ああ、足首が痛い…というので、ここ数日、毎晩のように3時定時で目が覚める…。
一応、痛み止めが含まれている湿布をして、横になるのだが、痛みが強くなると目が冷めちゃうみたいなんですよね…。
昼間は痛くないのですが、それは、気持ちが別の方向に向いているから、で、つまり痛みもそこまで強くは無いということです。
私はもともと明晰夢タイプなので、些細な刺激で目が冷めてしまうようです。
■ 悟君のこと…
高校生の頃、人生に行き詰まったことがありました。進学率100%のトップスクールにめでたく進学したのに、どう考えても、母子家庭の我が家には進学する費用がない…。
私は別の私学の高校には特待生で合格しており、そこに通っていれば、コストがかかるどころか、毎月3万円の収入があったはずでした。しかし、お嬢様学校に特待生で入るか?各中学からよりすぐりのエリートだけが集まる学校に行くか? 私の性格を考えると、後者でした。楽ちんな環境より、厳しい環境があっているタイプなんですよね。
しかし、さすがにこの問題は…。周囲は、弁護士の家、医者の家、そんな家の子たちで、入学前から予備校ですでに高校一年分の知識は持っている状態だったわけです。そんなところに、塾行ったことありません、全て独学でこなしてきました…みたいな丸腰…武器無しで行てしまったわけですから…。
高1の頃、中学時代の友人に愚痴をこぼしたんですよね…。悟くんは、中学時代のエリート仲間でした。私たちは20人くらいまとまったグループで遊んでいて、女子は二人だけ。どの子供も成績上位者ばかりでしたが、中でも私は、サー君というもう一人、熊本高校に進んだ男子と双璧で、仲間をまとめる役でした。悟くんはサー君の相棒だったので、私としては遠慮している友人でした。人の親友を奪っていく気持ちはなかったからです。
悟くんの家は、お父さんが建築士だったので、日中家で働いていて、パソコンがありました。CADを導入していたからです。中学の頃、私はパソコンに興味があり、独学でBasic言語を学んだのですが…悟くんちで、ゲームの三国志をして基本所作を覚えた(笑)。
向こうの家も、弟がおり、私の弟と同級生だし、おおらかな時代で、夕飯もらって帰ることもありました。母が「母子家庭、バカすんな!」とへの突っ張りで頑張っていても、娘の方はどこ吹く風で、スイスイと世の中を渡っていたってわけです(笑)。
このグループは基本、サッカーして遊ぶだけですが、雨降ってきてずぶ濡れになったときとか、ときおり、お母さんたちが出陣してくれて、娘のいないおばちゃんたちや娘が巣立った人は、なんか良くしてくれました。濡れちゃったついでで、お古の洋服くれたりとか。私なんて、え?全部もらっていいの?って、お古のパンツまでもらって帰っていました。
母はそういうのがプライド高すぎてできないタイプだったのかもしれません…。
ま、前置きはそこまでにして…
高校生1年のときに、私は500人しかいないのに487位という成績を数学で取りました。それまで学習塾に行ったことがなく、予習の習慣はなく、授業を集中して聞くだけでこなしてきた勉強。熊本高校では、授業は、「11ページ、はい、見れば分かる」という具合に進んでいき、解説はないですね…さすが熊本高校。先生たちは、生徒が予習してきたかどうかのチェック役です。
平たく言えば、最初の挫折なのですが、これは良かったのです。これで、大学でも、仕事でも、予習の習慣がつき、仕事の場は、ただのプレゼンの場、となったのでしたから。
しかし、当時は、そんな悠長なことを言っているゆとりはなく、自分が最後尾だということは分かるわけですので、焦って勉強しないと行けません。一方、母は私に家事期待でいっぱい。 妹と弟は、鯉が口を開けて餌を待つみたいに、パクパクと口を開けている。
熊本高校は進学率100%。バイト禁止。
こんな状況、あなたなら、どう解決します?
高校生の私には、解決案が浮かばなかったんですね…それで鬱になりました。
当時、私は、サーくんや悟くんのほうが女性の友達より親しかったので、悟くんに相談したら… 帰ってきた言葉が
「あなたは絶対に大学に行かなくてはならない人材だ。お金がないなら僕が働いて大学に行かせてあげる」
というものでした。悟くんだって、地元のエリート校済々黌に通っていました。進路は九州大学建築科です。
だから、彼だって、誰かの犠牲に人生を棒に振って良い人ではない。いや、エリートではなくても、誰かの犠牲になって良い人生があるはずがない。それでも、そんな人がこんなことを言ってくれたのです。
この言葉で私は救われ、悟くんを働かせるわけには行かない、と、バイト禁止をもろともせず、朝のパン屋でアルバイトを始めたわけでした。
このバイトは、残り物のパンがもらえるので、ランチ代節約になり、しかも友人たちに分け与える分までついでにもらえて、良いバイト先でした。飢えている高校生相手に、目の前の賞味期限切れパンを持って帰るな、なんて人は世の中いませんでした…まだ。
なので、私はセブンイレブンなどのコンビニが食品を処分する、っていう方針は大嫌いで、それがコンビニを使いたくない筆頭の理由です。ちゃんと経験の裏付けがあります。
なんで困っている人に余り物を分け与えることが市場原理に反する、なんて言うわけ?市場原理より、ヒューマニティでしょう。
さて… その言葉で救われた私ですが…
ここ数年のクライミングで、パートナーの言動で、
この人と登るのはちょっと…
と思う事がありました。
それは、
「(成人してから作ってやれなかったから)今、あなたにご飯を作ってやれるのが私の幸せ」と親に言われた、と嬉しそうに私に話してくれたからでした。
それで、”俺って愛されてる~”と、自己肯定感が上がりまくっていた。
しかし… 私だったら、高校生当時ですら、全く逆の発想です。
もう高齢の親に自分が面倒をかけてはいけない
と考えるのです。
この言葉で、そうか、だから、白亜スラブのあんな失敗した登攀で自信つけちゃうんだ…とピン!ときました。
世の中の人って、ものすごいポジティブシンキング、なんですね… ある意味。
これ、親に言ってもらっていた人、40代後半です。親が年老いて、実家に帰るのはありと思うのですが、実家に帰ると言っても、それは、親の近くで暮らすという意味だと私は思っており、まさか親の家に世話になる、という意味とは知りませんでした…。え?!です。
大人になる、自立をする、っていうのは、経済的な意味だけではなく、精神的な意味合いを含めて、大人にならなければ、何の意味もありません。
日本では、男女の賃金格差は大きいですので、一般男性にとって、毎日会社に行って経済的に自活しているというのは、ただレールに乗っているだけの結果で、別に、自立した大人であるということにはなりません。
が、その経済的自立ですら、さっさと手放せる程度の自立なのです。
大人になるということは、自分の生活を自分で作って行くということ。つまり、自分の生活スタイルがあるということです。自分のスタイルがあれば、いくら親でも一緒に暮らすのは…となります。もちろん、双方が歩み寄って、互いに協力していく、というのでは問題はないのですが。
しかし、上記のセリフからうかがえることは、結局、親の言うままに食べている、って話でした。
そうか~、だから、与えても与えても、相手は与えられている、って事実がつかめない、んですね。
だから、どんどん、もっとくれ、もっとくれ、になっていく…。もらうことが当然になっていくわけです。それによって、俺、愛されてる~となるわけですから。
たしかに俺愛されており、かつて高校生だった私も悟くんに愛されていたわけですが、誰かが愛によって差し出してくれた自己犠牲に、そのまま寄りかかって良い、というわけではないでしょう。
親には親の人生があります。親が子供のために自己犠牲すると決めたのは、親の決断ですが、それも普通は18歳、おそくとも大学卒業頃で終わりです。そうでなければ、親がかわいそうですよね。
私は6才で、母が子供のために離婚を踏みとどまるべきか考えていたときにも、わたしたち子供のことより、母親自身の幸福を優先してほしいと思っていました。
私が6歳で考えたことが、40代後半になっても考えられない…ということは、もうこれは発達の差、ではなく、決定的に人生で何を重要視するか?という価値観の差、だということです。
発達精神医学では、未熟な自己愛には、
根拠のない万能感
がある、と言われています。子供がある時一人でどこかに行ってしまって迷子になる、っていうのは、この根拠ない万能感のためです。
若い男性…たとえば、映画『アルピニスト』のマークアンドレは、この万能感のために、際どいフリーソロをして、そのまま帰ってこない人になって、映画に留められています。心理学的には成熟の真反対で、未成熟のまま山で死んだというだけです。反省の対象であって、あこがれの対象ではないですね。 山は降りるほうが難しいのだ、ということを誰も教えてやらなかったのでしょうか?
母に愛されているという根拠だけで万能感
を持つことができてしまったら、ご飯だけ食べさせてもらえば、どんなに根拠のないことでも自信たっぷりに、「敗退無しで!」と言ってしまいます。
そんなのに付き合っていたら、こちらが先に死んでしまいます…
敗退はきちんと想定して、それでも山に挑まれ、万策尽きたときに、ここぞ!というときだけ賭けに出るのが、本当の山屋です。
根拠のある自信をもちましょう。