■ 大学山岳部が伝統的なスタート
大学山岳部の顧問をされているオールドクライマーと登っていて、色々と気が付いたことがあるのですが、そのうちの最大のものが、
登山の本が暗黙の前提としている初心者像が18歳男性学生
ということです。実際には、登山が一般大衆のものとなり、一般社会人がアルパインクライミングへ進む時代は、かれこれ30年ほど続いているようですが、それでも山の本の記述が成人した社会人(の体力)向けに書き換えられることはなかったのではないか?と思います。
まぁ大方の社会人が1,2本の初級ルートを経て、「ん?これは変だな」と気が付くためと思いますが…。
そして、気が付いた大体の人は、「家族もいるし、自分だけの命ってわけじゃないからなぁ…」という理由でフリークライミングのほうになると思います。
■ 大学山岳部も低体力化
大学山岳部顧問をされている方によると、昨今の大学山岳部ですら、過去の新人と比較すると、体力低下が著しく、危なくて、昔の新人にさせたことはさせられないそうです。
その原因は山行日数の低下に求められるのだとか。なるほど、ですよね。山に入る日数がかつては120~30日だったものが、昨今の学生は、50~60日だそうです。
それでは、高度な山をするのに必要な体力が培えないし、経験値も増えないということです。
若くたって、慣れを作るのに必要な時間は同じなんですよね。一般に1万時間の法則と言われます。
■ 社会全体のゆとりのなさが反映
全体に学生を含む一般社会人、労働人口に当たる人たちの山行日数が減っているのは、日本社会がゆとりが無くなったということらしいです。
山で一番人口が少ないのが40代かもしれませんが、非リタイヤ組の人口は大変少ないです。
最大多数が65歳以上の高齢者なので、その人たちの意見が山に反映される傾向にあり、コースタイムの記述は、本州では大幅増にすでになっています。
その65歳以上向けに書き換えられたコースタイムの8割で歩けたところで、普通の体力ですので、本州にいる場合、体力がある、と誤解しないようにしないといけません。
九州は書き換えが行われていないようで、全体にコースタイムは辛めです。本州に対する競争心のため、登攀のグレードも辛めなので、結果として、九州育ちのクライマーや登山者は強いということになっているかもしれません。特にもろさについては、阿蘇のほうが滝谷より、うんと脆いそうです。
■ 何を目指せばいいのか?
上記のような理由から、アルパインへ進む人は目標の設定がしづらい環境条件下にあります。
一般登山は、混雑ですし、本格的がつく登山をする方というのは、山小屋泊というのは、そもそも考えられないことが多いです。
となると、夏は閑散期となりますが…。沢登りなどのバリエーションのうち、比較的易しい山からスタートするのが適した山となるでしょう。私も沢をスタートする際は苦労しました。マスターしてしまえば、もはや大したことではないのですが…。沢もリスクは難易度次第です。
アルパインの人はクライミングは、基礎力養成、練習の場と位置付けていると思いますが、そのような人にとっても、夏のクライミングは条件が良くなく、暑いだけで得るところが少なかったりもします。とはいえ、夏はトレーニングには適期です。
トレーニングの場としては、夏こそ涼しいインドアクライミングが適しているようです。バンバン落ちて、バンバンキャッチする経験を積むにはインドアに行くしか、経験値を積み上げる方法がありません。
が、一般には発想転換が難しいようです。インドアでもリード壁があるところへ行かないと意味がありませんしね。スポーツクライミングのメリットを生かすということで言えば、やはりビレイの習得です。
沢やでもアルパインの人でも、ビレイを習得していない人は落ちないことを前提にビレイしており、墜落したボディを谷底で見失わないためのロープ&ビレイになっていますが、スポーツクライミングおよびフリークライミングでは、墜落は前提です。ほとんど毎回落ちるまで登るのがルールって感じです。
そこの切り替えができないと、延々と落ちれないビレイで登らないといけなくなります。
結局、夏はそうすることがない閑散期、となるので、大体の人は山小屋に働きに行ってしまい、それでちょうどよく山の世界が成り立っているという現状もあります。
夏は連泊のテント泊をして、生活技術を磨くのも一つですが、それは沢でさらに上級編ができますね。
■ アルパインクライミングの質を吟味できる登山者が増えるといい
先日、ご飯を食べに行っていたら、店のオーナーと話になったのですが、昨今は食文化が壊れて、お魚の旬などが分からない人が増えたのだとか…
食育が叫ばれていますが、日本社会が文化的に乏しくなった、ということだそうです。
それは、山の世界も同じことで、山に下界を持ち込む人が増え、山小屋はゴミだらけです。
したがってこのような現状からすると、山の世界を理解する人が増えることが、基本的には山の世界をよくすることにつながっていくと思われます。
目指すべきところ…は、本格的がつく登山のリアルな姿を、価値を、理解する、と言うことで良いのかもしれません。