神先生から、こんなメマガが来ました。
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町の名前はテキサス
このメッセージの作り方こそ、人を動かす。
神先生から、こんなメマガが来ました。
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町の名前はテキサス
■ 人間には無理でも、AIなら客観的な判断ができる
市長の答弁をAIが楽勝で作ってくれたそうです。このニュースです。
https://www.youtube.com/watch?v=8eJtkn7blOI&ab_channel=ANNnewsCH
へぇ~!
じゃ、全国の良心的クライマーは、各自ボランティアで、
AIに『岩と雪』を読み込ませたらいいんじゃないの? (命名:クライミングAI)
そもそも、事故報告、遭難の報告、そういうものがネットに転がっていないために、正しい情報が事前に情報収集できないことが、初心者男性クライマーの
超・非現実的なルート選択
の一つの原因にもなっていると思うので。
自分のレベルを正しく客観的に見れない、という状況が改善されれば、ある程度、遭難は減るかもしれません。
例えば、こんなの。これ、他人事じゃなくて、クライミングでもフツーに起きています。
クライミングのビレイで人を落とした人が相手に大けがを負わせたことを記録に残すことは、教訓として共有するという意味で非常に重要です。このような行為は、いくつか言い方がありますが、それぞれのニュアンスが異なるため、状況に合わせて使い分けることが重要です。
1. 事故
最も一般的な表現ですが、意図的な行為かどうかはわかりません。
2. 過失
不注意やミスによって人を落としたことを示します。
3. 不注意
注意が足りなかったために人を落としたことを示します。
4. 重大過失
故意ではないものの、重大な注意義務違反によって人を落としたことを示します。
5. 故意
意図的に人を落としたことを示します。
6. 殺人
人を殺害する意図を持って落としたことを示します。
これらの言葉に加えて、以下のような表現も使えます。
記録を残す際には、
などを具体的に記述することが重要です。また、被害者のプライバシーに配慮する必要があります。
このような事故を教訓として共有することで、同じ事故を防ぐことができます。
私は九州に来てクライミングにかなり強いストレスを感じるようになりました。
それは、どうしても私が成長した家庭環境を思い起こさせるからです。
私自身は、自分を脱・初級者くらいのクライマーだと感じていました。当時5.10代で、マルチは30本以上の経験があり、アイスでは中級者、トラッドでプロテクションの適切な設置が課題である、というのは、大体、脱・初級者レベルだと思います。
しかし、安全のために、いくらクライミングをじっくり学びたいと主張しても、聞き入れられず、イケイケどんどんを強制的にやらされる感じが強く、それは、どの山岳会に行っても同じでした。
たぶん、文化的に九州のクライミングは、ちょっとおかしなことになっています。というのは、このイケイケ礼賛文化は、クライミングをする人たちだけのものではなく、ただのハイキング…一般登山の人たちにも顕著で、槍を拝んでいるようでした。
別にどこに行きたくてもいいのですが、行きたい理由が、タダのミーハーのように思われ、それは、私が本州、山梨で学んできたところによれば、山が好きなんではなく、SNSに乗せて自己承認欲求を満足したい、ということのように思われました。
もちろん、私も岳徒として、ミーハー…前穂北尾根に行きたかった…もあったので、気持ちは分かります。
ある種の山は、共通の理解として行っておかないと、山ヤ内での会話についていけないから、疎外感を味わう…とかそういうのはあります。
しかし、だとしても、大人の知性で考えると、
背伸びのルート = 死の危険
なのです。
普通は、自分が十分にそのルートをこなせる知識と体力・技術が付いているかどうか、自分で自覚的に吟味するものだと思います。
それがない九州… 特に団塊の世代…は、私にとって脅威であった母のようでした。
たぶん、私の母は、2歳、4歳、6歳しかいない家に子供だけを置いて仕事に行くことのムリゲーを理解していなかったと思います。
つまり、一言でいうと、
ムリゲーを理解していない人たちというエモーショナルトリガーです。
以下、AIによるムリゲー解説。
■ 2,4,6歳児と母親しかいない家庭
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2歳、4歳、6歳、母親しかいない家庭で、母親が仕事に出ないといけない場合のベストソリューションを提示してください
回答:
母親が仕事に出て、2歳、4歳、6歳の子供たちを育てるのは大変なことです。以下は、いくつかのベストソリューションです。
ベストソリューションは、それぞれの家庭の状況によって異なります。 上記の情報を参考に、母親が仕事と育児の両立をしやすい方法を見つけてください。
上記のプランのいずれも取れない場合、以下のようなことが起こる可能性があります。
子供への影響
母親への影響
家庭への影響
家事や育児が滞り、家庭環境が悪化する可能性があります。
経済的な影響
経済的な困窮に陥る可能性があります。子供の教育費や生活費を工面することが難しくなる可能性があります。
解決策
企業や社会全体で、育児と仕事の両立を支援する環境づくりを進める。
これらの問題は、母親個人の努力で解決できるものではありません。
社会全体で、子育てを支援する体制を整備していくことが重要です
以上、ここまでがAIです。■ 初学者しかいない場で、高度で困難なクライミングに挑む場合の問題点を挙げてください
初学者しかいない場で、高度で困難なクライミングに挑む場合、以下のような問題点が考えられます。■ 私の最も強い強みは
戦略性
です。詳細はこちら。
■ 日本の岩場の治し方
1)クライマー界は、ローカルクライマーで岩場の主になっている人達の中に自己愛性パーソナリティ障害の人が多いことを自覚する
2)その人たちは無視して、きちんと、岩場がある行政と、どのように岩場が地域の産業になれそうか?善意あるクライマーたちが協議する。
3)クライマーズトークを地域の非クライマー住民に向けて定期的に開催し、粘り強く地域の人々のクライミング理解力(クライミングリテラシー)を高める。
トップクライマーによる、メールマガジンなどもおすすめです。
4)上記のような活動を行っているクライマーを賞賛する賞(アドボカシー)を創出して、たたえる。
5)アクセス問題が、クライマー側、地権者側の双方から解決された上、初心者クライマーにクライミングの価値を教える活動にもなり、一石3鳥となる。
6)ただし期間は10年以上かかる。(AIDOMAの法則)息の長いマーケティングです。
7)一つの成功事例が現れれば、箱もの不要でコスト安で実施できる戦略であるので、他の岩場も真似をする。連鎖的に全国に広がる。
解説:
自己愛性パーソナリティー障害の人は俺たちを無視してけしからんとか言ってくると思いますが…それこそ、自己愛性パーソナリティ障害の証拠です。
今までのやり方でアクセス問題になったから、別の人が立ち上がったんですよね?今までのやり方でうまくいってないことの責任を問いましょう。
アドボカシー創設により、自己愛性パーソナリティー障害のクライマーも賞賛に惹かれて参加してきます。
メールマガジンは、クライマーの在り方をトップクライマーできれば右に出るものがない誰もが黙るクライマーから、伝えてもらいます。
熱心な人なら3か月で、きちんとしたクライマー化できます。
”きちんとした”というのは、”栗城さんと山野井さんの違いが分かる”ということです。
フリークライミングなら、倉上さんと比叡の違いが分かる、かな?
■ 自己愛性パーソナリティー障害の診断基準
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自己愛性パーソナリティ障害の診断を下すには、以下の5つ以上に示されるように、自分の価値についての過大評価、賞賛されたいという欲求、共感性のなさが持続的に認められる必要があります。
また、症状は成人期早期までに始まっている必要があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーー引用元
■ 機能不全ボルト
機能不全ボルト
と言う言葉を作り、撤去活動をJFAが提唱してはどうでしょうか?
機能不全家族という言葉がありますが、
子供を守ってやるはずの親が脅威になっている
って意味です。
そうであれば、
フリークライミングのクライマーを守るためのボルトが脅威になっている
= 機能不全ボルト
です。
JFAには、このルートのボルトが機能不全ボルトなのではないか?という通報だけがいくようにし、通報数が3件を超えたら、それはその通りということなので、地元のリボルト職人にボルト位置を治したリボルトを依頼する。大体の開拓者はもうお亡くなりになっていると思います。
特定のルートが、機能不全ボルトのルートである、ということが広くクライマーに周知され、登らない選択肢を取れるということが大事だと思います。
例えば、四阿屋のインディアンフェース5.10Bです。あのルート、3ピン目でランナウトしており、腰椎骨折者を出しています。
■ 機能不全山岳会と機能不全ガイド
新人を守ってやるはずの仲間(山岳会・指導者)がむしろ脅威になっている
= 機能不全山岳会
です。
なんせ、指導者と自認する人自らが、スポーツクライミングのようにポロポロ落ちるクライミングを、40年経過したカットアンカーで実践してみせ、ルートでは残置に頼って、実践し落ちている、ということなのです。
これは、機能不全クライミングガイド、もいます。
例えば、私が最初に山梨で教わったガイドさんは、権現から赤岳の区間に出てくる梯子の区間、4人全員が一本のロープに、つながって難所を抜けたんですよ。いや、あれは危険だった。
あとで、山岳総合センターに行って、CMCの講師の先生が、「それ、なんか悪徳ガイドがいるって聞いている、そいつのような気がする」って言って、それで気が付いたんですよ。
一般の人はロープの使い方分かっていないから、4人が数珠つなぎになってもそんなもんなのかな?と思うだけです。
このガイドさんは、いまだにガイド活動をされており、しかも、誰からも間違いを指摘されずに登り続けておられるようです。
そのようなガイドをのさばらせる元凶は、優良ガイドが自己宣伝をしないためなので、各岩場で、
その岩場特定の認定ガイドを指定
するとよいです。
例えば、小鹿野なら、ユージさんのベースキャンプが主催しているクライミング講習会なら、二子山の課題にかなり詳しいでしょう。機能不全ボルトのルートなどを初心者に勧めることはないでしょう。
ちなみに私は、九州では、リボルト目前の課題のリードを現地の開拓者に勧められました(驚)!大蛇山です。これは悪質なイジメではないでしょうか?
もちろん、面談などを行って詳細に、どこがダメ課題で、どこが推奨課題か?を詳しく理解していることを、複数の人がチェックしている必要がありますが、同時に、例えば、
トップロープかけっぱによるルートの占領は、当地でのガイド活動をお断りすることがあります
と町の側の要請として、事前連絡しておくこともできます。
そもそも、自己愛性パーソナリティ障害の人は、何がカッコよくて何がカッコ悪いのか?よく分かっておらず、ともかく賞賛されることなら、何でもやるのです。
その特性を利用するには、
良い行動を徹底的に褒め
悪い行動を無視する
に限ります。
良い行動をしているクライミングガイドの皆さんが、日本人の美徳を発揮して、自分をネット上でPRしないため、それが賞賛される良い行動だと大衆に認知されていないため、その行動を真似する人が現れていないだけです。
かれらは、真似をしてきます。良い行動が報われるように、
を町は創設しましょう。
そうでないと、クライミング界では、5.18が登れた人しか発言権がないって意味になります。現実は、5.18が登れても、知性とは別なので、岩場が荒れるわけです。
知的で岩場の管理に優れた能力を発揮する人たちを、こうした賞などで報いなければ、ダメクライマーたちが作った問題のしりぬぐいをし続けるだけの役割…自分がやった悪事でもないのに町の人に謝り続ける、時に監獄送りになる…をやり続けることは、神でもない限り、だれにとっても無理です。
ベテラン水泳の先生だって、生徒から賞賛の言葉がない限り、やってらんねーってなるんですよ?
■ 小鹿野のクライマーズトーク
これにもし、入れ知恵をするなら、小鹿野町の 一般住民の皆様 に案内状を回します。
一般住民の方々が一番上座で、来賓扱いで、案内状を回すべきです。当然、参加費は無料です。
クライマー自身の等身大の姿を見せるのが大事です。中には理解者も現れるでしょう。
そして、このトークの動画を撮影しておき、市役所等の市の広報の場で公開します。もちろん、YouTubeに小鹿野のサイトがあってもOKです。
最も大事なお客様は、小鹿野一般市民で、クライマーではない、ということが分かるようにしておくのが大事なことです。
なんせ、クライマーは、岩場で登らせていただいている、ということを、油断したらすぐ忘れる人種が7~8割なのですから…。
登らせていただいている、という感謝の気持ちをすぐ忘れて、”俺が登ったんだ!”とか、”登ってやったんだ!”という言葉を使い始めるってことです。
■ クライマー側は理解者を利用しようとしてはならない!
自己愛性パーソナリティー障害の人がやりがちな、道徳違反、倫理違反があります。
もちろん、クライマー内にも普通の人もいますが、2,3割と少数派なので、クライマー内でも、なぜ同僚のクライマーがそんな行動をとるのか分からないのです。
それも当然で、自己愛性パーソナリティ障害というのは、病気なのです。しかも、本人は自覚が薄く、精神科を訪れることはほとんどなく、周りの人だけが、? となっていることが多いのです。
以下にリストを挙げます。
■ 自己愛性パーソナリティ障害の人が行いがちな人道的過ちリスト
1)「お前、階段、何段飛べる?」系の競争を持ち込む
2)自画自賛
3)無責任:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの」
4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない
5)相手を自分の評価を上げるための道具として使う
6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う
7)非共感性:相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる
8)貸したものを返さない (バウンダリーが緩い)
9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする (自己誇大妄想)
10)倫理的に間違ったこと…誰かのピンハネをしたとか…をどうどうと自慢する
です。以下詳細。
1)「お前、階段、何段飛べる?俺9段!」系の競争をクライミングに持ち込む
→ 速攻、クライミングが事故だらけになります。
これをやっているから、今までアクセス問題の歴史が積みあがった。
これはアルピニズムでも何でもありません。
2)自分で自分を褒める
例:「俺ってこんなにきれいに登っていたの?」「おれ、4段は15で登れた」、SNS自撮り、雄たけび映像だけ見せる、努力している姿は見せないで結果だけ見せる
→ 一般的な価値観の人は、スゲー!っては思わないです。これで、すげーって思うのは、自己愛性パーソナリティ障害を持つ、ほかのクライマーだけであって、一般の人は、「こんな自己顕示欲だけの活動には、町のお金や公費を費やす意味はない」と結論します。なぜあなたの個人的自己PRに公費を費やさねばならないのでしょうか?
町おこしにクライミングを、と思っているなら、冷静になり、町の人にとって魅力があるクライミングとは何か?を冷静に判断しましょう。
3)逆ギレする
例:自分が寝坊したのに「なんで起こしてくれなかったの!(怒)」
例:岩が剥がれて落ちたのに、町が管理責任取れ!
→ ボルトが抜けなくても、岩ごと剥がれるのは自然の摂理。
俺のせいじゃない!俺のせいじゃないなら誰のせいだ?→ 町のせいだ!
の思考回路の結果、何にも関係のない町を訴える。
これに自己正当性がある、と結論してしまうのが、自己愛性パーソナリティ障害なのです。
管理責任は町にある、というなら、町の人が、クライマーに登る許可を出すでしょうか?
そんなの、1秒、考えたら分かりますよね??
4)自分がトンデモで非常識であることに気が付いていない
→ 例えば、上記の事例で訴訟を起こし、弁護士を雇うとか…。よほど自分のほうに理屈が通っているという自信がない限りしないでしょう。
町や地権者としては、寛大にも登るのを許可してあげているのに、逆ギレして訴えてくるなら、管理なんかよけいな義務を負わされるんであれば、登れなくても地権者としては痛くもかゆくもないんで、登攀禁止にして、一件落着です。地権者はクライマーでも何でもないのに、管理責任なんて負わされるくらいなら、普通に禁止にしますよ。
管理するとして、あなたなら、いくらなら俺が管理してもいい、と思うでしょうか?年間100万円?1000万円? 管理者責任を主張するなら、それ相応の金銭による対価が発生するのが応分で、その額を日割り×頭割りすれば、一人当たりクライマーの個人負担額が出ます。
例えば、1000万円の管理費が、月100人の来訪者がある岩場にコストとしてかかるとすれば、一人当たり1000÷100×12万円…概算1万円の管理費がかかるってことですよ。訴訟されるとしたら年1000万円の管理費は安いと言えると思います。で、クライマーは、一人当たり、月1万払え!と言われて払えます?
払えないからボランティアで運営し、地権者の好意にすがってタダで登らせてもらっているんですよね?
自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分の立場をすぐ忘れる大天才です。
5)岩場を自分の名誉を上げる道具にする
自己愛性パーソナリティ障害の親は子供を自分の評価を上げる手段・道具として使います。
その応用で、彼は、その岩場の〇〇っていうルートを登ったことを俺の自己評価を上げる道具として使うでしょう。町を盛り上げずに自分を盛り上げるということです。
その岩場の〇〇っていうルートを登った俺はすごいという自己宣伝に岩場を使うということです。
町の人から見たら、そのルートのすごさは関係なく、町にいっぱいお金を落としてくれ、産業を作ってくれる人が偉い人なんですよ?
個人のすごさ(無謀さ)をPRするっていうのがアルパインクライミングの本質だ、と思ってしまっている古参のクライマーが多いので、誤解を解くのが大変です。
”俺のすごさ”ではなく、努力のプロセスの尊さを教習してください。
例えば、あなたが半年に一回しか行かない店で店主があなたの好みを覚えていてくれたら、どうですか?その人が驚異的な記憶力を持っていることを示したことになりますよね?
実力とはそのようにして示すものです。
6)俺が言ったことなんか信頼しちゃだめだよ、と自分で言う
”瑞牆のトポが出たとき、白鳳会の人が「俺らに無断でトポを出すとはけしからん」と言った、という話(A)”を若いクライマーから聞きました。その話をしたら、”「おれらの話を信頼しちゃだめだよ」”とその当人が言ってきました(B)。
(A)の時点では、古いクライマーを敵に回した発言をする方が相手に取り入ることができ、(B)の時点では、古いクライマー側についたほうが相手に取り入ることができる、と判断したってことですね。
(A)の裏面交流は、”私は古いクライマーには賛同していません”であり
(B)はその逆だからです。
つまり、その人は日和見主義で、目先の損得だけで動いているよ、と(B)の裏面交流で述べたってことです。
そのような人たちを地域の人々が素敵なクライマーだ!クライミングって人格形成に価値がある!信頼ができる!と思うと思いますか?
7)相手が自己開示をしたときに、その人の心を踏みにじる
「へぇ~、家が家が貧乏だったんだ」「へぇ~〇〇大学しか行けなかったんだ」などなど、自己開示と言う一般的には人に話さないようなことを話したときに、わざと傷に塩を塗るようなことをするのが自己愛性パーソナリティー障害の人です。
それは、その人が本当の意味での自信はもっておらず、相手を下げることで自分を上げることを常套手段にしているため、自己開示と言うのは相手が弱みをさらけだしてきたということなので、相手を貶め、自分のコントロールを高めるチャンスだ!という風に、自己愛性パーソナリティー障害の人には見えるからです。ガスライティングと言う名前がついています。
岩場の地権者に、「ここには古い祠があってね…」なんて話されたときに、そこでおしっこする、とか、自己愛性パーソナリティー障害の人は平気でやりますから、気を付けてください。
みんなが共同で使っている川辺の共同の湯に、「さっき放尿しました!」と放尿動画を上げるとか…
岩場にある、有名課題で女性クライマーたちが使っているホールドを、「俺は初登者だが、俺はこのホールドを使わなかったから削った」などど自慢げにアップするようなことがあるかもしれません。
あるいは、小山田大さんのような人気のある特定の人物に向けて、私怨でその人が初登したルート狙いで執拗にチッピングを続け、証拠が出ていないから、訴えられないのをいいことに嫌がらせを続けるかもしれません。
このように、”一般の思考回路では理解ができない行動”をとるのが自己愛性パーソナリティー障害なのです。
8)貸したものを返さない
人のロープで登ったり、貸したギアを返さないのは、境界線侵害の明らかな例ですが、岩場はタダで使わせてもらって当然だというクライマー界の伝統的前提にも、境界線に関する、自己規律の弱さが表れています。
たとえば、トップロープ張りっぱなしにして、課題を独占するクライミングガイドは、素敵なクライマーでしょうか?
このような行為が、自己中を表すということを町の人が理解すれば、
〇〇町では、トップロープを張りっぱなしにしてルートを占領するクライミングガイドによる岩場利用をお断りします
と発表することができます。
同様に、特定の人気ルートに人数制限を設けたり、時間制限を設けたりすることも可能です。
例: 屋〇岩2峰のセレクションは人気が高く、日没の時間を過ぎて、下降になるクライマーによる事故が後を絶たないため、〇〇町では、一日5パーティのみ、登攀開始時間を朝9時以前に取り付けるパーティのみに限定しています。
例: 〇〇フリーウェイはロングルートであり、隔絶されているので、村内では人的資源の点から、事故や遭難があったとしても、レスキュー隊の派遣が迅速にできません。したがって、12ピッチを〇〇時間内で登れた実績のあるパーティにのみ、登攀を許可しますので、登攀申請時には登攀実績を出してください。少なくともパーティ内の一名は、危急時の心得があることを分かるような内容で提出してください。
例:カサ〇ランカは人気ルートですので、独占を避けるため、土日祝日のガイド講習での利用を禁止します。
9)肥大した自己を指摘されると、逆ギレする
大体のクライマー男性で初心者の方は、自分の実力を客観視する能力に欠けています。
一方で親に甘やかされて育っていることが昨今は多いため、俺様自我が発達しており、とんでもなく難しいルートを自分が登れると思っています。
例としては、3級しか登れないのに2段をノーマットで登る!というボルダラーや、ジムで5.11が登れたから、バットレス四尾根に登る!と発言するなどです。ロープドラッグやカム位置不全によるスタック、60mのピッチを50mロープで登ろうとするなど、10年やっていてもやらかします。
つまり、現代クライマーは年数があっても、瞬間風速グレードしかなく、経験の厚みはありません。
無謀で危険なのですが、それを指摘すると、逆ギレします。ビレイも同じです。
そして、自分が登れたルートは、初級ルートだったり、エイドで登っていたりで、今の時代には、全く何の自慢にも何にもならないものをロクスノに自慢話として掲載したりしてしまいます。
普通のクライマーはその記録掲載が、自慢であるより恥さらしであることが自明なので、正直に教えると相手のメンツをつぶしてしまうと思い、遠慮して黙っています。すると図に乗って再度掲載する、という繰り返しが起きます。これが栗城モンスターが出来上がった仕組みです。
今の時代では、その記録が意味をなさないことを誰かが指摘してやらないといけないですが、一般の人は価値が分からないので、俺は〇〇を登った!と言えば、よく分からないので、とりあえず、「すごいですね~」というでしょう。その賞賛が自己愛性パーソナリティ障害の人にとっての狙いです。
したがって、町の人に、その町にある地域の岩場で、どこがどうすごいルートなのか?なんとなしでも、分かってもらっていることが大事です。
同じ昇仙峡を登った!という事実でも、私のように入門者で「ジャムジャム84をリードするのが目標です!」ってクライマーと、「デイドリームを第5登しました」ってクライマーの差をローカルクライマーは分かりやすく、町の一般ピープルに説明できなくてはなりません。それがローカルクライマーの役割です。
そうでなければ、どうでもいいクライマーがやってきて、「俺だって、時が時なら、ユージ(ユースケ)になれたんだぜ」と言い始め、町のえらいさんとしては、それが本当かどうか分からないので、そうかもしれないと思い、そのどうでもいいクライマーの名前を冠した講演会を開いてしまいます。
”現代の平〇○”などと、その土地に古くから伝わる偉人の名を転用したりして、威光を高めようとしていることがあります。そういう講演会は、ちゃんちゃらおかしいので、山を分かっている山岳会の人は来ない。一方、山のすごさを判定する能力がない一般市民がいっぱいです。
ところが、その人がクライマー内部で何をしているか?というと撮影クルーの荷物運びに、富士山のボッカに呼ばれる程度のことです。
一般市民を味方につけると、どういうことが起こるか分かりますか?栗城さんです。
クライマー内で実力が認知されたり、賞賛されていない人を、内部事情が分からない対外的な人だけが賞賛している、という分かりやすい事例が、栗城さんです。
あのようなことの相似形がミニチュア版で各地で起こっています。例えば福岡では、なんとかマリンさんを一流クライマーとして山岳協会が主催する、講演会開いていました。は?あの人、阿弥陀北稜程度をガイド登山で行って、落ちて遭難した人ですよね?
それは、結局、持ち上げられている人が自己愛性パーソナリティ障害であることを示す傍証です。普通は現代登山を理解していたら、自慢にならないことを自慢するなど、できないからです。それを持ち上げている事務局長などの立場の人は、無知な登山を世の中に広める片棒を担がされているということになります。
10)倫理的に間違ったことを堂々と自慢する
例えば、自分が募った公募隊員でいくら儲かったか、後日雑誌で、ピンハネ自慢を披露したりします。普通、自分がピンハネしたら、そんなこと対談で話しますか?
それを堂々と自慢しているのを見た、若いクライマーが、この業界はそれでいいんだ、と思って自己愛性パーソナリティー障害を発症するという負のサイクルをクライマー界は量産しています。
そのようなブラック産業になり下がったクライマー界を擁することを、町の人が誇りに思え、クライミングを推進することを擁護しようとすると思いますか?
たぶん、現在は、クライマー界の7~8割は自己愛性パーソナリティ障害のある人ってことになっていると思います。
そういうところに、エンパス(共感性が高い人)が行くと、自己愛性パーソナリティ―傷害の人は「俺がいかにかわいそうか」を延々と説きます。許してもらえた、という利得の経験がそうさせるからです。
理性が発達していない人は、かわいそう…と騙されてしまいます。
地権者にも、やられた人がいるでしょう。
例えば、御坂山岳会にいるときに、阿弥陀北稜で凍傷者を当会から3人も出した先輩は子供が6人いるから、いかに俺がかわいそうか、を私に納得させようとしたんですが…。それって、その人がかわいそうだから、一升瓶を代わりに背負ってあげるべきだってなりますか?
小学生でも分かりますよね?
そういう感じのことが起きます。
一般的に見て、どこがかわいそうなのかなぁ?って感じのことをかなりくどく主張します。
それを女の人にお股を開いてもらう口実にする人もいます。
私の経験した事例では、パソコンが苦手な理由を、大昔に社内LANのスイッチを入れるのを失敗したことを盾に、理解してもらおうとし、一緒に行く海外登攀で、私がすべての渡航手配をするのに自分は便乗しようとします。おれアホなんだから、やってくれて当然でしょ、って手です。
これには後日談があり、話を深く聞いていたら、結局そういう人って、誰かの便乗で、これまでも山岳会でうまい汁吸ってやってきたみたいなんです(汗)。
昔はアルパインルートって、リードが取れるまで5年でも短いほう、と言われていたそうです。
そういうエリートコースと、現代のクライマーの成長の仕方…5.7のスラブ3ピッチの春の戻り雪でリードするのを同列に語ると混乱します。
昔は、ルートも先輩にリードされてセカンドで行ったのを暗記し、何度もパートナーと登りなおしてロープの流れを良くして、スムーズに登れるまで復習する。
そして、最後に、それに後輩を連れていく。そういう風に事が運んでいたわけですが、現代は、ランクをだいぶ下げて、一度、春の戻り雪に先輩に連れて行ってもらったら、あとは、当人同士で納得いき、登攀時間が短くなり、楽勝と感じられるまで登るわけです。
ほんとにだいぶランクは下がりましたよね?
このようなルートは、例えば、積雪期アルパインなら阿弥陀北稜とかです。大体、登攀自体を学ぶところではなく、慣れたらフリーソロでも登れるけれど、岩場のあれやこれやを学ぶところが多いルートです。登攀自体は登れない人がいないくらい簡単です。
その段階のことを学ばないでグレードだけ上げているクライマーが事故をするわけです。
誰かの便乗で自分の登攀人生を創ってきた人は、オンサイトというのは、実際、ほとんどしていません。オンサイトではなくエイドの時代の人なんですから…。
しかし、そういう人でも、そのあと後輩を連れていくことで復習山行はしてくれますから、面倒見がいい人と誤解されて、その誤解は当人が自己評価を上げるのにうまく利用しています。
分かります?この感じ…。
ただ自分の都合の良いことをしているだけなのに、なんかいい人のように解釈されちゃっていますよね?周囲の人に。
しかし、その人と深く付き合っている人…例:当人の奥さん、なんかは、とっくの昔に愛想つかして、離れて暮らしていたりするんですよ…。なんせ、一番近い人にとっては、行動原理が丸見えなので。
私も分かるまで、時間がかかりました。
こういう人はクライマー界には非常に多く、動機を肯定的な方向に、方向付けをしてやることが大事です。
クライミングの価値観の中で、良いものを与えるということです。
例えば、
”レスキューはすごいことなんだ!”、とか、
”人命を第一に考えるんだよ!”、とか、
そうじゃないと、
どうやって自分がすごいことを示すか?ということに心身ともに魅了されている
ので、全然すごくないこと・・・例えば、俺は〇〇人の女と寝たんだぜ!とか、東京都の水源地で放尿してやったぜ!とか、古いピトンをつかんで登り落ちたことがある…、とか、全く自慢にならないことを自慢し始めてしまうんですよ。
これがチッピングが止まない理由です。
注目が欲しい。
だいぶ長いこと心理学を勉強して、ようやっとわかるようになりました。
クライミングを地域おこしに使うということは、このような人たちを良い方向に動機づけし、クライマーと言う人種が、社会不適合者ではなく、地域の貢献者となる手助けを行うという、崇高な仕事なんですね。
小鹿野にはぜひ頑張ってほしいと思っています。
■ 無責任×自己中
クライマーとしての在り方が
ただの無責任 × 自己中心
になってしまったこと。
まさにこれが日本のクライミング界の問題点です。
つまり、アクセス問題と事故対策の欠如の原因は、無責任×自己中心、です。
■ よそ者排除意識を上手に使う
アクセス問題がある岩場は多い。しかし、それを改善するモチベーションは小さい。
しかし、よそ者を排除したい!よそ者に取られるくらいなら自分でやる!ということが、リボルトやローカルクライマーの結束のモチベーションになることがある。
例えば、よそ者を排除したい!という気持ちが勝った結果、八面という岩場は、古参の女性がリボルトの音頭取りをする羽目になりました(笑)。そうしないと、やばい!誰かに取られる!有料になる!という気持ち?が、岩場のローカルクライマーを動かしたみたいでした。
一般に、岩場がある過疎地の地方行政は、岩場による地域振興に好意的です。
しかし、ローカルクライマーの側は、行政に黙っていて、今まで好き勝手していたので、好き勝手できなくなる!と思うだけで、誰もまだ何も言っていないのに、例えば、ただ中津の市役所の人を紹介しただけでそうなりました…(笑)。つまり、行政からの監視の目がある、という思いが、好き勝手やってることがばれたらヤバイ!という気持ちにつながり、自主的なリボルトにつながるのです。
家の留守番で散らかしていたのに、親が家に帰ってくるというので、片付け始める子供みたいな感じですね。
なので、地域行政が自分の地域資源、現金獲得の資源である岩場に意識的である、というのはクライマーたち自身の安全性のためにも必要なことなのです。
■ 内輪だけで楽しみたい
一般に、岩場ではローカルクライマー内での内輪で、コッソリ一般の人には、黙って楽しみたい、という気持ち…が強いです。というのは、岩場の使い方を初心者に教えるとか、超面倒な仕事なので、やりたくないからです。
そんなことは分かっている人だけで、登りたい。
そうすれば空いているし。
…という、仲間だけの秘密主義、がはびこっていると思います。
まぁ、小川山の混雑を見ると分からないでもありませんよね?
■ トップクライマーでも、自己中…
奥多摩の小鹿野ですが、トップクライマーの平山ユージさん率いる団体でも、古参のクライマーに文句を言われたら安易になびいてしまって、腰抜けです(笑)。
それは、ユージさんの戦略的に、町の一般住民のコンセンサスというのは取られていないからです。小鹿野のクライマーのコミュニティが頑張っても、外野の古参クライマーが文句を言えば、容易に靡いてしまって、結局町の利益を守れない…。
根拠希薄なクライミングエシックを振りかざすトップクライマーの論法に翻弄されてしまって、結局のところ、何が大事な価値だったのか?が分からなくなってしまうということに陥ってしまったのが去年でした。
町の一般住民が、クライミングを町起こしとして、利活用したい!という認識や認知なしに、クライマーだけで事を勧めようとしてもこうなるっていう事例です。
まぁ失敗して、良い方法を見つけるわけですから、失敗は良いことです。
誰のための岩場なのか? 地域住民のためだし、適切なバウンダリーが必要です。
それがない人は、古いクライミングエシックを悪用して、クライマーの自己中心的で社会性のない行動を擁護します。那智の滝の事例に明らかでしょう。
結局、ユージさん単体がすごいクライマーというか、素敵なクライマーってだけで、奥多摩地方の岩場は、もう悲惨ですよね…日本のアクセス問題発祥の地みたいな感じです。
まぁそういう問題を作った同時代人たちが片付けていくのが順当な順番だと思います。
■ アウトドアクライマーの流れ
私の結論的には、アウトドアアドベンチャーツーリズムにアウトドアクライミングを活用するには、日本のクライミング界自体が幼稚すぎ、時期尚早というか…
私は内心、城ケ崎はウェールズを参考にすればいいのではないか?と思い、トポを取り寄せましたが、まぁ私が私費を投じてウェールズに行っても、仕方ないよなぁと思っていたら、ユージさんが行っていたのを見て良かったです。
終了点もないようなくらいにきちんとしたクライミングを城ケ崎はするべきで、ウェールズのクライマーとしての倫理観の高さを見習うべきです。
だいたい日本のクライマーが堕落しすぎているのが、問題なのです。残置いっぱい残す悪習慣を辞めるのは、古いアルパインクライミングのエイドクライミングの名残を捨てるということです。懸垂下降を習得しないで来るクライマーは歩いておりましょう。
■ 問題を作り出した人が問題を解決するのが、人的成長であり成熟
クライミング界はアクセス問題を作った人がアクセス問題を解決すべきというか、東京の古参のクライマーがことに当たるべきだと思います。
というのは、男性が男性のケツを拭くとなると、当事者意識が湧くからです。
男性しか住んでいない家では、「男性も座っておしっこしてください」とトイレに書かれています(笑)。
要するに、ジブンゴトとならない限り、自分の行動の異常さが理解できないということなのです。
誰かがこぼしたおしっこを拭きたい人います?いないですよね?
誰かが作ったアクセス問題で、自分はそこに生まれてもいないのに叱られたい人いると思います?
いないですよね?
と思います。
■ 開拓の偵察なら、無許可で岩場にボルトを打っていいのか?
最初の偵察で、五木の岩場にボルトを打つと言われたときは
目が点
になりました。たしかに岩肌を偵察するだけでも、頂上からの懸垂下降が必要で、ロープは長くてもせいぜい100mですから、懸垂で降りるとせいぜい50mしか降りれません。
支点がそこになければ、マルチプル懸垂はできないので、打たない限り、さらに降りるって無理・・・岩間に生えた立木なんて信頼できたものではないですし…
しかし、そこで、ボルト一本でも無断で打ったら、町の人から得られたはずのクライマー社会に対する信頼、もうゼロですよね?
そこで町の人に対する説明とか、理解を端折ってはダメなんですよ…
最初から嘘ついてきた人をあなたは信頼しますか?しませんよね?
■ 既得権者のプライベート岩場化の機序
熊本の五木の岩場は日本最大の石灰岩の岩場で、手つかずなので、昨今のジム出身のクライマーが、外岩デビューするのにふさわしい岩場だと私は思います。
しかし、行政や町の一般住民に対する説明責任を充分推し進めないまま、少数の人だけが了解する形で、開拓許可を取り、それを駐車や岩場のマナー、初歩的なロープワーク教育などの必要な措置を講じずに…つまり、これまで通りのやり方で、ですが…公開した場合、公開一年後に閉鎖になる可能性が高いですよね。
開拓者の名誉だけが残り、肝心の地域には、何のメリットもお金も落ちませんね。
そして後世のクライマーに残せる岩場資源はすでに著名人になった人たちの、いまさら追加されたところでインパクトのない名誉や楽しみに使われるということです。
初めて開拓する、ということがもたらす岩との会話はどれほどの”岩知性”をそのクライマーにもたらすことができるでしょう?アイスのリードでは、それを皆、行っているわけですが。
■ 岩場閉鎖の利得
実はローカルクライマーには、岩場閉鎖になったとしても、メリットがあります。
いったん開拓されて、そして誰も来ないとなると、プライベートビーチならぬ、プライベート岩場です。
結局また、アクセス問題を繰り返して、メンテされず、危険なボルトでも登る方法を知っている人だけがコッソリ登るという繰り返しになります。将来にツケを回すという作戦ですよね。
これはたぶん、分かっていてやっているんではないでしょうか…?
確信犯というか、知能犯というか、このうまみの作り方をこの70年で覚えたというか…。
■ 傍証
なぜなら、地域山岳会って結構そうだからです。
山岳会の入会者にしか教えない秘密の岩場がどこの会にもあります。堂々とネットでそういう岩場での訓練を上げている会が多いです。
ということなので、いったい誰が国家の利益、地域の利益を、我が懐に入れているか?という視点でみると、そういうタイプの開拓者クライマーたちなのではないかと思います。
いや、お金はもらっていない!というかもしれませんが、結局、名誉は手に入れて、そして後世の人々から岩場資源を奪っている、ということは事実ですよね?
今のクライマーが開拓すれば、適正ボルトになったかもしれないルートを、アルパインのクライマーがエイドで登って、できるだけ遠くにボルトを打つ、という論理で開拓すると、フリークライミングとは似ても似つかない危険ルートが作られてしまい、その危険ルートは開拓者権利に守られて、ボルト位置の改定すら許されない、という有様になってしまいます。
そんな変な位置にボルト打つくらいなら(機能不全ボルト)、最初から開拓しないで、そっとしておいてくれたほうが…と若い世代なら誰でも思うでしょう。
■ 結局のところ、狭い仲間の内輪内での名誉争い
結局は、開拓は名誉があるからするが、メンテはしない…という立場で明白になるのは、その人が持っている動機が何か?ということです。
開拓 は、自分のために行うもの。
メンテ は、みんなのために行うもの。
と明白です。
九州の岩場は、一向にカットアンカーから更新される気配ないです。一方で開拓だけは進む。
いくら自腹でボルト代持っているからと言っても、だから偉い、とは言えない。上司面したいためにおごってくれる上司はいっぱいいますよね?
開拓者の質の是非は、開拓した内容を、質を問うべきです。そして、管理責任を持つべきです。
名誉だけを得て、責任を取らない、というのは、子供を産ませるだけ産ませて、その子の父親であることを誇り、その子の養育費は出さない、というようなものです。
日本の開拓者を盲目的に保護する文化は、男性のセックスの喜びが一番優先される日本のセックス文化に似ています。周りの人のことを全く考えていない、一発出して終わり、って奴です。相手がいることを考慮していない。
岩場のある地域の人は、何か知らんがクライマーが来ている…なんだろう?という謎の状態に長年置かれて、知らない間に托卵させられていたカッコウみたいなことになります。
本当にクライミング界のことを思っていたら、すでに開拓本数100本です!と自慢する老兵による開拓より若い人に栄誉を譲るのでは?
少なくとも、故・吉田和正さんは、私へのクライミング指導の中で、昇仙峡のスラブで私に開拓の醍醐味を感じてもらおうと思っていたと思います。そうすれば、どれほどの意欲を新しいクライマーに与え、岩との対話について、実施で教えることができるでしょう?
結局、開拓には、至りませんでしたけど。
多くの市町村は、市として町として、村として、クライマーの受け入れに好意的でした。こちらでかなり多くの自治体の観光行政側、あるいは議員などに会いましたが、それでもそんなんで、ローカルクライマーの側が、こうした行政との取り持ちをするクライマーに対しては、否定的反応を自動反応として行います。
つまり、その排除の姿勢こそが、既得権を示しています。今まで自分のモノだったおもちゃが、幼稚園全員に属して貸してあげなきゃいけないと言われた幼稚園児は、最初にどんな反応をするでしょうか?言わなくても分かりますよね?
要するにこれは、業界ぐるみの国益や地域利益の搾取構造…いわゆる戦後、日本国民をアメリカに売り飛ばした財閥や国賊と同じ構造なんではないか?と思います。
全体の利益より、自分の個人の利益。ってことです。売国奴は誰か?ということです。
大体の地方は、大雨で災害になってくれないと道路のメンテナンス費用すら、出せないほど地方財政は悪化しています。地域が自立しようという意欲はない場所も多く、災害が起こってくれてホッとしているっていうのが地方の現実です。
そんな中でクライミングによる地域おこしの可能性を聞かされた議員はどう思うでしょう?
このインバウンドでにぎわう時世をみて?
よし!と思い、未来に希望を抱くでしょう…
しかし、その希望は、日本人同士の内輪から打ち砕かれるのです…
ローカルクライマーだと自称する人たちから、有料化はけしからん!だとか、駐車場代を払うなんてトンデモだ!とか言い出すだけでなく、町のお金を使って、整備してくれ、と言い出す始末…
ならば、と整備してやっても、その何億か?は有効利用されないまま、箱もの行政として、閉じていくわけです・・
行政が悪い?
行政の担当官が海外にトポ発信して海外クライマーを呼び寄せるとかできると思いますか?
クライマーですらできない人がほとんどなのに、できる訳ないですよね?
■ 那智の滝事件ですら、身内擁護する身内主義
高い倫理観で右に出る者はいない、日本の誇るアルパインクライマーの山野井さんですが、那智の滝事件が起きたとき、もしかしたら、声明などを出されていたら良かったのではないかと思います。
トップクライマーとしての義務は、倫理面などでリーダーシップを取ることで、これはトップクライマーにしかできません。
だって、男子、お母さんの言うこと聞きます?先生の言うこと聞きます?聞かないですよね?
でも自分の憧れのヒーローの言うことなら聞く。
それが男の子ってことに日本ではなっているんです。文化的に。人は文化的奴隷です。
山野井さんも、結局は古いクライマーなので、社会性と先鋭的冒険の線引きを若い世代に示す、見せるということはできないのかもしれません。
現に現在のお住まいは、城ケ崎、以前は奥多摩。どっちもアクセス問題の火種で有名な土地というか、そこに引っ越して行ったら、かなり深くかかわる、ということは確実だなぁって場所です。そういう場所で日常的に登ってきたということは、その岩場がある地域住民には恩がある。
私は自然は多くの人の共有財産と言う面もあり、私有物ではないので、場所によっては秘密の岩場をこっそり登るのも、それでも良いと思いますが…。例えば、誰の私有物でもない国立公園内の岩場など、ガラガラだったりします。
例えば、温泉が湧く川辺とか、地域の人だけが知っていて、使っている、ってのは、九州では多くて、誰の管理もされていない…そういうので自分だけの秘密の場所を持つのもアリだと思います。まぁ同じところに誰かが来ても、先着順ではありませんよね。分かち合いでしょう。
私は、私しか行かないようなところを行ってくれるクライマーがいたらうれしいです。通だなぁっていうかね。特に破線のコースです。山梨なら板敷渓谷とか面白かったですよ。
さて、しかし、開拓者として名前を世に上げ、岩場を公開するからには、それに伴う
準備条件:アクセス問題の回避
を行わないといけないです。
これがない人が、アクセス問題を作ってしまう開拓者です。
たぶん、開拓する → アクセス問題起きる → 禁止される → 東京の人は来れず、内輪だけで登れてラッキー
という循環にあるので、懲りない。
本人らは、名誉だけ得て、岩場は秘密になり、誰も来れないだけだからです。
しかも、
”おれらは被害者なんだよ、迷惑クライマーが多いんだよ”
という都合の良いスタンスを取り続けることができる(=偽善者ペルソナ)を着れば、このサイクルが温存される。
という循環にあると思います。
上手いこと、考えられた手ですよね!あっぱれではありませんか?
そもそも、わざとトポにどう駐車したらよいのか書かないのかもしれないですよね?罠に入れるために。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、こういうことを考える天才が多いです。
■ ネット動画を上げても人が来ない理由
〇〇を開拓しました!と、特に新人クライマーにとって教育的でも、インフォーマティブでもない登攀姿をただ一方的にネットに動画上げるのも、効果がない上、オンサイトができなくなるので、辞めたらどうでしょうか?
ユージさんが大西さんと上げていたデイドリーム動画は、多少、教育的配慮がされていました。
大西さんがスリングに落ちて、皆さんもお気をつけて、とか言っていましたよね(笑)。
大西さんほどのトップクライマーでも、解除忘れて登り、スリングに落ちて、コマネチ状態になって痛い痛いって言ってるんですよ(笑)?
ちなみにビレイヤーに遠慮して、途中でスリングにセルフ取るのは日本だけのクライミング習慣で海外ではそんなことしません。
むしろビレイヤーがクライマーを見なくなるので、悪習慣である可能性もあります。
さて、動画の質が教育的でも、インフォーマティブでもない、つまり見る人にメリットがない動画を上げている動機は何でしょうか?
名誉欲、以外ないですよね?
まぁ、開拓クライマーは死ぬまで開拓し続ける、がん細胞みたいなものかもしれません。
一方、40年前のアルパインしかフォローしていないアルパインクライマーの情弱ぶりは、カットアンカーのルートを、再度、カットアンカーでリボルトしようとするほどです。
もう全体に日本の男性社会というのが、私が父親を知らずに育ち、そのために理想の父親をクライマーに投影しているから期待値が高すぎる、とか、に寄らず、
誰が見ても、もう目を覆いたくなるような低レベル
と言えます。これが客観的事実で、私の側の期待が高すぎるとか、理想が高すぎるという問題ではありません。
■ 海外クライマーも日本の上を行っている
じゃ、海外が違うか?というとそういうこともないようです。
なんせUIAAの事務局長ですら、ロープを持ってこないクライマーの何が問題なのか、分からないくらいです。
ロープは個人装備です。
共同装備に入れて登るのは、まだ一人では岩場を安全にこなすことができない段階の、今から、クライマーになるところの人です。
たぶん、ラオスが特別にうまく行った事例かもしれません。そういうレベルのクライマーも、ロープを自分で持ってくるクライマーも楽しく登れるようになっていました。
私は特別クライミング自体には思い入れはなく、
クライミングをすることでゾーンに入れる、ということが私の目的
です。
しかし、九州クライミングで、嘘を教えているクライミング教育を見て、「これは…」と絶句した、というのが真実です。
全国的な視点で見れば、現在のままの岩場でも、日本100岩場に載っている、小さな岩場をつないで
ジャパンツアーを組める
ようにしてやれば、現在の岩場状況でも、日本一周を企画する外国人クライマーが岩場をめぐって全国を徘徊することで、海外のマネーが日本の僻地に収入をもたらすと思います。
バムされてしまうと飲食費しか落ちません。クライマーが徘徊することで儲かるのは石油産業だけ、ということになってしまいますね(笑)。
■ 日本人クライマーたちは、シェアの精神は持ち合わせていない
日本のクライマー界自体が、それを受け入れたいという気持ちはないと思います。
まずクライマーという人種は嫉妬深いのです…他人が楽しむために情報提供するか?しないでしょう…
そもそも、クライマーは、岩場がある地域を、
搾取するための対象、
つまり、
地域の人に許してもらってタダで登る…
と思っていて、それに不思議さを感じていないからです。
タダって搾取ですよね? 与えずに受け取ることを搾取と言います。
クライマーは貧乏だから…
ってホント?だって、クライマーが人工壁で登っているホールド、一個4000円とかで、ボルト代より高いですよね?
ジム代に毎月1万円くらい払っていますよね?なんで駐車場代の300円が高いのかなぁ?
それは、地域経済にクライマーの側が貢献する、とは全く思っていないからです…
出来れば税金払いたくない、っていう寄生虫みたいなのとメンタルとしては似ています。
■ アウトドアクライミングも観光産業ですよ
いわゆるクライミングを観光産業とはとらえていない、ということです。
逆にニュージーランドなど、観光産業と捉えているので、歩くだけのミルフォードサウンドですら、有料です。
もちろん、めちゃ安いですけど。
しかし、そうしないと、誰でも彼でも来てしまい、多くの人に踏破されて、自然破壊が起こりますし、コントロールが効かないです。
料金徴収が、そのルートに入る人の名簿にもなるので、遭難した場合の対処もしやすいですし、要するに入場者数をコントロールをするための手段でしかないので、額そのものは安いわけです。
今時は、ネットで応募できます。ミルフォードサウンドとかそうなっています。
同じような仕組みが日本にもあれば、当然それは大きな収入を地方行政にもたらし感謝されることになると思います。
特に富士山ですね。
岩場では、人数が多い奥多摩や山梨、静岡の岩場ですね。長野まで東京人が足を延ばしていくことは少ないように思います。
それには古参のクライマーが得ている既得権の返上が必要ですよね。
というわけで、たぶん、
意識改革も、含め、
なんというか、クライマー集合体の業界としての人間的成熟性の問題が絡んでいるように思います。
いまだに、水源地に放尿するようなのを自慢する人を業界トップらが擁護するような論説を出しているわけなので、精神的成熟は遠い、ということが客観的に言えると思います。
■アルピニズムの濫用による聖地の冒とく
AIに聞いてみました。これが答えですよ。
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アルピニズムは、山登りそのものを楽しむ素晴らしいスポーツですが、その濫用によって聖地が冒とくされるケースも存在します。ここでは、いくつかの例と問題点について解説します。
■具体例
エベレスト登山における遺体の放置: エベレスト登山では、登頂中に亡くなった登山者の遺体が放置されるケースが問題になっています。これらの遺体は、登山者にとって障害物となるだけでなく、宗教的な観点からも問題視されています。
ヒマラヤ山脈におけるゴミ問題: ヒマラヤ山脈では、登山者が持ち込んだゴミが放置され、環境汚染を引き起こしています。ヒマラヤ山脈は、ヒンドゥー教や仏教などの聖地として崇拝されており、ゴミの放置は聖地冒とくとして批判されています。
マチュピチュ遺跡における観光客の増加: マチュピチュ遺跡は、インカ帝国の聖地として知られています。近年、観光客の増加によって遺跡が損傷を受ける恐れがあり、観光客のマナー向上が求められています。
■ 問題点
これらの問題点は、以下の3つの観点から捉えることができます。
環境への影響: ゴミの放置や登山道造成などによって、自然環境が破壊されます。
文化への影響: 聖地の儀礼や伝統が、観光客の増加や登山者の行動によって損なわれます。
宗教への影響: 聖地に対する信仰心が、登山者の無礼な行動によって傷つけられます。
■ 解決策
これらの問題を解決するためには、以下のような取り組みが必要です。
登山者の意識改革: 登山者自身が環境や文化、宗教への配慮を持つことが重要です。
規制の強化: 登山者数の制限やゴミ持ち帰りルールの徹底など、行政による規制が必要です。
教育・啓発: 登山者向けの教育プログラムや啓発活動を通じて、環境保護や文化尊重の意識を高める必要があります。
■ まとめ
アルピニズムは、自然と共存し、文化や宗教を尊重しながら楽しむスポーツであることを忘れてはいけません。
登山者は、自身の行動が環境、文化、宗教に与える影響について常に意識し、責任ある行動をとることが求められます。
■ AIに教えられなくても分かることばかりなんですけど…?
要するにフリークライミングの世界に、アルピニズムで起こっていることと同じ過ちを持ち込むこと=アクセス問題。
フリークライミングになれば、問題に名前がついているだけ進化している(笑)。
■ 自分で自分のケツを拭く
私が思うには、次世代にツケを回さず、自分たちで作った文化の副産物であるアクセス問題は、自分たちで解決努力をすべきです。
例えば、動画に出ていた大西さんとか佐藤さんとか、バッテンのラベルをすでに張られた方が、自分自身の内にあった”愚かさ”を、”昇華”という心理に向上させて、アクセス問題に積極的に取り組めば、それは、
その人たちの人としての成長
ということになるでしょう…。
そもそも時代遅れである、支点ビレイを広めていた指導者やスポーツクライミングの登り方で外岩でバンバン落ちるように指導していた指導者が、正しく外岩で登る方法を指導し、あるいは開拓費用をクラファンで募るとか、そういう活動を行えば、それは
昇華
であり、人的成長をクライミングによって達成したということになるでしょう…
〇〇会長、というタイトルや、どこそこ登った、という名誉ばかりを求める活動しかせず、座っているだけでいっこうに動かない岩場の清掃活動やら、開拓費用集金のためのクラファンは、
俺にはわかんね!
と言って、若い人任せでは…
60年分の負の遺産しか残っていないですよ。
特に九州の福岡周辺の古参クライマーはどう行動していいのか分からないだけかもしれませんが、リーダーシップを取るということは、結局のところ、このような
間違ったアルピニズムを岩場に持ち込むことがない指導
を行うことです。そんなこと 人から言われなくても、明らかですよね?
Stephen Gilligan's workshop
I am on 4days seminar of Stephen Gilligan, today was the first day of that 4days.
In my climbing activities, I was always in my zone, like some people experience runner's high. In my case, my ice climbing was my zone.
With rock, it gets harder to me since it requires more finger power, so I moved on to trad. That way, I don't need finger power, I can jam, so I was more of trad climber than sport climber...
I mostly climbed in Ogawayama, Mizugaki, Jyogasaki, and Syosenkyo. Especially Syosenkyo was memorable place for me.
Anyway my main interest in climbing is to enter zone, and be connected to my inner self, which some people call it "inner god", and that leds me to Steve Long, of UIAA when I asked him to publish UIAA alpine summer in Japanese, that was an act of my inner god. (Links here)
Kyusyu my born place
After coming here in Kyusyu, my inner god keeps saying me to stop climbing, it even created so many injuries... my right leg cuff torn, my right leg knee dislocated, and the last year my Achilles tendon had raptured... what is going on?
In a 5 pitch 5.11 trad multi-pitches called Hakua slab, I was doing a second, and the lead climber had connected 25 m and 35m pitch in one, and our rope was 50 m single. We did not bring our backup rope because he was so proud of announcing we did it without backup!
I was taken my sweet spot that I was sorry for him not being able to find a climbing mate.
In that connected pitch, I climb up about 5 m from my belay point to help him, so he will have a bit more rope lengths, I had no way of telling that he connected 2 pitches with 50 m rope. When I got up, I saw we both were hanging on just one bolt and the bolt was something called cut-anchor, 40 year old and it strength is said to be 5kN much weaker than regular red Camelot, and we trad climber all know we never put our entire life on just one protection.
25 + 35 is a way too longer than 50 m, very obviously, so he had to stop climbing anyway, somewhere in a middle of the pitch. Without proper anchor... meaning two bolts in sport routes ... but we hang on just one cut-anchor.
We barely survived this climbing but he mentioned on the spot,
"In retrospect, I should have gotten 60 m rope" ...
Do you see how stupid this word is? 25 +35 is 60, so 60 m rope still will not do, obviously... how are you going to bult an belay point with?
I never thought this dumb he could be... not just him, any other climbers... I knew they are pretty dumb but this dumb???
He must have not seen a topo(a guide book that climber use) so he is the worst kind of climber who will put his partner in death by neglecting a basic safety in climbing, such as seeing a topo before you go to a route.
so I was having a hard time accepting his attitude as my own mistake of responding his request of doing a second for him...
I felt kind of sorry for him because he asked because he had no one else but me.
At the same time, a flashback memory of my dad pushing me... 2years old, into a water started.
My background
I had lost my younger brother when he was 24, so I am extra sweet to young guys... and not very intelligent guy...because my bro was not intelligent type, he did not do so well academically.
But I must stop reflecting my younger bro, to a rope partner, who can be the stupidest person I ever seen in climbing community.
Now I am very careful. Last time, someone from Costa Rica wanted to climb with me but I let her go. She had no rope with her. No car. No draw. Nor belay device. Just harness and shoes.
So today, in Steve Gilligan's workshop, I had built my connection to mountains and found out that my swimming was a metaphor of being incubated in a mother's womb... reconnecting to inner self or bigger self, so I can be better climber when it is done.
I will swim in Kyusyu.
That is where a good tradition of Asian good daughter is inherited. Personally, Kyusyu's male tradition is disaster they still worship of 40 m runout in 5.8 when everyone can climb better nowadays. Who's life is worth of such easy routes?
So I must take care of this anger that I was almost killed and being used.
Take your time
Take your time was a message I got, so I will take my time to heal this wounds.
He had really damaged me. Me, my body, my soul, and my relationship with my husband...all at once it was endangered...
What an evil soul I have seen in Kyusyu... it is so surprising to see a climber can be this bad when his ego of showing off is so strong.