2022/06/09
ほんとうにすごい人の見分け方
0)フリークライマーでホントにすごい人 = 40kg担いで、山でも歩ける人
1)高所登山でホントにすごい人 = シェルパを雇わない人
2)アルパインの人でホントにすごい人= 低い山で地図読みもできる人
3)クライマーでホントにすごい人 =自然保護活動(クリーンクライミング)ができる人
4)縦走の人でホントにすごい人 = 100日くらい山で放浪できる人
5)山男でホントにすごい人 = 山ガールにも鼻の下を伸ばさないでサバイバル登山を教えられる人
6)岩ヤで、ホントにすごい人 = 登攀的な沢も登れる人
7)テント泊でホントにすごい人 = テントは卒業してツエルト泊
8)アイスでホントにすごい人= 古い道具でリードできる人
9)古い山ヤさんでホントにすごい人 = ヤマレコピープルの良さも知り、ハイテクもOK
10)ヤマレコピープルでホントにすごい人 =山岳会上がりでヤマレコを啓蒙の道具として使っている人
11)百名山登山者でホントにすごい人 =数より、山の内容、にこだわり、自分流100名山を作っている人
12)中高年登山者でホントにすごい人=聞いたこともない山に行っている人
13)クライミングジムの人でホントにすごい人=外岩も本チャンも知っていて適切なアドバイスができる ジム版省略ではない正しい技術が分かっている人
14)一般登山者で本当にすごい人 = アルパイン上がり
15)山岳会で本当にすごい人 = 本人がガイドをしつつ、遭対協で出動して隊長とか
16)海外登山で本当にすごい人 = ツアー会社に頼まず自分で旅行計画を立てる
17)ガイド登山者で本当にすごい人 = 個人山行の山が全体の95%の人
18)個人山行の人で本当にすごい人 = ガイド登山では、ガイドがケツについて歩いている人
19)団体登山者で本当にすごい人 = マナーが良いので小屋に歓迎される人
20)若い人で本当にすごい人=高齢者が来るような一般登山道に来ない人
21)高齢者で本当にすごい人=山行数の落ちない人
100本のオンサイトしてから次のグレードに進みましょう
■ クライミングバイブル
に書いてあります。
まぁ、現実問題、
日本には、100本オンサイトできるほど、
5.9
の数がない。
ので、みんなレッドポインターになるわけですが…
だからと言って、
100本オンサイトしてから次に行く
を
4本に下げていい
というのは
100→4
下げ過ぎですな。
じゃ、どれくらいまで下げれるのか?。
■ じゃ、どれだけどれくらいまで下げれるのか? 量→質転換が起こるポイント
じゃどれくらいまで下げれるのか?っていうことが疑問になりますが…
量から、質への転換が起こるポイント
があります。そして、これは個人の資質により、様々です。
私は、三つ峠の中央カンテが初めて行ったマルチですが、いきなり2度目からリードしています。別に落ちそうな気配はゼロでした…ので、残置ハーケンのプアプロテクションを見ても怖いとも思わず。 ランナウト、など、良く意味が分かっていないくらいの時です。
こんな簡単なところでもダメな人はダメです。同じ三つ峠でもショートの5.9が登れるまでは、小川山でもっと難しいレベルのをTRして月一回で1年くらいかかりました。
量というのは、頻度とも関係があります。月1回の人は年12回しか触れませんが、週1回なら36回、毎日なら365回です。
よく登山歴10年とかいう人聞きますが、良く聞いていたら年1回を10年だったりしますよね? それだと10回という意味なので、全然ド素人さんです。
というわけで、量から質への転換が起こるには、高頻度でクライミングに触れる必要があります。
その質の転換が来るときは自分で勝手に分かります。クライミングはある時突然上手になります。
■ ある時突然上手になる、が楽しいのがクライミング
クライミングのだいご味は、まさに、これではないですかね?ある時突然、上手になる。
それは、
スタートした年齢
現在の年齢
元の筋力の有無
運動神経の有無
元の運動体験の豊富さ
などで、その突然上手になるタイミング、が決まってくると思われます。
■インスボン行く前
私はインスボンに行く前は、1年くらい、クラックばかりをインスボンのために練習していたわけですが…
吉田和正さんに言われてレストを多くしたら、ジムに一回も言っていないのに、甲府幕岩で人がビックリするくらい上達したことがあります。
レストして上達 → 頑張り過ぎていた
経験値を上げて上達 → ラオス後
ムーブを教えてもらって上達 → アクティバの内藤さんとか
などなど、突然上手になる日がきますので、一番のマイナスは
十ぱひとからげの指導
です。日本の指導者のみなさんは、これ好きですよね~!!! 3回フォールしたらハイ終わりとか。
日本の教育の画一教育の悪い面を、そのまま引き継いでいる…
クライミングは心理的で個人的なものです。軍隊式教育ともっともそぐわないものですよ。
2022/06/08
日本のアルパインクライミングのレベル低下のこと
■今日の仏教説話
無分別知 の話
だったのだが、無分別知とはどのようなものか?ではなく、
人は自分の貢献を過信しがち
という話に終始する結果になった。マズローの欲求の5段階では、承認欲求というのが出てくるが、ようするに
貢献を認められたい
というところで皆が足止めを食っており、無分別知が何であるか?という探求心には火がついていないということなのだった。
同じことがクライミング界で起きている。
■ 働かないアイツ
無分別知があれば、(働かないアイツ)に腹がたたない。 なぜなら、(働かないアイツ)のおかげで、(働く俺)が、際立つわけだからだ。
(働かないアイツ)がいなければ、(働く俺)は意味をなさない。
だから(働かないアイツ)は、本当にありがたい存在なのです。
■ 私がスゴイのではなく、全体のレベルが異様に低下しているんですよ
日本のアルパインクライミング界が、初級とすら言えず、入門レベルのバリエーションである阿弥陀北稜すら、普通に登れない(大学山岳部遭難)ので、単独初見で登った私が、アルパインの独学の成功事例として意味が出てくるだけで、本来は、私がすごいのではなく、全体のレベルが非常に下がっているというだけなのです… 阿弥陀北稜なんて、朝飯前で登れていないといけないのです。(先輩に連れられて登った人は何も分かっていないので除外です)
以前、先輩に連れられて、前穂北尾根に行きましたが(入会を誘った義務で先輩が初級ルートを示してくれた)、そのうちの一人の先輩がヨレヨレで、前穂北尾根なんて、余裕のよっちゃんでないといけないのに、それでは、もうこれ以上はこの会で行ってはいけないのだ、とそのヨレヨレ具合を見ているだけで、納得しました。
ロープに11ミリを出された時点で、見識があるクライマーなら気が付くところ、初心者なので、ん?と思っただけで気が付けなかった。
同じことが九州では、俺12登っているぜーと言っている男性クライマーが、OBGの10c(5.9とトポにはあったが)で、ひいひい言ってエイド出している時点で、おや?と思うのが、ちゃんと教育を受けたアルパインクライマーの基準なのです。
しかも、支点ビレイ、を見たら、こりゃまずいな!と気が付かないといけないのです(私も見たのが初めてで、これが噂のやってはいけないビレイか!と分かるのに、家に帰って調べないといけなかった。一緒にいた先輩は気が付かなかった)
どれだけ日本のアルパイン界が衰退しているか?って言うことが、私の言いたいことで、私が優れているって意味ではありません。念のため。
こちらの若い人の会のロープワーク講習会にも出ましたが同じでした。
雪訓もなく、雪崩講習会への定期的参加もなく、厳冬期の北ア、行けますか?行けませんね?
■ 佐藤さんのガイド講習に出るのがいいのでは?
というわけで、指導者が衰退著しいので、適切な指導ができる体制もなく、人は年齢には逆らえないのですから、指導者を責めるのも気の毒ですし… かといって九州には、まともな登山教育を提供している団体はない…
となれば、若い人はどうしたらいいのか?!と突き放された格好になりますが。
私が思うには、佐藤祐介さんのアルパインクライミング講習に出るか、講師として招待するかして、講習してもらったらいいのではないですかね?
その際の応募の基準は、
スポーツクライミングと人口壁で5.12以上
歩荷力40kg以上
積雪期登山経験済み(九州でも大山くらいならいけるでしょう。大山は八つの8割サイズですが、雪深いです。その分歩きやすいです)
読図の基礎が分かっている (尾根と谷が分かっている。コルとか何ですか?って人はおよびでない)
ギアに不足がない
でいいのではないかと思います。
■リーダーの資格
5.12がジムレベルで登れるというのは、最低限のリーダーの資格というか、外の岩場の入門レベルではそこまで岩からは要求はされませんが、アルパインは落ちれないので、リードには、最低、ジムで12程度の力は必要です。(ちなみにこれは、高校生ならアップレベルです)
ちなみに、セカンドなら、5.7の登攀力で十分です。まぁ、本人がフリーで登れないと楽しくないですし、11までは誰でも行けると思うので、普通に登るの好きだったらいいだけですが、年齢を行ってからスタートした人がリーダーを務めるのは、アルパインでは無理です。
フリー(ショートの岩場、クラッグに行くこと)は、別にスキルレベルを問わず、誰でも行けます。トップロープ掛けて登らせてやる、というのは、一番ラクチンなことなので、あまり恩を着る必要はないと思います。 どうせ自分がリードしないと楽しくないので。
それより、確実なビレイを提供してくれる人にこそ、恩を感じる方が良いと思います。
ビレイは出来て当然という顔をされますが、実際のところ、出来ている人のほうが少ないレベル感です。特にオールドクライマーはできていない人が9割で出来ている人のほうが少ないです。普段、競技しか登らない人も、落として魅せるビレイを善と教わってきている可能性があります。
正しいビレイヤーと組むと気心が知れるまでは、大体、ロープが張り気味で、重たいものです。
アルパインへ進むには、部分だけの理解ではダメです。つまりボルダーで2段とか自慢にも、安全の追加にも、ならないよってことです。
ボルダーで二段登れる人が貢献できることは、突破力の一部だけで、アルパインでは、担いだり、リスク管理したり、で天候から、ロープワークから、運転、スピード、体力とありとあらゆる面で、多彩な能力が必要だからです。パッキングが遅いだけで、低体温症で殺されかけます。
あいましたからね、グローブ出すだけで30分かかる人… この目で見ました。そういう訓練ができていない可能性が濃厚なのが、インドアクライマーとか、ボルダラーとかです。もちろん、ボルダーをするときはその人の経験が生きるわけですので、これは非難ではありません。
九州では、私もアルパインをやるより、ボルダーをやっている方が合理的だと思いますしね。
それでも、分かっていない人は、3級しか登れないのに2段をノーマットで登りたいと泣きつくわけで、どんだけ~です。 (ちなみに2段をノーマットで登るには、マット付きなら5段くらい登れていないといけないのではないかと思いますよ)
100本オンサイトできたら、次のグレードに進もう解毒剤としての、佐藤さんの復活動画
■The North Face | Reformation ~ 佐藤裕介/Yusuke Sato ~
イマイチだった前回よりうんと良くなってる~
とすごくうれしくなった今日。もう、解毒剤ですね、解毒材。何の毒に対してか?
1)3級しか登れないのに2段をノーマットで登るとかいう初心者ボルダラー
2)根子岳を登れるようになりたいとか言ってアルパインを理解していない自称アルパインクライマーの九州初心者
佐藤さんみたいなクライマーが目標値として設定されないから、アルパインクライマーについては、こうなってしまうのではないか?と情状酌量の余地もあるのではないか?とは思いますが… ボルダラーについては、小山田さんという偉大な見本があるので、情状酌量の余地なしですね。 大体、手本があっても手本にしないのが男子。
九州では、”未知への憧れ”、ではなく、”お前、階段、何段飛べる?俺10段!”が、アルパインだということになっています。 バカみたい… 落ちたら一巻の終わりのところで、ロープを出さない方がカッコイイ、という価値観です。
断っておきますが、私のロープを出す基準は、ガイド基準、ではなく、山岳会基準、ですからね。前の会の33歳の室野君がロープを出してもらわないと降りれないところ、私はノーザイルで降りていますから(真砂尾根。SABで確保するような尾根です)。
さらに言えば、こちらの会って、北鎌尾根程度で、死者出していますから。これは、こっちのアルパインを志向する人たちが、中高年がジャンダルムにノーザイルで行くのと同じ感覚を継続してリスクのある山をやっているって意味です。
最近では、クライミングジムの店長という人からもロープ組みたいという連絡来ましたが、分かっていなさそうでした。分かっていないことを分かっていないから、「あなたが思うより僕はちゃんとわかっている」と言っていましたが、九州に6年登っていて、カットアンカーであることに気が付いていない。カム持っていない。
1年登っただけで、「ナニコレ、変なボルト!」とか、「ナニコレ、変な終了点!」とか、気が付きましたよ? 気が付かない時点で、もう、かなり安全意識おろそかなのでは?なんせ、目の前にあるものを全信頼しているってことですから…。
ちゃんとしたクライマーは、普通にショートで岩を登る時ですら、岩が壊れないか?叩きながら、登っていましたよ?
佐藤さんのモチベーションアップはリフォームだったらしいので、私もリフォームに取り組むと元気がでるかも(笑)?
心と体 トラウマとアレルギー
■トラウマとアレルギー
私はオイスターに当たって、食べれないのですが、体の記憶は強固で、今となっては、腐っていない健全なオイスターを食べても、吐くのです。6年後にそろそろいいかな?と思って、食べてみてダメで、さらに6年後くらいたってからもダメだったので、一生ダメだろうと諦めモード。たった一度の悪いオイスターのせいで、一生分のオイスターの愉しみがパーに。
体の記憶は強固なのです。
それと同じことが、メンタルに起こっていることです。
一度、無責任な男性&能力がないのに立ててもらえることを権利として要求して来る男性、男性性だけで父性がなく、俺がかっこいいかどうかが一番大事な男性、とか、出てくると、ギャー!となるのです。
それは、私たち兄弟3人を母に産ませ、責任はスルーで、子を育てなかった父に始まりがあるわけです。
その父は、私をプールに突き落として溺れるのを見ていた人ですが… あまりの無能さで、子供がおぼれていることに気が付かなかったわけですな。
つまり、あまりの無能さに、私を殺しかけていること…に、気が付いていないのです…。
セカンドが荷を背負って、登ってやっているのに、ロープが上がらないなんて、どこが威張れる、かっこいいリードなのかということですし、私はピンを掛けているのに、墜落したところ、グランドフォールになったんですが、それはちゃんとしたビレイではない。
まだ4本しか10Bが登れていないのに、10c、10dへ進むとかも、ぜんぜん安全ではないし、基礎スキルの積み上げになっていない。クライミングの指導書には100本オンサイトしてから、次のグレードへ進めと書いてあります。つまり、4本5.9を登ったら次は10Aね!という人は、グレード主義に陥っているという意味になる。
それは、ぜんぶ、私には慢性アレルギー症のように、父の無能さ、父の無責任さを内包するものなので、嫌なんです。
親の無能や、クライミングパートナーの無能で、殺されていたら、もう目も当てられませんね?
①十分に願いを満たしてやったか? → もはやクライミングしたいとは思っていないらしいので、満たされているのでは?②自分のインナーチャイルドを十分癒したか? → いやー、むしろ、アダルト(理性)が刺激されて自分は楽しむことができないので、この活動は私を癒さないです。12登れます!っていう男性クライマーの頼りない事… 登攀能力以外の面がスカスカです。もはや、12登れます、っていう自己申告は、何も努力していません、としか聞こえないです。
つまり、あらたなアレルギーを作ったということです。オイスター=「12登れます」 です。
③世の中に十分貢献したか? → もうボルトの不備やカットアンカーでリボルトしようとしていることを指摘したことだけでも十分なのでは? UIAAの教科書を日本語版作って!とメールしただけでも、すごい貢献だと思う。これ以上、私に求めないでください。
クライミングの教育がきちんとされてこなくて、若い男性がまともなクライマーに育っていないのは、私のせいではなく、教育する責任があったのに放棄している自称、ベテラン、の責任転嫁です。
2022/06/07
2022/06/06
私の”優秀インチャ”はダメなオールドクライマーの対抗価値観です
■ 私の”優秀化インチャ”を触発しないで!
2022/06/04
おむすび山スラブの転落事故
こんな投稿が回ってきましたが。
普通の人には危険回避能力はない
→ 十分な安全対策 って何を指すのか、全く不明
→ スラブで十分な安全対策って何よ? そもそもスラブ=大ランナウトが基本
→ そもそも、安全対策がない、もしくは 安全だったら楽しくないとされるのがスラブ
→ こんな形骸化したコメントでは、まぁ事故は減らんだろうなぁ。
→ 起こっていることはすべて正しい
2022/06/03
危機回避の能力は普通の人にはありません
■
2022/06/01
楽しすぎて仏法が聞けない → 分かち合いの世界へ
私の作りたい岩場(村)について、誤解があるようなので、記載。
■ ミンダナオの子ども ニアイコール ラオスのクライマー
ーーーーーーーFBから引用ーーーーーーーーーーーー
日本の子どもミンダナオの子ども (4)
http://www.edit.ne.jp/.../mindanewsdaiaryfuture2021.html...
「自分の力できりぬけろ」という言葉への、現地の子どもたちの返答は、
「でも、自分の力なんてたかがしれている、みんなでやるほうが、楽しいよ。」
「自分のことは自分でやれ」への返答は
「一人で出来ないことなんて山ほどあるよ。みんなで力をあわせるほうが大事だよ。」
「日本では、自殺する人が多いんだよ」というと、子どもたちはびっくりして
「なんで自殺するの?あんな豊かな国なのに!」
「孤独で死ぬんだよ」というとさらに驚く。「孤独で死ぬってどういうこと?」
MCLの子たちは、親がいなくなって一人取り残されても死のうとしない。どこかで誰かが助けてくれるから!
一人ストリートチルドレンになっても、必ず別のストリートチルドレンがやってきて言葉をかける。
「一人じゃさびしいだろう!俺たちの仲間になれよ。」
日本では、孤独な母子家庭がふえている、という話をすると、
「近くの人たちといっしょに住んで、いっしょに食べたら良いのに、なぜしないの?」
子どもの貧困が増えている話をすると、
「自分の家によんで、自分の子にしたら良いのに。MCLみたいに!」
こういった言葉が、自然にポンポン飛びだしてくる。
経済的な貧困で大変なのが、医療と教育。
でも日本もMCLのように、医療と教育を無償にして生活を保障すれば、子どもをたくさん産んでも、何の問題もないはずだ。
それどころか、生活の喜びが倍増し、地方も活性化するだろう。
ミンダナオのように、子どもが学校を引けたら、親の職場に直行し、職員もお客も大喜びで子どもに声をかけてむかえたら、親も子育てが楽しくなる。
MCLみたいに(地方都市の役所や銀行でもそうだが)、職場に子どもたちがはいってきたら、「・・・ちゃん。おかえりなさーい」といって、母親の仕事机の横に、ござをひいて昼寝をさせたり、工場の修理工の後ろでも、木の長椅子をおいて、そこで妊娠中の奥さんが、ごろ寝をしている風景があれば、仕事場と家庭の壁もくずれて、社会は生き生きとしてくるだろう。
個人と社会、家庭と会社、保育園や幼稚園、学校と家にしか、意識が向かない思考は閉じこもりの壁型思考だ。
その中間に存在する曖昧な場所、「ちまた」こそが壁をときはなち、人々の心を解放し孤独から救う場所。
ちまたで、子どもたちがおおぜい生き生きと遊んでいる姿をみることがない国は、本当にさびしい。
個人と個人の間に存在しつつ、人をささえるのが愛だとすれば、ちまたこそ愛と友情の空間。
妖精のように存在していても見えない、友情と愛の力こそが、人々を幸せにし、生きる力をあたえてくれる。
ーーーーーーーー
これが私が目指したい姿です。
ただ、問題は、「みんなでやろうよ」という精神にちゃっかり便乗して、じぶんの都合、自分の手柄にしようとする人がいることです…
地獄の三寸箸は、そういう自己中の人からスタートします。
■ 現状
クライミングさえできれば良いと開き直れば、この豊かな現代ではそれが可能なので、クライマーは楽しすぎて、仏法を聞くことができない。
2022/05/28
クライマーに適したレメディ
■傲慢系と劣等感系
登山をして驚いたことは、競争心丸出しの人が多いことだった…。山頂に行けば、「あなた、何個目?」なんのことか分かるのに時間がかかったが、世間の登山者は100名山制覇を競争しているのだった。
次に行ったのがアイスクライミングなんだが、選民意識があり、驚いた。アイスクライミングの道具にお金がかかるから、だった。たしかにアックス一本で4万円だからなぁ。でも、アイスをするからって、山で貴族?
アルパインクライミングに進んだら、オールドクライマーが俺様族で驚いた。何十年も前の過去の栄光を繰り返し聞かされた。
逆に若いアルパインクライマーは、山という課題に向き合わず、先輩にルートに連れて行ってもらって金魚の糞をするタイプと、自分の実力を過大評価して命を落とすタイプに極端に分かれるようだった。どっちもきちんと山という課題(現実、リアリティ)に向き合っていないということは同じだった。解決法が他力本願か無策かに極端なだけ。
そして、フリークライミングに来たら、今度は劣等感まみれの人達と会うことになった。というのは、フリークライミングって頑張っても頑張っても上があって、頑張りを認めてもらえない世界だからだが、そうなると必然的に劣等感まみれになる。だから、同じように劣等感にまみれていない人をイジメることになっていた。これも驚いた。
たまーに楽しそうな人がいるんだが、今度は現実逃避の人たちで、要するに大人になる(霊的に高まる)ことに背を向けた人たちだった。こうなるとグレードも成長しない。
もっとたまーにどれでもない人がいて、老朽化したボルトに警鈴を鳴らしている人がいるんだが、自ら苦難を招いて自作自演の苦悩を演じているとしか思えず。嫌なことは精神衛生によくない。自己犠牲は良くない。
なんだかどれも、霊性の道とは、おもえなかったんだよなぁ…
■ 霊性の道
山に登って、あるいは、クライミングなどの、”なにかを追及する活動”をして、霊性を高めていかなかったら、一体何をしようって言うんです? いや、人生にも例えられることの多い山登りをして、霊性が高まらないっていうのなら、一体ほかのどんな活動が高められるって言うんです?
というので、ここ4年ほど、疑問なのだった。私の九州時代はフリークライミングへ失望する現実を積み上げた時代です。