■ 壁は 100万、1000万、1億
クライミングが高じると、練習用の壁が欲しくなるわけですが
個人宅レベル 100万円
ボルダリングジムレベル 1000万円
国際競技レベル 1億円
ですね。
■ 1000万円あればスピードクライミングの壁は作れる
どうも、何も1億も要らないみたいですね…
■ 壁は 100万、1000万、1億
クライミングが高じると、練習用の壁が欲しくなるわけですが
個人宅レベル 100万円
ボルダリングジムレベル 1000万円
国際競技レベル 1億円
ですね。
■ 1000万円あればスピードクライミングの壁は作れる
どうも、何も1億も要らないみたいですね…
■クライミング教育の機関がない
九州内にはきちんとしたクライミング教育を行っている確立した機関が一つもない。
東京であれば、都岳連が、大阪であれば、府の岳連が、あるいは長野であれば、長野県山岳総合センターがある。が、そういうものがないので、白タクとかと同じことになっている。
■失礼で有名なオヤジと遭遇
先日、登山口で、予想外に車が多く混んでおり、私が最後の一台のようだった。詰めれば、あと3台いけそうだったので、キチキチに詰めて止めた。私は人を待っており、後一台止めたかった。
すると、違う車が来てしまった。「ごめんなさい人を待っているんです」と隣を避けて止めてもらおうとしたら、そのドライバーは「早い者順たい!」というので、まぁ仕方ないと泊めてもらったら…なんと明らかに嫌がらせで、私の隣に1mものスキマを開け、次の人が止めにくくした。「もう少し寄せれるから寄せてください」というと、私に詰め寄って、嫌だという失礼な人だった…。嫌な理由が、最初に「人を待っている」と言われたからなんだそうだ。なんでそれでそのおじさんが怒ったのか意味不明。誰だってあと一人来るというときには、そう言うだろうからだ…。
私の同行者が到着したら、車があと2台だった。どうも私の同行者たちとも、その隣に止めたおじさんは、過去にひと悶着あったそうだ。ローカルでは、失礼で、傍若無人な人、として知られているみたいだった。同行者を見るなり、態度を小さくした。九州の人はこういう人が目につく。言いやすい女性にだけ文句を言ったり、いちゃもんつけをしてくる男性、ということだ。態度を改めたということは、自分の方が悪いと分かっていてやっていたんだろうなぁ…私が女性だからということで。つまり、弱い者いじめ体質ってこと。
この人は、それだけでなく、ある岩場で、ガイド資格があるわけでもないのに、人からお金を取ってガイドもどきのことを行っているそうだ。自分はリードせず、パートナーの女性にリードさせてロープを上げさせているらしい…。
青ちゃんは、大阪労山登山学校の先生だったのに、教えてもらっても、無料だ。私が最後にあった大阪では、会に教えられる人がいないからと言って、男性を預かっていた。そんな、青ちゃんみたいな人がいる一方で、何も証明するような過去の実績を示すことができない人が、その判断能力がない初心者や素人の足元を見て、3000円もの額を取っているらしい…。まったく世も末、とはこのことだ。
押しが強いだけで、きちんとしたことを教えることができないクライマーとか、
クライミング技術を分かってもいないのに人を集めるのだけが上手なクライマーとか、
に人が集まってしまい、結果、何も教わっていない状態でクライミングしている人が増えてしまっている、というのが現実ということだ。
クライミング教育=ロープワーク&危険予知の訓練、
であることをほとんどの人が分かっていない。
クライミング教育=ムーブを教えてもらうこと
になってしまっている。
ムーブというものは、個人個人の体格でだいぶ違う。背の高い人のアドバイスや、握力が強い人のアドバイスは私には何の役にも立たない。だから、ムーブは、自分で工夫して見つけていくしかないものだ。
■ どういう現実として現れるか?
(教える人がいない)&(ムーブがクライミング技術だと誤解している)ということが
どういう現実に結び付くか?というと、
・危険予知ゼロで、落ちてはならぬところですぐ落ちて、
・ムーブ解決力なく、すぐビデオトポを見たり、人に聞いたりする
というクライマー像という結果に見事に結実している。
起きていることはすべて起こるべくして起こっていることなのだ。普通の人は、きちんと教えなければ、何かを学習したり習得したりすることはできないのだ。一般的には。
■ ワールドカップ優勝
昨日は樋口先生の息子さんがWCで優勝というニュースを聞いて、
先生の偉業
ああ、そうか。最後に師匠青ちゃんで起こったことは、ママが私にしたことか…。
子どもが自分のやりたいように生き始めると怒るってやつ。青ちゃんがまだ未熟な私を韓国に連れて行ってくれたのは本当の事だが、韓国で韓国人クライマーに誘われるようになるとモーレツに妨害行為をするようになった。最後は私を外国に置き去りにして、一人出て行ったんだが…
母も同じで私が15歳で高校交換留学の話を持っていったが私は海外に出してもらうことができなかった。
当然、私は本当に愛されているのか?という問いがグルグル回ることで、活動に集中できなくなる。
自然農の仲間は素晴らしい。椎葉村に行くのだから、もう仲間じゃない、という態度をとる人はいない。もうみんな、行ったら何を植えたらいいか?ということを一緒に考えてくれる感じだ…。
翻って樋口先生だが…教師をしているから子供の育て方がよく分かっているという優位性はあると思うが、どう考えても明らかに他の親と違う。
■ 天才は作れる
クライミングは、非日常の動作なので、幼少期からの習得でレバレッジが効く。つまり、天才、は作れる。木村さんの本にもそう書いてある。
それでも、2世ともなると天才を作ることに成功する人より、失敗する人の方が多い。元祖天才は、室井登喜男さん。ノーマットスタイルのハイボルダーという桁違いのリスクのスタイルで有名な方だ。室井さんは例外的なくらいで、大体の親は、子供を天才にするのは失敗している。
樋口さんは、子供のクライミングは高校であってもされているので、その秘訣というのをいつか聞いてみたい。
■ ”肉体の強度の割に運動強度が強すぎることをしている”
と今日は屈強な逆三男のパーソナルトレーナーに指摘してもらって、ホントにそうでしょ!!と、”ですよねボタン”を何度も押してしまいそうでした…
私に肉体は、いくら鍛え始めたと言っても、38歳から、ですからね~。まぁ、ふくらはぎは雪山を歩荷して歩いていたわけですから、それなりにガッツリありますが、スポーツクライミングや外ボルダーにとって、アルパインで鍛えた重たい下半身は、何のメリットもないですからね…いくら山をやっても、鍛えることにならないのが上半身ですから…
なんで、そんなこともみんな分からないのかなぁ…。ホントにちゃんと山やってる人たちなのかね?
それで、怖いのはおかしいとかって、チキン呼ばわりされても…って感じでした。今日は柔道出身のスポーツトレーナーに、自分の感情の裏付けを貰ってガッツリ納得しました。
■リハビリトレ
膝をやったあと、本来は、リハビリの筋トレをしないといけないのに、整形の先生たちは、老人に対するのと同じ、日常に支障がない、ってだけしかしてくれなかったので、すっかりフレイル化しているんですけど…誰も今まで分かってくれなくてホント嫌でした。
青ちゃんですら、私というリハビリに気長に付き合ってくれるパートナーがいたのに、私には、誰もいないんですよ???
ああ、私ってパートナーに恵まれず、かわいそう!
なんで日本でベアフットクライミングが普及しないのか?
と思うと、日本では、アルパインクライミングの価値観で成立しているフリーの岩場(つまりランナウトが核心という意味)が、ほとんどなので、フリークライミングの標榜する、”どこで落ちても大丈夫”、が形骸化している、ということがある。
ベアフットでさらに落ちやすくするとなると、ランナウトが当然の日本の岩場ではクライミングシューズを履いていたとしても、落ちることなど許されない。さらに落ちやすいなど、とんでもない、ということになる。
というので、ベアフット
クライミングが普及しない理由を挙げたが、逆に言えば、ベアフットクライミングが普及することは、日本のクライミングの弱点を乗り越えることと繋がるわけなのである。というので、ベアフットクライミングに必要な岩場の要件をまとめる。
1)歩いてトップロープ支点に到着できる岩場であること
ベアフットは落ちやすいわけなので、ランナウトした岩場のリードでしかロープを張れない岩場だとリスクが高すぎる
2)そこそこ段差が楽しめる
これまで「現代のフリークライミングの水準からは楽しめない」とされていたような岩場は、段差も多く、歩きの延長のクライミングで楽しめる。完全にオーバーハングのボルダーなど、そもそも足の出番が少ないクライミングではない、いままで易しすぎて顧みられなかった岩場などが適切かもしれない。往々にして、アルパインの岩場、と認知されている。例えば山梨であれば、”西湖の岩場”。
3)静かな岩場
人の少ない岩場ということだ。基本的に物珍しいクライミングであるので、奇異の目にさらされるよりは、そうでないほうが集中できるだろう。
同じアルパインの岩場でも、知名の”三つ峠の岩場”より、無名の”西湖の岩場”のほうがベターだという意味だ。
以上の条件を満たすと、とりあえずは、人気の小川山などではなく、忘れさられたような、昔の山岳会の新人が初めての岩登り、などで使ったような、5.9以前、つまり、鎖場の4級みたいな岩場が適しているとなる。関東なら、広沢寺とかそんなところである。
■ そもそもクライミングシューズってエイドなんじゃないの?
現代のグレードの高騰具合はすごいんだが… ボルダラーの男子たちは、チョークさえも、”本気チョーク”などと言って滑りにくい高級品に投資しているようで、そもそも、
フリークライミングの”フリー”って
道具を使わないって意味
だということが忘れ去られて、たかだかチョークに大枚を差し出すような時世になっている…つまり、本質のところが忘れられ、相変わらず、道具に頼ろうという姿勢が主権を復活してきているということもある。チョークですらそうなのだから、クライミングシューズは、もっとすごいことになっていて足に合うとか、そういう進化ではなく、エッジングしやすいとか、クライマーの能力の不足を補うような方向に進化している。
ま、誰でも分かることだが、”フリー”(道具からフリー)とは真逆の進化方角なんだな。
なので、ベアフットクライミングは、まぁ今のところ、クライミング界ではゲテモノ扱いの類なんだが、よくよく考えれば、
”クライミングシューズというエイド手段からフリーになった、本当にフリーなフリークライミング”
と言えるわけなんであるから、なんで日本で普及しないのか?というと、まぁ、今のクライミングブームが、”ミーハー”の域を出ていないだけの事だろう。
というわけで、ベアフットクライミングは、本来のフリーに立ち返る、という意味では、
がつん!と喝!
みたいな意味合いがあるクライミングである。
みんな、やってみてね!
今まで簡単すぎて利用者が少なかった岩場も利用価値が出てくることだし!
■ 膝が痛い
亜脱臼した膝が痛い。整形も行ったし、鍼も打った。
自分で治すには歩くしか治す方法を知らない…というので、新しい方法論を試そうと、マンサンダルを試してみることにした。
■ マンサンダル
マンサンダルは、ワラーチと似ているが、基づいている理論が違う。ゆるふわりん、ということだった。パラコードとビブラムソールで作るが、紐で締め付けるのではなく、足裏とソールは密着はしない。
今回はそのテスト歩行が目的。あんまりシビアでない道で人目を気にしないで良い場所が良い。
■ 久しぶりの油山
今日は朝から素晴らしい晴れで、背振の稜線が私を誘ってくる…というので、背振山へ続く車谷登山道をルンルン気分で歩こうと思っていたのに、なんと雨で林道が崩れているそうで歩けなかった。林道途中で、先行していたおばちゃん登山者にとても歩けないと教えてもらった。
ならば、というので、花乱の滝コースに転身したら、こっちも駐車スペース、せま!林道悪!というので、滝を見て納得してから、とっとと脱出して、通いなれた油山に転進した。
なにしろ、今は夏。北面で沢沿いなら歩いてもいいけど、稜線とか、南面とか歩く気になれない。その上、歩こうというモチベーションがマンサンダルのテストだから、余計な心配がない場所を選びたかった。
それで出だしに時間がかかってしまい、せっかく早出したのにスタート10時以降…早良更生園の人が駐車させてくれてありがたかった。入口の土嚢の高さがアップしていたので、無理に入るのがためらわれたため。
油山川の岩場の開拓者、米澤さんと通った岩場は、油山にあるので通いなれた道だが、心配だったのは、壊れた古い林道の染み出し…。いつも小川のようになっているからなぁ。案の定、マンサンダルで歩くにはイマイチだったが、まぁなんとか。
この道を歩く用事はクライミングくらいで、夏はクライミングに向かない時期だ。というので、人通りが絶えたようで、やぶが閉じかけていたので、次回は鉈を持って行かないと誰もホントに来なくなってしまうかもしれない。
油山山頂までは結構険しく、やぶ蚊にやられながら、頑張る。ロープもかなり出ているが、こんなとこにいるわけない、みたいなところ。一般ハイカーの人が困る傾斜と山やが困る傾斜はだいぶ違うからなぁ…。
山頂ではおばちゃん登山者たちが、物珍しそうに私のサンダルを品評会。おばちゃんたちがしたい山は、おしゃべりの親睦だから、マンサンダルは関係なしだ。”あなた、物好きね~”という感じ。
その後、荒平山へ縦走したが、荒平山への道の方がうんと歩きやすいので下りのほうが楽勝だった。途中に新しいベンチが設置されていた。
下りは、読図ができれば、安心な、上級者向けコースをたどるはたどるが、テープもあるし、まぁ誰か一度歩いたことがある人は大丈夫だろうと思う。森に帰りつつあるし、渡渉が3回くらいある。一度盛大に濡らしてしまい、サンダルが中で滑るようになり歩きにくくなった。渡渉点では、このところの雨で、山腹から流されてきたのだろう、打ち捨てられた間伐材が折り重なっていた。
山では、白いキノコが出ていた。長雨の後の晴れなので、もっとキノコたっぷりかと思ったのに、そうでもなかった。あとで調べたら、シロオニタケというキノコで、食べれないらしい…。残念。野生のキノコ食は九州では盛んではない。もっと美味しいシイタケが楽にできるからなぁ…。
今日は、とにかく、歩かれていない下界の里山道で、クモの巣とやぶ蚊との格闘…。久しぶりに、汗で臭くなって山を降りた。
■ 荒廃の原因は無関心 無関心の原因は自分への関心
…この道は、もはや登山道とは言えなくなってきているかもしれない荒廃具合だよなぁ…
駐車までのアプローチの途中にも、耕作放棄された畑や田んぼがそこかしこに見える。
森林限界、ならぬ、集落限界が下がって来ているんだなぁ…。
わざわざ椎葉村くんだりまで行かなくても、余っている土地は、福岡市内の自宅から30分のところにこんなにいっぱいあるのに、都会ではまだ、”奪い合いの資本主義社会”だから、そこに稲作をしたり、畑作をしたりすることは許されない…。誰も使っていないから、使っていいよ、とはなれないのだ…。欲が先行しすぎて。
林業という目で見ても、油山は、近郊だから枝打ちはされているが、適当なサイズに玉切りされた間伐材は、山から持ち出されずに、打ち捨ててある。そのため、今度の長雨でだいぶ流れたみたいだった。
堰堤類もほとんど土砂で埋まっているから、流れを緩和する役目は果たしても、もはや貯水能力はほとんど果たしそうにない。
山をやって、山を見る目が養われるということは、ある意味、見た景色から色々なことが読み取れてしまうということで、辛いものだ…。
クライミングをしていてクライミングにしか興味がないと、ロープドラッグで登れなくなるということに気がつくのにすら10年かかる。
だから、山の荒廃に気がつくようになるには、ほとんど無限に時間がかかるだろうと推測できる。つまり、我こと…エゴに囚われた人間は周囲の環境変化に、ほとんど気がつかないで過ごせてしまうということだ。
朝から沢で癒されたのが収穫だった今日の山。
一見ネガティブに見える膝の亜脱臼だが、このようにして、人としての充実や多面的な視野を与える機会となる、ということなのだろう。膝を悪くしなければ、マンサンダルとの出会いもなかったであろうと思うから。
昔に自分で書いた記事がFBからアップされた。自分でもよい内容だと思ったので、あげておこうと思う。これを読んで、誰かほかの人の”登れる判定”で登らなくて良かったと思った。
何が登れて何が登れないのか? あるいは、何を登りたくて何を登りたくないのか?それを決めることが自己責任、ということだからだ。
一般に
アルパインクライマー=登れるところを登るのが自己責任、であり、
フリークライマー=登れないところを登りたいと思うのがクライマーに足る情熱ある態度
とされている。その混乱が日本では見受けられ、アルパインの流儀でフリーのルートが開いてあって、フリーしか知らない現代初心者クライマーを危険に陥れている。多くのクライマーはそこを理解するのに時間がかかるので、一定数が事故ったりなんだりで亡くなっている。
■他者評価と自己評価
私が自分で思っている登れる感(自己評価)と師匠が思っている登れる感(他者評価)が、大幅に違うので、そこに少しリスクを感じています。
例えば、アイスですが、私はまだ醤油樽の滝のリードも終わっていないのに、相沢55mのリードが来て驚きました…
一応、断っておくと、先輩や師匠と言うものは、登れる!と思わない限り、後輩にリードを勧めないものなので、55mリードできると思ったんでしょう。
一方で私が満足したリードは広河原沢の中央ルンゼに行ったとき、勝っちゃんのビレイで登った滝。4級でそんなに大きくない、たぶん20mくらい? ロープだいぶ余ったので。
上手にロープの流れを作ってリード出来たよな~と自画自賛中でした(笑)。大した滝でないので、シラケた顔してたよなー 青ちゃんは。
乗鞍の滝に行ったときも、こんなの、何がいいの~くらいなノリだったよな~
というので、安全マージンというか、何に達成感を感じるか?というのは、
初心者は先輩が思うより、すごく小さくても、しっかり達成感
なのかもしれません。私は10m→20m→30m→40m→50mと成長していくつもりだったというか、それが死なないための秘訣だと思っているので、10m→50mになると、喜ぶというより、”んなわけないじゃん!”という反応です…すいません。
先輩に、「その場合は楽勝そうに登ったらだめだよー」と言われたんですが、アイスって、登るための苦労の90%が、スクリュー打ちなので、それがないトップロープだと誰でも楽勝モードっぽい登りになってしまいます。
ので、私は疑似リードがしたかったのですが、それはできなかったので、いつまでたってもリードに必要な技術が身につかないということに…
岩に置き換えると、やはり、クライミングの初期から、5.6でいいので、リードしてプロテクションやランナウト等を学びつつ、傾斜をきつくして困難度を上げて行くのがいいのかなと思います。登攀距離は自然に伸びると思いますし…
大変なのは、フェイス、スラブ、ハング、クラック、ワイド、とタイプの違うクライミングのすべてで、それをやって、苦手の部分がないクライマーになることで、一般に現代クライマーは、フェイスやオーバーハングは人工壁で登れるので得意で、スラブやクラック、ワイドは下手くそになりがちだということです…
苦手克服には、簡単なところから
登れる自信&落ちない自信
を積み上げるしかないんですが、土地柄や環境に左右されます。
■ 日本にもグリーンクライマーズホームを
”登ってさえいれば後は質素な暮らしで十分…”、そんなグリーンクライマーズホームに感動して早4年。
日本版グリーンクライマーズホームを作るという夢は、非常に遠い。
とはいえ、ココは日本、歴史が長い。人々のクライミング認知も低い。いたし方あるまい。
■ 日本では首長の理解次第
私のストレングス(強み)の中で最も強いのは、戦略性、という資質で、その資質によると、日本では、トップを巻き込んだ、つまり、
鶴の一声
がないと何も動かない…。私の三井物産時代の経験もそう告げるし、実際に最近見聞きしている事例、例えば、学校給食のオーガニック米導入にしてもそうだ。
もっと簡単な例でいえば、自転車を観光用途にプロモーションする地図作り、というような簡単なこと…ですら同じで、阿蘇の方では素晴らしい地図を見かけたが、どうもあれも、ほとんどトップダウンの作りだった…。
日本では、市井の人々、つまり、ボトムアップで、何か整合性が取れ、社会の変化に適合するようなものを作るのは難しい。
のは、市井の人たちが小さなこと…メンツだとか、各県の競争だとか、そういうものに目を奪われ、大きな目標(大志)を抱きにくいからだ。ここに来るコメントでも、そういう小さな視野に囚われているものが多い。
教育もあると思う。日本では、藩校制度の名残で、最初から公共の視野でモノを見る癖があるエリート教育と、そうでない自分の事だけを考える一般教育に強烈に分かれてしまっている。
大学に進学するような、限られたエリート教育を受けた、視野の広い人たちの資源は、一般の人たちの利害調整…メンツの調整、に割かれて、肝心の大局をどう動かすべきか?と言う思案に使えない。時間も能力も。そこに日本のアキレス腱がある。
■成り行き任せ
クライミングで言えば、
どういうクライミングがそもそも皆にとって望ましいのか?
という発想ができない。だから、成り行き任せになる。クライミングで当然知っているべき、結び替えも教えずに、終了点ロープ直がけで降りてきなさい、というようなことになってしまい、終了点は痛む、コストはかかる、交換する要員はいない、という悪循環が始まる。
それを分かっている老年のクライマーは黙々と残置ビナ交換に励み、若い方は何も知らずに間違った技術を使いづづけ、結論としては、日本の常識=世界の非常識、となる。
■ 目の前のことに翻弄される
望ましい未来の姿が分からない、となれば、即席で得られる喜びを得ることに終始するのが人間だ。
一般社会生活なら、とりあえず食える、こと。クライミングなら、グレード競争。
単純なものさしによる、単純な勝利に簡略化される。
しかし、考えてもみたまえ。1000人のクライマーがいれば、そのうち勝者は1人の世界なんですよ?まぁ、金、銀、銅のせいぜい3人しか幸せにしないシステムで、残りの999人は、”挫折と敗北”を味わうことになるシステム…そんなところで勝負したいですかね?
そこは改めて考えることが無くなるわけだ。特にクライミングは、体重や身長でのグレード区別もなく、老若男女を一列の序列に並べているだけのため、基準自体、ものさし自体が公平でない。
誰でも分かることだが、手が届けば5.9、届かなければ、グレードはいくらでも困難化する。
そんな、そもそも公平でもなんでもない基準で、自分が最下位でないことにホッとしたところで…だ。特段に優越…真の意味での…をもたらすわけではない…。たまたまの偶然で自分に優位性があった、ということだからだ。真の自信や自己信頼にはつながらない。もちろん、自分の中の基準で成長幅に感動するというような喜びはいつでもあるのだが、それにはグレードはほとんど役立たない。
ので、裏を返せば、そこで敗者に分類されたからと言って特に何も意味しない。
■ 戦略1
私の最も強い資質…戦略性という資質にとっても、日本にグリーンクライマーズホームを作るという夢は、かなり困難だ。そして深淵なる戦略が必要だが…
現在のところ、
1)地域おこし協力隊の職枠を使い、各地の岩場による地域起こし事例を増やして、岩場の認知を高める、のが良いのではないか?
と思う。
理由としては、
・日本ではクライミングは、過去50年間、市民権を得ていなかった
ので、
・地域の人すら岩場の存在を知らない
で、
・クライマーはコソコソと勝手に岩場を登ってきた…
だが、
・オリンピック種目にもなったことだし、どこでクライマーは登っていたの?っていう話で、実は〇〇という地域では各県からクライマーが集まって登ってきたんですよ…と、地域の首長らに、
カミングアウト
しても良いのではないか?と思う。それが地域の振興につながるのだったら…。
(正直、地域振興につながらないで、ただの迷惑につながるという事実があるから、今まで隠れてコソコソしてきた訳だが。これは今までクライマーたちは、いかに国内資源にフリーライドしてきたか…ということなんだが…。これは元を正すと長くなるので割愛)
というわけで、日本は、グリーンクライマーズホームの建立に至る以前に、何歩も前段階にあるわけである。
残念ながら…えーそこから~?!というような状況であるわけだ。
■ ターニャの冒険譚
ターニャたちの素晴らしいラオスでの冒険が、本にまとめられたそうである。
これは、本のホームページを日本語に訳したもののスクリーンショット。現代ではグーグル翻訳でここまで読めるので、別に私のような高度な英語力はイラナイ。普通の人でも、誰でも簡単に情報を得ることができる。