2022/06/01

楽しすぎて仏法が聞けない → 分かち合いの世界へ

私の作りたい岩場(村)について、誤解があるようなので、記載。

■ ミンダナオの子ども ニアイコール ラオスのクライマー

ーーーーーーーFBから引用ーーーーーーーーーーーー
日本の子どもミンダナオの子ども (4)        
http://www.edit.ne.jp/.../mindanewsdaiaryfuture2021.html...

「自分の力できりぬけろ」という言葉への、現地の子どもたちの返答は、

「でも、自分の力なんてたかがしれている、みんなでやるほうが、楽しいよ。」

「自分のことは自分でやれ」への返答は

「一人で出来ないことなんて山ほどあるよ。みんなで力をあわせるほうが大事だよ。」
 

「日本では、自殺する人が多いんだよ」というと、子どもたちはびっくりして

「なんで自殺するの?あんな豊かな国なのに!」

「孤独で死ぬんだよ」というとさらに驚く。「孤独で死ぬってどういうこと?」  
 

MCLの子たちは、親がいなくなって一人取り残されても死のうとしない。どこかで誰かが助けてくれるから!


一人ストリートチルドレンになっても、必ず別のストリートチルドレンがやってきて言葉をかける。

「一人じゃさびしいだろう!俺たちの仲間になれよ。」
 

日本では、孤独な母子家庭がふえている、という話をすると、

「近くの人たちといっしょに住んで、いっしょに食べたら良いのに、なぜしないの?」
 

子どもの貧困が増えている話をすると、

「自分の家によんで、自分の子にしたら良いのに。MCLみたいに!」

こういった言葉が、自然にポンポン飛びだしてくる。  


経済的な貧困で大変なのが、医療と教育。
 

でも日本もMCLのように、医療と教育を無償にして生活を保障すれば、子どもをたくさん産んでも、何の問題もないはずだ。


それどころか、生活の喜びが倍増し、地方も活性化するだろう。  
 

ミンダナオのように、子どもが学校を引けたら、親の職場に直行し、職員もお客も大喜びで子どもに声をかけてむかえたら、親も子育てが楽しくなる。  


MCLみたいに(地方都市の役所や銀行でもそうだが)、職場に子どもたちがはいってきたら、「・・・ちゃん。おかえりなさーい」といって、母親の仕事机の横に、ござをひいて昼寝をさせたり、工場の修理工の後ろでも、木の長椅子をおいて、そこで妊娠中の奥さんが、ごろ寝をしている風景があれば、仕事場と家庭の壁もくずれて、社会は生き生きとしてくるだろう。  


個人と社会、家庭と会社、保育園や幼稚園、学校と家にしか、意識が向かない思考は閉じこもりの壁型思考だ。


その中間に存在する曖昧な場所、「ちまた」こそが壁をときはなち、人々の心を解放し孤独から救う場所。


ちまたで、子どもたちがおおぜい生き生きと遊んでいる姿をみることがない国は、本当にさびしい。  


個人と個人の間に存在しつつ、人をささえるのが愛だとすれば、ちまたこそ愛と友情の空間。  


妖精のように存在していても見えない、友情と愛の力こそが、人々を幸せにし、生きる力をあたえてくれる。

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これが私が目指したい姿です。

ただ、問題は、「みんなでやろうよ」という精神にちゃっかり便乗して、じぶんの都合、自分の手柄にしようとする人がいることです… 

地獄の三寸箸は、そういう自己中の人からスタートします。

■ 現状

クライミングさえできれば良いと開き直れば、この豊かな現代ではそれが可能なので、クライマーは楽しすぎて、仏法を聞くことができない。