2022/07/12

那智の滝の思い出

■ しばらく旅にでていました♪

今回の旅…は、那智の滝という切り口で見ると、私の本格的がつく登山の歴史…この10年をを振り返るような…そんな旅になった。

夫の仕事の都合で山梨転勤になり、時間ができたので、余暇に雪の山に行き始めた。すると、私自身にとって、全く危険がなく、ゆとりで登頂できるような山すら、”危険だ、危険だ”との大号令で非難された。そんなに言うなら…と言われたとおりにする=ツアーに参加する、と、結局、何も得るものなく、大枚を取られた。例えば、厳冬期のしらびそ小屋に行く程度で8000円とか。そんな山、朝飯前すぎてツマラナイ。どこが危険なのかもわからない。4歳児でも行けるよ?

とはいえ、ピッケルの使い方は知りたくなり、きちんと分かっている人ということで、三上ガイドを紹介され、教えを乞うことになったが…それで知ったのがアルパインクライミングの世界だった。

時は、2012年の7月… 那智の滝事件が起きた。

いたずら?(笑)した側の言い分は、ここで読める。

https://www.excite.co.jp/news/article/E1460910422329/

私は大阪時代は、山登りというのは老人の趣味だと思っており、別に興味がなく、山梨に来て雪の山だけを登っていたので、当然だが、クライミングにも興味がなかった。そんな中で三上ガイドに会ったのだが、様々なご縁があって『八ヶ岳研究』は好きだった。『北八つ彷徨』とか、そういうのが好みなんです。つまり、まったくアルパイン派ではなく、逍遥派。

その状態で起きたのが那智の滝事件でした…。まぁ、正常な社会人の私の目からは、完全にアウトでした。

ただ、三上ガイドが、やたら佐藤祐介さんを羨ましがるのが、不愉快だった。なんで私に言ってくるんだ、って感じで。そんなに羨ましいなら、自分もやれば?みたいな。まるで、私が三上ガイドを佐藤祐介にしてやる義務があるかの如く、俺だって!と主張されて、当時ホント謎だった、です。

現在は、私はアイスもフリーもひと段落し、ミックスの入門ルート(M5)も登った経験があり、フリーでいいなら海外でも一人で行ってパートナーを見繕って登れるので、その深まった知識を持って、過去の三上ガイドの行動を判断すると?

三上ガイドが、”時期とチャンスさえそろえば、俺だって佐藤祐介になれた”という気持ちは、まったくの無知に基づくもの、に過ぎない。と分かるようになった。

だって三上ガイドは、5.9でもやっとか11程度の登攀力しか、もはやないと思うからだ。一昔前の山岳会のリーダークラスの標準的な登攀力は、5.12がRPできるレベル感で、それは、5.9がリード確実で、5.11までは、ほぼ落ちないというレベル感のことだが(=中山尾根がリードできる)、それは過去のトップクラス。

現代では、5.12がフリーソロ、つまり、一昔前の5.9並みということなのだ…。そのレベルを、標高5000、6000に持って行っているわけで、登山から離れて10年のギャップがあった人には、佐藤さんの偉業の内容が全然伝わっていなかったからこそ、

羨ましい

という気持が湧いたのだと分かる。俺だって、と思う気持ちは、スキルレベルのけた違いの違いが理解できないからこその、羨望であり、俺だって、の気持ちだ。三上ガイドは逆立ちしても、スーパー赤蜘蛛フリーソロはできないだろうし、パタゴニアや黒部の登攀だってそうだ。

きっと全国の山岳会で同じような現象が起きているのだろう…。つまり、昔のリーダーの基準で、リーダークラスと判断された人を、世界のトップクラスの人がやっている登攀に、「お前だって出来る」とけしかけてしまうようなことだ。というのは昔のリーダークラスの人が、もはや現代のトップレベルのレベルが理解不能だからだが…。

どうも昔の山岳会は全国で、似たり寄ったりの実力だったので、あいつらがやれば、うちらも…、みたいなのが普通だったらしいんですよね…。 その感覚が抜けないだけみたいですが、現代でそれをやると、未熟なレベルで、高度な場所に取り付いてしまい、理解力がある人からはバカに見える(例:ネット中継でエベレストで死んだ人…名前忘れた)

■ ”レべち”を理解されない苦悩

レべちというのは、”レベルが違いすぎる”という意味です。

那智の滝を登ってしまった佐藤さんらの苦悩は、日本の山岳社会が、レベチを理解しないという苦悩だと思います。

いくら、スポンサーを貰ってもスポンサーシップだけでは、遠征費用に足りないのではないかと思いますし…。

世界の一流クライミングをしている人たちも大変なんだなーって生活を見ていて思います。

そこで苦肉の策で出てきた那智の滝なのではないか?と思いますが…真相はどうなんでしょうね。

■ ボロ壁だった…

今回、那智の滝を生で見る機会が出来て、あの壁をクライミング的に、”ステキ!登りたい!って、一般クライマーにはないな~”と思いました。なんか、行縢のボロ壁みたいな感じだった。

一般的ではないちゃんと5.13が登れるフリークライマーにとっても、脆くて登攀価値なさそうだった。

まぁ、アルパインの人もフリーの基礎力が上がってしまって、たいていのボロ壁はこなせるレベルになってしまったってことなのでしょうか…。

どの程度が登攀価値がないボロ壁か?という判定も、昔と今では異なってしまったのでしょうか…。

現代のスキルアップした登攀力を持ってすると、相当なボロ壁まで登れてしまいます。

■ 行縢

行縢に行ったときも、この壁をステキ!登りたい!と思うのか、自分に問うてみましたが、私にはないな~と思ったので、マルボーさんとか、ちゃんと開拓してくれていて、ホントえらいよな~!と。しかも、売名行為はしていないし。ほんとうの実力があるってことかな。

行縢は、最近、開拓されて、一般クライマーが楽しめる5.11レベルのマルチができました。

一般クライマーでも、11のクラックが登れる現代…。昔は5.9とか、10代がそうだったのです。

■ 熊野古道

那智の滝より熊野古道を歩きたくなりました。

今回出会った外山さんは南裏健康さんの幼馴染でしたが、那智の滝に登ったことについては、はっきり反対していました。

私の感性からも明らかすぎるくらいに失礼な行為で、当時、アルパインクライマー業界は謎だな~と思ったのでしたが、フリークライマー業界では、クライマー側をサポートする意見が根強く、クライミングのためなら、社会規範や人の気持ちを踏みにじっても良い、と考える、極端なクライミング原理主義が根強いです。

その中で、健全な心の人に会えたのが良かった。外山さんはフリー全盛になってクライミングがつまらなくなり辞めたそうですが、山でクライミングをスタートした人からは良く聞く意見です。たぶん、私もかも、です。

日本のフリークライミングの世界観に魅力を感じたことは無いかもしれません。

ラオスのフリークライミングの世界は好きだったのですが、それは、あまり男の意地とか、プライドが関係ない世界だからかも。ラオスはとにかく楽しかったですね。クライミングしていれば、安上がりに楽しめるので、エコなスポーツだと思います。登山と比べても、自然界に与えるインパクト小さいし。

好きなのは、アウトドア活動、であって旅であり、クライミングではないかも。

■ フリークライミングの旅終了

アルパインをするにも、フリーに専念しろ、と言われ、そうか、とやってみたのですが…成果のほうですが、”散々”と言うグレーディングが正当なのではないでしょうか?

白亜スラブの記録を見ても、殺されかけてる…(汗)。

まぁ、たぶん、フリークライミング界でまっとうな人と繋がり損ねてしまっているのかもしれませんが。

気に入ったのはラオスのクライマーの世界観。つまり、ドイツのクライミング観。

日本国内のクライマー感性とは私は全く合わないです。もう目も当てられない。粋がりと男性性礼讃主義で、師匠の青木さんなどは、私のパートナーを見て、アイツ、ホモなのか?とか、私に聞いてくるほどでした。

そんな男性性PRでいっぱいいっぱいの人に付き合って終わった、私のフリークライミングの歴史…

ある意味、面白い旅だったなぁ…。 

ある意味、戦後の日本は父親不在の家が増えて、世の中の男性は女性の愛し方を教わらなかったのかもしれません。 こちらが今回出会った旅で見た光景。女性として羨ましい限りでした。

■ マーク・アンドレ

最近、映画の”The Alpinist”というのを英語版で無料で見ました。偶然、私のネットに現れたので、神の思し召し…

いい映画だったんですよね。

私は、バカみたいな、犬死に反対しているのであって、山での死を全否定しているわけではありません…そこが九州の人には伝わらない。

九州の人というくくりが悪いかもしれませんが、私が見た限り福岡の歴史ある山の会の人でも過去にとどまっており、到底、自慢するレベルにないレベルで、イケイケをPRする場になっている…大阪の人もそんなところあります。階段10段飛べるほうが、5段しか飛べないより偉いみたいな…。子供っぽいところって意味です。

そこがどうしても九州人には分からないらしくて、本州や北海道の山などで遭難者を出しているのも、九州のツアーが目につきます。ある会では、北鎌尾根程度で死者を出していました。会山行で、ですよ?ロープを出すということを覚える前に死んでいる。

九州では明らかに入門者にロープを出すレベルのところで出さないです。(どの時点でロープを出すべきかは、クライミングをやっていない人とやっている人、山岳会レベルでは違います。私は初心者をガイドできますが、自分が歩くときは山岳会レベルでしかロープ出しません)

九州は暖かくて山のリスクがある山が皆無だから、リスク感性は身につかないということだなぁと思いますが、本人が気が付かない、見えないものをいくら、見えている人が言ってやっても、同じなんですよね…

つまり、三上ガイドが佐藤祐介さんを見て、”俺だって”と思ったのと同じ構図なんです。

■ 俺だって型ギリチョン

”俺だって”と思うと、ついギリチョンをやってしまいますよね…。

そういえば、三上ガイド、シュラフ忘れて北岳行っちゃったことがあったなぁ…。

あれは、花谷康弘ガイドが女性の登山者を連れてマンツーマンで北岳へガイドで登ったのが羨ましかったのでした…それで、”俺だってこの程度の山、個人ガイドできるぜ!”ということを示すために行ったら、なんとシュラフを忘れていくことになったのでした…

私の夫も、よく俺だって型アウトドアをやります。突然10㎞マラソンに出たり、元君ともたまには遊ばないと、と思って出たオリエンテーリングの大会で、夫婦の親睦がテーマなのに、勝つために一人で出たいと言ってきたり…と、それは、自分のレベルを客観視できず、俺だって、とプライドがもたげてしまうからです。

体力自慢やイケイケ自慢のプライドで、アウトドア活動しなくていいですよ…何しろ、楽しくてやるのが趣味なのですから。

私が行く沢や雪の山、あるいはクライミングが可能なのは、体力や登攀力の問題ではなく、単なる理解力の問題です。沢も理解力の問題だし、ビレイの上手下手は、知性の問題。海外にクライミングに行けるか行けないかも、能力の問題で、勇気の問題ではないです。

能力の問題は、スモールステップに分解すれば、対処可能です。

つまり、誰でも私がやっているようなことはできるということです。羨ましがるに値せずです。

■ 頑張る方向違い

つまり、頑張る方向違い、ということなんです。

山岳総合センターのリーダー講習では、春山の雪上訓練は、宿泊はビバークを兼ねていますが、男性たちの参加者は、GWの春山なのに、分厚い厳冬期用シュラフ… 贅沢な甘ちゃん仕様。ちゃんとツエルトだけで過ごした人は私だけでした… 

男性が頑張らないといけないのは、どちらかというとそっちです。自然界への対応力を上げる方。歩荷力なんて、何もしないでも、女性より上、です。

まぁ、フリーの世界は、担がなくていいから楽できて、それで難しい課題に力を振り向けることが可能なわけですが… 17kgしか担いでいないワタシより歩けない男性と組まないといけないとなると、ただでもアウトドアでは弱者の私に負担が来ることになり、死へまっしぐらかもしれません…

アルパインをやっていたクライマーの間では、ボチボチやるフリーは老後の愉しみ、みたいな感じです。



2022/07/11

クライマーのゲストハウス理想

クライマーゲストハウス理想

伝統と多様性
・日本の古民家利用で、
・ダーッとフラットなベッドをラオスのように並べてある男女混合ドミトリーと
・FUTONのお部屋(個室)と
・テント泊のお部屋と選べる

最新のクライミングカルチャー
・カルチャー的には、欧米の最新のクライミングカルチャーで、
・つまり、師弟制度で登らず、
・つまり、リードは強要されず

安全
5.9のルートは、5.9を限界グレードとする人のためにボルトが整備されており、
・アンカー強度はUIAAスタンダードで、
毎年、定期的にボルト腐食のチェックがされて、それがエクセルシートで最新版が提供されており、
・常駐クライマー(米国の有資格者)がいて、メンテに熱心で、

学べる
・年配のクライマーが常駐していて、
・アルパインもフリーも入門者はリクエストに基づき手ほどきが受けれて、
・行けば、年中ぶらりと一人旅で来たクライマーがパートナーを求めてうろついており、パートナーに事欠かない。
・課題はやさしい5.2からで子供でも登れる。
・が、高難度課題もある。
・読書室には山とつまれた日本登山大系と岩雪全巻。山書コレクション。
・つまり、クライミングの情報発信と教育の場。
・テレビはない(交流促進のため)

地域の特色を生かす
・食事は地元のおばちゃんが郷土食を提供してくれて、
・素材は近所の畑で作った自然農の食材で 売れず捨てられるようなもの
・地元の人にも観光収入をもたらしてくれると感謝されている。
・廃材や貰い物でできている
・子供がぶらりと遊びに来て、様々な年齢層の大人に触れることができ、
・お腹のすいた子はお腹を満たし
・そして、大人は年を取ることが恐ろしいことでなくなる。
・ニワトリ、犬、猫、を飼っている。

ドネーションをベースとする
・常においしいコーヒーが飲める。
・飲んだコーヒーとビールは、ボルト基金になる。

交流
・異文化交流も好きならできて
・英語も自然な形で学べる
・世界はフラットで、人類は皆兄弟だと感じることができる

外の世界へのゲートウェイ
・海外に登りに行きたい人には、自然な形で訪ねるクライマー仲間ができるクライマーのネットワークハブで
・クライミング留学のあっせんも可能

そんなゲストハウス。
■ 参考記事
ラオスの記事(英語)
ラオスの記事(日本語)

あったらいいな!




2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章



このような記載が回ってきたので、転載します

ーーーーーーーーーここからーーーーーーーーーーーーー




「アベさんが銃撃を受けて死んだ。悲しくはない。」
下記は、日本の原発に何十年と警鐘を鳴らしてきた、小出 裕章さんの文章です。
まさに正鵠をついていると思います。
今回の事件を考える際には
是非、是非、一度、目を通してください。
……………………………………………………
2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章
アベさんが銃撃を受けて死んだ。
悲しくはない。
アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。
アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。
彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。
 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。
朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。
彼は息をするかのように嘘をついた。
森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク…
彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。
それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。
その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。
私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。
 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。
アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。
悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。
 多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。
すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。
歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。
そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。
 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。
民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。
国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。
原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。
日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。
もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。
その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。
それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。
もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。
どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。
さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。
 愚かな国民には愚かな政府。
それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。
しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。
今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。
でも、何度も言うが、はじめから「許しがたい蛮行」として非難する意見には私は与さない。
心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。
さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などが今まで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。
2022年7月9日 「アベさんに対する銃撃について思うこと」 小出 裕章
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2022/07/02

ぬるま湯から出てバイタルフォース(生きる力)を感じたい=アルパイン

 ■ バイタルフォースとは?

バイタルフォースというのは、心臓が打ち続けているとか、思春期になれば性徴が出てくるとか、そのような、自分の中で遺伝子が勝手に時を刻み、命を生かしている力、のことです。

バイタルフォースは強い人と弱い人がいます。弱くなる活動と強くなる活動があります。

■バイタルフォースを感じる活動

日本のようなリスクゼロ型の社会で、ぬるま湯生活をしていると、自分の中のバイタルフォースは感じられなくなる = 生きる意味が分からなくなる。
 
生きる意味が分からない=今が面白くない、ということです。
 
何かに懸命な時、生きる意味を考える人はいません。クライミングで今にも落ちそうなとき、”わたし何のために生きているの…”などと、つぶやく人はいません(笑)。いたら、ギャグだな!
 
というので、クライミングは、基本、強制的に、
 
 今ここ瞑想
 
なんですが、問題点があって、それは、”今ここ”という価値観のダークサイドが、”逃避”であることです。つまり現実逃避。
 
山での死(アルパインクライミング)も同じですが、フリークライミングよりも死の香りはもっと濃厚です。フリーで死ぬ人は、ほとんどいない(ハズ)です。ちゃんとしたフリークライミングである限り。ほぼほぼ、安全。
 
一方、山だと、まぁ、最初から命の重さ=軽ーい感じです。
 
マークアンドレの『アルピニスト』では、まぁ、最初から、”この人、死にそうだなー”という感じです。フリーの岩場でも、フリーソロしている。
 
スイスのクライミングマシーンと言われたウエリが死んだときは、え?あの人不死身のハズでは?って感じでした。が、やはり人でした。
 
亡くなった後のインタビューによるとフリーのクライマーから見ると、やべ~って感じのリスク感性だったらしい。
 
杉野保さんは、城ケ崎の転落死ですが、後で知っている人からすると、彼もそこまで安全重視しているクライマーではなかったようでした。
 
師匠の青木さんは、ソロでアイスを登っていて、ロープ凍結により懸垂に失敗。腰椎骨折の大怪我をして、背骨に何本もロッドが入る始末になり、以来、ロープの凍結にはかなりうるさいクライマーになった時に私に会いました。が、やはりインスボンで、韓国人クライマーに登り方がダサいと言われて、自分のスタイルを変えてしまい、墜落。かかとを骨折。
 
ということで、どんな年齢になって、どんなに経験値が上がり、ヒヤリハットや大怪我で凝りても、”かっこよさ” が手放せない、そのカッコよさ=デスウィシング というのは、あるわけです。

それでも青木さんは自分に適用する基準を、私に求めてくることはありませんでした。そんなことしたら、私、死んじゃいますからね。

■ アルパイン=征服欲

アルパインの歴史は、人間が自然界を克服するためという、崇高な理念のためなら命をささげても良い、とされているように思いますが…。
 
日本の場合、それが超アホっぽい。命をささげるって言うより、自分が何をやっているか分かっていない段階で死んでる。『九州の岳人たち』には、そんな例がずらずら出てきますよ。
 
九州男児だけでなく、普通に、関東のアルパイン入門三つ峠ですら懸垂の失敗とかで死んでる人いますからね。
 
ガイドさんの講習に出ていても、それでもシンデマス… 保科ガイドは3人くらい講習生を失っていると思います。
 
クライマー本人が、自分で自分の命軽ーく扱っているということなんですが、そのことにすら気が付く知性ができる前の出来事っていうのが、かなり痛い点です。
 
マークアンドレは、確信犯だと思います。
 
吉田さんも猫が死んだとき、自分も死にたい、もうやることは、やった、と思った確信犯なのではないかと思います。
 
普通はマークアンドレみたいなのが、いやな人が来るのが、フリークライミングです。 
 
■  あるべきレベル
 
死ぬだろうと分かっていてもトライしていく山(アルパイン)は、私は肯定しますが、日本で、特に九州で、クライマーがやっているような、”お前、階段、何段飛べる?俺、10段”式の粋がり競争で、まだちゃんとしたクライマーと言えるような技術が付く前に、根子岳行って死ぬ、みたいなクライマーの死は肯定できない。ばかっぽすぎる。
 
せめて、38歳で山を始めたおばさんが登れる程度のM5のミックスルート昇天くらいは、オンサイト決めてから、死んでくれ。

        ラオスでくつろぐ新保ガイド クライマー老後の理想形か?

リスク感性を磨く




 

2022/07/01

初心者ほど海外で登るほうがレベルにあった岩場に出会えます

■競争社会の悪の本当のところ

は、一番になるまで承認欲求が満たされないということになると、人生のほとんどの時間を承認欲求を得るための努力に使ってしまうことではないだろうか?

例:国内でトップクライマーになったらヨセミテ行こう!とか、5.12登れるようになったら、ヨセミテ行こう!

1番になるまで競争しているだけに時間が延々と使われてしまい、物事の本質を極めるほうに力が向けられない。

日本人の大半が陥っていると思います。○○ができるようになったら、××しようというのを裏返すと、〇〇できるまでXXしないになり、出来ない言い訳と似てきます。これはバレエをやっていて気が付いた。

序列に並ぶことに一生懸命だと、これらの枠を信じずに生きている人がまぶしく、羨ましく、そして、やっかまないといけなくなります。

一番でもないくせにずるいという気持が生まれるからですね。

九州で受けた嫉妬はこれだな~と思います。別に5.9しか登れなくても、台湾もラオスも、一人で行ってもちゃんとパートナー見繕って登れますから、みなさんも枠にとらわれず、行ってください。


 

クライマー目線で見ても「ん?」となるような異次元の登りの『アルピニスト』

■『アルピニスト』
 
大分出身のワールドカッパーのギンちゃんが、こんなコメントしていたので、ほっとしました。
 
ーーーーーーーーー世界のギンちゃんのコメントーーーーーーーーーーーーー
カナダ人クライマー マーク・アンドレ・ルクレールを2年間密着したドキュメンタリー映画
彼の生き様に憧れと、どこか羨ましさを感じた。
 
登攀映像はクライマー目線で見ても「ん?」となるような異次元の登りをしています。
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そうなんですよねぇ…。
 
ミックスのフリーソロしていたりして、いや~と思ったりしました。私もM5ミックスの昇天まではセカンドで行っていますが…(2P目は楽勝でリードで来そうでした。アイスだったので)
 
ですが、ミックス部分になると…アックスをハーケンのように打ち込んでいる部分では
 
「確実性ありで、よし、よし。」
 
と思ったんですが、後の方の画像ではオーバーハングに足ブラミックス…。いや~やばい感じ。
 
■ 異次元の登り
 
私が九州に来て思うのは、この 異次元の登り、を知らないから、
 
  異次元でもない一昔前の登り
 
を自慢してしまうことになるのでは?ということです…。
 
日本人でも佐藤祐介さんなどは、異次元の登り…されています。(例:スーパー赤蜘蛛フリーソロ )

5.12RP出来るレベルの人が、5.9のスラブを40mランナウトして威張っているというレベルではなく、5.14が登れる人が、パワーバー半分しか食べないでも、5.12のルートをフリーソロ出来てしまうというのが、自慢できる基準になっている。
 
昔の基準のままだと、すごくない記録をすごいスゴイとほめそやす羽目になるかもしれません。まぁ、そのことに気が付いていない場合は、それで幸せと思いますが。
 
■ 一般のアイスクライミングは比較的安全性が高いクライミングです。
 
一般の氷柱ではない、スラブ上のアイスクライミングは、氷がしっかりしている限り、一般の人の思うよりも確実性が高いクライミングで、別に、いちかばちか?ではありません。

基本、アックスバチ効き、になるようにテスティングしてからしか登らないです。

しかし、氷柱レベルになると、アックスバチ効きにいくらしようと思っても、氷柱自体が縦に切れやすく、外れたり、モノポイントのつま先が抜けたりすることは頻繁なので、
 
 スラブ状態のアイスvs氷柱 
 
でのレベル差は、アルパインの入門ルート(日和田みたいなの)とフリークライミングの入門ルート(小川山みたいなの)くらいの差があります。
 
海外のクライマーが恵まれているのは、日和田から小川山が一続きに提供されているので、段階的成長に切れ目がないということです。
 
日本の岩場は、落差激しいです。
 
■ミックス
 
現代アルパインをやる人は、ミックスと沢は避けて通ることができないと思いますが…
 
九州では、ミックスへ至る道のりは全くゼロ。
 
沢も本格的な沢はないそうです(米澤さん談)。

ので、なかなか、”本格的”という形容詞が付く登山形態に進みがたく、その結果、山への認識が、本州から見た場合、”山をなめている”と言われる状態に陥りやすいです。
 
熊への対応も間違っていたり、深い山への対応法知らなかったり。
 
フリーでも、
 
例えば、九州から来たクライマーが小川山で、
 
「終了点直がけが九州ではローカルルールなんで~」
 
とか言って同じことやっていたら、いや~、目も当てられませんね。
 
でも、それが、”特殊”なケースだと九州の若いクライマーは、山岳会で教えられていないとしたら、間違っているのは誰なんだろうな?
 
■ 結論、独学
 
間違った知識を伝授されるくらいだったら、適切な書物を読んで、独学したほうがマシですよ、というのは、このような現実がある場合です。
 
まぁ、人間誰しも老いますし、教えてもらえないと愚痴るより、自分で色々な書籍で勉強するのが良き事でしょう。
 
ちなみに、『アルピニスト』 ここで無料視聴できます。
 

5年前のアドバイス

■山登りとクライミングの関係が途切れた現代

5年前に貰った質問に答えているのをみて、

山登りとクライミングの関係が途切れてしまったこと

を伝えるのは、ホント、難しいなぁと思いました。5年前の私は非常に頑張って、丁寧に回答していますね。

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長文で失礼します。山のベテランの方のご意見が聞ければ…
以下のような内容の質問を当方ブログにもらっています。
それに対する私の返答も載せました。ただ私のアルパイン歴は浅く、ルート経験も少ないですので、回答に自信がありません。
ベテランの方の意見をいただければ、嬉しいです。
 

ーーー質問ーーー
こんにちは。大阪の様子はいかがでしょうか
充実した時間を過ごされていればと思います
自分は今月、二回ほどボルダリングの体験をしてきました。アルパインにステップアップするためのクライミングジム通い、この点についてもう少し教えて頂ければと思ってメールを書いてみました。


まったく急ぎではないので、お暇なときにコメントを頂ければ嬉しいです。・・・


クライミングジムは都心部にも多いのですが、
トップロープ壁を備える施設はわずかな様です。
その様な施設は、私の通勤路付近に存在せず、
最寄の施設へ行くには、急いで片道45分程度の遠回りになります。
現在の私の時間価値感ですと、
90分の移動時間が惜しいです。
 

ジム練習はロープを使った人工壁練習を想定していると思います。
ここで、ご意見をと思うのは、
私が取りえる今後の方針についてです。
当面は、通勤路上のジムでボルダリングに慣れ、
段階的にトップロープ壁施設への遠征を混ぜてゆくという考えで良い物でしょうか?
また、アルパインのための人工壁練習では、
ロープを使う課題に挑戦する割合、頻度はどの程度なものでしょうか?
ここまでが質問です。ここまでが質問です。
・・・
以下、報告的な感想と雑感です。
ジムのボルダリングを二回ほど体験して思うのは、山とは別個の活動として、ボルダリングを楽しめないとおそらく継続は難しいだろうということです。
今の自分の時間価値につりあう満足があるかどうかは、もう少し続けてみないと分からないかもしれません。
課題の難易度は10段階程度になっているようですが、最も易しい方から数えて三つ目は苦しいです(7級なのかな)。
二回目の訪問時は一つの課題に絞り込んで、8回中4回成功というところでした。
あんまり登れたぞという気分にもならないので、同じ課題ばかり続けてしまいました。
どこか悔しさが残り、店員さんに意見を求めたところ、足の力だけで登れる課題だと教えてもらいました。
あと足の親指先端の痛みも気になります。
(シューズの適正サイズがわからないです)シューズとチョークバッグは購入しても良いと思っていますが、
自分で選択する経験をする為に、もうしばらくレンタルしようと思います。
(↑製品のアドバイスも頂ければ嬉しいです)
自分は課題を山の岩に変換して眺めるせいか、難しい課題に挑戦するガッツはあまり湧きません。(そんな所には行かないからと思ってしまいます)


あとこれも体験してみて分かったのですが、ジムはまるで
山の話をするような雰囲気ではないのですね。
こんな様子です。
ーーー
これに対する当方の回答 
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ーーー
ボルダリングジムについてですが、
 ムーブ(=2点支持)
を身に着ける、という意味で、山でのクライミングにつながって行きます。その意味では、ボルダリング壁であっても、リード壁であっても、同じことを身に着けることができます。
普通の山登りで出てくるのは、3点支持で、2点支持の体の使い方は、まったく違うのです。
いわゆる岩稜帯では3点支持で歩いていますが、手1点、足1点の二点支持が身に付くと、同じところを非常に素早く安全に抜けることができるようになります。ちょっとした鎖場などが、ぜんぜん危なくない、ということですね。
まったく縦走しか知らない場合、ほとんどの登山者が、20代の若い男性であっても、鎖場の鎖に全体重を預けて、引っ張るような登りをしていると思います。(例:後立の不帰やキレット)
この段階の登山者だと、10回程度ジムへ行き、7級程度の課題を2点支持で登れれば、鎖は一切手をつけずに重いザックを背負った状態でも、不帰やキレットが通れるようになるように思います。私の場合がそうだったので、男性なら、10回も要らないかもです。
これをしておけば、山おばちゃんたちのような、つたない歩きは克服できます。難所で時間がかかることもないです。
アルパインクライミング、となると、これでは不足です。初級のルートでも、もう少し難しいです。ロープが出る山は、5級から上です。1級は遊歩道、2級は登山道、3級は3点支持の岩場、4級は念のためロープがいる程度の岩場、5級はデシマルグレードのスタート地点、6級は、5.10A以上の岩場です。
つまり、4級から上はロープを出すことが前提になります。
ので、最低でも、5.10Aを2点支持で登れるようでなくては、アルパインの初級ルートに出た場合、ロープワークもセットで支点作成も覚えなくてはならなくなるので、実力が不足すると思われます。
この段階になってから、リード壁があるジムに通われてもよいですし、一般的に公共の施設は、ジム代が格安です。小瀬の人工壁は、なんと390円だったんですよ。
私は初期にひと夏捧げましたが、毎週二日、半年通って、2万円程度でした。ジムの一か月分です。
リード壁に通う別の意味は、ビレイの習得です。言うまでもないことですが、ビレイができない人は、岩場に連れて行くことすら、できません。ビレイをいきなり本番で習得することはできないですから、リハーサルの場としてのインドアウォールが必要になります。落ちる役をする人は、支点が確実でないと墜ちれないです。普通にしていて、ビレイの習得に、週2、半年かかると思います。時間的なものは、女性の私の体験で、男性だと、ジムであっという間に上達する人もいます。
が、ロープワークの習得は、誰でも同じだけの時間がかかるようで、クライミングで上達し、守りの技であるロープワークが未熟なまま、クライミング力の自信だけで、岩場に行き始めると危険がマックスであることは、予想の範囲でしょう。この頃、一番死亡例が多いです。とんでもない支点やとんでもない確保を見るのも、この時期の人です。本来は、ルートに出るのは、まだもっと先が良いと思います。
ただ、山の人は温かいですから、こういう人たちがいると、周囲が見守ってくれ、技術的な不足は指摘してくれることが多いです。ですから、その教えを得るためだけでも、岩場に行く価値があります。
ボルダリングが楽しめないのは、山でスタートした人共通です。なので、ごく普通です。心配ないですよ!
チョークバックと靴は買いましょう。無いと話にもなりません。
私も、ジム壁では、ぜんぜん萌えません。でも、これは山に行くために、支払わなければならない代償だと割り切って、通うしかありません(笑)。
立ち位置、墜落係数、体重差、だらりんビレイ、パツパツビレイ、手繰り墜ち、逆クリップ、ゼット、一通り、やってはいけない失敗を、安全な環境で体験して、本番で致命的なヘマをしない状態に仕上げておく必要があります。
最近のリード壁は、5.9くらいからですので、ボルダリングの5級くらいなれば、リード壁も楽しくできるように思います。
ただ、実際の外の岩は、アルパインの岩場で、いわゆるゲレンデと言われるような日和田、広沢寺レベルだと、5.9よりうんとカンタンです。4級の岩場だから。
逆にフリーの岩場小川山だと、5.7でもインドアのリード壁とは比べられない難しさです。とくに足遣いは一般に、外岩(スラブ)でないと習得できないようです。
ですので、クライミングムーブに慣れるために、一般的なボルジムでムーブを意識した練習をしつつ、日和田レベルで、外の岩にデビューし、週二日は平日夜にジム、月に1日か2日の週末は、チャンスがあれば、日和田レベルの岩に連れて行ってもらい、ロープワークを習得、リードに慣れる、など、ゆっくり1年くらいかけて習得するのが良いかなと経験上は思います。
ちなみに、多くの山岳会は、このような段階の人には場を提供しています。ちなみに退屈なジム壁を面白くするコツは、友達を作り、セッションをすることです。
そして、ジムの課題やグレードにこだわらず、ジムの人が、どんどん難しいのにチャレンジするように言ってきても無視して、自分が納得いくまで、何度も易しい課題に登り、トラバースなどで、インターバルトレーニングなどして、とにかく、
自分は何のために、これをやっているのか?トレーニング内容を自分で組み立ててみることです。それには最初はデータ取りです。
何が登れれて、何が登れず、どうしてなのか?ということです。
私は最初の頃は、パートナーもいなかったので、長ものトラバースばかりをしていたのですが、腕力が付き、沢のへつりで役立ちました。回数を決めて、何往復したかなど、細かく記録をつけていくことで、だんだんと自分の成長が可視化されると、追い求めるべき課題も見えてきて、面白くもなってきます。
そこまで、そんなに時間がかかりませんから!コツは記録を取ることです。
こんな話でお役に立てたら幸甚です。
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2022/06/29

無知が相手を殺してしまう可能性がある…ということ

■ リーダーは ”大自然そのもの”

私は、人間に従う、のではなく、自然界のことわり、に従うのが、登山であり、アルパインクライミングという活動であると思います。

■ 相手のピンチが分かる人間である必要がある

私の両親は、6歳で離婚しているので、私には、ほとんど父親の記憶がありません。

覚えているのは、父が私をプールに突き落として、溺れかけたときに、水面越しに、笑ってみている父のにやけ顔です…(汗)。

3歳の幼女が溺れかけているのに、そのことが分からない…そんな人間がこの世にいるのです…。

この時、父は、26,7くらいの年齢でしょうか?

大人の男性であっても、子供を守る能力がある、なし、というのは、人によるということですね…。 

父性の有無、ということです。

■ クライミングで起こったこと

大人になって、クライミングという活動で男性と関わる機会が多くなり、女性とクライミングした経験が全くない男性は、女性の体力がどのようなものであるか?とか、体力差であるとか、全く理解していない、ということを理解するようになりました。

例え、自分より明らかに体力がない人…幼児や女性…が、命の危機にさらされていても、そのこと自体にも気がつかない人がいる…、いや場合によっては、大半の人がそうだ、ということです。 

このことから、パートナーを組む場合には、性差がある場合は性差への理解が必要です。

■ 担げる重さは筋肉量

例えば、アルパインの場合は、山によっては、担げるザックの重さ=行ける山のサイズを決めます。

というので、女性だから免除、という訳にはいかない場合があります。

特に宿泊を伴う雪山では、いくら年齢が上とか、いくら女性だからと言って、自分の冬山装備一式を担げない場合、危険なので、その特定の山に行くことはできないです。

(別にそこに行かなければよく、昨今は厳冬期の山小屋大人気です。これも体力が下がっている登山者が大半になったことの証です)

とはいえ、昨今は、装備がえらく軽くなって、アイスクライミングの装備一式を入れたとしても、私の装備を計ってみたら、トータル23kgくらいでした。

23kgが担げない山やって誰?ってレベルの軽さです。

担げる重さは、男女とも筋肉1kgあたり出せる筋力は同じなので、同じ体重だとしたら、筋肉の比率の40%と大きい男性が、23kg担ぐのと、30%しかない女性が23kg担ぐのでは、当然ですが、男性の方が楽勝感が出ます。

ま、その分女性は分厚い皮下脂肪で、寒冷からは守られているわけですが、末端の冷えは、女性が大きいので、やっぱり凍傷で死ぬのは女性が先かね?

それでも、厳冬期に私はソロテント泊を赤岳でやっています。その私より、ひよられても、困るな~って感じ。数人で泊まれば、テント内気温はソロより温かいから、です。

■ 私が強いのではなく、男性が、か弱くなっているという現実

私は女性の中でも背が低い152cmしかない=筋肉量少ない、のですが、それでも、17kgくらいまでは、特に問題なく担げて歩けます。

山岳総合センターのリーダー講習で、春山講習の時に、同じ班の男性3人が全員私よりラッセル遅く、普通に講師の後ろを歩いていたら、3人がはるか後方になってしまい、私はトレースを外して、歩かされる羽目になったことがありました。

講師は意地悪しようとしたのではないかもしれませんが、イジワルされた、と私は感じました。 

他の男性は、20kg、19kg、18kgを担いでいましたが、全員私より遅かったです…。

リーダーコースって言っておきますけど、誰でもは入れない講習会ですからね。一応ではありますが、選抜があります。

こんな弱い人たちと、安心して、雪の山、行けますか? 

一般に、関東では大倉尾根を男性30kg、女性25kg担いで3時間というのが、アルパインをしたいと望む人に必要とされる体力だとされているそうです(無名山塾談)

体力がないだけでなく、体力をつけないと山は危険、というのが基本認識に必要です。

大きく見積もりすぎてビビってもいけないし、小さく見積もりすぎて、天狗になってもいけません。 

さらに言えば、行きたいからと言って体力なしに突っ込むのは、無謀行為、です。

■ 無防備すぎないこと

子どものころ、母に「あなたが淹れたコーヒーはホントおいしいわ~」と言われ、なぜか私が日々母の帰宅時にコーヒーを入れるのが義務化したことがありました…。 
 
仏教では、思っていないことを言うのは、綺語とされています。子供のころ、言われた、あれは綺語?母から娘へのコントロールなのか?それとも本音なのか?とふと思い、いつも適正な判断力だな~と思っている、おかもん先生のジャッジメントを聞いてみたら、「いいんじゃないですか?」でした。
 
最近、分かったことは、毒親じゃない生まれの人は、人を疑うことを知らないので、騙されやすく、毒親生まれの人から見ると、え?!という無防備さだったりすることです。
 
逆に言えば、毒親生まれの人は、それだけ用心という心のエネルギーを消耗して疲れる人生=消耗するとうつになる…という意味ですね。
 
ナルシストという人種は、自分がちやほやされることに関して、力を使います。
 
クライミングでは、男性のナルシストが多いことが良く起こります。筋肉フェチとか、自分の登攀の写真を取られたがるとか、雑誌に大した内容でもない記録を自分のために載せたがるとか、用心したほうが良いかもしれません。
 
雑誌には皆に知ってほしい内容を乗せるのが良き事だと思います。
 
■ ナルシストと一緒にいると、用心深くなります
 
いつも自分のことを優先するナルシストだったパートナーが、ある日、岸良海岸で、私が怪我をしているので『〇〇さん(私の事)は、ザック免除でいいよ』と言ってきたことがありました。
 
でも、そこ、別にほとんど歩かないところだし、そのザック、別に全然、重くないし、こんなところで恩を買ったら、後でどんな大きな恩返しを求められるか?と思って、内心、”ありがとうと言ってはならん!”と思いました…。
 
たぶん、自分が登りたいことろを優先させてもらった恩を、ザック免除で返したかったのかもしれません。
 
そこ、本来私が行きたかった岸良のクラックを、彼がめんどくさがって、自分の行きたいところを先に行ってはだめか?と聞いてきたので、「いいよ」と答えたところでした。
 
どこを先にしても、結局どっちも登るならいいかと思ったためです。
 
そのあと、私が登りたいところを登る番になったら、私の番は来なかったです。
 
その人には大変ガッカリしました。私はかなり親切に対応してきたつもりだったからです。
 
しかも、他の2人も、誰も、私のビレイを申し出る人がいなかった。行く前に、岩場のトポを渡していたにもかかわらずです。
 
■ ビレイは代わりばんこが普通です
 
ビレイ代わりばんこ、登りたいところを登らせてあげあう関係なんて、基本中の基本です…。
 
ラオスでも、台湾でも、当たり前のようにやっていて、それで問題が起きたことがない…。
 
ラオスや台湾で、初対面の男性とすら、普通に登れているから、私の問題ではない、ということは切り分けられますし。
 
これは、やはり、男尊女卑が身についており、男性が女性の意思を軽んじて、何とも思わない日本文化の表れ、のような気がします。
 
■ 芽を摘んだのかもしれません
 
この件は、女性に結果平等を求めると、体力面で明らかに上の男性が有利になり、弱者を虐げていることになると気が付いたのに、芽を摘んでしまったのかもしれません…。
 
だとしたら、申し訳なかったと思いますが、それまでの行動と首尾一貫しない行動をとられると、こちらも警戒してしまいます。
 
日本社会では、西洋社会で起こらないような、え?と驚くことが起きるというのは、このようなことです。 

■ もし自分に娘がいたら
 
このような人たちと組ませたいと思うだろうか?と自分に問うのが、コツかもしれません。
 
大事なものとは? もちろん、一人一個しかない命、です。
 


2022/06/28

Altar of mine

This is altar of mine, which I collected from the mountains and sea. Is this considered aminism? 

I think my wish is worshiping the nature not a human. 



慢が課題なのでは? 私には合掌した手に見える 

 ■ 合掌vs一番になりたい

以前カイラスに登りたいという山やが、とがっているピークに立ちたいというので、私とは全く違うなぁと思ったことがありました。

岩のてっぺんに立ってヤッホーしたい!というのは、人間の根源的な、原始的な願いの一部のような気がしますが、だからと言って、その原始的=子供っぽい感情が、ありとあらゆる環境で優先されてしかるべきというのは、人間優先の傲慢な気持ちのような気がします。

その無邪気な気持ちのコントロール、抑制こそが山との駆け引きのような?

まぁ、登山の歴史は、基本的に、人間活動が、自然界を制覇、してきた歴史なので、その傲慢さを内包するのが山なのですが…。 傲慢さが一歩の限界を超えると死に至る。 

■五体投地の変形として

これは両方、ジミーチンから来た画像なのですが、この画像が心を打つのは、ジミー・チンが東洋人で、あるからかもしれないと思ったりします。

私には、ピークは合掌した手に見えるんですよね。鳳凰三山でもそう思っていました。ですので、ピークを見ているときに感じる気持ちは、征服欲、ではなく、五体投地のようなひれ伏す感覚です。

実際、山登りというか、アルパインで何に服従して登るか?というと、自然、に対する服従であり、リーダーに対する服従ではないです。そこのところを間違って山の遭難をリーダーシップの失敗にする思考法が多いですが、そうではなく、リーダーを含む全員が、山という大自然の、自然の理(ことわり)に服従し損ねた結果だと思います。

クライミングも同じで、18歳ができることが48歳にできないのは、自然のことわりなので、出来ることをできるようにやるのが自然なことで、それを48歳に強いたら、そりゃ遭難=怪我=死、するでしょう…


■ 慢


夫は運動能力という意味では、自信がないのに、いつもやるのが、
 
いきなり長距離マラソンとか
いきなり富士山、とか
いきなり白出沢から奥穂に行こうとしたり、
 
なんですが…。
 
いきなりすぎる人の心理というのは、慢、があるように思います。
 
 俺だってやれば出来るんだ、
 
と言いたいのだと思いますが、普段、運動習慣のない人がいきなり10㎞マラソンとかするから、余計くたびれて変なことになる。
 
男性だったら、何もしなくても、私よりは体力あります。普通に読図で回るゲーム性の高いナビゲーションゲームをやると、夫の方が張り切って、チームでやると私が足手まといで負けるから、各自で参加しよう、と提案が来るほど…です。
 
一方で、普段、私の山の時は、彼が足手まといで、それは、体力不足を見せびらかしているんですが、実は体力ではなく、私が行くような山は体力がいるんでしょう…というメンタルブロックだけであり、本質的には、体力の問題ではないということが分かります。
 
登山で私の成果を妬む?人もいましたが、
 
・昇仙峡で、故・吉田和正さんのビレイヤーをする、とか
・ラオスで、海外のクライマーとバンバン登る、とか
・阿弥陀北稜を初見でソロで行く、とか
・ミックスの入門ルートにセカンドで行く、とか
 
普通にベビーステップを3年程度重ねていれば、ジムグレードで5級しか登れなくて、外岩で5.9がオンサイト出来るという程度しか登攀力がなくても 出来るということです。
 
みなが、普通に リスクに向き合えば出来ること  をしてこなかっただけではないかと思います。
 
入門程度のアルパインクライミングの成果が、体力の問題ではないことは、私が証明しているような?
 
つまり、アルパインクライミングが廃れてしまったのは、心を教えそこなっているためで、最近の若者がレベルが下がったとかいうような話ではないということです。

2022/06/27

参政党 吉野敏明 野中しんすけ 個人演説会 福岡 2022/06/25

インスボンで逢った友人に教えてもらった。