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2025/09/28

グレードを目安にすることの危うさ

 このところ、いろいろと振り返っているのですが…、ずっと私が漠然と感じていたことは、


グレードを目安にすることの危うさ


だったんじゃないかと思います。


甲府時代に5.13を登れるOさんが、私のいた山岳会のホープでコンペに出ていた山田さんが、5.9で落ちてねん挫したと言って、軽蔑、って感じだったのですが、その話を聞いたとき、”でも、さとみさんって、国体選手だけどなぁ…”でした。クライミングは才能があるというか、とっても上手で、アイスコンペなど初出場で優勝してしまったくらいなので(私は5位)、年齢も20台だし、すでに中高年という年齢でスタートした私より、うんと”イケてる”はずなので、山田さんが落ちたってことは、5.9が本当に5.9であるという推論は成り立たないと、頭の片隅にメモしたんでした。


私は自分でリードするようになるまで、1年くらいは、先輩のフォローをしていました。その先輩は蒼氷の方で、ほんとにお世話になったな、って思っています。先輩自身も、”もう、そろそろ、お前もリードしろよなー”と思っていそうだな、という感じで、私の実力と保護がマッチしていないという雰囲気を醸し出していたからです。

なかなか勇気が出ないでもじもじしている子供みたいな感じですね。

そういう風になったのは、実は所属していた別のクライミングクラブ、山梨〇パインクラブが結構どんどんリードさせるクラブだったからです。そりゃそうで、毎週〇曜は練習日で、人工壁だったからです。人工壁なら、別に最初からリードでもあまり心配はいらないのです。

ところが、この会の人はそれをそのまま、外に持ち込んでいたのですが、そういう男性たちにくぎを刺さない。男同士だと、自分で学べって感じなんではないでしょうかね?

男性たちは、自分たちが無謀であることについては、まったくの無自覚で、それは仕方ないことで、岩と雪に代表されるような過去のクライミングの経緯を知らなかったら、外の岩場も、普通にグレード順に並んでいると考えるのが、ごく自然な成り行きです。

甲府でも、グレード一点豪華主義はありましたが、室井さんが普通にジムのお兄さんをしているジムで、ムーブをばらして教えてくれる日があり、その日に一度行ってみたら、私の相方となってくれたアラーキーは、パワー解決型で全然ムーブ解決型ではなかったです。私自身も、同じ課題に取りついていましたが、なんか出来そうでした。室井さんの選択が、ムーブを教えたがっている内容で、あまりグレードを上げる目的に選ばれている風ではなかったんです。「ムーブの習得」に重きを置いていた。だから教える課題も「数字のため」ではなく「身体の引き出しを増やすため」に選ばれていた。

大阪のヒグラシでも、グレードではなく、かつて封印したデッドを取り戻すことを中心に練習しましたが、トリッキーなのは、あなたができないムーブって、大体があなたの最高グレードで出てくるってことなんです。だから、そのムーブを習得することとグレードが一体化してしまいます。 「できないムーブは、結局自分の次のグレードに必ず現れる」グレードとは、ムーブの多様性を強制的に学ばされる構造物とも言えますね。

たとえば、私が4級で出てきたデッドができなかったとしましょう…実は5級でもデッドは出てきいているんですが、スタティックに取れたので問題にならなかっただけ。4級で出てきたデッドをとれるようになったら、普通に5級のデッドはスタティックに取らなくなります。ダイナミックにとっても確実なら、ダイナミックに取ったほうが早いし。つまり、5級は洗練。

パワーがある男性は、大体これが、5.12以上で現れ、パワーがない女性は5.10で現れます。理由は、10Aからかぶってくるから。ムーブを使わないと登れないグレードがそこから始まるからです。

ところが、前述のように国体選手で毎日クライミングしていても、外の5.9では落ちるんですよ。え?ムーブ関係ないじゃん、です。日本の外岩5.9には、5.7から5.12まで全部含まれるんです。

というような中身になっており…

日本の外岩の「グレードの不連続性」

  • 日本の5.9は「本来の意味での5.9」ではなく、課題設定の恣意性や歴史的な事情で“5.7~5.12相当”が混在している

  • だから、ジムで毎日登っている国体選手でも、外の5.9で落ちる。

  • ここで顕になるのは「ジムで培ったグレード感覚=外岩の実際とは一致しない」という事実。

つまり、「ムーブ関係ないじゃん」という体験は、むしろ外岩のグレードの多様性を示している。外岩では「数字はただのラベル」であって、その課題の実際の要求(ムーブ・体格・岩質・心理要素)がすべて。

なんです。

しかし、5.12で外岩をスタートした人たちにはこれが分からないんですよ。最初からボルトの距離は超短いので。

前述の5.13の人にとっては、外岩で5.9を経験することなく、済んでしまうので。外岩の5.9で味わうはずの「数字と実感のズレに戸惑う経験」を飛ばしている。

師匠の青木さんが、俺一日目で5.13登った男子を知っている、って言っていました。その男子は一回しか登らなくて5.13が登れたので、もう二度とクライミングしなかったそうです。

でも、その5.13に、クライミングムーブが出てきたのかなぁ…その人にとってはムーブなしで登れるほどにフィジカルが強かっただけではないかしらというのが私の疑問なのですが。もしフィジカルが圧倒的なら、「ムーブを駆使する課題」が「ただの力技課題」に変換されてしまう。

5.6にグレーディングされている課題が油山にありますが、ホールドがとっても遠いので、小さい人には全く5.6ではなく、小学生の男の子たちを登らせてみたら、普通に登れません。もっと高いグレードが与えられていてもスラブのほうが登れます。子供にとっては「ホールドが届かない=5.6の意味が崩壊」。

ので、グレードとその人が登れるか登れないかというのは、ホールドの距離感にかなり左右される。グレードは“平均的な身体”を仮定した相対評価でしかなく、個人差に大きく揺さぶられる。特に「ホールド距離感」は、フィジカルやムーブ以上に“可登性”を左右する

オリンピック選手の森さんですら、ジャンプしても届かないと、もう何もできませんからね。

以上のようなことを私は、遠藤由香さんがショルダーされている画像を見て瞬時に理解したんですよ…

遠藤由香さんがショルダーされないとならないなら、もっと登れない99.9999%の女子は、全員ショルダーが必要ですよね。これがクライマー男性には理解できない。

  • 「グレード=普遍的な難易度」ではない

  • 実際には「リーチ」「体格」「性差」といった要素が、課題の“可登性”を決定的に左右する

  • そして、それはトップクラスのクライマーでさえ逃れられない現実

ということですよね。

本質的な理解

ここで浮かび上がるのは、

「グレードは中性的な物差しではなく、“標準体格の男性”を想定した物差しである」

という事実です。


だから、女子や小柄な人にとって「グレードが意味する実際の難易度」はしばしば大きく歪む。

つまり、男になろうとする行為=グレード追っかけクライミング、ともいえるわけです。

えー、私、別に男になりたいわけじゃないし…です。

言葉を換えると

  • グレードを追うことは「男性社会での出世レース」をなぞるようなもの

  • 女性としての自分の身体性や感性を押し殺して、「男のルールの中で強くなる」方向へ自分を縛る行為

  • でも本当は、そこに生きたいわけじゃない。

  • 自分の登りを、自分の身体性に沿ったものとして探究したい

そりゃ誰だってそう思いますよね…。

そんな、誰かほかの人が作った型紙に自分が合わないからって、自分のほうが変だ、と思うと思います?思わないですよね。

だけど、ダメだダメだと言ってくる人ばかりで辟易しました。でも、そのだめだダメだと言ってくる人たちのほうが、社会的に見たら、私の得てきた様々な達成を得たのか?というと、得ていないのではないでしょうか?

なんで、自分に合っている型紙を、まったく合いそうにない人におすすめしてくれるのか?それが謎だったんですが…

故・吉田さんのクライミングで登っていた課題は、フィンガーで寝ていて指への負担が低い課題、普通のジャミングのクラックでアップ、そして、超ムズイチャレンジ課題、という構成でした。グレードはたぶん度外視だったので、5.8をやっているのに、11cをTRしてたんですよ。これ、すごく合理的な練習構成ですよね。グレードの数字ではなく「課題の質」と「身体に優しい反復」を重視している。

私のアイスクライミングでの成長の奇跡を見ても、長い間易しい課題で登る時期が長く、ある日、突然登れるようになるって展開だと思います。だから、55m相沢をリードしなさい、になってしまう。

最近、私はバタフライが、突然楽になり、泳ぐたびにみんなに褒められているんですが…アイスクライミングでも登るたびに、「そんなに簡単そうに登られると、こっちが困るんだよなぁ」って言われていました。

泳ぎのバタフライもアイスクライミングも、蓄積の量が質に転換した瞬間です。

フリークライミング、外岩だけが、なぜか分厚い基礎力時代を許されず、なんか命まで取られそうな気配というか、そのやり方で行けば、確実に死ぬんじゃないかという気がしていました。

岩場では、グレードを急いで上げることよりも「課題の読み方・確実なムーブ・心理の安定」のほうが生死に直結する。

私が直感していたことは、
  • 競争的で男性基準の「型紙」に無理やり合わせることの危うさ

  • 自分に合った方法で基礎力を積み、成長を大きく飛躍させることの大切さ

  • 外岩フリーでこそ、その基礎を丁寧に積むことが安全で確実だということ


クライミングだけでなく他の領域(仕事・学び・生き方)で得てきた知恵なんですよね…

例えば、英語の習得では、小学校の3年生くらいから、ずっとNHKのラジオ聞いていました。それで、ある日突然、アメリカに暮らす話が舞い込んだんですけど…普通に現地に行って暮らしました。その後、帰ってきたら、一回目のTOEICが875点で2度目が925点。だから、TOEICなんてもう、勉強する気ゼロです。

クライミングとの共通点

  • 外岩やアイスクライミングでの「易しい課題で長く登る期間」

  • バタフライの泳ぎで「反復による体の感覚」

  • どちらも、一見目立たない基礎期が、ある日突然の飛躍につながる


結局、私の学びのスタイルはすべて同じ構造を持っています:

  1. 長期蓄積(基礎)

  2. 突然の挑戦(飛躍)

  3. 成果の可視化(実力化)

この基礎力をやる時間を与えられないで、成果を出せってムリゲーだと思うんですよ。

ヨガの講師業だって、20年のバレエでの蓄積をヨガ講師業で開花させただけですからね。同じ能力を別のフレームワークで出しただけです。

だから、私がクライミングで殺されそうだ、と感じたのはまったく理にかなっているわけです。

  • フリークライミングの世界では、「早く数字を上げろ」「強くなれ」という短期成果主義が当たり前の空気としてある。

  • しかし外岩は、実は一番「基礎・確実性・心理安定」が必要な環境。

  • その基礎期を飛ばして成果だけを求められることは、文字通り 命の危険 に直結する(リスク管理や動きの確実性が未習得のまま難度を上げることになるから)。

だから「このやり方では命が取られる」と身体レベルで感じたのは、恐怖心や弱気ではなく、正確なリスク評価です。

むしろ、この感覚を持てる人のほうが少ない。

多くの人は「グレードを上げる」という空気に飲まれてしまって、危険の兆候を無視してしまうことがある。

それが事故の温床なんですよ。結論。

昨日きた動画のアルパインクライミングなどは、論外です。念のため。基礎力のトレーニングしていたら、あれに行く前に、人工壁に行っているはずだからです。