2022/10/15

東洋インストール中 お金と登攀力はいる時、作ればいい

■【哲学】金を稼ぐよりも大切な話をします。これさえ知っていれば幸せに生きることができます。11:05~結論です。【山田玲司 // 切り抜き】 

■お金についての思い込み

前にお金について、思い込みがあると言われたんだけど…(お金をいやしいものとして忌み嫌っていると言われた)

お金がないと生きていけないという思い込みがあるのは、一般世間のほうで、私は、必要以上に欲しい人が、良く理解できないだけなんだけどなぁ…。

クライミングにおいては、通貨、お金=登攀力でしょう。

あればあったで、なければないで、欲しくなるのがお金と登攀力。

■ いるなら作ればいい

山岳総合センターのリーダー講習に、出たい!と思ったときは、行くのにお金が要るってことだったので、お金作りました…。(山小屋でバイト)

お金と登攀力は、いる時作ればいい、っていうのではダメなんですかね?

あればあったで、失う恐怖に縛られるのがお金だという風に、仏教では教えていますが…。
今のところ、したいことがそんなに多額のお金を要するもの、はないんだよなぁ… 

■ お金がないことに守られている

むしろ金で解決しない方がいい結果を生むことが多い、物事っていうのはある。

例えば、勉強…。学力は金で買う時代だ、と言われて久しいが、カネで買える学力と、実力は違って、実力は金で買えない…。金で買って塾通いをしていると、いつまでたっても真の実力はつかない。

登攀力も同じで、カネで解決=ジムに行く。福岡なんて、都会から30分で、無料の岩場が自然の中にはいっぱいあるのに、人はジムに行きたいものなのだ…。流行っているから、という理由で。

カネで買える何かいいもの…で、最近の身の回りの件で思いつくのは、


・横山ジャンボさんと佐藤ユースケさんが催行するユタのクライミングツアー 18万円 飛行機代別
・自然農野菜の個人宅配を摂る(どこかいい個人宅配知っていたら教えてください)


・仏教の瞑想クラスに出席するのに大分まで行く(募金せいだから無料と同じ)
 

・MTBのレイドに参加する
 

・ログハウス作りに参加する
 

あと、なんかあったっけ?って感じで、特に普段以上にお金を使わないと、できないようなことの希望というか、望みがないんだよぁ… 有り余るカネがないから、スケールの小さい望みしかない、と言われたら、ぐうの音も出ないが…。

何千万もかけて、7大陸最高峰制覇!とか、最高峰を踏むことが、もはや初登でもなんでもなくなり、お金の戦い=つまりスポンサー力の戦いとなり、その山をこなすのに、アルパインクライミングの技術すら要らず、時期さえ選べば誰でも登れる…と、分かっている人にはバレちゃっている時代に、お金をかけて、そんなのやって何も知らない人からスゴイスゴイと言われたって、何になるんだ?とか思ってしまう…人は多いだろうと思う。

■ 時は流れ、昔すごかったことはすごくはなくなる…

昔はヒマラヤは山やにとって大変な夢だったんだが、今では、一般の人だってトレッキングルートを歩く時代なので、ただヒマラヤって言うだけで意味を持つ人は少ない… 私の周りには一杯いるよ、ヒマラヤのトレッキング行ってきた人。

ので、同じ行くなら、私だったら、チベット僧のターパさんがやったみたいに、リトリートにでも行かないと、わざわざ行く意味が見いだせないな、と思ってしまう…。すでに賞味期限が切れた自慢話のネタ集めしても仕方ないって気持ちだ。

今の人は、海外には慣れていて、昔の人みたいな外国の山への憧れは、もはやないから、なんだが…。(オーストラリアの山とか、山やになる前にすでに登っています)

同じお金ならアメリカのシエラ山脈歩きましょう、みたいなのが好みだったりするかもしれない… 理由は?と言えば、若いころカリフォルニアに住んでいたので、思い出をかみしめてもいいかなぁ…みたいな気持ち。それは、人生で良い時間になるだろうという見込みがある。

でも、天から降ってわいたような登攀に出かけても仕方ないよなぁ。縁が感じられない。

そう思って、ジャック・ケルアックの、TheDarmaBumを読んでみたが、”だるまフーテン”と訳されているものを見た(笑)。なんか、寅さんかよ…(笑)。ムードでないなぁ…。

日本では、Bumをフーテンと訳すと、あまり良い印象を持つ語感はない。英語でBumは自由人という響きなんだがなぁ… と幻滅…。

話としてはカリフォルニアの若者が仏道を求めてさまよう話です。


気分転換…自分の認知を変える必要があるのだが、一番手っ取り早いのは、

忘れる、

なんじゃないかと…。

クライミングを忘れる。カネ稼ぎを忘れる。もっと他に楽しい事、目標になることを見つけて。そして、それをマネタイズする。

 

2022/10/14

フリークライミングらしいフリークライミングの岩場って

■ 適切な岩場の、”適切”の中身

1)5.9なり、5.11なり、そのグレードを登るクライマーのために、適切にボルトが配置されている。

2)岩場としての全体的なグランドデザインがある。

3)課題同士が2m以内に接しているなど、近すぎない。無理をして、課題数稼ぎをしていない。

4)登攀自体が楽しめる内容である。

5)リスクを上げることでの興奮だけを求めるというような本末転倒が起こっていない。

6)わざと事故を誘発するような作りになっていない。

7)やむを得ず、危険を甘受する場合は、R、Xなどの記号付与をフリークライミングの慣行に従って行い、クライマーに危険を明示的に知らせる。

8)必要もないところにボルトを打っていない 

9)現代的強度を満たすボルトが使用してある(25kN)

■ 美しい

一言で言えば、美しいってことですかね…?

日本の町並みは美しくないことが多いでしょう、特に戦後、五月雨式開発で作られた町は…。パリの町が美しいのは、グランドデザインがあるから…。


 


ダイナミック瞑想&ブッダの瞑想(マインドフルネス)

■ 衝撃のOSHO ダイナミックメディテーション
 
友達が教えてくれた。 
 
東京のイスコン教会でキルタンではなくて、適当に踊る会…名前忘れました…があるときがあるのですが、あれを初めて見たときの衝撃に近い。
 
誰でもフラストレーションを心に貯めている…それを発散する場が、健全だとスポーツでの闘争心、不健全だとアル中みたいな感じかなぁ…
 
スポーツで競争することでは、心のエネルギーを解放できない人向けにいいのかもしれません。なんせ、”競争”だからなぁ…スポーツは。容易に自己顕示欲の世界に陥ります。
 
昨日は、スマナサーラ長老のマインドフルネス動画を見て、
 
20年バレエをやった=20年マインドフルネス瞑想
 
って意味だと思いました。
 
■ マインドフルネス = 実況中継する
 
今まで聞いた瞑想アドバイスの中でベストアドバイス。
 
子どもの世話をしているときは、いつも何をしているか?実況中継しています。気持ちも実況中継。それで、これは嬉しいという気持なのだ、と子供にラベリングしています。痛いとか怖いとかも、子供は教えないと、自分で表現できるようにならない。
 
このブログも心境の実況中継ですが、実況中継にかなり似ているのが、バレエのレッスン。かかとから出す、など様式が指定されているので、実況中継力はかなり高まります。
 
また、英語を身に着ける場合のシャドーイングは、発話の実況中継です。英語を身に着けたい方は、英語で自動化を起こす、と考えたらよいと思います。クライミングは自動化勝負のスポーツで、私はアイスクライミングでは自動化すでにしています。
 
マインドフルネスは、バレエと同じで自動化を避ける。バレエでパの組み合わせが、毎回異なるのは、自動化を避けるためです。自動化=癖、ですので。
 
心の自動化=認知の過ち、ですね。
 
もし相方が白亜スラブでやったことは、私は”自己PRしたい!”ということだと認知したのですが、そうでなかったら、正確には何なのでしょう?  ジムで5.11登れるから北岳バットレス四尾根と同じことが具現したとしか思えないのですが。まぁ、身を守るだけのクライミング技術があって良かったなと思っています。
 
相方の、心の自動化=認知の誤りは、女は男の意思の言いなりにしてよい、という観念かもしれませんね。あるいは、母親への復習を代理を立ててやったとか。
 
コントロールを受けやすい傷の根源がどこかにあるはずで、それを探求中です。

2022/10/13

山とお金 お金があっても買えない価値

■ 栗城劇場

栗城劇場は、多額のお金をかけた”ビッグな夢を語る俺かっけー”登山劇場であった。欲望という煩悩の果てと仏教者には見えるだろう。

■ 私も、お金を稼ぎたかった時代もあった…

んだよなぁ… その昔。15年ほど前だが。その頃は、社会人ビジネススクールに自腹で参加したりしていた… それでMVPを貰ったりもした。

 んだが、別にお金のニーズが下がったというか…。

■ 山ヤに必要な能力は、カネで解決できない

山ヤに必要な能力って金で解決できない問題ばかりが、解決課題だったりするんだよなぁ…

例えば、体力。どんなに金を積んでも、トレーニング以外、体力問題を解決することは不可能。

クライミング技術…たしかにロープとか、クライミングシューズとか、高いんだが、それは一時的なこと。結局、ノットを勉強するだとか、ロープを素早くまとめるだとか、凍らないように登るたび手入れする、とか、全部、実践しないと身につかない。

実践のことを”コソ連”って言うんだが…。こそ連は大事だが、結局、本番に行かないとコソ連だけをしても、身にはつかない。

読図…山で失敗しながら学習するしかない。家で磁北線を書くとか当然です…という感じで、結局、あんまりお金の威力(金さえあれば何も努力しなくて良い)を発揮できないのが山なんだよなぁ…。

■エベレスト一山 700万円

そう言う風に言うと、700万円あれば、誰だってエベレストに登れる!と主張する人がいて、たしかにそれはそうなんだが…。

700万円さえあれば、だれでも登れる山に登って、自己肯定感だの、自信がつく…人って、結局700万円で自己肯定感を買うって意味。

山としては、歩くだけで、全然魅力がないというか…、おもしろさに欠けるというか… なんで面白くないことに700万円も払わなきゃならんのか?となる。

青ちゃんはデナリですら退屈だとおもったらしくて、BCで寝ていたそうだ…(笑)。

ただ歩くだけで到着する山って、クライミングをスタートしてしまった人には、価値が感じられなくなるらしいんだよなぁ… 

だよなぁ…と聞いて思った。

初心者のころ、あんなに憧れた前穂北尾根、一体なんで、あんなに憧れたのか?山の本を読みすぎたとしか、今となっては思えない…。

フリークライミングのレベルに来たら、6時間も歩いたのに、クライミングちょっぴりだなぁ…とか思ってしまう。(堕落ともいえるが)

 かといって今、フリークライミングのルートに行きたいか?というと、そうでもなく、瑞牆のマルチに登りたい、というのは、私の中の夢には全く入らない…。誰かほかの人の夢だなぁと思う。

世界中の岩場を登りまくりたいというのもなく、世界一周したい!とかって、なるほどザワールド世代の幻想なんじゃないの?それ、ホントに自分の夢なの?って思う。つまり、洗脳なんじゃないの?って感じだ。

ラオスには、おし!という感じで行ったが、自分の実力を伸ばす岩場だと確信があり、それがたまたまラオスだったから。しかも、ラオスに行ったら、登攀ではなく、世界観が気に入ったということで、作り出したいのはクライミングの世界ではなく、ラオス的世界のほう。(質素、テレビなし、Wifiなし、平等、ビールはドネーション、ということです)

台湾の岩場も、現在の実力とマッチしているので、誰か一緒に行ける人がいたら、行きたいが、行けなくても、まあ、いいかな~な感じ…。スコーミッシュはどうも楽しいらしい。

というので、特に何も困っていない。充足している、ともいえるんだが…、充足していることは感謝すべきことで、その逆ではない…。

 8年前の北穂池…初級者でアルパインで道がない山をしたい人にお勧め

クライミングは、私は、命を懸ける対象とは思えないし、大枚をはたく対象ともなぁ…まぁ30歳若かったら違うかもしれず、それでも遅いスタートではあるが、夢を追いたい!とか思うのかもしれないが、38歳のスタートなんで、最初から夢の賞味期限は切れているスタートなのである(笑)。当然でしょう。

そんな私が、ラオスや韓国、おまけに台湾までクライミングで行けるわけですから…

みなさん、これは、ある意味、お買い得って意味ですよ?なんでそう思わないのかなぁ…

私だったらチャンス!と見て飛びついちゃいますね。

さてと私は、せっせと仏教勉強することにします。なんせ、アメリカ式仏教、私のドストライクゾーンっぽいです。

 


2022/10/12

栗城劇場は、俺ってかっけーのなれの果て、です。自分の実力を客観視しましょう

■自業苦とは?

ある老子にお侍が言いました。「老子よ、地獄とはあるのですか?」

老子 「お前は侍の癖にそんなこともわからんのか」

侍 「…。(悔しい…)そこを何とか教えてくださいませんか?」

老子 「武士のくせに情けないのう… 武士は武士でも、かつお節か」

侍 「なにお~!もう許せん!斬ってやる!」

老子 「まだ分からんのか?その心が地獄じゃ!」

■ クライマーバージョン

クライマーAがいいました。「おれ、5.12登れる。お前、今何登れるの?」

クライマーB 「5.9をやっているところよ」

クライマーA 「け、そんなのしか登れないの?」 

ある時、クライマーCが、クライマーAに言いました…

クライマーC 「え、お前、まだ5.12やってんの」

クライマーA 「…。(悔しい~)」(この人がやってるのは、承認欲求地獄)

■ 栗城劇場という自業苦

昨日は、栗城さんの解説動画を見て、そういう話だったのか、と納得した。

栗城さんは、
 

 現代の、無知な、未組織登山者

代表という感じで、一般にきちんとしたクライマーのネットワークには、つながっていない人たちが支持層だ。ぜんぜん本格的にやっている人たちからは評価を受けていない。

ので、私も、思考を与える価値すらないと、まったくスルーしていた。この種の人に、おなじく南谷真鈴さんなどがいる…。余談だが、残念なのは、最近では、登山教育の不在が積年の果てであり、山岳会連盟の会長などの要職に就いているですら、きちんとした登山者の姿を捉えられない人が多い。つまり、南谷さんと加藤保男を切り分けられないということ)

さて栗城劇場だが…

 実力を伴わない、”俺ってかっけー!”を山でやり続けた結果がどうなるか?

を衆人にみせてくれた劇場、ということだろうなぁ…。

男性のクライマーは、結局、山が好きというよりは、

”山にかけてる俺ってかっけー!”

を、やりたがっている人が多い。

私の知っている人では、ガイドをしている人ですらそうで、体力やトレーニングというコツコツした努力なしに


  俺だってカネさえあれば佐藤ユースケ

と思っている人が多いってことだ。初心者ではなく、ガイドをするようなレベルの知識の人ですら、そうなのだ。

■ コツコツした努力がないという傍証 

ベテランが、もはやコツコツした努力をしないのはいい。すでに落穂ひろいの山に入っている時期だからだ。

しかし、登れました自慢をするのに、その基盤となる努力をしないのは、片手落ちだ。私ですら、一番登っていたころは、歩荷トレしている。

適性な歩荷量の研究

■虚言癖

虚言癖というか、自分を大きく宣伝し勝ちなのも、栗城さんだけでなく、多くのクライマーに直結する共通の性質だ。

大体のクライマーはみな、「俺、5.12が登れる」という。

実際、大体の男性クライマーの平均的な落ち着き先はそこだ。あまり努力を要せず、必要な時間さえ費やせば、落ち着く先が12だということだ。女性なら、11が落ち着き先だろう。なにしろ、41歳スタートの私が、11登れる段階に2年前で来ていたからだ。男性12、女性11でプラトーに入り、そこから上は努力がいる。

5.12登れるという男性クライマーに、そうか、ということで、例えば、OBGの5.9なところへ連れだって行ったとする。すると、フリーでは登れず、スカイフック出して、2時間半もかかって登る…。確かにフリークライミングの岩場ではなく、アルパインっぽい、つまり、汚くボルトも少ないんだが…だとしても10c。え~、12登れるんじゃなかったの?となる。現代クライマーの5.12は、そういう程度の話なんだな…、と推して図るべし。

あるいは、カムとロープが噛んでロープが流れないとか、長ヌンの使い方を知らないでロープが流れない上、落ちても、全くビレイヤーに衝撃が伝わらない、とか。グレードで実力は判定できないと言うが、余りにも基本的なこと…そのままだと登れなくなる…というようなことすら知らない。それって教えること、教わることというより、普通に経験していれば分かるようなことだと思うんだが…知らないものは知らないのだから、教えるしかない。

私が九州で出会ったクライマーは、みんなそんな人達ばかりだった。

こういう人たちは、まだ”まし”で、有段者なのに、「終了点にはロープ直がけが九州ルールなんですよ」とかです。

こうした現象が起こるのは、実力と知識がマッチしていないというよりも、そもそも何がステキなクライミングなのか?クライミングの価値観を教わり損ねているのではないか?と思う。ゲームのルールを、勘違いしているってことだ。だから、グロバッツのニンジャを登るのに、赤チョークになってしまい、それじゃニンジャを登った意味ないね、となる。

■ 私の自業苦 

私の自業苦は、弟を早くに無くしていることだ。24歳で弟は死んだ。死ぬ前8年ほど会っていない。

山岳総合センターの仲間が、涸沢岳西尾根で墜落死した。親しくしていた山屋が、劔で落石により圧死した。

釘をさしておくが、私はクライミングメッカの山梨時代ですら、クライミング寄りの活動はしていない。出来るところをできるように登る、という身の丈の山を積み上げて、結実したのがラオスであり、台湾だ。

私が不必要に、亡くなった弟を彼らに重ねて親切にしてしまうので、ある種の人たちが、抜け道発見!とばかりに私を利用しようとしてしまう訳なんだが、私がしたいのは、引退後のグレードを追いかけないフリークライミングです。

なにしろ、私はアルパインクライミングは、自分の力で追える限りのルートを、すでに追ったのち充足してから、九州に来たので、九州でやりたいのは、

実力を誇示する山 ではなく、

引退後の、のんびりクライム、であり、

グレードを追いかける山はやる気がありません。

■ 無知もいいところ、自分の力が客観視できない

例えば、こんなボルダラー版栗城さんに会いました。

例1:

今、3級しか登れないのに、2段をノーマットで登るとか言って、クラッシュパッド買わない奴…。2段をノーマットで登るには、4段とか5段をノーマットで登れる実力がいるんだが?そして、その実力は、落ちて落ちて落ちまくる、を繰り返さないと、つかないことは、日を見るより明らかですよね?

例2:

根子岳を登りたいって言うアルパインクライミングの、お上りさんクライマーは許すことにした。ジャンダルムを登りたい!という登山”客”レベルの人が、初歩のクライミング入門すると、大体は、皆が通る道であることは分かった…。私だって明神主稜とか行ってるし、その前は北穂池だの、前穂北尾根だの行っているので、その人の通った道を通っていないわけではない。ただし、私は、そこを登るのに十分と思われるトレーニングを積み、講習を受けたのちに行ったわけだが

無雪期のアルパインルート(リッジ、岩稜)をロープをつけて行きたい人は、都岳連の岩講習を受けていくべきと思います。

しかし、俺が白亜スラブ楽勝で登れるという自己PRのために、敗退のロープを想定せず、マルチに行くというのは…。そんな恥ずかしい山をやったことはなかったのに、なぜそのようなことに手を貸してしまったのだろう?と思うと、自分が恥ずかしくなる。

それだけパートナーの欠乏が深刻だったということにしたいが、それだけで済ませられる失態ではない。気が付かずに栗城劇場を応援する羽目になっていたのだ…。

自分を殺すだけであれば、自分の命であるので、勝手にすれば?だが、それに巻き込まれるっていう話であれば、かなり業が深い。栗城劇場で死んだスタッフたちと同類ということだ。

というので…栗木劇場は、現代のアルパインを夢見てフリークライミング入門したクライマーたちに、

 俺ってかっけーだけのクライミングの慣れの果て

を戒めるために、その業がどのような苦を結ぶのか?を具体的に見せているもの、でした。

すべてのクライマーは、栗城劇場を他山の石としましょう。

それは、自分を善意で応援してくれる人を殺しかねない山 です。

■ そもそもの因

すべてのクライミング分野で、スタイル(つまり、クライミングの道徳、倫理、あり方)ということです…の教育が欠如しています。

ので、よっぽど独学できる頭の良い人しか、まともなクライミングができないことに陥っています。

事例:

・アルパインクライミングでの教育欠如の結果 = ラッセル泥棒を恥ずかしいと分からない

入門コースである阿弥陀北稜に行くには、どのような訓練が必要なのか?理解できない。読図、山の概念図の把握、コンパスウォークの習得、雪崩危険の回避術、その山固有の天候リスクの回避術…生活技術、確実なアイゼンウォーク、多少のラッセル

・フリークライミングでの教育欠如の結果 = 閉じている終了点を使いこなせない

懸垂で降りて登るシークリフの岩場での登り返しができない、ロープの始末が分からない、スタイルの差による困難度が分からない、正しいビレイが分からない

・ボルダリングによる教育の欠如 = ランディング練習が先に必要と分からない、マントル練習が必要と分からない、降りることのほうが登るより高リスクだと分からない

結局、一般登山の、登山客の知識のまま、行く場所をどんどん高度にしている、という問題があります。

ガイド登山がそれを後押ししています。

行く前に、山岳総合センターなり、○○クライミングガイドの講習なりを受けないといけないのに、間違った相互助け合い、で、無知をカバーしあっているので、無知な人は、ずっと無知なまま、置かれてしまうということです。

知識を自ら求めない人には永遠に与えられない、ということです。

■ 動画"栗城史多"とは一体なんだったのか?悲劇の登山人生を世界一詳しく解説【ゆっくり解説】

2022/10/10

独標ニアイコール根子岳

九州の人がわからずやっぽいので、掲載

〇×がついていても危険なのに、ついていないのをうろ覚えの年配の人に連れて行ってもらって自分はセカンドでリスクをとらずに行こうというのですから…。

 

ーーーー以下 FBより引用ーーーーーーーーーーーー

< 本当に危険なんです!! >
今日は独標まで登山道整備とマーキングをしに行ってきました。
独標が渋滞しているときに、ルート以外の場所を歩いてしまう人がいるのですが、ルートから外れると不安定な岩が落す可能性があり、凄く危険です。
つい先日、ルートから外れて歩いた人が大きな岩を落し、もう少しで下を歩いていた女性を直撃するところでした。
岩を崩してしまった付近が大変危険な状態になってしまったため、落石事故を防ぐため、不安定な岩は除去し、通らないように×印をつけました。
また、独標の東端にある大きな岩は、一昨年の群発地震の影響で、いつ崩れ落ちてもおかしくない状態になっています。
立入禁止の看板を設置し、ロープを張ってあるのですが、その中に入って休む人が後を絶ちません。
中には落ちそうな岩の上に乗って写真を撮り、自慢げにSNSにアップしている人までいる始末です。
今日は恐る恐る岩に近付き、ペンキで岩に直接危険を知らせる注意書きをしてきました。
あの巨大な岩が崩れ落ちたら、その近くにいる人まで巻き込む可能性もあります。
本当に危険なんです!!
( 粟 澤 )

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2022/10/09

NINJYA 5.14Aの記録から トポへ反映したらよいラベリング情報を抽出

 https://www.karrimor.jp/ambassador/k-1.html

より、NINJYAを事例に、トポで課題の価値を伝えるときに、何を伝えると良いのか?を考察。

前提: 課題には、ほかよりも意味がある良い課題、と ふつーの課題がある。味噌くそで保存活動するのは、ナンセンス。 

■ 抽出

1)1年間を費やして自分のフリークライミングの限界にチャレンジ

→ 一つのルートを登るだけに、一年間かかる (長時間の法則) 

2)一般フリークライミングの楽しみ方 との差 (こだわり強度の法則)

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これまで1つのルートの為にトレーニングをしたり、何日も通ったりなどはしてきませんでした。簡単なルートでも純粋にクライミングを楽しみたかったし、同じルートをずっとやるよりも色々なルートを沢山登ってみたかったから

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Ninjyaが特殊であるという意味

3)あるルート → 特定のルートへの愛着 (愛着の量=感動の量の法則)

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あるルートに出会い、限界に挑戦することの素晴らしさや登れたときの感動の大きさ

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4)最初に失敗する → 楽でない (簡単な壁ではない法則)

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最初のトライをしました。結果は惨敗。分かってはいたことですが、圧倒的に実力が足りていませんでした。

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5)実力が足りない → 楽でない (自覚の法則)

引用箇所 同上

6)諦めてしまうところを通う → 執着心(不屈の法則)

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いつもならこれで辞めてしまうところですが、どうしてもこのルートを登りたかったので、それからも休みの日は毎回このルートに通いました。

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7)「コスモス」は手段  (ほかのルートは手段の法則) 

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暑くてトライも出来なくなったので、トレーニングとして、夏の間はマルチピッチクライミングをしていました。この写真はお隣の瑞牆山というところにある「コスモス」というルートです。

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8)ほかの活動は手段の法則

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筋力を落とさない為にボルダリング

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9)ちょっと前進 → 自己観察と自己向上の法則

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夏のトレーニングのお陰かちょっとずつ前進し、あと少しで登れそうな惜しいトライを何回もしていました。

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10)このグレードを登るのにかけた日数は → (トライ量の法則)

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今回は、この14というグレードを登るのに費やした日数は12日間、

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■ まとめ

1)長期トライの法則   ★

2)一般フリークライミングの楽しみ方との差(ルートの特殊度) ★

3)特定のルートへの愛着度  ★

4)簡単な取り組み課題ではない法則 ★

5)自分の現在の実力の自覚の法則 

6)不屈の法則 

7)ほかのルートは手段として努力する法則 ★

8)ほかの活動を手段として努力する法則 

9)自己観察による自己向上の実感の法則

10)トライ量によるスタイル向上の自己計測の法則 ★

★がついているものは、開拓者がトポを工夫することで、取り組むクライマーにスタイルへの認知をもたらせそうだと予想できるポイントだ。

■  トポへの反映方法 7法

1)長期トライの法則   

「この課題はじっくり通ってもらいたい課題だ」「〇〇氏が〇日かかった」「季節が夏だった」「夏から秋になってしまった」等

2)一般フリークライミングの課題と楽しみ方との差(ルートの特殊度) 

「○○を登ろうとする人の入門に丁度よい」「中級者の実力試しに丁度よい」「熟達者にこそ味わってみてもらいたい好ルートだ」「雨の日に良い」「これが登れるようになれば一人前」等

いきなりジャック豆に行かず、小川山レイバック、カサブランカの後みたいな。

3)特定のルートへの愛着・思い入れ度  

「開拓中に○○を落としたという思い出のルート」「このルートのために〇〇した」「○○のために何度も登った思い入れのあるルート」「一目ぼれしたルート」等

4)簡単な取り組み課題ではない法則 

「開拓に○○日もかかった難ルート」「コケがひどく○○日」「指皮がなくなり血まみれになって登ったルート」等

5)ほかのルートは手段として努力する法則 ルートの関係性 

「このルートは〇〇へのステップアップに良い」「このルートを登る前にプロテクションを確実にしてほしい」「この課題には正確な立込み技術が必要だ」「○○が終わっていない人には、このルートはまだ早い」「○○が楽勝で登れたら、これを登ってみてもらいたい」等

6)ほかの活動を手段として努力する法則 

「器械体操出身には簡単に感じられる可能性がある」「体幹を鍛えてからトライして欲しい」「指力が非常に必要になる」「特殊なバランス感覚が必要」等

7)トライ量によるスタイル向上の自己計測の法則 

「開拓には〇〇日を要した」「初登には試登を含め、〇〇日を要した」「初登はピンクポイントでリハーサルされ、のちレッドポイントされた」「合計100トライでやっと登れた〇〇な課題」「あまりの難しさに○○が根を上げた」等

■ 感想

これはNinjyaを例にとってみたのですが、ステファン・グロバッツの初登時の記録と比べると、当時のグロバッツと自己の差がより鮮明になって、

 クライミング史に残る偉大な課題を登った

という感動がよりひとしおなのかもしれません。 

■ 余禄

      非常に用心深く登っている事例 これができる前に怠惰でカムを飛ばす人が多い ただの怠惰なのに、勇気があるという正のフィードバックを受けてしまう。ボロが出たときに死に直結することがある。怪我や死亡につながる悪い因果を積み上げてはいけない。



クライマーに必要なのはスタイル情報

 ■統合失調症とクライミング

https://7korobi8oki.jp/current/case-study/schizophrenia.html より以下引用。

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こうした「周囲の人すべてが自分に敵意を持っている」「頭のなかに第三者がいて、自分を批判・批評する」という状態は、統合失調症スペクトラム障害のおもな症状である「幻覚・妄想」に当てはまります。

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つまり、自分の中に神がいる、という人は、統合失調症スペクトラムの症状が重くなっているのかもしれません。

統合失調症というのは、多かれ少なかれ、万人に当てはまります。ので、正常かそうでないかで白黒がはっきり分かれるものではないですが、あきらかに病的な場合は、第三者的には大体分かるような気がします。

栄養学的に欠損が起きると、誰でもメンタルやられます。分かりやすいのが鬱。希死念慮。

一方、例えばYoutuberでスピ系の人とかいますが、あきらかに希望や願望を語っているものも結構多いです。ライオンズゲートが開く、なども、証明ができないようなことは、詐欺の話法と重なることが多いです。たとえ、重なったとして、詐欺だとしても、聞いた人にとって薬効があれば、それでよしというので、信仰と同じタイプのものです。詐欺だとしてもプラシボで効果があるのが人なのです。

 ■ 理性の声との切り分け

人間には原始脳と大脳皮質(理性脳)があります。つまり、人と動物を分ける部分。

原始脳の欲求 → 寝たい、食べたい、欲しい、抱きたい、認められたい 

理性脳 → 今寝ると夜寝れなくなる、これ以上食べると太る、これを買うとあれが買えなくなる、この人は恋人ではない、人に認められるより自分で自分を認められる方が大事だ

など、理性の脳を働かせることが、

 人間固有の能力

です。 この人間固有の能力を生きることが、人間として生きる、ことです。

■ クライミング

クライマーは、肉体を動かす活動なので、より原始脳に近いため、混乱を起こす人もいるのかもしれません

原始脳 → 登りたい、 もっと登りたい、上手く登りたい、登れたら褒められたい

理性脳 → 登るには何が必要か?、上手になるには何をしたらよいか?、他のクライマーに役立つにはどうしたらよいか?

です。

”褒められたい”が、分かりやすいかもしれないので、因数分解・・・・

褒められたい→皆の注目を集めたい→役立つことをすると注目が集められる→皆に役立つことは何か?

です。

褒められたい→皆の注目を集めたい→チッピング→注目される(満足)

というので、今は、負のフィードバックになっています…。 

■ 間違ったラベリング …記録偏重

登山界では、もはや初登争いの時代はとっくに過ぎ去り、登る価値がある山では初登ということの価値がある山はなくなり(一般に落穂ひろいと言われる)、次の時代、困難という価値を追い求める時代も、もはや一部のスーパーエリートだけが参加するゲームとなってしまい、

 次の価値観

をなかなか提示できないでいる、というのが、アルパインクライミングやフリークライミングの登山界です。

フリークライミング協会の奥村さんによると、

 スタイルにこだわる

ことで、まだまだ一杯、挑戦を広げて行ける余地はある、ということですが、そもそもスタイルの情報が日本語で提供されているのが非常に少ない…ので、そのスタイルの情報こそがチャレンジを求めるクライマーに必要な情報であるかもしれません。

例えば、グリーンポイント、なんて、何を意味しているのか分かりませんよね。

参考サイト: https://www.redbull.com/jp-ja/different-types-of-climbing-guide

              ピンクポイントでの初登

2022/10/08

なぜチッピングがなくならないのか? ラベリング

 ■ 注目を集めたいこころ=愛着障害

ここ2週間ほど、発達障害の勉強をしています。こちらのセミナーを受講。

https://kohaken.net/

それで分かったのですが… 長年、問題になっているクライマーの問題行動…

例としては

 1)チッピング (初登者への冒涜)

 2)ランナウトしているボルト配置を正すことができない (後続者への殺人行為)

 3)終了点のカラビナを持って帰る (窃盗)

 4)敗退を想定しない粋がりでルートに行く (自己破滅)

 5)パートナーがほかの人と登ると怒る、連れてくると怒る (不安障害)

 8)登攀禁止の岩場で登る (衝動性を抑えられない)

 9)どんちゃん騒ぎ (多動性・衝動性を抑えられない)

 10) ランナウト自慢 (自己破滅)

 11)ゴミポイ捨て (衝動性を抑えられない)

など…、反社会的(禁止になってクライミング活動ができなくなるリスクを冒す)だったり、自己破滅的(自分を殺してしまう、あるいは相手を殺してしまう)だったりする事例ですが…

どんなにお目付け役?のJFAが口やかましく、注意喚起しても治らない(汗)…

それは、愛着に問題を抱える人がそういう行動に出ているのだろう…ということが分かりました。そもそも、クライミングには、ビレイヤーが必要なので、ビレイヤーに対する強い愛着(信頼関係)が必要だからです。

そこが確立していないと、イヤイヤ期の子どもと同じ現象を起こしてしまいます。

つまり、俺を見て!行動です。 

愛着が不全なので、自分は愛されていないのではないか?と不安になり、その不安から、

 自分に何とか注目を集めよう!

としてしまうのです。

■ 負のフィードックとなるべきところを正のフィードバックにしてしまっている業界

 このような一文があるとします、

「愛着に問題がある子供は、大人の注目を集めるために、悪さをします。」

これは分かりやすいですね?

「〇〇に問題があるクライマーは、みんなの注目を集めるために、チッピングをします」

○○に入るものは、やはり、愛着、でしょう…。

ですから、チッピングを辞めさせたかったら、基本的に、

 報道しない

という行動を選択するべきなのです。注目を集める、のが目的なので、注目が集まったら、チッピングは、正のフィードバックを受けてしまいます。

■ ラベリングで、善悪を教える

最近のロクスノは、岩雪と違って、熱量のある記事がとても少ないです。熱量というのは、

クライミングの倫理感

という意味です。努力の量、ではありません。

これは、オンサイトが良いスタイルだ、というラベリング が、余りされていないということです。

赤チョークにしても、ロクスノで赤チョークの存在自体が語られたのは、いつ?くらいな話と思いますし、ステファン・グロバッツ、なんて名前を聞いたことがあるクライマー自体が稀有なくらいで、初登情報を知らないなんて、相手を責めることができるような状況にないかもしれません。なぜなら、一般クライマーが見聞きする範囲に、常識、として知れるような情報の置かれ方をしていないからです。

JFAのサイトを見る人は非常に少ないので、クライマーの道徳観の見張り番は、ロクスノ一本と思いますが、ロクスノがあまりクライミングの文化、倫理を伝える媒介者としては成功していません。

伝えるポイントが、スポーツ寄り(安全は前提でしかない上での努力)で、リスクを見極める情報やリスクと成果をバランスの掛けるための情報(スタイル)には、感心を払っていないからです。

うまく、ラベリングを行うには、 

 赤チョークを使わず、丁寧にフリーにこだわって登っている手記を開示して、

 「これが、クライミング倫理的に正しい、かっこいいクライミングですよ」

と提示しなくてはなりません。これがラベリングです。

なぜ赤チョークを使わないのか?その理由を丁寧に語るということです。

 

それがラベリングという手法です。https://psycho-psycho.com/labeling-theory/





愛媛県松野町がボルダラーを地域おこし協力隊に募集

 https://www.climbing-net.com/news/matsunocho_20220913/

リードのほうこそ、ただ登れるだけでは地域おこしはできないので、誰かきちんとした技術がある人を募集したほうがいいですね。

九州で可能性があるのは、福岡八女、長崎大村、大分中津、宮崎延岡、熊本五木村、です。

その自治体に住んでいる一部の人に、岩場という観光資源について認知が起これば、成功、ということにしています。(AIDMAの法則のA)


 

パートナー作り@クライミング

 ■ バレエでは、パドドゥに当たるパートナー制度

昨日、バレエで、パドドゥを組む際の注意事項を網羅した動画が流れてきて、

 パートナーを組む際の注意事項がクライミング界には欠如している

ということに気が付きました。

体重差くらいしか言われていない。英語では、Partnering です。

■ クライミングでのパートナリング

1)クライマーはビレイヤーがいい加減だと、登れる場所も登れない。(しっかりした愛着関係、信頼関係が築けていることが大事)

2)クライマーはクライミング中は、ビレイヤーのビレイを確認することができない。第三者が確認することが必要

3)クライマーは無理強いされると、登れる場所も登れない。

4) 大きい人と小さい人が組む場合、小さい人が危険にさらされる

5)大きい人と小さい人が組める最大値は、小さい人の1.5倍の体重まで。

6)リーチ=安全

7)ビレイヤーはビレイ位置が不安定な場合、セルフビレイをとる

8)ビレイヤーは足場がない場所では、ハンギングビレイとなる。

9)クライマーは、ビレイヤーと積極的にコミュニケーションするべし

10)クライミングは、クライマーとビレイヤーが相互協力で作り上げるもの。

11)ハングドッグ中にロープが緩んで下がってくるとクライマーはとても不安になる

12)核心部に入ったのにロープがたるんでいると、クライマーはとても不安になる

■ 信頼関係の作り方

1)ビレイ中にビレイヤーを見たら、必ずこっちを見ている

2)クライミング中にピンチがきたら、必ずレスキューしようとする