2024/12/17
【エイドクライミングの実際】初めて見ました A3
2024/12/16
【ビレイ】コンペのビレイと外岩のビレイは全く違う
コンペビレイと、外岩ビレイは全く違うというだけでなく、
コンペのビレイを外岩でしたら危険
です。
ビレイ講習会に誘ったら、
オリンピックで習ってきたから
というので、ビレイを教わる必要はないという返事をもらったことがあったんだが…
その返事を聞いて…えー分かっていなーい!と思って青くなったワタクシ…
なんで、みんなが分からないのか?謎。
外岩のビレイはホントに悩ましい問題で、新人さんはもちろんビレイは信頼できないし、かといってベテランは、新人より言うこと聞かない分たちが悪いくらいなレベル感でだらりんで…座ってビレイする人もいるくらいで、
かといって、人工壁なしでは、ビレイの練習はできない…という悩ましい問題なのです。
結論、一人で登ります~になる人もいる。
あの小川山でリードソロをしていて墜落したおじさんは、大丈夫だったんだろうか…
事故を起こしても、普通のクライマーなら報告しないよなぁ…
だから、実際に報告されているより、実態の事故数は多いはずだ。
【グロービス】クライミングはインパクト投資の対象にはならない
■ グロービスの山中さんにクライミングによる地域おこしのアイディアを聞いてもらった
その感想。うーむ。
やっとダメクライマー集団に対して、赤ん坊の私を殺しかけた父親の投影による、怒りを感じずに、冷静にビジネスだけの話ができるようになってきたかもしれないが…、やっぱり、正常な脳みその山中講師が一緒に考えてくれたとしても…
地域おこし協力隊
の仕組みを使うしかない…とやっぱり、山中講師すら、考えたようだ。
だよなぁ…。
これは、今参加しているプチMBAコースでも同じで、キャリコンで、私の起業の計画を話したときに、切れっ切れっの頭脳を持っているMBA取得者の女性講師が、全く私の思考回路と同じ結論に達したので…
つまり、行き詰まり感…って意味だが…
それで、ショックを感じたのだった…。実は。かなり堪えた。
どうやっても、これで、マネタイズして成り立つとは思えないのが、
クライミング × 地域おこし
なんですよね。だから、地域おこし協力隊の制度利用しか、収入のめどが立たない。
私が他の人に薦めるとしても、そう思うだろう…
■ よそ者イジメで有名な山梨県
しかし、地域おこし協力隊制度を使うことに抵抗感を覚える。なぜだろうか?
そもそも、北杜市とよそ者、が上手く行っていない事例が多数だから?
山中講師は事業の成功イメージとして、原村の事例を挙げてくれたが、実は原村も、現場では、軋轢の種で、地元では、よそ者が来て、地域を利用して、そして収益を上げて、地元の人には何も見返りがないようにすら、見えているかもしれない…って事例なんですよね。
移住者はゴミすら捨てれない…。
移住者への風当たりが強いのは、以上にプライドが高くなっている田舎あるあるで、都会の人が思うより、田舎の人たちの、都会コンプレックスの根は深い。
着ている洋服だけでも、そのコンプレックスを刺激するし、例えば、私がバイトしていた川上村のバイト先では、ユニクロなどで身を守る必要があった… 羨ましがられると衣類ですら盗難にあう。
都会の移住者が安全のためとかで、車の良いの…Rav4の新車とか…乗ってしまうと、むしろ悪目立ちしてしまうだろう…と買う前から分かる感じというか…一番いいのは、軽トラです。どこに停めても怪しまれない(笑)。
どこの誰のものか分からない県外ナンバーの車が一晩泊まっているだけで、その集落で一瞬で噂になり、集落の全員が警戒モードに入る…っていうのが田舎の現実なんですよね。
このような、
我々とよそ者、という二項対立を外すにはどうしたらいいのだろうか?
■ 恐怖
そして、そのよそ者排他の感情と対峙するのが、私は怖い。
というのは、すでに痛い目に合った経験が豊富だからだ。
すでに山梨時代に、”よそ者”としてぼられた経験いっぱいあるからかなぁ…
アウトドアアドベンチャーツーリズムは75兆円市場なんだがな。
地元に生まれた人が、クライミングによるアウトドアアドベンチャーツーリズム開発の可能性に気が付いて、地元に生まれた人が、自分の地域を起こせれば、一番いいんだけど…。
そうなっていないのが、問題と言えば問題なのか…
とはいえ、山梨には有能な若者が一杯いるはずなんだけど。
…ということで、結局、苦悩は深くなったのだった…。
私の自己犠牲感は、地域おこし協力隊に私が就任したら、深くなるだろう…。なんせ、私はグローバルな人で、田舎の封建主義とは、まっこう価値観正反対です…家父長制って、もう、かけらも価値を感じらない… 九州に来て、その傾向はさらに強まりました。
そりゃそうだ… ビレイすらできない体たらくを見せつけられたら…誰だってそうなるだろう。
美しい山に登れるというご褒美もなく、どこまで頑張っても出口がない…と感じている【現実を受け入れ始めたクライミング界】新しい時代に適応しましょう
■ オピニオンリーダーが現実を受け入れ始めた?
古い山ヤやクライマーの抵抗感は、私も分かりますよ? 私だって、そんなことまで教わっていないでも分かったぞ?とか思いますよ…最近の若者の無知具合には…。
レベル低下。
一言でいえば、そうなりますが…。
しかし、レベル低下した相手を責めても、そこから現実は動かないのだし…。
結局、新しい現実に適応していくしかない、と思います。
ーーーーーー東秀機さんの投稿 FBより引用ーーーーーーーーー
ジムグレードと岩場グレードの乖離について
いまロクスノの岩場のルートに対してグレードの指標となるため、「テストピース」となるべきルートとそのグレードを選定しようという企画が進んでいるようです。これは素晴らしい着想だと思いますし、大いに奨励すべきだと思います。指標となるルートがあれば、新しいルートを作ってもそのテストピースのルートと対照して、正しいグレードを当てはめられると思います。
ところでクライミングルートのグレードに関してですが、岩場グレードとジムでのグレードとの乖離が大きくなっているのが現状です。全体的にはリードルートは甘く、ボルダールートは難しめのグレードになっています。これに対して「領分が違うから気にしなくてもいいのではないか」という考えもあるかもしれません。
ただしジムで5.11を登るクライマーが岩場でもそのグレードを登れると過信すると危険です。例えば現在のジムでの5.10bはウォーミングアップ的なルートになりますが、小川山では「ブラック&ホワイト」がそれに相当します。このルートはジムで5.12を登るクライマーでも容易に落とせないルートといわれています。
この乖離のため、岩場初心者が安易に取りつくとグラウンドホールする危険性もあります。またジムで5.11c(岩場では10d程度)を登るクライマーが、岩場で同じグレードでのランナウトしたルートに取りつくとケガをするおそれがあります。
岩場で事故を起こしても小川山や備中のように市民権を得ているエリアなら存続できる可能性があります。ただし徳島の慈眼寺では一回の死亡事故で岩場は立入禁止となり、奈良の柏木では長い期間登攀禁止(今は関係者の献身的な注力で復活)となったように事故は絶対に回避すべき要素です。
現状ではほとんどの方がジムでクライミングを始めています。このためジムと岩場のグレードの乖離に対しても、新しいエリアでのグレーディングはジムグレードに引っ張られる傾向が考えられます。
以下は最近私が開拓したエリアの例です。
・ここ10年以内にルート開拓した岩場は市街地からほど近く、オープンにすれば多くのクライマーが訪れることが予想されました。
・この岩場は地形的にやさしめのルートが多く、初心者から中級者を対象にしたエリアになります。
・岩場は半世紀以上前には多くのクライマーに利用されていましたが、その後、訪れるクライマーがいなくなっていました。岩はハーケンやリングボルトがたくさん残っている「人工登攀の時代の岩場」でした。そのため再整備したような状況です。
・昔は地権者からも認められていたようですが、現在では地権者の代替わりや未登記、またはダム計画(途中で中止)の用地買収のため、再度許可を頂くのは困難な状況です。(ただし再開拓して10年くらい過ぎても特にトラブルはありません)
・それでもそのエリアでケガや死亡事故が続くと登攀禁止になる可能性があります。
私は岩場グレードを引き継いでグレード設定をしたのですが、家内は「ジムのグレードに対して辛すぎる」と言いました。そのため近年のクライマーはジムでクライミングを始めることを鑑み、最近開拓した登攀許可が曖昧なエリア、もしくはレスキュー困難なエリアではジムグレードに迎合した難易度をつける傾向にならざるを得なくなっています。またケガを避けるため、ボルト間隔を短くしています。さらに終了点での「結び替え」をしなくてもいいように「カラビナ製終了点製品」を設置しています。これは高額なため悩みますが、結び替えミスは死亡事故に直結しますので、金額には代えがたいものとして提供しています。
このリードルートのグレードが甘い傾向は5.11台以下のルートが顕著で、5.12後半からは岩場グレードに近くなっています。しかし初心者レベル程、経験数が少なく、岩場でのケガにつながるのであれば良い風潮とはいえません。
リードジムのルートが岩場に対してグレードが甘めであることは、ジム側にとっては「お客さんが喜んでくれる=増客・増収」という図式があるかもしれません。ただしそれは岩場でクライマーを危険にさらす要素に結び付くことも考えられます。
またクライマーも現状では「ジムグレードと岩場グレードは違ったものである」ということをよく理解して、慎重・自重を規する必要があると思います。
ーーーーーーーーーーーーーー 太字当方
■ ジムグレードを辛くしたらどうでしょう…
思ったこと。
ジムグレードが易しすぎるのでは???
今、私は大阪で、二つ三つ、ジムに行ってみたのですが、外岩派のジムではグレード辛いです。ヒグラシさんでは、7級でムーブ必要。
別のジムでは、6級でやっとムーブ出て来るかなぁ。まぁ私は怪我のリハビリなので、易しいのがいっぱいあるほうが好都合なのですが。
ニシキタウォールでは、一瞬で張りましたが、それくらい張り合いがないと…みたいな感じも一方でありました。岩場では、ニシキタくらい攻めている感じです。
ラオスでは、エンジョイクライミングなので別に攻めていませんでしたし、それが良くて成長したんですが…。
確かにジムのほうが、グレードに対する調整は楽なので、ジムグレードを一斉に難しくしたらいいのではないですかね?
7級にもっと幅を持たせるとか…。私の感覚では、7級で5.8ですが。その辺は私はクライミング経験値が浅いので当てになりません。
■ 知識を授かるポイント(機会)はどこ?
しかし、岩場のグレードとジムのグレードが異なる、という知識は、今の新人クライマーは、どこで授かるのでしょう?
そのポイント自体が存在しない…
山岳会にも行かないし、ロクスノも読まないし…本を読まないでしょう、最近の人は。
というのが問題のそもそもの始まりなのでは?
クライミング、
という一言で何もかもを片付けてしまうので、今の人はクライミングと言ったら、
「あ、あのカラフルなやつを登るのね!」
10人中9人が返事します。それって人工壁でしょうし、それってクライミングの一形態に過ぎないボルダリングって奴。
全然言っている内容が、いわゆる外を登るロッククライミングを指していません。
ので、クライマーに対するイメージも異なり、私のほうが高度な山を登っているんですけど…3級しか登れないのに2段をノーマットみたいな初心者クライマーが下に見てきます…。
結局、グレードがあると、それで一直線に序列ができると思っているのが、人間の先入観なのです。
同じことで、ボルダリングという言葉を使わずにクライミングという一言でまとめてしまうから、人は同じものだと先入観で思ってしまいます。
用語の混乱とか、グレードの混乱とか、業界全体で取り組まないと、改善されない。
登山で、山に登りましたっていうのだって、I climbed a mountainで、登る、って言いますけど、登山で出てくる”登る”、は、クライミングで言う”登る”、には入っていませんから!!!
普通の2時間の歩くだけ遊歩道のハイキングの山しか登れない、おばちゃん登山者に対抗意識、燃やされたりして、びっくりします。
ロープが出る山、っていうのは、みんな、やっていないのに、同じ動詞の、
登る
を使うんですよ。クライミングの山と歩くだけのスキルで完結できる山は、全く別の”登る”です。
そこの誤解を登山界も、クライミング界も解かずに、誤解に便乗して、
すごいですねー
って言われて気分良く過ごして40年たっているんでは?
2024/12/15
【クライミング心理学】カープマントライアングルに陥っていますね…
■ 山岳会衰退の理由=山岳会が陥っていた仕組み
こちらのカープマントライアングルの解説の引用より、
用語の置き換えにて、ケースを検討しています。
https://www.balancedgrowth.co.jp/column/dramatriangle.php
ドラマを演じている状況は慣れ親しんだ場所。1次プロセスです。ここは居心地の良い場所です。
ドラマを演じている場所 → 山岳会
迫害者(=山岳会・先輩)はパワーを駆使して犠牲者(新人・後輩・未組織登山者)を下に落とし込むことで、自分の存在意義を確認でき、自尊心を満たします。
救済者(=山岳会・先輩・あるいは登山ガイド、クライミングガイド)は正義の味方として振る舞う自分にOKを出すことができます。
犠牲者(=山岳会・新人・後輩)は、救済者(=山岳会・先輩・あるいは登山ガイド、クライミングガイド)から気づかってもらえますし、ダメ人間を演じつづければ本質的な努力をしないで済むメリットがあります。
そして、3つの役割全てに言えることは、
オープンな本当のコミュニケーションを避けることができます。
本当の自分を勇気をもって見つめ、それに従って他者との意思疎通を行うのは、大変なエネルギーを必要とします。
一方で、ドラマトライアングルのどれかの役割を演じるのは、とても楽なことです。
これらの沢山のメリット、すなわち:
・慣れている
・相手に能力がないことで自分の能力が相対的に高く見え、自尊心を満たせる
・正義の味方になれる
・本当の努力をしないで済む
・本当のコミュニケーションを避ける
・エネルギーが節約できる
を手放すことがエッジとなり、多くの場合はドラマを継続してしまう(1次プロセスに留まりつづける)ことになります。
一方で、ドラマを演じ続けてはいけないことは、多くの人たちが薄々は気が付いています。そこから現れ出ようとしている2次プロセスとは何でしょうか。
今までは、逃げていた(避けていた)「本当の自分に向きあうこと」が始まります。
■ ここまで読んで、登山界、クライミング界の課題は何か?
・本当の自分に向き合うこと
=山岳会自体のレベル低下
=アルパインルートの荒廃
=クライミング教育の不在
=しょうもない事故の多発
=トンデモボルトなどのその他、不祥事
■ 王様は裸だ!
という役目がワタクシに…(涙)
ああ、大変でした…。
日本人は勤勉ですから、取り組みさえスタートすれば、あっという間に治りそうですけど!
■ 解消法 エンプティチェア療法
相手の立場に立ってみるという心理療法です。
各自に「なぜそのロールをとっているのか?」について考え、気づいてもらう
ここでは、自分以外のロールをとってワークしてみることが有効です。「被害者の椅子」「迫害者の机」といった具合に、3つの異なる場所を明確に定め、その間を当人たちに動いてもらうことが必須です。以下のような気づきが起きるでしょう。
<今まで新人・未組織登山者・後輩だった人>
山岳会の先輩(クライミング上位組織)のロールをとると:楽でパワフルだ。事故は、全部新人のせい(=自己責任)にすればよいのだ。
(先輩、登山ガイド・クライミングガイド)ロールをとると:楽だ。良い人になって心地よい
<今まで山岳会や先輩だった人>
新人・未組織登山者・後輩 ロールをとると:こんなに窮屈なのか。想像もしてなかった。頭が真っ白だ。
先輩・クライミングガイドなどのロールをとると:山岳会・先輩の人は怖い。この役割は安全だ。心地よい
<今まで先輩・クライミングガイド、登山ガイドだった人>
新人・後輩・未組織登山者ロールをとると:予想していたけど、それ以上につらい。
山岳会・先輩、上位山岳団体ロールをとると:パワフルだけど、うしろめたい。
【冬山入門】正月の天狗岳でスタートしましょう
■ 装備に不備があると、凍傷になります
当方が、冬山(雪山)デビュー時に通った山です。一年で3回、4回と同じ山に通う、というのが、冬季登攀デビューにおすすめの手法です。
未知の要素が多すぎると、アップアップになりますので、同じ山に通えば、雪質の違い、天候によって変えるべき行動の差…など、経験値を貯めることができます。
八ヶ岳独得、八ヶ岳固有のリスク、を知る、ということが経験値の中身です。
山小屋で歓談することで、他の登山者から、教えてもらったり、自分で経験することで、よく知ることができます。
![]() |
ここがスタートで |
装備に不備があると一発で凍傷の可能性があります。ので、事前に山道具屋さんで、相談して、最初は
ビビり過ぎ
位で行ってもOKです。徐々に過剰装備が外れて行きます。
逆に、良くないのは、過小装備です。6本爪アイゼンで行けるよ、などと言いがちですが、どうせステップアップしたら買いなおしになります。きちんとしたアイゼンを求めましょう。
靴も同じで、シングルのブーツでも行けますが、富士山へ行く軽登山靴ではさすがに無理です。
■ こうなった…第一ラウンド終了
これがゴールでした(笑)第一ラウンド
北八ヶ岳で雪の山に憧れて、独学でスタートした私の山は、神津牧場のアイスリードで、終了しました。
八ヶ岳のアイスクライミングのルートも、いくつか行きましたが、そのうちのいくつかは、この天狗岳に、初心者さん、お上りさんで、登っていた時代に、他の宿泊者から教えてもらったルートです。
それらへ行く中で、工夫して独学し、これ以上高度な山に行くには、独学では無理だ、と自覚して、山岳総合センターや都岳連の講習会に参加し、山岳会に所属しました。
その自覚自体が起きるためには?
自分の足で、ステップアップして行かないとだめなのです。
なんせ行きたいのは自分なんですから… ほかの人が連れて行ってくれるから行く、という山をやっていたら、凍傷で指がもげたら、その人のせいってことになりますが、こんな簡単な天狗岳程度でも、凍傷で下山する人も、います。
その自覚を一つ一つ作っていく、自分にとってのリスクに一つ一つ対処していく、それが、山における自信を作っていく源、です。
ロッククライミングも同じです。
自己顕示欲の山より、自分の足で作る山。楽しいですよ。本当の意味での自信もつきますし。
【クライミング界の現状】初心者とリーダー 期待するレベルが解離しすぎているんですよ
■ 歪んだ世界…
フェイスブックでは、過去の投稿を回覧でき、自分の成長を感じることができる。
今日は、二つの印象的な記事があった。一つは、九州の指導者となっている人の投稿。その人、個人の歪んだクライミング観が、九州のクライミング界に反映されているんではないかなぁ…
もう一つは、私がずいぶん昔に指導した人で、指導したというより初心者として本格的な山に導入してあげた、というほうが正しいが…その人のお礼が来た、という記事。
要するに、現代のアルパイン入門者というのは、非常に
無知で丸腰のまま
山だったり、クライミングに来るんですよ。昔の山岳会や、高校山岳部、大学山岳部のような仕組みはなく、ジムでは、ジムクライミングしか分からない訳なので、勉強熱心な人であっても、
ボルダラー → マットお金がなくて買えない
沢ヤ → 沢靴も持っていない
そんなレベルで、岩場や沢に来る、その現実を、
指導しない方針なんです
とか、
クライマーならそれくらい自分で考えてこい
とか、
自己責任
で片付けるには、100人いれば、99人が、丸腰&無知 でクライミングに来る時代なんですよ。
リスク管理についても、学ぼうという意識以前に、
学ばないといけないことだ、という認知自体が発生していない。
発生しない理由は、ナルシストやボーダーの人は感情で考えて、論理で考えないからです。
6年前の当方の投稿…
ーーーーーーーーーーー
昔教えた人からお礼が来た
もう4年ほど前かなぁ…マルチを教えて、一度だけ沢に連れて行った人から、”今もちゃんと登れています”という連絡があって、良いことしたなぁとうれしくなった。
彼女は会に私の記事を見てきてくれた人だったのだけど、その会に入れ違いで私は退会したのだった(笑)。最初にマルチを教えて自己脱出や宙づり登り返しも教えて、冬の靴も彼女にあげた…
自分が入門者だったころと比べて驚くほど無知で、連れて行くのは時期尚早で連れて行くにも行けず、だったのだが、沢の師匠を紹介した…Wさんなら、彼女をグループに混ぜてメンバーで連れて行き、徐々にステップアップさせることができるだろうということが分かっていたから。Wさんはじりじりとグレードを上げる派、で、私もご一緒した沢は1級ばかり。でも冒険要素がないわけではなく、荒川谷では初リードして楽しかった。おまけにブラックアウトして、ヒヤリハット。
新人さん…レベルという言葉が上下を感じさせるので嫌いだが、知識や体力、技術的に、誰でも段階にそって成長するものだが、その”段階”という意味のレベルに合わせて、指導するのは、まだアルパインクライミングの全体像が見えていない私には難しい…。
確保器を持っていない人に確保や懸垂下降を教えるのは、今回の事件で、時期尚早だと分かったが、彼女はギアは十分持っていた人だった。
けど、ずっとガイド登山だったみたいで、ローワーダウンされたことを懸垂下降したのだと思っていたり、トップロープで登っていたのを○○が登れたと申告して来たり、丹沢の〇〇沢に行ったというので、沢靴くらいは持っていて、入渓点くらいは分かる人なのかと思ったら違って、沢靴すら持っておらず、一人では指定した場所に来ることすら、できなかった…ので、あとで、それはガイドさんについていっただけと分かったりした。
なので、当然だが、2万5千の地形図は存在自体を知らず地図を見る習慣自体がなかったみたいだったので、少々騙された気分になった。
彼女にマルチや読図のことを教えたり、沢に連れて行ったりしたときに、結構、”わたしはこんなことまでは、してもらっていないよ~、できてて当然のことだよ~”という嫉妬心にも似た気持ちを乗り越えた…公正・中立であろうと思って…
ので、その気持ちが報われたようでうれしい便りだった。
誰かの人生に”山”をもたらすこと…
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太字と赤字は今作ったのですが、
この赤字のところですよ、指導的レベルにあるクライマーが乗り越えないといけないのは。
俺はそんなことを教わっていない
って言ったってらちが明かないんですよ。
しかも、教えるのがガイドの仕事、ジムの仕事、なんだし。
これくらい分かって当然だと、相手の自己責任のせいにして、便乗していませんか?それって、怠惰を自己正当化しているって意味。
目の前の現実が
・お金ないからノーマット
・ローワーダウンされただけなのに懸垂下降を自分でしたと誤解
・入渓口まですらたどり着けない
・地図も知らない
みたいなレベルなんですから。それに合わせて指導するのが指導力。現実を見ましょう。
そういう人たちをどうやって、安全に引き上げるか?って話なんですよ。欠けている議論は。
だから、クライマーがうんこ紙に火をつけて山火事になる。ちゃんとした山ヤなら、うんこの処理法くらい知っていて当然だろ!って普通思いますよね?
でも、ジムで始めたボルダラーが教わっていない、テント泊もできない、ラクの通り道も知らないのは、事実ですから…
なぜ、あなたが指導的レベルに立てているか?というと、登れるから(アクティブな理由う)というだけではなく、死ななかったから(パッシブな理由)、ですが、死なないというパッシブな理由は、誰からも教わらず自分で出来たのが、昔の人。
今の人は、全部言語化されないと分からないんですよ。
俺はそんなこと教わらなかったぞ、自分で自立してやってきたぞ、という悔しさや嫉妬を乗り越える時期が来ているってことです。
自分が非常に低いレベルにいることが自覚できれば、その新人さんも、自ら勉強始めます。
それを言わないで、いるから、変なことになるんですよ。
これは、日本だけでなく世界的な現実です。そりゃそうです。山岳会離れ、ジム育ちは世界的な現象だからです。
新しい現実に適応しましょう。
■ 適応した現実
これが、数年前にプレゼンシングした適応した現実…
22年12月のプレゼンシングです。
ーーーーーーFBより引用ーーーーーーーーーーー
今年発生した猛烈な台風14号が日之影ボルダーのある見立地区に甚大な被害をもたらしたと聞き、フィールドを利用させてもらってる立場の者として、何か出来るかとはないかと思案していたところ、ローカルメンバー世話人の@theranchclimbinggym.shopの清川氏より日之影でのレンタルマットのお話を頂戴しまして、この度見立地区ボルダリング支援会様のご協力の下、微力ながらレンタルパッドを用意させて頂く運びとなりました。
パッドはイギリスのクライミングメーカーMOON社のウォリアーパッドです。定番のラージサイズで、サイズの割に軽量なので、岩の上を移動することの多い日之影ボルダーでは重宝すると思います。
遠征に来られる際にパッドは大荷物で中々大変ですが、これで身軽に日之影の素晴らしいボルダーを楽しんで頂けます!また追加パッドとしてもぜひご利用頂ければとも思います。
より多くの方がこのシステムを利用して頂くことで、地元復興支援に繋がります。皆様のご協力をお願いいたします!
#Repost @hinokageboulder with @use.repost
・・・
レンタルパッド開始のお知らせ!!
見立地区ボルダリング支援会で
レンタル用で、耐久性と機能性に信頼ある、MOON社のウォリアーパッドを準備して頂きました。
これには、輸入、販売元の
@crux_importing_division 様からのプロテクト ボルダリング エリアの大きな協力もありました。
これで、比叡ボルダー、日之影ボルダー2つのボルダリングエリアでパッドをレンタル出来ます。
遠方からのボルダリングトリップもパッドなしで楽に来れる様になるでしょう!!
このレンタルパッドを収納するために見立地区ボルダリング支援会で、わざわざ専用のパッドハウスも造られました。
費用、労力共にクライマーの為にです!!
是非、レンタル利用宜しくお願いします。
明日12月17日(土)よりレンタル出来ます。
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2024/12/13
【アルパイン】ルート整備について。アルパインのルート再生してもらいたいです。危なくて行けない。
https://www.alpine-climb.jp/post/thinking-about-alpine-climbing_03
■日本の残置”文化”?
アメリカでハーケンが抜かれまくったのは、もうクライミングの歴史の本に載るくらい前の話です。
どうも、この記事によると、日本では、2024年にやっと残置について、議論が始まり、もはや、ハーケンとボルトの区別すら、どうでもいい感じにボルト乱打状態になっているような???
アメリカ: ハーケン乱打時代 → 反省 → 抜く → ミニマムボルトへ
と進まずに
ハーケン乱打時代 → ボルト乱打時代 → 今
と 日本は、来てしまったみたいです…
■ イギリスの考え方
「ナッツやフレンズ、スリングなどのみを使ってクリーンなスタイルで初登されたルートやピッチにボルトは設置されるべきではない」
「そのグレードを登れるクライマーがクリーンなスタイルで登れるであろうセクションにはボルトは設置しない」
「ルートの整備によって、そのルートの難易度が変更されるべきではない」
「初登者によって残された人工登攀が必要な箇所は、ルート整備後も人工登攀できるようにしておくべきである」
「ルート整備の際に使用される固定支点の数量は、もともとの数量よりも少なくすべきである。たとえば複数のピトンを1本のボルトに置き換えることもできる」
「ルートの整備は初登者の意志に反して行なわれるべきではない」
■ ルートの整備に、初登者の意思がどれくらい反映されるべきか?がポイント
何件も重大事故を起こしているのに、ボルトの配置を見直さない…という頑固な初登者がいてもいいのですが、その旨トポに警告していないとだめですよねぇ?
だって、
初登者と、初めて岩場に来た人のコミュニケーションツールがトポ
なんですよ?
知らされていないことで、自己責任って言われてもねぇ…
岩が欠けたのに、整備した人を責めるのは、お門違いと思いますが、5.9って書いてあって、5.9のスキルを持った人が、安全に登れないって、5.9じゃないって意味ですよね?
”俺には5.9”っていう粋がりを辞めないといけないんですよ。
5.9ってムーブ習得していなくても登れる、って意味だったけどなぁ、アイスでは。
【NVC】しあわせはすでに手の内に
■ NVC=ノンバイオレンスコミュニケーション
という手法がありますが、内容は
セルフコンパッション=自分で自分に優しくする、
という活動です。
昨日の内容は、こちらです。中尾佳貴さんという方のワークショップに参加しています。
https://www.facebook.com/share/v/18CB6PhnDA/
■ 達成感、以外の価値
私は、登山は、雪の山からスタートしたのですが…、自分の中では、最初から、
達成感以外の価値
を追い求めてきたつもりでした…ところが、他の人からは、
達成感マニアックな人
である、という”レッテル張り”を受けることが多かったです。
お上りさんのころの西穂独評 ウエアもまだ持っていないので普通の服■ 他者の投影(期待)を生きるのが嫌 = 母の投影を生きるのが嫌
なんか違うな感があったんですよね…それは動物的勘だったのかも?
「〇〇さん(私のこと)は、努力で今までいろいろなことを達成してきたひとですからね」
という”励まし”とか…。
え?全然違うけど?!
他には、
「また、アシュタンガヨガも、達成されるんでしょうね…」
という”羨望”あるいは”非難”とか、はては
こんなのもあった…。
「また、目標を立てて達成するのかよ…(ダメな奴)」という”非難”や”軽蔑”とか…。
これらは、全部、その人の
努力できる人が正しい
のに、俺はできない…
ので、お前がやれ…
という”投影”だったみたいです。その投影が私になされたとき…なんか違和感。
私が行きたい方向性ではないところへ、向かわされそうな気がしました…
特にはっきりしたのは、スピードクライミングのコーチなんかを
誰でもできます
とかで、なんか押し付けられよう…としているような気配があったとき…
だって、アルパインのクライマーにスピード競技って??全く水と油ですよね?
逆から見えれば、それだけ、九州で出会った人たちにとって、私というイメージが
成功者(風)
に見えていたということですね。相手の勝手なイメージですが。
だから、私がグレードを追い求めないと、”なんでだよ!お前は、”努力の人”でないとダメだろ”と相手は怒ることになる。
クライマー界全員がこぞって参加している競争が、現在のところグレード競争だからです。
キリがない競争…満足もない。
報酬と罰の強化…になっている…。
そうなると、どう考えても挫折しか待っていませんよね?
”ありのままの私”、”3年で5.10代を登る私”、”普通のクライマーである私” を受け入れてもらえなくて嫌だった…!!!
最初っから、私はグレードはどうでもいいんですよ。雪の山が好きだから行っていたんで。
なので、九州で雪の山がないから、なんかつまんないなーと思う。そりゃそうだ。
40代スタートでもクライミングが楽しめること、それが私の価値なんで。
私があなたの理想の投影を生きないからと言って、私に向けて、要求されても、困ります…
■ 中尾さんの言葉
ーーーーーーー
<やる価値があるものは、下手くそでも、やる価値がある>
そう考える人は少ない。この言葉は非暴力コミュニケーションを体系づけたローゼンバーグ博士の言葉である。
多くの人は他人と比べて優れていることや自分が納得できるレベルであることを重要視する。
しかし、それではそれ自体に「やる価値」があるのではなく、「上手な人がやるから価値がある」ということになる。
そんなことを気にしているのは一部の大人だけだ。子供を見ればすぐに分かるだろう。彼らは周りの子供たちと比べたり、大人と比べたりすることなどせずに、真剣に無我夢中にそれ自体を楽しむ。そんな子供の眼を大人たちは何度も見てきただろうし、自分自身もそうだったはずだ。
しかし残念なことにそんな子供たちのイキイキとした眼を奪うのは大人たちの評価であり、レッテルである。そんな経験をあなたもしてきたことだろう。被害者として加害者として。
ーーーーーーーーーー
■ 中尾さんはヒマラヤを歩いてきた若者でした
この中尾さんは、ヒマラヤのエベレスト街道につながる、その前座のテンジン・ヒラリートレイルで、中腹の町をつないで、古い古道を歩いてきた人でした。
で、情報もないのに、そこへ行ったことに、充実感を感じたそうです。特に、3パストレイルには、情報がなく、とても怖かったそうです。
しかし、ヒマラヤに行ってみると、偶然、エベレストを良く知っているガイドさんに出会い、その人がちゃんと教えてくれたのだとか…。それに、強い喜びと生きていく強さを感じたそうです。
求めよ、さらば与えられん、な感じというか…。世界は豊かで大きくて、望めば、それは実現する、ということです。
みなさん、最初から、実現をあきらめていませんか?
もちろん、50代、60代になって、5.12目指すというような、非人間的というか、チャレンジする怖さはないが、超人的と言われうるもの…いうなれば、
”すごいという賞賛ばかり” 求めていますよね???
そんなの、私は求めていない。与えてもいない。
どこにも冒険がない山は好きじゃない。
いわゆるチャレンジって、ただのスポコンで、ただ未知への怖さを乗り越える必要はなく、つまり冒険精神がなく、ただ肉体の辛抱だけ乗り越えれば、もしかして達成できるかも?みたいなことに望みをつないでいませんか? まるで人間であることを超えようかとでもいうように…。
そんな、非現実的な望み、望んだことはないですよ。私の山の達成において。
そこの切り分けがみんなできないのではないかと思うのですが…。
というより、
やりたいことだけど、知らないから、怖い、
という恐怖に打ち勝つということです。英雄気取りするためのすごいではなく…本当の勇気のこと。
これに負けてやらないで済ませる人こそ、ほんもののカワード、臆病者、です。
パソコンが怖いからって逃げているのは誰です?
■ 8割くらいのことはやったことがなくてもできる
私の感覚では、物事の8割くらいは、やったことがなくても、できるもの、です。
かくいう私も、出張先のウェリントンで、クライミングしてみる?と水を向けられ、えー?無理無理!!!と、首をブンブンと横に振ったのでした…
でも、今じゃその辺の人より、登れますからね…。
そう… 私が強く、クライマーにお勧めしたいこと、特にクライマーじゃなくても、日本人全員にお勧めしたいことも同じことです。
怖がらず、試してみよう!
そして
色々な人に助けてもらおう!
ってことです。
願っていれば、多くの人にあなたのしたいことが透けてみえたり、何がしたいことなのか?を語ることになるので、それを聞いた人から、助けは来ます。
でも、最初、ちょっと怖いのです。
その恐怖をなしでやろう…と期待していても、無理なんです。
なぜなら、怖い!っていうのは、誰にでもあること、で、知らないことが怖いのは、ほとんど、動物の必然だからです。
でも、行ってみて、やってみれば、全然そんなことはなく、怖かったのは、
思い込みだったんだー
と8割はなります。
■ 山をやる人間に悪人はいない、は嘘
私は、山ヤはみないい人だ、とか、クライマーはいい人だ~というのは、いつもそうではない、ということを今回は学びました。
九州ではいまだにカットアンカーを用いて開拓しており、
大ランナウトで小川山コンプレックスを解消しようとしており、
山岳会はどこも頼りにならず、
クライミングジムは素人さんの集まりで、
訪問外国人はロープもビレイ器も持ってこないで、
ローカルクライマーの善意にぶら下がってクライミングしようという、ちゃっかりした輩ばかっかり・・・
のようでした(笑)。
さて、セルフコンパッションの考え方が以下です。
■ 左が自己批判 → 右がセルフコンパッション
・自分なんて苦しんで当然だ → 誰だって苦しむときがある
・上手く行かないのは自分が悪いからだ → 困難から学んで成長できる
・自分の能力が低くなければこんな風にならなかった→どれほど立派な人でもみんな苦しい経験をしている
・人生は苦しいばかりで希望などない → 人生に困難はつきもの
・こんなに人生が上手く行く資格はない → 私にもみんなと同じように人生をうまくやる資格があるはずだ
・そのうち悪いことが起るに違いない → 先のことは分からない
・上手く行ったことは偶然だったといずれバレるに違いない → 誰かが私を本当に理解してくれれば好きになってくれるに違いない
・自分が上手く行って喜んでいるのをみられたら、その人に嫌われてしまうだろう→私を嫉妬する人がいたとしたら、その人は自分の中にある美しいものを認識する方法を学んでいないからだ
■ クライマーバージョン
・クライマーなんだから苦しんで当然だ → クライマーでなくても、苦しむときがある
・上手く登れないのは自分が悪いからだ → 他に登れない要因があることもある。
・自分の能力がクライミング能力が低くなければ、落ちなかった → どれほど立派な人でも最初は新人時代を経験している
・クライミングは苦しいばかりで希望などない → クライミングに困難はつきもの
・こんなにクライミングが上手く行く資格はない → 私にもみんなと同じようにクライミングをうまくやる資格があるはずだ
・そのうち大怪我するに違いない → 大怪我する前に考え方や行動を修正しよう
・上手く登れたことは偶然だったといずれバレるに違いない → 誰かが私を本当に理解してくれれば、一緒に登ってくれるに違いない
・自分が上手く登って喜んでいるのをみられたら、その人に嫌われてしまうだろう → 私を嫉妬する人がいたとしたら、その人は自分の中にあるクライマーとしての宝を認識する方法を学んでいないからだ
【フレッドベッキー化】Happyクライミング♪ クライマーはクライミングだけしていればいい?んなわけないじゃん。
2024/12/12
【クライミングによる地域おこし】町は町民のもの、という視点がすっかり抜け落ちている?
■ロクスノに掲載の、日本アルパインクライミング協会の瑞牆・小川山集会の報告書
最近ロクスノに載っていたんで、ネットに上げておいてよ~と思いつつ…
読んだんですが…これだから、上手く行かないのだろう…と思います。
理由1)
町の代表者(行政職員)は、町民を代弁しているわけではない、ということに無自覚だから。
たぶん、都会の感覚だから、だと思うのですが、日本って民主主義ですよね?で、民主主義っていうのは、国民が主権をもっていて、官僚とかが持っているわけじゃないですよね?国家公務員って国民の代表?違いますよね?
同じことで、〇〇町だったら、町民を代表しているのは、〇〇町議。市だったら、市議。
それでも、代表している感じは少なくて、組長レベルまで下げないと、町の人たちは自分たちの意見が取り入れられているって考えないんですよ…。町長レベルでも、微妙で、もっと小さい集落に田舎って言うのは分かれているんですよ。椎葉村なんて、村の中に18個だっけ?別々に集落があり、それぞれ個性も考え方も違う、という合衆国状態…つまり、まさに衆が合わさった、状態でした。
ので、細かいことを言えば、須玉町と増富町では、たぶん、何をどうメリットと考えるのか?、事情が違うんですよ。
そういうのは、住まないと分からない…。誰が有力な人で地域で発言権が強い人、頼られている人、人望が篤い人なのか分からない…。
理由2)
その結果、全く地域の一般住民はスルーされれており、ついでに地元の山岳会ですら、ほぼスルーされて、山梨県岳連に連絡しておけば、義理は通したぞ、程度のことになっており、
行政と、有志という名の東京方面の”勝手に”(…と田舎からは見える)トポを出したクライマーと同じく、”勝手”に(…と田舎からは見える)名乗っている協会…なんとか協会とやらが話し合ってるぜ、と地元に人に言われても、仕方ないよなぁ…
議論から、疎外していることは、事実だからです…。
なぜ、組長、町長、須玉町、増富町、と話をしないのでしょう?
町の未来は、町の人々が主体性を持って決めるもの、なのに…
なので、これまでも上手く行かなかったのはこのような都会からのクライマーのアプローチの方法にあったのではないでしょうか?
もちろん、クライマー側は、義務感というか、責任感からこのような活動を立ち上げたのだと思いますが…。
一人一人のおじいちゃん、おばあちゃんと接する立場の人と話をするのが大事ですよ。
これじゃ、例えば、話がまとまったとしても、
明日からこうします、と上から言われた
という印象になってしまい、
そんなの聞いていない!
と地元の人々は反発を感じる結果になっても仕方ないよなぁ…
と思います。
心配だなぁ…。
■ クライマーは基本、共感力がない=相手の立場を考える力が弱い
逆の立場になったらどうです??
昨日まで、裏山で茅場だった林が、ここは国立(県立・市立)公園内だし、
「クライマーや登山者にも、権利があるんですから!」
とか言われて、町や市、県が、予算を使って、勝手に整備し始めたら、住んでいる人は、
えー、聞いていないよ? そのお金、俺らのカネよ?
ってなりますよねぇ?実際そうだし。
乗っ取られた感を相手が持っても仕方ないですよね?
そもそも、そういうことを起こさないために
○○協会
なり、なんなりの存在意義があるのでは?
■ 古い開拓者にも情報が行くように…
ロクスノ値上がりしていませんか? 情報が無料の時代に…1980円。え?!クライマーって、ビンボーの同義語でしたよね?な感じで、びっくりの高額雑誌なんですが。
日本アルパインクライミング協会の報告書くらい、重要な情報なら、ネットに上げないと、みんなに読めることにはならない。
公益事業なのなら、なおさら。
もし、瑞牆が、全国の岩場の模範となる、規範となる岩場になる予定だったら…つまり、厳しい倫理規定あり、ということですが…瑞牆プライドみたいなもの…
それに他の岩場も追随してね、と思うなら…
それは、誰もが見て確認できる状態にしておかないといけない訳ですよね?
お金払わないと、何がどう報告されたのかすら分からないのであれば、一般の村民、町民は活動内容を見ないのは、当然のことでしょうし、同志である全国のクライマーすら、九州みたいに、遠かったら、俺カンケー無い話、って思って、見ないでしょう…
しかも、ロクスノって一般書店には販売されていませんし。わざわざ取り寄せないとみることができない。超高額の雑誌というよりは、ほぼほぼ 同人誌、ってことですよね?
大体、図書館にすら、入っていないし。
だから、みんな、買えないし、買わない。そうなると?
浦島太郎みたいな岩場が全国の僻地で、発生することになる。
ネットに上げるなんて、今時ただなんだから、読みたかったら買え!みたいな、せこいことしないでいいと思いますよ。
もうすでに、応援代、募金みたいな感じだもの。豊かな人が買って支え、ビンボー人はネットで見ればいいのでは?
なにしろ、名誉の記録のためにある雑誌で、ほとんど一般クライマーに役に立つ情報は載っていない雑誌なのですから。
地域の市民の皆様は、全く考慮に含まれていないようだった、クライマー会議の報告書…【クライミング心理学】 説明し続けようとする心理にハマっていました…
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いのち軸で自己肯定感を育む
心理カウンセラーの南ユウタです。
ナルシシストやボーダーラインの人の考え方や行動は、非論理的で利己的なことがよくあります。
感情的に未熟ですので、「子どもっぽい」ところがあります。
健康な人なら、ナルシシストやボーダーラインの人とかかわることがあっても、そうした子どもっぽさに対して怒ったり、困った顔をしてため息をついたりして、最終的には離れていきます。
ナルシシストやボーダーラインの人の非論理的な言い分に対して、
「正してあげなきゃ」と思ってしまいませんか?
そして、長いことそういう
実は、それもナルシシストやボーダーラインの人と
加害者、被害者、救済者の3つの役割をくり返して抜けられなくなる「人間関係の昼ドラ」にハマる罠です。
僕も、高校生や大学生の頃、相当な時間とエネルギーをそういうことに費やしていました。
当時は言葉にしていませんでしたが、
あなたも、そんな風に信じていませんか?
実際には、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路の大きな特徴は
論理的に考えられる時もあるけれど、非論理的な時も多くあります。
「そんなこと、普通の人でも同じじゃないか」と、思う人もいらっしゃるかもしれませんが、ナルシシストやボーダーラインの人の思考回路のランダム性は、そんなにかわいいものじゃありません。
非ナルシシストや非ボーダーラインの人なら、非論理的に考えふるまった後に、「あっ、これはまずかったかな」と気づく確率が高いですよね。
さらに、自分のふるまいが相手をどんな気持ちにさせたのか、想像がつきやすいです。
「私のあの時の言動は、きっとあなたを傷つけ、不快な気持ちにさせたよね」
ところが、ナルシシストやボーダーラインの人は、これがとっても苦手なのです。
また、思考の特徴として「自分を中心にしか考えられない」というものが出やすいです(いつもではないですが)。
こういう時のナルシシストやボーダーラインの人は、「論理でもの考える」のではなく
だから、どうしても被害的に受け取ってしまうこともあります。
そんな状態の人に、論理的になるよう説得をしながら絡み続けると、
そもそも、救世主を求めている段階や、救世主を実際にそばに置いているナルシシストやボーダーラインの人は、セラピーや心理治療の場にほとんど現れないです。
「自分で自分をよくしよう」とセラピーの主人公になっていないナルシシストやボーダーラインの人を、説得するのは無理があるし、原理的に不可能です。