2022/11/24

クライミングのパートナーについてと私が奏でるクライミングの歌

■ 恵ちゃん

最近、良い友達ができた。彼女とは初対面の時、わぁ、きれいな人だなぁと思ったんだけど、もう一度会ったときに、お顔をまじまじと見たら(失礼だったかもしれないが)、やっぱり、きれいな人で、見飽きないなぁと思った。”美人は3日で飽きるから結婚するな”と、言った、子供が6人いる先輩がいたが…、あれ、嘘なんじゃないの?美人は、何回見ても飽きないかも。

その彼女が、クライミングで出てきた、私の子ども時代のトラウマの再演を辛抱強く、聞いてくれるので、

なんで私が?

という憤りが、徐々にほぐされて行っている…。

■ ほんの些細なうっかりに命がかかる活動…怒って当然

クライミングは、チェーンソーもだけど、ほんの些細なミスで、自分が死んだり、相手を殺すことができる活動だ。

リスク認知の甘さというのは、リスクのないクライミングしかしてこなかったというのが正しい。

だから、私が受けた仕打ちは、そんな些細なことで怒るなんて…と流してしまえる内容ではない。殺されかけたと同じ意味だからだ。深刻に反省が必要だ。納得するまで深く反芻して、学んだ教訓が石に刻んだ教訓となり、決して教訓が消えないようにすることが大事だ。

そこのところが、無執着を是とする仏教仲間には理解ができないと思うが仕方がない。

殺されるという臨場感がない人たちの集まりだからなぁ…。メンタルを病む人は私も病んでみたが、全くの甘ちゃんと思えることが私の生い立ちからは多い。頑張る前に病んでダメになっているように見える。

■ 教訓:かっこよく見えるために登っている人と登ってはいけない…意図が大事

まったく、男どものクライミングに対する誤解やクライミングをエゴの充足に使いたいという心理ニーズは根強い。

クライミングできる俺がカッコイイ~ というのが、一般論として、男性はどうしても手放せず、逆に、

 俺をかっこよく見せてくれるクライミングだけする、

ということになっている人もいるかもしれない。

そういう人は、意図がカッコよく見えることなので、リスク管理については後回しで、ガイドをしていたり、経験年数が10年もあっても、のど元過ぎればで忘れてしまい、真剣な考察を与えていないことが多い。

だから、結果としてとても危ない上、それが止むことがない。ヒヤリハットから学習しない。

なぜなら、かっこいいクライミングこそが善だと信じている限り、あるがまま、をみることはないからだ。

しかるに セーフクライミングをしたい人は、意図を見分けて避けるべきだ。

■ 落ちろ落ちろ

私は山梨時代は、なかなか気楽には落ちようとしない点を、往年クライマーから、評価されたクライマーだった。 九州では逆で落ちろ落ちろと言われる。

師匠の青木さんは、「俺はすぐ落ちるクライマーは嫌いだ」と公言していた。だから私と登ってくれたわけだ。

日本の岩場にはリスクがあるんだが、そのリスクは、暗黙知になっており、明言化されていない。

<明言化されていない暗黙知リスト>

・落ちて良いボルトと落ちて良くないボルトがある

・古い岩場の5.10代は5.12が登れるようにならないと安全には取りつけない

・ボルト間隔が、日本人男性の標準身長に合わせてあるので、背の低い人には、より危険

・2000年以前に開拓されたところはグレードがバラバラであてにできない

 ■ 3ピン目以前に落ちてはいけない

一般に山梨でクライミングデビューするクライマーは、

 「3ピン取るまでは死んでも落ちてはいけない」

と教わっていると思う。 これはフリークライミングの教科書が言っていることとは違うが、現実に即せばこうならざるを得ない。

■ 9割落ちるクライミング

ただ、入門期を過ぎると、

”落ちながら上達するハングドック式(RP式)フリークライミング”

の洗礼を受けるわけだが、フリークライミングで5.13レベルを登っているような人は、「俺、9割落ちている」「1ピン目掛けれたらどこで落ちてもいい」と言っていた。

当然だ、限界グレードを上げるわけだから。これは、スポーツクライミングの考え方だが、フリーでも限界を上げだすとそうならざるを得ない。

これは、古い日本の岩場の5.10代では、プリクリップなしには実践はできない。

■ 古い岩場では5.10代では落ちながら限界をあげるクライミングはできない

しかし、それを5.12の登攀力が前提になっている ”日本の5.10代” でやることは、死へ直結する道だ。

上手く言語化出来ていなかったが…。

結論的には、山梨でそう教えてくれた彼は、高難度を登っていたので、

 高難度=ごく最近のルート=ボルトが新品

という公式が当てはまり、

40年経過したカットアンカー(そもそも十分な強度がない上、腐食していると想定できる)

ではない。

九州でも、高難度を登る人は恵まれており、その人のために新しくルートを切り開いてもらってボルトも新品を打ってもらう。身長に合わせて打ってもらうので、オーダーメイド、というわけだ。

しかし、オーダーメードと比べて、既製服、と言えるような5.10代や5.9で、外岩でバンバン落ちて限界グレードを上げるという登りは、不可能だ。

特に九州の古い岩場には適用できない。ボルトの経年劣化は40年だからだ。しかも、元々使われているボルトの品質が、カットアンカーであり、新品でもカム程度の強度しかない。

公式:バンバン落ちていいかどうか?は、ボルトの品質次第。

九州では、熊本の会にお世話になる気でいたが、どうもスポーツクライミングの理論を外岩に無邪気に当てはめているようで、私を落とそう落とそうという意図が透けてみえ、北風と太陽みたいに、落とそうという北風が吹けば吹くほど、私が嫌がるという公式にあった。

(俺のビレイが信用できないのか!というおごりの気持ちが相手にあったらしいという気づき が今生まれた。ビレイ以前に九州ではボルトが信頼できない)

■ ボルトじゃなくて、ビレイヤーへの信頼

私は落ちて良い岩場、兜岩で1ピン目をかけた後、当然キャッチしてもらえると思って落ちたら、全くロープテンションがなく、落とされてしまって頭を7針縫ったことがある。

その経験が、安直な墜落を戒めているのか?というと、そうでもない気がするが… だとしても、不思議はない。頭がカチわれていたら死んでいたわけで。

私が落とされた理由は、兜ではボルトにはない。兜岩は比較的新しい岩場だ。現代のジム上がりクライマーを考慮して、私ですら要らないと思うような低い位置にすら、1ピン目が付け足されている事例を5.8で見たことがある。

では、何が問題だったかというと、

 ビレイヤーのビレイスキル。

下部では細かく、ロープ操作が必要で、少しも出し過ぎてはいけないのだ。上では別に少し出し過ぎても、大事になることはない。

■ビレイヤーのスキルというのはどうやって判定できるか?

ビレイヤーを見ながら、登るというのは、クライマーとして登っている最中は不可能だし、先輩の荒木さんが「俺のビレイに落ちてもいいよ」と何度となく、言ってくれたが、彼のビレイが信頼できないというよりも、クライミングに対する理解が不安だった。

彼は、もしかして、あまり理解が深くないのかもしれない…というのが、常に私の不安の根底にあった。誰にどうクライミングを教わったのだろう…なぜヨセミテに何度も言って成果が上がらないのだろう…。その様子が分からないので、問題の根源も分からなかったし、彼は、男女の差を分かっていないと思えたからだ。女性の立場に立つ視点が欠けているかもしれない。

ならば、その無知により、私が危険に陥っても認知できないかもしれない。 それがまさしく、3歳の幼児をプールに突き落とした父の姿だった。彼はただ赤ん坊は教えなくても泳げると思っていただけなのだ…。

もう一人の親しくしていたキーボウさんは、オリンピックでスポーツクライミングのビレイを習得しておられ、流して観客を魅了するというスタイルは、外岩には絶対にない、ので、どうしても、ビレイの捉え方、考え方に不安が払しょくできなかった。彼のビレイには何度か落ちてみせてキャッチを確認しから、ビレイはいいのだが、提案してくれるルートが…。

例えば、大蛇山などは、私が登ったとたんにJFAのリボルトの対象になっていた。つまり、ボルトがぜい弱だという判断が客観的な目でなされたわけで、それは落ちながら登ることを薦めるルートではないということになる…。つまり、初心者向きの課題を選ぶ目は、ないのかもしれないということだ。

https://allnevery.blogspot.com/2021/01/blog-post_2.html

■ 自分より重たいビレイヤーの場合は、奥村式を採用してもらうべき

ぱっつんビレイもだめだけど、だらりんもダメで、信頼できるビレイは、奥村式なんだが、奥村さんの講習会には来られなかった。

奥村式というのは、自分より体重が著しく軽いクライマーをビレイする場合は、握った手の幅分のスラックを出す、ということだ。

私みたいな小柄な人が重たいクライマーをビレイしている場合は必要ない。体が勝手にショックアブゾーバーになるからだ。

■ 迷ったらハードプッシュはNG

というのは、これは、山梨時代からだが、

 「迷ったらハードプッシュ!」

という原理原則が外岩に応用されがちで、ハードプッシュというのは、力で解決、という意味だ。あるいは動的ムーブ。

この選択肢のとり方は、予備パワーや、使っていない潜在パワーが大きいと想定できる、青年期~壮年期男性が取れば、それはある程度、根拠がある選択肢だし、誰でもセカンドの時やトップロープの時は、ハードプッシュで構わない。

このハードブッシュで自分の眠れる野生が目覚める若い男性が多いのは知っているが…それは万人向けの戦略ではない。9割のクライマーが男性なので、主流ではあるにしても。 

マジョリティが取る戦略が、一概に正しいわけではない。

一般に、みんなと同じ=正解、と思考停止で思っている人には、これが理解できない。

■ ムーブ解決が私の取るべき道

少年期の男性や、老年期の男性、あるいは、女性全般などは、迷ったらハードプッシュは取れない戦略だ…。

そもそも、私の肉体に、火事場の馬鹿力があるか?どうか?と問えば、ないとは言えないが、それに頼り続ける戦略が正当化できるほどの潜在パワーか?というと、かなり疑問だ。

山梨時代から、「男子は、いつもパワーだよりなんだから…」とあんまりムーブの洗練に対しては、期待しないでいた。私にムーブの指導なんて出来ないだろうと思っていた。

荒木さんもジムでのセッションで、大勢で登ると、どうもムーブ派ではなく、肉体の強度で耐えている人であるようだったし、悪いことではないが、誰が見てもムーブ解決タイプではないってことだった。

パワーがない人にとっては、

「迷ったらハードプッシュ」は、死に至る道であり、取りたくても取れない選択肢

と思っていた。そういう人は、とにかくムーブで解決するしかない。

■ 切羽詰まると出るムーブ

リードが楽しくなってきたのは、私が思ってもみないムーブを肉体の叡智が繰り出せるということが、段々分かってきてからだった。

体は頭よりも賢い。

私はリーチが、中学生程度しかない。ので、核心前にクリップすることができないが、それでも、これまで、プリクリップからは縁遠くきている。意地でもプリクリしない、のは、ほかの人に付け入るスキを与えないため。

さらに言えば、これは核心前にクリップしてしまうと、安心してしまい、出るべきムーブが出ないからだ。

2~3トライで、逡巡していて、自分でも思って見なかったムーブが出たときが何度かあり、これが切羽詰まらないと出ない。

まだ、それで落ちたことがない。いつも、3回目くらいには、ひやりと冷や汗をかきながらも、内心、

 えーこんなムーブやったことなかったけどできたー!と自分でもびっくり

しつつ、核心を越えている。それは、意外でもあり、驚く瞬間だ。

■ 繊細な長ヌン是非の判断

ので、長ヌンで伸ばしてくれる人を見ると、ありがたいけど、ありがたくないような、何とも言えない複雑な気分になっていたものだった。

師匠の青木さんは、私が恐れつつリードしていると、見ていられず、「降りてきなさい」という。ルートを見る目が確かそうで、素直に従っている。

私が思うには、危険個所以外では、長ヌンやヌンがけリードはイラナイ。

危険個所というのは、リーチの問題で掛けたくてもかけられないのにも関わらず、落ちれば骨折確実、という箇所だ。例えば、斜陽のようなの。あれは、私はリードでは取りつかないだろう。

あるいは、3ピン目以下に核心がある場合。

3ピン出す前に、手繰り落ちの危険があるようなら、ヌンがけリードのほうがよい。

大事なことは、その見極めであり、その見極めをパートナーとすり合わせていくことだ。

下部であるほど危険だ、というのは、元よりクライマーの常識だ。

■ 相手の立場が見えない人だと

男性は、迷ったらパワープッシュで、自分の肉体的パワーが発散されることに快感を感じているので、なかなか女性が何を楽しみにして、クライミングしているのか?ということが分からないみたいだ。

以前、御坂山岳会にいる頃、奇特な先輩が、ユージさんのベースキャンプに付き合ってくれた。私は、その先輩のやり方で登ると、自分が快調に登れる以前…アップで、ぐったりと疲れてしまって、普通に取れるグレードもとれなくなった。

つまり、最初からどっかぶりを登るとか。これは師匠の青木さんが自分の体を目覚めさせるためにいつもそうで、私には全然合わないので、参ったのだった。1本目からどっかぶり。

城ケ崎でも同じことがあった。親切なクライマーが一本目で、どっかぶりの易しいクラックを薦めてくれたのだが…。それは彼には親切でも、私には、最初に核心がある、というだけで後の登りが出なくなるのだから…全然適した課題ではないということになってしまう。

私は一日のクライミングの初めでパンプしてしまったら、一日を棒に振ることになる。

男性は先に疲れてパワーを消耗してしまわないと、ムーブ主体の登りに切り替えられない。 これは保科ガイドでのクライミングで、皆疲れてからが本番なので分かった。

だか、女性にはそのひと手間はイラナイ。足で登れる易しい課題で、クライミングの勘を取り戻して、体が温まってから、 本気トライ、というのが、私のベストな流れだ。ごく普通のスポーツ理論と同じだ。

かつて、吉田和正さんが、私に、「もっとレストしろ!ジムに長居しすぎだ!」と怒って言ったみたいな状況になるのだ…普通の人工壁で。パンプは、翌日まで続くから、翌日だって登れない。

人工壁ってかぶっているでしょう、垂壁でも薄被りですよね?


 これは、小学生時代の小松由佳さんの記事だが、

 リーチが短い=人工壁は苦手、外岩では1ピン目がかけられない

と問題が明らかにされている。子どもというのは160cmない人たち、6年生で140cm代、中1で150cm代。

彼らは、大人になって背が伸びると問題解決されていくが、大人で小柄な人は、男女問わず、解決されずに問題が残り続ける。

今後、日本の岩場が、ダイバーシティ、つまり、女性や老人、子供を取り込んでいくならば、ピン間隔が170cmの平均身長に合わさっている点は、改められないといけない。

■ 男性の登り方と女性の登り方は違う

カチ主体の日向神みたいな岩場でも、結局のところ、力を発散しまくる男性のペースで、力を発散して登っていたら、あっという間にエネルギーのタンクはゼロになってしまう。私はぐったりして、出る筋力も出なくなる。

結果、ビレイしかすることがない、となって、なんだかパートナーの男性にばかり、有利に働いてしまう。

一般的に子供や女性は何時間でも登っていられるのは、そもそも、オールアウトしない、そもそも節約して登っているためだ。

だから、女性でも、例えばインスボンのスラブだのクラックだのでは、一日中登っていても、マルチ2本+ショート2本くらい…ロープスケール50で一日15本くらいは平気で登れるわけで、使っている筋肉が違う上、出し方も違うという話だ。足腰の筋力をオールアウトするってないでしょう。

おおざっぱに言えば、持久型と瞬発型の違いだと思ってください。

■ 女性経験の少なさ

上半身の筋力というのは、それくらい男女で差があり、女性は人にもよるだろうが、そもそも、男性のようにプリインストールされているわけではない。

それが、やはり、男性で、特に女性の兄弟がいなかった人とか、家でお母さん以外の女性と生活したことがない人は、理解ができないようだ。

一度、きつくしまったサーモスの口を開けてもらいたいと、お願いしたら、「なんで俺に頼むんだよ」みたいな対応をされ、えーッと思った。我が家では男である弟に頼むのが当然だったし、相手にとっては、大したことではないので、本人もそれが普通だと思って対応していた。だいぶ前におにぎり食べさせてやったじゃん、と思ったんだよなぁ…。そのギブアンドテイクは、相手はもらえるのが普通だと思って、私の行動食、おいしい~と食べていたからなぁ。 まぁ、えー?私の分、食べないでよ、とは思ったが、まぁ弟みたいだし、いつか貸しを返してもらえばいいか、と思ったんだった、当時。

ところが、こうした兄弟間の女性経験がない人だと、相手が女性だと、もらいっぱなしで返礼なし、が普通に感じるみたいなんだな…女性の原形がお母さんにマッチしている訳で。これは夫も同じだ。

いつでも、どんな時でも僕のためにスタンバっている人=お母さん。

しかし、現実の女性はそうではない。人間だから、当然、怪我もすれば、病気にもなるし、疲れもするし、イライラしているときもある。人間なら誰にだって手助けが必要な時があるのだ。

男性は、怪我しているお母さんに、ご飯作って、というのだろうか…?

兄弟なら、中学生くらいから、顕著に体力差が出てきて、まるで勝負にならないというのが、一緒に育つと分かるはずだ。

だからと言って、女性が能がないわけではなく、チェーンソーだって使える。休み休み行けば。

そんなこんなで、女性の能力に対する一般的な理解、というのが欠けており、欠けていることに、なんとなく気づきはあるようで、「女性はスラブが得意科目」と声をかけてくれたり、「ムーブがいい」とあえて気を配ってくれたりしたが、それは、なんとかおだてて自信をつけさせ、パワームーブに傾けようというのが狙いであり、本心ではないのは、分かっていた。

仮に私がそれに折れて、パワームーブで外岩をトライするようになったら、早晩、怪我をするのは、私の方になるわけである。

■ 男性性に魅了されている人たち

本当に女性の能力に感心する、というのは、男性としての肉体能力に本人が魅了されているうちは起きないのかもしれない。

あるいは、誰か女性に対して、恋に落ちて、女性の強さを心から実感するようになるまでは、起きないのかもしれない。

なぜなら、人の心は、好ましいもの、と思っている間は、それが唯一の解になってしまうからだ。

男性が持つ瞬発パワーを好ましいものと思っていれば、いくらクライミングはムーブですよと言われたところで、俺やっぱりいつもパワーで解決しているしなぁ、ホントなのかなぁとなってしまい、パワー以外の解を信じることはできない、ということです。

だから、彼は自分より非力な人が自分以上のグレードを登って見せないと、納得は出来ないのではないでしょうかね?

■ 肝心のところで心が離れる

という以上のような理由で、私が核心部で、逡巡し始め、つまり、ムーブが出そうなスイッチが入りそうになると、下のビレイヤーは、「早くしてよー」という心理状態になっていて、そこで早くしたら、私にとっては、せかされてスイッチが入らず、ただのハードプッシュで

 面白くも有効な戦略でもない

ので、登っている私の方は、

 「もう!分かってないなー!今いいところなんだから!!」

という状態になり、全然、心の歯車がかみ合わない、のだった。

私には、

 私が核心部でいい状態に入っている、と理解できるビレイヤー

が必要で、それは彼でないことは確かなようだった。たぶん、大体の男性クライマーをビレイヤーにしてもダメなんじゃないだろうか?

クライミング歴40年と豪語していた人ですら、クラックで人のカムセットで登ることが、低身長の私には、安全でも何でもないことが分かっていなかったみたいだし…。

ある一つのクライミングというのは、クライマーとビレイヤーで作り上げるもの、

だが、それが

 相手のリードに寄り添う、という心の働きが必要、

というのが、

 いつもいつも寄り添ってもらうだけの側、だと、寄り添い方を理解できない

のは、親の心、子知らずで、子だった人が親になって初めて親の気持ちが分かる、というのと似ているのかもしれない。

親になっても、それが訪れない人がいるように、ビレイヤーになれば、すべてのビレイヤーが、クライマーの心に寄り添えるわけではないだろう…

各種のクライマーが紡ぎ出す、クライミングの歌は、人それぞれなのだからして…。

■ 私のクライミングの歌

私のクライミングの歌は、高グレードでなくても、ロープがスタックしたり、ランナウトしたり、あるいはカムが抜けたりとか、そのような悪ガキっぽさがない、品行方正さ、を現在のところ、目指しており、やむを得ない場合以外は、ランナウトはしない。

もちろん、クラックを登っていれば、やむをえないランナウトには岩の形状上、出会わざるを得ないから、その時にランナウトに耐える力は持っているんだが、わざわざそれを見せびらかしたい、そうして、勇気あるクライマーだとみんなに認められたい、という気持はない。

私は写真にとってほしいとパートナーに頼むことはない。ので、めったに写真がないのだが、この2枚は、私のリードスタイルが分かる貴重な2枚。

      アイスでのリード結果
 
      クラックでのリード結果

こういうのが、いいクライミング、と私は思っているんで。

落ちたらカム三つ飛んだとか、いいクライミングと呼べない。下のビレイヤーが、”死亡事故を自分は目撃する羽目になるのではないか?”と恐れるようなクライミングは、わざとはヤラナイ。わざとしなくても、そういうことはあるのがクライミングだからだ。

ウオーッと叫んでギリギリをアピールしたい!というのは、全然ないんだな… 

叫んだら、なんてったってムーブが出ない。

同調圧力は、特に嫌いだ。ラオスでは和気あいあいとしていたが、同じように登れなくても、なんだよ、あいつってのはない。なんせ、フランケンユーラに住んでる奴が、私より登れなかったけど、誰も馬鹿にしていない。

台湾ではアメリカのヨセミテ仕込みの奴と登ったが、私がセカンドで行ったマルチは、彼の方が私に付き合ってもらって悪いね、という態度だった。連れて行ってやる、っていう傲慢さはなかった。

アルパインだって、12の力で8か7の山にしか行かない。逆に言えば、8か7の実力がいる山に行くのに、12の力をつけてからしか行かない。阿弥陀北稜は楽勝だと分かっていたから行っただけだ。楽勝だと思っていても、そうでないことがあるのが山だから、一升瓶で大酒飲んで6人の大所帯でわざとハンデつける愚行はしない。

ギリギリっていうのは、やっていい時と悪い時が見分けられるようになり、敗退も確実になってからやるものですよ。

2022/11/23

俺様思考 は 抑圧された男性の頭の中にある

ーーーーーーーーー

性は自然な現象だ。 それについては いっさい思い悩まなくてもいい。

ーーーーーーーーーーーーーー By OSHO


■ 九州では、男性は男らしさに抑圧されている?

九州に来てから、やっぱり環境が悪いのでは?と思うこと

vs

いや、それは主観で日本中どこも同じ…

の間で、決着がついていないことの一つが、

  九州では、ことさら、男性は、 男らしくあれ、

の抑圧を受けており、その結果、俺様思考、なのではないか?ということです。

■ チェーンソー事件

先日チェーンソーの会で、私の胸高になるところに積んだ丸太を玉切りするようにけしかけられた。そのおじさんはびっこを引いており、仲間内でも、出来ない子、のように見受けられた。

私が断ると、そのおじさんは、お前はエラソーだ!と言ったのだが、なんで私がエラソーなのか?

どっちかというと、自信がなさそうにしているので、わざわざ小さいチェーンソーを持ってきてくれた人がいるくらいだったぞ?

私より背の低いおじさんがいて、俺にも危険だ、というので、かばってくれたので助かったが、今まで起きた登山で危ないシーンというのは、大体、男性の中でも、

出来ない子

が、勝手に私をライバルと決め、私を陥れようとしている、ようにしか感じられないんだが…。

■ 妄想は私の中ではなく、”できない”おじさん族の中にある


被害妄想なのかしらね、と、ずっと思っていたが、チェーンソーの事件で、

 これは別に私の被害妄想ではなく、

 しかも私の側に非があることでもなく、

勝手に、序列を頭の中で想定しているおじさんがいて、その人のヒエラルキーの中では、

 私が、その人の地位を脅かしているために起きている

んではないかと思う。

阿弥陀北稜事件もそうだし、九州で起きた数々のヘンテコな事件もそうだし…。

つまり、彼らは、登れる女性の出現によって、地位が脅かされるのを恐れている、とか、俺が俺様で無くなるのを恐れているのでは?そもそもが砂上の楼閣なのに、俺ってかっけーとやっているほうが問題で、私は別に問題ではないような?

だから、私は何も変わっていないのに、海外の登攀では、普通にしていて、普通に登れるわけである。 誰にもバカにされたり、わざと危険な目に合わせられたりせず。ごく普通に。

しかるに、怒りの感情を想起するのが、正しい反応のような気がする。

私に社会性がないということで責められる点があるなら、

 正しく怒って来なかった

ってことかなと思う。 

そもそも、41歳でクライミングをスタートした人に脅かされる地位なんて…大した地位じゃないって意味なんでは…?


2022/11/22

 椅子でお茶を沸かせないからと言って椅子に失望する必要はない

■椅子でお茶を沸かせないからと言って椅子に失望する必要はない
 

椅子なんだから。
 

女性が4.5kgのチェーンソーを持ち上げるのが困難で危険だからと言って、

ダメな奴、

ではない。 男女に限らず、4.5kgを楽々持ち上げることができる筋力がない人、に、とっては誰にとっても危険。

身長152cmの人が、高いところに手が届かないからとって、

 能力がない、

ということにならない。男女誰にとっても、届かないものは届かない。

結果、例えば、

 高いところに積まれた丸太を切るのが危険だ

とか、

 背の高い人に合わせたボルト配置では核心前にクリップできないから、より危険だ

というのは、

 無能の証明にならない

誰が見ても明らかな真理なんだが、なんでか知らんが、それが分からない九州男児…を含む日本のクライマー男子。俺の基準がすべての基準になるように、

 立てて

もらってきたため、だろうと思うんだが、違うのかなぁ。

体格の不利有利で、ものすごくバカにする文化があり、なんだか子供のいじめみたいだなと思う。

■ 私のような不利な人でも出来たということの方が大きな事実では?

私はクライミングにはかなり不利というか不向きな体格だと思うが

それで、ラオスに行って楽しかったり、小川山でも色々登れているのがある、台湾も行っている

そういう結果を見ると、

こんな不利でハンデある人でも、ここまでできる

ってほうが正しいと思います。指力もないし、握力は17kg。リーチは152cmだから6年生程度です。

アレックス君のお母さん、70歳初心者でエルキャップ登っていましたよねぇ? 

https://www.ktvu.com/news/mother-of-famous-climber-alex-honnold-marks-70th-birthday-with-record-setting-ascent-up-yosemites-el-capitan

自慢にならないことを人々の誤解に基づいて賞賛されたいというのが、本心なのでは?


岩場のグランドデザイン

■岩場のグランドデザイン

今日は朝から、ある情報を貰って、やっぱり誰か指揮者のようなグランドデザインをする人が必要だなぁと思った。

日本の岩場は、例えば、日向神など、グランドデザインをする人が誰もおらず、誰でも好きなように好き勝手に開拓して、名乗りをあげることができるので、しっちゃかめっちゃか、と言っていい状態になっている。

その上、でっかい岩の、下の方20mくらいしか使っていないとか、めちゃもったいないけど、2ピッチ目以降はやる人がいないのは、単に大変だから、みたいな感じ。


人は安きに流れるもの


なので、簡単に得られる名誉、の方に流れるとこうなるんだなーという見本になっている。一方で、ラオスの岩場の方は


しっかりしたグランドデザイン
 

に基づいた開拓なので、方針一徹していて気持ち良い。ちゃんとマルチもあるし、5.10代の人も5.12代の人もないがしろにはされていない。 (ちょっと5.13以上の人はないがしろにされている気配はある。たぶん高難度登る人がいないんだろう)
 

日本では、一般クライマーは、高難度クライマーと比べてないがしろにされている、と思う。それは、開拓という行為が
 

みんなで楽しく登ろうよ!
 

っていう意図ではされず
 

俺の課題だ!登ってみろ!受けて立つぜ!
 

と意図されているためだろう…そんな時代はとっくに終わって、今は
 

市民クライミング普及期
 

なのに。日本に健全な市民クライミングが根付くことを願います。

     こんな若者が5cでひいひい言ってて可愛いんですよ 7Aが登れても誰も鼻高々になってなんぞいない

2022/11/21

Discovering Tibetan Nepal: Manaslu Circuit Trekking, Nepal Himalaya

祝・許し

■子ども3人捨てた父への許しの感情…男尊女卑社会・年功序列社会への嫌悪

最近、先祖に近しい村で、宴会に参加する機会があり、その宴会とは何も関係ない、役所の22歳の若造が、ただ若いからってだけの理由で、お酌担当で呼ばれて、私のウーロン茶の分量まで気を配って、お酌させられている様子を見て、

そりゃ、父だって嫌だったはすだわ、これじゃ、おら東京さいくだとなるわ・・と思いました。

私の父は、飲酒、DV、女癖三点セット、でしたから、私が6歳の時、正式に離婚が成立する2年ほど前から、父の記憶はほとんどなく、今までは、

父のことは覚えていないから嫌いでも好きでもない 

という立場で、自分をガードしていました。というのは、父を嫌いになるように母が感情的に求めてくるからです。知らない人を嫌悪することはできないので、そのように対応していました。

ある意味、知らないということが、憎しみから私をガードしており、知らないがゆえに、憎まずに済んでいる状態ということです。実際に起こったことは、憎んだとしても、世間の基準で言えば、誰も文句が言えないようなことですが。 まぁ、今でも憎んではいないので、特に父への愛憎は問題になっていません。

問題になっているのは、私が、男性の下心を前提にした親切とそうでない親切の見分けがつきにくい娘である点を利用されそうになることです。

山梨では、クライミングガイドの人が、「俺こども6人もいて可哀そう(だから憐れんで高額なガイドツアーに参加してくれ、そして不倫山行につきあってくれ)」と行動で示し、

福岡に来てからは、「母親が俺のご飯を作ることが私の幸せだと言っている(だから、あなたも俺のビレイをすることが幸せ、だよね?)」 と行動で示される…

つまり、それらにおいて、

このんでやっている訳でない、自己犠牲を強いられた過去の状況が、なんとクライミングにおいても再現されるので、苦しみの種になって、業の再現というか、まぁそんなものになっていたのかな?という気がします。

つまり、弱者という立場に付け込まれるということです。

■ 男性=父親か弟

私は子供のころから、年配の男性は、”全部、父親”、に感じられ、年頃になってからは、子供ではなく、メスになったことに気が付かず、性的な視線にさらされることのガードが弱いのが弱点でした…。

30代以降、おばちゃんになって、もう気にせんでいいよねぇ…?と思ったら、どうも違うらしいと、最近、私より年が少し上の女性の友達に教えてもらいました。

一生気にしないといけないらしい。

■ ユニセックスに育った

私は子供のころ、弟と服が同じで、いとこのお兄ちゃんのお古を着ていたので、男の子っぽく、僕?と聞かれるような女の子でした。それで十分気持ちも満足していたのです。顔つき弟と似ていた。

それを思うと、弟を失った悲しみが、ふとよみがえったりします。大人になって彼には合っていなかったので。子供のころの自分たちで、永遠に時間が止まっているかのようです。

私は、母の期待を一身に背負っていたし、育ちで女性らしくしろとも言われなかったし、大人になっても、自分の道をまっすぐ進みました。

ロボットの開発部とか、紅一点でいることが多く、ソフトウェア業界も紅一点のことが多い。もちろん、チェーンソー使いも紅一点です。その環境の方が快適って感じです。

どうです、腕が逞しい… だとしても、身長や筋力は普通の女性です。当然でしょ。

もともと、弟と二人セットで育てられたので、小さいころは、男の子に間違えられることが多い子供だったので、ついでに、

 あまり女性的なヒラヒラついた服とかピンク色とか苦手、

でした。

私は色々我慢した子ども時代だったので、大人になったら自由を行使して、習ったバレエは女の園。正直、女の人の扱いが分からず、最初は、色々嫉妬されたりして、苦労しましたが、私は、基本的に求道者なので、次第に理解され、バレエでもバッチリ女の園はマスターした!と思ったら、次は男の人の園のクライミング業界へ、なぜか行くことに…。

ただ今いる場所…当時山梨…で充実した生活をしようとしただけなんだけど…。

男性の心理は理解が難しく、父や弟を重ねてしまい、特に弟風情の人には、自分では普通だと思っている過剰な親切が仇に…。父みたいなタイプは逆に恨みや愛情のもつれ?が募るし。クライミングは男性の心理を知る機会になりました。

まぁ、このような男性運に恵まれない?私に、どんなレベルでも

 父への許し

が、訪れたことは素晴らしいことです。

田舎の田舎者根性…変な儒教の影響のある封建制度、を嫌い、もっと広い世界に出て、自分の力を試したい!とか、自分を開花させたい!と若い男性が思うのは、当然のことではないでしょうか?

  自分を頂点とするお山の大将システムを築きたい!

という気持よりも、

  大海に出て、自分の真の実力を知りたい!

というほうが、例え、挫折したとしても、立派だな~というのが私の考えです。

自信がない人は、コンペとか出たがらないですよね。 

こんなサイトもある時代です。

■ 日本人はヨセミテ以降の外国の岩場のステップアップがないのでは?

そんな気がしてしまうのは、ヨセミテ以外の岩場のことを誰も話してくれないからですけど(笑)。

ひとつの岩場しか経験値がなく、そこの常識という名のローカルルールを貫き通すというのは、了見の狭い見方で、主張している本人は、了見が狭いのかどうか?すらも、自分ではわからない状態なんじゃないかな。

40年前から価値観が更新されてこなければ、スマホの時代に、家電の立派な機種を威張っている、みたいなことになります。黒電話がファックスつき家電を見て、やっかむみたいなことも起きているような気がします。

そうなると、スマホの人は、「ファックスつき家電だって時代遅れなのに、それですらあんなに嫉妬されて攻撃されているなら、スマホなんて見せたら殺されるかも?」と思って、もっと最新情報はいわなくなるかもしれません。

これがトップクライマーがどうやって海外遠征を実現しているのか?口をつぐんでいる理由のような気がしますね。

その場合、黒電話の人が、自ら広い世界に出て自覚を深めるしか、事態を改善する方法はないのではないですかね?

ヨセミテ以外の海外の岩場を知らないのかもしれない。ラッペルでの開拓がはじまった以降の話は、時間が止まっている状態なのではないかしら?と良く思います。

というのは、こういうトラベリングクラマーの会に日本人ほぼゼロ人だからですけど…

せっかくの鈴木英貴さんの偉業も、全然、他の日本人には活用されていないような?

■ 小川山でグレードだけで判断すると怖いルート集

さて、そのような黒電話時代で停滞しているのでは?と思える場合も、役立つのは、情報です。岩場で命を懸けるほどの重要な課題があることは、今の時代ないわけですから。

名誉…国の威光…とか、賭けて登っていた時代はうんと昔の話です。今は個人の時代。死んだら死に損、大損もいいところです。

若いクライマーは昔は会から伝授されていたと思いますが、現代は会の先輩自体が、それを知らない、という時代です…

日向神もグレードだけで判断すると怖いルート一杯です。ただ、どれがそうなのか?ということが、本州の岩場と比べて、あまり表現されていません。のっぽの開拓者の課題は押しなべて、避けたほうが良いかもしれません。

https://crackclimbing.net/archives/239

ここはアイロンさんのサイトです。ここに書いてあるのは一部で、もっとありますが、

  1998年のロクスノ P43

に小川山特集があり、それを読むと非常に詳しく解説があります。

現代のトポは100岩場だけだと、不十分で、安全にクライミングを決行出来ない場合が非常に多いです。書き足す意向もないようだし、登っては行けないと後年指摘されたところも補正されずそのまま掲載されて、知らないでクライマーは登ってしまって、問題を再生産しています。

ロクスノ…図書館などが保管していないので、過去の価値ある情報が、現代では手に入らないことになってしまっていますよね…

何とかしてほしいものです。

■ 事例

 
これブラックシープだったような?
 
 
ちなみにブラックシープは、5.9+ ★★★ 20m とグレード付与され(98年当時)、
ーーーーーーーーーー
多彩なムーブが要求される初級ルートとして人気が高い。出だしは左から入るのがノーマルで、ボルトの真下から直上するバリエーションは、5.10A。
傾斜の緩いスラブから、フレークに添って、直上すると、右上バンドに至り、ここから、じわじわと難しくなる。
バンドの最上部から左の大フレークに移るところは、ボルトもやや遠く緊張する。フレークから直上する核心部はそれほど難しくないので、思い切りよく登ってしまおう
ーーーーーーーーーーーーーーー
とあります。 今なら10Aになるのかもしれませんがどうなのでしょう…?

日向神の課題も、+をつけたり、星をつけたり、トポを工夫することで、より親しみやすい岩場とできるかもしれません。
 
例えば、 夢中歩行 5.9+ ★★★ みたいに。以下私の感想。
ーーーーーーーーーーーー
日向神を代表する愛のエリアで最初の一本として知名。ボルトもケミカルに打ち換えてあるが、そこは日向神、ピン間隔は遠いので、不安な人は1ピン目はプリクリップしよう。
リーチに不利がある人は、プリクリップの準備をして挑むように。ただし、ムーブ的にここで返されるようなら、日向神クライミングは、まだ時期尚早。出直してこよう。下部は優しく5.7程度だが、最終クリップ以降でちょっとしたムーブの工夫が求められる。初心者向きの一本。事故も多いため、度胸試しはくれぐれもしないように。
ーーーーーーーーーーーー
これくらい書かないと、ただグレードを10bに変えるだけでは、ただ10bがジムで登れるようになっただけの人が来るだけでは?
 
ご参考に。


2022/11/20

ライフスタイル移住 安富歩さん&馬=アーミッシュ

■安富歩さん&馬=アーミッシュ


馬搬に興味がある友達が、安富さんをトークに招けるから、遊びに来てと言うので行ってきたら、つながりは、
 

馬車の運転を習う=アーミッシュ   

だった。安富さんは車の代替えとして馬と考えているらしい。参考になったのは、
 

非暴力&無抵抗運動 

が時代を切り開くカギだということ。安富さんは今現在、アーミッシュが、車は否定するのに、緊急時はOKという矛盾点…で、からめとられているそうだが、まぁ、
 

現代文明を濃度的にどの程度受け入れるか?環境問題との兼ね合いで…
 

は、非常にバランスをとるのが難しいと思う。

https://anmintei.net/a/668

■ 農業で自給自足は初級編

話していたら、隣の男子が、ベランダ菜園で自給自足実験中というので、次のステップとして、松国自然農を案内し、案内ついでに、毛がツンツンと元気な冬瓜を収穫した。ちょっと若かったかもしれないが…葉っぱは黄色だった。畑も手入れせねばならんが…誰かに譲るべきタイミング。

私は現在Wwoofでもして自分に合った移住先を見つけているべきなんだが。

■ 身体知

その後、会場のウミカエルに戻ったら、ダンスで身体的知性を高度に高めている気功の先生にあった。私もヨガの先生をしていたころは身体的知性を高めることが主たる関心だったんだよなぁ。

その先を行く振り付けも行うそうで非常に興味が湧いた。気の身体地図ってことかなぁ。
 

■ 自分の生業を見つける=アーミッシュドレス

主催者の山中さんは、アーミッシュのワンピースを受注販売する仕事を起業したそうだった。(https://shop.dte-amish.com/)


リンクはそのサイト。アーミッシュ研究をされており、日本の地方移住にも、アーミッシュ的手法が転用できるのかもしれない。

■ 20~40世帯で集まる & 宗教が共通項 というライフスタイル移住

アーミッシュは20~40世帯ごとにまとまって、一般アメリカ人社会の中でコミュニティ形成しているそうです。

私も見つけたいのは、混ざりたいコミュニティ、です。

■ アーミッシュ的発想では、文明=悪 

糸島のコミュニティは成熟期で、もはや自然と近いライフスタイルは難しそうで、現金でないと生きられない世界が迫っていそうです。

福岡自体がそもそも、自民党の強固な基盤で、ものすごく、保守的。保守を通り越して、封建的。封建的というのは儒教的ってことです。

■ 教育 へ現れる思想

その弊害が、カットアンカー事件に端緒を見ることができる、

 クライミング教育の不在現象

でしょう。 

一般の公教育も同じことで、教育が人をダメにしている、と言っていい状態が、公教育の失敗の反省が進んでいる都会よりも、色濃く残っているのが九州。

都会の子どもはエライ…非暴力&無抵抗活動=不登校。

年寄りは、変わらないで良いと思っているというか、変わりたくないと思っているというか、あまりエコロジー意識がなく、カネで幸福が測れると、まだ無邪気に思っているというか… まぁ、逃げ切り世代と言えると思う。

あんまり、カネで幸せが買えることに疑問を持っていないというか、実際、補助金などで結構カネをつかまされていたりします…

できるだけ、黒いお金に足元救われないで、エシカルライフを推進してもらいたいものです。

小欲知足が幸福のカギですよ。

それが分かるのがラオスのグリーンクライマーズホームでした。

2022/11/19

グローバルスタンダードの無視とガラパゴス化

 ■ クライミング界は最後の、”出来ないおじさん族の砦” なのでは…

グローバルスタンダードということを考えたときに、思い浮かぶのは、数々のビジネス上の経験だ。

例えば、国際会計基準… 日本だけが日本式簿記から離れられず、企業経営の透明性が非常に低いままなので、投資対象として、評価が難しいんですよね…。これは、30年くらい前からずっと言われていますが。

私も投資是非を判断する立場のグループにいたので、ファイナンスは多少勉強しましたが、アメリカ式と日本式は違い過ぎていて、国際的には米国会計基準に向かっているので、日本だけが取り残されて、ガラパゴス化しているようでした。

ところが、そのほうが都合が良いと、一部のオジサン族は考えるようで、それは、会社が俺の城、で、俺のエゴに奉仕するフレームとしてグループを作り、社会に何らの便益を奉仕する公の器、という意識がない人が多数だからです。例えば、社員を殴る・けるの暴行をするようなタイプ。

クライミング界を見ていると、そういう”俺様タイプ”の思考法の人が、

 歴史を盾に時代の変化への対応を嫌っている

 ”俺様”に無断で、とはけしからん

と言っているようにしか、聞こえない…。年を取ると人は鈍く愚かになるものだなぁと思います。

■ 儒教の教え= 若者の思いやり

私はある時、九州の国立大学の山岳部が、ヒマラヤ登山に向かった記録を見たのですが…その記録は、どう見ても、老人に若者が付き合った記録でした…。年配の人の時代は、若い人が歩荷して先輩の山を手伝い、そして次の時は自分が手伝ってもらう、だったのだそうです。が、現代はそういうことはすでに終了しています。

年功序列で先輩が花を持たせてもらって当然、というのは、若い人には順番が永遠に来ない(笑)。しかし、その大学の山岳部学生は、あきらかに付き合ってあげていて、気の毒な感じでした。だって、ヒマラヤまで行くのも、多額の旅費がかかるんですよ?ちゃんとした山じゃないと行く気になれないでしょう?

それで、あれまぁ!と思ったんでした。

普通は、若い人の夢の実現に、年配の人が一肌脱いでくれるものでしょう… 逆になってる。

■ カットアンカー事件

カットアンカー事件(九州はいまだにリボルトにカットアンカーを用いようとしている事を知ること)は、私が岩場でたまたま出会った往年の開拓者に

・ボルトを提供しよう

という、奇特な心を起こしたために起こったことでした。

私は父親なしで育った娘なので、ファザコンなのです。しかも、

・クライマーは自分が登る岩場を整備すべし、

というまっとうな意見の持ち主なので、近所の岩場だし、自分のポケットマネーをいくらか投資するのは当然だろうと思いました。

そこで、ボルトを検討していて分かったのが、何十年もカットアンカーを使いづづけているという開拓者のミス、でした。

まったく、誰も教えてやらんかったのかね?今でもその岩場はカットアンカーですが、新品でも十分な強度がない、ということが分かった今でも打ち換える人はいないですが…。

ボルトが変われば、ドリルも変えねばならないし、何より、その開拓者の岩場は、あまり使われていないようでした。

流行っているクライミングジムに行っても、若者店長は、「そんなところに岩場があるんですか?」という感じ。

若者の側でも、高難度を登る男性たちを現在魅了しているのは、パズルのように置き換えることができる人工ホールドで、よりトリッキーなルート設定をして、クライマーとセッターの知恵比べをする方で、自然の中でのんびり岩と対話する、ということではなさそうでした。

というので、若者のほうは、岩場イラナイし、カットアンカーなら余計要らないし、老人の方は、知らぬが仏で、趣味の岩場作りが辞められないという状態。しかも、本人はそのボルトにぶら下がることはないのです…。ずっとトップロープでしか登らないので。

このような成り立ちで成り立っている岩場だと、九州ではすぐにも藪とコケに埋まって原野に帰ってしまいそうです。

そこは、大学山岳部が手ごろな、ゲレンデとして使っていそうでした。丁寧にぶつからないように使っている曜日まで教えてくれましたが…近くに野北のゲレンデがあり、そちらはカムで登れるので、そっちを登るほうが大学山岳部は、本州の北アなどでの本チャンの練習になると思います。野北は三つ峠レベルでした。懸垂支点は、グージョンに打ち換えたほうがいいと思いますが。

■ ガラパゴス化

そういう風に、九州ではガラパゴス化が進行しています…。

もはや誰も、本州では採用していない先輩後輩システムが温存され、若者が一方的に損をする世界です。

フリークライミングの場合は、部活制度で、コーチが一方的にビレイに徹し、登らず、クライマーの若い人は、スポーツの壁で一切のリスク認知を学んでいないようでした。

コーチに、ココを登りなさい、出来たら次はこれを登りなさい、その次はコレ、と次々に指定され、

 自分が何を登りたいのか? どのようなクライミングが好きだから登っているのか?

という自分軸が失われた状態で登っているということです。結果、

 勝ち負けだけで自分の価値を測る=競技

になるとそうなりますね。そういう人は大人になって、苦悩することになるでしょう。

■ クラック嫌い・アイス嫌い

御坂山岳会では、アイスクライミングに対する深い誤解がありました。それは、アイスは危険だ、アイスは金で登るものだ、という誤解です。なんせセミチューブから、アイス登っていなかったみたい。

本当はアイスは、氷との対話なので、”氷”が”今、登ったら落とすよ”と言ってくるときは、登りません。それが会は分かっていなかった。長年、ボルトルート一辺倒で、トップロープ限定になってしまっていたんだそうです。

同じような誤解に、九州クライマーのカム嫌いがあります。米澤さんという往年のクライマーは、カムの強度がボルトと比べて著しく低いと信じておられました。が、実は現代のカムは結構しっかりした強度があります。出ているカムの種類も増えました。

なにより、カムのセットをしないクライミングしか知らないと、自己を守る能力はつきません。作曲家が自分で曲を作るのと、人の曲を奏でるくらいの差があります。自分でクライミングを奏でているのではなく、 ヒトの作ったクライミングの歌を聴く、ということです。

例えば、米澤さんの作曲は、ガバ=ボルト飛ばしという歌で、それが5.12あたりと思しき、彼の限界グレードまで続きます… それは、アルパインのリッジルートでは、そういう風に奏でるのが当然だから、それをリッジではなく、ウォールに持っていくと、自分の限界グレードまでは、自分にとってイラナイ、と判断したら、ボルトはないです。それでも米澤さんのは、その奏で方はフリークライミングのルールには即していないのではないか?と思ったようで一応、距離的な目安も取り込んでいますが、微妙にランナウトのところもあり、ボルトがあっても、落ちれない箇所もあります。グレードは混乱中です。

そういう感じに、昔の栄誉あるクライマーだって完璧ではなく、発展途上だったのです。人が老いず、永遠に最盛期の筋力を保てるならば、彼だって、ハードフリーから、今日のフリーに進み、まっとうなルートの作りを学びたかったでしょう、たぶん。誰だってユージや、小山田大みたいになりたいんですよ、男性は。だけど、そこは、天賦の才能の差、や生まれた時代の差、があって仕方ないところでしょう。

米澤さんは、評価も確立した、いいクライマーでした。ビレイループ2重にするほどの安全志向がそれを物語っています。

そして、その米澤さんも、現代のフリークライマーがグレードがおかしいと感じるなら、連絡を、と言っていました。そもそも、自分が開拓した岩場を誰も登ってくれないので、悲しい、ということなのです。

昔の人は、全国の岩場を渡り歩いて、グレード感を身に着けるとか、世界の岩場を行き来してグレード感を身に着けるとかできなかったのです。

■難易度の感じ方は老いで変わる

例えば年を取ってから、ボルダー一級の基準のエイハブ船長に行っても、エライ難しく感じ、若い間に行けば、俺一発で登れたぜーとなるでしょう。

これは、アルパインでも同じことで、若い20代に、北岳第四尾根を登ったおばちゃんが、あの頃は簡単だったのに、今ではとっても怖い、と言っていました。若い時は、リスク認知センスも育っていないし、元気いっぱい、怖いという感情をまだ学ぶ前です。だから、何がむずかしいの?と四尾根レベルの登攀は誰だってスイスイ登れてしまいます。が、年を取ると、5.7だって恐る恐るです。

師匠の青木さんは、「クライミングは、知れば知るほど怖くなり、自分との戦いになる」と言っていました。それこそ、かみしめるべきベテランからの言葉の贈り物でしょう。

つまり、怖いもの知らず=単にまだクライミングの円熟を知らぬ未熟者、って意味ですよ。 なんせ、リスクを学習する前の男性の自信の根拠は、お母さん、です。幼児が遠くに行くのと同じ動機なんですよ。

しかし、人が衰えることを、逆に言えば、若い時は楽しめなかった易しいルートでも、年を取れば楽しめるということです。簡単なルートは、入門時と衰退期の両方に使えるおいしいルートってことです。

■クライミングのマナー

私は、米澤さんと、日向神の入門マルチに行っていますが、小川山の春の戻り雪5.7より、うんと易しいスラブで、あれだとオンサイト出来たので、米澤さんがトップには別の男性を連れてきたのが、奥ゆかしく、礼儀正しいと思いました。米澤さんとは一か月以上ご一緒して、登れる力も見極められていたからです。

他の著名な会の人が、初対面なのに私にリードを頼んできたのは、マナー違反なので、ビックリでした。普通は初対面は、リードするにしてもショートですし、その判断も登る本人がし、強要されることはありません。訳も分からない人に登らせたら、その人は落ちて死ぬかもしれないからです。特にランナウトしたルートを登らせるなど厳禁。私は、こちらの価値観で、これをクライミング常識通り断ったら後で難て言われるか分かった者じゃないなと思ったので、うけて立ちました。普通は、常識的に考えても自分より弱いと想定できる女性や、力が未知数の相手に、登って見せろ、とチャレンジして来る男性クライマーなんて、いません(笑)。

その上、後から送られてきた写真によると、二人のクライマーを一人がビレイするという悪習慣で、それを悪とも分かっていないようだった。送ってくるのは、悪いと思っていないという意味だからです。ビックリでした。

しかし、福岡の若い人はこのような指導者しか得れていないということです。若い人が気の毒でもありますが、知識武装していないがために、このような指導と言えない指導を受け入れざるを得ず、

間違った知識の再生産をしている、

ということです。この悪習慣はすぐ改められなければなりませんが、九州にはきちんとしたクライミング教育を施せるクライミングガイドがいません。

さて、以上のように、

 古い、間違った習慣が改められていない、

のは、

 全国岩場巡りできない、海外岩場巡りできない

という

 知見の限界のため、

で、それが正当な理由があるから、ではありません。おそらく、誰だって世界のユージやサチのように

 海外の岩場をバンバン登る経験

があれば、グレードバラバラ状態にあちゃーと思うかもしれませんよね…。その機会がなく、自分の限られた知見…自分の岩場で精いっぱい‥‥が現状ということなのですから。

サボっているのではなく、人には限界がある、ということです。年を取って、パソコンやSNSに疎くても仕方がないでしょう。

私は団塊2世ですが、14歳でプログラミング言語を独習し、20歳で渡米して自活生活し、25歳で開発部に入り、帰国後は外資でお勤め、Google先生使用は28歳からです。最後の仕事は、九州三井物産新事業開発室というところで、ビジネスの投資判断をする部署です。

そういう人と長年大学という世間から隔絶した場所でしかも、鹿児島という奥地にいたら、それは、世間の流れに疎くなっても仕方がないかもしれません。

仮に、引退して日之影町に隠居していたらもっと情報には疎くなるかもしれません。

そいうことですから、年配の人から受けた精いっぱいの岩場を

 どうしたら、無理なく、事故なく、多くの人に登ってもらえるか

を考えるべきです。現代のクライマーは、山からクライミングに入らず、ほとんどの人が、クライミングジム育ちです。

その人たちにはその人たちにあった教育法を授けるべきで、昔ながらの

 18歳男性、山岳部新人

という基準を、

 子供や女性、18歳ではなく30代などの男性もありうる、という現代の初心者

に適用するのは、無理があります。

当然ですが、

 グレーディングは、正確であればあるほど良く、

フレンチかデシマルか?というのは、本題からそれる議論になります。フレンチでも、デシマルでも、

 正確さこそが、グレーディングの命、

なのです。

 またボルトスペーシングについては、

 5.10代のボルト間隔が、5.12の登攀力を前提にしている件

は早急に改めないと、事故は減りません。本来のグレーディングの意味を骨抜きにする、誰が聞いても変な悪習慣です。

 10代を登るのに、5.12の登攀力が必要という意味

だからです。

ステファン・グロバッツが登ったニンジャは、5.14だから、50m3ピンなんです。比叡では、5.9で50m3ピンだと庵の三澤さんは言っていましたが、今はそういう時代ではないともおっしゃっていました。

50m3ピンを5.9でやって楽しいのは、往年のクライマーです。私の師匠だった青木さんも、楽しくて、辞めらないでインスボン30回くらい行っていましたが、初心者の私に適用することはなく(当然)、私が仮にインスボンをリードできるようになるとしたら、5年後だろうと言っていました。私はインスボン、セカンドでも落ちたの2回程度です。ショートなら落ちながら登ることはフリーでは当然なので、リードレベルです。実際、5.12をRPできる先輩をインスボン連れて行きましたが、リードは怖がっているピッチがあったそうです。師匠によると。つまり、ランナウトの耐える力は、ショートで5.12RPする力とは違うということです。

今の時代のジム上がりクライマーは、師匠なしで登るので、5.9 に5.12が必要とは思うはずも知るはずもなく、5.9と見たらすぐ飛びついてしまいます。そりゃ当然ですよね、5.9と書いてあるのですから。しかし、事故は避けないといけないので、5.9 50m3ピンのピッチには、

 Rを付けたらいい

だけです。それで、往年クライマーの名誉も守られるし、ジムクライマーは来なくなるし、八方よしです。 サチさん、大やすり岩、Rつけていましたよね。

 

 


2022/11/18

岩場は作り手次第で危険にも楽しくもなる

岩場には岩場の歴史がある…というのは、体の良い逃げセリフであり、その歴史の創造にかかわっていきたくない、という責任逃れです。

なんせその歴史は、事故多発という結果をすでに示しているんですから。原因は正さなくてはなりません。 

自分は強いから関係ない、嫌なら登るな、他の人は死んでもいい、それが自己責任だというのは、間違っており、自分だけよければ他の人の命なんてどうでもいいという、ただのわがままです。ものすごいエゴイズムです。慈悲の真反対。

地権者の立場になれば、

 わざと死にたい人が来るような岩場、

にされてしまっては地方行政…〇〇村や、○○町は浮かばれません。最低限、市町村として自分たちの資産を守らないといけません。

その際に、クライミングは怖いから面白いという価値を脅かすことなく、わざと危険なルートを作らないためのルールとしては最低限このようなものが考えられると思います。 


1)5.9なり、5.11なり、そのグレードを登るクライマーのために、適切にボルトが配置されている。(5.12ノーマルの登攀力を前提にして、5.10代のボルトを打たない)

2)岩場としての全体的なグランドデザインがある

3)課題同士が2m以内に接しているなど、近すぎない。無理をして課題数稼ぎをしていない

4)登攀自体が楽しめる内容である。 

5)リスクを上げることでの興奮だけを求めるというような本末転倒が起こっていない 

6)わざと事故を誘発するような作りになっていない 

7)やむを得ず、危険を甘受する場合は、R、Xなどの記号付与をフリークライミングの慣行に従って行い、クライマーに危険を明示的に知らせる

世界の常識は、ボルトの安全性をAMGAインストラクターが管理して、登るクライマーは自分でどれくらい腐ったボルトを登るか判断します。それが自己責任、ということの意味で、腐っているボルトにえいやと、イチかバチかで命を預ける、ということではありません。

   ボルト劣化の具合が一覧表にしてエクセルにまとめられている台湾の岩場

山の価値観の閉そく状態…40年前の常識で止まっている?

■山の閉そく状態

ある人に、冬山向けの洗っていないウールの手袋をお送りしようかと思って、手袋を眺めていると、現代の山登りが、大したことはできない世界になっており、残念に思ってアルパインを去り、それでフリークライミングに来たんだよなぁと思ってしみじみしてしまった。垂直ではなくて水平を目指すことにした人…すごい旅をしていたのに、なかなか世間の評価が来なかったんだよなぁ…

現代の山登りって、もはや、どこに登山史の地平線が広がっているか?というと、オリンピックアスリートレベルの5.12がフリーソロ出来るスキルを、標高5000~6000程度に持っていくって話で、結局、どこを向いても、一般の山ヤ、が夢を持って、山に取り組めるレベルっていうのがないんですね…

例えば、正月の中崎尾根とか定番すぎて、どこの会も行くので、正月後半に行けば、

 誰かのトレースを後ろから歩く山 =つまらん山

なんですよ。九州の人の判断基準は、みんながやっている=俺も、だから、中崎尾根行けるとおもったらしいですが、中崎尾根は正月最初に一番目に歩くパーティになれば、バンザイラッセルですよ。でも、後から行ったんじゃ、歩くだけ。だから中崎尾根行きました、は、実力の提示にらない。後立の遠見尾根も同じでラッセルの時、行ったんじゃなくて後から誰かの跡を歩いていくだけ、で自慢する人います。バカみたい。金魚の糞登山っていうんですよ、それ。

前に84の先輩で、志賀の岩場で2度も緩い岩を掴んで落ちた先輩が、谷川に連れて行ってくれると言い、その前に馬蹄形をやってほしいと言ってきたときは、この先輩と谷川は嫌かもしれないと思いました…。なんせ、フリーの岩場でも楽を掴むくらいなんだから、谷川なんて脆い山、死にに行くようなものかもしれん。

すごくいい先輩で、いつもテント泊で仲良くしていたんですが、先輩とはアイス登ったことがないのに、なぜか初めて連れて行ってくれたのは、甲斐駒黄連谷で、謎だったなぁ。普通は、いくらいつも一緒に小川山行っていても、アイスもやるでしょう…ロープ合わせ。でも、連れて行ってあげようというのがありがたかったな。結局、昇仙峡でワイドして遊んだのだが。私は黄連谷が課題になっている段階でパートナー欠乏で足踏みです。

この先輩には世話になったが、登りは11止まりで、それだと今の私の実力と変わらないので、当時はナインでもアップアップだったからあれだけど…先輩のことを考えると、その程度の登攀力では、どこのアルパインのルートにも安全には行けない、と思える。最後の辺りは、先輩が足を怪我しての病み上がりで、私は上達して上手になっており、メンツが…みたいな感じで気まずかった。

御坂の先輩たちはみんな11止まりだった。で、「昔は11だと尊敬されたけど、今は11は登れない方・・」と苦笑い中だった。つまり、君が僕らをありがたがってくれるのも今のうち…みたいな感じ。それでも、当時は私は小川山は、トップロープしかできない実力なので…先輩たちの板についた登攀が羨ましかったが。その実力を持っていても、「ごめんね、赤岳主稜は連れて行ってやれる力は、うちの会はないんだ…」ということで、阿弥陀北稜に単独登攀することになった…。これはヒロケンさんには気に入らんかったみたいだったが、事情はこうだ。

私は会で行くにしても、最初からパートナーをフォローにしてリードで取りつく気なのに、デブのメタボ先輩が6人の大所帯で行くと言い出し、大所帯になればなるほど、スピードが落ちてアルパインスタイル、から遠ざかり、まるで極地法か?みたいになるので…その先輩とは別パーティで、同日行動すると言ったら、嫌われた。ので、結局、その日には行かず、私は後日、一人でオンサイトした。アルパインのルートってオンサイトって言っていいんですかね?よく分からんが。

余談だがこのメタボ先輩は、他の人に凍傷させていた。3人。いや~マジ行かなくて良かった。行かずに済んだのは当時の師匠が止めてくれたおかげである。

赤岳主稜は、センターの卒業試験課題だからやりたいが、どうやっても一人で行くことはできないルートだ。が、阿弥陀北稜くらいが一人でこなせないようでは…。恩師の村上先生は、いつもここ一人で登っているので、まぁ、自分が大丈夫なのは分かっていた。別に先生にルートに連れ出してもらったことはない。先生はレスキューで忙しいのだよ。

阿弥陀北稜では、登っている途中、モタモタした新人ガイドと思しき男子とおじさんのパーティを追い抜いた。この人、ムンターが出来ないみたいだった。っていうか、今ここで習っているみたいだった。


話がそれたが、アイスで5級のリードまで進んだので、次は、6級となると、そのためには7級に取り組んでいないといけないという話で、ならばとドラツーに進んで分かったのは、冬壁の土台になる基礎スキルも、一部の人の間では、非常に高度になっており、アックスを使ってミックス壁を登る、というのが、一般人にも、可能な現代の冬のフリークライミングだ。

多くの古い山やはここでアイスは特殊クライミング、という誤った理解に進んでおり、アイスはミックスクライミングの土台であり、5級レベルのリードは避けて通れない。5級というのは、氷柱って意味です。九州であるようなスラブ系アイスでは4級止まりです。私、相沢大滝をスイスイ登ります… ごめんね。アイスってリーチ関係ないし、上半身パワーも4級ってイラナイって意味なんで。なんせアイスの4級ってセカンドなら初心者が登るレベルなんですよ、リードは別としても。つまり全く自慢にならないレベル。なんで、雌鉾のアイスが出たときはおったまげた。いくら凍らないって言っても。現代アイスで話題に取り上げれうレベルじゃない… 飛竜とかだって凍らないアイスですが、あっちのは6級のアイスです。だから話題になる。もっと驚いたのが、こっちでは、それが一般クライマーに理解されていないで一流クライマー扱いってことでした…え~?! 鉱泉あたりじゃどっかぶりを普通の女子が登っていますが…

さて、一般山やには、5000~6000mで体力を吸われながら、5.12レベルの登攀を繰り出すってのはない。

そもそも、アルパインクライマーで5.12以上が登れる人はいるわけがない…というのは、ある程度フリークライミングに没頭しないとそのレベルに行けないからだ。

フリーでは体重が重いと不利なので、痩せて軽量化すると?今度は歩荷がヤバくなるし、山で弱くなるし。あちらが立てばこちらが立たない。

黒部横断が、宮城さんというどちらかというと沢やのクライマーを含んでいたので、宮城さんは、フリーはどういうレベルを登る人なのかなぁと思ったのを覚えている。ほとんどのツヨツヨフリークライマーは、5.13から上でないと、ツヨツヨ、って言わない。

ツヨツヨの人を何人か甲府で知っているが、彼らは、アルパインの泥臭い山には全く興味がない。どっちかというと、貴公子、みたいな感じでめっちゃ清潔感ある。肉体も節制して、酒など飲まない。なので、どうも二つの人種の接点ってすごーく狭いみたいなんだよな。

さて、標高が高いなら、普通の人は空気が薄くて、歩くだけで精いっぱいであり、登攀は無理だ。だからヒマラヤ行っている人が登っている山って大体丘レベル。高尾山みたいな山ってこと。福岡なら宝満みたいなの。一般人は分からないから、ヒマラヤと聞いただけで、ものすごい山…山野井さんの山みたいなのしか想像できないので(笑)。その尊敬に便乗しているっていうのが実情だ。

逆に登攀のレベルが5.12だったら、下界ですら、22,3mのを1本だって、普通のクライマーはその日は終わりになってしまう。みんなが言っている5.12はレッドポイントグレードで、ぜんぜんオンサイトグレードじゃないんですよ。

12レッドポイントレベルで褒めてくれるのは、40年前の常識の古いクライマーだけです…今じゃそれ、レッドポイントじゃなくてオンサイトレベルにしてくれって話よ?

この5.12は、ボルダーなら1級ぐらいで、1級のボルダーって、昨日山始めました、みたいな大学生の男子が、「僕登れました」と言ってくるレベルで、一般男子がなんの努力もせず、リスクもカバーされていたら、最大の突破力を発揮すれば、一瞬は可能なレベル。

つまり、他の人が一瞬しか出せない瞬発力を、継続的にずーっと出せる人=スーパー赤蜘蛛フリーソロレベル である。あれ出た時、5.12フリーソロって、私にとっての5.11フリーソロみたいなのだから、スゲーと思った。

ほとんどの山屋が言っている”俺、5.12が登れる”は、レッドポイントレベルであり、オンサイトレベルではないから、ほとんどの人は、記録のすごさがよく分かっていないようだった。なんでエルキャップは理解されたのか?というと映画のおかげ。 佐藤さんも映画になってほしいですよ。

現代には、”超人”がいて、5.12も”山で”フリーソロで、行っちゃうのです。だから、普段のフリーは、みんな5.13より上を登っているような感じですよ。フリーって言ってもボルダーじゃなくリードでですよ。九州にはボルダーで突破力(だけ?)がある人はいっぱいいます。

しかし、私も、トップロープなら初心者のころから、まぐれっぽい確率で5.11が登れていたりしたので、そのまま1グレードアップグレードすれば男子になる…と考えると、御坂の先輩やらが、5.11では自慢にも何にもならない…と考えていたのは、私が、5.10なんて自慢にならないと考えるのと同じだろう…と分かる。 

九州ではリードする人は、5.9でイケイケムードで、ビックリした。山梨でナインで自慢する人いない。つまり、時間が止まって40年前だと考えるとつじつまがあう。

さて、こんな感じで、

 5.12ノーマル つまりオンサイトレベル

 5000とかで登攀ができる心肺機能

 雪山に耐えられる肉体と知識

 山やのリスク管理能力のアレコレ

 フリークライミングのリスク管理能力のアレコレ

をすべて備えているのが、現代のトップアルパイン・フリークライマー。

なんでややこしい書き方したか?っていうと、九州では冬壁がないので、アルパインという言葉が深く誤解されており、ほとんどアプローチがない山で、歩荷もゼロで、ボルトも整備されているマルチをアルパインと言ってありがたがっているようだからだ。

え~それフリーのマルチじゃないの?みたいな感じだが…あれかね?越沢みたいなゲレンデってことかね?…、どこにアルパインの心があるか?と解くと、どうも

支点がボロイ

って点にあるようなのです。アルパインルートだから支点ボロクっていいよね!みたいな。

でも、普通、山に支点はゼロ個ですよねぇ?だから、支点を自分で作る能力がない人は行かない。

しかもルートファインディングも教えていないで、ピンクテープが少ないのが良し!とか言ってる。テープなんてゼロ個なんですよ…読図できれば要らないんで。

九州では、フォローなら、登り返しとかも教えないで連れて行ってる…全く”登る”以外無知でフォローに行っているので、同じように

無知の人をフォローにして登ることが先輩の務め

になっている。

そんな無茶なことをできないっていうのは、クライマーの良心、のような気がしますね。

私は自分の後輩には、全部教えてからしかルートには連れて行かないので。

自分だって、全部出来るようになってから行きましたしね。どうも、九州の人が私を嫉妬したのは、なんにもできないのに連れて行ってもらってる~ずるい、と思ったみたいですけど、私自分のケツは自分でふけるようになってるから、師匠が出来ただけなんですよ。

海外も一人で行っています。仲間とつるまないと何もできない人たちと同じにカウントして、私に甘えて連れて行ってもらいたいのかな?と思いました。

小川山で預けられた5.12登る若い子の様子を見ると、そうとしか思えないのですが…。ヤツ、トポも持たんで来たからな。マルチ登りたいって自分でいうのに、セカンド確保のセット知らなかった。

九州では、そんなセルフレスキュー不在の状態のマルチがみんなの憧れのようです。

しかも、ボルトが整備されたルートなのに、ボルトの強度がカム以下ということに無理解で、カムのルート自体を根拠なく危険と断罪している…つまり、フリークライミングどころか、スポーツクライミングの発想しかできないっていことで…

スポーツクライミングの意識をフリーの岩場に持ち込んだら、危険です。ビレイも違いますし。なにより、フリーでは落ちていいところと悪いところがあります。

いやはやビックリです。スポートルートのつもりで、カムより危険な抜け落ちそうな40年ものカットアンカーにバンバン落ちろ!って。しかも、セルフレスキュー不在で登るのが慣行ってこと。これじゃリスク満タンです。落ちなければ安全、を地で行きます。なら、ロープもなしで登ったらいいんじゃないの、な感じです。

その上、4本オンサイト次、ルールが適用されるんですよ?たった4本でそのグレードの何が分かるのか?

というわけで、山梨時代は、あークライマーの地平線は遠いな~一生かかっても到達無理!と思っていた”憧れの”地平線は、福岡時代になって、こんなのと一緒にされたらかなわん!となったんでした。一緒にやっていたら明日にも殺されそう。地に堕ちたらこうなるんだ、みたいな感じ。

アルパインクライミングは、ここでは、単なる無謀に冒涜されている。

なんせ、最初の矢筈岳で、5.12登れます!って言っていた若手のエースクライマーが5.9(5.10c)で、エイド出して、2時間半もかかっていたんですよ…それ見て、実力が分かった。私もそのピッチ、トップロープで登りましたが、登れたし、師匠の青木さんの方がずっと上手だと思う。 しかも、なんと時代遅れの支点ビレイだったし。

私程度のへなちょこクライマーにとっては、九州メンバーの勘違いを治す、ってのは、重荷すぎて、担げません。なぬお~と悔しくなった方は、是非、山梨に殴り込み掛けてみてくださいね。みんなが上手でビックリすると思いますから… 啓発されるくらいでちょうどよいと思います。

九州では変な風にクライミング教育が独自発展しています。奥村さんが監督している佐賀の樋口先生のところ以外は。

そういえば、超有名な会で秘蔵っ子扱いされていた女性クライマーが小川山辺りに行ってコテンパンにやられたみたいだったなぁ…そりゃそうだべ。なんせ九州では終了点にロープ直がけがルールです、って教えてくれた人だから、それじゃ小川山ではマナー違反甚だしくなるだろう… 

そんな程度の教育を”立派な教育”と勘違いして受けているのが九州のクライマーで、超気の毒、なのではある。なんせこの会のベテラン、初対面の私にリードお願いします、って人なんですから…したけど、ビレイヤーが一人で、二人を登らせてた… これでこの会に頭下げてたら、私の知性の方がとち狂っている。

誰か何とかしてやってほしいが、一番いいのは、転地だろう…なんせ九州には高い山はないのだからして。

マルボーさんや奥村さん、山野井さんが開拓したルートがある行縢は、クラックルート…カムが使えない人に、用はない。が、九州では、カム大嫌いアレルギーみたいだし…。開拓している人は外の人。

そのくせいまだに新規開拓ルートもカム同程度の強度しかない安物のカットアンカーを使いたがっていたのである。

超、はてな?って感じだった。 

別にボルトルート(スポートルート)でもいいが、なら、スポートの精神で整備したら?でしょう。実際、高難度を登ってるクライマーはリスク取っていないです。リスクを取っているのは下のビレイヤーのほうでした。

 



2022/11/17

lack of Climbing Intelligence

 

Grief

So this is the 7 stages of grief, and what I lost in my case, 5 years ago, was climbing. 

I think I failed to replace it to something that worth to me. 

When I had to quite the ballet, my hobby of 20 years, I've found mountaineering instead so it was easier to let go. 

The hard time I am having this time to find something new to work on, not climbing certainly, something to suits my current lifestyle... 

I am having a hard time finding that, something... perhaps Buddhism can be my next passion? 

Is passion the Buddhist attachment? 

I guess I am an originally passionate person, I was often described as 

 ambitious

in my climbing and I was feeling how so? since the climber like me, a very slow starter will never be the one to accomplish anything that is remarkable... 

My experience in climbing were all so humble...  but I tried to stick to the orthodox, like learning to use pitons, then learned to climb in aid, then, ice, snow, then free, I never tried to skip the steps that I must follow. It my motto.

The young people can not step up... a wrong teaching with a fake mentor

The surprising things to me was that a lot of young people with a better qualification than me seemed to struggle to get what I had get as a climber, for example, 

they can only climb 5.12 but does not know about the rope drag... a long draw is appropriate to use sometimes and they can not detect that

or 

wetting rope by himself

does not know to prepare topo guide book, 

or 

saying he wants to climb V15 without a mat(crash pads) when he can only climb v7

or 

wants to go the routes with loose rocks... 

seems like so much is missing... the proper knowledge. 

I was avoiding those climbers without hardwork of knowledge, such as reading books... but just too many of them I am seeing almost 99% are such people. 

Also, older climbers are people without up-to-date knowledge, like using cut anchor forever... haven't anyone told them it is not used anymore? Why me? 

I think Japanese country side had some time lag from the mainland Japan but 10 years time lag might be reasonable, but not 40 years... that must be a result of lack of diligence. 

The lack of diligence and plenty of prides

So sadly, I must conclude, in Kyusyu, the country side of Japan, has only too much pride, not enough hard work. They may put their effort on physical strengths but that is not at all enough... you need to know and think. Deep thinking is missing.

Is this the proper environment for a safe climber or to raise kids with next generation climbing? 

Perhaps no. 

So this environment is the strongest reason why I want to stop climbing.

Young men, Go to Hokuto!

I will strongly recommend that anybody with good potential, move to Hokuto city in Yamanashi. Where so many Piolet'o Dor winner live, there perhaps you might find a good mentor. 

The basic skill required is that you can easily climb 5.12 and carry 40 kg pack, which is minimum requirements. 

There, we have Ogawayama, and Mizugaki, and Mizugaki is one of the great crack crag in Japan.

This is me in Mizugaki, and even a climber like me can climb then anybody can. I don't understand why young men are just being used by old weak fake mentors.

https://www.thecrag.com/en/climbing/japan/mizugaki-yama

Safe to fall... goto Laos


 The problem of young climbers to stand on his own is that we don't really have a crag that we can fall with safety also with proper grading... that is, beginner climbers are less skilled at "fall", or knowing if it is OK to fall. Fall is conditional.

Good falling is a skill, you can not certainly fall with very light belayer since you will put the person in risk. 

Some people break the neck by hitting a fallen climber... 

I was in a greater risk of this but most young climbers do not understand so they want me as a partner, but I am not their mom... they fall so easily and take it for granted that I catch it with ease. It is sometimes very dangerous to me, especially a heavy climber... 

These kind of knowledge were norm in GCH, or perhaps any place except Japan. 

Perhaps this can be also the sign of lack of proper climbing education or maybe lack of climbing intelligence. 

If I can climb in Laos with English speaking climbers, anybody can. 

クライミングを”承認欲求の道具”ではなく、単なる”遊び”に戻しましょう

 ■ 頑張り過ぎの日本人


 これには、ガンバ!を辞めることですかねぇ…

もはや、口癖になっている、”ガンバ!” 

私は、5.8スタートですが、5.9がオンサイトグレードになるまで2年半かかりました。

九州で嫌だったのは、4本5.9を登っただけで次に行けとされること、です。

10代の若者ではないんだから、どう自分を育てるか?は自分で決めるのが大人です。なんで大人にまで、10代の子ども並みに、せかさないといけないのでしょう?

別に大人は、鈍行で、ゆっくり成長して行けばいいのです。たった4本5.9をオンサイト出来たら、次、って、基礎力の厚みが、薄すぎます。

私はそのような薄い厚みの基礎力では、基礎力と呼ばないです。

私のアイスのムーブはすでに自動化されています。その自動化の前に技術的に何を積み上げても、意味がない。

フリーでは、その自動化を今から作るところでしたが、上記のような、

 性急なグレード追いかけ

の邪魔が入りました。九州では、グレード思考が強く、

 登れる者順の序列化 (スクールカーストみたいなもの)

を老いも若きも受け入れているため、

 技術的バックグランドがなく、ただ登れるだけの人に技術的バックグランドがしっかりしている人が従う

という逆転現象が起きています。

田舎者の発想でバカっぽいです。

■ 年配のクライマーは、当然、登攀力は下がっていきます

昔 5.12が登れても、普通は、段々下がっていきます。そりゃそうですよね。人間は100%、誰しも老います。

老いを否定するのが大好きなのが団塊。もうヤダな~って感じです。

自覚がない。

つまり、グレード感覚はくるってきます。あれ?俺って、前は5.11なんて楽勝で登れたのに…なんで10dで苦戦しているんだ?!って

そりゃ、老いるからですよ…

一般に70代にも入れば、どんな筋肉自慢も自覚なき、老いはそこまで迫っています。

最初の師匠、鈴木さんと西穂高沢に行ったときは、68歳と、まだ40代でしたが、40代新人でも私の足のほうが、断然強かったです…

その後、組んだ青木さんは病み上がりだったので、5.9でリハビリ中で、それで初心者の私と登りたいグレードが重なりちょうどよかったですが… その後、回復する手前でやっぱり色々と怪我を重ねてしまっていました。怪我が重なる理由は、

 俺だってまだまだ若い

と思っているからなのではないかと思ったのですが…? 普通に5.10代を楽しんでいれば、別に何を恥じることもないと思いますが…昔ならした人だと、ちょっとからかわれただけで、むきになってしまう…韓国で日本人クライマーは、古臭い登りだと言われて向きになってしまい、かかと骨折という悲しいことになっていました。

挑発に弱い点は男性のあきらかな弱点です。

■ 現代クライマーとアルパインクライマーの登りの違い

横山ジャンボさんと倉上慶太さんの登りの差を、使い分けられることが大事だと思います。

二人を見れる動画があり、屋久島の繋ぐ壁という動画で登っていますが…

往年クライマーの方は、押しなべて、ジャンボ型です。細かく足を拾って、体制は、常に安定しています。

若いクライマーの方は、体制がえっと驚く横向きとか、デッドとか、動的だったり、大きかったりで、

 登山靴の延長で登ってきた人と、最初からクライミングシューズ

の差が出ています。

一般にアルパインクライミングでは落ちれないので、細心の注意で静的に登ります。アイスなんてバチ効きじゃないと進まないんで、全部ガバって意味です。

一方、若い方はボルダリングジムで鍛えた華麗なムーブです。けど不安定ですよね。ボルトの整備されたフリーの岩場ならいいけど、ハーケンとか抜けやすいので、落ちて衝撃荷重がかかるかもしれないムーブを繰り出したら、ただのバカです。

今はカムも強力で、14kNはありますが…でも、こんなですよ?

         墜落で変形した3番

なので、インスボンでカムセット中に現代ムーブを気取るって、全く必要ない時って意味です。

むしろ、現代の人は、ステップアップしていくためには、動的に取っていたものを静的にとれるようにならないと、信用できない支点を使って登る技術が身につかない。

私は佐藤さんの練習姿をピラニアで拝見したことがありますが、わざと重たいザックを背負って、易しいルートを行ったり来たりしていましたよ?

そんなことは高難度のクライマーはヤラナイで、ひたすらグレードを上げることだけをやっているでしょう…

■ グレード偏重の害=事故多発

グレード偏重の害は、事故です。

5.7のマルチで、ランナウト核心、と言われたら、5.9がオンサイトグレードになってから行けっていう意味

ですよ?そんなことは教えられなくても分かるようでないといけない。

5.10Aのスラブがカットアンカーだったら、5.11Aのスラブがオンサイト出来るようになってから行けって意味です。(白亜スラブ)

現代の人は、被っているボルダリングジムの壁で、5級が登れるという根拠で、岩場にきますが、その理由では、5.6のスラブでも登れる理由にはなりません。

薄被りのジム壁と体重の分散法を覚えるスラブでは、使う技術が全く違うでしょう。

登れるのは、被っている壁とか、そんなのです。

■ クラック

クラックの場合は、カムのセットは自在なので、カムエイドもできるのですから、逆に自分のフリー能力を超えるルートにだって手を出せるのです。

私も、自分のカムエイドでクライムダウンして帰ってきたことがあります。

玉切れになって登れなくならないように計算する能力の方が重要です。

なので、クラックでただ登ってきました、とクライマーが言う場合は、登っただけで、フリーではなく、エイドかもしれません。

アルパインクライミングは、登ったかどうか?だけが課題で、フリーで登ったかどうかは、カヤの外です。

■ スーパーアルパイン

現代のまっとうな人たちは、アルパインクライマーでも、できるかぎりフリーで登ろうとしています。

そのような現代的な清廉なクライマーと、5.9でもエイドしてしまう市井のクライマーを混同して、同じような賞賛を与えてしまってはいけません。

ちゃんとクライミングしているなら、それくらいは区別できるようになりましょう。

■ 市井クライマー

かといって、現代のフリークライミングのレベルは高いので、出来もしないフリーへのこだわりで事故ッているのが往年クライマーですので、おとなしく敗北を受け入れ、無理だと思ったらエイドしましょう。

プライドより命、です。

市井のクライマーは、自己顕示欲の道具に、クライミングを使って、クライミングを汚す行為を辞めましょう。

まったく怪しからん状態というのが、目下のところ私のオブザベ結果です。特に九州。

若いクライマーが怖いもの知らずを、5.9で私程度の人が登れたところでやっていて、驚きます。

山梨では5.13でやっと出来る自慢です。5.9で自慢になるのは、40年前の価値観です。