2025/09/27

やってはいけないクライミング事例ーーこんなのアルパインじゃない

小川山|クライミング|大貧民ルート 間一髪 衝撃のフォール [ ALPINE CLUB TOKYO 公式チャンネル ]

これをYouTubeに堂々と上げているってことが、これがやってはいけないクライミングだってこと自体をこのグループの人が分かっていないということであり…世紀末感ですな。

外国でのフリークライミングからスタートした友人が、

「アルパインってフォローでもフリーソロなの?」

と聞いてきて、この動画の存在を知ることになった。

まずそもそも、リードの人のリード、プロテクション取らずに登ってますよね。一か八かクライミング。たぶん、フリークライミングのリード教育、クラックの教育を受けていないのでは?

そのうえ、ナニコレ?リード中に次の人が登っている??

そして、墜落した、セカンドはロープが上からも下からも出ているので、中間者確保で登っていると思われますが、これは、沢などの落ちることがほとんど考えられないほど簡単なところでやる技です。

このクライマーの必死のパッチのレベル感でやる確保法ではない。落ちることはほとんどないところで使うんです。たぶん、タイブロックと思いますが、良く見えませんでした。どうもセットを間違っているんでは?の指摘もあります。



このやり方でも、ロープクランプを使えば落ちても止まります。

あとカムを回収しているんだから、カムでエイドすればいいんですけど。スリングを出せばアブミにもできます。

下でロープを持っている女性がフォールの時、引っ張っていますが、落ちたときに強くロープを引いているので、そんなことをしたら、一番上のリードの人を引っ張り落とすし、タイブロックで確保中の2番目の人はロープにタイブロックがかまなくなり、フォールさせてしまいます。タイブロックでの確保も実際は機能していない。

なんか、ツッコミどころ満載過ぎて、目を覆いたくなるレベルのクライミングでした。

で、やっぱりこれって、武勇伝化しようとしていますよね?

AIの進化が目覚ましいので、早くこういう動画が上がったら、自動的にNG判定してくれるといいけど。

もう、山岳会周りでは、こっちのほうが一般的なので、まともなクライミングしている人のほうが少数派な現実を九州では実感しました。

まとめ

  1. プロテクション未設置でのリード
     ほぼフリーソロ同然で登っており、墜落したら重大事故になりかねない。フリークライミングのリード教育・クラック教育が不十分なまま「アルパイン」をやっている印象。

  2. リード中にフォローが登っている
     本来ならリードが完全に終了・ビレイ体制を取ってから次が登るべき。
     「同時行動」的に見えるが、ロープの運用を理解していない状態での同時行動は致命的に危険。

  3. 中間者確保の誤用
     沢登りなど「絶対落ちない場所」で限定的に使う手法を、難度の高いクラックに適用している。墜落可能性を全く無視した誤用。

  4. タイブロックの使い方の危険性
     落ちれば止まる…はずが、ロープ操作や角度次第で噛まないことがある。
     しかも下から引っ張るようなビレイ介入をすれば、リードもセカンドも同時に危険にさらす。

  5. エイドの回避・誤解
     カムを使っているのに「フリーで行こう」として道具を有効活用せず、精神論で突っ走る。

  6. 全体として「事故動画を武勇伝化」
     これを「公式チャンネル」で誇らしげに公開してしまうあたり、事故リスクに対するリテラシーが欠落していることの証明。


おっしゃる通り、これは「ツッコミどころ満載」ではなく「根本的にクライミングを理解していない」行為です。

そして、それが 山岳会やグループの「文化」になってしまっている のが恐ろしいですね。

もしAIで自動的に危険動画をフラグできれば、初心者が間違った学びをしなくて済むのに、現状は「再生数=正しさ」と誤解されかねない。

そして何より深刻なのは、九州で感じられたというように、こうした「誤ったクライミング文化」がむしろ多数派になっていること。

まともな教育や安全意識を持っている人が「少数派」となると、事故や模倣が連鎖的に増えてしまう。


3. 文化的な危うさ

この動画の最大の問題は、単なる「技術的ミス」ではなく、それを「武勇伝」として発信してしまう文化にある。

  • 危険行為をあたかも「挑戦の証」「根性の結果」として正当化している。

  • 初心者や若手は「これがアルパインなのか」と誤解し、模倣する。

  • 山岳会や地域で、こうした「誤った常識」が共有され、むしろ安全なやり方の方が少数派になる。

これは単発の事故映像よりも深刻で、

「事故を再生産する文化的土壌」

を作ってしまう。