■子ども3人捨てた父への許しの感情…男尊女卑社会・年功序列社会への嫌悪
最近、先祖に近しい村で、宴会に参加する機会があり、その宴会とは何も関係ない、役所の22歳の若造が、ただ若いからってだけの理由で、お酌担当で呼ばれて、私のウーロン茶の分量まで気を配って、お酌させられている様子を見て、
そりゃ、父だって嫌だったはすだわ、これじゃ、おら東京さいくだとなるわ・・と思いました。
私の父は、飲酒、DV、女癖三点セット、でしたから、私が6歳の時、正式に離婚が成立する2年ほど前から、父の記憶はほとんどなく、今までは、
父のことは覚えていないから嫌いでも好きでもない
という立場で、自分をガードしていました。というのは、父を嫌いになるように母が感情的に求めてくるからです。知らない人を嫌悪することはできないので、そのように対応していました。
ある意味、知らないということが、憎しみから私をガードしており、知らないがゆえに、憎まずに済んでいる状態ということです。実際に起こったことは、憎んだとしても、世間の基準で言えば、誰も文句が言えないようなことですが。 まぁ、今でも憎んではいないので、特に父への愛憎は問題になっていません。
問題になっているのは、私が、男性の下心を前提にした親切とそうでない親切の見分けがつきにくい娘である点を利用されそうになることです。
山梨では、クライミングガイドの人が、「俺こども6人もいて可哀そう(だから憐れんで高額なガイドツアーに参加してくれ、そして不倫山行につきあってくれ)」と行動で示し、
福岡に来てからは、「母親が俺のご飯を作ることが私の幸せだと言っている(だから、あなたも俺のビレイをすることが幸せ、だよね?)」 と行動で示される…
つまり、それらにおいて、
このんでやっている訳でない、自己犠牲を強いられた過去の状況が、なんとクライミングにおいても再現されるので、苦しみの種になって、業の再現というか、まぁそんなものになっていたのかな?という気がします。
つまり、弱者という立場に付け込まれるということです。
■ 男性=父親か弟
私は子供のころから、年配の男性は、”全部、父親”、に感じられ、年頃になってからは、子供ではなく、メスになったことに気が付かず、性的な視線にさらされることのガードが弱いのが弱点でした…。
30代以降、おばちゃんになって、もう気にせんでいいよねぇ…?と思ったら、どうも違うらしいと、最近、私より年が少し上の女性の友達に教えてもらいました。
一生気にしないといけないらしい。
■ ユニセックスに育った私は子供のころ、弟と服が同じで、いとこのお兄ちゃんのお古を着ていたので、男の子っぽく、僕?と聞かれるような女の子でした。それで十分気持ちも満足していたのです。顔つき弟と似ていた。
それを思うと、弟を失った悲しみが、ふとよみがえったりします。大人になって彼には合っていなかったので。子供のころの自分たちで、永遠に時間が止まっているかのようです。
私は、母の期待を一身に背負っていたし、育ちで女性らしくしろとも言われなかったし、大人になっても、自分の道をまっすぐ進みました。
ロボットの開発部とか、紅一点でいることが多く、ソフトウェア業界も紅一点のことが多い。もちろん、チェーンソー使いも紅一点です。その環境の方が快適って感じです。
どうです、腕が逞しい… だとしても、身長や筋力は普通の女性です。当然でしょ。もともと、弟と二人セットで育てられたので、小さいころは、男の子に間違えられることが多い子供だったので、ついでに、
あまり女性的なヒラヒラついた服とかピンク色とか苦手、
でした。
私は色々我慢した子ども時代だったので、大人になったら自由を行使して、習ったバレエは女の園。正直、女の人の扱いが分からず、最初は、色々嫉妬されたりして、苦労しましたが、私は、基本的に求道者なので、次第に理解され、バレエでもバッチリ女の園はマスターした!と思ったら、次は男の人の園のクライミング業界へ、なぜか行くことに…。
ただ今いる場所…当時山梨…で充実した生活をしようとしただけなんだけど…。
男性の心理は理解が難しく、父や弟を重ねてしまい、特に弟風情の人には、自分では普通だと思っている過剰な親切が仇に…。父みたいなタイプは逆に恨みや愛情のもつれ?が募るし。クライミングは男性の心理を知る機会になりました。
まぁ、このような男性運に恵まれない?私に、どんなレベルでも
父への許し
が、訪れたことは素晴らしいことです。
田舎の田舎者根性…変な儒教の影響のある封建制度、を嫌い、もっと広い世界に出て、自分の力を試したい!とか、自分を開花させたい!と若い男性が思うのは、当然のことではないでしょうか?
自分を頂点とするお山の大将システムを築きたい!
という気持よりも、
大海に出て、自分の真の実力を知りたい!
というほうが、例え、挫折したとしても、立派だな~というのが私の考えです。
自信がない人は、コンペとか出たがらないですよね。
こんなサイトもある時代です。■ 日本人はヨセミテ以降の外国の岩場のステップアップがないのでは?
そんな気がしてしまうのは、ヨセミテ以外の岩場のことを誰も話してくれないからですけど(笑)。
ひとつの岩場しか経験値がなく、そこの常識という名のローカルルールを貫き通すというのは、了見の狭い見方で、主張している本人は、了見が狭いのかどうか?すらも、自分ではわからない状態なんじゃないかな。
40年前から価値観が更新されてこなければ、スマホの時代に、家電の立派な機種を威張っている、みたいなことになります。黒電話がファックスつき家電を見て、やっかむみたいなことも起きているような気がします。
そうなると、スマホの人は、「ファックスつき家電だって時代遅れなのに、それですらあんなに嫉妬されて攻撃されているなら、スマホなんて見せたら殺されるかも?」と思って、もっと最新情報はいわなくなるかもしれません。
これがトップクライマーがどうやって海外遠征を実現しているのか?口をつぐんでいる理由のような気がしますね。
その場合、黒電話の人が、自ら広い世界に出て自覚を深めるしか、事態を改善する方法はないのではないですかね?
ヨセミテ以外の海外の岩場を知らないのかもしれない。ラッペルでの開拓がはじまった以降の話は、時間が止まっている状態なのではないかしら?と良く思います。
というのは、こういうトラベリングクラマーの会に日本人ほぼゼロ人だからですけど…
せっかくの鈴木英貴さんの偉業も、全然、他の日本人には活用されていないような?
■ 小川山でグレードだけで判断すると怖いルート集
さて、そのような黒電話時代で停滞しているのでは?と思える場合も、役立つのは、情報です。岩場で命を懸けるほどの重要な課題があることは、今の時代ないわけですから。
名誉…国の威光…とか、賭けて登っていた時代はうんと昔の話です。今は個人の時代。死んだら死に損、大損もいいところです。
若いクライマーは昔は会から伝授されていたと思いますが、現代は会の先輩自体が、それを知らない、という時代です…
日向神もグレードだけで判断すると怖いルート一杯です。ただ、どれがそうなのか?ということが、本州の岩場と比べて、あまり表現されていません。のっぽの開拓者の課題は押しなべて、避けたほうが良いかもしれません。
https://crackclimbing.net/archives/239
ここはアイロンさんのサイトです。ここに書いてあるのは一部で、もっとありますが、
1998年のロクスノ P43
に小川山特集があり、それを読むと非常に詳しく解説があります。
現代のトポは100岩場だけだと、不十分で、安全にクライミングを決行出来ない場合が非常に多いです。書き足す意向もないようだし、登っては行けないと後年指摘されたところも補正されずそのまま掲載されて、知らないでクライマーは登ってしまって、問題を再生産しています。
ロクスノ…図書館などが保管していないので、過去の価値ある情報が、現代では手に入らないことになってしまっていますよね…
何とかしてほしいものです。
■ 事例