2023/03/29

【開拓者向け情報】ボルトルートでも終了点だけ打つという戦略

 ■ 終了点だけ打つ

昨日、中島さんに、ボルト提供を打診したら、

  終了点だけ打っているから大丈夫

って返事だった。

 さすが、考える人は考えているな

と思った。

■ へたくそな若者クライマー

米澤さんがクラックの横にボルトを打ったのは、

 最近の九大山岳部クライマーはカムをきちんとセットできないため

だった。

  自分がクラックを登るときに要るから…じゃない。

つまり、若い人のスキル低下のため。

たぶん、九州の終了点が奇天烈なのも、若い人の知性のレベル低下で、ヌンチャク2個終了点に使う程度の常識すら、きちんと実践できないので、諦めて、人工壁スタイルにしているだけ。

結局は、若い人の側に寄り添った結果なのである。

■ 人は必ず老いる

人は必ず老いる。老いれば、登れなくなる。

登れなくなれば、昔余裕で登った課題も、余裕ではなくなる。

余裕でなくなれば、ボルトが欲しくなる。

ボルトが欲しくなれば、ミニマムボルトの原則は守れない。

ミニマムボルトの原則が守れなければ、クライミングとしては堕落の道を歩んだことになる。

さて、どうする?

■ 終了点だけ打つ、という解決策

若い人が、画家の絵をなぞっているだけの、模写のようなクライミングで満足しているのは、それしか知らないためである。

つまり、ボルトを追いかけるクライミング。

ボルトを追いかけさせないためには?

つまり、ボルトがなければ良い。

しかし、ここがルートであるということは示したい。

   結論: 終了点だけを打つ

これは、クラックと同じスタイルである。

■ 年配のクライマーはトラッドクライミングの教え方を知らない

私の師匠の青木さんが、背の低い私が自分のカムのセットが必要だということが分かっていなかったように、 

一般的な年配のクライマーは、トラッドクライミングの正しい教え方、は知らない。

自分だって教わったことがないからだ。

トップロープクリーンで登れた後は、疑似リードが必要だ、という認識すら無い。

一言、「俺は疑似リードが嫌いだ」

で終わりで、ボルトの間隔というものが、個人差の産物、であるという認知をする能力やそのための経験をする機会、そのものがないためだ。

そりゃそうだ。

人のカムで登った経験が皆無の人ばかりなのである。老年期になっても登っているクライマーというものは。

つまり、俺のクライミングの歌、は奏でて来たが、人のクライミングの歌を聞いたことは無い。

例えば、ギリギリボーイズの伊藤仰二さんが、いつも師匠とふたりで登っているアイスクライミングに来たことがあったが、彼と比べればいくら、アイス歴40年の師匠でも、どう考えても技術は伊藤さんが上だろうと思うが…

それでも、伊藤さんが、師匠の打ったスクリューを活かして登ってくれた。つまり、年配者を立て、譲ってくれていた。 

日本では、若年者は年配を立ててくれるもの、なのである。 

伊藤さんのほうが師匠より実力が上だからやってあげることができるが、まだリードクライマーとして修行中の私には適切ではない。私には私の安全が第一なスクリュー配置が必要だからだ。

そこは、どうあがいても、年配のクライマーには理解できない。人のスクリューで登るほうが、簡単だと思っているからだ。 そりゃ打つ手間は省けるかもしれないが、リスクが少ないか?どうか?は身長による。

■ ベテランクライマーはフリークライミングのことは知らない

つまり、ベテランというのは、人の作ったルートを登って、この人のクライミングの歌はいい歌だなぁ…と、実感するようなクライミングのレベルまで行っていない。

現代のクライミングの歌は、岩の場合、おおよそ5.12以上で奏でられるためである。もちろん、それ以下でも良い歌はある。例えば、屋根岩2峰などは色々なスタイルの歌が聞けるルートとして有名だ。

が、そんなの、若いときの右も左もわからない頃にすっかり登っちゃって楽しかったーで終わりで、後は自分の歌を奏でる方しか興味がない。

俺は俺の好きに登るぞーというのが誰だって、定年後は楽しいわけである。

一方で、歳を取っているから、もう難しいのは登れない。

例えば、湯川だったら、10cのフィンガーなんて、出だしからずっとテンションで、普段スイスイとインスボンをリードしていたからって、トップロープ以外、無理なんである。

なんなら、女性の方が指が細いから、君、これ、いけるんじゃないの?くらいな勢い。

最初の師匠の鈴木さんなんて、トップロープを自分に将来貼ってくれる人を育てていると公言していたくらいである。ずっと登り続けるには、そうする必要があるからだ。

クライマーなんてそんなもの、現実主義者なのだ。

当然、年を取れば誰だって過去よりは登れなくなる。

■ 岩を汚すよりは

とはいえ、岩場の開拓をするような、効率の悪いことに時間を費やせる、ゆとりがある人が昨今いない。

世の中の労働市場は、労働力不足であえいでいる。

というので、定年退職後の人の出番となる。

日本の岩場は、開拓されつくされたというのが、一般的な見方だ。

残っているルート=落ち穂拾い。

歩く手間をかけて丹念に探せば、いいのだが、その時間がないとなると、既存ルートの隣にもう一本作ろうということになり、ルートの人口密度が濃くなる。

すると、分かりづらくなる。

それだけでなく、限定、とか付けないといけなくなる。

は?って感じになる。ここ人工壁かよ!ってことだ。

一方、到達までに6時間かかる岩場では、誰も遊びに来てくれない。例:前穂北尾根

というので、このような状況下で一番良い解決策は

 岩場を見つける 

 初発見者権限として岩場に発見目印をつける (=終了点)

 終了点だけ打つ

という手だというのは納得した。

■ 適正ボルトの時代変化

そもそも、適正ボルト間隔は、昔は、身長が日本の平均男性の160cm前後に合わさっていたと思われる。

しかも、エイドのルートだと、特別のっぽだった人が、お前がいけ!と言われて登っていたわけで更に遠くなっており、170cm以上の人に合わさっている。

ところが、現代では、子供も登る、女性も登る。 

それでは、現代では、ボルト間隔が遠すぎる。

つまり、140cm前後から必要になる。 

しかし、140cmの人向けの間隔でボルトを打ったら?

人に親切にしたのに、俺がチキン呼ばわりされる。

それは受け入れがたい。

もしくは、ミニマムボルトの原則に反しているだの、との批判を受ける。

そもそも、そんなにミニマムボルトがいいなら、ボルトが嫌な人は、すっ飛ばして、フリーソロしてくれよ、と思うが、そういえば、喧嘩腰になる。のも、得策ではない。

めんどくさいことをすべて避けるには?

 終了点だけ打つ

これで解決なわけである。

米澤さんは、終了点は打っていたが、全然使っていなかった。立ち木にぶら下がって開拓しているから、自分の継続トレーニングには、その立ち木で別に十分だからだ。

だから、私もそのようにしている。ボルトはいらない。

なんせボルトのほうがカットアンカーだから信用ならない。別に、立ち木で懸垂で降りれるからいいのである。

しかし、ボルトがないと

 そこがルートだ

ということが示せない、ということなのだ。

これは、この終了点がないとルートだと認識できない人のために完全なる募金、なのです。

なんせ自分にはいらないわけですから…

大したクライマーでもないとすでに明らかになっている年齢の人が、開拓者のエゴを主張して、限られた岩場資源を独り占めしようとせず、後世の

 ちゃんと現代レベルで登れる人に、国際レベルでの適正ボルト

を打ってもらうほうがいいに決まっている。 

その時のために若い人はせっせと海外の岩場にでて、

  国際グレードのグレード感の吸収

に勤めましょう。

海外旅行は大変疲れます。海外で移民として暮らすのも、若いときは、言葉もあっという間に覚え、楽勝です。

が、年をとると、言語・文化の吸収能力が下がっているので疲れます。

若ければ若いほどいいわけなので、海外でできるだけ多くの岩場に触れましょう。

そして、その知見を成熟してから、日本の岩場に持ち込みましょう。

これで世代間連携はバッチリです!

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クライマー別カム配置の考察

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トラッドのリード習得法

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ロープの伸びが配慮されていないボルト配置 → エイドルートなのでしょう

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ラオスのメモ

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