■ロクスノに載ったらしい
こんな投稿が回ってきたので引用の上、当方の意見を述べます。
追加情報: https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html
ーーーーーーーーーーー以下、引用ーーーーーーーーーーーーー赤字当方
二子山及び小鹿野クライミング協会について新しいロクスノに各自の意見が載っていますが購入していないので内容を知らないです。でも自分なりに書いてみました。
サバージュ・ババージュの補強したことについて
「ホールドとして使用できなくするために埋めた」というショッキングな情報が一部で話題になっていますが、これは間違いです。「使っていたホールドが埋められて登れなくなった」としてください。(3/16追記:補強時に主体的なホールドとしての認識はしていませんでした。しかしその後該当個所を使用して登った人がいた事を知りました)なお該当する人がいればぜひ私まで直接連絡をください。話を聞かせてください。よろしくお願いします。
経緯:昨年春に再登した時にクイックドローのカラビナがちょうど当たる位置で岩が欠けているのを見つけました。そしてこの欠けた先が大きなコルネにつながっており、将来的に岩が大きく剥がれる可能性があると認識しました。そして昨年の二段壁整備の時に委員会に処置を依頼しました。
リボルトでも補強でも何かしらの現状に関わる行為がありますが、様々なケースがあり手を加えない場合が良いと考えることももあるし、手を加えてた方が良いと考えることもあります。例えばホールドだけど落石となる恐れがある場合など大きく撤去することもあると私は考えます。今回については補強した方が良いという考えに至っています。
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グレードについて
個人的には今更興味がなくてどうでもいいです。
グレードはクライミングを面白くしている大きな部分でもあるけど、でも真逆にクライミングが嫌になる原因の一つでもあるわけで、あまり深く考えない方がいいのかな...
グレード感より難しかったりやさしかったりというのはそのルートのスパイスでそれはそれで結構楽しめます。
そもそも昔の似たような身長の成人男性しかいなかった時と違って、今は女性も子供いる状況でグレードを細かく付けるのは無理な気がする。
ただ自分の基準をグレードに頼っている人は辛いだろうなと思います。クライミングという行為そのものに楽しさを見つけるといいんじゃないかな。クライミングは冒険が原点にあるので、自分なりに小さな冒険でも大きな冒険でも見つけるともっと楽しくなると思います。
だいぶ話がそれた。グレードはそんな問題じゃないのだけど、まあでも表記に関わらずグレード感を喧々諤々統一していけばよいんだと思います。つける基準についてはオンサイトではなくてより楽なムーブで登れた時のグレードで付けた方が良いです。
そのグレードが限界の人が感じるグレードではなく、より高グレードが登れる人が感じるグレードにした方良いです。結果としてそのグレードが登れるはずの人が登れない課題があることになります。この部分は反対する人が多いと思うけど、それがクライミングの本質的なところに関わっていると思います。
(但し、競技クライミングとしては別)
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小鹿野クライミング協会について
関わっている人たちは、みんな二子山という岩場をより良くしていきたいと積極的に活動している人たちです。自分達が優遇されるとか他者を排除したいと思ってる人はいないです。
今回、活動の一部が問題視され、問題だと思ってる人からすると悪者とか敵みたいなイメージで対立してしまっている印象がありますが、これはとても残念なことです。
より良いクライミングをし後世に受け継いでいくんだという心が各自にあれば、お互いを尊重し議論し建設的に話もできると思います。
あと疑問に思ったことや意見などあれば積極的に委員会メンバーないし委員会へ連絡した方が良いと思います。
さらにもっと積極的に関わりたいという人は委員会の活動へ参加していけばよいと思います。
小鹿野クライミング協会は将来的にもっと活動を大きくしたいと考えています。そのためには沢山の人の協力や意見が必要です。
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自分が設定したルートについて
城ケ崎のエアダンス、二子山のジョナサンと穴のムジナ、小川山の子忍者が誰かによってリボルトされています。そしてリボルト時に私へは一切の連絡はありませんでした。
連絡は簡単にできたはずですが...
結果として
エアダンス:1本目のボルトが高い位置に変更されプリクリップが前提ルートとなる!勘違いしている人がほとんどですが初登時にはもちろんプリクリップはしていません。
ジョナサン: 終了点の位置がオリジナルから左へ1m以上変更されています、結果的にラインが変わっています。
穴のムジナ: 1本目のボルトがおいしいよと共有になる
ラインやボルト位置の確認はもちろん「リボルトするけど任せてね」的な連絡、事後連絡は一切ありませんでした。現在の状態については納得できていません。
小鹿野クライミング協会による昨年の二段壁整備については数か月前から連絡がありババージュ・サバージュ、ふりかえるな(*)のリボルトについて位置やラインについて細かく協議してから施工がおこなわれています。
*正→ふりかえるな、誤→振り返るな
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おまけで
今のクライミング界をみていて思うこと
今のクライマーは想像もできないと思うけど...
自分を含め1960年台半ば生まれは大体1980年台半ばからクライミングを始めていて当時第2世代(フリークライミングの)と呼ばれていました。そしてちょうど自分たちが20歳前後の時にヨセミテを主体とするアメリカスタイルからフランスやドイツのハングドックスタイルに世の中が変わっていきます。つまりスポートクライミングの第1世代ということです。
何が言いたいかというと当時クライマーは若者しかいなかったということです。ほとんど10代後半から20代前半で年長者でもせいぜい30代前半です。
そんな中、城ケ崎シーサイドや小川山、そして二子山が開拓されていきました。導いてくれる年配者はいません。全て自分たちの想像や考えを元に行動してきました。もちろん傲慢だった部分も沢山あり御前岩の登攀禁止など失敗もあります。
そんなわけで若い世代に日本の未来を考えて主体的に行動をすることを願いします。じゃないと年配者が考えた年配者のための世界になってしまいます。年配者に遠慮する必要はありません。自分の未来は自分がつくるのです。
ーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーーーーーー
■ 開拓者に断りもなく、リボルトされている上、ルートが改悪されているってびっくりですね!
ルートが改悪されているっていうのがびっくりですね!
開拓者には、きちんとした人もいれば、そうでない人もいる、というのが、最近私が九州で学んだことです。
屋久島フリーウェイを開拓した米澤さんは、とても立派な開拓者だったと私は思っていますが、彼のルートは、激辛というか、ピンをつける論理がフリーの論理、つまり、”ガバで一本”にはなっておらず、”ガバ=ピン飛ばし”、になっています。ピンというのは、中間支点という意味です。それはなぜか?
70代後半の米澤さんの生きた世代を考えると、上記の第1世代より前の世代です。ですから、その前の時代の人の制約として、フリークライミングにはそこまで詳しくない、他のフリークライマーとセッションして登ったりした世代ではない、と思います。
たぶん、私が知る人の中では、故・吉田和正さんが第一世代になるのかなと思いますが…(もともとはアルパインのクライマーが開拓していたところにフリークライミングを持ち込んだ人たち)
吉田さんはフリークライミングのショートのルートで不適切に1ピン目が遠いということが、”そうあるべき”とは考えていなかったです。まったく。
日本中、1ピン目が遠い課題だらけですが、それは、フリークライミング以前のクライマー、古いアルパインのクライマーの価値観なのではないでしょうかね?未だにエイドで初登がかっこいい時代の価値観のままなので…。昔はエイドで登られたルートも、今では完全フリー、が普通の時代なのに。
■ ロクスノ
それにしても、ロクスノ… もう雑誌の編集能力を失っているんではないでしょうかね??
それで、なんでもいいから、楽に文章を手に入れようとしていないかな??
例えば、故・吉田和正さんの残したデイドリームを小峰っちが登った時、記事は見開き半ページで終わりで、デイドリームをきっかけに吉田さんの業績を紹介することができたはずでしたが、そういうものは全くありませんでした。ちょちょっとネット検索すれば、吉田和正の記録くらい出てくるし、まとめたものを、年配のクライマーに、ちょちょっとチェックしてもらえば、間違いは拾えます。もう、そういうことをする余力もないのかも?
だから、同じ号で、ボルダーのチョーク特集14ページでした…チョークってエイドですよね?つまり、 フリークライミングの、道具を使うべきでないという理念からは、必要悪、程度の扱いなのがチョークです。私は汁手ではないので、チョーク使わない派です。ニーズを感じたことがないです、まだ。エイドに頼って登る、のでは、エイドクライミング時代に逆戻り、ですよ?
この時の違和感は、”ロクスノ、もしかして、何も分かっていないのではないか?”というものでした。
その違和感が、確信に変わったのは、二口渓谷のアイス、6級の第二登が2行で、雌鉾大滝が4ページだったときです…というのは、私はこのクライマーたちを知っていたので…。
方や、ワールドカップの出場者(二口)、方や5.12登れると言って、5.9もとい10cで、支点ビレイされているとも気がつくことすらできず、二時間半かかって登った人…(つまり、下手っぴってこと。私はこのクライミングでおったまげてしまったのです。いつももっと上手な人と登っていたので)
どっちの人が本来、スポットライトを浴びるべき人なのか、実際会って、見て知っていました…。私はアイスは初級を脱し中級者の域まで抜け出ましたので、アイスなら正確な評価ができます。
こちらに古いアイスクライミングの写真がありますが、古い山ほんの記録っぽく記録を書けば、おじいさんクライマーには受けが良いですが…古川純一さんが、黄蓮谷アイスを登った時代はこんなクライミングですよ?
あー、アックステンションしちゃってる…。
しかし、現代はふつーの人がこれの時代…ふつーの人っていうのは、私みたいな人って意味です。
私が進みたいのは当然ですが、現代風のアイスです。私のアックスは、当然ですが、ストレートシャフトではありません(笑)。テクニカルアイス用です。アックステンションなんて、初心者の頃教わって一度か、2度緊急事態用に覚えただけです。テンションレス、つまりクリーンで登れないなら、初心者時代から挫折感を感じていたくらいです。
古川さんの時代にやっていたことを、現代の技術でやれば、そりゃ超・楽勝になります。
現代の技術になったのですら、もうとっくに20年以上は過ぎており、アイスは5級は誰でも登れるとアイスの教本にすら書いてあります。特に上半身が強い男性なら、ムーブがゼロでもリードできます。アイスはアックスバチ効きにしていれば、リスク限りなく小さくなるので。だからこそ、アックステンション、が軽蔑される、ということになります。
氷、そのものが壊れるリスク、っていうことであれば、壊れそうなアイスに登る=愚か者、って意味なんですよ?
れっきとしたアルパインクライマーこそ、きちんと勝算があるリスク以外は、取らないです。いきがって敗退ロープなしとかやらないです。きちんと根拠がある。
現代は、初登頂に意味がある訳では無い…。今更、近所の5.9を初登してロクスノに発表します?しないでしょ?
例えば、これは、ヒマラヤでも同じことです。シェルパに工作してもらった初登頂が意味ある記録か?というと、初登頂という意味では、意味はないです。近所の丘に登って初登頂というのが意味がないのと同じです。意味があるとすれば、そのルートとの関わりの長い歴史とか、長い憧れとかそういうものです。であれば、誰がどういう経緯でそこを見つけ、どういう縁でシェルパの助けを借りることとなり、どういうメンバーがどういう理由で集まり、とそういう言う事を語らなければ、その登頂の意味を正確に知ることはできないのに、未だに、マスコミはクライミングを理解していないので、エベレスト初登頂時と同じ価値観で切った記事しか出していません。つまり、マスコミがバカ、なのです。
これはNHKでも同じです。前に師匠と一緒に見てわかりました。NHKでも嘘ばっかりです。
同じことがロクスノで起こっているようで、これでは、分かっている人は誰も見なくなって当然ですね。
ロクスノは、トポ発表サイトとしての機能すら、昨今では怪しいものです。高最難のルートを初登した場合は、第二登が出ないと、そのルートのグレードは確定しません。ので、海外のクライミングサイトに発表するのが良いと思いますよ?でないと、自分が5.15と思っているだけで、実は5.14だったら恥ずかしいでしょう…
巷を見ると、そもそも雑誌というメディア自体が時代の波の中に葬りさられようとしています。
時代はYouTubeに移動して久しく、Youtubeですら、終わりを迎えつつある現代。
いつまで、日本の古いクライマーは、陳腐化してしまった価値観に固執するのでしょうか?
■ トップクライマーはわかっている
そういえば、三澤さんは、比叡のランナウトしたボルトのことを、”今はそういう時代ではないと思っている”、とおっしゃっていました。もともと国家官僚だったくらいの知性の人ですから、それくらいは分かる訳ですよね…。ただ、整備が全然、進まないのは、昔の栄光にこだわる仲間への義理立てがあるから、のように思われました。
ので、現代クライマーの能力を持ってすれば、ランナウトなんてしても、全く問題なく登れるわけですから(なんたって、43歳からフリーを始めて3年しか経っていないわたしがリードできたくらいなんで)、別に若い人は、比叡のようなスラブは楽勝になってから登ったり、スルーしていればいいのではないでしょうかね?インスボンのほうが楽しいと思いますよ。
私は菊地(ガメラ)さんの講習にも出ていましたから、ガメラさんから見れば、私の登攀力がどのようなものか?見てわかっていると思いますが… エー、あの人にリードさせたの?!というような、現代のクライミングジム上がりのクライマーたちと比べれば、外岩でしか登っていない私のフリークライミング能力が非常に低いレベルであることは分かっているはずです。当時で、10cが2,3便でRPでき(例:ジャーマンスープレックス)、5.9はグレードに嘘がない限り、大体オンサイトできる(ガマスラブ)、というレベルでした。
その当時、初めて組む人にリードを無理強いされたのですが、今思うと、私の意味からは、”あんまり登攀力がないです”と自己申告しているつもりの、5.10cというレベルが、”私って登れる女よ、どんどん任せてね”という高度な登攀力、という方に、古いアルパインクライマーに誤解されたのではないか?と最近、気が付きました。昔の基準では、5.9が登れるだけですごいクライマーだったそうです…(汗)。5.9って最低限って意味です、今では。
九州の情弱レベルは強烈で、情報が40年前のままで、たぶん、登攀力の判定基準も昔のまま、だからです。
開拓者でもない、普通のクライマーの私が、”ボルトなら、FIXE社よね”とグーグル検索し、どの型番を購入したら良いか?を問い合わせする時代に、ホームセンターで、より安いカットアンカーを探して回っているくらい情報が古い、ということです。
しかし、その人達が自身が撒いた種であるのです。情弱は。インターネットってここ30年で、これ以上ないくらい、使い勝手は簡単になったので。私は14歳からパソコン使っています。Google先生を使い始めたのは、28のときですから、22年も前です。
というので、まとめると、その情弱のつけを払っているのは、誰か?というと、儒教の教えか、男尊女卑の習慣なのか知りませんが、年配の人は正しいことを知っている(はず)と、ダブルチェックもしないで、盲目的に受け入れてしまっている若い人たちの方です。
普通は、25kNの強度があるグージョンで登っている時代に、5~15kNしかないカットアンカーで、”わ~、ペツルだー”と落ちて安心、と思っているのでは、自己責任力、が足りていません。
同じことが、”終了点では、ロープ直がけしてもいい”とか、”ATCで保持するときはグリップビレイ方式”とか、にもいえます。そんなの、ペツルの技術サイトを見れば、間違った行為だということくらい、すぐ分かります。年配の人がそう教えるのは、ネットを知らず、ペツルの技術サイトを検索する能力がないからです。若い人はダブルチェックするべきです。
九州では、リスペクト、を男子が得るには、命がけをしない限り得られない、という暗黙の前提も強く働いています。
しかし、例えば、『九州の岳人たち』を読めば、阿蘇でどれだけ沢山の人が、クライマーといえる能力を身につける前に落ちて死んでいるか?もわかります。先人の事故から学ぶ、というのは、昔から、トップクライマーがやっているリスク回避の方法です。雨宮さんも、事故事例を読み込んで、自分が同じ轍を踏むのを避けたそうです。
クライマーなら、肝っ玉ではなく、本来のクライミングの能力で、栄誉を得ましょう。
さらにいえば、別にクライマーとしての栄誉が得られなくても、現代は、一般クライマーであるだけで、昔の先鋭クライマーと同じことが楽勝で楽しめる時代なんですよ? まるで自己承認欲求の塊のような行動のほうが、むしろ、恥ずかしいことのような気がしますよね。
私自身も、アルパインに行くときは、”ルート名” ”事故” で検索して、その場所で起きている事故を理解してからいきます。小川山の屋根岩2峰程度だって、すっぽ抜け事故で死んでいる人がいるんですよ?フリークライミングのルートとして整備された場所でも、懸垂では失敗が許されません。懸垂下降の失敗は、クライマーの責任以外は、支点崩壊くらいしかないです。
長々となりましたが、最後に言いたいのは、
相互にリスペクト、という点です。相互に、というのは、一方的の、反対語です。当然ですが。
こちらが、年配の人を尊重していても、尊重のお返しがないのが九州での経験です。男性も同じで、お返し無しで、ありがとーと受け取っておしまいです。
■ 見て盗むもの、言葉ではなく行動から学ぶもの
現代の若い人は、自信がない人が多く、若さゆえか、自分で考える力がない人が多いようです。
私のところに来る人も、私が支障についていたことを勝手に誤解して、まるで手とり足取りの、師弟関係を期待して、私が何もかも言語化してくれることを期待する人が多いです。
私は、3人師匠がいましたが、どの方も、こうしてこうしてね、と教えたことは一度もありません。
師匠からは見て盗むものです。
見て盗むとは?
例えば、二人目の師匠の青木さんは、私と組む前に、レスキューの復習を公園でみっちりやりました。これを私がどう学ぶか?というと、”ははーん、初めて組む人とは、レスキューを先にやれってことだな…”という感じです。
そうすれば、相手がどの程度セカンドとして信頼できるか?を見極められ、自分がどの程度ロープをこなせるか、相手に見せることができ、知識も共有され、思い違いが減ります。
私はある経緯があって、これをしなかったため、白亜スラブでは、えっと驚く登攀をする羽目になりました。リードをきちんとできる能力がない人のセカンドになってしまうと、セカンドでも命がけです。
師匠の行動どおりにしていれば防げた事故でした。楽勝で登れるところで、ロープ合わせをするべき、ということです。ロープ合わせというのは、レスキューのすり合わせだったり、ロープ自体への能力や理解を見る行動です。別に試験ではないので、落とすためにしなくても良く、相手が分かっていないなら、分かっていないことがわかっているのが大事です。
これまで見たダメクライマーはだいたい、みな、自分が分かっていないことが分かっていないです。指摘すると、俺はあなたが思うより分かっている!と反発します。そういう人は反省力が足りていないので、永遠に分かっていないクライマーのままです。
昨今は、トップロープクリーンで登って、オンサイト!と言っているクライマーが自信を持っている時代です。
トップはこれくらいのことはわかっているだろうという前提で、一緒に山に行くと、知識の間違い、ロープワークの間違いが継続したまま、行く山の困難度だけが上がって行くというロシアンルーレット状態にいます。
現代のクライマーは、行くルートの困難度だけで、中身を問われずに実力誇示できる(グレード主義に染まっている)ので、どんなにしょぼい内容でも、行けた、行った、という結果だけを申告してきます。
いくら、高度なルートに行っていても、内容がショボければ、すごいのではなく、知性が低いだけです。下手したら、落ちたルートでも、武勇伝になっているから要注意です。
見分けるポイントは、謙虚さですが、これも、見せかけの謙虚さ、というのもあります。
分かっていない人は分かっていないこと自体が分かっていないので。行ったルート名ではその人の能力は、想定できません。その人の行動を見ましょう。きちんとしたクライマーは組む前に、住所氏名、緊急連絡先、事故時の対応、そして上記のようなレスキューの共有くらいはするものです。