1)事故隠ぺい体質が利得になっている件について
日本のロッククライミング界では、基本的には、事故が隠蔽されている。
その隠ぺい体質には、岩場が閉鎖されるかもしれないという”恐れ”が根拠にあり、そのため、地主やローカル行政に、見られてはまずいことは、言わない、隠し通すという体質にあある。
結果、事故対策に、真正面を切って向き合う、対策する、ということは、後手後手に回っている。
事故自体がなかったことにされているからだ。
日本が後手に回っている証左としては、アメリカではAACが事故調査レポートを冊子にして毎年出版している、ということがある。これは日本では行われていない、という事実がある。
岩場で起きた死亡事故は、警察の統計には載るかもしれないが、実際は、クライミング界に周知されることはなく、延々と同じ過ちで死ぬ人が絶えない、というのが、例えば、関西にある非常に有名な危険ルート斜陽の事例でも明らかになっている。私が知った時点では、6件の重大事故が起ったそうだが、トポにその旨記載はないようだ。
そのため、これを安全に登るには、トップロープを張ってもらい、クライマーは自動化で登るしかない。そうなると、オンサイトという考え方からは、どんどん遠ざかることになる。
■ グレードとリスクのミスマッチ
問題の根本を一言で言い表せば、そのグレードを登る人にとって、実力に不相応なリスクが、課題そのものに設定してある、ということだ。
初心者向けルートの5.9には、5.9のクライミングムーブがこなせる実力の人が取れる以上の上級者向けのリスクが設定されている一方、より高度なルート5.12には、5.12のクライミングムーブがこなせる人にしては、全くゼロと言ってよいリスクしか設定されていない。誤解を恐れずに単純化すれば、5.9は危険で、5.12は安全、ということになっている。
その本末転倒が、昨今のジム上がりクライマーと出会うとき、事故が起きる必然と出会うことになる。
なぜなら、ジムでは外のリスクは学べないにも関わらず、自分の登れるグレードは高いとクライマー本人が思ってしまうからだ。
まずは前提として、ジムのグレードシステムと外岩のグレードシステムは全く違うことが自覚できなければいけないが、そのような記述に出会うことは非常に少ない。
■ 理解は難しそうだ
私自身はジム上がりではないが、同じくジム上がりではない、山梨〇ルパインクラブで出会った(しかし、彼の経験値は詳しくは知らない)クライマーと登った経験から顧みて、登山のステップアップとしてアルパインクライミングへ進み、その後フリークライミングに進んだ一般的な身長の男性にも、低グレードをそのグレード一杯一杯の登攀力で登るほうが、より大きなリスクを背負って登らないといけないということは理解が難しいようだった。
理解が難しいため、低グレードを登る相手を臆病者だと言って、馬鹿にし、バカにされた側は、あおられてムキになったクライマーが無理をして、事故になる、という挑発的な構造がある。
実際、この心の構造のために、自分は臆病者ではないということを示すための記録、というものもある。
例えば、フリーソロの記録などだ。ここでは、詳細は省くが、フリーソロは、臆病者ではないということを示すより強く、すべてのムーブが自動化によって確実になっていることを示すものだ。
■ 低グレードのほうが危険な原因は何か?
この無理解の原因は何か?というと、私のクライミングメンターであったクライミング歴40年のクライマーの様子から考えると、
フォロー経験の少なさ、
だ。
フォローと言うのは、リードクライマーの経験を追体験するものだ。
フォローの経験が少ないと、相方のリーチへの理解が乏しくなる。相手の身長で取れるハンドホールドの高さを実感として持てない、ということだ。
相手のプロテクションへの理解度も、セカンドを務めることで分かることだ。リードクライマーのプロテクションがあやふやだったら、セカンドの自分もリスクにさらされているということですぞ?
■ 経験では補えない、性格と知性の問題
また、一般的には相手の立場を考える能力というのは、経験にはよらず、知性と正比例であり、もともと自分のことしか考えられない人は、相手の立場に自分を置いて、考えてみるということができない。
時代は変わり、今は誰もがクライミングをするようになった。
したがって、過去の通りの慣行では、事故が増えることになった。
昔は、18歳男子大学生というのが”新人”の典型的な姿であったが、現在では、20~30代男子が多いとはいえ、多種多様な老若男女が登る。
そこで、初心者がインフォームド・ディディジョンメイキングができることが大事になるが、そのような情報提供が、日本ではされていない。これでは、初心者側は、自己責任を全うした判断ができず、盲目的に危険に追い込まれることになっている。
これはトポの書き方に表現されており、海外のガイドブックは、ルートの高さとともにボルトの本数が記入されている。日本のクライミングガイドブックにはボルトの本数は記載されていない。したがって、安全と非安全を分ける肝心の中間支点の数は、示されていない。
海外クライマーは初心者であっても安心して岩場に出向く。これはクライマー同士の助け合いで、安全が互いに持ちつ持たれつされているからだ。しかし、日本ではこれがなく、より小さなリスクしか背負っていない側が大きな顔をしている。
強いものが弱者を虐げているということだが、これで、排他的グループを形成している。
そのほうが事故が減るから良い、という欺瞞が自己正当化に使われている。ある種の特権みたいなことになっている。
さて、このようなことが起こるのは、根本的には、ボルトが遠いリスクを含んだ課題、事例としては、ニンジャと、ただボルトが遠いだけのルート斜陽との区別がつかず、名作ニンジャを擁護するためには、不出来な斜陽をも擁護しないといけない羽目に陥っているからだ。
日本のクライミング界に必要なのは、
ただボルト配置が悪いがために、そのグレードにしては過大なリスクが告知なく設定されている課題
と
ボルトの遠さも含めた名ルート
との区別だ。
小川山で、5.7などで良く登られている人気ルートは、”ボルトの遠さを含めた名ルート”のほうである。例:川上小唄 5.7
なので、初心者は名ルートではなく、ボルトが適切なルート、を登らないといけない。
初心者向きのルート選択の方法が、きちんと指導者側から、初心者側に適切に伝えられていない。
■ トポの意図的サボタージュ
以上を踏まえて、トポを見てみると、日本では、トポに
意図的サボタージュ
が加えられていることが分かる。
例えば、妹岩のイエロークラッシュ5.12には、B5とボルト5本しかありませんよ、と注意喚起がされている。
ところが同じトポで、彩花 5.10dにはボルト数の記載がない。図にある×を数えてみたら、9本だった。
■ 誠意ある開拓者のトポ
私が知る限りだが、安全に配慮して、誠意あるトポの作りをしていた開拓者の筆頭は、米澤さんである。
(と言ってもボルトルートの開拓者は私にとっては米澤さんの開拓が最初で、他はトラッドしか知らない)
彼のトポの書き方は、すべてのルートにボルト数が記載されているのである。
■ 特権温床化
以上のような考察で分かることは、結局のところ、
ボルト数
を隠蔽することが、初心者クライマーの流入にとって、抑止として働いていることである。
人工壁のスポーツクライミングでは煩わしいほどにボルトが出てくる。
一方スポートルートと呼ばれるボルトルートを登るクライミングでは、このような事態になっている。
この両者の差を明示的に初心者に伝えていないことが、基本的には事故の温床になっているのである。
小川山の最新トポ。小川山には、初めてのリードにチャレンジするクライマー向けのルートは多くないが、これはそれに最も適した1本。プロテクション、ホールド共に良く…このようなトポを目指しましょう。
小川山の課題を登っている当方