2025/09/05

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2025/09/02

クライミング界で事故が減らない理由=加害者に責任を問わないから

私は、あきらかなACE(幼少期逆境体験)だな、と思える機能不全家族の出身です。3人兄弟の長女、そして、シングルマザーの出身ですが、親は団塊世代です。

もう、これだけで、逆境ですけど…どんな物事にも二面性があり、善い面と悪い面があります。

認知行動療法の最大のポイントは、悪い面ではなく、善い面を取り出せるようになること、です。

機能不全家族から何を学んだか?私のケース



私は、子どもの頃、母に「理解されない」という感覚を強く抱えて育ちました。

たぶんなのですが、大人の目で見ると、母は戦前生まれの祖母の一人娘。寂しく育ったそうで愛着障害もしくはASD受動型の特性がありそうでした。そのうえ、シングルマザーで忙しかったので、子どもに対して、

”適切な理解を示す”=適度な寛容&適度な厳しさ



のが、能力的にも時間的にも、当時の子育て文化的にも、難しかったのだと思います。親の言うことを聞かせる、という教育論が主体の時代に、HSPの子供を抱えてしまったのです。わたしは、洋服や食べ物に繊細で、チクチクするものはダメで、レタスは食べれませんでした。小学校高学年になってレタス食べれるように。

子どものころは水がダメでした。頭に水がかかる程度でも、正体不明の水へのパニック症状に加えて、プールは塩素がダメでした。パニックの正体は、クライミングでフラッシュバックを得るようになってこれは、父に水に落とされて溺死しかけたせいだとわかるようになりましたが…。塩素のほうは大人になり、塩素対策を自分で、できるようになったら、週に1回くらいなら耐えられるようになりました。

これらの経験から、子供時代の生きづらさは、大人になれば解消でき、これは母が十分な養育を子供の私に与える余裕がなかったんだな、と分かるように…。

子供時代の、なんか、理解されない感…は、このせいだったのです。子供のころは、言語化能力も低いわけなので、私の身体的な不快感や考えは、親に届かず、いつも自分の中で、抱えたまま生きてきました。

簡単に言えば、察しの良い親だったら、こうならないんですよ。

察しの悪い親で育った結果、得た能力…

1. 「詳しく説明する」習慣


理解されない経験から、私は自然と「詳しく説明する」癖が身につきました。自分の考えや気持ちを丁寧に言語化しないと、相手に伝わらないからです。
この習慣は、のちに文章を書く力や、相手にわかりやすく説明する力につながっていきました。振り返ると、機能不全が私に与えた副産物のひとつです。

2. 「自分の納得で完結する力」(相手は変えられない)


しかし一方で、「どれだけ説明しても母には受け取ってもらえない」と悟っていた私は、最後には自分の中で納得して終える癖も身につけました。
これは孤独な作業ではありましたが、その結果「自分の人生を自分の納得で進める」自律性が育ちました。他者の承認や理解がなくても、自分の判断で創造を続けられる強さは、この時に培われたものです。

お受験では独学する力になりました。登山・クライミングも同じです。

3. 能力と代償の両面性



もちろん、これらはすべてが長所というわけではありません。

「詳しく説明する」は、時に冗長(話が長い)になり、相手を疲れさせることもある。

「自分で完結する」は、抱え込み癖、となり、他者と共有する前に一人で閉じてしまうこともある。

機能不全から得た力は、同時に“代償的なクセ”でもあるのです。
4. 学びとして見えてきたこと

機能不全な家庭で育ったからといって、人が自動的に敗者になるわけではありません。逆に成功の要因でもありません。そこには、
  • 自分がどのように適応したか…という因数分解による自己理解

  • その適応をどう統合していくか…というビジョンによる行動開始



というプロセスが不可欠です。

私はクライマーになろうとしていたころ、行動化がサクサク進み、ついにはイギリスのクライミングの祭典、BMCトラッドフェスに誘われるくらいになりました。行きませんでしたけど。

私自身は行動化には、問題をあまり抱えておらず、自分の何が失敗だったのか?次回はどうすればいいのか?ということのほうに問題を抱えています。

機能不全家族出身であることは、この集中的な再統合期間を過ごさなくても、私にとっては「母に理解されなかった経験」が、逆に

「自著的創造」や「自律的生き方」を生み出す起点

となったことについては20代から自覚的でした。つまり、あまり逆境で損したとは思っていなかったってことです。どちらかというと、終わってラッキーって感じでした。いよいよ重荷をおろしてやるぞーと息巻いていました。

これは多くの「機能不全出身」論にある“長い苦しみののちやっと回復へ”という物語とは、ずいぶん異なる地点に立っていたわけです。

再演



ところが、クライミングで、再演が起き、え?!です。

自分の何が悪いのか?ってところは、癒されていなかった傷が、なにか私自身が自覚できていない、自動行動を起こしているはずなのです。

それは、

  1. ASD受動型っぽい人に同情的
  2. 愛着と愛情の区別がつかない人に許容的
  3. 以上の二点により、境界線を侵害されたとき、修正すると相手が逆切れして問題がより複雑になる


の3点に集約されるようです。

この現象は、自分が投影で起こしているというよりも、NPDアビュースに代表されるような、相手側の問題のようです。

例えるなら…、生きの良い20代男性の群衆の中に、裸で放り込まれた若い娘みたいな感じです。レイプされたら、これは娘のせいでしょうか?ちゃいますね。レイプはレイプで、相手が裸だろうが、何だろうが、やってはいけないことです。しかし、これでレイプされずに済みますかね?確率低いですね…。で、男性側のほうは俺のせいだと思いますかね?思いませんね。あっちが誘惑してきたんだ、とか自己正当化するでしょう。

ここでのポイントは、
  • 責任は加害者にある(境界侵害は侵害した側の問題)

  • ただし、リスクにさらされる構造が存在する(無防備でいることによる確率の偏り)

この二つを同時に保持することだと思います。

これが私に起きた3度の目の鬱のきっかけとなった再演の構造です。

たしかに、

1)HSPの気質(相手の気持ちを読みやすい、そのため気の毒だと思うと易しくしてしまう)と
2)ASD気質(相手の気持ちが読めない)の引き合い
が起点にはありますが、
3)境界線的にやってはいけないことをやっているのは、相手で、私ではない。
4)その上、これらの構造を理解する能力を相手は持たない。リフレクション能力も持たない。
5)そのうえ相手に変容を期待するのは難しい

Kinny

という構造です。

ここには “善意や理解力を発揮するほど、相手の加害性に巻き込まれる” という逆説が働いています。

人間リトマス試験紙Kinny

これをクライミングに当てはめると?



1)”○○アルパインクラブで死に一番近い男”と呼ばれてしまい、パートナーになってくれる相手がいないのだろうと気の毒に思うとつい、クライミングに付き合ってしまう…

2)相手は、”死に一番近い男”は誉め言葉だと思っている。そのため要求が一方的。

3)50mシングルで登っているのに35mをやったあと次の25mピッチを切らずロープを伸ばしてしまう。リードしながらロープ長を考えていないという致命的ミス。下手すると二人ともあの世行き。しかし、私の自己確保登攀でヘリを呼ばずに済んだ。致命的ミスをやっているのは相手であり私ではない。

4)その上、これらの構造を理解する能力を相手は持たないため、「やっぱりロープは60だね!」と言ってしまう。60mでも2ピッチ連続は登れないのは明白。そして、相手は性格的にNPDであり、リフレクション能力も持たない。自分自身をメタ認知する能力は期待できない。

5)したがって、相手に変容を期待するのは難しい。

相手は、たぶん「俺がリードしてやったのに…(感謝されない)」って思っていますよね?でも、殺されかけて感謝する奴はいない。認知の差でこれくらい物事の理解に差が出るんです。

こんな風に現象としてはなるんですね。事例して面白くありませんか?

殺されかけたのに、相手は逆上、って(笑)。

これってクライミング界は大まじめで、被害者に諭そうとしてくるんですよ。お前が悪いって。ジャニーズとか高野連とかと同じです。この体質は深刻な社会毒です。

🖋️これはあくまで私自身が経験した実例、つまり、ケースです。

結論:クライミング界から事故が減らない理由



適切なリードクライミングを学んでいないから。

適切なリスク管理を学んでいないから。

現実に対する認知が、自己顕示欲で歪められているから。

クライミング界リスク構造モデル(心理・行動の因果関係)


クライミング界の構造的要因

要因 影響
教育不足(リード技術) 基本的安全行動が欠落
教育不足(リスク管理) 致命的判断ミスの確率増加
自己顕示欲・承認欲 現実認知が歪む → 自己過信・無謀トライ

ポイント

  • 善意や経験があるほど、知識のないクライマーに巻き込まれやすい(逆説)

  • 自己責任と加害者責任は分離する必要がある

  • 教育・リスク管理・現実認知の改善が事故減少の鍵