■ 考察
1)「あなた何個目?」→ 100名山をすることは悪いことではないが、相手が何個登っているのか?自分と関係のないことを気にしたりしている人は、山が好きなのではなく、競争が好きなのであり、競争により、自己承認欲求を満たされたい人。
2)自然農でも、「大変だ大変だ」という人と、「簡単だ」という人に極端だが、「大変だ」派。 大変だということにしないと、自分がスゴイということにならない → 承認欲求 → 自然農が好きなのではなく、承認される環境、が必要なのでは?
3)クライミングでは、ハッキリ言って、フリークライミング、ショートのクラッギングと言われるクライミングでは、アルパインクライミングと比べて、リスクは10分の1以下というか雲泥の差で、まぁ、覚悟的には、大したものが要らない。山の外的リスク…など知らないで済ませられる。
→ そんな中で登っているだけなのに、世間の評価は 無知から来るものだが、異様に高い
→ 承認欲求満たされまくり
→ 世間の誤解をそのままにしておいた方が都合(俺はスゴイと認定されっぱになること)が良い
→ 人間は弱い 誰でも都合が良い相手の誤解には便乗する傾向がある
→ ペテランの増加 (とんでもなく古い情報で若者クライマーがかしづいてくれる。例:昔の〇〇大山岳部、とっくに衰退した社会人山岳会)
→ 被害は、本当にすごい人は日の目を見ないこと(例:吉田和正さん、佐藤祐介さんなど…クライミングのきちんとした本を読まないと目にしない名前の人)
最近思っているのは、なぜ、成功していないリード(例:白亜スラブ)を成功と考えて、鼻たかだかになってしまうのか?ということを考えると、結局のところ、反省しないから、なのですが、反省しないのは、そもそも、山が好きではないのではないか?と思うんですよね。
山が好きなのではなく、俺をかっこいいということにしてくれるクライミングという活動が好き。俺をかっこよくしてくれるなら、別にクライミングじゃなくても、ボクシングでもなんでもいいのではないか?と。たぶん、ボクシングではかっこよくなれなかったのでは?
というので、山がそもそも好きってわけではないのかもしれないです。
■ リスクを数えていき、その数をたくさんピックアップできる人の方がスゴイ山やです。
例えば、沢を見たときに、増水した時のイメージができる人のほうが、何もイメージできない人より、上級の山やなんですが…
そうなると、クライミング活動って言うのは、分かっているリスクはつぶし、未知のリスクに対しては、備える、何が起こっても大丈夫なようにしていく、という活動になります。
何が起こっても大丈夫なようにしていく=宙づり登り返し、事故確保登り返し、トップロープフィックス登り、レスキュー活動、十分なギアを持つ
です。そこがすっぽ抜けて、どうだ!登ったぞ!っていう活動になると、高度になればなるほど、備えゼロで、リスクだけが上がっていくわけなので、いつかは山に喰われるレールの上に載っているだけで、ぜんぜん山とのとんち比べに勝ち続けていることにならない。
ので、そのクライマーの真意はどこにあるのか?というのは、重要ポイントです。
まあ、人生の若い間は、異性を引き付ける、というのが動物の主たる生存本能ですから、かっこいい俺!を誇示したくなるのは、動物の本能と言えるので、別に悪いとは思いませんが、一緒に山で死ぬ気にはなれない。
その人がカッコつけたいがためだけに、なぜ私が命を差し出さねばならないのか?分からない。
ちゃんと山でクライミングすることが好きな人とだけ登りたいものです。
参考:ポジティブ思考&仏教
https://www.youtube.com/watch?v=gqOUpIhoGkE