2025/10/22

タオと山岸さんがお友達になったようでうれしい

■なんだか、やっと肩の荷が下りたような??

昨日、ちょっとTaoとChatしたのですが、どうも瑞牆に来ていたらしく、山岸尚政さんと宴会したようです。

そのことを知り、なんとなく、ほっとしたような、肩の荷が下りたような、あるいは、ちょっとうらやましかったような、複雑な感情を味わっています。

そのことについて書きますね。

率直に言って、Taoが山岸さんに会ってうれしかったのです。

私は日本のクラック資源は、アジアでは貴重なんではないか?とおもったんですよ。ラオスに行ってみて。ターケークに行って石灰岩クライミングの楽しさに目覚めました。

けど、日本で石灰岩をやるのは非常にハードです。私には日本クライミングで石灰岩という選択肢はない。

以前、山梨にいる頃に聖人岩に行ってみましたが、5.8でも歯が立たなかったのです。

石灰岩は基本パワークライミングだからです。私のようにバランスクライミングをする人には向かない。もちろん、ラオスのような誰にでも楽しめる易しい岩場は別です。

で、私は国内ではクラックなら安全にステップアップしていけると踏んでいます。理由はプロテクションが自前だからです。

アイスクライミングも、自分のプロテクションで登る限り、ほとんど怖がることなく登れました。

クラックも怖ければ、プロテクションを増やせばいいのです。ですから、日本国内での成長戦略的には、クラック。

しかし、ココ福岡では、クライミング文化自体に近づくこと自体が危険なんですよ…。

まず第一にボルジムしか行かない人たちが、攻撃的です。排他的で、外岩人種に対して、意図的に攻撃してきます。

第二に、連れて行ってください攻撃です。クライミングを教えるには、未経験者一人に対して2名の経験者が必要です。お前はどうだと言われそうですが私は最初からビレイの重要性を把握して登っていたので、先輩たちから見るとビレイが信頼できる後輩であれば、お目付け役のもう一人は必要ないわけです。先輩がルースロックをつかんで落ちたときも確保しています。まぁ当然なんですが。福岡では私をきちんとビレイするスキルのない人が、連れて行ってください(はあと)と言ってくるので、それだけで、戦慄です。僕の(私の)楽しみのために命差し出してくださいって行っているみたいに私には聞こえています…。

これは何も根拠に基づかない判断ではなく、私は落とされて頭を7針縫っていますんで。当然の話です。

で、これらを回避する手段がないんですね。山梨時代はベテランが信頼できました。

なんせ一緒に登っていたのが、蒼氷のIWさんだったからです。山岸さんの先輩です。

瑞牆で一度山岸さん夫婦にお会いしたことがあります。私はIWさんと登っていたのですが、当時はまだクラックの技術が未熟で、リードできないのでフォローが専門でした。

山岸さんのことは、著書で前から知っており、アルパインネックレスなどを参考にしていました。

私は、クラックはワイドを少しやって体幹を作ってから、グレードアップに行きたいと思い、5.9のハンドクラックが登れるようになってからは、ワイドをやるつもりでした。(あとから、アルパインワイドと瑞牆のワイドが多少意味合いが異なることが分かりました)

ワイドをやるつもりだというと、一般にアルパイン族は逃げていきます。というのは、アルパインクライマーの言うワイドって、幅1mくらいあるワイドで、プロテクションが取れず、決して落ちれない系の課題なんです。しかし、瑞牆クライミングで言うワイドってのは、からだことはさまってごぞごぞ、もそもそやるやつなんですよ。内面登攀で体も岩に密着しています。その分、ウエアが破けそうですが。

私も、スタックさせて登る技はチキンウィングを身に着けたところでした。

さて、こうして、私はアルパイン族からもフリー族からも、ちょっと違うところにいるために仲間が見つけられないのです。九州は超絶ランナウトの花崗岩スラブか、日向神などのランナウトしたフェイスかで、私のように低身長の人には、リスクを回避して、安全に登れる岩場が限りなく少ないです。

ところが、海外で同好の仲間を見つけたんですよ。それは、例の水トラウマのフラッシュバックがあった、白亜スラブの直後に出かけた台湾クライミングです。

台湾では、タオとマルチを登りました。タオはタイ人でしたが、中身はアメリカ人だったので、アメリカ暮らしをすでに経験していた私とは文化的に会いました。

私はデイビッドという家族連れのカナダ人と組んでいたので、結局3人で登りましたが、とても楽しくマルチを登りました。

やっぱりタオの設置したカムが遠いことが一回ありましたが、それ以外は、安心感のあるクライミングでした。

私が不安そうな顔をすると、「僕は落ちないよ」と。そう、彼体が大きいので、私のビレイで落ちられると、私のほうが吹っ飛んで、ケガするんです。

この理解がクライマーらしい理解で安心しました。日本人のクライマーは、私が不安そうな顔をすると、A)「なに、怖いの?」B)怒る、C)「連れて行ってやるのに文句あるのか」のいずれか三つで、どれもクライマーとしての安全意識より、エゴイズムが勝った答え方。

安全よりプライド、って登りになっているんですね…。

私にも、自尊心はありますから、プライドがあるというのは分かりますが…私だって自分で3年かけて作った読図能力にはプライドがありますけど…

男性と女性の身体能力には違いがあり、その違いを無視するような態度に付き合っていると、早晩こちらが殺されてしまいます。

身体能力やフォローとしてのスキルが十分でも、相方が単にロープ長を計算しながら登るというリードクライミングの基本を教わっていないというだけで、いくらこちらが自己責任を充足していても、殺されることがあるのが、マルチピッチクライミングだということが分かったのが白亜スラブでした。

いや~、まさか、そんな基本的なことを教わっていないで10年も登れるとは思っていなかったんですね。彼を指導していたのは、甲府の矢花さんという方のはずなんですが、教えていなかったみたいです。私は面識なく、名前だけを聞く感じだったのですが。

それで、私の中では、九州=ダメクライミング、40年前のママクライミング、台湾で出会ったタオ=現代クライミング、となり、タオに日本の岩場を紹介したいと強く思いました。

タオには何度も日本の岩場を勧め、とくに瑞牆に行くように何度も説得というか、声を掛けましたが、「レンタカー代が高い」の先入観でかなわず。

私が交付にいる頃なら車も出してやれますが、今は福岡なので、福岡から山梨に行くだけで6万円くらいかかるんですよ。ガソリン代と高速で。なら、3万円の飛行機代で台湾に行きたいですよね?日本人なら。

というわけで、タオの案内役を買って出ることはかなわず。残念に思っていたのでした。

こういう人たちこそが私が一緒に登って成長してきた仲間です。

アラーキーは、そういう私の文化の中で異色でしたが、私ばかりが支障を得て教えてもらう立場にあり、彼はそうでないというのが少し悲しそうに見える瞬間があり、私が教わったことならば、どんなことでも、シェアしたいと思っていましたが…。

たとえば、間違ったカムのセッティングを指摘しても「なんでそんなこと言うんだよ!」と逆に怒ってしまうので、折角私が先輩らからハンドダウンされた知識や正しいクライミングの在り方、というのも、そもそも相手に届かないのだ、と思いました。

福岡にいるときは、トシゾーさんとも2度あっていますが、同席できるように呼んでも来ないしなぁ。彼は佐藤さんらと登っていたクライマーなので、誰にとってもクライマーならあって損がないような人で、こういう計画があるんだが…と持ち掛けると、喜んでアドバイスしてくれそうです。

また、JFAの井上さんが来てくれた時も一緒に同席してもらった方が井上さんが紹介してくれる仲間との接点が広がるので誘いましたが来ませんでした。

奥村さんのビレイ講習の時も同じでした。どいういうわけか、私が引き寄せている人たち、私の感覚からは素敵な人たちなのですが…を相方は避けるのです。

せっかく、いろいろな意味でクライミング上の誤解が解けて、一皮むけれるのに…。

それは長野で師匠と登っていたころ、彼に感じていた思いと一緒でした…が、結局それは、私の姉心、みたいなもので、的外れなプレゼントだったのでしょう。


でも、ほんと、タオと山岸さんがつながってほっこりしたというか、タオにはだから、日本のクラックはいいって言ったでしょ!みたいな感じです。彼が日本に来たのは2度目で、あんなに嫌がっていたのに、2度も来たのですから。

私は瑞牆に安く貸してくれるオーナーさんを見つけたので、その家でこうしたきちんとしたクライマーが安く瑞牆クライミングを体験できる宿を運営するというのはできそうなのですが、その大家さんとの仲介役に不適切な人を介在させてしまったみたいで私の計画は頓挫しています。

瑞牆の家、後ほんの少しで実現しそうだったんですけど…

残念ですが、私のこれまでのクライミングに対する熱量は、人生に対するゆとりの部分を傾けたものですので、私自身にゆとりがなくなれば、ない袖は振れません。

愛着基地として機能していたクライミングが九州ではできなくなり、九州には見るべき山もあまり見当たらず、そこまで行きたい!という情熱を感じられる山もないので…

山に関する活動は終息期です。

それにしても思うのは、相方のクライミングパートナー選びは、ともかく地元で人気の人とつながりたいということなんだろうなぁということです。彼はコミュニティに属しそこで自分の立ち位置を固めたいタイプ。そのコミュニティが見つかるまでのつなぎにされた感がありますが、選ぶ基準がそもそも私とは違うと思います。私は安全な人と登りたいのです。

そして、その安全な人というのは超少数派なんですよ、特に関西以西では。その原因は、強い東京への憧れと反発です。東京族への妬みと嫉妬心が、あっちの奴らとは対抗しよう!みたいな感じになってしまっています。ルートにも表れている。

これは、経済界でも同じだったような気がします。私は短い間ですが九州経済界のランチョンミーティングに出席するような仕事についていて、九電会長だの、大丸社長だののご機嫌取り役の商社代表っだことがありました…

どこも変わらないなぁって思ったりしたんですよ。発想が。

というわけで、私ができなかった瑞牆の魅力紹介を、知り合いの山岸さんがしてくれてうれしかった、って話でした。

私は最近は、Kinnyのハンドルネームで主にNOTEに投稿しています。

このブログは、2018年以前は、非常に人気があり、前作のSmallSteps…と引き続き、多数の読者をひきつけていたようで、福岡に来た時は、すでに私を知っている人がいたほどでした。

来てすぐは、当時福岡岳連の会長を務めたいた吉永さんなどにお世話になりました。一緒に脊梁山地の一泊二日の縦走をしたときは、これから、一緒にバリエーションにステップアップしていけたらいいなぁと思っていました。

吉永さんの紹介で、Moveの高田さん(重鎮)などと知り合いになりましたが、福岡クライミング界は総じて、40年前のエイドクライミングをアルパインクライミングとして理解しているようでした。それがそのままお弟子さんの若い世代に伝わるのでその若い世代もアルパイン=エイド、で昔の記録を基準にしているので、現代の基準ではあまりすごくないことが、すごいことになってしまいそうでした。

その高田さんのお弟子さんがスタートした会が私がモグラたたきのある、矢筈だけに同行した会です。そこでも、支点ビレイという懐古主義のビレイを見て驚きました。

もっと驚いたのは、私以外には、これが懐古主義(それどころか今では危険行為)だと気が付いた人があと一人しかおらず、相方も「まったく気が付かなかった」と言って気にも留めなかったこと、それと、たかだか5.10cをリードするのに、若い男性が2時間半くらいもかかったことです。そのうえ、ほぼエイド。たしかに登ってみたらフォローで悪くはありましたが私が登れたのですから、そこまで困難なルートは言えないでしょう。

というわけで、九州に来て発見したことは、

アルパインクライミング教育の内容が40年遅れで、現代アルパインクライミングの価値観への更新が遅れている

ってことでした。一番悲しかったのは、自分の相方が発表した記録が、エイドでの初登で、もう、落穂ひろいもいいところで、そんなクライミングは何の価値もないのに発表したことです。なんのために、一所懸命、彼に技術の意味を伝えようとしてきたのか‥‥ものすごい徒労感を覚えました。

山梨では、北杜市に国内トップクライマーが集まっており、佐藤祐介さん、横山ジャンボさん、馬目さん、天野和明さん、花谷康弘さん、吉田和正さん、など、トップクラスの人の息吹を感じることができます。ガイドさんも多く、私は、保科さんや鈴木さん、菊池さんの講習に参加したこともあります。

とくにユースケさんは地元の山岳会とも近く、ちょっと登れるクライマーにはマルチに連れだしたりしている様子もうかがえました。なので、そうした人との接点で、本来得れるものがたくさんあるはずなのです。クライミングのエシックもその一つです。

それを吸収していたはずだと思っていたのが違ったということが白日の下にさらされたのが九州での経験で、残念でした。

ただ、どうころんでも、現代の清く正しいアルパインクライミング(残置は使わない、易しくてもいいから、自分でルートファインディングしプロテクションを設置して登る、トップは基本オンサイト狙い、エイドを出したらセカンドやフォローでも台無し感あり、ただし作戦的に荷揚げ状態の場合は除く)を実践するのは非常に難しそうです。

ザイルを伸ばす、という発想自体が亡くなって、ボルト追っかけが善。ウェブザべ(ウェブサイトで人のムーブを見て予習する)が善と誰も疑わなくなったんですよね。

ちなみに、このブログでも何度か言っていますが私の台湾やラオスでのクラックは基本オンサイトですからね。

私でもオンサイト出来るところを探して岩場情報を集めている、っていう方が正しいです。

Taoと山岸さんが宴を囲んでいたという知らせは、私にとって単なる「友人同士が仲良くしている」以上の意味があったのかもしれません。


長い間、私の中で大切にしてきた「流派」や「系譜」「こだわり」が、ちゃんと外の世界でつながりを持って動き出したような、そんな感覚。

以上、昨日会ったちょっといいこと、うれしいことの話でした。