2016/07/21

絆を作りながら登る

■ 喉の痛み

今日も、イマイチ体調がすぐれない・・・(ーー;)

喉のイガイガが…。先日夫が帰宅した時に、ちょっと風邪菌の匂いがした。それで移ってしまわないかな・・・と思ったら・・・案の定。

私の風邪の経路は、夫経由だ(汗)。

ということは、夫の手洗い・うがい励行が基本的にネックなんだが・・・。起りそうにない奇跡。

■ 絆

最近、とある山の会の集まりに混ぜてもらった。

それは、控え目に言って、”とても光栄なこと”だった。

古い山の仲間たちには、絆がある。その絆の輪の中に、招き入れてもらった。

元々、山岳会とは、そうした”絆”で結ばれた人たちの集まりだったのだろう・・・。

今は、私利私欲の会、ドライな会になってしまったところが多い。 

以前、会の新年会に出た。

60年の伝統がある会だから、新年会しか出席しない古参の人がたくさんいて、長い長いテーブルの一角で、久しぶりに会う仲間が年に一回の再会を喜び合っていることが誰にも分かる様子だった。

1年目の新年会は、それを見ただけだ。現役実働部隊の先輩たちも、そのテーブルとは切り離された世界にいるようだったし、おとなしくして帰った。翌日はピーカンで山がきれいだった。

翌年、新年会は私が出たいと思っていたアイスクライミングのイベントと重なっていた。会には、アイスのパートナーがいない。・・・ので、新年会に出るよりも、今現在のパートナーを得るためにアイスフェスに出る方が自分にとって、ためになると思っていた。

とはいえ、何も言わずに新年会をすっぽかし、クライミングに行ったら、心証は良くないだろう・・・それで、アイスのパートナーゲットしに行きたい!と先輩たちに告げ、新年会の不参加を許可してもらうこととした。・・・ら、新年会に出てほしいと言う・・・それで新年会に出席することになった。アイスのパートナーゲットはお預けだった。

その新年会で、古参の会員の誰かが・・・名前も知らない・・・「君の山行報告を毎月楽しみに読んでいる」と言ってくれた。

それで、新年会に出てよかったなと感じた。会を辞めた後も、山行報告書を楽しみにしてくれた人に悪かったなと今でも思う。

でも、前がある限り、前には進まなくてはいけない。

■ 属人的絆 属集団的絆

高校の頃、文芸部の出版物を印刷するのに印刷代が必要で、寄付金集めに駆けずり回った。

「クマタカかい?じゃ、〇〇円出すよ」 そう、私の高校は地元の名門校で、高校の名前を出しただけで、寄付金を出してくれる商店街のお店は多かった。

同じことは大阪でも起り、1990年代の大阪の道具屋筋では、大学1回生の私がフライパンを買おうとすると、「おねえちゃん、外大かい。それじゃ勉強してあげる」と、大体、端数切捨てぽっきり価格にしてもらう。

外大はもともと谷町9丁目にあったので、難波や心斎橋の古くからの商店のおじさんたちは外大のことをよく知っているのだ。

大学の頃・・・私は、松和荘という長屋に住んでいた。六畳一間に三畳の、キッチンと言うには、おこがましい流しがついている。流しは水色のタイルで、風呂なしトイレは共同。家賃は3万円。豊津の商店街が立ち並ぶ下町エリアだ。

近所のスーパーの電気屋さんの裏に冷蔵庫が捨ててあったので、もらってもいいですか?と頼みに行ったら、電気屋さん曰く、「家はどこ?」。

「松和荘です」といったら、「なんだい、松和荘かい!じゃ運んであげる」 とあいなった。何も買っていない(笑)。

大阪は人情の街だ。いつもこんな感じに暮らしていた。

不思議な感じだが、単純にありがたいことだなと思っていた。伝統、先輩たちの功績、今まで積み上げてきた、なんらかの良き行為があるから、後進に良くしてくれるのだろう・・・

けれども、今回の集まりに私が混ぜてもらえるような、会の伝統は何もない。

ただ、私が”私”だから混ぜてもらったのだ。

私がクマタカ卒業生だからでも、外大卒業生だからでも、松和荘に住んでいるから、でもなく。

■ 属人的信頼

私が”私”だから信用を得たことは、これまでに2度あった。

1度目は、アメリカでベビーシッターをしていた時だ。子供が怪我をし、その応急処置が良く、医者に褒められたことで、平たく言えば、株があがり、周囲の家からシッター依頼が舞い込むようになった。時給も、当初2ドル50セント程だったのが、7ドルまで上がり、最終的にはアメリカ人並みの10ドルもらった。4倍だ。

その次は、ソフトウェア販売会社にいたときに、取引先の人から評価されたことだ。売り込んできた人たちが非常に良い内容のソフトを持ってきたのだ。実際、10年に一本あるか、ないか、というようなソフトウェアだった。

私も社運がかかっているかもと思い、かなり頑張ったのだが、社内が動かず、利益を上げる前に、IBMがそのソフトウェアを会社ごと(!)買収してしまった。残念だった。

チャンスを見抜く目があれば、先にソフトウェア導入実績を作って、大きな利益を上げることができたかもしれなかったのに。あるいは、IBMに買収されるにしても、有利なポジションを獲得できたかもしれなかったのに。

これはポシャッタ事案だが、この時に私を買ってくれたのは、社内ではなく、社外の取引先の人だった。

この時のことはとてもありがたいと思い、今でも友人関係を続けている。

人は自分を信じてくれた人を信じるようになるのかもしれない。

山は、結果よりも、いかに登るかということが大事だということは、誰もが知るところだ。

最近思うのは、誰と登るか、ということも、いかに登るか?ということと同様に大事なのかもしれないということだ。