■傲慢系と劣等感系
登山をして驚いたことは、競争心丸出しの人が多いことだった…。山頂に行けば、「あなた、何個目?」なんのことか分かるのに時間がかかったが、世間の登山者は100名山制覇を競争しているのだった。
次に行ったのがアイスクライミングなんだが、選民意識があり、驚いた。アイスクライミングの道具にお金がかかるから、だった。たしかにアックス一本で4万円だからなぁ。でも、アイスをするからって、山で貴族?
アルパインクライミングに進んだら、オールドクライマーが俺様族で驚いた。何十年も前の過去の栄光を繰り返し聞かされた。
逆に若いアルパインクライマーは、山という課題に向き合わず、先輩にルートに連れて行ってもらって金魚の糞をするタイプと、自分の実力を過大評価して命を落とすタイプに極端に分かれるようだった。どっちもきちんと山という課題(現実、リアリティ)に向き合っていないということは同じだった。解決法が他力本願か無策かに極端なだけ。
そして、フリークライミングに来たら、今度は劣等感まみれの人達と会うことになった。というのは、フリークライミングって頑張っても頑張っても上があって、頑張りを認めてもらえない世界だからだが、そうなると必然的に劣等感まみれになる。だから、同じように劣等感にまみれていない人をイジメることになっていた。これも驚いた。
たまーに楽しそうな人がいるんだが、今度は現実逃避の人たちで、要するに大人になる(霊的に高まる)ことに背を向けた人たちだった。こうなるとグレードも成長しない。
もっとたまーにどれでもない人がいて、老朽化したボルトに警鈴を鳴らしている人がいるんだが、自ら苦難を招いて自作自演の苦悩を演じているとしか思えず。嫌なことは精神衛生によくない。自己犠牲は良くない。
なんだかどれも、霊性の道とは、おもえなかったんだよなぁ…
■ 霊性の道
山に登って、あるいは、クライミングなどの、”なにかを追及する活動”をして、霊性を高めていかなかったら、一体何をしようって言うんです? いや、人生にも例えられることの多い山登りをして、霊性が高まらないっていうのなら、一体ほかのどんな活動が高められるって言うんです?
というので、ここ4年ほど、疑問なのだった。私の九州時代はフリークライミングへ失望する現実を積み上げた時代です。