2023/04/03

日本人男性の被害妄想と自己誇大妄想は根深い

■ 優生思想を物知り顔で説教してくる人

が今日は、毎朝聞いている仏教説話のコメント欄でおり、めちゃ驚いた。

お釈迦様は、皆が知っているように、子供を捨て、王族の出自を捨てて、家出して、出家したんだが…、

子供を育てるという男親としての義務を放棄して、したいことをするのがいいんだ、お釈迦様だってそうしたんだから、という


 自分に都合の良い話
 

に解釈されていた。その上、根拠に持ち出したのが公共性。お釈迦様の説法は、多くの人を後々救ったんだから、少数の人が犠牲になるのはOKだと。

それは、間違った思想だと歴史が証明していますよねぇ?

その思想によって人類は、大量殺戮を行ってきた。

さらに、追い打ちをかけるように、子、ラーフラの立場の人(捨てられた側)への共感が足りないと指摘すると、

近視眼


だと…。どこまで日本人の男性はエラソーなのか?と思いました。

これら3つの発言の背後には、自分のほうが間違っているのかも?という発想は、微塵たりともない。

後で救われるから、と言って、その時、受けた傷がチャラになるわけではない。体の外傷が治ったからって、怪我をした事実が消えることがないのと同様。

罪もチャラにはならない。アングリマーラが罪を償ったのと同じく、誰の罪も償いがつきものだ。 それがお釈迦様の教えであり、因果応報だ。

■ お前が、なぜ私よりこの事例について語る上で、上だという前提なのだ?

子捨てに関しては、体験者である、つまり、父親に捨てられた子供である、私の言葉のほうが真実を語っており、経験したことがない人が、俺のほうがあっている!と主張する根拠は希薄だ。

当事者の立場にたったことがない人、親のスネを好きなよ-にかじって生きてきただろう、甘ちゃん男に、近視眼呼ばわりされるような筋合いではない。

しかも、推測に過ぎないが、私のほうが仏教の仏典すら、勉強している時間は、その当人と比べて長いと思われる。別に比べようとも、仏典(ダンマパダ等)を読んでいると、自慢しようとも思わないが。

■ 俺が被害者という前提

そもそも、この話は、語る際にスキルが必要な話だ。

上記の俺様族のような誤解を、日本人男性はし易い。

というのは、日本人男性は世界的に見て、男性として以前に、人としての自立を男だからを免罪符に、免罪されているからだ。その証拠に、料理と家事ができる男の数が圧倒的に欧米と比べて少ない。

男としての責務ではないですからね。食べて身ぎれいにするってのは、人間としての基本スキルで、性別は関係ない。

■ 子供をもつことが被害だと思っているとは…(汗)

さらに、子供を育てるということが、男性としての自由を奪うものだ、俺は子供を持つことの被害者だ、という無意識の前提がある。

結婚についても同様。俺は妻に騙された、と思っている男性は多い。

いいですか?子供を作るか、作らないか?は、男性の意思決定でもあるんですよ。

セックスしないと子種は仕込まれません。そんなのは小学校で学ぶことです。

したかったのは、お前だろ?です。特に若い頃、女性でセックスしたがり、の人なんていません。

大体、大学では、女性はハメられてやられている事実が証明しているではないですか?

私はアメリカにいる頃は、妊娠だけは避けたいと思って、念のため、ピルを飲んでいました。男性もセックスだけして子供がほしくないんだったら、子種が無いような薬でも飲んだらいいんじゃないですか?

そういうものが普及しないのは、子供ができても男性は免罪され、責任を取らずに済むからです。

男性が責任を取らずに済むのは、産む性の母親は情が厚く、産ませる側の男性は、どうせ俺が捨てても子供は育つんだよね、とちゃっかり便乗しているからです。 

お釈迦様が犯した過ちはこれです。いくらお釈迦様が、後で偉くなったところで、親無しで育って子供の悲しみが、その事実だけで、プラマイゼロになることはありません。

仮にその経験が良い経験だったと言えるようになったとしても、それは子の努力の結果であって、お釈迦様が犯した罪の正当化にはなりません。

■ 最悪なのは、扶養者がいないまま命がスタートしてしまうこと

自己責任で行ったことを途中で責任放棄するような親に生まれてしまった子供は大変です。

趣味でしかない山登りで、アホみたいな事故で、コロッと死んで、身重の妻に子供を残す男性とか最低です。

解説者は、お釈迦様は、この子捨ての罪に関して、どのような反省をし、どのような償いを行ったのか?もっと詳しく解説してもらいたいものです。

■ そもそも、欲を捨てろという話ですよ?

そもそも、四門出遊は、子を捨てたことにポイントがあるのではなく、

 女性のあられもない姿に幻滅して、性欲を捨てた、

って話です。

 死に直面して、自分も死ぬのだと理解した

がその次です。 さらにいえば、病気の人を見て、

 自分も病気になって死ぬんだな

とか。すべて、根拠のない万能感を是正するもの です。

そういうポイントをきちんと習得せず、

お釈迦様だって子供捨てたんだぜ-、だったら俺も、ちょっとくらい間違ってもいいよねー、だって人間なんだからー 

というのでは、単なる我田引水で、お釈迦様の法話の悪用です。

それこそ、相手の立場に身をおくことで、生病老死を理解する、というこの法話の根本の肝心のところを捉えそこねているだけではなく、この説法の狙いとは、全く正反対の解釈をしています。

このような感想を引き出すような説法では、説法士、失格ですね。 

無責任男に自信を与えてどうするんですかね?


 

2023/04/02

アルパインクライミング=エイドクライミングだったダークな?過去

 ■ なるほどね~ なコメントをもらいました

古いクライマーから、なるほどなーてコメントをもらいました。

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若い頃は、がむしゃらに能力も無いのに高みを目指していた。
まだ、8環、トロールのシットハーネス、ハーネス、アブミの雰囲気が残っていて、谷川に通っていた。明神にマニフェストなどのハードフリールートを作った頃だな。

自分はアブミの掛け替えでそれらのルートに取り付いていた。

ーーーーーーーーーーー

心のなかで、わ!ハードフリー、出た!と思っちゃった。

「昔はフリークライミングのことをハードフリーって言ってたんだよ~」って、師匠もいっていましたっけ?

現代のフリークライミングと同じものなんだろうと思っていました。違いがわかりません。

 で、この方は、アブミの掛け替えで、そういうのに登っていたそうです。

そういえば、西湖の岩場で、会の先輩に、「エイドを教えてください」と言ったら、「日本のエイドでいいの?」とか言われたんですよね?

エイドクライミングに、日本のエイドとそれ以外のがあるということすら、普通、新人さんは知りません。本を読んで知っている世界です。

なので、本を読まない普通の人は、もっと知らず、クライミングの中に、エイドクライミングというものがあるということすら知らない。

今のアルパインルートでも、フリークライミングの基礎力がない人は、連れて行かないので、エイドって、エイドルートという特別なルートってことになっています。例えば、瑞垣の大ヤスリ岩とか。

 エイドルートこそ、中間支点依存なので、支点がボロかったら、死活問題なんじゃないですかね? まぁ、衝撃荷重こそ、かかりませんが。

■ 九州の現状

この会話で気がついたのですが、九州では、アルパインクライミング=エイドクライミングなのかもしれません。

というのは、OldButGoldは、フリークライミングのルートとして、OldだがGoldなルートという意味だと思いますが、その1つとしてでかけた矢筈岳のマスターズルーフ、1P目が5.9ということになっている実は、5.10cですが…若い男性がエイドで2時間半もかかって登ったんですよね…

私も落ちるよりは、別にフリーにこだわらずにエイド出していいと思うけど…最初からエイド前提。1ピッチ登るだけに2時間半って、初めて会った!くらい、めちゃ遅い登攀でした。

10cなんて、アルパインでは出て来ない、と言える難易度ではない…。

もちろん、私が行くような易しいルートには出てきませんけど、私が昇仙峡で登っていたアダモの上のクラックは、吉田さんには10Aと言われていたけど、後で5.13登れる人と行ったら、5.10cでした。ハンドジャム効くところ、2箇所しかなく、私の手のサイズではスカスカ。

それで、なかなか登れず、手間取っていたら、彼は不満そうで、その人からすると、えー、これくらい登ってよ、みたいなグレードらしかったです…それで10c。 

当時、5.9がやっとでーす、という下手くその私に対してすら、そんな要求度だったので、俺、5.12って言っている人が、エイド、しかも、二時間半ってのも驚いた。それで、許されるんだ~みたいな驚きです。

山梨で一緒に登ってくれた5.13クライマーだったら、もう二度と付き合ってくれないレベルかも知れません。その人、カムエイドなら簡単だよーと言いながら、登ったんですよね。

カムを引っ張りながら登るにせよ、ボルトにアブミをかけるにせよ、エイドで登ったら、エイドでしかなく、なんというか、日々、フリーを練習しているのは何のため?的な感じがどうしてもしてしまうので、現代クライマーにとっては、残念感というか、そういうものがあります。

昔の人は、その残念感がないんですかね? そういえば、矢筈のその若い人もなかったよなぁ…と気が付きました。 だから、記録には、達成感と楽しさしか書いてありません。

あれを読んだら、普通の人は、普通にフリーで登れたんだろうと思ってしまうよなぁ…。

というのは、現代のアルパインクライミングって、一応前提がオールフリーだからです。フリーじゃなくなったときは、断っておく。

そのことが古いクライマーには認知されていないので、どんな高難度なアルパインルートをフリークライミングというスタイルで成功しても、その成功の価値が認知されないのかもしれません。つまり、みんなエイド時代の頭なので。 

現代のトップクラスの、アルパインクライミングって、しつこいようですが、スーパー赤蜘蛛フリーソロレベルなんですよ?

現代のフリークライミングの基礎力をベースにしたアルパインクライミングは、ニューアルピニズム、とでも名前をつけて、別のもの、と区別したほうがいいのでは?

■ リーダーが墜落して恥ずかしいと思っていない

だから、山岳会を率いるリーダーレベルの人が、

「残置に足をかけて、ルートを探ったら、その残置が崩壊して落ちて大怪我しました」

と恥ずかしさを感じずに言ってしまえるのかもしれません。

このときは、ほんとにびっくりして、え?!と思いました。

  山の中の残置を信頼してはだめだ、

というのは、本当に、アルパインの初日に、言われるようなことだからです。

立ち木で支点を取るときも、木の太さやら根張やら、吟味しますし、アルパインって一応、高い山って意味なので、一番の基本は、雪にあるっていうか… 私も初めて教わったのは雪上確保で、スノーバーとか、スノーボラートの作り方からでした。その後、立ち木だったり、灌木を束ねて強度を出すメザシだったり、でした。

実際、ルートに出るようになると、初心者は、易しいルートからなので、三つ峠でもすでに支点があったりはするのですが、それはあくまで、落ちないためではなく、マルチの手順を覚えるため、みたいな感じでした。猫の頭みたいな、でっかい巨大な鉄製支点を指して、

「こんなん信用したらあかんで!!」

と師匠は叫んでいました。どうせ使わない支点でも、です。

それでも、しょぼいオンボロ支点しかエイドに使えないときように、細めのケブラーでタイオフする裏ワザとか、ナッツでタイオフする方法とか、絶対使いたくないような技を、念のため、教わっておくのが、そういう初期のころでした。今でも持っています。

どれもこれも、フリークライミング、と言えるグレード感の登攀がまだできないから、仕方ない場合はこうしなさい、みたいな、しぶしぶというか、やむを得ない場合の手段という感じでした。

ので、私はそんな危ない話なら、さっさとそんな危険な橋を渡るのは辞めて、フリークライミングの能力をあげるほうが楽しい上に安全だな、と私は、エイドを教わった初日に思ったんですよね。

■ もし、矢筈岳のあの登攀が成功した登攀と数えられるなら…

私の、おっかなびっくり登った、2度目の小川山レイバックとか、ほとんど全部カムエイドだった三倉の入門クラックとか、みんな、成功した登攀になっちゃいますね… 

私の感覚によれば、カムにテンションしただけで挫折感、みたいな感じですが…。

たぶん、城ケ崎では普通の感性だと思うんだけどなぁ… 

どうも、九州では、エイドを失敗とみなさないみたいなんですよね…

たぶん、そのために、

 支点がボロい=受け入れる=未だに制動確保(流して止める)

を受け入れて、”ビレイは流す” を基本にしている上、スポーツクライミングの影響で

 クライマーは、平気でポロポロ落ちる

という最悪の条件が重なっているような気がします。

それじゃ事故は減らないし、別にランナウトしていなくても、グランドフォールになります。

現代のクライミングでは、制動確保は終わって20年くらいたっているし、外岩では、人口壁のようにポロポロ落ちてはいけない、少なくとも3ピン取るまでは落ちない、というのが常識です。

エイドによる残置利用を当然と考える前提じゃなかったら、会を率いるような立場の人が

 ”山のルートで残置利用して落ちた”、

なんて、普通は恥ずかしくて誰にもいえません。

フリークライミングの領域ですら、ラクを掴んで落ちたのですら、誰にも同情してもらえないものですよ…。

なんせアルパインのルートでは、岩は叩きながら、ゆるくないか確認しながら登るものですから。フリーだって、開拓直後の岩場など、そうします。

それに、前述のように、今どきだと、アルパインのルートでも一流クライマーは、みんなフリーで登っています。リードする人がフリー(ということはオンサイト)なのは、当然のようなのですが、フォローも、チーム全員がフリーで抜けることで、その登攀の価値が高まるようですよね。

そういう価値観でしか、アルパインのルートも見ていなかったので、エイドでしか登れなかったことが

 達成感になる & 自慢の種になる

っていう世界が全く初めてでした。九州では今でもそうなのではないでしょうかね?

 

初心者の頃のアブミの練習



クライマーはだいたい回避性愛着障害

■ 人を利用可能性で見る人=クライマー

これは、岡田尊司先生の本からの引用だ。

あんまりにも、一般にクライマーに見られる行動原理と同じだったので、大体のクライマーは、回避性愛着障害の方々である、ということがわかった。

それだけクライマーの心の病理の底が深いということ。

■ クライマー幼年期

昨日は小鹿野の方のクライマーが、ローカルクライマーの会を引退して、おどろいた。が、そうだよなぁ、無理もない、と思った。

私だって、こんなクライミング界に貢献する、なんてバカバカしくてやってらんない。 

私はクライミングのデビューは、山岳総合センターで教わっているので、山岳会に入ったときには、すでに分かっていて、逆に教える側であり、教わる側であったことはない。

もちろん、教えてくれた先輩は、いたんだが…、私を山岳会に勧誘した責任を取るのは大変?だったみたいで、前穂北尾根に連れて行ってくれたが、そこが能力の限界で、北岳バットレスはもう新人に体験させてやるだけの能力はないと白状してきた。誤解がないように言っておくと、私が連れて行ってくれとおねだりしたことはない。むしろ、どちらかというと、私は細かいステップが好きなので、計画縮小させる側。

山梨時代も、クライマー業界はひどかった…。

ジムで5.11登れるから、バットレス四尾根に行ける!というクライマーが基本的に、私の障壁だった…。

山梨時代は、まだクライマー幼年期であり、大人の庇護…母親と同じ機能をして、私を殺しそうな若い男性クライマーから守ってくれる機能…愛着…が必要だった。

そのため、母親、庇護者としての機能を求めて、山岳会を尋ね回ったんだが… どこの山岳会も、私を守るだけの能力がないことが判明して、1年半程度で諦めた。そのころ、師匠の青木さんと組むことになったのだった…。彼は、足を怪我しているところだったので、あっちもすごいルートは登れないので、まぁ、お互いに都合が良かった。

毎回、九州男児、をこき下ろしている私だが、考えてみれば、同じことが九州でも起きたに過ぎない。

が、九州では輪をかけて、山岳会が、新人である私を守ってくれるというよりも、山岳会が私を殺しそうであった。 

ムーブ、フランベ、あそ望、福岡山の会、想山会、星と焚き火。どれも腐っても鯛ではなく、ただの腐った鯛で、ダメ山岳会であった。

断っておくが名前を上げておくのは、後進の人が同じ目に合わないためであり、相手を貶める目的ではない。

山梨ではすくなくとも、私を殺そうとしているのは、山岳会ではなく、大体、

 新人男性

だった。それは誰だって理解ができる。こちらでは、山岳会が一番危ない。

九州で起こった、”守ってくれるはずのものが私の生命を脅かす”という現象は、親が子供である私を守ってくれる存在というよりも、そもそも、親が私の安全を脅かしている存在だった青春期と同じ感覚だった。

その後、なんだかそっくりの鬱になった。んだが、過去の傷のぶり返しなのだろうか?

その同じ感覚が蘇ったことで、めっちゃメンタルにダメージくらったが…、結局、栄養改善やら、危険要因となっているクライマーを排除して、一人になり、冷静に戻って、じっくり振り返って思考する、というメタ認知活動、メンタリングというそうだが…をしてみたら、結局、

 それくらいクライミング業界全体がしょぼい、

というだけのことだ、と結論。若い頃、親に下した判定と同じだ。

若い頃のそれは、巣立ちを意味していた。

日本のクライミング界がしょぼいのであって、私が変なのではない、という判断の根拠は、私は台湾やラオスで別に、日本人パートナーなど一人も必要とせず、ふつーに国際感覚で、アメリカ人やヨーロッパ人のみんなと一緒に登って、そっちのクライミングでは、別にごまめでもなんでもなく、問題がなく登れているからだ。

もし国際クライミングがなければ、私は自分が悪いのだろうか?と思い続けることになっただろう…。

若い頃、私が熊本高校へ進むくらいの知性が早めに発達した子供でなければ、まったく自分を責めてしまって、親子4人もろとも、転落し、後々私が得た、社会的な成功は得られなかっただろう…

…というので、感謝すべきは、日本のクライミング界ではなく、一緒に登ってくれた海外のクライマーたちであり、向かうべきは、日本のクライミング業界の世直し、ではなく、海外のクライミングなのではないだろうか?

というのは、私は、かつて、外大に感謝し、外大図書館に感謝し、元手ゼロ円で海外に出たチャンスに感謝して、アメリカ生活をエンジョイし、まったく自分が貧困家庭の出自だということは意に介さず、日本を代表するメーカーである松下のロボット事業部に職を得、外資を点々とした後は、さらにはみんなの憧れNO1の三井物産にまで席を得て、

 わらしべ長者とは私のことね!

とすら、思っていたからだ。

それら全部捨てて夫に従って山梨に言ってあげたんだが(笑)、その結果が、ジムで5.11登れるから北岳バットレス男に付き合って、北岳で転落死、であれば、アホ丸出しだが、結果は、良好で、吉田さんとも登ったし、ラオスや台湾にもいけた。

福岡では、同じように夫に合わせて来ているだけだが、環境が悪い、というには、度を超えている。怪我をしたのに2日も医者にかかれず、連れ回されるとか、別にベテランクライマーでなくても、一般常識さえあれば、起こらない。

なので、これは、クライミング業界という括りではなく、

 九州男児

という括りで起こっている病理なのだ。 九州では男性は女性を利用する対象と思っている。

■ わらしべ長者

若い頃、厳しい環境で育った出自は、むしろチャンスをもたらすための前提条件であり、必要な条件だった。

くべてもくべても燃えない湿気った薪みたいな、日本のクライミング界…あるいは男性社会…に見切りをつけるのは、まったく正しいことのように思えるが…

内藤さんたちは頑張っているが、何か違う景色が見えているのだろうか?

そこんとこは、かなり謎である。

小鹿野が見ている景色はなんとなく想像がつくんだが…

2023/04/01

眠れぬ夜に振り返る…2023年3月

やっぱり、目が冷めてしまった…。が、腫れてはいない。

どうも、靴底が一枚取れ、段差が変わるたびに、力がかかる方向が代わり、そのたびに足首が腫れる、という法則にあるらしいです。腫れる=痛み。

理学療法士の先生のおかげで、拘縮は免れ、なんと、31日から、先生たちには秘密だが、家の中では装具を外して、全荷重しているが、まぁ、小股で、よちよち歩きだが、なんとか歩ける。 

以下、アキレス腱断裂の経過のまとめ。

2月26日 11時 受傷 当日RICE 受診 診断  歩いて受診

2月27日 南川整形受診

2月28日 入院 

3月1日 手術

3月2日 リハビリ1日目 車いす

3月5日 松葉杖開始

3月 7日 抜糸 退院

3月8日 サボって受診せず 家で休憩

3月9日 リハビリ用整形外科でリハビリ開始   早くこい!と怒られる 装具開始 18kg

3月15日 装具一枚目 外す  角度がおかしく歩きにくい 装具やさんに問い合わせるが要領を得ない返事  20Kg 片松葉杖になる

3月 21日 装具2枚め 外す いよいよ歩きにくく、これはおかしいとなる 全荷重できるがしないよう進められる

3月 23日 装具を調整して歩きやすくなる  足の角度が代わり、腫れる。

3月28日 3枚目 外す また腫れる 痛み止め湿布をもらう

3月31日 腫れも引く 松葉杖なしでも歩ける

■ 症例14では…

南川整形外科は、アキレス腱専門ではないので、術式も古典的で(つまり低侵襲ではないということ)まぁしっかり縫ってくれたからいいんだが…、装具やさんも、装具についてあまり詳しくなく、質問しても的を得ず、理学療法士の質としても、若い人が多いので致し方ないが…みたいな感じ。

先生、この装具どっちから外すの?って聞いてたからなぁ…。それだけ、あんまり事例が溜まっていないってことだと思う。

というので、主治医の先生も、リハビリは、他院の先生に依頼して、人任せだし、理学療法士の先生も、別に足首に詳しいわけではないので、症例が載っている医学論文を持っていったりした。

まぁ、とりあえず、理学療法士としては、初期の拘縮さえ防げば、◎ということだと思う。

■ 装具が悪い

つま先立ちの角度を維持し、アキレス腱の癒着を促進するというのが装具の目的なんだが、なんか底板を外すたびに、地面の衝撃がダイレクトに足に伝わるようになり、インソールがないので、足が不自然に痛い。

これは、装具やさんがインソールを入れ忘れているということなのではないか、と思ったんだが、どうなんだろうか(笑)。

これで、歩けば、健常者だって痛いぞ?みたいな感じなんですよね。

■ 濃厚だった

この1ヶ月は濃密だった。特に最初の10日。入院生活がものすごく勉強になった。

日本人女性の栄養状態がこんなに悪いとは…そして牛乳パラドックスが知られていない。

おばあちゃんたちは食べることを拒み、栄養を拒み、認知症になって、そして、骨がポロポロと折れて、痛い痛いと泣き叫びながら亡くなっていっている。

男性はメタボに、女性はフレイルになる、というのが、基本的な、この生きた心地のない半死んだような状態の生き地獄への片道切符ということのようだ。

これを見たら誰だってスイッチが入る。

■ 色々な出会い

思えば色々な出会いがあった。

西島さん、理学療法士の先生、認知症のおばあちゃんたち、ワタミの宅食のおじさん、無料の野球チケットをくれたおじさん…

西島さんは、かなり印象に残った。私は、妹のかこちゃんにそっくりなそうだったのだ。それで親切にしたかったが、どうしたら良かったのだろうか?と今でも考える。

アキレス腱リハビリは、どうも主治医の先生も無知らしく、かと言って理学療法士の先生も、自分の経験には限界があるのだし、というのでたらい回しの憂き目にあっているが、私が主体的なタイプなので、特に問題なく過ごせており、理学療法士の先生が自信がなさそうなのが、あまり問題にはなっていない。私で事例研究して、良い自信を付けてくれたらいいなぁと思う。

装具やさんは、ほんとに頼りなかった…情報も間違っていた。

それから、大井幸子さん…。いや~怪我にならなかったら、資産をリバランスしようとは思わなかっただろうが、暇ができたからこその活動だった。

昨日はビタミンD合成タイムに、大井さんの『魂の求める仕事をしよう―ニューヨーク発・よいキャリアの築き方』を読んだ。

前に、大学のクラスメートで鬱になって引きこもった友達が、映画のワーキングガールを見て、あんなふうな成功を夢見ていた、と話してくれ、驚いたのを覚えているが、地で行った人がいる、という事実に驚いてしまった。

私自身もアメリカで、どういう生き方がしたかったのか?というと、帰国間際、デイビッドに泣かれたときは、親戚のおじさんに自分の借金…育英奨学金…を押し付けるのはダメだ、ということ以外はわからなかったのだった。

大井さんは、アメリカエリート社会で戦ってきた人だが、本人は、至って自然体で、素晴らしい方だった。

物事をきちんと説明する能力だけで、その人の知性は示されるということなのだ。

だとすると、私が磨くべき能力は、やさしく解説する力だが、クライミング、もうこれ以上易しく解説しようがないくらい易しく解説しているつもりだがな。

 ■ 生活を変える

退院直後は生活を変えるぞ!と意気込んでいた私だが、パソコン中心の生活からは足はまだ洗えていない。

すでに、リハビリにも飽きつつあり(なんていっても楽勝すぎて)、リハビリのためのリハビリとか、やる気になれないでいる。

買い物に行って、リハビリになってちょうどよかった、というのが今の現状で、これだと、何も生活を変えたことにならない。

■ 食事

食事なんて、手作りしたところで、決して栄養価が100の食生活を送れるということはないのだ、ということに観念した…

ワタミでランチの分だけ宅食を摂っているが、5食で3000円。ご飯はついてこない。これでぜんぜん、気持ち的に楽になり、一日の大半を締めていた労働から開放された。

現代力からサプリを除去するなんて、土台無理だということだ。現代の野菜から農薬を抜いたとしても、栄養価も昔の野菜の3分の1だし、ミネラルは更に低い。

私の調理、にぶら下がる人材がいると こうした割り切りができなかったようだ…。

どれだけ強く、家族の食事を作るという任務に私が縛られていたか?ということだと思う。

■ 次はルルベ(ヒールレイズ)生活

この症例研究によると、私はもう全荷重できるので、 6週目からヒールレイズをすることになる。(これはバレエのルルベという)

https://www.rinspo.jp/journal/2010/files/25-2/215-222.pdf

いかににバレエが体に良い生活だったか、ということを感じる。バレエをしている頃は都会で暮らしていたこともあるが、地下鉄ではルルベ、していた。

別にアキレス腱を鍛えようとしていたわけではなく、ルルベを習得しようとしていただけだが、それが本当に良いエクササイズになっていたというわけなのだった。

またバレエのバーレッスンの習慣を復活しなくては。 バレエは万能ではなく体は偏る。ヨガも万能ではなく、必ず体が偏る。クライミングも万能ではなく、体が必ず偏る。水泳もそうだ。

結局のところ、体を使っていく中で偏らないということがかなり難しい。が、そうした偏りは、自分自身で自覚的になって、自分で矯正していくしか無い。

さて・・・腹筋でもするか。



2023/03/31

公開ルートの公共性 サバージュ・ババージュ 小鹿野のややこしそうな問題

 ■ やっぱり、初登者が勝手に特権振りかざしているだけでは?

サバージュ・ババージュの件読みました。 

https://www.taru-shiru.com/noboruahou/archives/futago1.html

どう読んでも、このルートをリーチの短い人に登らせないために、嫌がらせしただけって明らかなんですけど(笑)。

ホールドを埋めるって、チッピングと、ほぼ変わらない行為なんですが…。

それで、クライマーとして、あるいは開拓者として、あるいは人として尊敬を得たいと考えるほうが、まぁ無理があるよなぁ。

だって、チッピング=自然の岩の形状を変える=クライミング界最大のタブーですよねぇ?

ダークサイドに墜落、も程がある感じです。

■ なぜダークサイドに落ちてまで、人は自分のエゴにこだわるのか?

そこが私には全くわからないことなのです…。

大体、人工壁の課題だって、人によって、登り方違いますよね? 

だから何が何でも俺が登った通りに登らなければ、登ったことにならない!とこだわったところで、何の利益があるのでしょうか…

いや、自分より力量が下だと思われる人が、自分のルートを登ってしまうのが悔しくて受け入れられないのでしょうか?

どういう心理状態で、悪い評判を広げてまで自分の名を残したいのか?そこのところがよく分からない…

これは、クロスケオテ谷のときも思ったんでした…というのは、私は、フリーで超えたという初登記録がでたものと思っていたら…え?エイドの記録…?エイドで登ったら、それは名誉な記録ではなく、不名誉な記録になってしまいます…だって今、もう1980年代じゃないんですから… 2000年も超えてとうに20年たっているのですから…

ということで、小鹿野のこれも、自分の長所をPRしているつもりで、短所をPRしてしまっているということを地で行く事例のように思いますね。

■  未成熟な自己愛

この事件は開拓者の方は、おそらく、心が自己愛に飢えた方でしょう…。

岡田尊司 『愛着障害からの克服』より引用

 

どうも私の九州での観察結果によると、男性で自分の能力に挫折を感じた人は、そのことを受け入れられないまま、俺を認めてくれる由一の場、としてクライミングに依存し、そして、課題だけが俺の生きた証、と思うようです。課題に名を残したい、偉大なクライマーに数えられたい、末席でも座りたいってことなのかもしれません。

しかし、これでは、社会的逸脱のほうが記録に残ってしまいますね。

たぶん、察するに、俺を愛してくれーという心の叫びがこのような行為として発言した心理的背景だろうと思われますが…

今までは日本でも、

 仕方ないねーおじさんたち、可愛そうだから、そっとしておいてあげよう、

と許されてきたものが、昨今、時代の変化が加速し、もはや、LGBTとか日本でも普通の時代です。

セクハラもパワハラも、かつては許されていましたが、ホワイト化著しい日本でそのままの調子漕いてやっていると、社会的には、自ら自殺、と言えるかもしれません。

対立がある場合、大多数のクライマー男子は、日和見菌です。要するに、勢力がありそうな方につく、というだけのことです。というのは、クライマー人種って、考える能力に欠如した人が集まっていそうなんですよね、特に九州の場合。

小鹿野は大都市、東京近郊なので、マシな人種が集まっていることを祈るばかりですな。(←対岸の火事ですいません)

今回のサバージュ・ババージュの件は、その潮目を決める案件になるかもしれませんので、丁寧な経過報告文を書くのが被害者さんにはおすすめです。

公開された課題は、公共性があるのだ、ということを一般に認知させる最適な機会とするのが良策だと思います。

だいたい、公開された岩場でノーマットで登るとか、こっちでも、はぁ?なことが会ったりしました。そんな事しているから、アクセス問題で登る岩場がなくなっちゃうんですよ。

クライマーが落としていくのは、迷惑とうんこばかりでは…。 

アメリカでは、ボルトはもはや金を積んでも打たせてもらえないようですよ。

こちらは、業界の重鎮 菊地さんの意見です。あんまりにも当然のことが書いてあったのでびっくりした。

自然を登るのが外岩クライマーなのに、九州でも、岩に人工ホールドくっつけたり、木っ端をくっつけたりと、色々していますもんねぇ… いや、ホント。

みんなフリークライミング自体の定義自体を知らないんじゃないの?



腫れる足首で眠れない夜に

 ああ、足首が痛い…というので、ここ数日、毎晩のように3時定時で目が覚める…。

一応、痛み止めが含まれている湿布をして、横になるのだが、痛みが強くなると目が冷めちゃうみたいなんですよね…。

昼間は痛くないのですが、それは、気持ちが別の方向に向いているから、で、つまり痛みもそこまで強くは無いということです。

私はもともと明晰夢タイプなので、些細な刺激で目が冷めてしまうようです。

■ 悟君のこと…

高校生の頃、人生に行き詰まったことがありました。進学率100%のトップスクールにめでたく進学したのに、どう考えても、母子家庭の我が家には進学する費用がない…。

私は別の私学の高校には特待生で合格しており、そこに通っていれば、コストがかかるどころか、毎月3万円の収入があったはずでした。しかし、お嬢様学校に特待生で入るか?各中学からよりすぐりのエリートだけが集まる学校に行くか? 私の性格を考えると、後者でした。楽ちんな環境より、厳しい環境があっているタイプなんですよね。 

しかし、さすがにこの問題は…。周囲は、弁護士の家、医者の家、そんな家の子たちで、入学前から予備校ですでに高校一年分の知識は持っている状態だったわけです。そんなところに、塾行ったことありません、全て独学でこなしてきました…みたいな丸腰…武器無しで行てしまったわけですから…。

高1の頃、中学時代の友人に愚痴をこぼしたんですよね…。悟くんは、中学時代のエリート仲間でした。私たちは20人くらいまとまったグループで遊んでいて、女子は二人だけ。どの子供も成績上位者ばかりでしたが、中でも私は、サー君というもう一人、熊本高校に進んだ男子と双璧で、仲間をまとめる役でした。悟くんはサー君の相棒だったので、私としては遠慮している友人でした。人の親友を奪っていく気持ちはなかったからです。

悟くんの家は、お父さんが建築士だったので、日中家で働いていて、パソコンがありました。CADを導入していたからです。中学の頃、私はパソコンに興味があり、独学でBasic言語を学んだのですが…悟くんちで、ゲームの三国志をして基本所作を覚えた(笑)。

 向こうの家も、弟がおり、私の弟と同級生だし、おおらかな時代で、夕飯もらって帰ることもありました。母が「母子家庭、バカすんな!」とへの突っ張りで頑張っていても、娘の方はどこ吹く風で、スイスイと世の中を渡っていたってわけです(笑)。

このグループは基本、サッカーして遊ぶだけですが、雨降ってきてずぶ濡れになったときとか、ときおり、お母さんたちが出陣してくれて、娘のいないおばちゃんたちや娘が巣立った人は、なんか良くしてくれました。濡れちゃったついでで、お古の洋服くれたりとか。私なんて、え?全部もらっていいの?って、お古のパンツまでもらって帰っていました。

母はそういうのがプライド高すぎてできないタイプだったのかもしれません…。

ま、前置きはそこまでにして…

高校生1年のときに、私は500人しかいないのに487位という成績を数学で取りました。それまで学習塾に行ったことがなく、予習の習慣はなく、授業を集中して聞くだけでこなしてきた勉強。熊本高校では、授業は、「11ページ、はい、見れば分かる」という具合に進んでいき、解説はないですね…さすが熊本高校。先生たちは、生徒が予習してきたかどうかのチェック役です。

平たく言えば、最初の挫折なのですが、これは良かったのです。これで、大学でも、仕事でも、予習の習慣がつき、仕事の場は、ただのプレゼンの場、となったのでしたから。

しかし、当時は、そんな悠長なことを言っているゆとりはなく、自分が最後尾だということは分かるわけですので、焦って勉強しないと行けません。一方、母は私に家事期待でいっぱい。 妹と弟は、鯉が口を開けて餌を待つみたいに、パクパクと口を開けている。

熊本高校は進学率100%。バイト禁止。

こんな状況、あなたなら、どう解決します?

高校生の私には、解決案が浮かばなかったんですね…それで鬱になりました。

当時、私は、サーくんや悟くんのほうが女性の友達より親しかったので、悟くんに相談したら… 帰ってきた言葉が

「あなたは絶対に大学に行かなくてはならない人材だ。お金がないなら僕が働いて大学に行かせてあげる」

というものでした。悟くんだって、地元のエリート校済々黌に通っていました。進路は九州大学建築科です。

だから、彼だって、誰かの犠牲に人生を棒に振って良い人ではない。いや、エリートではなくても、誰かの犠牲になって良い人生があるはずがない。それでも、そんな人がこんなことを言ってくれたのです。

この言葉で私は救われ、悟くんを働かせるわけには行かない、と、バイト禁止をもろともせず、朝のパン屋でアルバイトを始めたわけでした。

このバイトは、残り物のパンがもらえるので、ランチ代節約になり、しかも友人たちに分け与える分までついでにもらえて、良いバイト先でした。飢えている高校生相手に、目の前の賞味期限切れパンを持って帰るな、なんて人は世の中いませんでした…まだ。

なので、私はセブンイレブンなどのコンビニが食品を処分する、っていう方針は大嫌いで、それがコンビニを使いたくない筆頭の理由です。ちゃんと経験の裏付けがあります。

なんで困っている人に余り物を分け与えることが市場原理に反する、なんて言うわけ?市場原理より、ヒューマニティでしょう。

さて… その言葉で救われた私ですが…

ここ数年のクライミングで、パートナーの言動で、

  この人と登るのはちょっと…

と思う事がありました。

それは、

「(成人してから作ってやれなかったから)今、あなたにご飯を作ってやれるのが私の幸せ」と親に言われた、と嬉しそうに私に話してくれたからでした。

 それで、”俺って愛されてる~”と、自己肯定感が上がりまくっていた。

しかし… 私だったら、高校生当時ですら、全く逆の発想です。

 もう高齢の親に自分が面倒をかけてはいけない

と考えるのです。

この言葉で、そうか、だから、白亜スラブのあんな失敗した登攀で自信つけちゃうんだ…とピン!ときました。

世の中の人って、ものすごいポジティブシンキング、なんですね… ある意味。

これ、親に言ってもらっていた人、40代後半です。親が年老いて、実家に帰るのはありと思うのですが、実家に帰ると言っても、それは、親の近くで暮らすという意味だと私は思っており、まさか親の家に世話になる、という意味とは知りませんでした…。え?!です。

大人になる、自立をする、っていうのは、経済的な意味だけではなく、精神的な意味合いを含めて、大人にならなければ、何の意味もありません。

日本では、男女の賃金格差は大きいですので、一般男性にとって、毎日会社に行って経済的に自活しているというのは、ただレールに乗っているだけの結果で、別に、自立した大人であるということにはなりません。

が、その経済的自立ですら、さっさと手放せる程度の自立なのです。

大人になるということは、自分の生活を自分で作って行くということ。つまり、自分の生活スタイルがあるということです。自分のスタイルがあれば、いくら親でも一緒に暮らすのは…となります。もちろん、双方が歩み寄って、互いに協力していく、というのでは問題はないのですが。

しかし、上記のセリフからうかがえることは、結局、親の言うままに食べている、って話でした。

そうか~、だから、与えても与えても、相手は与えられている、って事実がつかめない、んですね。

だから、どんどん、もっとくれ、もっとくれ、になっていく…。もらうことが当然になっていくわけです。それによって、俺、愛されてる~となるわけですから。

たしかに俺愛されており、かつて高校生だった私も悟くんに愛されていたわけですが、誰かが愛によって差し出してくれた自己犠牲に、そのまま寄りかかって良い、というわけではないでしょう。

親には親の人生があります。親が子供のために自己犠牲すると決めたのは、親の決断ですが、それも普通は18歳、おそくとも大学卒業頃で終わりです。そうでなければ、親がかわいそうですよね。

私は6才で、母が子供のために離婚を踏みとどまるべきか考えていたときにも、わたしたち子供のことより、母親自身の幸福を優先してほしいと思っていました。

私が6歳で考えたことが、40代後半になっても考えられない…ということは、もうこれは発達の差、ではなく、決定的に人生で何を重要視するか?という価値観の差、だということです。

発達精神医学では、未熟な自己愛には、

 根拠のない万能感

がある、と言われています。子供がある時一人でどこかに行ってしまって迷子になる、っていうのは、この根拠ない万能感のためです。

若い男性…たとえば、映画『アルピニスト』のマークアンドレは、この万能感のために、際どいフリーソロをして、そのまま帰ってこない人になって、映画に留められています。心理学的には成熟の真反対で、未成熟のまま山で死んだというだけです。反省の対象であって、あこがれの対象ではないですね。 山は降りるほうが難しいのだ、ということを誰も教えてやらなかったのでしょうか?

 母に愛されているという根拠だけで万能感

を持つことができてしまったら、ご飯だけ食べさせてもらえば、どんなに根拠のないことでも自信たっぷりに、「敗退無しで!」と言ってしまいます。

そんなのに付き合っていたら、こちらが先に死んでしまいます…

敗退はきちんと想定して、それでも山に挑まれ、万策尽きたときに、ここぞ!というときだけ賭けに出るのが、本当の山屋です。

根拠のある自信をもちましょう。




2023/03/29

今日の衝撃… GenerativeAI、ミートガイ、腫れる足

■ラム
 
めちゃうま!

ミートガイの冷凍肉ですが、理学療法士の先生に高すぎて買えないと言われました…。いや、クオリティからすると安いくらいなんだけどなぁ…。
 
グラスフェッドビーフってどこで買おうかなぁと思っていたら、栄養チャンネル信長で紹介されていたので、お試しセットで、買いました。
 
今日はエノテカのワインも来て(アマゾン)、ほっこりできた。
 
■ 足
 
足は、腫れてます…。装具の底板が外れて、強度が上がるたびに腫れる法則なのかもしれない。
 
これで痛みがぶり返すのは、二度目なので。とりあえず、足の筋トレグッズ見たいな物を買ってきました。筋力低下が、むくみとなり、むくみが痛みの原因なようなので。
 
基本的に、装具がしょぼいっていうのが主たる問題のような気がするんですがねぇ… 10万円の割には。なんせインソールがゼロで、衝撃が強すぎます。

■ 食事
 
歩いては買い物にいけずに不便にしているので、ワタミのお弁当を取り始めたら、こんな葉書が来た。

うーむ。ワタミはブラックかと思っていたがすごい。

■ シリコンバレーじゃなくても、AIで何でも作る時代

シリコンバレー情報で、昨日セミナーで、AIの話を聞いたら、海外の話、と悠長に構えていいわけでないことが、今日、日本の会社のセミナーに出てわかった。

今のうちに使いこなせるようになっておかないとやばい。死活問題です。

これはAIが生成した画像だが、本物の画像と違いがわかる人が要るとは思えない。

プロンプトの作り方が肝。

■ 画像生成AI

これは私が作ってみた画像。すごいですね。https://openai.com/product/dall-e-2

これを発見したのが3月3日ですが、一ヶ月で、3年ほど進化してしまったそうです。

AIの進化速度が早すぎて、イーロン・マスクが警告文をだしているくらい。

メールの返信文章などを自力で書いていたらダメみたいです。

もちろん、ブログ記事も自分で書く時代は終わりだそうですよ。

っていうか、書くのが楽しいから書くのに、機会にやらせたらつまらないとは思うけど、一般に他の人は、書くの、苦痛なんですね。

もっと真剣にAIを使える女にならないといけないらしい。


【開拓者向け情報】ボルトルートでも終了点だけ打つという戦略

 ■ 終了点だけ打つ

昨日、中島さんに、ボルト提供を打診したら、

  終了点だけ打っているから大丈夫

って返事だった。

 さすが、考える人は考えているな

と思った。

■ へたくそな若者クライマー

米澤さんがクラックの横にボルトを打ったのは、

 最近の九大山岳部クライマーはカムをきちんとセットできないため

だった。

  自分がクラックを登るときに要るから…じゃない。

つまり、若い人のスキル低下のため。

たぶん、九州の終了点が奇天烈なのも、若い人の知性のレベル低下で、ヌンチャク2個終了点に使う程度の常識すら、きちんと実践できないので、諦めて、人工壁スタイルにしているだけ。

結局は、若い人の側に寄り添った結果なのである。

■ 人は必ず老いる

人は必ず老いる。老いれば、登れなくなる。

登れなくなれば、昔余裕で登った課題も、余裕ではなくなる。

余裕でなくなれば、ボルトが欲しくなる。

ボルトが欲しくなれば、ミニマムボルトの原則は守れない。

ミニマムボルトの原則が守れなければ、クライミングとしては堕落の道を歩んだことになる。

さて、どうする?

■ 終了点だけ打つ、という解決策

若い人が、画家の絵をなぞっているだけの、模写のようなクライミングで満足しているのは、それしか知らないためである。

つまり、ボルトを追いかけるクライミング。

ボルトを追いかけさせないためには?

つまり、ボルトがなければ良い。

しかし、ここがルートであるということは示したい。

   結論: 終了点だけを打つ

これは、クラックと同じスタイルである。

■ 年配のクライマーはトラッドクライミングの教え方を知らない

私の師匠の青木さんが、背の低い私が自分のカムのセットが必要だということが分かっていなかったように、 

一般的な年配のクライマーは、トラッドクライミングの正しい教え方、は知らない。

自分だって教わったことがないからだ。

トップロープクリーンで登れた後は、疑似リードが必要だ、という認識すら無い。

一言、「俺は疑似リードが嫌いだ」

で終わりで、ボルトの間隔というものが、個人差の産物、であるという認知をする能力やそのための経験をする機会、そのものがないためだ。

そりゃそうだ。

人のカムで登った経験が皆無の人ばかりなのである。老年期になっても登っているクライマーというものは。

つまり、俺のクライミングの歌、は奏でて来たが、人のクライミングの歌を聞いたことは無い。

例えば、ギリギリボーイズの伊藤仰二さんが、いつも師匠とふたりで登っているアイスクライミングに来たことがあったが、彼と比べればいくら、アイス歴40年の師匠でも、どう考えても技術は伊藤さんが上だろうと思うが…

それでも、伊藤さんが、師匠の打ったスクリューを活かして登ってくれた。つまり、年配者を立て、譲ってくれていた。 

日本では、若年者は年配を立ててくれるもの、なのである。 

伊藤さんのほうが師匠より実力が上だからやってあげることができるが、まだリードクライマーとして修行中の私には適切ではない。私には私の安全が第一なスクリュー配置が必要だからだ。

そこは、どうあがいても、年配のクライマーには理解できない。人のスクリューで登るほうが、簡単だと思っているからだ。 そりゃ打つ手間は省けるかもしれないが、リスクが少ないか?どうか?は身長による。

■ ベテランクライマーはフリークライミングのことは知らない

つまり、ベテランというのは、人の作ったルートを登って、この人のクライミングの歌はいい歌だなぁ…と、実感するようなクライミングのレベルまで行っていない。

現代のクライミングの歌は、岩の場合、おおよそ5.12以上で奏でられるためである。もちろん、それ以下でも良い歌はある。例えば、屋根岩2峰などは色々なスタイルの歌が聞けるルートとして有名だ。

が、そんなの、若いときの右も左もわからない頃にすっかり登っちゃって楽しかったーで終わりで、後は自分の歌を奏でる方しか興味がない。

俺は俺の好きに登るぞーというのが誰だって、定年後は楽しいわけである。

一方で、歳を取っているから、もう難しいのは登れない。

例えば、湯川だったら、10cのフィンガーなんて、出だしからずっとテンションで、普段スイスイとインスボンをリードしていたからって、トップロープ以外、無理なんである。

なんなら、女性の方が指が細いから、君、これ、いけるんじゃないの?くらいな勢い。

最初の師匠の鈴木さんなんて、トップロープを自分に将来貼ってくれる人を育てていると公言していたくらいである。ずっと登り続けるには、そうする必要があるからだ。

クライマーなんてそんなもの、現実主義者なのだ。

当然、年を取れば誰だって過去よりは登れなくなる。

■ 岩を汚すよりは

とはいえ、岩場の開拓をするような、効率の悪いことに時間を費やせる、ゆとりがある人が昨今いない。

世の中の労働市場は、労働力不足であえいでいる。

というので、定年退職後の人の出番となる。

日本の岩場は、開拓されつくされたというのが、一般的な見方だ。

残っているルート=落ち穂拾い。

歩く手間をかけて丹念に探せば、いいのだが、その時間がないとなると、既存ルートの隣にもう一本作ろうということになり、ルートの人口密度が濃くなる。

すると、分かりづらくなる。

それだけでなく、限定、とか付けないといけなくなる。

は?って感じになる。ここ人工壁かよ!ってことだ。

一方、到達までに6時間かかる岩場では、誰も遊びに来てくれない。例:前穂北尾根

というので、このような状況下で一番良い解決策は

 岩場を見つける 

 初発見者権限として岩場に発見目印をつける (=終了点)

 終了点だけ打つ

という手だというのは納得した。

■ 適正ボルトの時代変化

そもそも、適正ボルト間隔は、昔は、身長が日本の平均男性の160cm前後に合わさっていたと思われる。

しかも、エイドのルートだと、特別のっぽだった人が、お前がいけ!と言われて登っていたわけで更に遠くなっており、170cm以上の人に合わさっている。

ところが、現代では、子供も登る、女性も登る。 

それでは、現代では、ボルト間隔が遠すぎる。

つまり、140cm前後から必要になる。 

しかし、140cmの人向けの間隔でボルトを打ったら?

人に親切にしたのに、俺がチキン呼ばわりされる。

それは受け入れがたい。

もしくは、ミニマムボルトの原則に反しているだの、との批判を受ける。

そもそも、そんなにミニマムボルトがいいなら、ボルトが嫌な人は、すっ飛ばして、フリーソロしてくれよ、と思うが、そういえば、喧嘩腰になる。のも、得策ではない。

めんどくさいことをすべて避けるには?

 終了点だけ打つ

これで解決なわけである。

米澤さんは、終了点は打っていたが、全然使っていなかった。立ち木にぶら下がって開拓しているから、自分の継続トレーニングには、その立ち木で別に十分だからだ。

だから、私もそのようにしている。ボルトはいらない。

なんせボルトのほうがカットアンカーだから信用ならない。別に、立ち木で懸垂で降りれるからいいのである。

しかし、ボルトがないと

 そこがルートだ

ということが示せない、ということなのだ。

これは、この終了点がないとルートだと認識できない人のために完全なる募金、なのです。

なんせ自分にはいらないわけですから…

大したクライマーでもないとすでに明らかになっている年齢の人が、開拓者のエゴを主張して、限られた岩場資源を独り占めしようとせず、後世の

 ちゃんと現代レベルで登れる人に、国際レベルでの適正ボルト

を打ってもらうほうがいいに決まっている。 

その時のために若い人はせっせと海外の岩場にでて、

  国際グレードのグレード感の吸収

に勤めましょう。

海外旅行は大変疲れます。海外で移民として暮らすのも、若いときは、言葉もあっという間に覚え、楽勝です。

が、年をとると、言語・文化の吸収能力が下がっているので疲れます。

若ければ若いほどいいわけなので、海外でできるだけ多くの岩場に触れましょう。

そして、その知見を成熟してから、日本の岩場に持ち込みましょう。

これで世代間連携はバッチリです!

《関連記事》

クライマー別カム配置の考察

https://allnevery.blogspot.com/2019/08/blog-post_68.html 

トラッドのリード習得法

https://allnevery.blogspot.com/2023/01/blog-post_11.html

ロープの伸びが配慮されていないボルト配置 → エイドルートなのでしょう

https://allnevery.blogspot.com/2022/01/blog-post_4.html

ラオスのメモ

https://allnevery.blogspot.com/2016/11/memo.html

4 Year Summary...Kyushu Climbing Situation page 7 final

 Under construction-------------

■ Grading should be appropriate, though...

On the other hand, the fact that grading is hard is understandable to some extent, given the circumstances in which pioneers are placed.

Let's say you are the best climber in a group. You have pioneered a route, but no one can climb it again except you.

If the route is harder than that, he will go up a grade, if it is easier, he will go down a grade...because that is the only reference he has.

If someone like me, who is just barely in the teens, and 5.9 is not too bad, I can put 5.10c if it's where I would fall. I can put it that way. Or, how many tries did it take to redpoint? By counting the number of tries, you can give a grade. At my level, redpointing 10c in 2 or 3 tries is my current skill, so I can figure out the grade by the number of flights it took me to redpoint.

However, it is almost impossible to get a wealth of test climbers in pioneering, so it would be nice if the grades were properly aligned from easiest to hardest within a single crag....

The problem is the runout.

Free climbing is a climbing sport where you can fall anywhere and not die, so the problem is not the grade but the runout. In other words, it is a runout where you are not allowed to fall. Especially, the easiest problem at the crag.

First-timers, after all, tend to climb the easiest problems. If the problem is marked as 5.9, even if it is 10c, and you can fall down anywhere, you just say, "Oh, that was difficult," and that's the end of it.

However, if the task is made in such a way that you cannot fall, you are forced into a corner, and you have no choice but to fall and get seriously injured. This is the case of the Indian Face at Ya-ya. On the first day we went there, we met a person who had broken his lumbar vertebrae in a ground fall.

I am sorry to hear that, but it appears that the accident report was not carried in the Freefan. If information about the accident is not posted anywhere, the fact that the accident occurred at the crag will remain unknown.

Of course, if this was an alpine climber, he would have thought, "If I fall here, I'm in trouble! As soon as they realize that they are in trouble, they can take out their aids, such as skyhooks, and climb down to safety. Of course not. No one has ever heard of a skyhook....

Of course, no one would take a skyhook to a slope where they are not going to compete.

So, for those who only do normal free climbing, you should honestly put an "R" on any run-out or non-fallable task.

Free climbers are usually people who think they are climbing a safe route based on their trust in the bolt when climbing a sport route, or bolted route.

Again, they are being deceived by the route.

In the first place, free-climbing education does not teach you to use aid techniques to get out of an emergency situation.

Of course, they don't teach you that if you fall, the belayer will run behind you.

Not even alpine climbers know that these days. There are no alpine rock routes where you can belay running backwards.

Only ice climbers know that. Fortunately, I come from an ice climbing background.

Screws are expensive in ice climbing: 10,000 yen per screw. The momentum and the number of fulcrums are limited, so the belayer below has to take as many of them as possible to save money, and the belayer below has to say, "Hey, let's get them already... This means I have to run far back..." Of course, the belayer was lighter.

Of course, if the belayer was lighter, it would be pointless to run backward, because if he fell, he would be pulled forward. In fact, if the climber is pulled forward and crashes into the ice, the belayer may die and the climber who fell may be saved by the cushion of snow.

In Kyushu, old climbers may not understand the meaning of the word "runabout" itself.

https://allnevery.blogspot.com/2022/10/blog-post_28.html

Summary

So, to sum up,

Alpine routes = to design routes where you remove the bolts and make your own fulcrums.

Free climbing routes = solving the runout problem and designing free climbing routes where the original bolts can be trusted.

Kyushu has two issues to solve.

The other is to improve topo. It should have a top-rope assignment, R, X, etc. The same goes for the date of installation of the bolt and the name of the builder. Was the route started by an aide? Is it a ground-up pioneer? is also a very important context.

In view of the state of climbing today, the aging of the population has, in essence, made climbing lazy... For alpine climbers, it's free and comfortable climbing if you don't have to make your own fulcrums.

If not laziness, then, in a good way, it was ignorance to try to rebolt a cut anchor to a cut anchor in modern times, not knowing that a cut anchor is not a proper bolt in modern times... but anyway, that's 40 years, and it's not a respectable act, is it? Is it a respectable act? Is it a respectable act? The answer is obvious. No matter how remote Kyushu is, it is probably only 10 years behind the rest of the world, and that excuse is acceptable.

The fact that a free climbing route does not follow the logic of free climbing is also basically just a replacement for an aid, or a botched bolt position, rather than a well-meaning ground-up challenge.

I have to say that I would be happy to have a 5.9 to climb after I can climb 5.11. It is a route that I have always wanted to climb. It is a route that I have always wanted to climb. But it needs a historical background. And it needs to be widely recognized as such a route, and it needs to be mentioned in the topo. After all, the topo is there to convey context.

In Kyushu, we are paying the price of the previous generation...even in the 2000s, future generations have had to endure cut anchor bolts that have long since been retired in Honshu, free climbing routes where the bolts are unreliable...and so on.

In this case, it is not the most elite competition climbers who are getting an elite education these days, starting before the age of 10, who are in danger. They can get new bolts (in Goujon) to climb. The budget for this comes from the government.

On the other hand, the average civilian climber, who has been exposed to climbing as a hobby in a non-climbing gym, does not have a coach. They have no mentors. There are no climbing gym managers, no climbing guides, and no climbing seminars in Kyushu.

Even if a climbing course were to be held, the knowledge would not be passed on for fear of local protests.

By the way, a senior member of the Misaka Alpine Club was transferred to Kyushu, and he quit climbing as soon as he could.... That was the reason.

So, this is the end of my four years of climbing.

I am glad that I don't have to climb anymore.

4 Year Summary...Kyushu Climbing Situation page 6

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■ Cam distrust

There is also a curious perversion. It is cam distrust. Is this not also due to old values that have not been updated?

If I tell people that I climb trad with cams, they respond with something like, "You're a daredevil!" while they are told to fall off and fall off 40-year-old rotten cut anchors (e.g., Mt. Ohe).

Would you rather casually fall on a 40 year old rotten bolt that no one knows who hammered it, and have it fall out and ground fall, or have a cam that you set fall out and ground fall?

Maybe it's a matter of taste in this area, but I'd still be more comfortable with it falling on the cam I set.

By the way, I have fallen on my own cam, but I have yet to have it fall out.

■ Other

Various other questionable events have occurred...

Happened recently. A climber who can only climb 3rd class at an open crag wants to climb 2 steps with no mats!

How cute,

A bolt in spite of a crack.

Or a bolt in a crack, or an artificial hold in an outcrop...

One climber belayed two climbers' leads.

Or, "I'm being belayed on a fulcrum, but the person belaying me doesn't even know it!

I'm short, and I'm going to train you with aids....

The last one is almost a death sentence.

The old aide route is probably over 40 years old when they bolted...because it was pre-freeing. In other words, ragged. And no matter how many short people are placed on the top step of the stapes, they can't reach what they can't reach.

This is something they don't seem to understand, even if they are intelligent enough to teach at Kyushu University...

Aide is that the degree of difficulty is always the distance. Anyone can easily find out what is in the grades of A1, A2, A3, and so on, if they look into the contents of the grades. And they are willing to do it to the little rookie. Can't you see that this is the same as saying, "I'll kill you, with pleasure"? Even an A-zero in free play can be done if you can reach it, but not if you can't.

I was also told that I could take a climber who belayed two climbers by himself while I was leading another climber. If you have to climb with such a ton of belaying, you shouldn't climb. I can understand if two climbers belay one climber, but one climber belaying two climbers is not possible in lead climbing. Even when raising the second climber, it is the second climber, and even if the second climber falls on a slack rope, he/she will not be seriously injured.

Taking all of the above into consideration, it was our side that was "taking them there".
So, in Kyushu, there are many people whose understanding is inverted...perverted...and their inversion of understanding is often to the extent that they would notice something strange if they thought about it in a normal, serious, and logical way.

In short, they are not thinking about it, but are just following the atmosphere around them, expecting that if they follow him, they will be taught for free because he is a climber of yesteryear....

In other words, there is a strong sense that the newcomers are completely fooled by the atmosphere.

They don't have the skills, they can't teach, so they look up to those who can't teach them...those who can't verbalize...and they go climbing, unaware that they are being unfairly patronized by those who are taking them along. The person who is taking you climbing has no skills and is literally risking his/her life, so the feeling is not a lie.

On the other hand, the newcomers are being sold something for which they have no gratitude and for which they have to pay a lot of money.

Because of this situation, it is better not to join a mountaineering club. If you join, you might be killed. However, there is no organization that teaches climbing properly, and you don't hear of anyone like Mr. Sugino, who is a good climbing guide.

It is rather the association that is spreading wrong techniques such as belaying two climbers by oneself, grip belaying in spite of ATC, belaying a lead climber on a fulcrum, and so on.

...but those who want to learn the techniques from now on have nowhere to go.

4 Year Summary...Kyushu Climbing Situation page 5

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 ■ 5.10s are dangerous.

By alpine logic, the rate at which free climbing routes are being built is mostly on beginner routes in the 5.9 to 5.10s. (Probably because many of the original alpine climbers cannot climb high difficulty free routes at all.)

Also, many of the aid routes are replacement routes.

The most miserable is the 10c route on Happo-dake, which was rebolted every other meter.

Since the routes are not rebolted by climbers who are capable of climbing today's standard climbing grades, they stop to think about replacing old bolts, which is a waste of rock.

When they proudly unveiled the challenge, I couldn't believe my eyes and wondered if they knew what they were doing. It was because they went with the so-called mountaineering group. They were so confident that I couldn't say anything.

The biggest difference between alpine and free climbing routes

Is it ground up or rappel down? Of course. Of course. Free climbing has rappels and ground-ups, but alpine climbing has only ground-ups.

What does this show up in? It is the way to seize the clipping opportunity.

Alpine climbers base themselves on ridge climbing. The base of the slope is basically a slope where you can't fall, but there are places where you can fall.

For example, a scaffold board placed at a height of 30 meters is dangerous, but not if it is placed at a height of 1 meter. Therefore, it is not so much the degree of difficulty but the degree of danger that is the problem, and the mistake beginners tend to make is to climb higher and higher without taking a fulcrum because it is easy in alpine climbing. In other words, runabouts.

On my first alpine ice route, from Jogosawa to the summit of Mt. Iōdake (硫黄岳), I went over a big waterfall at the crux of the route without a rope. However, it was only that one time, and it was my first time and I was a very beginner.

On alpine routes, there are usually no fulcrums except at the danger points, i.e., before the crux. In other words, where there is a governor, you don't take it because you are climbing comfortably. Of course, while the ground is close, it is the same as free climbing. (In climbing, the lower the height, the more dangerous. (In climbing, the lower the height, the more dangerous, because you can fall to the ground.)

Free climbing, on the other hand, is climbing on a slope that is absolutely unclimbable without a rope in the first place.

Therefore, free climbing grades start with a 5, like 5.XX, because 3rd and 4th grades do not require a rope.

So in free climbing, the assumption is that you can fall anywhere. That's where alpine people can't switch.... They don't fall in such a place, so they think it's not worth it.

The conversion table that says a 50-meter ascent takes one for 3rd class, two for 4th class, and three for 5.xx is a way of thinking that does not reflect the current state of the rock at all. No matter what grade you are, if you are about to die if you fall, you do one before the crux. If it's a cam, it's two, just in case.

On the other hand, in free climbing starting from 5th grade, where the assumption is that you can fall anywhere, the premise of free climbing is that a governor is a clipping opportunity. However, in most of the routes where the gabba is a clipping opportunity, it is a skip bolt.

As a result, it is a free climbing route, but for some reason, it is not allowed to fall down.

Take, for example, Indian Summer in Yonagaya. I saw a climber who crashed on the third pin and broke his lumbar vertebrae on the first day because the second and third pins were run-outs.

Or, for example, the eight-sided Cappuccino 5.9.

I'm an old lady climber and I was able to climb it onsite against a total stranger belayer (i.e. someone I still don't trust), so I guess 5.9 is fine... but what the heck! I thought.

Yesterday, I heard that they only allow newcomers to climb top rope. So they should have put "top-rope assignment" in the topo.

If it was a 5.9 in the best part of the crag, a newcomer to the crag would usually be happy to climb it.

As an aside, when I was climbing, there was a group of men who work as store girls for a famous outdoor wear manufacturer that everyone knows, but they couldn't climb the same 5.9, even young boys, at all, and it looked like there was nothing but TR!

Well, I had to face some unexpected and terrible situations because of the quality of the fulcrums, which are 40 years old, and the quality of the challenges, which are made according to the alpine logic.

No, it's more accurate to say that I didn't have anything but bad experiences.

My heart was frayed and I became depressed....

In Kyushu, they seemed to expect further administrative reform from me. I wish local climbers would reform themselves before outsiders point such things out to them. The fact of the matter is that we did not fix the problem until outsiders and strangers pointed it out to us.

4 Year Summary...Kyushu Climbing Situation page 4

Outrageous climbing techniques are rampant!

Not just with climbing anchors...I had to experience wrong techniques with a wrong understandings of climbing so many times since I came to Kyusyu. 

bad belay

 

I was almost killed. 

Before I came to Fukuoka, those were only rumors and I was climbing with safe climbers. Here in Fukuoka, bad climbers are the majority, and good climbers are so few.

The first outrageous experience, I saw was a ground fall on a route called "Indian Face 5.10b ", in a Azumaya crag. I saw a climber fall, and the route was bad. It runout in the second and third bolts. Belay was proper and he was standing so close to the wall, but the fallen climber still get hurt and carried away to a hospital, later I heard that his back born was broken.

It is not unusual for local crags to have "harder than usual grade". But runouts are not just "hard", it is very "dangerous". In free climbing's rule, it should be given X or at least R in the guide book. But older crags are developed by old climbers so this rule is usually ignored.

Unlike a slab runabout, which is a continuation of a UIAA grade of 3rd or 4th, that runout was on a face route...that is, at least grade 5th, a decimal grade, a route that starts at least 5.xx. In this case runout means that if you fall, you will hit to the ground, as you know.

So R or X should be attached to let a climber know the risk, in free climbing. 

But it is not written in the guide book since is not the customary practice in alpine climbing.

Next outrageous was Hyugami crag. It was a 5.9 most popular route... but it asks a climber to do a 5.10b kind of move.... dishonest. 

It is not unusual to have a harder grade at a crag in a rural area, because people does not know any better.

The problem is that they consider the situation is amusing. Which is disrespectful of climber's life. They intend to make him/her fall.

If the climb requires 5.10b kind of move, then it is 5.10b problem. The grade is cheating the climbers and the local developer seemed to favor the situation so they can privately use the crag.  So the intention was to kick new people out.

Normally, 5.9 is considered the introductory grade for a new person who knows nothing about the crag. So if 5.9 requires  a 10b move then, of course he/she would fall. 

In other words, it is intended to make the climber fall.

Still, if it were an artificial wall, it would be okay, since it is natural to climb until you fall off. But on a outdoor rock? Of course, the part of the route that required 10b move was near the top, so it did not seem to be a big problem even if the climber fell, it won't reach to the ground, but....

This idea of tricking and dropping seemed to be the mainstream idea at this crag, which made me feel uneasy. Moreover, the bolts and anchor was the bizarre (see a page before).
 

The climbing industry is not exactly the safest industry but this is all taken wrong.  In other words, it is the crag where it's basic ideas are so childish.

Well, I was able to climb the problem onsight, so 5.9 was appropriate. After all, it is the easiest one there. It might be 5.8 in Yamanashi.

Incidentally, I took a young American who was a navy soldier in Sasebo Nagasaki, Japan, who were a Yosemite-trained climber, but he could not climb it.
 

I climbed the next difficult one (5.10a) after this one, which I was also able to on-sight.

Later, there were a young male climbed who climbed this with such a pretentious manner as if he was the most brave man of the world,  but that was the route even "I" was able to on-sight.  You know, I was not a good climber, I never intended to be. So his  "I'm so cool, aren't I?" kind of attitude seemed so vain. 

In Kyushu, the standard is probably out-dated. It's already been about 20 years since 5.12 red point is considered intermediate skill, not advanced, you know?
 

I am the woman who has been climbing since she was 43 years old, and it was my 3rd year of free climbing training, and even I could on-sight it. 

Is that a level for a young man to flutter? I don't think so!

Considering the level of climbing today, I should say,  from 5.13 and above is the grade you can be a kind of proud of.  

In Kyushu, young man get proud too soon... it is only beginners level.

My climbing mentor Aoki, who leads Insubone Korea with great ease (and with an injured leg), always says "I can't climb at all," and it was sometimes annoying to comfort him. But considering the level of climbing today, I think he is more normal.

A normal young man should be able to climb at least 5.12 if he takes it seriously. After all, I, with a 17kg grip and a height of 152cm, can see 5.11. 

So 5.11 for a man is nothing to brag about. In fact, none of the male climbers I climbed with on Mt. Ogawayama, brags on 5.11.

The basic concept of "death wishing is cool" seems to be the basis of Kyushu climbing , and it seemed childish. Generally speaking, it is so teenager like, childish. In Yamanashi, I did not meet such a person.

After that, I was exposed to some old alpine traditions... like the fixed belay to a lead climber, for example... 

Basically, I thought people didn't really understand the difference between free climbing and alpine climbing. 

People who have been taught only alpine climbing techniques are developing the crag for free climbing, so the two different kind of climbing gets confused and the young climbers are so innocently taking it for granted. In fact, I think that even alpine climbing techniques are not taught properly either.

For example, in Kyushu, the climber does not learn to climb with cams and natural protection. They only know bolted routes.

In alpine climbing, which is done in the mountains, there is NO preset protection, ofcourse.  

But in Kyushu, this is not the case at all. Most climbers don't have the skills to use cams, nor pitons. They don't seem to think that they need to acquire how to make protections.

They only have bolted route skills with the protection already preset, but they are willing to go to the mainland Japan's alpine routes(such as northern alps or such... called classical routes) .  The route sometimes have anchors and slings that somebody before left there, but using them is considered nono.  That would be suicidal. That's the kind of thing you are taught on your first day of climbing.

After all, there is no proper alpine routes, or practice routes in Kyushu, that is, a route to climb without preset protection. 

So climber does not know that using left-over slings and anchor is dangiours.
 

For example, I have gone to a route called " Hakua Slab" in Mt.Hiei., a typical alpine route, but it was all bolted even though it can be climbed with cams without any preset protections.

In normal alpine climbing logic, it is normal to climb without relying on a left-over protection such as rotten pitons. So they usually bring their own.  

If there is an old and unreliable bolts (a cut anchor that is 40 years old...), unskilled climbers will think that it is OK to fall down it since it looked exactly same as a petzl bolt which is used in free climbing route in mainland Japan.

This is NOT Petze, this is 40 years old cut anchor made of steel and the hanger is alminium
inside
Mordern bolt should look like this bolt(hanger should be straiten)



If the approach to the route is 5 minutes or so instead of 6 hours of trekking , climbers think it's a easy climb. 

On the Hakua slab where I was a second, a lead climber ran out of rope because he missed the 4th belay station, and the two of us had to hang from just one bolt at the midpoint of the route. 

This is so embarrassing for a responsible climber, but I dare to write this about because I now wonder if the lead climber might have been also tricked into going to this one.  If any senior climber who knew exactly what he was capable of, I don't think he would have recommended the hakua slab. It is more likely that it was intended to hurt him.

Now, if that one bolt, the one bolt that we both thought was Petzl at the time, we were hanging together, had failed,  we would both have been, gone to death.  And that bolt as a running point was this unreliable cut anchor of 40 years old. 

In modern climbing, the "normal" bolt means gougeon. Not the old cheap cut anchor...

Our experience...and ignorance...was disastrous, but the route should have been designed so as not to attract inexperienced climbers who might skip an climbing anchor or get stuck in a rope so the lead climber could not bring rope up. It is easy to make the kind of mistakes when the approach is too short, people take it too easy.

If you pull out the bolts, you won't get such inexperienced climbers. They will be cautious when it says you have to climb with natural protection. (Green point)

Natural protection means you have to show your true ability. 

The term "all-natural protection" is used in Japan, in short, "all-natu-pro" may be confusing, but climbers who climb the same route with preset protections (runner points) are not good climbers, and climbers who climb with his/her own protections are the ones who climb properly.

After all, there is no way to find a preset protection in the mountain, so climbing without relying on it is a normal alpine ascent, and it is a task that deserves it.

Of course, as long as you have your own cams and pitons, you can aid climb or whatever, it is not banned in alpine climbing to use aid, because it is alpine climbing. In other words, it is not required to climb completely free climb in alpine climbing. (Ofcouse it is better to do so)


On the other hand, if you want to characterize a route as a free climbing route (for slab or for practice), you should reinstall bolts and maintain them properly so that climber can fall.

Free climbing routes are climbed without aids. Instead, climber will take the risk. Even if you fall, of course you won't die, unless the routes with "X" or "R". It is totally different from alpine climbing.

Note: I recently concluded that Hakua slabs are free climbing route.

Generally, climbers these days, no matter how lousy their climbing style is, when they reach the final anchor, they would say "I made it!!!" 

In fact, the Hakua Slab was not properly climbed but he didn't seem to feel sorry for that... not just that he seemed to be proud of what he had done... apprently failed climb. 

Then I realized why in Japan, climbing accidents never reduce in this digital age, since 300 near-misses were behind of 5 serious accidents.  It is because the climber thinks failed climb a success. However, without the ability to recognize those near-misses, there will be no improvement.

Education on climbing style has been neglected and hang doging & red pointing became the norm, then the grade competition, so even if you can climb 5.12 in RP, you don't know basic rope management.

For example, if you don't use the long sling to make the rope to make a straight line as possible, the rope will not flow when you need to bring the rope up.
 

Climbers should be able to "steal"...ie, you just learn by yourself, without being taught,  that kind of thing, but these days young climbers won't learn.

If you miss the anchor or get stuck with a rope, you can't say that you "climbed it. It was a lesson to be learned. (But I don't think he will...)

Well, I learned a lot from this incident.

The reason why I went on this one was simply because I felt sorry for him that he did not have a climbing partner.

Now I regret that I was too forgiving.

One reason why this happened to me was my dead brother... I was projecting my young brother who were dead young to any climber younger than myself. 

It won't happen again.