2023/07/13

【クライミング心理学】 男子の世界には、”助け合う”世界がない

 ■男性の対人関係の特色

最近、男性の対人関係を見て、私は

 競争相手

と目され、それで、男性の嫉妬による攻撃、を受けたんだなーと思っています。男性のクライミング社会って、むかーしから、

 ルサンチマン

が主だと言われています(汗)。

ルサンチマンなんて高級な言葉、現代の男性にはわかりません(笑)が、平たく言えば

 男の嫉妬

ってことです。クライミング界で顕著なのは、

 チッピング

です。こちらに小山田大さんのブログがありますが、ほんと、しつこくチッピングの被害を受けられています。

そういえば小鹿野の5.12の課題で、女性が使える位置にあったホールドがつぶされたという事件がありましたよね…あれも、チッピング。

”チッピングしてはいけない”、なんて、そもそも、クライミング界全体を貫く背骨みたいな倫理観です。つまり、よっぽど根深いメンタル障害でもない限り、普通の人は、

 チッピングはよくないことだ、クライマーの倫理観に反する

ってわかっている、ってことですが、それでもやってしまうくらいなのだから、

 男性の嫉妬という心の闇がどれだけ深いか…

ってことですね。

男性のトップクライマーたちは、大体もれなく、全然すごくないクライマーからの嫉妬による妨害に苦しんでいます。

要するに日本社会がそれだけ、男性に競争に勝て!と言ってきたってことですね。

■ 原因

さて、そのようなことがなぜ起こるのか?

男の子の子供を取り巻いている人間関係を見てみますと・・・対等の人間関係がほとんどないんですよね。パートナーシップっていう人間関係です。

父・兄 → 上下関係

母・姉 → 一方的に甘える関係

弟・妹 → めんどくさいが、我慢して、かまってあげる関係

特に男性の兄弟しかいない家族関係…例えば、父・母、お兄ちゃん、俺、みたいな4人家族は四人家族でも、一人しか女性がいない家庭に育つと、

 女性 = お母さん = 甘えさせてもらって当然の関係

が、その人の女性観の前提になってしまいます。

そういう人でも、クラスメートの誰それさんを好きになったことがあると思うのですが、結局は

 手に入れても、どう扱っていいのかわからいてないので、大事に箱に入れてしまっておく

と言うことになりがちで、相手がクライマーとして成長していくためのニーズを自分が満たす=つまり、十分に信頼ができるビレイを提供する、とか、結婚生活において互いに支えあう=つまり、妻がピンチの時は自分が家事を提供する、とか、分からないんですね。

 大事にする=トップロープ張ってあげるよー

 大事にする=僕が働くから君は家にいていいよー

になってしまいます。つまり、”適切な大事に仕方” が分からない。正解はこれです。

 重たいロープもって上げるよ → ケガや病気の時以外はよけいなお世話

 ビレイしてあげるよ → パートナーシップとして当然の行い

家庭なら

 妻の妊娠中、僕が働くよー =ビレイしてあげるよ → パートナーシップとして当然の行い

です。僕の転勤についてきてー(涙) は、僕が守ってあげるよではなく、僕を守ってー、です。 

■ 競争だらけ

一方、父、兄、弟、と言うのは、結局のところ、母の愛を奪い合う

 競争相手

です。クラスメートで、例えば、部活などで、

 良い仲間関係

に出会えるならいいですが、昨今は、子供の習い事って、ほとんど

 習い事=追加の競争

で、誰それが誰それちゃんより登れる、登れないという競争関係を、親も、子供のモチベーションを上げるため、という口実で、持ち込んで、まったく違和感を感じないです。

しかも、日本の部活って、いまだに先輩後輩の旧システムだし…。スポーツ界は、いまだに、スポコンで、しかも、上下関係に厳しいとなると、

 パートナーシップを学ぶ場ってどこ?

ってくらい、存在しない訳です。

■ 足を引っ張る、が正当化される

このような競争社会においては、勝者となることだけが正当化されるので、

 すでに勝っている人の足を引っ張る

が正当化されます。なので、

 チッピングしている人は、全く反省しないどころか自己弁護する声明を平気で発表したりする

訳ですね。それは、男性が

 勝ってなんぼ

だという世界に生きている、という思い込み(リミティングビリーフ)に生きているからです。

■ クライミングの喜びは、十人十色なんですよ?

こうした、勝ってなんぼというリミティングビリーフができてしまう背景には、

日本のクライミング指導者が、勝つ以外の価値を、後進のクライマーに伝達し損ねている、

ということがあります。

つまり、

 スポーツクライミング&コンペで、グレード至上主義を作り出した

ってことです。九州はそれが色濃く、違うことやっているのは、小山田大さんだけっぽいです。

■ 大事なのは、グレード以外に目を向けさせること

私は、もともと、運動大好き派ではなく、体育の授業をさぼったせいで大学で留年になりそうになったほど、運動は後回し派でした。ほかの教科はAなのに、体育はDとか。だから何ー?みたいな反省すらないタイプ。

そんな私が、どうやってヨガの先生になるに至ったのか?

それは

 スキル習得重視

だったからです。スキル習得重視とは、コツやテクニックの習得、もしくは探究に着目して運動するって意味です。

例:

バレエ → プリエとは?エレベーションとは何か?

水泳 → ローリングとは何か?

クライミング → 2点支持とは何か?

登山 → 読図ができるとはどういうことか?どこからロープが必要か?キックステップとは何か?

例えば、私が一定レベルを到達したクライミングの一種である、アイスクライミングでは、ムーブは、正対、側体、フラッギング、しかいりません。あ、乗越のマントルもいるか。

それで上記に習熟するためにジムでやっていたのは、8級の課題で、正対登り、側体登り、インサイドフラッギングで登る、アウトサイドフラッギングで登るの4種の登りを、自動化するまで繰り返す、でした。

アイスクライミングは、フラッギング多用します。ヒールフックはやってしまうと登りが簡単になりすぎるので、競争にならなくなるので、コンペでは禁止されており、ヒールフック用のスパイクが出たクランポンは販売されていないほど、です。つまり、アイスはムーブもパワーもほぼ基礎的なもの以外いらない、ってことです。

いるのは、リスク回避の判断力です。つまり、壊れるような氷瀑にはそもそも取りつかない・登らないって意味ですよ。

もちろん、薄さを知らなければ、取りついていけない氷もわかりませんから、登りますけど、トップロープで薄さに迫ります。私はこれで、貧乏神の滝で、周囲のアイスクライマーの誰も登れなかったのを、トップロープクリーンで登ったので、薄さに迫りたいという気持ちは、もはやなくなりました。

したがって私がアイスで成長するなら、もはやドライツーリングに向かわねばならず、実際、最後は、ミックスルートをセカンドですが、やっていました。

このようなスキルに着目した方法で成長していると、グレードと言うのは、自分が取りついてよいミックスルートのルートグレードを見るための参考値、でしかありません。

つまり、目指すものでは自然になくなります。

参考までに、大体M5とM6の間くらいです。M5だと簡単すぎ、M6だとできないということです。

現代のトップクライマーは女性でもD15,14あたりですから、こうして、その差が分かると、変に隣の〇〇ちゃんと比べても仕方ないなーとなります。目くそ鼻くそ、ってことです。

しかし、そういう風にせず、

「お前、階段、何段飛び降りれる?俺、5段。」「俺、6段」

「俺、9段!」(すげー!一同尊敬!!)

を目指してしまうのが、一般男性にとってのグレード至上主義的クライミングの実態です。

つまり、せまーい身内内で競争しているってことです。

階段になぞらえるなら、15段とか、20段とかが一番すごい人の世界で、5,6段しか飛べない人を馬鹿にして、9段飛べる!と自慢したところで、目くそ鼻くそってことが分からなくなってしまいます。

それこそが、このブログで、世界のツヨツヨクライマーを紹介している理由です。

スポーツ選手にとって自分の実力を客観的に位置づけることができる能力は大事ですよ。

■ グレード以外にもあるクライミングの価値

1)そもそも、屋外で太陽光に当たること=ビタミンD生成で、心身に良い

2)スキーやゴルフと比べ、自然界を傷つけることが最も少ない遊び

3)クライミング自体が、国際言語で、クライミングの手順さえわかれば世界中の人と友達になれる

4)クライミングは集中力を要するので、瞑想になる

5)バランス力を養う 

6)年齢を問わない、子供から、おじいさんまでやるスポーツは少ない

7)大人からスタートする人口のほうが圧倒的に多い 

8)非日常なので、普段使わない筋肉を使える

9)自然界に対するリスク認知が自然と深まる

10)責任感を養うことができる 

11)パートナーシップを学ぶことができる

12)国際性を身に着けることができる

誰もブイブイ言わせていないラオス。グリーンのシャツの子はフランス人だったが、初めてクライミングする、と言うことだった。誰も恩着せもしない。