2021/08/30

ターニャの冒険譚とその日本版の冒険の進捗

■ 日本にもグリーンクライマーズホームを

”登ってさえいれば後は質素な暮らしで十分…”、そんなグリーンクライマーズホームに感動して早4年。

日本版グリーンクライマーズホームを作るという夢は、非常に遠い。

とはいえ、ココは日本、歴史が長い。人々のクライミング認知も低い。いたし方あるまい。

■ 日本では首長の理解次第

私のストレングス(強み)の中で最も強いのは、戦略性、という資質で、その資質によると、日本では、トップを巻き込んだ、つまり、

鶴の一声

がないと何も動かない…。私の三井物産時代の経験もそう告げるし、実際に最近見聞きしている事例、例えば、学校給食のオーガニック米導入にしてもそうだ。

もっと簡単な例でいえば、自転車を観光用途にプロモーションする地図作り、というような簡単なこと…ですら同じで、阿蘇の方では素晴らしい地図を見かけたが、どうもあれも、ほとんどトップダウンの作りだった…。

日本では、市井の人々、つまり、ボトムアップで、何か整合性が取れ、社会の変化に適合するようなものを作るのは難しい。

のは、市井の人たちが小さなこと…メンツだとか、各県の競争だとか、そういうものに目を奪われ、大きな目標(大志)を抱きにくいからだ。ここに来るコメントでも、そういう小さな視野に囚われているものが多い。

教育もあると思う。日本では、藩校制度の名残で、最初から公共の視野でモノを見る癖があるエリート教育と、そうでない自分の事だけを考える一般教育に強烈に分かれてしまっている。

大学に進学するような、限られたエリート教育を受けた、視野の広い人たちの資源は、一般の人たちの利害調整…メンツの調整、に割かれて、肝心の大局をどう動かすべきか?と言う思案に使えない。時間も能力も。そこに日本のアキレス腱がある。

■成り行き任せ

クライミングで言えば、

 どういうクライミングがそもそも皆にとって望ましいのか?

という発想ができない。だから、成り行き任せになる。クライミングで当然知っているべき、結び替えも教えずに、終了点ロープ直がけで降りてきなさい、というようなことになってしまい、終了点は痛む、コストはかかる、交換する要員はいない、という悪循環が始まる。

それを分かっている老年のクライマーは黙々と残置ビナ交換に励み、若い方は何も知らずに間違った技術を使いづづけ、結論としては、日本の常識=世界の非常識、となる。

■ 目の前のことに翻弄される

望ましい未来の姿が分からない、となれば、即席で得られる喜びを得ることに終始するのが人間だ。

一般社会生活なら、とりあえず食える、こと。クライミングなら、グレード競争。

単純なものさしによる、単純な勝利に簡略化される。

しかし、考えてもみたまえ。1000人のクライマーがいれば、そのうち勝者は1人の世界なんですよ?まぁ、金、銀、銅のせいぜい3人しか幸せにしないシステムで、残りの999人は、”挫折と敗北”を味わうことになるシステム…そんなところで勝負したいですかね?

そこは改めて考えることが無くなるわけだ。特にクライミングは、体重や身長でのグレード区別もなく、老若男女を一列の序列に並べているだけのため、基準自体、ものさし自体が公平でない。

誰でも分かることだが、手が届けば5.9、届かなければ、グレードはいくらでも困難化する。

そんな、そもそも公平でもなんでもない基準で、自分が最下位でないことにホッとしたところで…だ。特段に優越…真の意味での…をもたらすわけではない…。たまたまの偶然で自分に優位性があった、ということだからだ。真の自信や自己信頼にはつながらない。もちろん、自分の中の基準で成長幅に感動するというような喜びはいつでもあるのだが、それにはグレードはほとんど役立たない。

ので、裏を返せば、そこで敗者に分類されたからと言って特に何も意味しない。

■ 戦略1

私の最も強い資質…戦略性という資質にとっても、日本にグリーンクライマーズホームを作るという夢は、かなり困難だ。そして深淵なる戦略が必要だが…

現在のところ、

1)地域おこし協力隊の職枠を使い、各地の岩場による地域起こし事例を増やして、岩場の認知を高める、のが良いのではないか?

と思う。

理由としては、

・日本ではクライミングは、過去50年間、市民権を得ていなかった

ので、

・地域の人すら岩場の存在を知らない

で、

・クライマーはコソコソと勝手に岩場を登ってきた…

だが、

・オリンピック種目にもなったことだし、どこでクライマーは登っていたの?っていう話で、実は〇〇という地域では各県からクライマーが集まって登ってきたんですよ…と、地域の首長らに、

 カミングアウト

しても良いのではないか?と思う。それが地域の振興につながるのだったら…。

(正直、地域振興につながらないで、ただの迷惑につながるという事実があるから、今まで隠れてコソコソしてきた訳だが。これは今までクライマーたちは、いかに国内資源にフリーライドしてきたか…ということなんだが…。これは元を正すと長くなるので割愛)

というわけで、日本は、グリーンクライマーズホームの建立に至る以前に、何歩も前段階にあるわけである。

残念ながら…えーそこから~?!というような状況であるわけだ。

■ ターニャの冒険譚

ターニャたちの素晴らしいラオスでの冒険が、本にまとめられたそうである。

これは、本のホームページを日本語に訳したもののスクリーンショット。現代ではグーグル翻訳でここまで読めるので、別に私のような高度な英語力はイラナイ。普通の人でも、誰でも簡単に情報を得ることができる。


日本にグリーンクライマーズホームで見た、真に自由なクライミング、市民生活に根付いたクライミングが早期に実現されることを願う。