■ リスクフリーは退屈人生
20代のころから、ちょっと思っているのは、人生が退屈なのは、リスクがないから、ではないか?ということだ。
これはアメリカに行っても、そう思った。海外へ単独で出かけて、ゼロから生活を作ったことがある。
住むところを探し、銀行口座を開き、電話を買い、免許を取り、仕事を探す。全部、自分でするのだが、日本でするのとは大違い。
何もかもが難しい・・・。だが、日本でのんびり暮らすにはない、生きている実感、というものがあった。
自分の人生を作り上げている実感と言うもの。
なぜ、アメリカでは、”生きている実感”があり、日本では”ない”のか?
それは、リスクフリーだからである。要するに、日本は過保護すぎ、安全過ぎ、守られすぎていて、その上、さらに保身を身上とする生き方を当然のものと受け入れて、皆が生きている。
選択肢があれば必ず安全な方。であれば、これはまったく選択肢として成立していないのと同じだ。
その結果、退屈が蔓延している。
・・・ということに、9割の人が陥っている。毎日同じことをして、毎日平凡、使命感もなく、何のために生きているのだろうか?と自分の人生にため息をつく。
■ 登山 = 人生の縮図
私が登山を気に入ったのは、登山にはリスクがあるから、である。
リスクを取る、それが、そのまま、私の人生の縮図であったので、あんまり登山が難しいことはなかった。
リスクに対しては、避けるのではなく、それを具体的に知ろうとする、これがコツだ。
一般登山には、ごく正常で常識的な知性が備わっている人、体力が平均の人には、リスクはほぼない。
休憩したら反対に歩き出してしまうような、平和ボケ&天然の人もいるが、そういう人は、生き方が山に現れていて、人の後ろを金魚の糞のようについて歩く山をしている。
一人で歩けない。一人で歩く意思もないから、地図も持たない。そもそも精神的に自立が出来ていないので、一人前の大人であっても、メールの一つも打てない。挨拶一つきちんとできず、社会的にも個として確立していない。
このような人たちとは、一緒にいる方が山ではリスクで、あれがないとこれができない、とうるさいので、思わぬレスキューをしてやらなくてはならなくなるかもしれない・・・。
ガイド業をやる人は、よくやるよなと思う。子供をベビーシッターするのは楽しいが、大人をベビーシッターしなくてはならないなんて。
私はそんな選択肢取らないなって感じだ。
■ ヨセミテ
登山が気に入ったのは、自己責任で人生を歩んできた考え方をそのまま生かせるからだ。
私の子供としての経済的自立は早く18歳だ。これは母への愛情の証である。大学進学以降、1円も、母には出してもらっていない。
これは、私から母へ、あるいは後へ続く弟、妹への、姉としての愛情の表現であり、子育ての経済的負担に苦しむ母と、私同様に経済的には恵まれない立場である弟と妹への、平たく言えば、”口べらし”のための自立だ。
やってみたら、意外に簡単だった。もちろん、時間が大変だ、というのはあったが、それは他の人と同じだった。力が余ったので、ついでにアメリカくんだりまで行ってしまった。
その頃、私はヨセミテに誘ってもらったのだが、どうせベビーシッターさせられるのかなぁ・・・と思ったので、行かなかった。
その後、もう一度ヨセミテの誘いが来て、それは、碧眼のボーイフレンドのデイビッドと行くヨセミテだったが、仕事の都合がつかず、行けず終い。当時、84歳のメイおばあちゃんのお世話をしていた。無理しても行けばよかった。
それで、ヨセミテを断ったことを残念だと思っている自分に気が付き、後年、夫と結婚してから、再度、ヨセミテにでかけた。積み残し課題の消化だ(笑)。
とても楽しいヨセミテだった。
■ ウェリントン
その後、仕事で、1か月間ウェリントンに出かけた。総勢20人のエンジニアを連れて行く、副キャプテンのような立場で行ったのだが、リーダーが全く使い物にならない男性だったので、ほぼ私が指揮をとらないと行けなかった。
その証拠に、この仕事では客先のテレコムニュージーからヘッドハンティングが来た。私が私室へ招かれ、ヘッドハンティングされている姿を見て、無能のリーダーは、会社に私が秘密保持契約を守っていないと告げ口した。昼間っからビールを飲んで仕事をしていなかったのは、彼のほうだった。
まぁ、この件は不愉快な事件だったが、客先で仕事をしていると、誰の目にも誰がボスか、一目瞭然らしく、下っ端―ずのエンジニアの人たちは、私に仕事をもらいに来て、報告も私にしていたし、あとで感謝状みたいな言葉ももらったので、完全無視。
その男性の嫉妬もいたしかたないなと思った。何しろ、態度と図体が大きいだけで、必要な能力は何も身につけていない人がリーダーに祭り上げられているだけだった。英語も話せず、仕事も理解していない。職場経験の長さだけが買われていた。山岳会と似ている。
能力がないにも関わらず、責任だけがあって気の毒だと思った。が、多分、私がその次に備え付けられていた理由だ。上もそのようなことは見て取れるものである。私が見て取れたのだから。
まぁ、会社は帰国してすぐに買収されて解体されてしまったので、問題そのものも消失した。
何が言いたかったかというと、ウェリントンでは、インターコンチネンタルに1ヶ月泊まり、朝は波止場に散策に出かけ、そこで長ーいクライミングウォールを毎日見た、ということだ。
朝から運動している人は、開発チームでは私一人だった。
クライミングウォールを知らなかったので、何だろう?と眺めていると、そこのお兄さんが一度、「登ってみる?」と私に声を掛けてきた。
私はびっくりして、「No Way!」 と返事をしてしまった…
ウェリントンでは、店は17時に締り、スーパーは19時に締ってしまう。飲食店も20時くらいで締るし、仕事するだけの退屈な日々だったので、クライミングでも試してみたら良かった、と、今になって思う。
あのクライミングウォールの印象が残って、今リード壁しているような気がする。
この時は、ミルフォードトラックについても学んだ。バックパッカーが多い国柄なので、会社に飼われてる羊の身だったから、バックパッカーがとにかく輝いて見えたのかもしれない。
ウェリントンは30年前のイギリスのような感じらしかった。韓国好きの日本人が、韓国に魅かれるのと同じような感じなのかもしれない。
余談だが、オーストラリア、ニュージーランドは、ヨーロッパ、英国圏の人にとって、Iターン先になっている。東京から長野に移り住むように、スローライフを目指しています、みたいな人が多い。
■ サンフランシスコ
他にも外国は色々行ったが、主に仕事で、だ。数えてみたら10か国ほど。
外国には、以前は行きたいなと思っていたが、今ではあんまり外国に行きたい気持ちにはならない。
サンフランシスコは、私の心の町で住みたい。住むのでなければ、あまり興味がない。
ただ住むだけで良ければ、飛行機券を買って、一泊のホテルだけ予約して行けば、明後日にも生活が開始できるのを知っているが、そのような形で生活をスタートしても仕方ないと思っている。
住めればいいってわけでもないからだ。中身が重要だ。
日本のような、何もかもお膳立てがされて、ぬくぬくと生きて行ける環境で、自分らしく生きる、ということができない人が、外国で出来るわけがない。
私がソフトウェアエンジニア職を目指したのは、数年日本で仕事をしたら、またサンフランシスコに戻ろうと思っていたからだ。
当時、婚約していた人がいたので。ただ彼は待つことができず、日本に来てしまった。豊津。大阪の下町だったが、下町は人情味があふれる街なのに、日本社会に適応できず、困った結果になってしまった。結婚の予定も狂った。ので、私のサンフランシスコ行きは実現していない。
が、そもそも実現しなくて良いから与えられないのかもしれない。
今与えられているのは、クライミングとヨガで、それを頑張るべしなのだろう。
前もこのようなことはあり、何かを頑張っていたら自然と運が開けるものである。
■ 女性の強み
小さいころ、弟と一緒に並んでいることが多かったので、よく男の子と間違われた。
さらに、小中高と、先生たちには「お前が男だったらなぁ・・・」とよく言われたものだった。母もそう思っているらしかった。祖母もそうで、常に女の子であることを残念がられたように思う。
でも仕方ないじゃんね。生まれ持った性は、変えることができないし、変えることができないものを嘆いても、無駄だ。
子供のころは、大人の嘆きを理不尽に思うだけだったが、社会人になって、世の男性たちの実像を見るにつけ、私自身も、かつての周囲の大人がそういう感想を持ってしまうのを理解するようになった。
例えば、私はロボット開発部が最初の職場で、ロボットを操作するには1週間の講習を受けないと触ることさえできないのだが、1週間の内容を3日で終って、講師には、「今まで1000人くらいに教えたが、1番か2番くらいに覚えが早いから自信を持って取り組むように」と言われた。そんなに難しい講習ではなく、これまでの講習生はどんな人たちだったんだろう・・・と思った。
大学の頃は、一昔前のフェミニズム的な成功した女性像を私に求める人も多く、辟易させられたのだが、あんまり、そうなりたいとも思えない。あんまり楽しそうな生き方に見えない。闘争的な生き方だ。
とはいえ、私もそういう生き方をした時期があった。男性並みに有能であることを証明しないといけない、と感じさせられる職場もあり、市場調査の職にある時は、周囲に脅威を感じていた。まわりはみなすごい学歴で、イギリスの大学院帰りとか、コロンビアユニ卒とか、で萎縮した。
でも、女性には女性しかできない役割があるだろうに、なんで男性と張り合わないといけないのだ?と思う。
ので、強みを生かした道は模索中。山ではロングな山歩き。クライミングではイマイチ分からない。
■ 5.11
クライミングのグレードについても、頑張れと発破かけられると、「ああ、めんどくさいな~」とそういう気持ちになる。
クライミングは、強い男性は強いので、同じように強い女性がいても、役割分担にならないじゃないか。役割の取り合いになってしまうだけだ。
ある一点のグレードへの到達で見ると、男性が到達するのに必要な努力と女性に必要になる努力では、倍以上の開きがあり、そのような負け戦をしたいとは思えないのだ。
それは強みを生かす道ではない。
それにそもそも、時間的に短時間で、到達してしまうこと自体が、味わいにかけ、面白みに欠ける。
ただ
5.11というのは、男性・女性関係なく、山ヤの最低限ラインな気がする(その辺はベテランが知っている基準だと思うが・・・)ので、そこまではいかないといけないな、とは思っている。
5.11へ到達するのに、男性なら指の強さや腕力の強さを生かすだろうし、私はそれらは生かせないから、
ムーブの巧緻性を利用する以外ない。
でも、この先20年も山をやるのだから、急いで達成してしまうと、やる山が自体が無くなってしまうかもしれない・・・。と危惧している。
■ 強みを生かす
山でも山でなくても、担いだり、危険個所を突破したりは、男性の仕事で、女性である私の強みを生かした仕事とは思えない。
だからと言って、私の分まで担いでもらおうとか、自分が突破できないところを突破してもらおうとかは思わないが、どっちがやった方が効率的か?とみると、要救助者が出たら、私が背負うより、男性が背負い、私が先導した方が効率が良いのは目に見えている。
クライミングのパートナーシップにおいて、女性の私はどんな役割を担うの?と言われると、強みを生かした役割は何か?と頭を抱えてしまう・・・が、以前の上司は、
私とだと男性の部下とよりも、仕事が大変やりやすいと言ったものだ。
同行者のリクルートには、女性のほうが向いているような気がする。これまであまり同行者が切れたことがない。男性同士だとつい競争してしまうが、女性はそうした緊張の場を和ませる効果がある。
とは言っても、私固有の強みではなく、女性なら誰でも、というような話だが。
女性がパーティに混じると、雪崩遭難にあう危険が増すと言われている。つい良い恰好を見せたくなる男性心理がその理由。
というわけで、
鎧兜を脱げる間柄、であることが、男性女性が組んだときには必要なことなのだろう。