。

ということで、クライミングに接することがなくても、同じ経験ができれば、私には

MTBでもバナナボートでも良い

ということの確認になった。

昨日は、一緒にバナナボートに乗ってくれた、ともこさん、先生、ありがとう! 


 


仏縁&回心

■ 仏縁&回心


色々と楽しい二日間だったおかもん先生の訪問。
 

仏教のライブを毎朝8時に聞いているが、聞き始めるきっかけは
 

 なぜクライマー男子は自己破滅的な快を得ようとするのか?
 

という私には理解できない問いに答えてもらうためだった。
 最近、心理学的に言うと、
 

  幼児的な無敵神話
 

のためであると回答が出たんだが、結局答えそのものより、仏縁のきっかけが、クライミング男子を理解しようとした、ということで


 仏縁によって私自身が救われる
 

ということのために、奴ら(自己破滅的クライマー)に会ったともいえる。

■ 回心


このコペルニクス的転回のことを仏教では

 回心 

というのではないかと思う。

ということで、

 クライミングでひどい目 → 仏縁 

を得た事例一人目。

同じようにクライミングで、何じゃこりゃモードの出来事に会うことが多い方に是非お勧め。 

 海水浴を楽しむ人でいっぱいの糸島深江


2022/08/06

「憧れのクライマーに認められるために〇〇を登れるようにならなければならない」

■ 今日の梯谷メマガより

「〇〇のために〇〇しなければいけない」

ーーーーーーー
これらの口癖は病気になりやすい脳の使い方をしている可能性があります。
そして、“自分の人生を生きていない”可能性があります
ーーーーーーーー

往年クライマー → 「国のために登頂しなければいけない」

コンペクライマー → 「国のために勝たなければいけない」

家庭の主婦 → 「夫のために家に帰って料理を作らなくてはならない」

勤め人 → 「家族のために会社に行かなくてはならない」

一般クライマー → 「仲間に認められるために、登れるようにならなくてはならない」 

「〇〇のために××しなくてはならない」

という思考がはびこっていますが…

「○○がないから、××できない」と同じですね… お金がないから、良い学校に行けない、とか、お金がないから夢がかなえられない、とか…。

でも、私、親に17万円しか出してもらっていないけど、国立の四大を出ましたけどね…

2万円しかお財布になかったけど、普通にアメリカに行って働いて帰ってきたし…

○○がないと××できない式志向の人って、〇〇のために××しないといけない思考とも、かなり仲が良いような気がします。

気のせいかしら…



おかもん仏教の日

■おかもん仏教の日

今日は大阪からおかもん先生をお招きしている日。仏教説話のイベントを、ウミカエルでしてもらうことにしたんだよな。

https://amzn.to/3Qpm05a

ウミカエルの会場費は4000円。宿泊費は1500円。スイカ割したいのでスイカ代。2000円。これくらいが寄進の予定。一方、先生はこのために前後泊するそうで、交通費と宿泊が余分にかかる。

これまで、アルパインクライミングの危急時講習を開催しようと思って、何年もやっていなかった。村上先生は講師料はイラナイと言ってくれたのに。

理由は、せっかく先生が善意で教えようと来てくれても、

 誰も感謝しないんじゃないか?

 来ないんじゃないか?という疑いが濃厚

だったからだ。価値が分からない人が多数だろうと。

なにしろ、あの

 フリークライミングインストラクター協会の、”奥村”さんのビレイ講習

にすら、たった1000円程度の講習費であっても、私が誘った人は誰も来ない。

基本的に自分を強いと自分を自覚しているクライマーは来ない。

ビレイも通り一遍で出来ていると自覚がある人は来ない。

でも、そういうのは、慢、なのではないかと思う。

何年も毎日クライミングブログを大量に書いている私でも、まだ学ぶことがあるのに。

一生クライミングは学びだ、と私は思う。

…しかし、クライマー業界は慢業界だ。というので、私のクライマー業界に持っている信頼は著しく低い。


なんとか寄進する勇気…一方的に、奪われて終わりになるのではないか?という恐怖を乗り越えることができるようになったのは、やっとこさ、仏教説話の会において、ということだ。

宗教が絡んだ会だから、まずまず、変な人はいない。

不寛容の世紀末的な様相は、日本においては、クライマー業界にこそ、高まっていると思う。

男性クライマーが、どうだ!俺!と生涯アピールし続けなくてはないのは、そうしなければ社会からつまはじきにされてしまうからなのだ…。


 

 

2022/08/05

Petzl Legend Tour Italia - Ferentillo

フォースかパワーか?ホームレスへの見解の変化

このホームレスを”登れない奴”に置き換えてみたら、クライミング界では平和が訪れるのかもしれません(笑)

意識レベル  思い
20…浮浪者は恥さらしだ
30…自業自得だ、生活保護不正受給だ
50…絶望を見る
75…悲惨であり、孤独でわびしい
100…社会を脅かす厄介者だ
125…なぜ誰も何もできないのか?社会問題の象徴
150…暴力をふるうかも?なぜ社会にこのような問題があるのだろう
175…恥だ。彼にはプライドが欠けている
200…彼が必要とするのは仕事と済む場所だ 施設を調べよう
250…ホームレスがいてもいい。社会と共存共栄だ
310…彼を勇気づけよう。ボランティアをしよう
350…彼の話はきっと興味深くて誰にも理解できない理由でそうなっているのではないか?
400…徹底的に心理学や社会行動学を研究する良い対象だ
500…興味深く見るだけでなく、愛情や親しみも感じる。過去を見抜き、社会的な限界を超えて自由に気いる彼を年相応に叡智のある幸せな人物とみる
600…彼は私たち自身の一時的な表現であることが明確になる

アルパインクライミング推進協議会 を知りました

■ 伝統はどこに…

アルパインクライミング推進協議会 っていうのが、伝統のベルニナ山岳会の閲覧で、回ってきました。

 https://www.alpine-climb.jp/

です。とてもうれしく感じました。以下、各岳人から学んだことを太字にしました。

■ 会長の菊地さんとの思い出

菊地さんは、業界内ではガメラというあだ名で通っている方です。『俺たちの頂き』という漫画がありますが、その主人公のモデルになった人物と聞いています。

私の菊地さんとの出会いは、湯河原幕岩でのクラック講習を大阪のクライマーと一緒に受けたことです。

それ以前に菊地さんの『我々はいかに岩にかじりついてきたか』は読了していました。

菊地さんの講習でも、登ってまだ1mくらいで滑って、男性クライマーが落ちてしまい、その下地が、ちょうど、さらに下に落ちれるような形状だったので、菊地さんが身を挺して止めようとしたのが印象的な講習会だった…。

甲府で人工壁で登っているときに、”今度、菊地さんの講習会に行くんだ~”、と周囲の人に漏らしたら、「結び替えを知らない人が終了点で出来なくて、めちゃ怒られた。行くならしっかり復習してから行かないと、めちゃ怒る。怖い人だ」と聞かされたので、ビビって参加したら、めちゃいい人だった、 という経験になりました。

その頃、私は、蒼氷の先輩と登っていたのですが、約1年間、月1でクラックを登る程度では毎回リセットされて上手にはならなかったのですが…

…でも、カサブランカを3回しかトップロープせずに、4回目はリードってどうなのかね?…小川山レイバックはRPしたので、次はカサブランカですが…

私が思うようなスピードで上達しないので(笑)、しびれを切らした周囲の人が、吉田スクールを薦めてくれたので、吉田スクールへ。

昇仙峡は近所で、湯河原は遠く、菊地さんの講習を受けたのは一回止まりでした。吉田さんはすぐに亡くなられてしまったので、私は最後のビレイヤーの一人になってしまいました。デイドリームが取り組み課題でした。

ちなみに、当時一緒に登ってもらっていた蒼氷の先輩を甲府のツヨツヨクライマーに紹介したりとかしましたが、フリー主体の人とは、あんまり合わなかったみたいで、私以外に一緒に登るようになった甲府クライマーはいなかったです。

(下手くそなくせに一流の人と登ってずるいと妬まれると思うので、一応書いておきます。良い人を紹介しても、みんな嫌がって登らないんですよ)

菊地さん関連の記事 https://allnevery.blogspot.com/2017/10/blog-post_12.html

 2015年の湯河原幕岩 https://allnevery.blogspot.com/2019/03/blog-post_9.html

■ ジャンボさん

ジャンボさんとのご縁は、太陽系の木星のごとく、遠いご縁でした…。

しばらく前にパタゴニア福岡で、”繋ぐ壁”という動画の発表会があり、その時、ごあいさつした程度です。

荒船のクラック付きアイスでご一緒した伊藤さんから、「ジャンボさんは、荷を担いでも全然スピードダウンしない、すごい」と聞かされていました。それを対面でお伝えし損ねたのが残念でした。

私は、甲府時代から、トップクライマーが話をする、このような会には、出来る限り参加するようにしています。

山に対する考え方など、貴重な話が聞けるからです。

ジャンボさんの話が聞けるラジオ https://allnevery.blogspot.com/2022/04/blog-post_4.html 

https://anchor.fm/rainymonkeysradio/episodes/17-e1952o9

一方、現代クライマー、ジム育ちの人などは、トップクライマーの話を聞くのを実際のところ、むしろ積極的に避けている、ようです。

これは一例にすぎませんが、まだ3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいという50代の初心者日之影ボルダラーがいたのですが、2段がノーマットで登れるには5段ぐらいがマットありでは登れていないと無理だということが分からないようで、お金がないからマット買わないという話でしたし、開拓志向でしたので、彼に小山田大さんの投稿の継続閲覧を薦めたところ… (勧めた理由は、同じ日之影エリアの開拓情報が発信されるからですが)、

「どうせ取り巻きに囲まれて、ちやほやされている話でしょ」

という返事でした(汗)。 一例にすぎませんが、現代初心者のガラスのプライドを表現しているかもしれません。開拓者の苦労が報われないのもうなずけます。

別の人は、

 「俺、へこむから出来るだけ、トップクライマーの情報は入れないようにしている」

とのことでした。正直です(笑)。俺も…と思っているってことで、ある意味スゴイです。

■ 現代アルパイン…俺だって出来る?わけないのにな…

私から見れば、現代のトップレベルのアルパインクライミング(スーパーアルパイン)は、8歳~18歳までのゴールデンエイジ期にクライミングをスタートしたクライマーが持つような登攀レベル(12がアップ、フリーソロできる)へ、完全に舞台を移している=マークアンドレ級…と思えるので、どんな年齢でも大人からスタートしたクライマーには、スーパーアルパインへの参加権はなしというか…、単純にカヤの外のように思えるのですが…。もちろん、垂直でなく、水平で記録を立てている田中カンヤさんみたいな人もいらっしゃいますが…。

■ 佐藤ユースケさん

佐藤さんは、甲府のクライマーなら、誰でも一度は見かけたことがある、超有名トップクライマーで、地元の誇る、アニキ分クライマーです。

私もまだ、一度も人工壁に登ったことがない時、ある山岳会の面接?で、会に入りたいかどうかを調べるのに、ピラニアで一緒に登りましょう、ということがありました。

ところが、私はハーネスを忘れて行ってしまったのです…。それで、「あ!ハーネス忘れた」となり…困っていると、「私、2つ持っているので、貸してあげましょう」という人がおり、その人がユースケさんだったのですが、5.7の壁をザックを担いで行ったり来たりしている人でした。その時は、この方が有名な佐藤さんとは露知らず。

お借りしたハーネスが、えらいくたびれたハーネスだった、という思い出があります。

その後、アイスキャンディフェスで奥さんとはしらずに、ドラム缶を囲んで世間話したり、別のジムで登っていたら、娘さんのさやかさんと同じくらいの登攀力で、ちょうどよく娘さんに佐藤さんが与えているアドバイスが私にも適用できたり…でした。

ジムに木の箱とプラスチックで出来たジャミング練習機を持ってきていて、すごいなーと思ったことがあります。あれ、中でジャムっている手がシースルーで見えるんですよね。

佐藤さん自身との接点はそうなくても、甲府にいたら、しょっちゅう名前を聞く方です。那智の滝の事もあり、愛されたり妬まれたり、良くも悪くも注目を浴びている、という印象でした。

知り合いで13登れる人が、佐藤さんに一度マルチに連れていかれたが低体温症になりかけて、懲りた、という話を聞いたことがあります。

映画の『ドーンウォール』では、トニーが、ボルダラー(ロープを使うクライミングを知らないクライマーという意味)のケビンをパートナーにして登るのですが、そんな簡単に行く話では、ないんですね。でも、どんな人にもチャンスを与えてくれている、優しさがある岳人と言えるかも? フリー志向とアルパイン志向では、だいぶ違いますしね。

他には、沢の師匠や会を探していて出かけた海外遡行同人の集会に、山梨県から参加というので、名前を書いたら、佐藤さんとNHKカメラマンと私の3人しか名前がなかった、という記憶があります。その時は佐藤さんは参加されていなかったですが。

■ 花谷さん

花谷さんは、甲府の山道具屋、エルクで、ピオレドール賞受賞の報告会があったので、当時仲良しだった南アルプスのレンジャーと一緒に、写真を撮ってもらった、という思い出があります。

当時の発表で、馬目さんがすっぽ抜け事故を起こした時のくだりで、私が、「末端は、むすばないんですか?」と聞いて、的確な質問だったようで、感心してもらった思い出があります。花谷さんは、「トップクライマーたちは、時間との戦いだから結ばないんですよ」という返事でした。

逆に言えば、トップクライマーでない限り、末端は結べ、という意味だと理解。当時、私は、山岳総合センターのリーダーコースを絶賛受講中で、山の師匠の鈴木さんと、”懸垂の末端は2本まとめて結ぶべきか、1本ずつバラバラがいいのか?”など、楽しい山議論の最中でした。(ちなみに末端は、バルキーで確保器を通過しないなら、何でもいいです。)

当時の甲府でも、ジム上がりクライマーたちが主体で、花谷さんのエクスペディションの話を聞かせても、技術的土台がないのでピンとは来ないんだろうな~という雰囲気でした。クライミングジムには行っても、山には行かない、という人が大多数だからです。ほとんどの聴衆クライマーはロープを所有していなかったのではないかと思います。

その後、まだ初心者でルートの数も稼げていないころ、関西から女性のクライマーが訪ねてきてくれたのですが、その方が、花谷さんのヒマラヤキャンプという若い岳人を育成する会に参加したので、私のR2をさし上げて応援した、という経緯があります。ヒマラヤへ挑戦する女性は一人だけだったと思います。

このトレーニング中のメンバーたちに厳冬期の甲斐駒で会ったんですが…。甲斐駒って、冬でもアプローチ確実で、黒戸尾根なら、登山口から山頂まで標高差2200m。これを8~9時間で往復できるのがヒマラヤ登竜門、ということでした。チームに参加した彼女の感想を聞くと、キツイ、ということだったので、さもありなん、と思いました。

当時40代の私の脚で、往復は11~13時間の間くらいです。標準コースタイムは、16~17時間で、私程度の人でも、年配の登山者をバンバンゴボウ抜きです。厳冬期に行く人は大体は、ピークハントではなく、黄連谷の人たちですので、ギアが重いんですかね?でも、ヒマラヤを目指す若者は全装で、8-9時間という話なのでは…?

花谷さんは、その後、七条小屋の小屋番になられたそうですが、あの快適な小屋、羨ましい限りですね。荷揚げもちょうどトレーニングにいいな、程度でしょうし…。前の小屋番さんが超厳しい、とか言われたこともありましたが、黒戸尾根はロープが張ってありますが、美しいロープワークを見て、端正な性格の山やさんなんだろう…と人柄がしのばれるのでした。

御坂の先輩は、テント泊したら、ツエルトの貼り方を講習されたと苦笑いしていました。テントはダメで、ツエルトで寝なさいって意味なのかな。でも、厳冬期だとツエルトとテントの差は大きいですよね。テントで日和るなってことなのかね。

■ 環境が良かった甲府

以上が、甲府時代に出会った方たちでした。やはり、甲府と九州を比較すると、出会える人材の質というか、そういうものが違います。

受け取れる山文化のメッセージ性も、はやり違うのではないでしょうか?

受け取り手の問題もありますが、環境、つまり、縁、ということもあると思います。

■ 九州に来てから

九州に来たのは、夫の転勤のためでしたが、すで5年目突入で、1年目はインスボンやラオス、韓国のアイスなどでごまかし、九州では、ほぼ登攀しませんでした。

パートナーが見つからず、というのもありましたが、そもそも登攀を紡いでいける環境にないというので、当初から別の活動…ヨガなど…を頑張るつもりでした。会は、全部行ってみましたがダメでした。

ところが、2年目から山梨アルパインクラブ時代の先輩の荒木さんが引っ越してきたので、クライミングライフ復活。

今、振り返ると、当時で10年以上登ってきた山梨クライマーの荒木さんでも、百岩場だけが頼りの状態だと、安全という意味でもスレスレです。夏の暑い時期に、暑いと分かっている岩場に行ったり、40年前のボルトで地元クライマーが避けている課題に取り付いてしまったり…、これどうみても5.9じゃない…、12登れる人がまさかの10b落ち、とか…、色々二人で、”勝手の分からない岩場”の洗礼を受けてきたなぁ…という感じです(笑)。いや~、生きていてよかった。彼とは兄弟分みたいな気持ちが最初からありました。私の愛で愛せるだけ深く愛したなぁという気持があります。

小川山なら、初心者はこれを登れ!みたいなアドバイスが、古い『岩と雪』には載っていたりし、それらは、けっこう現役(=人気課題でリボルトされている)だったりもしますが、九州の岩場では、古い雑誌のおススメは、現在の危険課題。安全な課題は、スポーツクライミングの選手クラスが登るような、高難度課題です。5.13以上ですね。

要するに、初心者向けの課題の、ボルトの取り換えが遅れている地域です。取り替える内容についての知識も遅れている様子でしたが、その点について普及団体?このような団体が出来て嬉しいかぎりです。

■ 権威性が必要

例えば、カットアンカーでのリボルトを現代でもしようと思うクライマーがいた場合、

 私のような素人が、「それは、もはや30年前の常識ですよ」というのと

 アルパインクライミング推進協議会、がいうのと

では、どちらが、「そうね」と聞き入れやすいでしょうか? 

”阿弥陀北稜に一人で登れました、アイスコンペで5位でした”程度の、大ベテランが見たら、いわば毛も生えそろっていないような娘っ子(まぁ、もう50代ですが…笑)に言われても、みたいな気分になっても仕方が無かろうと思います。

とはいえ、そういう方々も、もう80代。当然と言えば当然ですが、そんな娘っ子が登れる程度のところも登れなくなってきます。人は老いには勝てない。

■ 現代初心者の増加

一方で、クライミングジムの普及による現代クライマーの人口増は、まったなしです。

”僕、人工壁で5.11登れるんで、北岳バットレス行きます”…みたいな発想の人が、そのうちの6割としても、どんどん増えています。

■ ”アルパイン”の定義のゆらぎ

九州でも、ちゃんとした山岳会に属している人ですら、”根子岳(脆い岩場で知られる)にのぼりたい!”とか言ってきます。

私から言わせると、無雪期の岩稜帯をアルパインと称するのは、たぶん少し違うという気がしますが…冬壁がアルパインクライミングの前提のように思うので…でも、夏山の南アルプスでの登攀のことも、みんなそう言っていますしね…。解釈の幅が広くなって、北アや南アみたいにアルプスと呼ばない山域…例えば根子岳…の山のルートもアルパイン…。

現実的には、フリークライミングしか知らない人から見たら、ゲレンデ以外の山として、山にあるマルチピッチのルート=全部アルパイン、みたいな感じに受け取られていそうです。

この受け取り方の問題は、

支点を作るルートを1度もやったことがない=残置が暗黙の前提

冬壁が分からないので、脆い岩という意味がわからない

となり、

岩が脆かったら、いくら登攀力があっても全く対策なしっていうことが、一向に理解できない、

ことなんですよね…。

例えば、山梨で若い男性にアルパイン入門ルートとして人気があるのは、阿弥陀南稜ですが、コンクリートされていない(寒さで岩が固まっていないって意味です)に行くのは、バカね、と常識が形成されており、11月などの微妙な時期に行く人は、まずいないです。

九州では、一年を通して、どの山もコンクリートされない…。唯一、岩稜=アルパインっぽい雰囲気が味わえる山=根子岳なのだそうで、事情を知らないで、ただ皆がそういうから、という憧れだけで行きたい病にかかる人が多いらしく、『九州の岳人たち』という本に、ずらーと死者の名前が書いてありました。

もともとは、まっとうともいえる、岩稜帯への憧れ=岩尾根をつなぐ登り…リッジ登攀…が、結果としては、単なるミーハーに転換されている、ということです。(九州なら日向神に初心者向きリッジルートがあります。)

九州の根子岳を登って一巻の終わりになるくらいなら、少しお金を出しても、北アで前穂北尾根とか、明神主稜とか、に登ったほうがいいと思いますが。 (どっちも私が行った山です)もちろん、バリエーションに行く前に、ノーマルルートでエスケープなどを確保しておくことは必要なのですが。

ミーハーというのは言葉がきついかもしれませんが、 

 = 脆い岩場へ対応する、技術的裏付け なしに行く(行きたがる)、

ということです。

■ 脆い岩

たぶん、脆い岩場へ対応する能力って、アルパインの能力の中でも、かなり上級レベルです。

避ける以外、ほとんど対応のしようがない、というのが正確なところ。となると、初心者には非常に向いていないです。

初心者というのは、ロープを使うより、ロープに使われ、登るだけで精いっぱいなのが、大体の初心者像ですから。 10年以上のキャリアがある、5.12はRPできるようなクライマーでも、ルートに出れば、登攀の負担もあるので、ロープを使いこなせるレベルにあるとは言えません。

■ リードする権利か連れて行ってもらう権利か

その上、たぶん、男性初心者というのは、ほとんど全員が、”初心者は、先輩にセカンドで連れて行ってもらうのが、当然の権利”、と思っていそう…です。

実際、ルート(マルチピッチの経験数)が、20、30と貯まるまでは、ルート内のリスク認知力がつかないので、リードは取れないと思うのですが…、それはリードさせてもらえない、リードする資格がない、という意味で、セカンドで連れて行ってもらえる権利というのとは違います。

そこのところが、大誤解が起きている。その原因は、山岳会の新人欠乏で、(接待され過ぎた新人さん問題)が起きているからです。

接待され過ぎ=セカンドで連れて行ってもらえることが権利意識、になってしまいます。

権利意識にならないまでも、ちゃっかり、ということは起こり、それを期待している人は、他の人の努力の内容を見ずに、運の良さを妬みます。

私と組んでいた大学院生のO君も、運が良い子です。事情は、初めて私のセカンドで、アイスのルートに出たとき、彼に、僕、懸垂下降をしたことありません、と現場で言われてしまったのです。その後、だいぶ新人教育をしました…。というか、先輩の務め、としてしなくてはならなくなった。これは、私が有料でやってもらったことを無料で教える行為でした。が、セカンドで連れて行ってしまった手前、仕方がないです。

私もまさか、懸垂下降ができない人が、ルートに誘われたとき、”行きます”と言うとは、夢にも思っていなかったのです。彼とはアイスのフェスであったので、油断していたのでしたが、連れて行ってしまった手前、教えるべきことは先輩の義務として教えなくてはならなくなります。山で死なれるわけには行かないですから。

そういうカラクリで、先輩がやたら親切、ということの事情に、

 山やの義務の伝統がある、

ことには、一般的新人さんは気が付かないです。 なので、一度そういう目に合うと、

 おねだり(もしくは先輩の側のうっかりと新人の側のちゃっかりの合成)と暗記の山

 が、はびこることになります。

連れて行っちゃった手前、技術伝授しなくてはならなくなりますが、先輩は一回教えたら義務終了。

ですが、技術って一回では身につかないので、技術が身につかないまま、山の名前が残るということです。

ちゃんとした岳人なら、そう言うことにならないように、先輩に連れて行ってもらった山には、時期を変えて自分が後輩を連れていく、なりして、自家薬籠中のものとし、自分の血肉となるまで回数を登るわけですが。

つまり、それは、次の、自分の山、の土台にするためです。師匠クラスの青木さんでも、荒船昇天へ私を連れて行ったのは、自分の復習のためでしかありませんでした。ホントは、私のための中山尾根の予定だったので。

が、一般登山レベルの山で自分の山を紡いで来なかった人の場合は、

 ルートコレクションの一つ…行ったことがあるけど、連れてはいけない

になってしまうかもしれません。 そうなると、

行ったことがあるルート名を聞くと、ずらりとあるけど、後進には教えることができないクライマー揃い

 になります。

例えば、前に御坂山岳会に来た50代の新人さんで、行ったことがあるルートを聞くとすごいのが、ずらり、とならなんでいるので、先輩一同、フリーは5年の経験がある、というので、この人は新人時代は終わった人だろう、とすっかり安心していたことがありましたが、実際、蓋を開けると、岩場で、中間支点を引っ張りながら登っていたり、沢ではロープ出さずに死者が出たような滝を登ろうとしたり、で、?でした。よくよく聞いてみると、年に一回を5年でトータル5回位の経験で、ぜんぶセカンド。なるほど、だから、北岳に皆で行ったときも、バスにバイルを置き忘れてしまうわけです…。

■ 履歴を聞くだけではダメで、リードで登った山を聞いてもだめで…

そんな感じで、ルートの名前で相手の実力を図ろう…ということ自体が、無効化しているのが現代のようです。

もちろん、トップクライマーの人たちが海外の山のルートをずらりと書くのが、ルート名で実力を誇示する伝統の始まりだと思うのですが…。

その習慣で、自動思考で、この程度の山に登ってきた人だから、この程度の山に登れる人だろう、と想像すると、期待は外れる、ということです。

私にしても、阿弥陀北稜にソロで行っていますと書いているわけで、同じことをやっているわけなのですが、これは内容を説明すると、阿弥陀北稜というのは、アルパインの入門コースで、その入門をソロでこなせる力があるなら、後輩一人くらい、そのレベルまでは年間のトータル指導ができるよ、という意味です。そこまでは教えられる。

逆に言えば、そこまできちんと教えられたら、後はクライマーたるものは、勝手に自分で成長していけるはずです。短く易しくても、阿弥陀北稜には、山のエッセンスは、みんな詰まっているので。

■ ”先輩”の意味の捉え方

山岳総合センターのリーダー講習の到達目標は、赤岳主稜でしたので、私はこれはクリアできていません。

が、当時参加していた御坂山岳会のメンバーでは、セカンドでも主稜はもはやできない、無理だそうでした(当時)。

ので、私は赤岳は一般ルートの地蔵尾根、文三郎尾根が一番難しいルート(ロープが出ないギリギリ、コンディションが良い場合)で、これは山岳会に入ってもいいよ、という入会許可がでるレベル、です。

厳冬期赤岳が一人でこなせない人は、山岳会には、そもそもどこにも入れないです。

ちなみに赤岳以前は、ジョーゴ沢から硫黄を詰めたりとか、大同心稜から横岳とかに行っています。これらも一般登山客は来ないルートです。アイスも入会前にスタートしています。

私の阿弥陀北稜は、つまり、年に一人くらいなら、後輩のトレーニング相手になれるという程度の意味です。私の後を北稜でついてきたら、八ヶ岳の縦走もすっ飛ばし、人工壁でのビレイ練習もすっ飛ばし、確保器の使い方を取説を読んで目を皿にして学ぶというプロセスをすっ飛ばし、岩場でのリード練習もしなくて良く、天候の勉強、生活技術の勉強もしなくていい、という意味ではないですが、大体の人は、大体、前者のイメージで、先輩を捉えている人が多いように思います。

■ なぜ先輩はガイド扱いになったのか?

どうして先輩=ガイド扱い、になったのか?というのは、九州に来て、山梨時代より理解が鮮明になりました…。

  過剰な親切…、終了点はロープ直がけでいいよ~、というのが常態化

してしまったので、若い人から見ると、それの何が悪いのか、分からない、という状況に陥ってしまっているわけです。

だれか知らないが、岩場をよく分かっている人が、見えない妖精さんみたいな形で、いつのまにか、残置のカラビナを新品に交換してくれ、ボルトの強度を保証してくれ、キノコみたいに、岩場には自然とボルトが生えてくるもの… という感性に陥ってしまっているということです。

■ 岩の見極め力

その現状を思うと、このアルパインクライミング推進協議会は、

 支点構築するのに適した岩を見極める方法、

から教えるのが、はるかな道のりの最短距離ではないか?と思ったりします。

山岳総合センターでは、例え、使う機会が著しく少ないにしても、ハーケン打ちから教えますから。下手したらハンマーとハーケンを持っていない人は、山に連れて行かないレベルです。

それは、日本のアルパインクライミングが残置前提になったら悲しいから、なのではないかと推測するのですが。

■ 過激な意見?

残置のボルトは全部抜け、というのは、過激な意見と目されているとは知っていますが、

 そもそも論が分からなくなっている=そもそも山に残置はないですよね?

というのが、”グレード1点主義”病の原因なので、どんなに易しいところでも、そもそも支点が作れないと登れない、もしくは、フリーソロと同じだ、というのが、実体験としてリアルに分かることの方が大事なような気がします。

そうすれば、過去の偉大なクライミングの偉大さも、今よりもっと理解ができ、年配のクライマーに対する敬意も増えると思います。 (みなさんが欲しいのは、これですよね?)

九州では、代表的な沢、祝子川ですら、スポーツルート化して支点整備されてしまっているそうです。 

沢で支点打ちしないのでしたら、一体どこで打つ練習するんでしょう…

こんな程度の山でもリスクはあるのに、これをリスクと数えると馬鹿にする文化になっているかも?



2022/08/04

ナイアシンが著効した件… ナイアシン療法を増強してみる

 ■ ナイアシンが著効

して、何が良かったかというと、

 深い睡眠が得れること

です。現在の摂取量は、

 ナイアシン100㎎ と ナイアシンアミド 500㎎ 

■ ナイアシン療法

しかし、この摂取量だと、ナイアシン療法というほどの量ではないです。現在も、

 亜脱臼した膝の痛み

があるので、蓮華座とか組めないですし、アシュタンガヨガへのカムバックはしたいかどうかはともかく、

 禁忌 (つまり、したくてもできない)

ですので、このひざ痛の問題は、解決したいところです。

■ メガ要領の決定の仕方=ナイアシンフラッシュが出るまで

一般に、ビタミン療法では、メガ療法、大量摂取、を勧められます。

Cが有名ですが、ナイアシンのメガドース療法は、その次くらいにくる感じです。

■ ホットフラッシュの意味

ナイアシンによるホットフラッシュの意味は、

 ヒスタミンの排泄

です。アトピーなど、ホントかゆくてかわいそうなのですが…私は赤ちゃんのころからあり、ヒドイ時…夏などは、包帯巻いて寝ていたこともあるくらい…かゆいと搔き壊してしまうんですね、自分で。

しかし、ヒスタミン排泄しないと、ずっとかゆいって意味なので、ドース(摂取量)を知る意味でも一度採ってみたら良いかもしれません。

■ 藤川先生のおススメ

藤川先生のお勧めは

・ナイアシンアミド(フラッシュ無し:500mg/1錠)を1日3錠

・ナイアシン(フラッシュ有り:100mg/1錠)を1日3錠スタート増

ということなので、著効したと言え、私が今とっている量は、3分の1程度です。

■ 1日3,000 mgを上限

3000㎎って、3gです。ビタミンCの場合は、一日3gは全然安全というか、効果が期待できるような摂取量じゃないですね。ナイアシンに対して用心しすぎかもしれません。

 
■ 女性の場合

女性の場合は、

・ナイアシンアミド(500㎎/1錠)を、1錠×3回 (朝・昼・晩) = 1500㎎

・ナイアシン(100mg/1錠)を、1錠×1回(晩)  =100㎎

からのスタートがお勧め、とあり、ナイアシンよりナイアシンアミドを推奨されているようです。 リンクで男性用の摂取量もチェックできます。

・ナイアシン(100mg/1錠)を朝にも追加=1錠×2回(朝・晩) =200㎎ 

さらに朝晩に問題が無ければ

・ナイアシン(100mg/1錠)を昼にも追加=1錠×3回(朝・昼・晩)=300㎎

■ 関節炎 

ーーーーーーーーーーーーー

骨関節炎、リウマチ性関節炎には、2~4gの高用量ナイアシンアミドが著効する。

ナイアシンもナイアシンアミドと同様に有効。

関節の可動域、筋力を回復させ、易疲労性を回復させる。

250mgの頻回服用が有用、3~6ヶ月にて効果を示す。

ほぼ70%に顕著な効果が期待できる。

ーーーーーーーーーーーーー https://www.muto-seikotsuin.jp/2020/02/15/579/ 

とあり、私が

 クライミングで易疲労性

なのも、栄養に原因があるのかもしれません。山は強いけどなぁ…クライミング、特に暑いと、すぐぐったりしてしまいます。

膝痛で悩んでいるクライマーは試してみたら良いかもしれません。


悪性リンパ腫 ~その病気は何の心理的表現なのか?

■ 故・吉田さん…の死因

悪性リンパ腫は、

  ある状況や人に対して、思い通りにならない悔しさを放置

しているとなるのだそうです。 確かにフリークライミングの高難度って、やってもやっても、キリがありませんよね…。


 

 9割落ちている

 =ずっと思い通りに登れない状況と対峙し続けることになる。

 =悪性リンパ腫

なのかもしれません。悪性リンパ腫は一種の血液のがん、ですが、ガンは、昔から、ガン性格というものが知られています。

性格と疾病の関連論文

https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/23766/ocrf_30_7.pdf 

■ タイプCの人はフリーに向かない性格かも

 

アドレナリン・ノルアドレナリンは、副腎から分泌されますが、アドレナリンジャンキーという状態に陥っている、ということを言うクライマーも結構多いです。

九州では特にそうかもしれません。ランナウトに燃えるのは、人間なら誰だって普通の事ですが、支点が取れる、つまり、必要がないところで、ランナウトをわざと入れるようになったら=ジャンキー認定、ですね。

しかし、そういうクライミングは、内臓や脳に過剰なストレスとなる活動かもしれません。

まぁ、現代生活が非常にストレスフリーになり、生きる喜びも失われたラクチン生活なので、スポーツに適度なストレスを求めるようになったのだと思いますが…。

■ そもそも適度なストレスがあれば

ということは、そもそも、人生そのものに適度なストレスがあれば、人はジャンキーに陥ることなく、過ごせるのかもしれません。

例えば、自給自足を構築するのに、耕作放棄地を開墾する、とか…。あるいは災害にレスキューに行き、感謝されるとか。

平穏で同じことを繰り返すだけの生活で得られない、アドレナリン分泌、は、そうすれば、他の人類に意義がある要素で分泌されることになるでしょう。

■ クライミングというご褒美がなくても

しばらく前に出向いた和歌山でみたアルパインクライマー外山さんの自給自足生活は、クライミングというご褒美がなくても成立していた自給自足生活でした。

ラオスでは、クライミングさえできれば、贅沢はイラナイ、という形のライフスタイルだったのです。シャワーもちょろちょろの質素、食事も質素、ベッドなんてふにゃふにゃで豪華ホテルとは対照的です。

ちなみに、韓国では放蕩生活と言ったほうが良いようなクライミングライフです。寝食提供され、世話されてのクライミングの上、岩場まで5分なので。白雲山荘が利用できなくなったのは、長年の放蕩のツケなのかもしれません。まぁ、それでも仕事で行く出張で使うビジネスホテルよりは、質素と思いますが…。

ちなみに、スポーツクライミングの選手クラスは、ビジネスホテル泊まりのクライミングで、一番放蕩なのはこれかもしれません。人のお金だと安く済ませたいという動機も軽くなりますし…。

■ シンプルなライフスタイルに戻っていく

吉田さんは、クライミングさえできれば後は何も要らない、というようなバムスタイルのライフスタイルをしていたと思いますが、結局は

 思い通りにならない思い

を成就させて50代という若さで亡くなることになったのでしょうか…。

私は、この論文の範囲内で行くと、必ずタイプCに入りそうなので、現在、膝の痛みを抱えています。リュウマチに発展しないかと思ってビビっています…。もう膝亜脱臼してから3年ですからね…。

登って登れないことはないですが、無理な体制を強いられる、フリーでのステップアップ志向の登りは遠慮したいところです。

合わない型に自分を当てはめる活動って、バレエで散々やったしなぁ…

栄養学以外にも、メンタル面からのアプローチが必要だなと思っています。