2023/07/11

岩の歌と氷の歌

■ クライミングで何を表現(身体化)していたのか?

私の ”冒険心” および ”知性” です。

得意のアイスクライミングでは、-20度みたいな環境で登っているのに、別にケガをしたことはありません。

いわゆる九州でのイケイケクライミングが、どうも私はイヤだったのです。そんなクライミングをしたくないと思いながらやっていたということですね。

■ 氷との信頼関係の構築

アイスクライミングは、平たく言えば、氷って、いつ、どの程度、私の体重を支えられるんでしょう?みたいな感じです。

 朝早い=氷は固く締まって硬い→ コンディションが良く登れる→どんどんリスク取る
 気温高い昼間 = 上記の反対

などなど… 北面の氷、南面の氷、水量、特定の滝、人工氷瀑、で個性が全部違う。

■ 岩 自己コントロールできないリスクは、ビレイヤーの質

岩の場合は、まぁ、岩というものは、耐えられる荷重に限界がほとんどない。

氷は、耐荷重が毎回、異なります。ところが、岩は、氷と違い、まぁほぼ100%壊れないので、岩そのものは、100%信頼できます。まぁたたいて登るもろい岩場もありますけど、そういうところは登らないのが賢いクライマー。

岩登りにおいて、とくにフリークライミングをゲレンデで行うクラッギングと言う活動において、リスク要因なのは(信頼できないのは)、

 下で墜落を止めてくれるはずのビレイヤー(つまりクライミングパートナー)

のほうです(笑)。

ですから、

 氷における不確実性 氷そのもの = 自然物 = 自然科学

 岩における不確実性 人     = 非自然物 = 社会科学

と 自然物か非自然物かの違いがあり、非自然物に対する探究というのは、私の望む探究分野ではないような気がします。

 人を理解 → ×

 自然を理解 → 〇

です。


人間の体は、個人にとって最も身近な自然物ですので、人体や人間心理に対する探究=〇で、とても興味があり、しかも、逆エンパスなので、相手の抑圧を発見するのが得意です。

ついそっちに目が行ってしまう。

 大体の男性クライマーの抑圧 = かっこいい俺とみなしてほしい

 大体のツヨツヨクライマー = 岩に魅了されており、↑のようなことはあまり考えていない

■ 感情の身体化

と言うことにとても興味があります。

かっこいいかどうかにとらわれている人は、アイスや雪ではルート取りにその感情が表現されます。

例えば、最初にすごく難しいルート取りをしてカッコつけます‥後からだんだん弱気になり、簡単なところへ行くようになる(笑)。

ところが、そういう抑圧がない人、男らしさコンプレックスがない人、は、ちゃんと最初から最後まで首尾一貫したルートどりをします。

■ 手のイボ

実は、手のイボを自分の意思で消したことがあります。アンドリュー・ワイル博士の『ナチュラル・メディスン』です。

つまり、感情で病気は作れたり消したりできる、ということですね。

■ アイスクライミング


      これがアイスクライミング(氷との信頼関係構築)で、リスクは氷の崩壊。

私はアイスダンスを踊っている間に勝手に上達してしまった…。もう体が覚えている系です。アイスクライミングはバレエのワルツステップと同じです。

これが岩で、コントロールできないリスクは、ほとんどビレイヤー(パートナー)の質だけ。



例外的に、日本では、ボルトの劣化で安全と言える岩場は現在ほとんどない。

それは日本だけの特殊事情であり、本質的には岩の歌は氷の歌とは全く違います。

固くて信頼できるから、人は山登りの中で、いくつもある登道…沢と言う道もあれば、雪と言う道もありますが…どちらももろく崩れやすく危険なので、より安全を求めて、岩という登路を選ぶわけです。

現在の日本の岩場は危険なので、安全が確認された場所以外は、あまりお勧めではできません。それくらいなら、アイスクライミングのほうがうんと安全です。