2024/07/05

【クライミング教育】クライミングの3原則って何だろう?

 ■ 才能は、どんな場所にいても芽生えるものだ

ギンちゃんのたけちゃんねるでの対談を聞いていて、

 ギンちゃんは一体どういう経緯で、九州人なのに、アイスのクライマーになったんだろうなぁ

と思いました。

実は、中津で、ギンちゃんにクライミングを教えたという、池田さんに会いましたが、池田さんが登っているのは八面だし、ダイハツアリーナだし、アイスクライミングは全く関係なし…。

知らなかったらもぐり、というような名誉ある老舗山岳会の中津山岳会も、私が山梨で所属した御坂山岳会とあまり変わらないのではないだろうか… 要するに活動実績は、遠い過去のもので、現代版の活動は実績出せなくなっているってことです。

山岳会は、参加するほうがむしろ危険な存在に九州ではなっており、教育ゼロで、イケイケなので、ビーコン持つみたいな意味しかなくなっているようでした。いやビーコンより悪く、参加するほうがむしろ、危険にさらされるでしょう…つまり、危険を予知してやる側に、新人が押し込まれそうだということです。

福岡で有名な高田さんが育てたクライマーがフランベという会の若い男性ですが、まったく現代フリークライミングのレベル感を理解しているとは思えなかった…。

山梨だったら、5.13登る人はゴロゴロしているので、もっと上手にならないと、天狗になることができないレベルで、九州では天狗になることができてしまうので、とっても自信があるのですが、それは、周囲に強いクライマーがいないからなのではないか?と思えました。

なんせ、強いクライマーと言えば、代表者みたいな、小山田大さんすら、なんか80代などの、目上の人にいじめられていそうな気配でした。庵では、大という言葉を出すな、とすら、言われたんですよね…。その辺の経緯も聞きましたが、なにが悪いのかな?と年配の人の側が怒る理由が分からなかったです…。

■ ヒエラルキーではなく、多様性

年配の人は登山者とクライマーは別、登山者とマウンテンバイクの人は別、トレランの人は別人種、と対立の構造ばかりで、多様性、とか、多文化共生、いうのは、分かっていないと思います。

九州では、危険予知はおろそかの一言です。なんせ、さして先鋭的でもない、家庭的な会の会長さんが、「祝子川は、スポーツルートみたいな沢だから、2名でも気にせず行って来たら?」なんて頓珍漢なことを言ってしまう程度の、理解度なんですから…。

ギンちゃんみたいな世界的クライマーが、そのような地で、誕生したということ自体が、奇跡だよなぁ~と思いました。

倉上さんもそうですが、なんで、新潟でボルダリングやっていて、ハイボル?むしろ、沢ヤになるとか、地の利を生かしたらありそうですが…。

■ 縦走→冬季→アイス

私は、もともとは、縦走が好き、歩く沢が好き、な逍遥派です。だから、ある意味、歩きの山しかない、九州にぴったりな登山者ですが…、低い標高の山は歩く気になれない。九州で夏山って不快って意味だよなぁ…。阿蘇まで行っても、暑いです。夏は歩かないで、沢で冷えているのがいいんでは…?

しかし、山梨でクライミングをスタートしたので、山梨では下界でもクライミングが良いので、クライミングをたしなむことになりました。山梨で味わうべきはクライミングだからです。

山岳王国の山梨は、ほかにもブドウや桃などの、有力な産業がいっぱいあるので、クライマーはひっそり、日本で一番良い環境を秘密裏に満喫できるかも(笑)。あんなに狭くて人口少ないのに、クライミングジム、5つもあるし。

おかげでピラニアがホームジムで、日本でトップクラスのクライミングを味わうことになりました。初心者で。

そんな環境では、室井さんは、俺はすごい奴なんだぞーオーラがゼロでした。

九州の人が何の知名度も実績もないのに、すごい奴だと言ってほしそうなのと正反対です。

■ 独学に適した環境

しかし、口の悪い人に言わせれば、現代は、いろいろなクライミングに関する書籍が出ていて、ちゃんと勉強する気になれば、先生が誰もいなくても、ある位程度は分かるはずだ!と言います。

私もそう思います。本で調べるほうが確実。

年配の人に聞いても、無駄な時が多いですね。実は、初めてロープを買うとき、山岳総合センターのセンター長が、

 最大衝撃荷重の値の小さい物がよい

ことを、大きいほうが良いと勘違いしていたことがありました…。要するに古い人は、ロープの性能がうんぬんという世界にはいなかったんでしょう…。落ちる=死ぬ、一択で。

でも、今はネットでも書籍でも、ちゃんと情報収集ができます。

しかし、そうなると、ちゃんとしているかどうか?は個人次第、なのですよね。

■ テキトーな花束と整えた花束の差…原則を教えることの大事さ

こちらの画像は、かってきたばかりの花束と私が活け変えたものです。
  • 葉の裏を見せない
  • 花の高さを変える
  • どこから見るか?を意識して、見える面を確立する
の3つのアドバイスを実践しただけで、この差。

クライミングを学ぶときに、

原則を教えてください!

とだいぶ何度も、年配の人にはお願いしましたが、誰一人原則を教えてくれた人はいませんでした…

私が知りたかった原則って、花を生けるときのこの3つみたいなものです。

花の原則は、Youtubeで花道の家元がしゃべっていました。

西洋フラワーアレンジメントではなく、生け花の人です。

それを取り入れただけで、こんなに良くなるんですから…

クライミング界にも、

3原則

くらいのことは言ってもらいたいなぁ…

新人さんのために…。

一般的なクライマー連中がなんで、ダメダメなのか?は、もうすっかりわかりました。

ナルシシズム × 同調の弊害

でした。

なので、今はトップクライマーから、どうやって正しい道を見出したのか?を抽出することに興味があります。

たけちゃんねるで、次は、誰になるのかなぁ… けんじりくんも出たし…。女性アルパインをやっている朝子さんってクライマーさんいますけど、その方とかどうですかね?

なんかいろいろ、成功事例となっている人たちに話を聞いてみてもらいたい気がします。



2024/07/04

【トレーディング】債券にシフトしましょう

  ■ 変革

そういえば、医師のうつみんが、都知事選に出馬のニュースを聞いて、大変好ましく思いました。

https://youtu.be/f8WhuyBiIhw?si=qD7v-GmLqMwO0geJ

参政党が内部分裂して、入れる先がないなぁ…と思っていたので。

農業にしても、政治にしても、日本国はこの40年ほどおかしいようです。

私が大学にいたころ郵政民営化の小泉首相が改革があり、そこから日本の停滞がスタートしていますが…私は国立大学にいたので、非常に激しい大学側の抵抗を見ていますが、つぶされ、外大はなくなり、阪大になりましたが…外務省入省のためのセミナーなどにも出ましたが…え?っていうレベルの低さでした…。結局、日本人の無能化がかなり進んでいる。

その後、私は社会人になりましたが、日本の一流企業である松下では人材流出で、優れている人から出ていく、という話でしたし、私がいた外資で知ったこと(=日本国民だけが無知化されている)や、三井物産で知ったこと(地方行政は食い物にされている)、クライミングで知ったこと(日本だけが40年前で時が止まっている)を総合して、結局のところ、何が起っているのか?というと?

 日本の指導者層が庶民を食い物にしている…

ではないのだろうか?と思ったりします。

そんなの私が感づいたくらいですから、誰でも分かっているのですが、それを言語化できるには、生命線を握られていない必要があり、それには、医師になるくらいの食い扶持の安定・自立が必要です。

私なんて、九州クライミングがエイドクライミングで時を止めている!と指摘しただけで干されたくらいなので、何が起りうるか?というと、結構ひどいことが起こりうるんだと思います。日本国民ってみんなで泥船に乗って沈むってのが好きなのか、おかしいよ、と指摘すると、指摘したほうがおかしいことにされてしまいます。

これにはガスライティングと言う名前が心理学でつけられています。

■ 若手クライマーが広い視点を得るには、どうしたらいいか?投資がおすすめ。

私は、国立大大卒で、しかもその大学の図書館で働いていたので、どちらかというと大学側の立場を知っていますし、その後は松下でエンジニアですし、10代からインターネットの住民、つまり情報は得ていて、海外暮らしの経験もあり、外資や調査の仕事があったので、海外の情勢を見聞きする機会もあり…という、情報と言う意味では、比較的恵まれた立場にいました。

そうすると、コロナになっても、なんか胡散臭いなと思ったりします。

例えば、コロナでっち上げみたいですよね… アンソニー・ファウチ氏がスケープゴート化されています。

https://amzn.to/3zoKGr0

9.11も、でっち上げだったというのが、だいぶ後に暴かれて、映画にもなっており、今では、アメリカ人は誰も、オサマビンラディンが犯罪者だとは信じていないですが…

しかし、日本一般国民は、そういう経験値もない…。与えられる情報も歪んでいる。

そのこと自体に気が付いていない。

■ 上の世代は羊… ちょっと脅されるとすぐ靡く、ゴールデンカフスに縛られた羊

市役所勤めだった2番目の師匠は、小池知事の出馬を見て「いいかい?上の人に任せておけばいいんやで。あの人ら頭がええんやから」という意見でした。

え?!まさか!です。

小池さんって、東京都をダメにしている第一人者ですよ…?

つまり、私の父親世代はこのような思考力しかないのです…。ナルシストは、知能が低いことも、ありますが、知能が低いことが、ナルシシズムを強化しているかもしれません。

私はこうした人が世界をきちんと理解できるためには、

 トレーディング

がおすすめだと思います。投資は、お金に直結するので、どんな人でも必死になるでしょう。トレードの世界は、世界を反映しています。世界情勢を理解するために、欲を使うという手です。

現代の若い人の情報力があれば、正しい情報に手が届くのは、すぐだと思います。

■ 高橋ダン

私のお勧めは、何人かいますが…大井幸子さんと、田中泰輔さんは紹介していますが、高橋ダンさんもおすすめです。

https://youtu.be/OVqWo5ETfY8?si=ij3A6QjepYpb7EX2

彼の戦略は、債券とコモディティ、です。これは大井幸子さんの意見とも重なります。

高橋ダンさんを見る度に、なとなく知り合いのアイスクライマー、門田ギハード君を思い出します。二人とも新時代の日本人と言うか…とってもたくましくて好感しています。

昨日は、たけちゃんねるで、ギンちゃんの対談を見て、うれしかった☆

■ 今、転換期です。

最近、終に逆イールド解消しつつあります…

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-10-05/S21R9FT0G1KW01

私が投資に参入したのは、23年で、まだ1年もないキャリアですが、

 逆イールド解消は世界的恐慌の前兆

とされ、日々チェックしているのは、逆イールドがいつ解消されるか?ということです。

解消で、恐慌は歴史的にみると確定なので、投資資金を引き揚げないといけません。上がり続ける市場はないのです。

しかし、今回の恐慌は、前回のリーマンショックで、ショートに掛けて大儲けした人がいるので、たくさんの人がショートに入れるタイミングを計っています。

ちなみにショートに入れる、というのは、株価が下がるほうに掛ける、という意味です。

多くの人が大金持ちになるチャンス。

気になる人は、映画の『マネー・ショート』を見てください。

今のうちにショートに入れる方法を学習しておけば、役に立つでしょう。

■ 若い人はトレードを

投資、というよりも、トレード、と言ったほうがいいかもしれません。ネット証券会社で、株式や債券などを、買ったり売ったりして、利益を得ること、です。

暇じゃないとやりたくないかもしれないので、毎月1万円づつ、投資信託に入れるだけでも、貯蓄以上の成果が得られると思います。

ここ数年は、ガチホはなし、です。というのは、市場サイクル的に、大暴落前夜、だからです。

米国市場は、おそらく大統領選までは上げ基調です。11月ですね。

7月は、サマーラリーと言って歴史的に例年上がる時期ですが、私は今年は投資はお休みです。山に入るので。

あずけっぱで何もしないというのは、過去20年くらいはOKだったのですが、恐慌前夜にあずけっぱにするのは、アホです。

私がトレーディングをしてみて思うのは、トレーディングとは、波がある株価のどこを切り取るか?という活動だということです。上がり基調を切り取らないと。

下がり基調を切り取ったら、ただ、損失を受けるばかりです。

■ 円安?

円安は、円キャリの影響です。

https://youtu.be/z3pFsaW3MUE?si=QIl0qIiWwk-4aq4G

そして円キャリは、歴史的に暴落の前兆です。

こういう投資市場の歴史的流れについては、田中泰輔さんが解説しています。

登山やクライミングもですが、何事でも、歴史をざっくりでも学んでおかないと、今起きていることがどういうことなのか?把握できないと思います。

■ 歴史を学ばないとモノサシがおかしくなりますよ

”かっこいい”に魅せられた男性(=ナルシスト)は、何がかっこいい行為なのか?を理解する前に、隣のクライマーと同じことをしようとしますよね?その結果、カッコ悪い行為をその近所全員でやることになってしまう。

九州で見かける40mランナウトとか、その事例です。かっこいいとみなされているのは、その小さなコミュニティ内部だけですよ?

その外に出たら恥ずかしくなるでしょう。

なんせ同じモノサシ…ランナウトするほうがすごい、でも、いいです…そのモノサシ自体がカッコ悪いと思うけど…まぁ100歩譲って…、そのモノサシでかっこいいとしましょう。

で、5.14でランナウトしているのがトップクラスの時に、5.8で自慢しているんですから…。

え?ちっさ… って私が感じるのは、この点です。

■ 歴史転換点

話がそれましたが、現在、トレーディングの市場でも歴史的転換点にいます、という話です。

2008年のリーマンショックの10倍の規模の恐慌が来ると言われています。

衝撃に備えましょう☆

東京にいる人は投票に行きましょう☆

若い人はトレーディングして歴史的視野を得ましょう☆

クライミングに現実逃避するのは、やめましょう☆




2024/07/03

【日記】今の私があるのは自分のおかげ80% 無数の皆さんのおかげ20%です

■ 2019年7月2日の投稿…

正常な判断力を持っていた2019年当時に大体、回復してきました☆

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誰のおかげか?

一番目の師匠は、私は岩場で会いました。感謝はしていますが、「弟子にしてください」とかって、私が頼んだわけではなく、「勝手に山に登りますので、結構」と言っていたのに、「いや、山には師匠が必要ですよ」と説得されての押しかけ師匠でした。思えば、心配だったのだろうと。どこでもいいから山岳会、入って、と言われましたが、その入った山岳会では、一回目の山から、私はガイドする側でした。このころは相方ができて、その相方が分不相応にすごい山に行きたがるので、決裂。

2番目の師匠も押しかけ師匠でした。頼んでもいないのに、レスキューを一杯、教えてくれて大感謝☆ ステキ☆と、目がハートマークになり、歓迎しました。

が、どちらの師匠も、別に私が「弟子にしてください」と言ったわけじゃないんです…。どっちかというと、向こうから勝手に来た。

それに、1番目の師匠は、人工壁に通うと、ぐちぐち文句を言って来たし、2番目の師匠は、私がしたいアイスクライミングのリード練習をさせてくれないし、どう考えても、なんか変…コントロールしようとして来るので、嫌でした。

登攀力が足りないなら、補わないと困るのは私だし、リード練習したいのは、クライマーなら普通のことです。

私が先輩なら、後輩がしたいようにやらせます。それが先輩のあるべき姿と思う。

ので、結局のところ、今の登山者としての私があるのは、一番大きく、誰のおかげか?というと、

  私のおかげ

です。 

UIAAのトップ、スティーブ・ロングさんとも知り合いですが、なんでか?というと、インスボンで登った時に、アルパインサマーと言う教科書が韓国語で出ているのをみて、

 なんで韓国語があって日本語のがないのー ゆるせーん!

と、私が勝手に思ったからで、別に誰から紹介されたわけでもなんでもない。師匠2は、私がその本を発見した時、一緒にいましたが、素通りです。目の前にあっても見えるものは、それぞれ違うからです。

ので、私みたいな、ちんちくりんの人がなんでクライマーなんだよ?!と、腹が立つ人もいると思いますが、そして、私だって俺だって…と私と比べてしまい、言いたくなっていると思いますが…今のクライマーとしての、自分を形成するのに

誰のおかげだったのか?と言えば、8割、自分のおかげです。

I am proud of myself!

誰に一番世話になったかと言うと、自分に一番世話になりました。

その他は、無数のみなさんのおかげです。

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■ B12欠乏による悪性貧血

22年2月に鬱のアタックがあり、希死念慮再発して、そこから回復に2年5カ月目。ヴィーガンに入っていたのは、2018年からです。ので、4年でB12枯渇。ビタミンB群は、体内の細胞に貯蓄されているみたいです。

つい最近も血液検査、受けてきたところです。B6のインバランスが改善されていないのは、腸内環境の改善がまだだからだと思います。

■ ビタミンB12の真実

・胃酸が出ていないと吸収されない

・胃酸はたんぱく質からできている

・体内貯蔵は5年で枯渇する

胃で生産されるタンパク質である内因子と結合しないとB12は吸収されません。 内因子がないと、ビタミンB12は腸を通過し、便と一緒に排出されてしまいます。

■ 福岡でもっと上手くやれただろうか?

一昨日は歩きたくなって、ももち浜に行ってきました。

もし、山野井さんだったら、自分軸がしっかりしているので、ももち浜と油山しか身近に自然がなくても、着々と自分の山をやれるのかもしれないなぁと思ったためです。

しかし… 何回見ても、魅力がない場所でした。

要するに、私にとって、甲府の愛宕山の裏山は、油山と同じ標高でもトレーニングに使う気になったが、ももち浜ではやる気減退ってことでした。

今、福岡が何か?を知っている目で見ても、とても魅力がない場所でした。福岡よりももっと魅力がない大都会の大阪でも、暮らしたことがありますが…やっぱり、福岡は私の町でない感じですね。福岡大好きとは思えないですね。

しかし、かといって山梨が大好きか?と言われるとそれも困りますね…

日本では、私が住みたい!根っこをおろしたいという町はないかもしれません。流れ流れていきついた先でいいかなーみたいな感じかな~

なんせ、私がホントに欲しいのは、ビクトリアンレイディーズなのです。古民家とかいろいろ見ていますが、まぁ魅力に欠け、頑張る気になれません。

ので、全く徒労な日々だった…。

最近、脱出し始めました。

■ 納豆


今日は、自家製納豆仕込みました。もうすぐ山、ってだけで気分はうきうき☆

山にいると何か、先祖の集合意識に近いような?抱かれている、ような、そんな気持ちになれますよね。

海外との接点があると、日本人の日本人性は何にあるのかな?と感じたりしますが、

 日本の細やかな自然界の美しさ

は、日本人の日本人らしさを表したものであると思います。

その細やかな自然の元で暮らすのは、意外に大変なんですが…それでも、日本の先祖は、なんとかやりくりして次世代につないできて今があるわけですよね…

そのヘリテッジが失われつつあるのは、非常に悲しいですが、時代を乗り越えて、したたかに日本の魂は続いていくことを山で感じてきたいと思います。

2024/07/02

【クライミング心理学】軒先貸して母屋取られないクライマーになる


5 Ways a Super Empath Destroys a Narcissist

1”. A Super empath destroys a Narcissists sense of entitlement

・質問を使う。
「被害者の権利は踏みにじられていいのですか?」
「この状況で、もっともかわいそうなのは誰ですか?」

2.A Super empath sees through a Narcissists mind games

 ・被害者のフリに騙されない
 ・”シンパシーバンパイア”という言葉を知る
 ・ナルシストの常套手段について知る
 
3. A Super empath destroys a Narcissist ego
 ・ナルシストには、賞賛やバリデーションが必要だが、それを与えない
 
4. A Super empath does not take anything a Narcissist says seriously
 ・Blame sifting =責任転嫁に騙されない

5. Super empaths fight a Narcissist real hard
 ・相手の行動が予想できるので良く戦える

 ■ 期待に応える人生はしんどい

倉上慶大さんの業績と死を考えていて、期待に応える人生は、大変だということを改めて考えていました。

クライミングで、クライミング史上誰にも成し遂げられなかったことをしたのに、それでも、不満で、もっと!もっと!とクライミング界が彼に求めたことが、彼の死の遠い原因だったんではないかと思います。

こちらにロビン・ウィリアムズの死について述べている心理分析があります。

https://youtu.be/uARqjJb1tc4?si=epofyX5caT2_QhkJ

私は梯谷先生の、”息子、やったな”論を支持しているというか、直接の原因は病死でも、わざわざ心停止を招くような、富士山をやっての死なので、自分自身で期待された死だったのではないかと思います。

■ 期待に応える=エンパス 期待が理解できる人&能力がそもそも高い人

私はもともと、エンパスであるために、6歳で、母が困っているということが分かりました。(普通の子は14歳でも分からない)

エンパスであるために、本で読む内容がすごく理解できたのだと思います。エンパス能力は共感力であり、本に書かれたことを共感する力=理解力なのです。

そして、親の期待は、大体は子供の幸福を願ってのことなので、私は相手の期待を

 善意だと勘違いする癖

があります。これは、気が付いたので改めて行こうと思います。

善意ではなく、悪意のことがあります。

■ 例) 相手の期待をすぐ善意の期待に勘違いする癖 

例えば、白亜スラブの時は、

あ、私が一人で龍洞に行くと言っているから、応援で、クラックを登らせてくれようとしているんだな…

と相手の意図を善意に勘違いしてしまい…

実際は、殺されそうになった…(><)

なので、私の解釈がかなり歪んでいる、という問題があります。

おそらく一般の人は、同じ人が同じように言っても、ひっかからないのではないかと思います。

原因としては、私が、愛情にあふれた、良い生い立ちで、周りがいい人ばかりだったということなのかもしれませんが…。愛されて育ったということです。

逆に感謝体質だったのが良くないのかもしれません。

子どもには与えられて当然の愛にも、感謝してきたということです。

相手の意図が、全部、善意に見える、っていうのは、どういう病なのでしょうね?

■ 父にも愛されたという前提で生きたかった

あ、分かった。私は愛されて生まれてきた、と思いたかったのですね…。

実際は、父に、2歳でプールに突き落とされ、子供として、”父親への信頼と愛を裏切られた”のですが…、それを実感するのは、後回しと言うか…父は実際のところ、いないほうがよかったような父だったのです。なので、子供時代の本音は、あんな父ならいらない、でした。

父親に愛されなかったという事実はつらすぎるので、受け入れたくなかったがために、

 あれは、私のためを思ってやったのだ

と思いたかったんですね…。しかし、完全にナルシズムの勝利でした。

子ども相手だから、勝って当然ですね。

逆に私が大人になってからは、私を打ち負かすことはできない、という証明に、青ちゃんとの関係がなってしまったかもしれません。父へ報復する代わりに、青ちゃんにしてしまったかもですねぇ…

■ エンドレスに求めてくる人=共感吸血鬼=シンパシーバンパイア

母に始まり、子供時代の弟、妹、祖母、そして元クライミング・パートナーに至るまで、彼らは、私がいくら与えても、もっともっとと求め続ける......。そんな感じでした。

ありがとう、はなし…。

クライミングでは、一人一個しかない私の命を奪われそうになった。

それでもありがとうはなく、最後は暴言を吐かれました。全く感謝がないし、反省もゼロだったみたいだった。彼らがナルシストかどうかの試験は、例えば、貸したものを返さない、ロクスノを返さないとか、そういうことでも分かります。

あとは、犯罪への抑止力が超弱いです。残置のカラビナ、ねえねぇ一緒に山分けしようよ、って感じです。逆に、貢献への意欲は低く、JFAの井上さんが訪ねてきてくれた時は、一緒に会おうと誘いましたが、嫌がってきませんでした。ので、せっかく良い仲間が出来たかもしれない可能性の芽が摘まれました。逆にいえば、私の善のエネルギーより、彼の悪のエネルギーが勝っていたから、彼は組みたかったのです。

私の命は、彼のエゴより重要ではなかった。彼にとって、クライミング・パートナーの命は、ナルシストの人にとっては、ものすごく軽い。自分がかっこつけるために、相手の命は軽んじてよいと言語化して思っているわけではないだろうが、行動の結果は、そう示しています。

エンパスがナルシストに主導権を渡しているフリをするのは、めんどくさいからです。うまくこちらが従うふりをして御したほうが、正面から対決するより楽、と思ってしまうのです。

たとえば、なぜ、実際にマルチピッチに行く前に、ロープの計画を立てないといけないのか?なぜロープは2本なのか、説明する手間が…始めると一から十まで説明してやらないといけなくなります。

相手はそうしたことをマスターしてからクライミングに来るのがマナーだ、とは考えておらず、来ましたー、俺、どうですかーでOKだと思っているのです。

特にクライミング界自体が、「クライミングは自己責任」という標語で、無知で無学の上でパートナーを殺してしまう側の権利を擁護して、不当に殺されてしまった側に、自己防衛できなかったのは、「自己責任だから仕方ない」を押し付けている。

ある意味、それこそが、ナルシストにとってクライミングが魅力的である理由なのです。

かれらから見れば、チャンス!と映ります。自己責任って「人にせいにしていいって意味ですよね」としか聞こえないのです。

死んでしまうほどのことがあるのだから、きちんと勉強してから挑め、という意味には聞こえていません。

その上、業界的な文化的後進性が彼らの態度を後押しし、正当性を与えています。

これは、彼のナルシズムが山梨では抑えられ、九州で炸裂したことで伺えます。

要するに元から赤でしたが、朱に混じれば赤くなるの、赤が、濃くなるってことです。悪い人でも、良い環境にいれば、悪さはできないですが、悪い環境にいれば、やっていいんだーと抑制が外れるって意味です。

■ 自分への課題

日本のクライミングコミュニティで、私がクライミングを続けるためには、白亜スラブのようなことが、私に二度と起こらないように、予防し、防御しなければならない。

■ ナルシストから身を守る

倉上さんは、秀でることで、世間から自分を守ろうとしたのではないか?というのが私の読みであり、それは、私自身の戦略が、初期にそうだったからです。

強くなりたい… 母を守れるほど…

強くなりたい… 家族を守れるほど…

それが私の子供時代の強い願いだったので、神は私に試練をもたらしたが…

試練から帰ってみると、強さとは、孤独のことであり、弱者であると主張する人たちからエンドレスに搾取され続ける人だということが分かった。

その上、大人になれば各自自分を守れるのです。守ってもらわなくても。

■ もっともっとの名誉搾取

もっと成果を、もっと名誉を、もっとメダルを、の”もっともっと”は、スポーツ界に顕著に言える。ぼろぼろになって、引退するまで、搾取され、続ける選手たち。結局、もうかっているのは、企業であるスポンサー。アスリートは使い捨て、です。

クライミング界においては、クライマーは、集客力がないのが、そこそも幸いしているのではないだろうか?エンドレスな搾取は、まだ聞いていない。

スポンサーは、金をくれてやっていると思っていると思う。

しかし、お金をもらう側は、魂まで売り渡していないか、気を付けなくてはなりません。

優れた選手になれば、スポンサーがついて、クライミング三昧できると思うだろうが、そのお金はひも付きであり、人であることを超えるほどの挑戦をしても、さらなる挑戦を追いかけることが前提の金だ。無理です…は、許されない。

そんな苦しい立場に自分を追い込みたいです? 戦略的に脆弱性があることは、予見できますよね?

■ 14歳の時 ライオンズクラブの奨学金を断りました

私は、上記と同じ理由で、14歳の時、月3万円のライオンズクラブの奨学金を断ったことがあります。

魂を売り渡すのはいやだったんですよね…

それで相当貧しい生活を潜り抜けることになりましたが…今でもよかったと思っています。

クライマーも同じで、

スポンサードされて羨ましいなぁ

ではなく、自分の足で立って、そしてクライミングしていくということのほうが、よほど立派ではないでしょうかね?

人生はだれのものか?あなたのものですよね?スポンサー企業のものではなく…

その独立を守るカギは、お金。だから、伝統的にクライマーは超ビンボーを受け入れて、クライミングしてきたのでしょう…。

その伝統に立ち返ったほうが強い。山野井さんは、人にお金をつけてもらわないクライマーで有名です。


2024/07/01

【クライミング心理学】ちゃっかりする=盗みだった(汗)


開拓者になればオンサイトはない
もちゃっかり栄誉が得れる一例か?


ずっと日本の登山界を説明するのに、ちゃっかり、がキーワードだと思っていました。



今日は動画視聴で、ちゃっかりというのは、盗みなのだ、ということが分かりました。

■ ナルシストのちゃっかりを引き付ける登山界の実力主義の不透明さ

この動画を見て分かりました。

https://www.youtube.com/watch?v=zNj5hSgFnG0

 ”ちゃっかり” = 盗み
Stealing
is the act to obtain something without earning, unjustly, unfairly.
Killing, is to kill your personality. Devalue you. you have no voice. so you can not take it back.


盗みとは?
不正に、不当に、稼がずに何かを手に入れる行為である。


■ 現実的な努力を伴わずに賞賛を得ることができるチャンスと登山が見なされている


特に高所遠足になってしまったエベレストですね。700万円払えれば、誰でも山頂に立てるものになってしまった…。


参考: https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/053100315/


すごい行列になってしまい、行列にいること自体が滞在時間の長さになって、長いことで、死が近くなるという悪循環にあるようです。


■ 一般登山では、難易度でグレーディングされており、その難易度に向けて皆が競争しています


特に、競争好きな、団塊世代…。


ロッククライミングでは、5.12など、数値が付けられ、競争が分かりやすいので、さらに競争マインドが強く、みんな、数字の追っかけに魅せられてしまい、山のほうの難易度を上げることはお留守になっていますね…


本当に好きなのは、山ではなくて、競争のほうなんだろうな。特に、勝ちやすい土俵だな、と感じた人が多そうです。


登山もクライミングも、モノサシが一般の人に分かりづらいので、


 自分はすごいです!


と自己申告すれば、そうなんですね、と受け入れられやすい土壌になっていると思われます。


■ 栗城さんのように、すごくない人もすごい扱いを修正されない


世間の無理解が深刻なので、本当にはすごくない実力アッピールも、評価する側がそうと分からず、すごくなくてもすごいってことになってしまうという世間の流れがあります。


みんなそういうので、成果を競っていますよね。


なので、クライミングの歴史できちんとした成果を歴史に刻み続けようと思ったら、ある程度トップに立ったクライマーが、きちんと、栗城さんなら栗城さんを評価し、声明を出すと彼の死は防げたのかもしれません。


まぁ言っても聞かないでしょうが。なんせ、ナルシストは、失敗した山でも、あそこまでぎりぎりに迫っても死ななかったという逆の解釈をしてしまい、失敗の要因について、反省して次回はつぶしてくる、ってことはないのです。


そんなことしていたら、人生終わってしまうほど、長い長い努力が必要になる、と分かってしまいますし…。


例えば、私なら、私が一年発起したところで、一生、5.14RXを登るようになるか?絶対にならないですよね。なりたいとも全く思いませんが…。


男性クライマーでナルシスト型の人は、ここがちょっと違い、俺だって…と思っている時間が長いです。


まぁ頑張ることは副次的に健康に良いと思うので、50代でも、60代でも、5.14を目指してがんばれはいいし、実際、60代の5.13クライマーはいますが…。


逆に体が軽くなって登りやすいみたいな現象も起きます。


しかし、それだけで、達成→賞賛、だけで、終わることは、人としての人格形成の発達段階の、学童期みたいなところで終わったって意味です。


親から、「よく頑張ったね~」「できたね」と言ってもらいたいというエネルギーを大人で持ち越しているって意味だからです。


■ 承認欲求の山


日本では、夏山の富士山が煩悩の山。槍もそうですね。あとは、ジャンダルム、でしょうか?


結局、日本の登山者人口の9割以上は、
 
 人的成熟的に小学生の段階の人たち


ってことになってしまいます。そういうインチャを満たすためにやっているってことですね。


もしかしたら、お前は、ダメだ、ダメだという脳内の親の声があるのかもしれません。


劔は、富山の人にとっては、赤岳が山梨の人にとって日帰りの山であったり、北岳が日帰りの山であるように、日帰りの山のようです。


結局、日本の山って、縦走しない限りは、体力的にはそうすごいのはない、ということだと思います。


もちろん、富士山だって、0合目から歩く、というように…つまり海水の標高ゼロから歩くということですが、難易度はいくらでもあげられるのですが、誰もそんなことしませんよね。


■ 山には一番長い尾根を登ってご挨拶する、と言った師匠


私は初期に、師匠から、山に登るときは、一番長い尾根からご挨拶するもんだ、という風に教わりました。


なので、金峰山を大弛峠から登るとか、すごく軽蔑して、そうした登り方を受け入れることができるようになるまで時間がかかりました。


しかし、ガイディングする側になると、相手の体力を考慮してコースを選ぶ必要があるので、初心者を山に連れていくときは、体力度が、相手の体力を超えないように工夫します。


そうすると、自分の日常でも、


・2-3時間空いたってときは、短縮コース
・丸一日使えるなら?ロングコース


などと、山に接する回数にバリエーションが付けられるようになりました。より山に多面的にかかわれるようになった。


・自転車で山に登れば、同じ簡単ルートでも大変ですし…
・ランにすれば簡単な山でも、軽量化を追求できる…


すべて、そう、すごくはない日本の山を楽しむ工夫、です。


・ベアフットにすれば、超簡単ゲレンデも難しい


ですし… なんなら


・ザック付きで登って見たら、易しいルートでも大変


です。


■ ”ちゃっかり名誉”より、”楽しみ方をたくさん持つ”


人間の創造性の方角として、


 ちゃっかり賞賛ゲット


っていうのは、さもしい…。


そんなことせず、楽しみ方をたくさん持つ…ほうが豊かな生き方ではないですかね?


そういう豊かさを提案できる人であるというのは、素敵なことですね。










【悲報】1963年以来冬山教室がない

 ■ 九州の登山史を読みました


1963年まで、毎年ということは、それ以降ないという意味では?

こちらの本です…

九州では、

エイドクライミングがアルパインロッククライミングだと誤解されて、若いクライマーに伝達されている、ということに、5年くらいかけてやっと気が付いたのですが…

フリークライミングは、アルパインの基礎力です、

という世界になってから、20年以上たっているんですが…


たぶん、冬壁のほうも、マッターホルンヘルンリ稜を30代の若い男性が登って、成果報告するようなレベルなので、たぶん、全国的なレベルで見ると、非常に前時代的、で、2つくらい前の世代間で止まっているのではないか?と思います。

なんせ、師匠の青ちゃんの時代ですら、ヘルンリ稜ではなく、北壁、の時代でした。50~60ピッチあると言っていましたが…。大量のピッチ数を稼ぐ練習している男性クライマー見たことないです…。5.12波状攻撃の人しか見ていない…。

アイスもたぶん、ですが、ハンドル付きや、ウィル様登りは普及しておらず、いまだにアックステンションでスクリュー打っているのではないでしょうかね?見たことがないので勝手な想像ですが…。

誰かきちんとしたクライマーが(例えばギンちゃんが)、ちゃんと招聘されて、きちんとしたアイスクライミングの技術を九州に伝えたらいいのに…と思います。

YouTuberの女性とか、夏山フェスタに呼んでいないで、山野井さんとの対談で、ギンちゃんを呼べばよかったのに…と私などは思ってしまいました。

世界最高難度のアイスを登ったのに、地元である九州でスルーされるなんて…

気の毒。

ま、本人は意にも介していないでしょうが…。

トップロープなら一般クライマーもこれくらい登る時代ですよ。私はどっちかというと遅れたクライマーなので、東京方面のアイスクライマーはもっと登れます。


【クライミング心理学】自己愛性パーソナリティは治る(治そうとすれば)

 ■ 「そんな男、一生治らないから、別れてしまいな!」は間違い

白亜スラブについては、あまりの暗算能力の無さに唖然として、言い返しもできなかった私なのですが、その後、このクライミングパートナーは、改善の兆しを少し見せたことがありました。

それは、ヨセミテに行ったときに、女性を連れているクライマーを見て、その女性が泣きながらセカンドをやっていた、ということを目撃したことに起因しました。

彼からすると、セカンドでも大変、というのが、理解できなかったんでしょうね。

アルパインクライミングでは、セカンドは、ひどい扱いをつけて当然、とされています。

なので、アルパイン出身のフリークライマーだと、セカンドをいい加減に扱います。

そして、現代のフリークライマーの半分くらいは、アルパイン出身なのです。

私は、故・吉田さんが私のトップロープのロープのたるみをあっという間に取ってくれたことに、ひどく感動したほど、それまでひどい扱いを受けていたのでした。

問題は、ひどい扱いを受けても、それがひどい扱いだと気が付かない、ということです。

これはラオスでも同じで、一緒に行った老年期のクライマーは私にリードを無理強いしており、それを見たアメリカ人クライマーが助けに来てくれたほどです。ほかの人の目には明らかな虐待でした。

トニー、あの時はありがとう。

■ 外国人を見ると、何が正常なのか分かる (逆に言えば、見なければ分からない)

日本では、多くの男性、そして、女性は、何が正常な男女の関係性なのか?たぶん、見ていないのではないですかね?

私は、アメリカ人の恋人がいましたが、彼との関係と日本人の男性との関係は明らかに違うと感じます。

日本人男性の大多数は、女性に、母親を求めていませんかね?

クライミングの関係性でも同じように、白亜スラブのパートナーからは、母親役を求められていると感じていました。

ナルシスト男性にとってドレイヤーとは、イコール母親のことのようでした。

しかし、彼は変わろうと少ししたんですよね。

■ ロープ持ってあげようか?

ロープを持ってあげようか?というオファーが一回ありました。

しかし、ロープは自分で自分のを持つのが一番安全なので、私には、ちょっとの親切をしたことで、どんな倍返しを求められるのか?と受け取られ、そんな小さな親切を受け入れたせいで、自分の命などの大切なものを差し出させられるのでは?と逆に疑心暗鬼になりました(笑)。それまでの蓄積があったからです。

というわけで、ナルシスト男性も変わろうとすることはあります。それは、”お前の女性に対する扱いは、おかしいよ”と他の男性に指摘されたり、海外で男性が女性をどう扱うかを見たり、という、

 アレ?俺っておかしい?

という自覚とか

 アレ?このままだと俺一生お婿に行けない?

みたいな自覚が必要だと思います。

■ 自覚した人はカウンセリングにかかろう!

しかし、本人がカウンセリングにかかるなら、ともかく、彼女として育てる側になってしまうと、多大なエネルギーが必要になります。

その男性に、よほど見込みがあるとか、男性としての魅力が十分ある、ということでないと、まぁやっていけないというか、女性としては多大なエネルギー投資の回収が見込めないのに投資、ということになると思います。たぶん、そんな女性は多くはないです。

女性は、恋人がほしいのであって、プロジェクトが欲しいわけではないので。

■ もし恋に落ちたら女性もナルシスト

誰でも恋に落ちることはあると思いますが…女性がナルシストに恋に落ちることは、その女性がナルシストであるという証明にもなっている面がありますので…

参考:

https://youtu.be/5_3xew7c6z8?si=hG9Q1vDsNirNI9Vr

そういう意味でも、ナルシスト人格の人にとって、共感性の高い人が、クライミングと言う一時のことでも、相手を務めてくれるというのは、本当に得難い改善のチャンスのはずですが…

みなさん、それに気が付かないみたいなんですよね…。

鏡に映った自分の姿のほうに見とれているので…。

私自身もナルナルちゃんなのか、自己検証してみましたが、その毛はないと結論しました。なぜなら、私がナルシストの彼らに恋に落ちたことはないからです。

■ 花

別の話題ですが…


最近は花に癒されています☆ 今日も活け替え。

最近、自然物がもたらす癒し、について、より敏感に癒しのエネルギーを感じられるようになってきました。足を痛めたおかげで、より敏感に、自然の癒しを感じられるように…

これまでは、アドレナリンジャンキー路線にハマりそうで、いやだ、そっちに行くのは、怖いと思っていました…。それがクライミングを糾弾するエネルギーになりました。非難していれば、誰も誘ってこないと思ったのです。というのは、誘ってくる人がどの人がナルシストで危険で、どの人がOK人材か、切り分けができる自信がなかったのです。

私の好きな山は、縦走のロングトレイルだったりするので…クライミングは、北アの縦走を安全に行うため、がスタートでした…。冬壁をしたいという野心を抱いたことはなく、私は一生、ラオスに毎年通うというレベル感で満足なんです。

ただ、その活動の”ついで”に、若いクライマーたちの情報不足を何とかしてやれれば、クライミング界に貢献してあげることができる、とは感じていました。

こんな大変な目に合うとは!

しかし、やっと最近は、心を許せる友達もできて、人生がまともになってきました。

引っ越しが重なると、積み上げた精神的資源を奪われます。人間関係によるサポートって意味ですが…

甲府で積み上げたものがゼロに…やっと自分の土台ができてきたかな?

いつか、この怖い経験も笑い話にして話せる日が来るでしょう…



【クライミング心理学】ナルシストの攻撃&ダメージからの回復 

自己愛性パーソナリティ障害の人に傷つけられた人が回復する方法

1.  無理に忘れようとしない
2. 信頼できる人に話す
3. 相手を理解する

■ 前提

傷の大きさ= かすり傷から、重症まで。
相手の自己愛性PDの深刻度= 誇大性、賛美欲求、共感の欠如、他人の利用と幅が広い

■ 診断

次の9項目のうち5つに該当すると、単なる性格ではなく人格障害となる。

1)自己重要感の誇大性=自分は仲間とは別格であると思う、自分の業績は独特であると言いたい、
2)限りない成功の空想に囚われている、非凡な美しさ・理想的な愛の獲得に囚われている、
3)地位の高い人への同化、特別に才能がある人たちだけが自分と関係がある、そのような人たちだけがあなたを理解する、凡人には理解できないのだと感じる
4)過剰な賛美を求める 褒めてくれないときに傷つく 普通の人は批判されたら傷つく
5)特権意識 人々が意に沿わないとイライラしたり、怒ったりする
6)搾取的 他人に自分の望むことをさせようとする、他人を利用する
7)共感の欠如 他人の気持ちや欲求に気が付かない、自分勝手
8)嫉妬 他人があなたやあなたの人生をうらやんでいると感じる
9)傲慢な行動 恩着せがましい横柄な態度を指摘されたことがある

意外に本人は苦しい。
https://www.youtube.com/watch?v=nES8WadoOpQ より引用

■ クライミングと自己愛性PDの相性の良さ

以下は、クライミング自体がもつ本質がナルシストと相性が良い点です。

クライミングの事実として、いくつも相性が良い点があるため、クライミング界自体の内的な自浄作用が働かないと、クライミング界はナルシストだらけになってしまいます。

1)自己重要性

クライミングのニュースの在り方、クライミング写真の撮り方などが、過剰に自己重要性を強調しており、岩そのものを強調していない。クライマーを映して、岩を映していない。

2)成功幻想
 ・クライミング界自体が終わりのない成長神話に囚われている
 ・非凡な才能、非凡な業績の獲得に囚われている

3)俺を理解できるのは地位の高いクライマーだけだ、という同化

・誰でも入れるわけではない山岳会や、内輪主義がはびこっている
・また実際、登山の価値やクライミングの評価は非常に難しく、かなり歴史的な勉強が必要である。一般登山客は理解力が不足しているため、ポピュリズムに流れる

4)褒めてくれない傷つき体験

・素晴らしい成果を出しても理解されないことが実際には多い。ので成果自体が過激化する。

 例:スーパー赤蜘蛛フリーソロ
※これは傷ついたということではありません、理解されなかった事例

5)特権意識 

・一般登山者でも、登山初心者にウエアがどうだと怒っている人をよく見かける

6)搾取的 

・ドレイヤーが広がっている。つまり、搾取的関係でクライミングをしたがる人が多い

7)共感の欠如

・相手を殺してしまうような行為も登山やクライミングでは自己責任の掛け声のもとに横行しており、ミスした側の責任が問われない

8)嫉妬 

・ルサンチマンがクライミング界の伝統。 男の嫉妬は気持ち悪い。

9)他者が指摘するほどの傲慢な行動 

・グレードを鼻にかける

■ 改善方法

1)過剰な自己重要性を改める在り方

クライミングのニュースの在り方を見直し、多様な価値観を含める。ローカル岩場の清掃などの募集は、全国レベルで報道すれば、各ローカル岩場で清掃が行われている事実が広く共有される。

クライミング写真の撮り方を見直し、個人が特定できない程度の露出にとどめ、ナルシズムを過剰に刺激しないようにする。岩や山そのものを強調する。

2)成功幻想を矯正する

 ・クライミングに限らず、終わりのない成長は存在しないことを理解する
 ・非凡な才能、非凡な業績の獲得などの成果ではなく、プロセスにも注目した報道を行う

3)特権階級への同化を辞めさせる

・内輪主義ではなく、誰でも岩場に歓迎する雰囲気を作る
・遠い1ピン目などで、よそ者を追い返そうという意図をもった課題作りを辞める
・実際、登山の価値やクライミングの評価は非常に難しく、かなり歴史的な勉強が必要であるので、教育をしっかり行う。特にフリークライミングの歴史は戦後史と同じで、全くまとめられておらず、戦後70年の歴史は空白化している。一般登山客は理解力が不足しているため、ポピュリズムに流れるが、現在の報道体制がそれを助長しているので、ポピュリズムを刺激しない。

4)傷つき体験を改める

周囲に理解されなくても、褒められなくても、傷つかない。賞賛を得ることを目的に、登攀の対象を選ばない。自分の満足を起点に、クライミングの対象を選ぶ。

例:開拓 簡単なルートでも自分で開拓したルートは思い入れがあります。

5)特権意識 

登山者だけがアウトドアアクティビティの頂点に立つわけでないことを納得する。マウンテンバイクやトレイルランも重要な山のアクティビティで共存共栄を目指す。

6)搾取的 

ビレイヤーの地位を向上する。クライミング業界がビレイ技術についての解説をきちんと行う。

7)共感の欠如

自己責任は双方向をの掛け声に。ミスした側の責任をきちんと問う。事故の解析をきちんと行い、情報公開を行う。

8)嫉妬 

過剰な賛美=嫉妬。 過剰に賛美する習慣を改める。

9)他者が指摘するほどの傲慢な行動 

・グレードを鼻にかけるのをやめ、グレード一点豪華主義を辞める。

■ 自己愛性PDのあるクライマーの特徴

以下のうち、5点に該当する。

1)自己重要感の誇大性=自分はクライマーとして別格であると思う。
2)限りない成功の空想に囚われている=永遠にグレード向上を求め続ける
3)特権階級意識 = 俺は特別で、一般人には理解されないと思いたいため、なんとか相手に自分を理解させようとする。例:俺一高。俺だって佐藤ユースケ。
4)過剰な賛美= クライミングで間違いを指摘されると怒る カムのミスプレイスを指摘したら、なんでそんなことを言うんだよ!と返事する。
5)特権意識 = 一升瓶で阿弥陀北稜
6)搾取的 = 一升瓶で阿弥陀北稜に行き凍傷3人、〇〇買ってきてと言って買ってこさせる
7)共感の欠如 = リードの無理強い
8)嫉妬 = 私だって英語が話せたら…
9)傲慢な行動 = 自分がリードした後の回収クライミングを後輩に高く売りつける

■ 回復へのステップ

いや~、こういう人に近づいてしまったのは、なぜ父が私たち兄弟3人を捨てたのか?を知りたかったためなのですが…

回復のステップに最近乗り始めました。

1.  無理に忘れようとしない …白亜スラブ あまりにアホすぎて驚いた
2. 信頼できる人に話す … カウンセラーに話しています
3. 相手を理解する … ナルシストがどういう風に出来るか?理解しました。

■ ナルシストを作る子育て…親からの負の遺産

ナルシストって意外なんですが、生まれてから33カ月以前に親から、十分なケアを与えられず、ネグレクトやアビュースを受けたかわいそうな赤ちゃんなのです。

 男の子は外在化して暴力的になる
 女の子は内面化して内気になる

そうです。男の子は暴れて、親の注目を集めようとしてしまう、ということが将来的な残虐事件にもつながる暴力性の源泉。

幼児への虐待などの犯罪者はほとんどが自身も被害者であるのは、事実なのですが、だからと言って、免罪されるとは言えないので、自分が被害者であることを理由に加害を正当化することはできません。

■ 人としての正常な発達課題の充足を軸にクライマーを判断する


https://www.tatsuki.org/DoshishaThesis3/thesis/2016/19131034Miyakado.pdf
より引用。

■ 12歳~ 

クライミングができるのは、大体12歳以上の大人並みの理解力ができてからなので、学童期以降ですが…

この時期の解説しては、こうなります。
ーーーーーーーーーーー
この時期には,自分が誰かの役に立っている・ものをつくり,より良くできる・完全にできるという感覚をもち,仕事を完成させる「生産性」の喜びを身につけることが必要である
ーーーーーーーーーーー

要するに、先生に言われた通りにできるということです。熊本の会長さんが、「3回落ちたら、ハイ交代!」や、「5.9が4本登れたら次」というルールを守らせようとしたことは、学童期の子供への教え方を大人に強いたということになります。

大人は、自分が成長するために、適切な戦略は自分で選べます。

■ 14歳~

中高生は、クライマーとして身体能力が非常に伸びる時期ですが…思春期は、大人や親に与えらえた自我と自分のしたいことを統合することが大事になります。

ーーーーーーーーー
思春期には,子どもは親の価値観や生き方を見て,自分の価値観に取り入れたり修正したりするが,親の 価値観や生き方に矛盾が多くあればあるほど,子どもはそれらを自分にうまく取り込めず, 反社会的な行動をすることで親の生き方を批判する場合がある
ーーーーーーーーーー

例えば、自分を乗り越えることが大事だと親が言いながら、グレードだけを評価したりすると、子供は混乱します。

褒めて育てる子育てはNGです。

クライマーとしては、自分がどんなクライミングをしていきたいか?を決定する時期だと思います。

名誉を求めるクライミングを俺はしたい!と、心から思っても、もちろん、良いのですが、頭が悪いと名誉でないことを名誉だと勘違いしてしてしまうことも起こります。

たぶん、クライマー的にはこの時期の発達課題で、

 クライマーとして、どんな生き方をしたいか?

の決定に困っているクライマーが多いと思います。

私は、ラオスに一回目に行ったとき、日本のクライミングスタイルを捨て、海外の仲間と和気あいあいと登るスタイルを取り入れたいと思いました。クライミングは国際言語っていうクライミングスタイルです。

なので、正直、ネパールなどの高所登山や5000~6000mでのミックス・マルチピッチクライミングなどの挑戦は、まぁ当然ですが、私とはカンケー無いので、後回しと言うか…記録などを勉強する気にも全くなれませんでした。

それより、楽しく登れる海外岩場を日本のクライマーに紹介するほうが、価値があるというか… もうわざわざ連れて行ってあげるツアーを組んであげてもいいくらいです。当方、仕事では、アテンド経験があるので、随行やツアー企画は慣れています。

話がそれました。もとに戻します。

■ 成人初期期、18歳~

20代の若いクライマーは非常に多いです。
ーーーーーーーーーーーーー
初期成人期では,友人やパートナーとの出会いが発達において重要になる.自分のこと を愛してくれる重要な他者を見つけ,魅力や愛情を注ぎ,注がれることで親密な関係や相 互的な関係を築くことで,「親密性」を獲得することができる.
ーーーーーーーーーーーーー

デートを目的にしたクライミングが多い理由かもしれません(笑)。みなさん、クライマー同士での結婚が多いです。

■ 一般成人期 30代~

一般成人期は、
ーーーーーーーーーー
次世代を育てていくことに対して興味を持つことである.また, 結婚して子どもを育てることが生殖性を獲得する唯一の方法ではなく,自分の特別な才能 を活かした芸術や知識などを社会に与えることも方法の 1 つとしている
ーーーーーーーーーー

ここに90%のクライマーが位置すると思います。

私なら英語能力、誰とでもすぐ友達になれる能力を生かして、海外クライマーと登るのは、クライミング界への貢献活動です。

■ 50代~ 人生後半に入ったクライマーの在り方

ーーーーーーーーー
成熟期の発達課題である完全性とは,「自分の人生は自分自身の責任であるという事実を
受け容れること」(エリクソン 1958=1987: 123)と定義している.
つまり,自分自身がこれまでに作り上げたライフサイクルを評価し直すことで,自分の人生を肯定的に受け入れることだと言える.しかし,成熟期に完全性を獲得できない・欠如したままでいると,自分の人生に後悔や挫折感を持ち,自分の人生を受け入れられない
ーーーーーーーーー

自分のクライマーとしての限界も含め、自分のクライミング人生を良し、と納得する態度が必要です。

いつまでも初心者クライマーと自分を比べることで自分を持ち上げようとしていると、必要な納得を獲得できないかもしれません。

最近、高齢のクライマーの投稿で、自分のクライミング人生について語ったものを読みました。

沢やさんでしたが、良いクライミング人生とはなんだろうか?と不思議な思いに囚われました。

素晴らしい業績を残された方だったからです。

そうした人でも苦悩するということは、クライマー界は意外にカウンセラーニーズが高く、私の高い共感性が、話し相手として、そうした心の傷を持った年配のクライマーの聞き役として最適だった、ということが言えるかもしれません。

普通の人は、聞くことがないようなクライミングや人生での挫折や心の傷などを聞かされたことは一回や2回ではなく、私は、焚火を見ながらの山の談話はカウンセリングルームみたいだな~と感じていました。無償のカウンセリングです。

■ 自分自身に誠実な生き方をしましょう

自分自身が楽しい!と思える山だけをすることは、意外に難しいのかもしれませんね。

山をお金に変えたいという思いや、名誉や賞賛が欲しいという思いにとらわれると、したくないことをしないといけない羽目に…。

皆さん、気を付けましょう☆

2024/06/29

【クライミング心理学】根強い無価値感とクライミングは相性が良い

■ 根強い無価値感とクライミング業績

最近、若手のトップクライマーで倉上さんが亡くなられた。

以下は、私が、心理学をこの6年間(+甲府時代)勉強してきた中での、考察であり、なんら、それ以上の根拠に基づいたものではない…。なので、根拠の希薄な、戯言と受け止めていただいて構わない。

梯谷さんは、心の傷と人生に起こす現象、がどう関連しているか?を研究されている研究者だ。

その中に、「息子、やったな」というのがある。

https://youtu.be/yqhxhgGNyj8?si=xgsNvmUsFFcBb8e9

親:日ごろから、あれやれ、これやれと過干渉

子ども: ほら、ワクチン打って失敗したじゃない!と親を責めるために、異物入りワクチンを引き当ててしまう

親を責めるために、子供は自殺します。分かりやすい自殺ばかりではなく、異物入りワクチンを引き当てるみたいな死に方もします。

ほら、親も、間違ったじゃない…。私の弟は、24歳の速さで心臓発作(正確にいえば、原因不明)で突然死で夜中に亡くなったのですが…彼の死は、

 親の道具である人生から逃れるための死

でした。姉の私は、弟の死を、”弟、やったな”と捉えました。私の直感です。弟の死の検証は、ここでは控えますが。

■ 倉上さんの死

運動誘発性の狭心症を持つ人が、有酸素運動がリスクだと分かっていて、富士山に行くのだとしたら、死の確率を高めに行っていませんかね?

富士山にトップアスリートがいくのは、標高になれる、空気の薄さになれる、というのが大体のセオリーです。

海外遠征で、パタゴニアみたいな高い標高の場所を控えていたのでしょうか…。 ネパールの沢と倉上さんは、セットで考えにくいです。ジャンボさんとお親しかったことを考えるとパタゴニアかな、と。

標高に慣れる目的なら、富士山でなくても、たとえば、標高1350mの川上村に引っ越すとか、標高2400mくらいの山小屋でひと夏働くとか、標高に慣れる方法はあります。

しかし、有名クライマーになって顔が割れてしまうと、そういうことができなくなりますよね…。人気とは皮肉なものです。

アレックス・オノルド君が、エルキャップフリーソロしてしまったので、あれ以上の記録を出さないと世界を驚かせることにならない。

次なる挑戦は、前の挑戦が非常に困難なものだったので、難しいのです… しかし、倉上さんがやったことは、普通のクライマーなら、一生に一回やれば、その後、十分、一生食っていけるだけの”賞賛”を稼いだはずでした。もし、賞賛を糧に生きていくのであれば、ですが。

でも、彼はとても謙虚で、そして、クライミング界の伝統は

 さらに上を目指せ

それ以外を教えていないのです。

頂点に上り詰めた人が、さらに上を目指せば?落ちるしかなくなりませんか?

そこのところを、クライミング界は少し考えたほうがよくはないでしょうか?

人間は機械ではない。もっともっと、と言われても、限界があります。

ましては、人としての限界を一度超えて見せた人に対して、さらなる期待、って、もう神になれ、とでもいうんですか?みたいな期待ではないでしょうかね?

■ 期待に殺される!

私も、期待に殺される!という気持ちを知っています。

クライミングでは、祝子川に2名で行ってらっしゃいと言われたときとか…

私は親がなく、母親も、私以外に二人も子供がいて、大変だったので、大学の進学費用は、全額、自腹です。

みなさん、そのことを、入学金、授業料のことだと思うでしょう…違います。高校時代の毎月の学費、食費、模試代、Z会の通信教育代、参考書代、受験にかかる交通費、宿泊費、…そういうのをすべて自分で出して、大学に入ったのです。

朝は5時からバイト、そして高校に出勤するのです。夜は友人宅で勉強し、家に帰るのは2時ごろです。なんせ早く帰ると親につかまって家事をさせられ、勉強できなくなります。

もう、すごく大変でした。大学受験に合格することに事態にあくせくしたことはないです。そんなの、失敗が許されない受験なのですから、余裕のよっちゃんで合格できるところしか最初から受験しないに決まってるでしょ。絶対、落ちない40mランナウトの5.8みたいな大学しか選ばないですよ。

そのおかげで私の人生は首がつながり、晴れて大学生になることができました… もうマジ、スレスレでした。大学に入った後も、入学式前からバイト。受験したその日に生協バイトを決めて、毎日1円を数えて、支出より収入が多いことを安心の材料にして、生きていました。大学自体も、働きながら出たんです。

そのような私に…さらに、社会での繁栄と成功を求めるなんて…。

いや~、もう18歳で大学に入学した時点で、ヘロヘロの、ゴールに倒れこんでいるマラソンランナーみたいな状態なのですから…

そんなマラソンランナーに、あと4kmです、とか言います?言いませんよね、普通。

ところが、自分自身が苦しい目に遭ったことがない人は、ヘロヘロの人を見ても、ヘロヘロだと分からないし、もっと頑張れ、というんですよね…。

倉上さんは、そのような状態だったんではないか?と思います。

もちろん、私は彼を個人的には存じ上げないので、想像だけです。しかし、あのような緊迫した、偉業を成し遂げた背景には、心の問題が必ずあったろう、と思います。

5.14RXですからね。

■ 生きている意味を感じたい

動物的な生存と言う意味で、生きることが容易になってしまった現代日本で、動物として生きている、ということを強烈に実感するのが、クライミングです。

7歳で、死を思った私のような過酷な生い立ちの人ですら、クライミング中に、ここは落ちれないな…と思うと、やっぱり死ぬのはいやだ!と思って、頑張ります。頑張ります、というか、頑張れます。

そう、もうヘロヘロなので、追い込まれないと、頑張れない、んですよね…。

頑張らなくても生きていけるなら、頑張らないで生きていきたい。

追い込まれたら、そりゃ生きるのに必死という動物的な本能が目覚めて、必死に岩にしがみつく、ということになります。

私にとっては、クライミングは少なくとも、30%くらいは、そんなところが動機でした。

ああ、私って、まだ生きていたいんだなぁ…って。

■ 消耗

しかし、そういうクライミングも、どんどん高度化していきますよね…

最初は、5.5くらいで、ひえ~と思っていたんでした…。ところが、今では、5.10aくらいでも、これ10aくらいかな~、やさしいな~、となってしまいます。もちろん、ちびの私には、10Aとは言えないような課題もあるから、私には、その難度で十分なんですが…。

それより、心が摩耗したのは、

 もっともっと

の周囲からの要求です。

43歳でクライミングを本格化して、46歳で海外に行き、47歳で一人で海外登攀に行ける力って、それなりにすごい達成だと思いますよ。私はアイスクライマーで岩のクライマーではないですし、一度も岩のクライマーとして自分を好きになったことはありませんし。

なんか、世間の期待が、人間としての限界を超えた期待を持たれているようで、謎でした。

私は、期待され慣れているので、そんな場違いで、的外れな期待、スルーする能力が育っていますが…。それでも、嫌なものはいやだったなぁ…

例えば、スポーククライミングの野口啓代さんって、無理難題みたいな期待ばかりをかけられて気の毒なクライマーだな~って、手記を読ませていただいたときに思いました。日本スポーツクライミング界を無理やり背負わされていたような印象を受けました。

クライミング界は、みんなで背負うモノですよ。一人の肩に載せるなんて、かわいそうです。

結局、スポーツクライミングの分野でも、フリークライミングの分野でも、親の期待を背負った二世クライマーの再生産、量産をしていて、勝つことでうれしいのは、親のほうのようでした。親がうれしいから俺もうれしい、みたいな、まだ成熟していない子供の心をスポーツ振興に利用している。

子供は、子供らしく、自分の好き勝手に生きるのが一番幸せですよ。

まだ、何が自分の幸せなのか理解できない子供の、親を喜ばせたいという気持ちを利用して勝たせて、その子は将来どうやって生きていく心のエネルギーを得るのだろう、と思います。

話がそれましたが、5.15、5.16.5.17…と、どんどん高度化して行って、人類は、どうするつもりなんでしょうかね?

5.20になったら、5.30になったら、5.40になったら…???

その間に、スタイルが付与され、RやXがつけ足され、エルキャピタンフリーソロも、おれは3時間30分で、お前は、3時間40分だから、お前が負けだ!とやるのでしょうか?

■ 食事

倉上さんは、ヴィーガンに傾倒したのではないか?と思っているのですが…私も一時完全ヴィーガンになりましたが…

脳内伝達物質の不足は、セロトニン不足になり、無価値感を強化します。

https://youtu.be/DLBBshmjA98?si=ABRMDq2H0uFJxlbO

もともとあった心の傷の傾向に加えて、栄養状況も加担したのではないか?と思いました。

肉が食べれなくなるのは、消化器系の機能に、不安が影響して、消化液を分泌しなくなるからなんですよ。なので、元気がないと、食欲も出ないでしょう。

不安が消化には良くないです。

■ 自分が楽しむ

”そんな承認欲求のクライミング、何が楽しいの?”

って、誰かも言っていましたよね。

海外で有名なクライマーですが、鈴木英貴さんとか、クライミングはすっかり飽きちゃってカイトサーフィンしてます、みたいな感じらしかったですが…先日は展覧会あったみたいですが…自由気ままで軽やかだなと思ったりします。

ユージさんも軽やかですよね。好きなことしかしない。

結局、心が震えることをやるのが、どんなことをしているにしても、人間は幸せなのです。

幸せに基づいてしか、他の人に幸福を分け与えることはできない。

恐怖を乗り越えることに、心のときめきを覚えてしまう回路がつながってしまったのは、心の配線ミス、みたいなものかもしれません。アドレナリンジャンキーってことです。

子供時代、非常に大変な目に遭うと、そうなることが心理学では明らかにされています。そこには、無意識と言う心理領域の働きがあります。

そして、限界を超える期待には、

答えられません、と口で言う代わりに、体で言うのです。

身体化、と言います。

■ 以下、リズ・ブルボーの『からだの声を聴きなさい』より引用

心臓にトラブルのある人は、限界を超えて、無理な努力をし、肉体を酷使しているのです。そんなとき、心臓は次のようなメッセージを送ってきています。

「お願いだから、自分を愛して!」

心臓にトラブルを抱えている人は、自分自身のニーズを無視して、他の人たちから愛されるためにすごく無理をしているのです。自分自身を愛していないので、何かをすることによって、他の人たちから愛されようとするわけです。

2024/06/28

【トレーニング】テニス最終日&水泳教室最終日

■水泳教室最終日

昨日は、水泳教室の最終日でした。

めだかスイミングクラブは、80代の方が中心で、そこで混ぜてもらうのは、まるで母親に再度お世話してもらうみたいな…そんな経験でした。

九州にいると、私の子供時代の古い傷がひどく痛みます。つまり、私は幸福な子供時代はもっていなかった、ということがよりリアルに感じられるのです。ですから、九州にいること自体が、私にとっては残酷なことです。

教室は、80歳の丸林先生が、とても教え方が、細かく、上手で、そのおかげで、あっという間に泳げるようになりました…。

■ 行くところがない!

実は、水泳教室は、4件目でした。4件も、もっと一般的なスイミングクラブを試したのですが、なんか競争的な空気感だったり、指導に工夫が無かったり、不倫の温床になっていたり…で、だめで、この先生なら泳げるようになるかも?と思い、決めたスイミングクラブでした。

ビンゴで、私が突然上手になった瞬間がありました。その瞬間のあと、泳ぐ順番も、一番後ろから、前から3番前に…なりました。つまり、私より上手な人は、前に二人だけ。バタフライは、いつも最初。

意外にあっさり上手になったので、経験が長く、ずっと通っていても、上達をあきらめている方が多いので、先生も指導に熱が入ったり、なんだり、とても良くしてもらったと思います。おかげで、子供時代にいなかったお母さんに50代で甘える体験みたいな感じでした。

私も、一応、4泳法が、全部、泳げるようになってからは、レベル的にあっていないのは、自覚がありましたが、かといって、他に行くところがないし…。

■ 指導がスポーツ振興の決め手

市井のスイミングクラブは、何件も試しました。

先生が大学生の男性だと教え方が超下手で、そのインストラクター職って、大学生の生計維持のためにあり、教わる側のためにはない、感じですし、逆に教えるのが上手な壮年期の男性の先生だと、色目使われます。

たぶん、水泳に限らず、スポーツの分野では、男性は女性が上達したい!と思っている心の、弱みに付け込んで、自分の性を満足させようとしています。特に水泳って、動きを教えるのに、体を触ることができちゃいますし… しかも、男性のほうが一般的に言語化下手くそですよねぇ? 動かし方触って教えたほうが早いと思いがちです。…というわけで男性の先生がインストラクターのスイミングクラブは微妙でした。

子供も入っているようなスイミングクラブは、とても、ついていけない…ジュニアは全く別の指導スタイル…質より量です…ということで、成人女性って、行くところがない感じなんですよね。

成人女性のスイミングでなくても、成人女性向けの、スポーツ指導はどこも同じだと思います。

しかし、女性同士でも、50代と80代だと、体力が明らかに違う…ので、ご高齢の皆さんに、一人元気な50代が混じると、練習メニューが高度になってしまって、なんか悪いなぁと思い…レッスン日は、あまり体力充実させずに行っていました。前の日にテニスの日にしたので、まぁ基本くたびれている。くたびれたくらいで、ちょうどよかったです。

水泳は、自主練のほうで、頑張って、レッスン日は、先生のアドバイスをもらう日で、頑張るのは別の日にしていました。

自主練はYouTubeなのですが、YouTubeのレッスンヒントでは、万人向けのアドバイスなので、実際、私個人がやるべきことが異なっていることがあり、先生のアドバイスがないと、やっぱり独学だと、いろいろ試しているうちに時間がたつというか…

ということで、まるでクライミングで、参加する山岳会がないんですよね…と同じ現象が水泳でも起きた感じでした。

■うまくいかなかった分子栄養学相談会の設置

80代の方々に混ぜてもらって、ありがたく感じたので、何か恩返しをしたいということで、分子栄養学のアドバイスをしてあげたいと思い、実は間宮先生という専門家の先生に格安の1000円で相談してもらえる日を作ったのですが、結局、水泳の先生に皆に宣伝して良いか?話したらダメだということで、開催をお知らせすること自体もできなくなり…私はこれをしようとしただけで、1万円近くのお金を失っただけで終わりました。

せっかく間宮先生に来てもらったけど、水泳のメンバーに、誰も相談者を募ることすらできなかったからです。本来1時間で1万円以上コンサルティングフィー取るんです。

それを1000円で出来る機会を作ったんですが・・・。

■ 皆が親切だった最終日

最後の日の今日、あれやこれや、と水泳の泳ぎ方を皆さんから、最後のアドバイスと言うことで教えてもらいました。みなさん、とっても母性的な対応でした。

こうするのよ、ああするのよ、ということですが… アドバイスをしてくださろうという姿が、とてもやさしくて、普通のお母さんってこういう感じなんだよなぁ…と思いました。

たとえ、子供が自分より、もう大きくて、むしろ子供のほうがすでにお母さんに教えるような状態であっても、大人と子供という関係性で、教える側、教わる側というのは、変わらないものなのだ…と思いました。

そういえば、母は、私がテニスを教えたとき、ほんとに下手くそだったんですよねぇ…わー、ママ、ヤバイなぁ…って14歳ながらに思ったんですが…。

私は、小学校に入るくらいまでは、母にしっかり甘えたと思うのですが、ある日、母にだっこされようと飛びついたら、母がぐらついたんですよね…それで、あ、母にタックルしてはいけないんだ、と思いました(笑)。これは、正常な心の発達だと思いますが…

一般的と思える男児たちは、14歳になっても、親が自分より体力的に弱いと気が付かない。これは、子供体験クライミングを教えて分かりました。

なので、女性に対しても、同じ心理が働くと思います。

 恋人として対象になる女性 = 体力が自分のほうが上だと無意識下で前提

 母親として対象になる女性 = 体力が女性のほうが上だと無意識下で前提

お母さん役にされてしまうと、女性の側がいかに大変でも男性は気が付かない、ということです。男性に気を使ってもらうには、恋人対象でないといけないのかも?

これが、クライミングで、数々の無理難題を突き付けられた理由ではないですかね?

女性は一般的に体力が下だ、という前提が、母親対象になると外れてしまう率が高い、のかもしれませんね。

だって大抵の男性にとって、母親は、しもべ扱いなんですよね。

■ 意地悪もある

嫌なことも少し起こりました。

私と同時期に入った人で、とても泳ぎが下手な人がいるのですが、私があっという間に上達したので、悔しかったのでしょう… なんか喧嘩、吹っ掛けられました…。

「おはようって言ってるでしょう!」「ん?あ、ごめん、気が付かなった。おはよう」「私無視されるの嫌い!」「ん?無視していないよ、聞こえなかっただけだよ」みたいな感じでした。騒々しい更衣室で、聞こえなかっただけで、毒を吐かれました。

この方、プールで、明らかに私を無視したことが何回もあるんですけど、私はやり返しはしません。聞こえない、聞きたくない、みたいな感じなら、無理強いは私はしません。こちらが嫌な気分になっても。

なので不当に感じたので、今回は反撃しました。最終日に、全面戦争開始。というか、最終日だから全面戦争。相手は、最終日じゃないと攻撃できないほど弱かったってことですね。

■ 一番上手でも教えない

私はクラスで一番上手なので、他の人に教える義務がある感じですが、だからと言って、年下の人に教わりたくないんだな、と思ったので、あっていたことが分かりました。

彼女が欲しかったのは、皆の注目を浴びること、承認みたいな感じだったんでしょうね… 

でも、先生方もかなり、彼女には気を使って、私に時間を使う以上に使っていました。ただ、先生の気持ちも、周りから見えてしまいますよね。

上手な人を育てるほうが、下手な人を上手にするより楽です。

■ 兄弟間競争を思い出す

兄弟で母親の取り合いってこんな感じだったよなぁ… 

兄弟だと、年齢差は変わらない。役割固定化します。子供のころの2歳は大きく、私は、いわゆるゴールデンチャイルドでした。

母には、お手伝いが必要で、そのお手伝いができる子供は、たいてい年長の子供で、その子に特別期待してしまう…母の愛や注目も、長子の私に注がれがちで、弟と妹はそれが悔しいのですが、追い付けない。

私は学校のクラスでも、なぜかいつも成績トップでした。がり勉はしていなかった。私の家は勉強すると、電気を消されてしまう家でした。たぶん、成績が良かったのは、絵本をよく読んだためだと思います。赤毛のアンは全巻3年生で読み終わりました。

特にがり勉せずに学業を吸収するので、学校の先生からも好かれ…何も特別なことをしていないのに、優等生で、先生のお気に入りの生徒になれたことを思い出しました。

水泳もそうだし、テニスも同じでした。水泳は11月から、テニスは5月からです。ま、テニスのほうは、中学でやっているので、上手で当然ですかね。

このように、大人のスポーツって、子供時代の再演の部分がありますね。

■ 劣等生でいれるから好き

私がクライミングを好きなのは、私がへたっぴと言うか、優秀でない自分、でいることが許される場、だからです。

再弱者って立場が好きです。これはバレエでも同じです。

もう、一生、ごまめでいいんだー、みたいな?ところが、九州に来たら、私程度のクライマーが、トップクライマーに近くて、閉口しました… みんなクライミングを分かっていなさそうだった…(汗)。

急に登れる側に入って嫌でした… マジ。相方の面倒見てやらないといけない側に(汗)。あっちのほうが倍くらいクライミング歴長いのに?

結局、クライミング歴の長さは関係なく、資質ですね。私自身より、危険予知がおろそかな人と組むと、私はまだビギナーなのにアダルト化…私はまだ初心者なのに監督役をやらないといけないみたいなこと…しないといけないので、疲れました…(汗)。

■ あなたの人格ですよ と言ってもらった

最後、私にちょっとちょっかいを出してきたグループのお局様、ボスになっている方が、私を褒めてくださり、人柄ですよ、と言ってくれたのが、非常に驚きました…。

私はうまく立ち回ったのでしょうか…?よくわからなかったけど。

意外な言葉で驚きました。

私はヨガの指導歴が6年あるので、スタバで、ぼーっと歩く人を見ているとそれだけで、歩き方の癖や、姿勢の傾向をどうしても解析してしまいます…水泳も水平になっただけで同じなんですよね。山の歩きも、山ヤ歩きができているかで来ていないか、すぐわかります。

水泳では、前バランス、を覚えただけで、泳げるようになりました。

ただそういうアドバイスってほしい人と欲しくない人がいるので、ほしくない人に与えることはないわけです。

結局、そういう風に受け取れない人は与えなくてもいい人だし、それは相手の問題であって、私の問題ではないのだと思いました。

テニスでも、年配の男性は、若い人、特に女性が強いと、自分を否定されたみたいに感じる人がいました。先生クラスでも…。

テニスでは、2つのスクールに行って、本当に指導法を工夫したいと思っているスクールに行くと、あっという間に上達しました…。若い男性の先生でしたが、プレイヤーとしてよりも、指導者としてのスキル向上に目覚めている方でした。

なので、クライミングでも同じことが言えるのでしょう。 

同じことがそういえば、ずいぶん昔にアメリカで、英語で起きた。ボランティアの生徒役をして、すごく上達して、皆が目を見張るような上達のことがありました…。私が英語が急速上達したのは、アメリカでボランティア活動したからかも?

そういうわけで、福岡では、

水泳界

テニス界

バレエ界

クライミング界

を知っていますが…バレエ界は日本の中でもトップクラスに環境が充実しており、テニスや水泳も指導法が確立していてハイクラスなのに比べ、福岡クライミング界の指導の窮乏状態はひどいです。

日本全国で見ても、これは同じで、他のスポーツと比べて、クライミングの指導法が確立していないことが、現在の事故多発、遭難多発の現状を招いているのかもしれません。

        最近毎週、花を買って、日々活け変えて楽しんでいます


2024/06/27

【訃報】倉上慶大さん

 いや、びっくりしました。

なんで、富士山だったんだろうか?

三名の登山者が富士山で遭難というニュースが入り、またか~と山に不慣れな登山初心者なのかなぁ…と思ってニュースを聞きましたが、なんとクライマーの中でも

 プロ中のプロ

みたいな前途のあるクライマーの倉上さんが同じ日に富士山で持病で亡くなったというニュースでびっくりしました。

心臓に問題を抱えているクライマーであることは知っていましたが…、なぜ富士山…?

以下、いくつか彼の業績や考えが分かる記事が出ていたので、紹介です。

1)なぜ除細動器をいれなかったのか?

https://number.bunshun.jp/articles/-/856054

2)公式サイト

https://keitakurakami.com/

3)プロフィール等のまとめサイト

https://hiroko310.com/2024/06/26/kurakamikeitabyouki/

4)お話しされている様子が分かる動画

https://youtu.be/3ZMykleuF-4?si=jOZLj7vnDKwg3ACQ

5)雨猿ラジオ

https://podcast.app/rainy-monkeys-radioyu-yuan-razio-p2325189

声が素敵なクライマーでした。

■ Climbers We lost 

倉上さんは、著名クライマーなので、ロクスノに追悼が出るのではないか?と思いますが、本当に親交があった人からの文章であってほしいなぁと思います。

というのは、故・吉田和正さんの記事が出たとき… 誰でも知っている有名クライマーからの追悼文だけで、本人の身辺を良く知っている人たちの追悼文ではなかったように思ったからです。

私はもっと深く吉田さんを知りたかったので…亡くなったことを聞いてショックでしたし、もっとクライミングと吉田さんの深い関係について、良く知る人から聞きたかったです。

日本では、有名クライマーの追悼しかロクスノには載りませんが…アメリカでは、Climbers We Lostという特集があり、毎年、亡くなった一般クライマーの思い出や追悼の話がまとめて出されています。

日本もやったらいいのに…。有名クライマーだけでなく、誰の命でも大事な命です。

一般クライマーの死は取り上げない、取り上げられないから、大した命ではない、価値はない、というメッセージを、暗示で送ってしまっています。

そうしたら、犬死というような、つまらない死に方のクライミング事故も減るでしょう…

■ 命を輝かせて生きるほうが、長く生きるより、私は好き

私個人の意見ですが、私は、長生きするよりも、命を精いっぱい使って好きなことをして生きるほうがいいと思います。

私は7歳から希死念慮があります。希死念慮がある、ということは、自分らしく生きさせてもらえないくらいなら、もう死んでしまいたい、と思うほどに、自分のしたいことに命を使うことが本人にとって大事だ、という意味です。

7歳から希死念慮があるのは、なぜか?

子供時代というのは、親に逆らえない。逆らったら、生きていけないからです。

なので、”偽りの自己”を作り上げないといけなくなります。親の気に入る子供像を生きるということですね。

以後の人生は、偽りの自己を抜け出すための人生みたいになります。

■ 賞賛を求めず、クライミングを求めることの大事さ

クライミングをすることや、クライマーであることが、”本当の自己”なのか?”偽りの自己”なのか?は、人によります。

親が賞賛される子供だけを欲しがる場合、子供は子供自身を愛してもらえず、賞賛を得たときだけ、愛してもらえるということになります。

例えば、テストで100点を取った時だけ親が喜び、そうでないときは悲しむなら、無条件の愛ではなく、条件付きの愛です。子供自体を愛しているのではなく、テストで100点取れる子、を愛しているってことです。

同じことで、クライミングも、”登れる俺”が、自尊心の根拠となってしまう人もいます。そうなると、登れなくなった途端に自尊心の傷つきを抱えることになってしまう… 

そういうクライマーを何人も見てきました。

そういう風にクライミングを使う人もいれば、純粋にクライミングが大好きという人もいます。

私には、登れるか、登れないかは、どんな体に生まれついたのか?いつクライミングに出会ったのか?の差にしか感じられません。

私は、ヤングケアラーであり、優等生として子供時代を過ごしたので、クライミングというのは、登山も含めて、ですが、子供時代の自分らしさ…優等生キャラ…とは対極にあり、なんだか、もともとの冒険好きで元気で明るい女の子、という本来の自分の自我を人生の中盤で取り戻した感、があります。

もちろん、それは、私たち兄弟にはいなかった父親を求める、探索要求と重なったわけですが…。

今後、私がクライミングを続けるのか?まだよくわかりませんが、私は、倉上さんのように、クライミングに自分の、何か才能のようなものを見出しているわけではなく、単純にクライミングくらい、強度の強い、失敗の許されない活動をすると、ものすごく集中でき、その集中が、自分の散らかりがちなマインドを整えるのに貢献するのです。

やってみたら、水泳でもできるし、テニスでもできることが分かりました。要するにスポーツの技の習得に、マインドフルになればよかったのかも? バレエやヨガも、技の習得にマインドフルになる活動ですしね…。

なので、私にはRはイラナイ。普通のクライミングで十分集中できるからです。いくら5.8でも、40mランナウトはイラナイ。

それにしても、彼の千日の瑠璃などの業績は、すごいものでした。

九州では、レベル感が40年前のままで、いくらランナウトしても、5.8では、現代のトップクライマーのレベル感を持ってすると、赤子の手をひねるくらいな簡単さなのではないか?と思ったりしました。

そのようなレベルで自我の源泉にしてしまうのが陳腐というか…。自己肯定感を上げる、という目的に使うには、時代感覚的に、遺物になってしまっている…。

もちろん、自己肯定感を上げるために何か成果を求めること自体が、そもそも、条件付きの愛を、本当の愛だと間違って求め続ける行為ではあるのですが…。

■ 人間の器が試される

クライミングや山登りって、正直な自分自身が試されます。

ちょっとしたミスや思い違い、かけ違いで、死ぬとなれば、いい加減なことは、普通はできないからです。(ナルシストで頭が悪い人の例外を除く…笑)

それを思うと、彼の業績から逆算すると、いかに器の大きな人だったのか?ということがうかがえると思います。

ご冥福を心より、お祈りいたします。

■参考記事

故・吉田和正さん https://allnevery.blogspot.com/2016/09/blog-post_68.html 

故・村上周平先生 https://allnevery.blogspot.com/2022/04/blog-post_19.html



           ジャンボさん、私、倉上さん


2024/06/26

【クライミング心理学】ナルシストだった実父を理解するために組んだ人

 ■ 喪に伏す

私は父を知らず、全く父のことは顔も覚えていません。そのため、父親が”いない”、ということについて、心底実感しないといけないのです。死んでいないから、”喪に伏す”という発想がゼロでした…。

父をしっかりと過去のものとするために、喪に伏さねばなりません。

そのために、手紙を書いていたのですが、昨日はそれでぐったりしてしまい、他には何もできませんでした…。

心理療法を受けるのは、こんな感じでクタクタになります。まぁ、子供のころから、いつも、こんな感じです。セルフケアでも、クタクタになっており、生きるだけになんでこんなにペダルが重いのかな?みたいな、坂道でもないのに、めちゃ重いギアで漕いでる自転車みたいな感じです。

■ 父を理解するために出会った人々

私の父は、これまで登山やクライミングで出会ったナルシストを総合した、トップのナルシストみたいな感じです。

いや、父とは、4,5歳から合っていないので、逆で、父を理解するために、クライミングで、父をほうふつとさせる人物に無意識で近づいてしまいその人たちは、結果としてナルシストだった、ということでしょう。

■ 一人目 …6人の子供がいて、そのことで被害妄想の男性

甲府で初期のころ、独標登高会の『八ヶ岳研究』を教えてくれたガイドさんは、6人も子供がいました。6人いて、そのために、自分は自分の人生が生きれず、かわいそうだ、と思っているのです。「俺だって、時が時なら佐藤ユースケ」が口癖でした。子供6人。それも、妻に嵌められて、子供が6人もいるのだ、と言っていたっけ…。

セックスをすれば子供が生まれる、そんな当たり前のことをしたのですら、人のせい、妻が悪いのだ、という…。あきれて物が言えない私でした。

3人の子捨てを行った父の元に生まれた子供の私に対して、彼は、執拗に自分がいかに被害者であるか?を主張し、私からガイド山行を引き出して金を巻き上げようとしていました…。いや、私がそのような星の元に生まれていなくても、ガイド山行は若い人には要りません。それに自分がかわいそうだから、参加してくれという戦法ってどうなんですかね?

         Stay away from people who act like a victim in a problem they created.

そして、私が作ってあげた彼の公式ガイドサイト、もし仕事で請け負ったとしたら、30万円の価値があったとおもいます。これがどれくらい安いのか?というと??

最近、心理学の起業で、一般的なカウンセラー起業される方がいくらでHPを作っているか、垣間見る機会がありましたが、100万円レベルでした。つまり、30万円でやってやっても、大幅ディスカウント。それで、私が代わりに受け取った山は?午前中だけみたいな半日の沢と金峰山1泊だけですので、いや~格安で仕事したなぁ。結局、搾取されているのは私ですね…。ま、自分から搾取されに行っているので相手に罪はないですが、返報性の法則とは反対ですな。

そんな方でも、結果責任、つまり、ちゃんと子供を養うために仕事はしていました。

■ 無責任は作戦勝ち

一方、私の父は、離婚が成立したとき、無職でした。そのことは彼に有利に働き、子供は妻に育てさせ、自分は何もしないで、濡れ手に粟で、子供を3人も得た、というのが、私の父です。

今では、父がわざと無職でいたことが分かる。確かに無職でぶらぶらしていれば、裁判所には、無い袖は振れないと言えばいいだけですよね…。そういう風に作戦を立てたのでしょう… もうすっかり、ずるいだけの男性が考えることは分かるようになってしまいました(汗)。

まぁ、こういうわけで、私たち兄弟3人は、人生の最初から、父親に捨てられた子供でした。なぜか?父が無責任で、快楽だけのセックスをしたい、おぼっちゃま君ナルシストだったばかりに。

ということが分かったのが、この方を知る経験でした。

■ かわいそうな弟

私の弟は、24歳で死にました。彼はついぞ、本当の父と息子の関係を知ることなく、父親の庇護や愛を全く知ることなく、死にました。

実父がいないことにはメリットもあり、私は、子供時代、”たくさんのお父さん”をこれまで得てきました。よその家のおじちゃんに助けてもらう、ということです。どのお父さんも、みな、子供には親切でした。

悲劇なのは、唯一の例外が実の父親だったことでした。

よその家のお父さんたちは、みんな、こんなに普通に、子供には優しいのに、なんでうちのお父さんだけが、違うのか?私たち兄弟3人を捨てて、どこかに行っちゃうのか?ほんとに分からなかった。

■ 二人目 …白亜スラブのパートナー

父の思考回路を本当に心底、理解することができたのは、白亜スラブのあとです。

その結果は、ただ、父は、とっても頭が悪くて…ただ頭が悪かっただけなんだ、ってことでした。

なんせ久留米大学って偏差値50しかない…んですよね。知らなかったけど…。父は久留米大卒でした。で、白亜スラブに一緒に登ったA木さんも久留米大卒。

白亜スラブのことがあるまでは、久留米大学の偏差値を調べるという、小さな行動すら思いつかなかったです。

結局、25+35が計算できないということを知って、え?と思って調べた。

暗算できないということしか、40年もののボルト1個に、二人で仲良くぶら下がる羽目になったことを説明できない…のです。

しかし、結局のところ、彼、自分の頭の悪さに無自覚でした。父もそうだったんでしょう。

私は偏差値74なんです。嫌味なので、普通の人とお話しするときにそんなこといいませんよ?でも、お医者としゃべっても下に見られたことはないです。そういうことから、自分が社会の中でどこに位置付けられるかは、なんとなく分かります。

彼は、別に自分が頭が悪いことを自覚しろとは言いませんが、ものすごく、自信家でした。自信の悪い面は、予習に手を抜くことです。彼は、自分はご機嫌で、素晴らしいクライマーだと思っており…そのことは写真に取られたがることで伺えました…そして、周囲から、強いね!とか、かっこいいね!とかの短絡的な賞賛を得るためだったら、何だってする。その上、準備不足、に自覚がない。ということでした。

つまり、その”なんだってする”ってことの中身には、クライミングパートナーを命の危険に陥れるということも含まれるのだ…ということでした…。別に悪気はないのです。頭が悪すぎて、普通の人が予見できることも、単純に予見できていないだけなので。

笑っちゃったのは、頭が悪すぎて、それをやったら、賞賛にも何にもならないことを、賞賛になるよ、とカマかけられても見抜けず、やってしまうってことです。

事例としては、クロ○ケオテ谷の記録、エイドでしたよね?今2020年代なんで、いくら初登でも、フリーで登らないと自慢にも何にもなんない。1980年代ならエイドでも、良かっただろうけど。

そんなことも理解できない頭の悪さだったこと…に驚きました。わざわざ、自分が頭の悪いということを、ロクスノで全国に広めてしまうなんて。

■ 同調=正解、の自動思考

これは、40年前の常識のままでいる九州で起ったことで、彼は山梨時代は、そんな尊大なことはしておらず、自分がどこにでもいる普通のクライマーだという自覚があったので、古い価値観のままの九州クライミング界への同調から起ったことでした。

つまり、もう周囲に同調するって方針だけで生きているらしかった…。

これで、なぜ私たち3人を捨てて、東京へ行ってしまったのか、父が理解できました。みんなが行くから俺も行きたかっただけです。

■ 善悪の検証不在

ナルシストって、自分がやったことの中身が良いことでなくても、自分の名を広めてしまうわけで、こういうわけでチッピングした人が、自分の成果?を広めてしまうことになるんだ…と共通性を理解しました。要するに、名が広まれば、良いことでなくてもいい、朱に染まれば、赤くなるってことです。

そもそも良いことと悪いことが区別できていない、んですね…。賞賛なら何でもいい。このことは名誉なことかどうか?の検証は入っていない。

これが理解できたのは、オマケでした。

■ 3人目… セックスマニアック

妻に性的生活を拒まれ、俺はかわいそうだって思ってる男性クライマーにも、複数、会いました。たぶん、妻が相手をしてくれないのは、あなたのやり方がまずいから…らしいですよ。

こちらに解説動画があります。https://shanti-phula.net/pny/m1604_video_site/videos/500/chapters/0/play

このブログはその辺を扱うものではないので端折りますけど…。まぁ、女性が嫌がるのは、一般的には、男性側が下手だから、みたいですね。

なので、拒まれるって、いったい、あなたのどこがかわいそうなの?って話です。かわいそうなのは、奥さんのほうかも?嫌なこと我慢してやってきたわけなので…。

まぁ、そういう場合、奥さんの方が一枚上手ですね。なんだか、一人暮らししているなぁと思ったら、たぶん、夫の相手をするのが、めんどくさいから、別荘に追い出されていたり。出身山岳会も、誰もフォローを務めてくれない…、結局、海外に行きたくても一緒に行ってくれる人がいない…。のは、なぜか?めんどくさい人だから。

並べる交換条件がおかしいってのがありました。

■ 比べる相手がおかしい

往年のクライマーは、皆40年登っています!と胸を張るのに、比べる相手が、その辺の初心者男性クライマーだったりしました…(汗)。

俺、まだこんなにうまい…って、初心者と比べるので、そりゃ、うまくて当然だろ、って感じでした。

比べるなら、現代のトップクライマーと比べるべきでは?

なんか、自分を比較する対象が変なのが、往年のクライマー。

それで、クライミング界最弱者のチビ&高齢初心者クライマーの私にクライミング能力で追い抜かれそうになって、焦るとか、嫉妬するなんて…(汗)。私からすれば、器がちっさすぎ、驚きました…。

じゃあ、40年やってるって自慢しなきゃいいのでは…(汗)。

だって、私のクライミング歴3年だよ?しかも、私はアスリートでもないし、そんな人に抜かれるくらいの実力?

まぁ、人は老いますので、どんどんと登れなくなっていくのですし、クライミングはムーブだけでないのですから、普通に5.9が登れれば、私はそれ以上を求めなくてよいと思っています。なぜかその割り切りができないらしかった。

その割りきりができないので、プライドを確立するのに、へたくそ初心者クライマーが必要、という構造が分かった。初心者男性たちは、わざとではないですが、ナルシストへの賞賛エネルギー供給源になっている。

この構造がわかったのも、オマケです。余禄。

逆に女性クライマーで登れる人は、彼らの自信を打ち砕く元になっているので、”○○さんを超えたら、もう一緒に登れない!”と叫ぶことになります…。そういう女性クライマーを3人くらい知ってて、え?そうなの?とびっくりしたことがあります。私は、私が上手になって助さん角さんのように、教えてくれた相手を支えるのが弟子の務めだ、思っていたので。

■ 4人目、5人目

阿弥陀北稜に一升瓶を抱えて行ってしまって(=自分の拡大したエゴを抑えきれなくて)、仲間3人に凍傷を負わせてしまった(重大事故を起こした)先輩もいました。山梨の山岳会時代に出会った人でした。

私からすると、

 (彼のエゴ)>(凍傷3名という結果の重大さ)

 (個人のエゴ)>(複数名の怪我という重大事故)

言葉で言えば、彼のエゴのほうが、他の三人にけがをさせるという事実より重たい。

逆から言えば、他の三人に怪我をさせても、個人のエゴが優先されるべき…

という判断を山岳会のみんなが下したことには、驚きました。代社会で、これが許されるんだー!と驚いたということです。

私の大阪での社会人経験では、いくらなんでも、ただ自分が一升瓶で、お酒に酔ってテント泊で前夜泊したいがために、仲間3人を凍傷に陥れるような山をすることは、社会的糾弾の対象でした。だって、みんなイヤイヤ参加していたんです。○○さんが言うから仕方ないなぁって。それで案の定、凍傷。しかも、判断も、同ルートを先行していたガイドがラッセルしたのをラッセル泥棒したうえで、ガイドが敗退決断したのに敗退せず突っ込んで、凍傷、という情けない内容でした。

もう、これで、許されるなら、社会が、ナルシストにわざわざ、エゴのエネルギーを供給している、としか思えない…と思ったんでした。

この経験は、山岳会という仕組み自体が、ナルシストへのエネルギー供給源である、という確信になった経験でした。

誤解がないように言っておくと、御坂山岳会は良い会です。ただナルシストへの歯止めになる、まっとうな山ヤの発言力が弱いだけです。ほかの会も同じなのではないでしょうか。

そして、5人目は、祝子川はスポートルートみたいな沢と言った熊本の会長さんです。

とても人気がある会で、クライミング主体で良い会だと思うのですが、いやはや…リスク認知が甘々もいいところです。本人はいい人なのに、なぜ? 頭も悪い人とは思えませんでした。特に疑問だったのは、支点への信頼絶大、残置を使うことの罪悪感ゼロ。それでアルパイン志向なのです。アルパインクライミングの定義がちょっとおかしいと思いました。

いろいろ考えて、九州ではエイドのことをアルパインと言っていることに気が付き、理解できるようになりました。

錫杖でも、撤去しても、撤去しても残置を置いていく人がいて、いたちごっこになっていますが、理由が分からなかったのですが、分かるようになりました。

結局、こういう風に登るのが、アルパインロッククライミングだよ…(山のクライミングだよ)っていうのが、40年前のⅣ級A1時代で止まっているため、支点は残置を使い、エイドは出して登るのが標準。山に残置はないものだ、とは教わっていないのです。

一方、現実は2020年代です、現在。支点は40年経過してぼろぼろ、現代はエイド時代は終わり、フリークライミングの時代でも、終わりの方で、高難度の時代になった。

フリー能力を底上げした人だけは、ほとんど、支点に頼らず、登れる。結果として、フリーソロと同じ論理で安全です。

つまり、落ちないから、支点強度はイラナイ。落ちない登攀力だけが保険になるクライミングをトップクライマーたちはしており、それができないフリークライミング能力(ルーファイ+ムーブ)だと、残置で落ちて大けが、という路線に落ち着くのが関の山、ということです。

いや~そうじゃないか?と、うすうす感じていましたが…やっぱりそうだ、という確認になった。

現代でアルパインにせよ、フリーのマルチにせよ、登るには落ちないクライミングしか許容できない。

私も、高齢初心者&女性で、クライマー界隈では最弱者なので、”残置で大けが”という同じ路線に追い詰められる!と感じていました。

実際、そのような女性クライマーを知っています。勝ち気で負けず嫌いな人でした。

これを避ける、抜け道は、スポーツクライミング一択です。

なんせ、フリーはアルパインの基礎力です。現代でフリーの基礎力を上げるには、スポーツクライミングに進む以外手段はないのです。

海外で延々と登り続けることができる人以外は。

■ 父を理解したかった

以上が、私が、私たち兄弟を捨てた父を理解したい、と願うあまり、排除しきれず、近づいてしまった人たちです。

子どもの愛は、無条件に深く大きく、私はすんでのところで、自分の命までなげうって、父を理解しようとしてしまったのでした…。本当に子供の愛とは深く大きいものですね。

クライミングの実情の理解は、余禄です。

私にとっては、ナルシストだ、ということが、具体的には、どういうことになるのか?学習する機会でした。

父がなぜ子供を3人も生ませた、美しい妻を捨てて、出て行ったのか? 子供に妻の愛情を取られるのが嫌だったし、そもそも子供なんて欲しくなかったし、子供を愛してなんておらず、タダの足かせであったのです。俺は俺の人生を生きる!と思って、その人生に子供は入っていなかったんです。なんで3人?学習能力が著しく低いからです。

そして、彼はナルシストに寛容な社会で、許されるという社会の後押し…離婚した女性は差別されるが、男性は甲斐性とみなされる…を背景に、罪悪感ゼロで、行動したのです。

社会がいかにナルシストにエネルギーを与えてしまい、なぜ彼らがこんなに多くの心痛を、悲劇を、生産しているのにもかかわらず、縮小ではなく、拡大しているのか?そういうことが分かったわけです。

最大のナルナルちゃんは、栗城劇場、でした…。

ホント、登山界の皆が、謎だ~と思っていた事象でしたが、謎でもなんでもなく、なるべくしてなり、起こるべくして起こることだったのです。

なんせ、ナルナルちゃんは、誰が見ても失敗の事例を、成功事例…もっとハードプッシュしても死なない…と受け取ってしまうのですから…。

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